はてなキーワード: ビッグネームとは
所々で思うんだけど、あの他罰的に見える姿勢は非常に『女』らしさがある。
まぁ、お嬢様キャラだから、という理由で許容されてると思うんだけど
でも中高生ぐらいまででそういうじゃれあいは終わらせておくべきだったよね、っていう
そういう意味で言えば運営の幼さ、それこそ中高生レベルの罠の掛け方をしてるというか
でも、それ以上にDWUの怒りはヒートアップしていて、多分運営が本気でDWUのガワじゃなくてアジア人男性12ドルのガワしか渡せません、ってなってもDWU自身もそれこそファンもマジでついていってたと思う。
お口が悪いけど、ちゃんとやってるから彼女は評価されるし、V界でもそういう人がちゃんと多くて
だからそういう人間相手に中高生がよくやってそうな「言った」「言ってない」「死ねって言うなら死にまーす」みたいなこと言い出しても
最後は「うるせえさっさと死ね、表では後悔してやるけどそれぐらいの負の感情はこのキャラクターと共に背負ってやるからさっさと死ね」と覚悟をした大人が返答してくる訳で
まぁ、「ほれ、このカッターでスパッとやらんか、見届けちゃる。」と言いださないぐらいには冷静だったか、と。
それこそ、深層を扱ってるんだから、もっと雑に生殺与奪してくる奴だっているのに、常識の範囲内にいる人はそこまで込みで死ねと言うとは思わないのだろうか。
え?流石にそこまで考えてない?感情が昂って死ねって言っただけ?よく言いがちなだけで本当に死んだ時に動揺する顔が見たくてやってる?
ああそういう性癖の話か。
でもまぁ、ところどころで「何言ってんだこのアマ」と思うところもあるよね
「あの飲み会で頑張ろうって言ったじゃん」も『がんばろー!えいえいおー!』みたいな感じじゃなくて『頑張ろうね!?』『お、おう…』みたいな感じだったんだろうし
「この二年で2万ぐらいしか貰えてないスタッフもいます」に「当たり前だろ」と返答してたところに、普通に「テメェが当然だとか言えねえからな!」って逆ギレするスタッフが居なかったのはそれは運営としての最低限の自負があったからか、
普通に冷静にDWUが悪いんじゃなくて仕事を勝手に判断して断ってたセバス長が悪いのがわかっているからか周りのスタッフは静かではあったけど
でも「当たり前」ではないって、それぐらい酷い環境にあってそれでもついてきたスタッフの報酬を二年で2万は安すぎるって。
いくら遊びでも。
でもそういうところに噛みついても仕方ないし、そういうトゲがいくつもあったからもうキャラごとくれてやってもいいかってなったのかもね
だから、DWUお口が悪いなぁって思ってた。
でもここまで言ってもDWUの良くなかった部分ってそこぐらいで、後は普通に仕事としてちゃんとやってる訳だし、それこそただ雇われてるだけなのに自分から仕事の是正もしていこうとしたし、
それは労働者としては花丸をあげてもいいと思う。
そして、運営は言ってない、わかってるだろと思ってやってないことが多すぎる。
正直、それだけでケーヤクイハンみたいな話にはなると思うけど、そこはもう離れてしまったんだから言わないことにしよう。
でも「キャラだからそういうことやってました」って言われても『そこでキャラ通すならお前が表でやれよ』って話であって、裏方に徹してて裏方で通したい筋があるならちゃんと敬語でその返信をしなきゃ、ただの出来損ないになる。
これをRPとして優れてるとか言うやつは馬鹿よ、なんたらの病気だからどうのってのもよろしくないよ。それで商売するってなったらそこら辺越した上でやんなきゃ、相手に失礼だよ。
僕はセバスチャンじゃないですかだのセバス長じゃないですかだの、執事を語るなら主人の不利益になる行動はしちゃダメでしょ。それともそれが原因で主人が背中からぶっ刺されることになったとして、それもネタにすんのか?
いや〜うん十年前のアングラは最高だな〜いい加減にしてくれ〜だからお前ら怖がられるんだよ〜ちゃんと口にしないから闇の中に身を落とさせるだけになるんだよ〜それで金儲けしたいとか笑わせんでくれ〜
最近のインターネット利用者が光属性なんじゃなくてYouTubeやインスタに集まるのが光属性なんだよ〜お前が金稼ぎを考えてるプラットフォームに光属性が多いんだよ〜だからお前らみたいな中途半端な存在が生かされてるだけであってめんどくさい闇の集団は普通にお前の配信してる場所を特定してそれをネタにしてくるから本当に光属性相手に商売出来てたことを感謝しろ〜
僕ってそんなキャラじゃないですかを貫くなら本当にお前が表に出てぶっ刺されなきゃならんよ、もしくは壺おじさんみたくDWU for セバスチャンみたいなタイトルつけて何もかんもの責任はセバスチャン達にあります、ってやっときゃ「あ、Dちゃんがゴミなんじゃなくてセバスチャンがカスゴミなんだね!仕事を依頼させるときのプラットフォームも詳細も返事もなんもねえのによく働かずに自分も金が欲しいなんて言えたな、作るだけで生かす気がねえならただ死ぬだけだぞ」って回答がもらえる訳で
でもまぁ、そんな心配もなくなりましたと、これからDちゃんがDちゃんと信用できるスタッフでひとまず運営をして、沢山の荒唐無稽な依頼を直接その身体に受けて、その対処に追われて、その途方もない放浪の旅に疲れたらどこかの事務所に入ることになるんだろう。
少なくとも、ちゃんとした返答もなく彷徨い続ける訳ではないんだし
大いにある。
俺も軽く『あの吸血鬼の事務所』とあわよくば『お友達が多い事務所』とか考えたけど
『よくわかんねえけど資本はありそうな人間達』に買われた可能性だってある
あの体質だと変な借金して働いて返そうとかしてそうだし、でも一番有り得そうなのはやっぱ吸血鬼の事務所なんだよな
DWU関連で迷惑被ったのって明確にあの事務所ぐらいだし、それで一番やらかしたのって多分セバス長だし、アイツだけは無理だからクビにしてくれ〜って裏でやってたんだろうな、と素人ながらそう思う訳で
でも今回の配信でセバス長がああいう言い方をして、DWU自身も意地になってそれを必要ないと言ったし
予想外なのがあの拍手をした集団で、そいつらからも縁切りをした訳だから
ただでさえめんどくさい予定の放浪の旅がもっとめんどくさくなるんだろうなぁって
でもそういう覚悟をせざるを得ないほど、出来損ないで、無責任で、遊ぶことすら満足にできない人達だったから
だからあの子はめんどくさい旅をしなきゃならなくなるんだろう。
本当はDWUという名前ですら抱えなくてもいいのに抱えてしまって、あっちへ、こっちへ
それでも彼女が幸せだったのは、彼女自身がとてもしっかりした人間だと思ってもらえたことで、それは彼女の活動と発言をちゃんと見て判断してもらえたことなんだと思う
それこそ、運営と揉めて、私は悪くない!って言い続けてるのにその異常な行動を見抜かれて人が去っていった人なんて幾らでも表で見てきた訳で
そして、それを揶揄して笑っていたけど、自分達の後ろがそれ以上に出来損ないでもっと酷いことになるなんてよくある話
正直言えばあんなことやって「こんな事務所があるんですよ〜!」なんでやった時点でセバス長にはエンタメを語る資格がない。おまえのおもしろは誰かが必死に守ってる普通を指差して笑うことにしか無いのかよ。ってなっちまう。
それのどこがいけないの?普通のYouTuberみんなそれやってんじゃん。って思った奴はそういう類のYouTuberはYouTubeで自分を宣伝して他のサイトで金稼ぎしてることを忘れちゃいけない。
そして、それを作る気がないし、投げ銭の場所を作るでもない、積極的に宣伝するでもないなら、理想に溺れて死ぬしかない。いや本当に、荒唐無稽かつろくでもない理想像を掲げて生きていけるのは昭和の作家ですら無理よ。短命よ。
で、文書の内容に関してだけど
まぁ、前々からあの人たちを見てる人からすれば、『こんな文章書けるようになってえらいね〜』だ
馬鹿にしてんのかって思うかもしれないけど、それで文野外の人間しか集まってない会社が多少なりとも生き延びれるなら声をかけてもらえるだけマシ、だ。
本当はもっと静かに客が去っていくもんだ。静かに狂っていくもんだ。
なんなら元から似たような緩さ、軽んじ方をしていて、だけどその人気のつき方の本質を多少なりとも理解してきた人達だ
どこぞの会社なら本気の命令を出すならびっくりマークがいくつも付くようなもので、今回は箱のトップがブチ切れるような事態でもあるのに、
あまり強く責めても仕方がないし、我々にも非があるだろうから教えてくれると助かる。があの文章だ。
そこまでへりくだってることを理解せずに会話のついでに貼った馬鹿については知らん。アイドル事務所の監視はもっとダルいし、お前に配られてるiPhoneに追尾機能やらが付けられてないだけまだマシ。
本当言うならどれもこれも出来損ないなのにファンに愛してもらえるから「今の需要はこんな感じなんだ」と合わせてくれてるだけであって、あの会社があの体質をやめて、この基準に満たない人はクビにします。この基準を満たしていてもこれをしていたらクビにします。と言い出したら何人去らなければならなくなるのかはわからない。
ましてやどこかで居直ってる程度ならさっさとクビを切った方が変に達成して空虚だった時と比べたらマシなはずだ。
でも残酷なことに彼等はそれを下さない、それは違うでしょ。どれだけ大人気でも突然去る人が居ても止めなかったし、どれだけ不人気で辞めたいという感情があってそれでも続けると決めた人には寄り添ってたじゃんっていう。
だから、本当に売ったバカが居たらしばらく首から私はバカですの札でもかけててもらいたい。それこそ、本意気のアイドル事務所はその程度じゃない訳で。ナメた行動取ったら給料も無くなるし、仕事もない、配信なんてさせてもらえると思ってんのか。馬鹿が。お前みたいなのを愛してもらえると?そして愛してもらえていなかったと?
だから、あの文章は誰かが会話のネタに貼ったか、セバス長が頭おかしくなって作ったか、もしくは、ただのフェイクか、だ。
それこそ、本当にアレをやったのは私です。なんて言い出す馬鹿が居たら、マジで一年ぐらいその人のチャンネルを非表示にする。何か不適切な表現があればすぐさま通報して収益化が解けるまで行う。
やることがショボすぎて笑う。
辞めることになっても仕方ない。悲しいことになっても、そんなに悲しくなくても仕方がない。
だけど、そうやって心を落ち着けようとしたくもないから、セバスが自分で作った、セバスをD嬢だと思った馬鹿が話のついでに貼った、もしくはただのフェイク。だと思うことにしている。その方が平和だし、平和じゃなくなったら一方的に一人が責められることになる。それが見たいのか?
あのおもしろが続けば今頃は、なんて、インターネット何年もしてる人からすれば、おもしろとかいうのは永続じゃないし、その日、その時の気分次第になる。アレでなんで笑ってたんだっけ?って何度も思うことになる。
それを維持する才能があったらそれで生き残ってる筈だし、それが無いから別解を手に入れてああやって生きている。
それこそ、明石家さんまの凄さを理解してないのに、忌野清志郎やオーケンの凄さを伝えられる訳じゃ無いし、そんなビッグネームの凄さもわからずに、自分の面白だけは天を貫ける程のものだと勘違いしているなら、やっぱりその自惚れのダメージをその身に一身に受けるべきだろう。
そうでもない限り、芸術は磨かれないだろう。どこまで届くかなんてわかんないままだろう。なのに、誰かに渡したナイフを見て、まさか料理用に使われるなんて思わなかったと言うとは、その商品を捨てるのが今の飽食社会の有り様だってのに。
人間が集まるならロクでもなくなるに決まってるし、それはファンでも同じ。ファンを装ったアンチなんてのもあるめんどくさいとこ。でもどこ行ったって一緒。
ただ、ずっとクリエイティブしてる人は別。一応配信業もただ垂れ流してるんじゃなくて、その人達なりの技術でもって配信の面白さを安定させている。
俺のような素人が一発でスムーズに高画質高音質な配信を個人の家で行えるかって言えば断然NO
そしてD嬢にしたって結局月に一回濃密な動画を上げている、だが、その程度では収入足りえない。そして想像以上の危険性が深淵にはある。
理解しない人は多数いる。弱者と見抜けば牙を剥くから彼等は深淵に居る。
そして、多分なんだけど本当はそういう深淵にあの子が攫われるようなことがあって、それを笑って動画にすることであのシステムは完成する筈だったんだろう。
俺はそれを面白いと思えない。
だから今単純な配信者となって別解を手に入れようとしてる彼女を応援している。
その方がまだ笑えるから。
青識亜論と石川優実との対談というか論戦ショーがあった。
https://togetter.com/li/1431453
それで、ビッグネーム同士の論戦ということで、各界の大物論客が集まるだろうし、会場はフェミとオタクのプロレスが見れるだろうと期待していた。
しかし、残念ながら、盛り上がりに欠ける展開になってしまった。
理由はネットの政治大好きオタクしか来ず、フェミサイドが閑古鳥だったことに由来する。
会場からフェミサイドの大物が名乗りを上げ「お前らオタクは豚だ。ブヒブヒ泣くんじゃねえ」とか、ネット論客オタクが「オタク差別は許さん。表に出ろ」とかそういう期待されたやり取りは全くなかった。
で、ここからが本題。
フェミ系論客が、「あんなのに参加するべきではなかった。弱い者いじめだ。青識はクズだ」とtwitterでことが終わった後に全員が言ってる。
別にオタクだけが参加するイベントではなかった。もっといっぱいフェミが参加して、青識を精神リンチすることだって可能だったはずだ。
しかしなぜかフェミは参加しなかった。4000円払えなかったのだろうか?
オタクがほとんどで、フェミがほぼいない。これは主催者も、オタクも、フェミも予想外だった。
フェミ系論客twitter漫画家の本が、出版されたのはいいが、実際には支持者がそんな買わずに困ってしまったということもあったが、実際にお金を出したり動いたり、意見を言う人はオタクの比ではないほど少ないということが可視化されてしまった。
宇崎ちゃんは単行本もバカ売れ、献血キャンペーンはめちゃ成功したのに対して、実際に動くフェミはほぼ存在しないということがバレた。
最大の理由は、「フェミニズムが戦う心を忘れて、共感的手法に終始し続ける時代が長すぎた」ことだ。
もっと率直にいうならば、「100%の肯定のみを求めて泣く女」に終始した「被害者ポジションで語る」ことに慣れすぎたからだ(これはもうフェミニズムではないという批判はまったく正当である)。
つまり、面と向かって「あなたの言ってることおかしくないですか?」と言われることを極端に怖がりすぎているのだ。
末端の支持者がそのレベルならまだしも、大学教授や、弁護士などのオピニオンリーダーの姿すらなかった。参加者に至っては「報酬をもらってないから」とまで言う始末である。
参加するのは外の世界とつながらない、ネットの論壇や、雑誌の炎上記事だけで、他者との議論の場に姿を現さず、愚にも似つかぬ根拠のあやふやなエッセイを本として売りながら、学会にすら論文をまともに出さないのがいまのフェミニズムの堕落の姿だ。
彼らにできるのは「炎上を仕掛けて放火する」「雑誌に炎上記事を投稿する」「ネットの絵師を凍結させる」「電凸する」程度で、実際に動くことはまずない。
なにより狡猾なのは、フェミニズムのオピニオンリーダーたちは、自分たちが共感的作法(そうですね、ひどいのは男ですね。あなたは被害者かわいそう)という手法によってのみ勢力を拡大してきたことを誰よりもよく知っていることだ。だからこそ、「自分たちの論法が、自由な議論の場や意見や議論を戦わせ、批判する場に出ていく」ことを極端に嫌がる。大学生の「なにを意見として述べてもよい。しかし客観性のある根拠はつけろ」という基本中の基本すらできていないことを知っているからだ。だから、大学教授ですらが、自由な議論の場に出て行って、自説の正しさを主張することすら怠る。負けることを知っているからだ。それよりも「あなたは被害者。あなたは被害者」と繰り返し言うほうが、楽だし、金も稼げるし、何より危険が少ない。
もう、学者たちは、はっきり言うべきなのだ。フェミニズムは保護されている、と。
フェミニズムが学問であり、その正しさを学問の看板で主張するというのならば、「あらゆる方法でその正しさが検証される」のは当然であり必然である。そこから逃げるのなら、もう学問ではない。
大学院生ならわかるだろう。あの学問のいやらしさを。論文のあらさがしばかりする腐れ外道の魑魅魍魎たちを。学会の質問のいやらしさなんて、青眼鏡の比じゃないレベルでぐいぐい突っ込んできますよ。
本当に最低。でもそういうところで戦わずに、「学生相手に講義を一コマ男性社会の悪口を適当な根拠で言って、男性社会の悪口レポートを書かせて単位をやる」みたいな社会学の講義だけやって終わるような真似をしないでほしい。
石川優実さんが立派なのは、そういう自分の正しさを戦わせることを選んだことだ。彼女は理論はともかく、意見の違う他者と戦ったという一点において、紛れもなくフェミニストであり、その一点において肯定されるべきだろう。100%に近い肯定の得られる場所以外はいかないという偽物ではなかった。それだけはこのイベントの収穫であっただろう。
追記 有村悠が凍結された。オタクが凍結させたのかと思ったら左派陣営のフェミ側が怒ったかららしい。そういうところだけは仕事が早い。有村悠なんて、フェミ側の人間だろうに。
追記の追記 と思ったら急に泣き言を言い出した。なんなんだよ。どっちらけだよ。司会者もセッティングもすべて石川有利に作られてたのかよ。しかも青識から一週間前に質問内容を全て教えてもらって、論点まで司会者と一緒に事前話し合ってたのかよ。そのうえで、「私はモノ化された」と泣き言をいうのがフェミニズムなのかぁ。被害者ポジションはそりゃ楽だろうさ。でもそれはフェミニズムじゃない。
新聞で、中央公論社の漫画「日本の古典」の広告を見た。古事記や源氏物語、雨月物語や太平記などの古典を漫画化したシリーズ作品である。その漫画を描いた漫画家がどれもビッグネームでスゴイ。石ノ森章太郎に水木しげる、いがらしゆみこにさいとうたかを、横山光輝に安彦良和、里中満智子に竹宮恵子、矢口高雄につのだじろう。みんなヒットした代表作を持つ大物漫画家である。そこらの無名の絵描きを起用した漫画ではないのだ。
今思うと、単に仕事として依頼されたからというだけでなく、こういう学習漫画を描くことで社会貢献して箔をつけようとしていたのかな。単に雑誌に大衆向けとして描くだけでは社会人的評価が得られにくかったから。あと、こういう漫画の執筆を通じて、漫画家自身も勉強になり、学がつくというのもあるだろう。最初から立派な監修がついてくれてるから安心できるだろうし。
今活躍してる漫画家たちも人気漫画家ほど、こういう学習漫画の仕事をしていくべきだと思う。子供の漫画離れで雑誌の販売部数が激減してると言われて久しいけど、そんな時代だからこそ漫画離れを防ぐために学習漫画の仕事をしてほしい。
11月最初の週末は、ラグビーW杯2019日本大会、最後の週末だ。
ラグビー伝統国以外での、そしてアジア初開催となったこのトーナメントも残すところは2試合を残すのみ。
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大会を振り返った時、3位のチームを覚えている人は少ないだろう。
地上波放送もなかったし、3位決定戦自体の存在意義に疑義を唱える関係者もいると聞く。
しかし、今回、不可抗力で中止になった試合こそあるものの、W杯の開催地に最後まで残って、参戦したときに行う可能性のある7試合全てを戦えるのはここまで残った4チームにのみ許された権利だし、この大舞台で戦う経験を積む新星、そして代表戦の舞台から去るベテランたちにとってこの一戦は大きな意味を持っている。
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ニュージーランドのWTBリーコ・イオアネや、ウェールズのSHトモス・ウィリアムズ、CTBオーウェン・ワトキンはこの3位決定戦で次の4年に向けた新たな一歩を踏み出し、No8キアラン・リード、FBベン・スミス、CTBライアン・クロッティ、FLマット・トッド、そしておそらくはこのステージで残された時の少ないLOアラン・ウィン・ジョーンズといった伝説たちが、代表として有終の美を飾るための戦いに臨む。
また、スティーブ・ハンセン、ウォーレン・ガットランド両HCも退任が決まっており、これらはこの試合が1つのサイクルの終焉と新たなサイクルの始動を繋ぐものであることも意味している。
強豪国として名をはせる両国は今夜、どのような「終わりと始まり」を見せてくれるだろうか。
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若手に経験を積ませたりベテランの花道を作ってやりたいとは思っても、負ける気など全くないウェールズ。
伝統の固いディフェンスと激しいタックルは若手にも浸透しているであろうが、相対するのは攻めてくるのを待っていて勝てる相手ではない。
ウェールズは攻撃的守備を遂行しつつ、ペナルティーキックやセットプレーなどの一瞬の勝機を何度ものにできるかが問われる一戦となる。
対してスタメンを大幅に入れ替えても世界的なビッグネームばかりという層の厚さを誇るオールブラックスは、完全に封じられれた準決勝の苦い思い出を払拭し、自信を取り戻さないといけない。
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国家斉唱を前にこの試合で黒衣を脱ぐキアラン・リードの頬に笑顔が漏れる。
スタジアムが純粋にラグビーを楽しむ祝祭的なムードに包まれる中、両国の代表と観客が声を合わせて歌う国歌。
特別な試合、原則マオリの血を引くものが務めるとされるハカのリードはキアラン・リードだった。
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いよいよキックオフ、増田の予想に反してウェールズは試合開始から果敢にランで展開しつつ攻めるが、これを止めたオールブラックスがペナルティを獲得、外れたゴールキックの攻防からボールをつなぎ、なんとPRのジョー・ムーディーが激走してトライ!
つづく12分にもラインアウトからのセットプレーでクロスパスを受けたFBボーデン・バレッドがディフェンスをすり抜けてトライ。
14-0。
オープンな展開から2トライを奪ったオールブラックスが序盤をリードする。
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対するウェールズも深く攻め込んでからのセットプレーを取り切ってトライ、その後もペナルティーゴールを獲得し14-10とやり返していく。
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しかし、ボールをもってもキックを使わず走るウェールズが挑んだ攻めあいはオールブラックスの土俵で、32分にはセットプレーからターンオーバが連続する混乱をベン・スミスが走り抜けてトライ。
銅鑼のなった40分すぎにまたもベン・スミスがインゴール右隅に飛び込み、28-10として前半を終了した。
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スタンドに観戦にやってきていた上皇夫妻に送られる拍手と歓声。
トーナメントを勝ち上がってきたキック主体の戦術を使わずランでのオープンな展開で攻めたウェールズだが、オールブラックスの得意な混乱からの打ち合いを誘発してしまう。
ウェールズは今日が代表最後となるベン・スミスの2トライなどで大幅リードを許して前半を折り返した。
後半は締めていくのか、覚悟を決めて引き続き果敢に攻めるのか。
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後半開始早々、オールブラックスはまたもベン・スミスがディフェンスをすりぬけてチャンスメイクし、ソニー・ビル・ウィリアムス一流のオフロードでつなぎ、ライアン・クロッティが飛びこみトライ。
今大会を若い力で駆け上がってきたオールブラックスは、3位決定戦でみせたベテラン3人のアンサンブルで35-10。
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ウェールズは残された大舞台最後の時間を観客とともに全力で楽しむように、後半もキックを使わずランで攻める。
オーソドックスな展開攻撃だけではなかなかビックゲインができなかったが、辛抱強くボールを繋ぎつづけ、インゴールライン間際の攻防からジョッシュ・アダムズが頭を突っ込んだ!
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ゲームは選手の交代が相つぐ時間となり、大歓声で送られるウェールズのアラン・ウィン・ジョーンズやオールブラックスのソニー・ビル・ウィリアムズ。
最もセクシーなアスリートと世の女性にもてはやされながら、前大会で得た金メダルを興奮してフィールドに降り駆け寄ってきたファンの子供にあげてしまうなど、セクシーの期末試験があったら記述問題に採用したい振る舞いがノータイムで出せる伊達男ソニー・ビルは、13人制でカナダからのオファーがるという。
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腕を痛めたウェールズSOリース・パッチェルの交代で怪我の穴埋めにとことん縁のあるダン・ビガーがフィールドに降り立ち、同じく交代で入ったSHガレス・デービスがややキックを増やしたことで後半の展開は均衡したが、やはりオープンなゲームであることは終盤になっても変わらない。
観客にラグビーの楽しさを示すように攻め合いになったゲームは、75分にウェールズ陣深い位置からのスクラムからオールブラックスSOモウンガが、その均衡を破るトライで40-17として、このスコアのままゲームは終了した。
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おそらくは互いに最後のW杯となるアラン・ウィン・ジョーンズ、キアラン・リード両キャプテンが晴れ晴れとした表情でインタビューに答える。
準決勝の苦い敗戦を払拭し、最後の試合を飾ったスティーブ・ハンセンHCは大歓声に送られ、花火大会の打ち上げ本数で上回られたウォーレン・ガットランドHCは少しだけ悔しそうな表情で、しかし歳月を噛みしめるようにウェールズを鍛え上げた日々への思いを語った。
今大会で堂々オールブラックスの司令塔を務めた新星モウンガは試合前に「先輩たちのために今日は戦う」と語ったという。
ウェールズの選手たちも同じ気持ちではなかったのだろうか、去る者の思いは若い戦士たちに受け継がれていく。
4年後には彼らが先頭に立ってチームを引っ張っていくのだろう。
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決戦の1試合を残して大会を去った彼らだが、大会後にはキアラン・リード、ライアン・クロッティ、マッド・トッド、ブロディ・レタリック、サム・ホワイトロック、リーアム・スクワイアなど、多くの選手が日本にやってくる。
あと、W杯が始まってからというもの、どうにも悪役キャラのようなセリフを吐きまくるエディーがまた口を滑らせたおかげで、スティーブ・ハンセンが次に指揮を執るのがトヨタヴェルブリッツであることも明らかになった。
日本代表の躍進をその屈強な身体で支えた姫野を擁し、元オールブラックスのキャプテンとHCがやってくるトヨタは台風の目になるだろう。
W杯を沸かせた彼らのプレーや采配を間近で見ることのできる、トップリーグのスタンドにも是非足を運んでほしい。
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そして、日付が変わって11月2日、2019年大会を制するチームがついに決定する。
追憶と希望をのせたトライの花火と歓声が夜空を彩った今夜だったが、次の夜はもっとシリアスなものが飛び交うだろう。
44日間の激闘を見守ってきたウェブ・エリス・カップは、白と緑、どちらのユニフォームの上で輝くのか。
※ネタバレは当然のごとくにする。
・いきなりハイライトの感想から言うけど、百鬼丸が目を取り戻したら度を超えたイケメンに超進化したので、私エネル顔。
昔話の『鉢かづき姫』みたいだなと思った……。
・百鬼丸VS多宝丸のシーン、シリアスなはずなのだがめちゃめちゃ笑ってしまった。多宝丸がいきなりお部屋紹介を始めたからだ。
「ここは私の部屋だァ!!」
ってなんだよwwwww先週「もう話すことはないな」って一方的にコミュニケーション遮断してきたのは何だったんだお前可愛すぎだろう。
・からの、回想に幼い頃の陸奥・兵庫を入れてくるのずるい。そんなん泣くに決まっている。
・というか、ここら辺の百鬼丸の心理が今一つわからないんだけど、派手に暴れたらストレスが解消されたのか冷静さを取り戻したのか、よくわからないんだが急に物分りがよくなったのはなぜ。
・まぁよくわからないがお互いに欠けているもの同士として響くものがあったのかなあ?
・最後の鬼神、あんな所にいたんだ。へぇ。案外あっさり倒されたなぁ。
・ご都合展開の極み的に寿海ママと縫ママが百鬼丸のピンチに駆けつけたけど、この手のご都合展開は本作の醍醐味というかなんかもう慣れた。
・抜け道から百鬼丸達が闘っていたフロアまで結構高低差があるはずなんだけど、そこを縫の方がどうやって濡れた打掛を被って上がって来たのかが気になって仕方がない。
・百鬼丸が二人のおっかちゃんの愛情を感じられて良かった。良かったのでその前の滅茶苦茶な展開も許せる。
・多宝丸には生き抜いて欲しかった。でも最期を母上に看取って貰えてよかったね。
・シリーズ後半までずっといい子だった多宝丸が終盤に思い切り我を出して来たのは良かった。親近感の湧く少年であることよ。
・百鬼丸が初めて見るものは多宝丸の死体かどろろの顔のどちらかではないかと予想をしていたのだが、二人のママだったのがとても良い。
・しかし寿海ママの指差しポーズが爽やか過ぎて笑う。CV.大塚明夫で「気を付けて帰れよ!」って言いそうな顔だし現にCV.大塚明夫なのである。
・井戸の底から引き上げてもらうときに百鬼丸に抱えられたどろろが猫みたいで好き。
・「空、きれいだ……。どろろ、きれいだ」セリフだけなら良い場面っぽいのに殆どギャグだった。"溜め"とか無いんだ。
・目を取り戻してから燃え落ちる城を見詰める場面まで百鬼丸がものすごく美少女である。本作の真のヒロインは百鬼丸、君だ!
・様々な問題をどろろは親の金で解決しようと決める、というまさかの展開にびっくり。え?それでいいんだ???
・どろろの父・火袋の埋蔵金は果たしてちゃんと手付かずで残っているのだろうか。埋蔵金の隠し場所に人が来られなかったのは、しらぬいの次郎丸と三郎丸があの辺で人喰ってたからだろうに。次郎丸・三郎丸が討たれた後は……。
・景光と百鬼丸が会話してる……!百鬼丸、こんなに喋れるようになって………(ハンカチで目頭をおさえる
・ついに景光が敗けを認めたのでせいせいした。ほんと嫌な親父だったなぁ。国の為民の為と言ってたけど結局、功名心だけの人だった。
・刀も持たずどろろを伴わず、みおの種籾だけを持って旅に出てしまう百鬼丸。みおの種籾はもはや完全に忘れ去られたアイテムだと思っていたので、再登場してよかった。
・みおの種籾が百鬼丸からどろろに託されたり、百鬼丸とどろろの二人で田んぼに植えて育てるという展開は正直嫌だったので、百鬼丸が種籾を懐に仕舞い直したことにホッとした。
・みおとの初恋の思い出を、どろろとはいえども他の女の子と共有するのはどうなのかと私は思っていたので。
・異論あるみたいだけど良い終幕だった。
・本作は批評される際に手塚治虫の『どろろ』の後継(というよりコピー)としてアリか無しかということで見られがちなのが気の毒だと思った。
・原作付きアニメの宿命ではあるけれども、それにしても手塚治虫がビッグネーム過ぎるので……。
・原作漫画を100として減点法で採点されるばかりで、アニメそのものの出来を評価されるってことがあまりないんだよなぁ。
・私としては、2019年版アニメ『どろろ』の出来はあまり良いとは言えないと思う。
・前半はかなりよかったのに、後半はずいぶん失速してしまった。一体どうしてこうなった?と観ていて戸惑う部分が多々あった。
・シリーズ構成・数話の脚本を担当した小林靖子氏のインタビュー記事や前期エンディングと第15話の演出を担当したコバヤシオサム氏のツイート、後期OPスタッフのツイートやインタビューなどから、制作スタッフのなかで何らかの内輪揉めがあったのかなぁ、と、邪推かもしれないが、思った。
・せっかく時間をかけて企画を練っていたようであるのに、後半からいきなりごちゃごちゃのグダグダになっていく様が非常に勿体ないと感じる。決して詰まらないストーリーではなくアニメーションの技術が低い訳でもない、むしろクオリティ高くやれそうなのにそうならなかったから残念なのだ。
・アニメは多くのスタッフのチームワークによって作るもの、ということの悪い部分が表面に出た感じ。
・宮崎駿や高畑勲の作品みたいに細部にわたって監督の思い通りに作るアニメには勝てないのだろうか?
・しかし各話の演出家の裁量に任せてるっぽい所、嫌いじゃないんだけど。特に15話はかなり異色な回だったけど面白かったし好き。
イニエスタ、ビジャ、ポドルスキ、トーレス、クエンカ、ジョーと世界のサッカーシーンで知られたビッグネームがJリーグに所属している事は、Jリーグファン以外にも知られているのではないかと思う。
だがしかし、その実態は寒いもので、ビジャ、イニエスタ、ポドルスキの3名通称VIPを抱えるヴィッセル神戸は公式戦9連敗を喫し、勝ち点13の13位。先日鳴り物入りでJリーグに参加したセルジサンペールが45分で負傷交代した後に、安井という無名の新人を投入した事で45分で4点を奪う攻撃力がチームに生まれ負の連鎖をようやく脱した。フェルナンド・トーレスとイサック・クエンカが所属する鳥栖は、開幕から10節までは総得点1で5連敗中のぶっちぎりの最下位だったが、スペイン人監督更迭を機にトーレスから、かつての鳥栖のエースであった豊田が出場機会を得るに至って、チームは3連勝で神戸と同じ勝ち点13を獲得し、14位となって一息つく事が出来た。成功を収めているのは、ブラジルで得点王だったという現役バリバリの実績を引っ提げてやってきた名古屋のジョーだけである。昨年得点王に輝き、現時点でチームは3位と優勝を射程に収める順位で躍進している。
ビッグネームを獲得したチームが下位に低迷し、まったく勝てなくなってる一方で、昨年J2から昇格を遂げた大分は4位と大躍進をしている。この差はどこにあるのか?ビッグネーム獲得は失敗なのか?という真っ当な疑問が生まれる。
チームごとの戦術や選手の役割の差があるので一般化は難しいのだけど、端的に言うとビッグネーム起用による守備強度の低下が招く周辺選手の負担の増加と、戦術上の穴が生まれる問題ということになる。神戸と鳥栖に勝利をもたらしたのは、失われていた守備強度を取り戻させ、周辺選手の負担を軽減して、勝利に向かう仕事に専念できる環境を整えた選手の存在があったからだった。今のJリーグは、攻守に全員が連動し休みなく動けるチームが圧倒的に強い。単純に、走力の問題ではないしチームごとの違いもあるのだけど、あえて物事を単純化して言うと、全員で相手陣内でボールを奪って、そのまま全員で攻撃してしまえば、相手チームよりも走らないで楽に勝てるサッカーが出来る。このいわゆる、ハイプレス、ショートカウンターという理想を持って戦っているチームが多いので、動かない選手がいるチームは、それが最前線だろうと中盤だろうと、そこからピンチを招くことになるわけだ。今Jリーグで強いチームは、優れたボランチがいて、FWから守備をサボらず、数人のプレスを連動させることでボールを奪い取る事が得意なチームが多い。これにラインを高く保つハイラインを入れると、昨年の横浜マリノスの様な不安定なチームが生まれるわけだけど、ファストブレイクを標榜する首位の東京、連覇中の川崎は、そういうカラーを持っているし、アジア王者鹿島も昔から球際に激しくてボール奪取能力の高いチームだった。昨年は、お笑いサッカーと言われていた横浜も、今季は守備もそれなりに安定して強くなっている。神戸が目指すバルサ化で、リーグの上位陣と戦うのは、バルサBで全盛期のアトレティコマドリーに挑むようなものと思ってもらえばいい。ロートルを抱えたポゼッションサッカーでの成功は極めて難しい。
一方で、ビジネスで考えた時、ビッグネームの獲得は大きな成功を収めている。神戸の2018年の売り上げは91億円でリーグ最高額だし、経済効果や楽天が得られた宣伝効果ではプラスになっていると言われている。儲かるが、バルサ化はもちろん、アジア最強クラブという大きな目標は、到底見えてこないしょうもないサッカーしかできてない。それがヴィッセル神戸の現在地だ。
リーグの注目が高まり、フアンフランやヴェンゲルなど新たなビッグネームが選手や監督として来日する可能性もあるなど、いい効果も出ている訳だけど、いつまでもこんな事ではいかんと思う。いつまでも年金リーグに甘んじるのではなく、次のステップとして、まだ芽が出てない若い選手を日本に連れてくるテコとしてビッグネームを使うべきだろう。そういう意味ではセルジサンペールには期待していたけど、カップ戦での調整からリーグに順応させることなく、いきなりリーグで起用した事で敗因となり続けてしまい、ファンからも呆れられる状態になってしまっているのは残念だ。
Jリーグとしても、いつまでも90分トータルで見た場合には大して仕事きないロートルビッグネームばっかり集めてみても、勝てるわけないんだから意味がない。U20W杯でメキシコを3-0で破っている様に、世界と日本との差はそれほど大きくない。だからこそ、下り坂のビッグネームでは通用しない部分もあるのは確かなのだが、先日の神戸のビジャが決めたファインゴールに見られる様にプレーの質はまだまだJでは抜けてると感じさせられもする。ビッグネームを多数来日させることで、欧州の選手たちにとって日本でプレーする事が一つの選択肢になったが、その先の事をそろそろ考えて欲しい。
ビッグネームで儲かる、人気が増す、認知度が増すというステップはとても重要だと思うが、なんだ糞弱いじゃんって言うままでは、人気が次につながらない。最後になるが鳥栖と神戸の今後の復讐には、心から期待してる。
親愛なる、ミキティ。こんな程度の連敗で折れてくれるなよ。
あとFAXは止めろ。
どうも、矢沢です。昔、キャロルで矢沢が日比谷でワオワオやってたころにさ、あの、なんていうのスライム?それが流行ってたわけ。
楽屋でさジョニーなんかとスライム欲しいよね、つってたらボーヤが気を利かせて「買ってきましょうか」っていうわけ。
「おおサンキュ」つって買いにいかせたら街中売り切れだったみたいでさ
「すいません、コンニャクで代わりで」ってそいつ、こんにゃく買ってきたわけよ。
しょうがないから代わりにこれで遊ぶかあ、と思ってさ、オレやジョニーでこんにゃく顔に乗っけたり、ぶつけ合ったりしてね遊んでたんだ。
そしたらさ。ムッシュっていうの?かまやつがバーンと楽屋入ってきてさ
「おまえら何してんの?」。オレ「いやあ、かまやつさんコレだよ噂のスライム!」
オレ、まだ駆け出しだったし、向こうはもうビッグネームでしょ?「はあ?」みたいな感じ。
「おまえ、矢沢、これはこんにゃくだろ?」って。ちぎって床に捨てた。
オレはそれを黙ってみてたね。しばらくしてムッシュが帰ってさ。
そしたらジョニーがそのちぎられたこんにゃく持って震えてんのよ。
「エーちゃん、これ弁償モンだよ!」って。「こんにゃく弁償してもらうべ!」ってさあ。
「あのさっきのこんにゃくだけど、絶対そのうち弁償してもらいますんで」バッキリいってきた。
それから、1週間くらい後かな、モノホンのスライムが届いたよ。ムッシュから。
そのとき思ったね。「ああ、これがスーパースターのやることだな」って。
途中で汗すって粘液になってたーらたーらいと引いて落ちてくんのよ。
あの頃、私は大阪の大学の研究室で、毎日ひぃひぃ言いながら研究に明け暮れる日々だった……とか書くと、何自慢してるんだ、とか言われそうなのだけど、なかなか良い結果が出ずにひぃひぃ言っていただけの話で、色々辛い思い出ばかりの時期だったのだ。
そんなときに来たのがあの地震だった。私は深夜に戻って寝ていた下宿であの地震に遭遇したのだが、幸いそこは大した被害はなかった(室内はぐちゃぐちゃになったけれど)。しかし大学は、あちこちで建物の窓が割れていたり、ある建物の最上階ではボヤになったり、実験に使っていた装置のアラインメントが狂っていたり……と、色々と問題が出て、その後も何か月もの間尾を引いた。友達の一人は、家の壁が抜けてしまい半壊認定、そして転居することになったのだが、もともとが貧乏人(馬鹿にしているのではなく、私も同様の貧乏人だった)だったので、見舞金で一種の焼け太りとでもいうような状態だった……いや、でもあの忙しい時期に引っ越すのはそれはそれで大変だったと思うけど。後輩のひとりは家が全壊し、しばらく研究室に住み着いていた。よく研究室のシンクで、湯沸器で行水していたっけ(後で考えるに、体育館にでも行けばシャワー位ありそうなものなのだが)。
そして……ここからがこの文章の本題である。あの日から一週間程過ぎた頃、隣の学科の教授が亡くなったという話が聞こえてきたのだ。その教授はある分野ではかなりのビッグネームで、私も概論のような授業でその教授の授業を受けたことがあったのだが、私の専門分野とは微妙にずれたものだったので、それ以上の関係というのはなかった。ただ、そのときの状況は、そんな位置にある私から見ても何やら奇妙なものであった。普通、教授が亡くなったら、それはそれなりに騒ぎになる。病気療養中のところ、とかいうならまだ準備ができているかもしれないが、聞いてみると、やはりあの震災で亡くなられたのだというのだ。だったら尚更、騒ぎになってもよさそうなものではないか。しかも一週間過ぎてから……どういうことなのだろうか。
友達に一人だけ、その学科の学生がいたので、学内で見かけたときに思い切って聞いてみたのだ。彼は言葉少なく、
「ちょっとな……」
「ちょっと、って、何よ」
「色々あるんや。言われへんこともあるんや」
言われへんこと……そのときは、ちょっと想像がつかなかった。まあ、周囲の目もある学内だから、話そうにも話せないことでもあるかもしれないんだが……でも、殺されたとかいうならまた別だけど、そういうわけでもなさそうだ。一体、何が問題なのだろうか。
共通の知人の家で遊ぶことがあったので、思い切ってもう一度聞いてみると、ようやく彼は事の経緯を教えてくれたのだった。
その教授は、最初行方不明という話になったのだった。確かに震災があったわけだが、その教授の家があったのは大阪である。大阪も、場所によっては確かに酷いことになっていたのだけど、その教授の家はそういうこともなかったらしい。しかし、教授と連絡が取れない。そうなって三日が過ぎたとき、思いもよらぬ報せがきた。神戸市内のある倒壊家屋で、その教授の遺体が発見されたというのである。
「……何故そんなことに」
「で?」
教授の遺体と共に、一人の女性の遺体も発見された。そして判明したのだが、この女性は教授の愛人だったのだ。つまり、この教授は神戸市内に妾宅があり、そこに滞在していたときにあの地震に遭遇、倒壊した家屋の中で亡くなったということらしい。
「……そんなことって」
「あるのか、って思うやろ? 俺もそう思ったけど、事実そういうことらしい」
恋人でなく愛人と書いたことからもお分かりかと思うが、教授には家庭があり、夫人がおられた。その夫人が、教授の遺体の引き取りを拒絶し、その後の説得に対してもなかなか翻意しなかったのだという。まあ、この夫人の心中を思えば、むべなるかなとも思うわけだ。三日間、消息を心配していたその矢先に、思いもかけぬ場所で思いもかけぬ経緯で命を失い、しかもそれが自分への裏切りとセットになって報されたというのだから。
こういう学界のビッグネームが亡くなったときには、その弟子や同じ分野の研究者達が「追悼論文集」をまとめ、出版するのが通例である。一年近くの後、この教授の追悼論文集が出版され、私の研究室にも回ってきた。教授をしのぶコメントに目を通してみたけれど、「不幸な事故に遭われ……」としか書かれていない。私もいくつかこの手の論文集を目にしたことがあるけれど、何々という病気で闘病され、とか、これこれの事故に遭われ、とか、少々リアルな話が書かれていることが多いものである。しかし、そりゃあ弟子も業界関係者も、今回ばかりは書きようがない。論文集を読むだけでは、何かその教授がすっと消えうせたかのようにしか思われない。そんな印象が今も強く残っている。
私はこのことから何を学んだか。いかに天災であったとしても、この教授は、自分が死んでしまえば後のことは知らない……などとはとても言えない程に、残された人を深く、多く傷付けることになってしまったわけだ。家族だけでなく、自分の育てた弟子と言ってよい研究者達も、師匠を突然失った喪失感を抱えつつ、その師匠のこんなことをどう扱ったらいいものか、と困惑し、悩みながら後始末をするはめになったわけだ。どれ程高潔に、後々の準備をして死んでいく人であったとしても、そういうものを完全に残さずに逝くことはできないだろうけど、やはりあれはまずかった。自分がある日この世から消えて、その後に残される近しい人達のためにも、誠実に生きていかなければならない。いや、それ以前に、自分がそういうことに対して誠実になりたいと思えるような、そんな生き方をしなければならないんじゃないか。そう思ったのである。
A. フェミニストの一部が女性用施設(女子トイレなど)からのトランスジェンダー女性の排除を主張してトランスジェンダー当事者や残りのフェミニストから猛反発受けてます。
A. トランスジェンダー排除の発想自体は欧米のフェミニズムに元々ある流れっぽいですし、日本語圏のウェブでも細々と論じられてはきたのですが、急に日本語圏のtwitterで流行したのは2018年下半期くらいからでしょうか。
お茶の水女子大学がトランスジェンダー女性の入学を認めたことが引き金になったっぽいですが、最初から議論の流れを追ってるわけではないので正確にはわかりません(調査不足ともいう)。
A. 女性は「女性の身体を持っている」ことで差別され性暴力の被害を受けてきたのだから、身体が男であるトランス女性は女性のための空間に入ってくるべきではない、という主張なようです(一人一派なので色んな主張が入り乱れていますが丁寧に腑分けする気力はない)。トランス女性の方が性暴力に遭う割合が高いという統計があって何度も提示されてるんですが聞く耳はなさげ。
A. 外野が見ている分には論理的にも倫理的にも反排除派の圧勝なんですが、排除派がとっくに論破された論点をゾンビのごとく引っ張り出してきて延々とエコーチェンバーの中で会話してるので一見なかなか決着がつかないように見えています。これ在日差別とか歴史修正主義とかで見たことあるやつだ。
A. トランス排斥派ラディカル・フェミニスト(Trans-Exclusionary Radical Feminist)の略ですが、要するに男性特権とか色々な理屈をつけてトランス女性を排除しようとする一部のフェミニストのことです。
シノドスから記事を削除されてた在米フェミニストの方だけでなく、配偶者を亡くして語学留学中の方、ソラノート炎上ダダ漏れ配信事件の被害者の方、ダサピンクの方、森友学園問題で名を馳せたジャーナリスト氏の性暴力疑惑のステマに巻き込まれた方など、はてなでフェミニストと名乗っていたりフェミニズムに親和的な主張をされている方々の中でも声が大きい人たちが次々と議論に参入していてはてなー的にはオールスター感謝祭です。
さらにははてな出身ではないですが、かつてまなざしライオンとして勇名を馳せた方が熱心な排除派として活動されている辺りも見どころですね。別の大物排除派は猫アイコンだし、ネコ科への熱い風評被害では。
あと、ふだんあれだけ「男性には特権がある」と主張している人たちの一部が「シスジェンダーには特権がある」と言われた途端に発狂してそんな特権ないとか言い出してる光景は見ていて呆れ返ります面白いですね。
A. トランス排除派のやべー発言で打線組んだ(「」内は全て原文ママ)。
1中 「私は女性とはセックスで決まると思っているので、最初から前提が違いますね」
2右 「特にシスヘテ女という表現は、それ自体が、女性を他者化する女性憎悪である。」
4一 「トイレで怖い目にあわされたことない人は全員黙っててよって思う。一大事やねん。人権とかで譲れる話ちゃうよ」
6二 「フェミニズムは生身の人間の血の叫びではじまってんの。暖炉の前でやるナンプレみたいな机上の空論に付き合ってられるか。」
7遊 「T者だけ批判しても、生得的女性の同性愛者はどこまでも女性専用スペースに入ってこれるんだものな。」
8捕 「ヘテロ女性にどのような脅威をもたらすかという一例。」
9投 (性被害経験を語ったトランス女性について)「草むらに引き釣りこまれるだけに終わるのが男の特権だよネ~結局ゴリラ並みの腕力で対抗できるんじゃ~ん」
A. 以下の匿名ダイアリー記事はこの論争と関係したものですね。増田だけでなくはてなブログにも関連エントリが上げられています。
「先人の議論の正しさ」を確認、って増田が正しさを判断できるとは限らないよね。それに「議論の正しさ」とは何か、という問題もある。
「先人は正しいかどうか俺が決める」なんて言ってること自体が、知に対する多大な冒涜でしかない。少しは恥を知れ。
増田に「正しさを判断する資格」があるかどうかを示してくれないどころか、児童発達心理学者の超初歩ビッグネームも知らない、「子供」を軸に歴史を読み直した歴史家の存在すら知らなかった増田が、客観的に「正しいかどうか」判断できる能力があるとは、思いにくい。
それに私がごく基本的な、大学の一般教養で読むような初歩のレベルの本を提示しても、それでも私の提示した本が「正しいどうか」なんて勉強嫌いのガキの言い訳で逃げてる増田に、正しさを判断できる客観性があるとも思いにくい。
そもそも「研究に対する正しさ」は、その時点での正しさでしかなく、絶対不変の正しさがあるわけではない。これは研究をする人たちや知を信じる者たちの共通の理解。
増田だって、今はロリコンは迫害されているが俺論理では子供には自由意志があってロリコンは迫害されるべきではない、という説を唱えているわけだけど、それと同じ。
今のところ、過去の研究者の積み重ねや歴史や人々の知見の積み重ねなどによって、多くの近代国家において子供には独立した自由意志を持つのは難しいという判断がされていて、それがもう100年近く続いているというのが現在位置。
アニメーターやイラストレーターに当たる方々の苦痛に満ちた生活についての書き込みは、ネットでよく見られる。
ただ、彼ら絵描きがしんどい日々を送るのは人間性、生活スタイルなどを考慮すると致し方ない部分が見られるのも事実だ。
自営業者の端くれとして、そんな彼らにアドバイスをしておきたい。
・コミュニケーションを円滑にする
著名人の逸話を例とすると、ピカソの話は人口に膾炙するものだろう。
「ピカソさん、私あなたの大ファンなんです。この紙に一つ絵を描いてくれませんか?」
ピカソは紙とペンを受け取ると30秒ほどで絵を描き、手渡しながらこう言ったそうです。
「1万ドルだ」
「この絵を描くのにたった'30秒'しかかかってないのですよ?高すぎます!」
「30秒ではない。40年と30秒だ」”
有名な話なので細かく解説はしないものの、この話を鵜呑みにする方は危なっかしい。
この発言が許されるのは、見知らぬご婦人からピカソに絵を描いてほしい、と頼まれるほどの画家だったからである。
勲章を賜るほどの評価をなされていない凡百の絵師がこんな発言をしたらどうなるか、考えるまでもない。
これはピカソだから許される考え方だ。サルバドール・ダリにも似通った逸話がある。
少なくとも、彼らは1万ドル払ってでも落書きや髭が欲しい、と思われているのだ。
また、ピカソの逸話らしいのだが(真偽不明)、ピカソは普段の支払いは小切手で済ましていたそうだ。
受け取った人はみんなあのピカソの名前が入った小切手だから、取っておけば価値がつくかもしれない、と思い引き落とさなかったそうだ。(生前ですらそう思われているのがピカソらしい)
奇天烈人ピカソは、こうも処世に長けていた。詰まる所、ピカソほど凄くもない絵描きが、ピカソレベルの処世術を身に着けているのだろうか。
人付き合いが不得手であっても、ご用命があればいつでもどうぞ、ぐらいのことはして欲しい。
アドバイスとして、あなたもおそらくそうであるように、人間はサービスは割安を好む。
絵が上手いだけでなく、納期変更に順応してくれる、だったり、酒の席での一発芸が上手い、ということでも付加価値となる。
・モノを知らない
微分積分はわかるだろうか。共産主義の成り立ちはわかるだろうか。海外に行ったことはあるだろうか。年金の手続きはわかるだろうか。恋はどんな味かご存知だろうか・・・。
全部修める必要はまあないだろう。しかし、もし一つもなんとなくすらわからないようであれば、社会情勢が不安定な往来で、そのアンテナの低さは致命的だ。
絵描き同士で「あの雇い主は金払いがいい」とか「あっこは仕様変更が多すぎる」とかの情報共有は積極的だろうか?
創作の参考になる経験を嬉々として語らいあったことはあるだろうか?
内省してみてほしい。
大事な一例として紹介しておく。がっちりマンデーという番組のコーナーの一つに、ニトリの社長の飲み会はどんなものか、という特集があった。
そこでは、小泉元首相のようなビッグネームが当たり前のように出席しており、商談の取り付けすら決まっていた。
このように世の中にはビジネスチャンスが広がっている。モノを知らないということは、それにすらアクセスできないことになってしまう。
(余談だが、財政緊縮を目的として郵政民営化を成し遂げた小泉元首相が、その席の中で金は使ってナンボ、という旨の発言をしていた。筆者に郵政民営化の真なる失敗を予感させることになった。)
値切られないようにするのは実はとても簡単で、引く手あまたになればいい。
逆に、あなたを引く手が少ないのは、あなたの怠惰に原因がある。(親が大体の家庭では勤め人であることにも遠因はあるだろうが)
2、新規で手に入れた顧客が、定期の顧客にするための営業活動はどれぐらいしているのか
3、見込み客はどう作っているのか、どう探しているのか
おおよそ上記の三点に尽きる。
自営業は勤め人とは違い、このような泥臭いことでも自力でやらなければならない。(勿論、経理や年金も)
これらの要素において楽をしたいなら、アンテナの広さやコミュニケーションが大事になってくる。
割りの良い外注先を常に知っておくべきだ。
とりあえず、今回はこれにて筆を置く。(基本的な話ばかりで申し訳ない・・・)
なお、雇われのアニメーターなどについては別の話なので、触れないでおく。
追記;
私のダイアリーにしてはご意見をいくつかいただけたので、返信しておきたい。
>>イラストレーターも要は自営業なんだよなあ 資本主義社会で生きていく以上は絵の能力だけってわけにはいかない
おっしゃる通りです。資本主義においては、絵の能力は換金手段の高々一要素でしかない、というのを念頭において行動するところからがスタートだと思います。
少々お頭が残念で世間知らずだが人柄は純粋な(普通に就活してもブラック企業を引き当てそうなタイプ)底辺で二極化してる感じ
後者のような、世間知らずに分類され悪用されやすい人こそこれらの事実を知るべきですし、もしそうなら今からでも公務員にでもなるべきなのです。
自身の身の丈すらわからない者は、悪辣な輩からひどい目に遭わされるのは仕方のないことなのです。
それでも専業の絵描きとして生きたい、という方に向けての初歩的な手引きなのです。
>>おおかた親から店を受け継いだだけのボンボンがビジネス書読んで適当フカしてるだけだろうと思う。
層があることも知らないんじゃね…
あくまでも端くれですので、ご容赦ください。
私の身の上の都合上、俗に下層と称されるべき方々とも面識があるつもりです。
そういう人々が周りにいる限り、成功するのは困難であろうことも実感済みです。(勿論、当人の人格にも言えます。)
それでも、誰かの成功のほんのきっかけになれば、という所存です。
>>この増田みたいにショボい自己啓発本の抜粋みたいなものでも ただで読めて少しの間でもみんなでコメントしあえれば たしかに割安の娯楽にはなるよな
あなたに申し上げるなら、ここに書いていることは商売における原則論です。
言ってしまえば、算数では足し算より掛け算を先に、だとか、水は100度で沸騰する、というようなことしか述べていないのです。
それを自己啓発と同等のもの、と感じてしまうのは大変危険です。
ピエロになること自体はやぶさかでないので、ご自由に取り扱ってやってください。
>>拙者ITドカタでござるが知り合いが登壇するというからクリエイター系のイベントに参加したところ名刺交換激しくその知り合いもクライアント候補に名刺凸しててOh~と思ったでござるね。。。
無能こそ公務員や自衛隊に所属すべき、というライフハックが広まっていないのは残念な話です・・・。(あまつさえそれを民衆自身が削減していること自体が無念極まりないです・・・。)
無理にとは言いませんが、あなたはそのご知り合いからだけでいいので、貢献できることがあれば引き受けてみてください。
>>言ってることはよく分かる
本来は自営業者であるのにネットでよく見る愚痴はサラリーマン労働者臭がする
自己責任とまでなじる気はありませんが、周りも自分のクソさを我慢している、という視点が欠落しているようでなりません。
もしかしたら数年前に決着のついてる話かもしれないが森田真生の話をする。
一応どういう人か簡単に説明しておく。Wikipediaや本人のHPによれば「独立研究者」という肩書で
大学等の研究機関に属さずに数学をテーマとした研究をしている在野の研究者。
著作もいくつかあり、中でも「数学する身体」という本は小林秀雄賞をとっているらしい。
また「数学の演奏会」なるイベントを定期的に開いているとのこと。
僕はこの人の著作を読んだこともないし、「数学の演奏会」に行ったこともないので正直あまり知らない。
ただ僕が簡単にアクセスできるこの人の情報から判断するにこの人は胡散臭い。
多分この人が話題になったのは結構前の事だと思うが、今更書くのは僕が注意を向けたのが最近の事だからだ。
前々から書店に陳列される著作を通じて存在は知っていたが読んだことは無かった。
本の見た目からして一般向けの啓蒙書という感じなのでスルーしていた。
しかし最近知り合いがこの人の名を挙げたので気になって調べてみたら思ったよりも浅薄で、
数学の専門知識の無い人をおかしな方向に誘導しているように見えたので、注意喚起の意味を込めてこの文章を書くことにした。
森田の問題点は単純で「数学の知識があまり無いのに、まるで数学を知っているかのように語っている」というのに尽きる。
これだけだと説得力もないし、内容も不明瞭なので森田に数学の知識があまり無いと判断する根拠を記す。
何をもって知識が無いと判断するかは難しいところだが大きく、森田の語る内容が表層的という点からそう判断した。
森田はTEDで講演している。是非見てほしい。(他にもいくつかYouTubeに森田の動画があがっている。)
↓森田のTEDでの講演
https://www.youtube.com/watch?v=Hx6ZNEWydCU
浅すぎないだろうか。この内容を話すのに数学の専門知識が必要な部分は一つもない。
一貫して根拠のないフワッとした話ばかりで最終的には岡潔を引いて「数学とは自分の内面に出会うことだ」などと言うが、
次のフィールズメダリストのVillaniによるTEDでの講演を見てほしい。
https://www.ted.com/talks/cedric_villani_what_s_so_sexy_about_math?language=ja
この講演は本当に凄い。専門的なバックグラウンドをもつ話を一般人向けの話にうまく落とし込んでいる。
Villaniが例外的に上手い部分はあるとはいえ、一般人向けにある程度深い数学の話をするのが不可能ではないことが分かる。
森田が誰にでもできる程度の講演しかしないのはその程度の知識しかないからだと思っている。
森田は研究者というが論文は特に書いていないため、知識の程度はわからない。
検索で引っかかる唯一の森田による大学数学レベルの記述は「哲学者のための圏論入門」というタイトルのpdfだが、
内容としては圏論を哲学系の人に紹介するものなので、その目的からしても当然のことだが入門的内容のまとめに過ぎず、
ここから知識の程度を測るのは難しい。これをあえて書いたのはこのpdfの存在が森田の知識の証左になると考える人がいるかもしれないため。
これくらいは数学科卒なら大抵書ける。
また森田の話に出てくる数学者はグロタンディーク、岡潔、マクレーン、チューリング、ウィッテン、グロモフ等といった
超ビッグネームばかりでしかも分野もばらけているというのも不思議だ。
何らかの研究対象があればその分野で一流の研究者の名前が挙がっていいはずだと思うのだが。
他にも本人のTwitterなどを多少見たが、特定の分野に対する造詣は感じられないし、一般啓蒙書的な数学的理解を超えるものは見られない。
森田に知識がない分には一向に構わないが、無い知識で数学を語らないでほしい。
数学を語るのが数学者だけの特権と言うつもりは全くないが、専門知識を語るのは難しいことだということを強調したい。
数学書を理解するのは一定の訓練で出来るようになるが、その内容をテキストから離れた自分の文脈に組み込んで話すのはずっと難しい。
しかしそれが出来なくては一般人のレベルに専門知識を落とし込むことは出来ない。森田はこのレベルには達していない。
数学について語るのではなく、自身の数学観について語るのは構わないが、それならばビッグネームの名前を借りるべきでは無く、
徹頭徹尾自分の言葉で語るべきだろう。権威の名を出して森田の数学観を語れば、一般人にはそれが独自見解と気づくのは難しいのではないか。
RHYMESTERの宇多丸さんがTBSラジオで続けてきたタマフルが、3月で終了するというニュースを見ていちリスナーとして感謝の気持ちを記したくて書く。
1)映画を見る習慣をつけてくれた
映画はデートかレンタルしたものを家で見る、みたいな感覚だったのだけど毎週宇多丸さんの映画評を聞いているうちに映画館でみたい、今映画館でかかっているうちにみたい、となっていきました。1800円は高いなと今でもちょっと思うけれど家では絶対にできない行き届いた環境の中で見る映画は、やっぱり別物です。マッドマックス怒りのデスロードをiMAXで見終えた後の、息をすること忘れてたわ、みたいな感覚はきっと一生忘れません。
あと、宇多丸さんはよく映画体験、という言葉を使いますが映画はその時見たからこその衝撃や感動がやっぱりあって、それは家で猫に邪魔されながら見るのとは全然違う強度でやってくるんですね。映画をみた直後はもちろん、その後の人生観にも影響するような作品も何本かあるのですが、きっとそれは家で見たのならそこまでの影響力は持たなかったのではないかと思います。
見るのは話題作とかすでに高い評価を得ているものが中心。誰でも知ってるビッグネームの監督以外は名前も覚えず系統立てて見るようなこともなかったし、丁寧な伏線や繊細な演出、気の利いた暗喩に気がつかないままおもしろいとかつまらないとか言っていたような気がします。それはそれで全然いいと思うのですが、私は映画を見慣れたことでそのあたりに前より気がつけるようになって、ずっと映画が楽しくなりました。
きっとどんなことでもそうだと思うのですが、知ること、気がつけることって楽しみを増やすことなんですよね。宇多丸さんが評価のポイントとしてどんなものをあげるのか、それを知ることで享受できる楽しみがぐっと増えました。ありがたい。最近だとマジカル・ガールのお父さんが、映画序盤に拾ったものが何で、それが伏線になってるとか私だけではとてもじゃないけど気づかなかったわー!と感動しました。
3)宇多丸さんについて
タマフル10周年。私が聞き始めたのは2010年に「食堂かたつむり」をシネマハスラーで取り上げたときからだから、足掛け8年聴いていたことになります。振り返れば映画評もずいぶん変わった気がします。はじめのころは今ほど体系的に語っていなかったような気がするのだけど、最近では監督の過去作を含め言及することが増え、取り上げた映画がどこにマッピングされるのかとか、演出の傾向や技術的な面にもけっこうな時間を割くようになり、語り口も理性的というかあまり感情を出すことが減ったように思います。私は宇多丸さんのストレートな罵倒がけっこう好きだったので、それは少しさみしいことでもあったのですが。
けれど過去作を追い原作を読んで評論にあたる宇多丸さんの真摯な姿勢には本当に感服するしかありません。そして何より宇多丸さんは親切なんですよね。超ド定番の有名な映画を見ていないという視聴者のコメントに「これからまっさらな状態であの名作を見れるなんて」と言ってくれる優しさよ。時々汚い言葉が出るときもあるけれど、基本的にはだれかを傷つけるようなものではないし、その後でフォローが入ることも多くやっぱり筋金入りの「育ちのよさ」みたいなのが見える好人物です。大好き!
4)後番組について
どんな番組になるのか未知数ですが、ポッドキャストでしっかり追おうと思います! 平日毎日3時間というのが、本業大丈夫?と心配になるのと、もし、もしも万が一新番組があまりふるわず終了してしまったら……という不安はありますが、宇多丸さんのことだからきっと素敵に楽しい番組をつくってくれることと期待しています。(しかも久しぶりの橋Pとのタッグ!)
最後になりましたが、10年間おつかれさまでした。本当に毎週楽しませてもらいました。ありがとうございます!!
書いてることは概ね間違ってないけど、結論は間違ってる。
大衆がシンプルでキャッチーな音楽を求めるという見方は全く間違っていないし、実際にその理屈のもとで大成功を収めたベリー・ゴーディ・Jrという人物がいる。彼はもともとジャズが好きで、ジャズ中心のレコードショップを開いていたのだけれど、売れるのはより音楽的に簡素で演奏技術も高度でないドゥー・ワップやダンス向きのジャンプ・ブルースやロックンロールで、自分が売りたいものが全く売れなかったという苦い経験があり、そこから“リズムが豊かでわかりやすく楽しい音楽を作る会社”であるモータウン・レコードを創設し、ミラクルズ、スプリームス、ジャクソン・ファイヴといったミュージシャンを輩出していったという経歴がある。
音楽理論的に高度であるということが音楽的に優れている、という見方は極めて安直で、音楽理論的に高度な音楽は音楽理論的に高度な音楽なのであって、優れた音楽であることとは直結しない。
アメリカ、及び現代の音楽史を語る上で、アメリカの黒人奴隷(強制労働者)が生み出したブルースは欠かせないけれど、ブルース自体はごく僅かなコード進行からなる、元増田の言葉を借りて言うなら“音楽理論的に低レベルな”音楽だ。けれども、ブルースが持つ音楽的価値というのは極めて大きなもので、黒人がより高度な音楽教育を習得するようになった1950年代以降においてもシンプルなギター演奏だけで音楽を作り続けるレッドベリーやライトニン・ホプキンスといった黒人ブルース・シンガーの評価は続いていたし、更には彼らの直系の影響下にはウディ・ガスリー、ボブ・ディランといったビッグネームがいて、彼らについてはもはや言うまでもない。
それに、理論的高度さを追求する人間はシンプルな音楽を“低レベル”であると見做している、というのも違う。
例えば増田の言う現代音楽の分野で成果を残しているフランク・ザッパのキャリアはドゥー・ワップやリズム&ブルースといったシンプルな黒人音楽の内面化から始まっているし、生涯に渡ってこうした音楽に興味を持ち続けていた。ロックの文脈ではアヴァンギャルド、ノイズ、シューゲイザーの先駆者であるルー・リードもボビー・ルイス、アイズレー・ブラザーズ、ファッツ・ドミノ、フレディ・キングといった50年代の黒人ポップスの愛聴者だったし、日本でも山下達郎のジェームズ・ブラウンはじめ60年代のソウル・ミュージックの愛好ぶりはよく知られているところ。
というように、わざわざ結論を書き直すまでもないけど「音楽理論的に高度な音楽だけが優れた音楽であるというわけではない」ってこと。
>アーティストでも、若いころは電子音バリバリの歌を歌っていたのが、歳を取るにつれアコースティックな静かめの曲ばかり歌うようになったとか
これのわかりやすい例にロッド・ステュアートがいて、彼も年齢を重ねるに連れてビバップ以前、あるいはポップス寄りのジャズ・スタンダード(わかりやすい音楽)を積極的に採り上げてカヴァーしてます
なんか、ひょんなことから月蝕歌劇団(という小劇団が都内にあると思ってほしい)の公演を見に行って、それ以来なんか芝居づいている。
これまで演劇なんてぜんぜん興味がなかったのに。
いくつか劇場に足を運んだところで、もう1回くらい観ればもっと色々と見えてくるものがあるかと思い、また月蝕歌劇団に足を運んでみた。
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演目は『ねじ式・紅い花』と『盲人書簡−上海篇』の2本立て連続公演
(前回の観劇の記録は
https://anond.hatelabo.jp/20170925212923
を参照のこと)
ということで、自分のログを兼ねて、また観劇記を残しておくことにする。
御用とお急ぎでない方は、しばしお付き合いを。
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ただし。
自分は舞台観劇についてはとことん素人なんで、これから書くのは、通りすがりの素人が見た印象批評くらいのつもりで、紹介文としての情報は期待しないでほしい。
(というか印象批評というワードも小林秀雄みたいで偉そうだな。ほんとに感想文くらいの感じで、ひとつ)
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■全体として
歴史の長い劇団というのは知っていたけれど、今回は公演100回記念とのこと。
で、旗揚げ時代からのライバル劇団その他のビッグネームが集結した大プレミアム公演だったらしい。
普段は若い女性主体の “少女歌劇団” っていう感じの劇団なんだけど、今回はキャストの年齢が大はばに高めだった。
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ちょっと変わった構成をしていて、1つのシーズンというか公演期間を前後に分けて、2種類の演目を上演する。
さらに各演目について前座というか露払いというか、出演キャストの歌唱ショー、寸劇、詩の朗読その他をまとめたパフォーマンスとして “詩劇ライブ” というのがある。
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なので、フルで鑑賞すると1シーズンで合計4演目。
これを多いと思うか、アリだと思うか。
いろんな作品世界が見られてオトクだとも言えるし。
リハーサルやシナリオの練り込み等々のリソースは分散されるから内容的に落ちるものになるかもしれないし。
自分が見たところ、器用な高能力キャストと、まぁそうでもないキャストでうまく仕事を振り分けて、不満を感じさせない作りにしている感じだった。
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順番に見ていってみると。
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先に不満点を言わせてもらうと。
演目『老人と子供のポルカ』の歌唱。
左卜前役のベテランキャストがカンペ片手に左右のキャスト(岬花音菜、慶徳優菜)を振り回して大暴れ。
休みなく次の曲『本牧メルヘン』が始まり、そのまま岬花音菜がマイクを握るが、息の上がった彼女にはキーが低すぎた。
おかげで貴重な戦力(岬)を空費。
トリの白永歩美がキッチリと『バフォメット(と、あとなにか悪魔がもう一柱)の歌』(詳細不明)で締めてくれたのが、せめてもの救い。
ハプニングなら再発防止策を取ってほしいし、プロットなら、申し訳ない、あれに快哉を送るハイなセンスは自分は持ち合わせていない。
しかし。
詩劇ライブというのがファンミーティング兼同窓会だというのなら。
いとしの大スターがいつにないハジケっぷりを開陳したほうがファンサービスとしてのお値打ち感は高いのかもしれない。
と、思って周囲を見回してみると、自分と同じか、あるいはさらに年配の観客がホクホク顔で舞台を見守っている。
ハテ、招カレザル客ハ自分ノホウデアッタカ。
うん、わかった。
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■後半の前座『詩劇ライブ 暗黒少年探偵団』
詩劇三傑(←たったいま自分が決めた。はるのうらこ、岬花音菜、そして白永歩美の3人)のパフォーマンスがたっぷり見られたので実に良し。
はるの嬢は前回と同じギター伴奏かと思ったら、ギターからキーだけもらって、ほぼ独唱。それでいてピッチは正確、ハイノートも申し分なく出ていたし、なんというか、 “このヒト、ひょっとして劇団の隠れた屋台骨なのではないか?” という予感がさらに強まる。
(↑それは本編でガツンと証明されるんだけど)
なぜ合唱のときは控え(それはもう、あからさまな控え)にまわるんだろう?
リハーサルの負荷をソロに集中させるためか。
岬花音菜はカッパの舞。そして小阪知子を舞台に引き出してカッパの相撲。
あいかわらず、この人は歌って動いてが実に良い。
そしてトリは白永歩美。
朗読、歌唱と大活躍。
いつ見ても、この人は安定しているなぁ。
はかなげで、あやうげで、その状態のままガッチリ安定しているという不思議なキャラクター。
そういえば『Those ware the days』に日本語歌詞をつけたものを歌ってたんだけど、受付で立ち読みしたセットリストにそんなのなかったぞ、と思って調べてみたら、『悲しき天使』なんていう日本語版があったのね。
知らなかった。
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さて本編。
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■前半の本編『ねじ式・紅い花』
つげ義春の原作、『ねじ式』『紅い花』『女忍』『沼』『狂人屋敷の謎』をまとめて1つのストーリーにしてある。
実を言うと、前回の公演を見たあとに、某氏から、
「なに、月蝕歌劇団が面白かったって? それじゃアレだ。主催の高取英のアレ読んどけアレ」
といって勧められたのが、『聖ミカエラ学園漂流記』(小説版と戯曲版)。
前回の公演を観たときに、
「この人の持ち味は “奔放に見えて実は緻密な複数世界のマッシュアップ” だろうな」
と感じていたのが、この本で確信に変わったのだけど。
原作が2作品や3作品なら、例えば2つの世界の登場人物が呉越同舟で共闘する、みたいな展開もあり得るけど、さすがに5作品同時となるとメドレー形式にならざるを得ない、という感じ。
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さて、もう1つ、高取氏の特長と思ったのが、ストーリーに必ずクライマックスを用意する、という点で。
(それが、エンターテイナーとしての氏の本性によるものか、それとも “客にはなんとしてもカタルシスを持ち帰ってもらわないと次につながらない” という興行師としての冷徹な計算によるものか、そこまではわからない)
それが、つげ義春の茫漠としたアンチクライマックスな世界とどう折り合いをつけるのか、そこに興味があったんだけど。
これが『紅い花』を中心に最小限の改変を加えただけで、見事に全ての原作が一斉に収束に向かうオチといえるオチになっているのは、さすが。
最後にはねじ式青年が『パーマー・エルドリッチの3つの聖痕』(P. K. ディック)みたいに無限増殖するあたりの幻想テイストが高取氏らしい。
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あと、前回公演みたいな「身捨つるほどの祖国はありや」的な大きな主題は今回は抑制されている。
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助成金云々の楽屋落ちは生臭いので忘れたことにする。
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そして、この劇団特有の時間がゆがむ感覚をまた味わう。
今回は、サヨコの祖父の楽屋オチ的な台詞。
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「最近、嵐山光三郎が書いたんですがね、松尾芭蕉は忍者だったんですよ」
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えーと、嵐山光三郎の “芭蕉忍者説” は2000年代なんですが。
高取氏の作品世界が戦前、戦後、昭和30年代、1960年代、1980年代みたいに複数の時代を放浪するように、劇団自体も、60年代、80年代、そして2000年代の全ての時代に存在しながら、どの時代にも存在しないような不思議な立ち位置。
それが、この劇団の持ち味でもあり。
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あ、あと、狐舞の意味がやっとわかった。
なんのことはない、 “ここから現実感と見当識がゆるんで、心象風景と象徴劇が始まりますよ” という演出効果だ。
多色発光LEDを掲げた葬列も、夜光塗料の試験管をもった少女たちも、おそらく同じ。
少女漫画で「なんでクライマックスに花びらが飛び回ってるの?」とか訊かないでしょ? アレと同じだ。
そういえば、最近の子供は漫符(怒りの青筋とか緊張の汗とか)がわからないケースが多いらしい。
つまり自分は月蝕の鑑賞において子供だったわけだ。
というあたりで。
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そして、問題の↓
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■後半の本編『盲人書簡−上海篇−』
あー、うん。
むかし『草迷宮』(寺山修司)を観て途方に暮れたことを思い出した。
あるいは、さらにむかし『原始人』(チャーリー・ミンガス)を聴きながら、
「これは良い音楽なんだ、良い音楽なんだ、みんながそう言ってるから良い音楽なんだ」
と歯を食いしばっていたことを思い出した。
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はっきりしたこと。
自分に “前衛” を受け止める感受性はない。
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それでも、なんとか受容を試みてみる。
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(1)1930年代の第二次国共合作を背景にした不穏で混沌とした上海共同租界。
(2)明智小五郎と小林少年という、戦前・戦後の言ってみれば “陽のヒーロー” をどす黒く改変したキャラクターと、堕落した母親としての小林少年の母。
(3)白痴の少年と娼窟の姉妹がからむ、不快にユーモラスな人物群。
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この3つの人物群を主なストーリーラインとして、失明した小林少年を中心に “目明きと盲(めしい)、世界が見えているのはどちらか” という問いを主題として話はすすむ(ように見える)んだけど。
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途中、影を喪失した少女、みたいな挿入話をはさみながら、ひたすらグロテスクなストーリーとも言えないストーリーの断片が続く。
クライマックスは小林少年と恋人(?)のマサ子の再開を中心にしながら、全てが虚構の中の虚構、悪夢の中の悪夢、という入れ子の構造をあからさまにするところで、唐突に終わる。
最後の最後には第四の壁も突破して現実のキャストの名前まで出てくる。
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うーむ、書いておいてなんだが、なんの説明にもなっていない。
ねぇ、寺山修司って、ホントに70年代、80年代の青少年のカリスマだったの?
(今度、『書を捨てよ云々』でも読んでみるか……)
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可能性としては、今どきの若者がP. K. ディックやら筒井康隆やら読み慣れてるせいで、 “崩壊する現実” やら “虚構の中の虚構” を普通においしく摂取しているのに対して、当時はその種の超現実的な幻想悪夢ワールドが知的にトガった青年だけの愉悦であったとか。
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ま、さておき。
これ以上はどうにも言いようがない。
自分にとって確かなことは。
ということ。
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さて。
キャスト、演出その他については、以下の通り。
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■白永歩美
女忍コジカの息子、宗近と小林少年を好演。
このヒトが、登場するだけで舞台が猟奇的でビザールな空気になるような、言ってみれば “嶋田久作” 的な怪優でありながら、それでいて結構な美人サンである、というのは劇団にとって大きなアドバンテージなんじゃなかろうか。
劇団のカラーを一人で体現しているような。
ビジュアル、演技、歌唱、トップの名称は伊達じゃない、って感じ。
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というか。
実のところ、トップというネーミング自体はどうでもいい。
それがプリマドンナでもソリストでもエースでも四番でも同じことで。
その種の人に求められるのは才能でも鍛錬でも、ましてやプロデューサー/ディレクターの寵愛でもなく。
それは「いつ、いかなるときでも、自分が前に出ていってなんとかする」という思考形態だと思う。
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例えば才能、というか生まれつきの資質なら。
前回の公演には高畑亜美という彼女に負けず劣らずのビザール美人さんがいた。
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例えば技能なら。
前回の公演で、白川沙夜というキャストは、ストーリーテラー、コメディリリーフ、仇役という3つの仕事を3本の腕で同時につかんでブンブン振り回して大暴れしていた。
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でも、彼女たちは今回はいない。事情は知らない。
いっぽうトップには「事情により今回は出演しません」という選択が無い。
脚光も浴びる、注目もされる、そのかわり劇団の出来が悪ければ矢オモテ、火ダルマ、槍ブスマと。
群像劇主体の劇団で、ある程度は負荷が分散するにせよ、あの細っそい体にかかっている重責を想像すると、なんというか、なんというか。
長くなった。
ともあれ、健康にお気をつけて。
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■川合瑞恵
前回までは “作りようによっては、いかめしく見える” ビジュアルを活かしたワンポイント役だったのが、今回は『女忍』パートのキーとなる女忍コジカに大抜擢。
これが大根だったら目もあてられないところを、実に器用に演じきってしまった。
本職はモデルさんだと思ってたんだけど。違うの?
芸能関係って器用な人が多いのよね。
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■岬花音菜
演技はさておき、まずは狐舞。
今見ているのがカラダのオモテなのかウラなのか、腕なのか脚なのか分からなくなってくる超絶変態空間機動がひっさびさに大炸裂!!
これだ! これが観たかった!
いや、じつは、このところモヤモヤしていた。
「いや、たしかに踊りも歌も演技も良いけど、ここまで追っかけるほどか?」
でも、たしかに思いちがいじゃなかった。
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そこには、たしかに岬花音菜がいた。
およそ2ヶ月前、片目の猫の舞で自分の脳味噌をブチ抜いた岬花音菜が。
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ちなみに。
あとから取材を試みたところ。
あの一連の動きは、ボランティア(アルバイト?)のダンス教室で子供たちに最初のウケを取るために編み出した動物踊りがオリジナルだとのこと。
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するとなにか。
自分の鑑賞眼は子供レベルか。
まあいいけど。
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というか、彼女の狐舞に視線をもぎ取られ、ねじ式青年と女医のベッドシーンの大半を見逃していたことに、劇場を出てから気がついた。誠に申し訳ない。
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さて。
キャストとしては『紅い花』パートのシンデンのマサジ、『盲人書簡』で白痴の少年を担当。
この演技、周囲の評価はウナギ昇りだろう。
じっさいTwitterを中心にネットを見ると、彼女と慶徳優菜の評価はウナギ昇っている。
ただ。
自分としては評価は保留としたい。
なぜって?
あまりに、あまりにもハマり役すぎて、いま見ているのがキャラクターなのか、それともキャスト本人なのか、観劇素人の自分には判然としないから。
(これ、自分の中では笠智衆と同じ位置づけだ)
大竹しのぶがアニーを演じたり、同じ劇団でいえば白永歩美がピーターパンを演るのとは、意味が違う。
『紅い花』ではプレ思春期の少年のいら立ちを、『盲人書簡』ではスケベなアホの子を、と、いろいろ打ち出しているのは分かる。
分かるけど、いずれも、まずは本人あっての効果であって。
このあと彼女は “月蝕きっての永遠の少年役” として存在感を増していくのだろうか。
それもアリだと思うけど。
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■慶徳優菜
『紅い花』キクチサヨコ役。
だけど彼女の評価も保留。
理由は岬花音菜と同じで本人そのものだから。
その意味では、娼窟の妹と小林少年の想い人のほうが、本人のポテンシャルがよく分かる気がする。
そっちの方はというと、うん、悪くない。
ただ、これは自分の思い込みかもしれないけど。
なんというか彼女は “月蝕、次世代のプリマドンナ育成枠” というのに完全に入っている気がする。
この直感が正しければ、それはおそらく本人の十分な資質と劇団の目算があってのことだろうけど。
なんかモヤっとする。ほかの新人も若手も、ひとしく頑張っている(ように見える)のに。
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■はるのうらこ
なんというか、詩劇ライブのときは “ひかえめな、でもシャレのわかるおねーさん” というオモムキの彼女。
キーとなる配役のキャスティングが多いから、信頼の厚いキャストなんだろうな、という以上の認識はなかったんだけど。
(そしてそれは、ねじ式青年という大役を見ても動かなかったんだけど)
これが。
『盲人書簡』娼窟姉妹の姉役。実にすごい。
あのフワっとしたキャラが、女の嫌なところを全部集めて煮詰めたようなキャラクターに大変身。
慶徳優菜をサポートに娼窟パートのカラーというか空気を完全に支配していた。
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あと、些細なことだけど。
キーアイテムとなるタバコをチャイナドレスに入れ忘れたか、取り出せなくなったか。
取り出そうと悪戦苦闘して2秒。
見切りをつけてアタマの中でプロットを切り替えるのにコンマ2秒。
架空のタバコをふかして場面転換の決め台詞につなげるまでの時間の空費がわずか2.2秒。
はるの氏にとっては迷惑な賞賛かもしれないけど、ここの所作の切れ味に地味に鳥肌が立った。
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■宍倉暁子
彼女が登場すると、そこだけ別の照明があたってるようだった。
さらに今回の千本桜ホールより少し大きめの劇場向けにチューニングされた、よく通る発声。
今回集結した “夢のベテラン勢” の中では、彼女が出色だった。
彼女だけは気になって調べたら、舞台を中心にTV、映画と活躍の現役大ベテラン。
たしかに分かる。
自分の外見と所作が人にどう見えるか、何十年にもわたって掘り下げていないと、ああは行かないと思う。
『紅い花』では漂泊の釣り人。すこし困り顔の茫漠とした旅客でありながら、マサジのカウンターパートとして要所を締める。
『盲人書簡』では軍人と密通する小林少年の母として、実に汚ならしい堕落した母親像を体現。
教科書的に言えば寺山修司の作品世界に通底するコンプレックスというかオブセッションというか、ともかく “その部分” を実に彼女一人で背負って担当していた。
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■大久保千代太夫
今回最高の当たり役の一人。
犬丸は尾張織田と敵対している設定だけど、人物造形はおそらく美濃のマムシこと斎藤道三がベースだと思われ。
自分に襲いかかった刺客を手籠めにして側室にする一代の梟雄らしい悪太郎ぶりと、戦国武将の透徹した死生観が、もう全身からみなぎっていた。
『盲人書簡』の方は。
うーん、自分の中では “生ける舞台装置” としての黒い苦力(クーリー)の集団は、なんというか、全員が均質な筋肉質の没個性の集団だったんで、あの巨躯が逆にマイナスにはたらいた気がする。
こればっかりは、いたしかたなし。
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■小阪知子
影の殊勲者にして功労者。
前説とカッパ相撲のときから(自分の見立てでは)この人は切れ者だろうな、と思ってたんだけど、今では確信に近い。
馬鹿をやる、それもビビッドに馬鹿をやれる人間は、なんというか、切れる。これは自分の持論。
自分が見るかぎりでは、月蝕歌劇団キャストのベテラン高位職者(?)には2つのカテゴリがあって。
1つは白永歩美、岬花音菜のように “スタア” 役を仰せつかってスポットライトを浴びる職種。
もう1つは、前回公演の鈴乃月葉や今回の彼女のように “ひとり10役をこなしてストーリーラインを維持する” という重責の担当者。
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■若松真夢
薄い眉、暗く沈んだ眼。白永歩美が陽のビザールだとしたら、彼女は陰のビザール美人。
もっといろんなキャストで見てみたいと思った。できれば和装で。
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■城之崎リアン
詩劇ライブのみに登場。OGか。
そりゃ、男女問わず固定ファンがガッツリと付いたことは想像にかたくない。
問題は、貴公子以外にどんなキャストをやっていたのか、想像がしにくいことで。
もっと昔から見ていなかったことがくやまれる。
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■登利忌理生
前回の中村ナツ子に続き、今回の「なにものだ! このひと!」ワクに期待のダークホースが登場。
自分は茶髪に偏見があるようで、「えっとぉ、学校卒業の記念にぃ、オーディション受けちゃいましたー!」みたいなハスッパな外見と、そこから飛び出す恐ろしい長セリフと演技巧者ぶりのギャップに舌を巻いた。
本当に何者だ! と思って調べてみたけれど、月蝕以前の芸歴がまったく引っかからない。
あれか。学生演劇出身か。
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■音無ねむ
今は、まだ大部屋女優といった立ち位置。
(たぶん。自分が調べた限りでは、まだ無名)
何者でもない。
何者にも、まだなっていない。
だけど、あの男に引けを取らない長身とキリっとしたマスクには、絶対に活きる使いみちがあるはず。
実際、『盲人書簡』の “新聞朗読笑い男” には何とも言えない味があった。
(キャスティングの認識、間違ってないよね?)
陵南の田岡監督ふうにいえば、「体力や技術を身につけさせることはできる。だが、彼女をでかくすることはできない。立派な才能だ」ということ。
まずは、その長身を恥じるような猫背をやめて、胸郭を開いてまっすぐ立つところから、カンバレ!!
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■J・A・シーザー(と音響)
ふむ。ふむふむ。
エンディング、こんな感じかにゃ? 間違ってるかもだけど。
(いま手元にGarage Bandしか無いんで大変)
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Bm....................BmM7(←Daugかも)
寺 の 坊 ん さ ん 根 性 が 悪 い
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Bm.............Bm........F#m..GM7
守 り 子 い な し て 門 し め る
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F#m.........Bm........F#m......Bm.E
ど し た い こ り ゃ き こ え た (か)
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(間奏2+4小節)
E.................Bm.......Bm.......Bm.......Bm
+--------+--------+--------+--------+--------+--------+
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Bm.......D/A...GM7..........Bm.D/A..E..
守 り が 憎 い と て 破 れ 傘 き せ て
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Bm.......D.....GM7.......Fm#......GM7
か わ い が る 子 に 雨 や か か る
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Fm#.........GM7.......Fm#......GM7
ど し た い こ り ゃ き こ え た か
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(間奏4小節)(以下同じ)
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メジャーセブンに合わせて変えたか。
採譜するまで気が付かなった。
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えー、日本のニロ抜き音階(いわゆる田舎節)で作られた民謡/童謡に、7th、9thがタップリ乗ったモダンコードをあわせて。
さらに、それを流行りのリズムパターンに乗せると、こう、実にカッコいいニューエイジ/ワールドミュージックになるのは皆さんご存知のとおり。
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こういう音楽はみんな大好き。ボクも大好き!
この種の音楽の嚆矢は自分が知る限りYMO(実質、坂本龍一)で、80年代ではあるけど、このスタイルが「教授(坂本)のパクリじゃ〜ん!」と言われなくなったのはEnigmaやDeep Forrestが日本でワサワサ紹介されて一般化した90年代のような感じがしていて。
(“姫神せんせいしょん” や喜多郎については、当時ノーマークだった自分に語る資格はない)
問題は、J・A・シーザー氏が、何故この時期にこの種のスタイルをぶつけてきたか、だ。
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本公演エンディングの『竹田の子守歌』はJ・A・シーザー氏の手になるものではないとの指摘がありました。
お詫びして、訂正します。
以下、上記の誤りを前提にした言及をカットします。
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でも、今回のエンディングが実にイイ感じだったことは確かで、これからもこの路線はアリなんじゃないか、と思った次第。
うん、自分に言えるのはそれだけ。
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最後に音響について。
なんか、今回の殺陣は斬撃の効果音のタイミングがやたらと良かった。
何か条件が変わったんだろうか。
ただ、いつもながら思うのは、客席一番奥にコントロールブースを置かないで、それでもあのレベルの音響を維持できているのは、それ自体が奇跡に近いことだ。
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ただ、生きている動物の仕込みはさぞかし苦労しただろうな、と。
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んー、今回の月蝕歌劇団はこんな感じでした。
全体としてどうなのかって?
うん、良いところもあれば、首をかしげるところもある。
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まずは。
自分はもともと聖子ちゃん、キョンキョンのころから、それほどアイドルが好きではないので、フレッシュなキャストのライブ感、というのにはそれほど重きをおかない。
なので、(おそらくは)キャストそのものに入れ込んでほしい、という劇団の方針には同意しかねる。
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しかしながら。
高取英氏の作品世界。これにはどーしても、どーしても不思議な引力を感じでしまう。
結果として、スケジュールが合って演目の印象が良ければ、これからも足を運ぶような、そんな感じがしている。
というあたりで。
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また機会があれば。
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