はてなキーワード: RHYMESTERとは
Creepy Nuts・DJ松永が“スーパーフリー事件”を揶揄して炎上!「いつかこうなると思ってた」“おもしろい”の線引きを鈍らせた原因 | 週刊女性PRIME
これな。この話題な
早稲田大学の学園祭でスーパーフリーをネタとして名前を出したということで叩かれた件。2022年
X検索するといまだにおきもちおばさんゴロゴロ引っかかるんだわ。松永はこれからもこれ擦られそうだな
だけどな、これ普通に可哀想過すぎだろ。配信も録画もないフリートークだぞ。面白おかしく話そうとして中卒のDJが頑張ってるんだぞ
早稲田大学なんて部外者からしたら釜本邦茂とスーパーフリー以外の知識なんてないのが普通なのよ
なにがアンフェアって、スーパーフリーなんて今までも散々音楽業界でネタ化されてきたんだよ
事件発覚(2003年)から数年と経たないうちから楽曲に歌詞として「引用」されてて、何度も大手を振って使用してきた(中にはTラのポリコレスター・宇多丸の姿も!)
スーパーフリーを批判的ではない形で創作の一部に採用して録音して残している諸先輩が批判されずに、フリートークでちょろっとネタにした松永がこれでもかと批判されるの、あまりにバランスを欠きすぎだろ
そりゃ先輩方が普通にネタにしてるんだから、自分の番でいきなり怒られるとは思わないじゃん
そもそも早稲田大学なんて部外者からしたら釜本邦茂とスーパーフリー以外の知識なんてないのが普通なのよ
天皇杯で大学勢が最後に優勝したのが釜本がいた時代の早稲田なんだよね
別に松永を批判するな、って言ってるんじゃないんだよ。松永“だけ”を批判するのは可哀想っつってんの
やっぱお前ら中卒馬鹿にしてんだろ?
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「熱い!ヤバイ!間違いない!!」の元ネタ画像はこちら(当時の報道より)
https://pbs.twimg.com/media/F-v7hfGagAAccte.jpg
当時のキッズはみんな「和田サンだよ」のポーズもとれたんだよな
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アルファ&スチャダラパー - 惚れたぜHarajuku(2005年)
夢は SUPER FREEDOM
なんだか 胃が痛いけど
ravex - I RAVE U feat.OZMA(2008年)
月曜はラヴラヴ(Dos-koi!!)
水曜はどうでしょう?
木曜はトゥリャトゥリャリャ(Yoshi-koi!!)
土用は鰻の日(Batchi-koi!!)
熱い!! ヤバイ!! 間違いない!!
探してるレコードは
いつもなかなかでてこない
あった!? アラ 中身がない
どついたるねん - such a sweet lady(2014年)
RHYMESTER - サマー・アンセム feat. 小野瀬雅生 (CRAZY KEN BAND)(2014年)
いつも通りやっぱし開催
そう、夏が来ちゃったに
違いなーい!
取り敢えず賛同 いいすね どっちかっていうとまぁ…いいすね
どこがどう?って言われると困るけど個性的でとてもいいすね
なるほどわかりますいいすね 死んだ目で言うけどいいすね
絆、仲間、安いっすね やばい熱い間違いないっすね
STAY TUNEDが正しいなどというクソ知識はどうでもいいとして
どう見てもマイルドになったハライチ岩井みたいな顔をしたヴォーカルのヨンスが
ちょこちょこ動きながら歌うのが何回見てもクソハマっててかっけーなってなる
俺はKING OF STAGEことRHYMESTERが好きで何度もライブに行っているが
宇多丸はライブ中の振りがいつまでたっても「いなたい」感じでほほえましく思ってしまう
MV中のヨンスの動きはとても洗練されていてカッコいい
2019年にSuchmosとしては活動休止してしまい、その後ベーシストの訃報が知らされた
今後、復活することがあるのかないのかはよくわかんないけど
元増田です。『昴』の人がラップ漫画書いてたとは!早速1巻読んでみました。
https://www.amazon.co.jp/dp/4065111447
元タイトルの『Change!』も電子版の『和歌のお嬢様、ラップはじめました。』もクソダサい。特に後者は和歌のお嬢様もわからないしラップも一般読者は分からんから『幼年期の終わり』くらい意味不明なんとちゃうか。
増田で勧められなければ一生読まなかったと思う。電子版は表紙も昴っぽくないし。Change版の表紙はGood。
絵が上手いのは曽田漫画としては当たり前だから省く。一コマ目が「スターバックスコーヒー」「うあーあっううおーいー」なの分かってんねえ!って感じ。日本語ラップやってる人と漫画家の才能が合わさらないと出てこない一コマ目って感じ。「スターバックスコーヒー」は実は「不安だっちゅうのに(うあーあっううおい)スターバックスコーヒー」でなくても「さっと熱く濃い(あっおあううおい)スターバックスコーヒー」でも言い方の工夫で結構踏める(R-指定とか最近のラッパーはこれが上手い)。その言い方の工夫が日本語ラップの歴史なのだが(略)。この「母音だけでワードを言い換える」はラッパーはみんな裏でやってます。そこを切り取りつつ疑問を生んで次に繋げてるのいいね!一ページしか読んでないけど。
そうだよなあ曽田漫画はこうやって俺を刺すよなあというパンチライン。このあたり(主人公の初ステージ)までで描かれるステージはまあある感じというだけで(漫画がそれが出来ているのが凄いし、漫画内でも別に全国ステージじゃないからこれで正解なのだが)別にプラスにはならないけど、このヒップホップ好きの同級生への批評的な一言だけで一気に期待を膨らませてくれる。
いいね! わかりやすく同級生は小説最後で七八文字くらいビシバシ文字合わせる([c]R-指定)スタイルで、ヒロインが「美学」「磨く」で頑張って三文字踏んでいるのも、実は彼女にHIP-HOPのアティーチュードが備わっていることを示している(日本語ラップの古典、RHYMESTER-B-BOYイズムに同じ韻がある)
なんでなんですかねえ?
調べてみた(出典:Google「日本 ラップ 流行らない なぜ」)のですが、理由とされている言説はいくつかに大別できるように思いました。しかし、その全てに反論ができるような気がしたのでやってみます。揉めるためではなく、「本当の理由」を考えてみたくてこれを書きました。よろしくお願いします。
まずラップは不良の音楽じゃねえよ(RHYMESTERをきけ)と言いたいところだが「悪そうな奴らは大体友達」なイメージがあるのも確かである。その上で問いたいのだが、不良がやる音楽とか不良が聴く音楽ってそんなにマイナスイメージか?
最近の話をしても湘南乃風のレゲエとかEXILEファミリーのEDMとかは「不良音楽」として受け入れられてるわけでしょ? さらに言えばおそらく「不良音楽」に魅力を感じる歴史自体は戦後のビートルズからずっとあって、10年20年前に何かバンドののライブに行って「周りは怖い人ばっかりだったけど楽しかった」って経験を自分自身がした人も少なくないはず。
「不良の音楽」であることと「良くない音楽」を混同してしまうほど、日本の人が未熟な聞き手だとは思わないのですが。
これはね、正直ちょっとあると思う。特に英語は、音的に日本語で言うところの「さらさらと」あるいは「ちょろっと」内容を伝えることが得意だと思う。よく言われるのは子音と母音が一対一対応だということ。日本語だと「わたしはこれをかく」が「I write this. アぃらぃディs」で済むとかそういう話。どちらがラップに向いているかは一見したところでは明らかである。あとは日本語で韻を踏むとダジャレになりがちという話もここに含めていいかな。
個人的には(そして多くの日本語ラップファンは)「いやラップという表現は言語の差でどうにかなるような脆弱なものじゃないし?」とか「いや仮に向いてないとしても30年以上日本語ラッパーはそこと四苦八苦してきたし? 大きく分けて英語に日本語を寄せる方法と日本語をそのまま生かす方法があるし?」とか「日本語だとマシンガンみたいになるって批判されるけど、むしろ本場ではラップがマシンガンみたいって褒められたからLil Uziって名乗ってる超有名ラッパーがいるぐらいだし?」とか言いたいのだが、読者には響かないであろう。結局言われてしまうのである。「流行ってないってことは向いてないんでしょ?」と。
そう言われると我々は強く出られないのだ。間違いなく話はそう簡単ではないのだが「確かに完全に英語みたいに日本語でラップしちゃうと何言ってるか分からなくなっちゃうし、日本語を生かしてラップした結果が英語と違うと言われればそれはそうだし……」とオタク特有の早口で弱気になってしまう。
なので別のアプローチを試みたい。「『向いてない』にもかかわらずヒットしてる国があるのに日本ではなぜ?」
Korean Rap & Hip-Hop Music Playlist 2021
https://youtube.com/playlist?list=PLlYKDqBVDxX1PnKKWlElxDP47kBzzX35S
イメージ通りパとかチョとかが多くて日本語以上にラップに「向いてなさそう」である。はっきり言って、英語を非ダサさの頂点(実はそんなこと無いのだが)とした場合、日本語よりダサい気さえする。
なのに、韓国のチャートトップ(各自確認してください)には、ラップがひしめいている。なんで?
Until Strawberry Sherbet/林原めぐみ https://ja.wikipedia.org/wiki/Until_Strawberry_Sherbetにおける「作詞:Mamie D. Lee 作曲・編曲:大森俊之」の
と
RHYMESTER(日本のヒップホップグループ) https://www.rhymester.jp/ https://ja.wikipedia.org/wiki/RHYMESTER メンバーの
Mummy-D https://www.rhymester.jp/bio-mummy-d/ https://ja.wikipedia.org/wiki/Mummy-D
との関係性について、ちょっと気になって調べて見たので備忘録代わりに記録。
◎「Until Strawberry Sherbet」はシングルCDとして「1994年5月25日にリリース(https://ja.wikipedia.org/wiki/Until_Strawberry_Sherbet)」
Until Strawberry Sherbetの作詞者「Mamie D. Lee」で検索するとアメリカ?の学校が出てくる。
「1970年横浜市生まれ。(https://www.rhymester.jp/bio-mummy-d/)」
「1989年、「早稲田大学ソウルミュージック研究会ギャラクシー」にて、当時2年生であった佐々木士郎(現・宇多丸)と新入生として入部してきた坂間大介(現・Mummy-D)がRHYMESTERを結成。(https://ja.wikipedia.org/wiki/RHYMESTER)」
「1993年、アルバム『俺に言わせりゃ』でRHYMESTERデビュー。(https://ja.wikipedia.org/wiki/RHYMESTER)」
Until Strawberry Sherbetの作詞者「Mamie D. Lee」は、RHYMESTERの「Mummy-D」じゃないのかな?
1994年当時に英語と日本語混在のラップを作詞出来る人物となると相当人数が絞られると思うけど、それって1989年にグループ結成1993年にデビューしたRHYMESTERに所属している「Mummy-D」であれば可能な事なのかも?と希望的観測を含めた推測をしてみるw
もしこの推測が正しくてUntil Strawberry Sherbetのシングル発売当時は様々な事情で言い出せなかった事を言える環境になっているのであれば、どこかでその辺の話をしてもらえると嬉しいし、有りがたいなぁ、と思う。
おい、そこのお前!あさま山荘事件が大好きすぎてカップヌードル食う度に機動隊の気持ちになっているお前!なおかつ伊勢×戸田か戸田×伊勢かで議論したいが相手がいないお前!お前だ!お前に向かって俺は今書いてる!
『三体』だ!『三体』を買って読め!せめてKindleで無料サンプルは落とせ!BGMはRHYMESTERのThe X-Dayを無限リピートだ!
よし、Kindleの無料サンプルは読んだか?読んでないよな。面倒くさいもんな。あんくらいWeb上で読めるようにしといてほしいよな。まあいい、せめてSpotifyでRHYMESTERのThe X-Dayをリピート状態にして以下の文章を読め!
『三体』は最高だ!一般的なあらすじは「文革で物理学者の父を失った娘が云々」などとぬかしているが、無料サンプルで読めるその描写が最高であることはまったく紹介されていない。引用するぞ。
シュプレヒコールがおさまるのを待って壇上に立つ男の紅衛兵の片方が批判対象をふりかえって言った。
「葉哲泰、おまえは力学の専門家だ。自分がどれほど大きな合力に抵抗しているか、わかっているだろう。そうやって頑なな態度をとり続ければ、命を落とすだけだぞ! きょうは、前回の大会のつづきだ。くだらない話はもういい。次の質問に真面目に答えろ。六二年度から六五年度の基礎科目に、おまえは独断で相対性理論を入れたな?」
「相対性理論は物理学の古典理論だ。基礎科目でとりあげないわけにはいかないだろう」と葉哲泰。
「嘘をつけ!」そばにいた女の紅衛兵のひとりが荒々しい声で叫んだ。「アインシュタインは反動的学術権威だ。欲が深く、倫理に欠ける。アメリカ帝国主義のために原子爆弾をつくった男だ! 革命を起こす科学を築くためには、相対性理論に代表される資産階級理論の黒旗(反動の象徴)を打倒しなければならない!」
(中略)
「葉哲泰、これは言い逃れできないはずよ! あなたは何度も学生に反動的なコペンハーゲン解釈を撒き散らした!」
「それが実験結果にもっとも符合する解釈であることは厳然たる事実だ」これだけ厳しい攻撃にさらされても、葉哲泰の口調は落ち着き払っていた。紹琳はそれに驚き、畏れを抱いた。
「この解釈は、外部の観察者によって波動関数の収縮が引き起こされるというもの。これもまた、反動的唯心論の表れであって、その中でも、じっさいもっとも厚顔無恥な表現よ!」
「思想が実験を導くべきか、それとも実験が思想を導くべきか?」葉哲泰がたずねた。突然の反撃に、批判者たちは一瞬、言葉をなくした。
「正しいマルクス主義思想が科学実験を導くのが当然だ!」男の紅衛兵のひとりが言った。
「それは、正しい思想が天から降ってきたと言うに等しい。真理は実験によって見出されるという原理を否定し、マルクス主義思想がどのようにして自然界を理解するかという原則に反している」
紹琳とふたりの大学生の紅衛兵は、無言で同意するほかなかった。中学生や労働者出身の紅衛兵とは違って、彼らは論理を否定することができなかった。しかし、附属中学の若き闘士たち四人は、反動分子を確実に攻め落とすための革命手段を実行した。
最高かよ!!! 時はあさま山荘事件の数年前だが、アカの本場中国でも似たようなどうしようもないことが起こっていたのだ!引用の最後の部分で作者がたくみなカメラワークを用いて批判者側の「論理の欠如」を指摘しているのがまた光り輝いている。そうなのだ。この手の議論には論理というものがまったく存在しない。あるのは連想ゲームだけなのだ(「物理学者のお前は自分がどれほど大きな合力に~」「アインシュタイン=核兵器=帝国主義=敵」)。あさま山荘事件でもそうであった。無色のリップクリームを塗ったことと、彼女が死ななければならないということの間にまったく論理的な関係は存在しない(そもそも何かと誰かが死ぬということの間に論理的関係が成り立ちうるのかという問題は置いておくとして)。そこにあるのは、「革命」や「自己批判」といったマジックワードを挟んだアクロバティックな地滑り的連想ゲームだけである。
しかし、しかしである。われわれはそうした連想ゲームに時として身を委ねてしまう。どころかしばしば喜んでその中に身を投じさえする。あさま山荘の彼らが目指した「革命戦士」という存在にどうしてもワクワクしてしまうのは、そこからこれまでわれわれが目にした「革命」や「戦士」についての輝かしい言説やビジュアルがまさしく連想ゲーム的に引きずり出される快感にわれわれが抗えないからである。
「ベネディクト・アンダーソンは国民国家を『想像の共同体』と呼んだ」と言われるとき、たいていアンダーソンが主張したかったことは無視されている。アンダーソンはこうも書いている。「国民国家は『想像の共同体』であるからこそ強いのだ」と。どういうことか。例えばご近所たちは想像の共同体ではない。そこに想像力が働く余地はないからだ。近くてよく見えるがゆえに嫌いなところがよく見えてしまう。しかし国民国家は想像の共同体であるから、そうしたデメリットを回避することができる。逆の意味で、人類もまた想像の共同体ではない。そこにもまた想像力は働かない。あまりに大きな対象であるがゆえに、想像することができないからである(それを想像できるように「地球市民」とかいろいろなレトリックが開発されては頓挫した歴史があるわけだ)。つまり国民国家は想像するのに小さすぎも大きすぎもしないがゆえに、人間の持つ最も偉大な能力=想像力/創造力を刺激する存在であるがゆえに、これほど大きな存在になり得たのだ。世界大戦を二度経験して、戦後もエコやらなんちゃらがあってメイクアメリカグレートアゲインな今、人類は人類を想像力の対象にすべきであると誰も[誰?]がわかっているはずであるが、そうした方法は未だ見つかっていない。めっちゃナウい想像力を持ってそうなイスラム国ですら国を名乗る時代である。
そうした状況にある人類に対して、「地球市民」としての自覚=想像力を持たせるために一番手っ取り早い方法は、宇宙人に攻めてきてもらうことである。映画『インディペンデンス・デイ』があれだけ面白いのは、その「俺たち感」を徹底して純粋なものとして描けているからだ(もちろん「俺たち」と書いたようにそこからは女性が排除されているのだが、それもまた「俺たち」の盛り上がりを純化させるように働いている)。しかし、この方法には大きな問題がある。それはわれわれの知る限り宇宙人が当分の間攻めてきそうにないという点である。したがって二番目の方法が取られることになる。それが科学教育である。ひとりの神様とか王様の下で人類みんなが仲良くするのは無理だとわかったので、次は科学様の下で人類全員集合しましょう、というわけだ。まあ、承知のようにこの方法にもいろいろ問題はあるのだが、他に良さそうな方法もないので多くの人々からのんべんだらりと支持されているといってよい。
科学の持つ大きな問題として真っ先に挙げられるのが、それが神様よりも信頼可能か?というものだ。科学教の信者はそうだとなんの疑問も持たずに答え、異教徒たちはおらが村の神様の方が偉いと主張する。そこを調停するのが科学哲学者の役割のひとつであったが、どっちつかずとして双方の陣営から攻撃されるため調停役に名乗りを上げる科学哲学者はほぼ絶滅している。
(注:ネタバレ防止のため人名や固有名をアルファベットに置換している)
「Aくん、きみは仕事の範囲を逸脱しかけている」Bが首を振りながら言った。「研究は理論的なものだけに絞るべきだ。こんなに手間をかける必要が本当にあるのか?」
「Bさん、この実験は、大きな発見につながる可能性があるんです」とAは懇願した。「実験は絶対に必要です、とにかく、一回だけやらせてください。おねがいします」
「B、一度だけやらせてみたらどうかな?」Cが言った。「オペレーションはそれほど大きな手間でもなさそうだし。送信後、エコーが帰ってくるのに要する時間は――」
「十分、十五分だろう」Bが言った。
「だったらXシステムを送信モードから受信モードに切り替える時間もちょうどある」
Bがまた首を振った。「技術的にもオペレーション的にも造作ないことはわかっている。しかし、C、きみはどうも……、この手のことには鈍感みたいだな。赤い太陽に向かって超強力な電波を送信するんだぞ。こういう実験が政治的にどう解釈されるか、考えてみたことは?」
AとCは、どちらも茫然としたが、Bの反対理由が荒唐無稽だとは思わなかった。逆に、自分たちがその可能性を考えもしなかったことにぞっとしたのである。
この時代、すべてのものに政治的な意味を見出す風潮は、不合理なレベルまで達していた。紅衛兵は、隊列を組んで歩く際は左折のみ許され、右折は禁止された。信号機は、赤が進めで、青が止まれでなければならないと提案されたこともある(周恩来首相に却下されたが)。
(中略)
そういう風潮に鑑み、これまでAが研究報告を提出する際は、Bが必ず綿密な査読を行っていた。とくに、太陽に関する記述は、専門用語であっても、くりかえし吟味し、政治的危険がないように修正した。たとえば、“太陽黒点”という言葉は使用が禁じられた。太陽に向かって強力な電波を送信するという実験については、もちろん、千通りのポジティブな解釈が可能だが、たったひとつのネガティブな解釈がなされるだけで、関係者全員が政治的な災難に見舞われるにじゅうぶんだった。Bが実験の要請を拒絶する理由は、たしかに反駁のしようがなかった。
イアン・ハッキングがイヤンと言いそうなくらいむき出しの「科学の社会的構成」である!ここでも論理が連想ゲームに膝を屈している。このことを中国に特殊なものだと考えるのは科学教の信者である。似たようなことはどこの国でも多かれ少なかれ起こっている(また国家がくくりとして出てきてしまった!)。STAP細胞は論理を飛び越えればどんなものまでが「発見」されてしまいうるか、という好例であろう。それでも科学教の信者は言うだろう。「STAP細胞は誤りであることがわかった!これこそが科学の勝利ではないか!」と。残念ながら科学はそんな単純なものではない。たとえばケプラーの理論はそれ以前の理論よりシンプルでもなければ正確でもなかった。そのあたりのことはスティーブン・ワインバーグ『科学の発見』に詳しく書いてある。「それでもわれわれは今はケプラーの理論が正しいということを知っている!これが科学の進歩だ!」という主張は残念ながらワインバーグとは仲良くなれるが歴史学者からは異端扱いされるだろう。このワインバーグの本は、「ノーベル賞物理学者が科学の歴史について論じたら歴史学者から総攻撃を食らった」というそれじたいSFにガジェットとして出てきそうなシロモノなのだが、けしてトンデモ本でなくワインバーグは確信犯的にその地雷を踏んでいる。非常に面白い本なので『三体』を読んだあとにはぜひこの本を読んでほしい。『三体』に出てくる宇宙物理学の理解の助けにもなるし。
話がそれた。『三体』である。まあ、歴史学者から異端扱いされようが科学者は科学者でやっているのである。……本当に?「科学をする」とはどういうことか説明できるひとは今のところ地球上に存在しない。どころか説明できるひとが今後現れる可能性もまた科学哲学者によってほとんど否定されていると言ってよい。では科学者は何をやっているのか?われわれのような皮肉屋に言わせれば「教義の精緻化とその確認作業」とでも言い捨てられるだろうが、『三体』はそこに真摯に向き合っている。どころか、その先までをも作品の中に織り込んでいる。ネタバレになるので詳しくは話せないが、科学を「打倒する」ことを本気で考えてみた人はいるだろうか?いないだろう。『三体』はそれを本気で考えている。誰がなんのためにそんなことをし、さらにそれに抗うには何をするべきかを描いている。そしてその描き方がまた最高なのである。作中、ある「組織」が出てくるのだが、それがまたなんとも、「アカい」のである。もちろんそれは最初の引用で出てきたような無知蒙昧なアカさではない。連想ゲームではなく論理によって貫かれた「アカさ」というものがあるとしたら、こういうものだろうという迫力がある。
作中にこういうセリフがある。「中国では、どんなにすばらしい超越的な思想もぽとりと地に落ちてしまう。現実という重力場が強すぎるんだ」と。これはおそらく作者の嘆きでもあろう。その重力場から逃れるために、作者はこれを書いたのだと思う。中国の現実の重みは、隣にいるわれわれも知るところだろう。この作品は、その中国の現実の重みを、実に力強く脱出していると思う。それがこの文章で伝わったかどうかは甚だ心もとないが、一人でも多くの、未だ北田暁大先生のTwitterの件に心の整理がつけられていない人々が、『三体』を手にとってくれるよう望む。
RHYMESTERの宇多丸さんがTBSラジオで続けてきたタマフルが、3月で終了するというニュースを見ていちリスナーとして感謝の気持ちを記したくて書く。
1)映画を見る習慣をつけてくれた
映画はデートかレンタルしたものを家で見る、みたいな感覚だったのだけど毎週宇多丸さんの映画評を聞いているうちに映画館でみたい、今映画館でかかっているうちにみたい、となっていきました。1800円は高いなと今でもちょっと思うけれど家では絶対にできない行き届いた環境の中で見る映画は、やっぱり別物です。マッドマックス怒りのデスロードをiMAXで見終えた後の、息をすること忘れてたわ、みたいな感覚はきっと一生忘れません。
あと、宇多丸さんはよく映画体験、という言葉を使いますが映画はその時見たからこその衝撃や感動がやっぱりあって、それは家で猫に邪魔されながら見るのとは全然違う強度でやってくるんですね。映画をみた直後はもちろん、その後の人生観にも影響するような作品も何本かあるのですが、きっとそれは家で見たのならそこまでの影響力は持たなかったのではないかと思います。
見るのは話題作とかすでに高い評価を得ているものが中心。誰でも知ってるビッグネームの監督以外は名前も覚えず系統立てて見るようなこともなかったし、丁寧な伏線や繊細な演出、気の利いた暗喩に気がつかないままおもしろいとかつまらないとか言っていたような気がします。それはそれで全然いいと思うのですが、私は映画を見慣れたことでそのあたりに前より気がつけるようになって、ずっと映画が楽しくなりました。
きっとどんなことでもそうだと思うのですが、知ること、気がつけることって楽しみを増やすことなんですよね。宇多丸さんが評価のポイントとしてどんなものをあげるのか、それを知ることで享受できる楽しみがぐっと増えました。ありがたい。最近だとマジカル・ガールのお父さんが、映画序盤に拾ったものが何で、それが伏線になってるとか私だけではとてもじゃないけど気づかなかったわー!と感動しました。
3)宇多丸さんについて
タマフル10周年。私が聞き始めたのは2010年に「食堂かたつむり」をシネマハスラーで取り上げたときからだから、足掛け8年聴いていたことになります。振り返れば映画評もずいぶん変わった気がします。はじめのころは今ほど体系的に語っていなかったような気がするのだけど、最近では監督の過去作を含め言及することが増え、取り上げた映画がどこにマッピングされるのかとか、演出の傾向や技術的な面にもけっこうな時間を割くようになり、語り口も理性的というかあまり感情を出すことが減ったように思います。私は宇多丸さんのストレートな罵倒がけっこう好きだったので、それは少しさみしいことでもあったのですが。
けれど過去作を追い原作を読んで評論にあたる宇多丸さんの真摯な姿勢には本当に感服するしかありません。そして何より宇多丸さんは親切なんですよね。超ド定番の有名な映画を見ていないという視聴者のコメントに「これからまっさらな状態であの名作を見れるなんて」と言ってくれる優しさよ。時々汚い言葉が出るときもあるけれど、基本的にはだれかを傷つけるようなものではないし、その後でフォローが入ることも多くやっぱり筋金入りの「育ちのよさ」みたいなのが見える好人物です。大好き!
4)後番組について
どんな番組になるのか未知数ですが、ポッドキャストでしっかり追おうと思います! 平日毎日3時間というのが、本業大丈夫?と心配になるのと、もし、もしも万が一新番組があまりふるわず終了してしまったら……という不安はありますが、宇多丸さんのことだからきっと素敵に楽しい番組をつくってくれることと期待しています。(しかも久しぶりの橋Pとのタッグ!)
最後になりましたが、10年間おつかれさまでした。本当に毎週楽しませてもらいました。ありがとうございます!!
I’m not sure what I just watched.
「え、俺いま何見たの?」って感じですよ
Our new music video is totally yabai (“yavay”).
Yabai?
ヤバいって?
Japanese slang for cool, dope, sick, ill. Fast, intense. What moves you. Yabai is yabai. There’s no other word to describe it.
日本語で、クールとかラリってるとか、病気とか、悪いって意味で……なんなんだろう。とにかく「ヤバいはヤバい」としか言えないんですよ
Sort of like kawaii?
cawaiiというのとは、違うの?
No no, kawaii is only for “cute” things. Yabai is for awesome things. Bite into piping-hot pizza, it tastes yabai. Once a good DJ takes the
stage, the club gets yabai. Funky Kota is totally yabai.
違う違う。cawaiiは「可愛い」もののことで、yabayは「凄い」もののこと。例えば、凄い熱いピザをガブっと食べたりすると、味が「ヤバい」。良いDJがプレイ
したりすると、そのクラブが「ヤバい」。そしてFunky Kotaは、全体的に「ヤバい」
Funky Kota is a new style of rave and house music from Indonesia. Over there they call it Dangdut, but it’s also contracted as Funkot. The beats
are hyper fast, usually around 180 to 200 BPM, like happy hardcore except with more vocal samples. “Are you ready!” “Hey DJ!” That kind of
stuff. Except to Japanese ears, it sounds like “TICCCKKEE!” It doesn’t mean anything but it gets you pumped up.
「Funky Kota」は、インドネシアから来た新しいダンスミュージックで、現地では「Dangdut」ってよばれてるんですけど、同じ様に縮めて「Funkot」とも呼ばれ
てるんです。テンポが凄く速くて、BPMが、大体180から200くらい。ボイスサンプルをもっと使いまくるハッピーハードコアって感じで“Are you ready!” “Hey
DJ!”とかそういうのなんだけど、日本人の耳には「ティッケー!」って聞こえて、全然意味はわかんないんだけど、凄くアガるんですよ。
What’s the Funky Kota scene like in Japan?
日本の Funky Kotaシーンって、どんな感じ?
Mandokoro Takano, AKA DJ Jet Baron pioneered the craze back in 2009 on a radio talk show with the rapper Utamaru from Rhymester. He layered Funky
Kota bass lines and samples over J-pop, folk tunes and old super hero theme songs. Now he’s remixing our stuff. Very yabai.
高野政所さん(DJ Jet Baron)が、2009年にラッパーのライムスター宇多丸さんのラジオから流行らせました。Funky KotaのベースラインにJ-POPとかフォークソ
ングや昔の特撮番組の主題歌のサンプリングを重ねたんです。その高野政所さんが、いまうちらの曲をリミックスしてくれてるんですけど、凄く「ヤバい」です
。
So this is a new direction for the group? Your older songs are conservative as far as idol music go.
これは、グループにとって新しい試みなんじゃない? これまでの君たちの曲って、正統派のアイドルソングって感じだよね?
We were in before AKB48, playing free shows in Akihabara and making a name for ourselves. The current idol culture didn’t exist back in 2006.
AKB48’s rise to fame set the standard for all other acts to follow. They made idols yabai. Now you need to have a hook to stand out from the
うちらはAKB48より以前から、秋葉原で無料でライブをやって名前を売ってきたんです。でもいまみたいなアイドル文化は、2006年より以前には無かった。AKB48
が売れて、それがスタンダードになったんです。彼女たちはアイドルの「ヤバい」を作った。でもいまみんなが求めてるのは、そういうのを抜け出す何かだと思
う。
And you’re carving out a nice niche with Funkot. You’ve played over 600 shows but are still underground. What’s the goal of the unit?
そして君たちは、Funkotでニッチな鉱脈を掘り当てた。これまで600回以上もライブをやって、それでも地下アイドルのままだった君たちにとって、これはゴール
と言って良いのかな?
If AKB are the heroines of the idol world, then we’re the heels. We belong just outside the mainstream. Anything too popular loses its edge.
Being on a prime-time variety show like other Top 40 groups would rob us of our essence. But we’d thrive on a late night comedy program!
AKBがヒロインなら、うちらは悪役。メインストリームからは外れてます。あんまり有名になりすぎると、エッヂがなくなっちゃうじゃないですか。他のTop 40の
グループみたいにゴールデンのバラエティに出ても、うちらの味は出せない。でも深夜のお笑い番組だったら、うちらヤリますよ。
Those shows like to put their guests in bikinis. Funkot club dancers tend to be dressed very sexy – maybe you could play on that angle?
そういう番組って、ゲストにビキニを着せたりするよね。Funkotのダンサーも、かなりセクシーな衣装を着てるけどーー君たちも、そういうの、着る?
No, unlike some other groups we don’t do the bathing suit thing anymore! We want to keep our act more pure, more genuine.
いや、他のグループとは違って、うちらは水着とか着ませんから! うちらはうちらのやることを、純粋に突き詰めてくだけです。
Have you changed over the years?
ずっとやってきて、変わってきたことってある?
We’re more hyper than ever! If anything, we’ve learned how to be humble. We used to expect to be pampered. I mean, that’s one of the perks of
being an idol, right? But now we aim to emulate the humble shrimp – head down, waist bowed in respect.
何かあるとしたら、謙虚になることですね。最初はうちら、もっとちやほやされると思ってて、それがアイドルの特権だと思ってたんだけど、いまはもう、エビ
みたいに謙虚になるのが目標ですからーーエビみたく頭を下げて、腰を折ってお辞儀しますから。
What makes Hyper Yoyo hyper?
Non-stop adrenaline! If we’re not having a blast on stage, then how can the audience enjoy themselves?
止まらないアドレナリン! うちらがステージで爆発しなかったら、お客さんも盛り上がれないでしょ?
With the advent of live streaming sites such as Nico Nico Live, more people are content to stay at home rather than venture out to events.
ニコ生みたいなサイトの出現で、ライブに来るより、家で満足しちゃう人の方が多くなっちゃったんじゃない?
Funky Kota isn’t something you listen to, it’s something you experience! The sound reverberates through your body. Watching through the
computer screen dulls the impact. The monitor stands between you and the party.
Funky Kotaは、聞くものじゃなくて体験するものです! 音が身体で反響するんですよ。この衝撃は、パソコンのモニターで見てたんじゃわからないですから。モニターは邪魔。
Even with that buffer, your new music video is pretty intense!
そんな邪魔があっても、君たちの新しいPVは、かなり激しかったよ!
Oh yeah, that’s a perfect example of what our concerts are like! It was filmed inside Robot Restaurant, the most yabai place in Japan. 10
billion yen to build, all of it going into colored light bulbs and makeup for the robots.
おおぅ。あれって、うちらのギグそのものなんですよ! ロボットレストランで撮影したんです。日本で一番ヤバいスポット。あのロボットや照明を作るのに100億円かけたって話です。
It’s been all over the news since it opened last summer.
それって、去年の夏にオープンしてから、かなり話題になってるよ
Seriously? We hope the video shows people how yabai Japan is. See, the Japanese take on Funkot is different from Indonesia, so the originators
are starting to reverse-import it. Even the way we dance isn’t authentic. It’s half cobbled together from YouTube clips, half improv.
本当に? あのPVを見て、日本がいかにヤバいところか知ってほしいですね。日本のFunkotは、インドネシアのとは違ってると思うんだけど、最近は本家のそっちの方に、逆輸入され始めてるそうなんです。うちらはダンスも本場とは違ってるんだけど、あれって急いでyoutubeのクリップから作ったのと改良したのが半々なんです。
It’s as if we’re going full circle, with DJs in Indonesia remixing copies of their original tracks…
それって円になってるみたいだね。インドネシアのDJが、彼らの曲のコピーを更にリミックスするという……
Next step, Jakarta! We want to party with the local club kids and experience the scene firsthand. Get the authentic experience.
Imagine, our first Asian tour. How yabai would that be!?
次の目標はジャカルタ! 現地のクラブキッズとパーティーして、現地のシーンを直に体験したい。本物を体験したい。想像してくださいよ。うちらの最初のアジアツアーですから。相当、ヤバいですよ!?
僕がこの世から消し去りたいものは3つあります。ひとつは、核戦争、ふたつめは、魔族と人間のハーフである魔剣士グロチウスが主人公(必殺技は真・蛇殺円月刃↓\→↓\→AB)の冒険譚を書き綴った僕の黒歴史ノート、みっつめが、ソーシャル物乞いをする女子大生です。
Google+で日本一のフォロワーを持つ女子大生、坂口さんが炎上しています。ネットのやりすぎと、海外留学で早稲田大学の単位を落として、留年をするための費用を、ソーシャルネットワークstudy giftを使った寄付で賄おうとしたのが原因です。
さらに、なぜ僕らは「ソーシャル物乞い」を赦すことが出来ないのか。
日本人の国民性との相性の悪さ、そして、サービス自体のインセンティブ設計の悪さによって、学費寄付プラットフォーム「study gift」がうまくいかない理由を解説してきます。
意外と思うかもしれませんが、日本人は世界有数の「自己責任国家」です。自分のケツを自分でフケと思っています。本当?と思う人は、ファクトを見てみましょう。
What the World Thinks in 2007の調査結果によれば、日本では「自力で生活できない人を政府が助ける必要はない」と考えている人が世界で最も多いのです。日本人で「必要はない」と答えたのは、38%。弱肉強食の自己責任国家アメリカでも28%で2位なのを考えれば、いかにこの数字が凄いかわかりますよね。
このように、日本人はマッチョイズムの国アメリカよりも、「てめぇのケツはてめぇでふけ」と考えています。
なぜかというと、日本の共同体というのは、ムラ、地縁、血縁・・・こういうものが完全に瓦解しつつある超個人主義社会だからです。個人社会なのだから、自分のケツは自分で拭けよという言説が強くなります。生活保護に、なぜあれだけの人が発狂するのかを考えれば、日本人がいかに自己責任教のマッチョ民族かわかりますよね。
自己責任教の世界一の教徒である私たちは、この女子大生の乞食っぷりを赦すことができないわけです。
でも、可愛い女子大生が困っているのだから・・・、という意見もあるでしょう。
それでも、なお賛同を得られないと断言します。
なぜなら、
「手を尽くしていないから」
彼女は手を尽くしていない。やるべきことをやらずに、助けを求めている。だから批判されるのですね。
彼女は、google+で57000人のフォロワーがいる、家入さんのような大物とのつながりもある。実際に現在、IT系のイベントのマスコットガールとして引き合いがある。
はっきりいって、下手な社会人よりも「お金を稼ぎやすい立場にある」といえます。早稲田大学の留年費用くらい払える、稼げるでしょと。
自己責任教の私達にとって、他人の手を借りるのは、できることをやってから、という心情が根強い。
似たような事例では、NHKの職員が難病の娘の手術代金の寄付を願いでて、火祭りのように炎上した話があります。なぜなら、彼らはNHK職員で役員でかつ高給で、家も売っていないからです。しかも、彼らは金をほとんど出していない。
娘を治したいのはわかる、けど、てめぇでやれることをやってからだ。という理屈で炎上しました。
彼女の場合も同じで「自分でなんとかできるのに」「なんとかしない奴」が同情を得られる国ではない、という話ですよね。
「女なんだから、家入さんにおっぱいもませれば、ひともみ100万円くらいくれるんじゃないの」というような、僕は絶対にそんなことは考えたことがないし、考えたことのある奴は黒く腐って死ぬべきだと思うけど、そういうことを考える人もいる。
もちろん、前提として「ネットやってたら、単位落としちゃった。援助して。テヘペロ」に共感できねぇってのもありますよね。塩谷瞬さんが可愛く見えるレベル。
じゃあ、坂口さんはどうすれば炎上しなかったか。これはシンプルで「寄付ではなく、取引にすればよかった」。たとえば、
・日本で一番SNSを使いこなしている女子大生の無料ネットコンサル
みたいなことをやればよかった。まぁ、もっとスマートなやり方もあるかもしれないけど、彼女側からの納得できる価値提供が必要だった。なぜなら、価値提供があれば、それは乞食ではなく、ネットを使ったマーケティングだからです。それを批判するのは、資本主義に喧嘩を売ることになるので、なかなかに難しいですよね。
メルマガっていう価値提供はするみたいだけど、うん、メルマガは高名なジャーナリストのおかげでアレな感じになってるしね。
持っているのにその力を行使していない人が誰かからの共感を得ることってできないのではないかしら。
寄付ではなく取引にしろ、というと、それは寄付プラットフォームではないよねという話になるかもしれません。でも、「学生への寄付」というコンセプトをとり続ける時点で、study giftはあまりうまくいかないと結論を出せます。
なぜか。簡単に言うと「寄付をするためのインセンティブを提供できない」からです。
これは僕らが寄付をする動機を考えればわかります。寄付をする理由は3つあって、
まぁ、こんなもんだよね。で、学生に寄付をしても2.3は期待できない。とすると、1の「精神的な満足を得たい」だけになる。NPOに寄付をするなら、1は大いに期待できる。
でも、女子大生が「あなたのおかげで大学を卒業できました!サイバーエージェントに就職して、これからはコンプガチャに変わる新しい価値ある課金ソリューションを生み出します」となっても、それで精神的に満足する人は少ない。
なぜなら、ネットにはまって単位を落とした女子大生に5000円を使うなら、人は、アフリカの子供たちを数百人救える5000円の使い方をしたいから。たとえば、5000円出せば、予防接種のワクチン350回分が用意できる。そういう精神的満足に、ネットを頑張った女子大生を助ける満足は、かなわない。
もっと同情できる学生がこれから出てくるかもしれない。けど、やっぱさ、合理的な考え方をすると、寄付だってコスパを考える。学費っていう寄付は、この世の中の寄付でも恐ろしく「精神的満足」のコスパが悪いのですよ。
さらに言うなら、「study gift は集金力が恐ろしいほど低い」からうまくいかない。40万以上集まったスゴイと思う人もいるかもしれない。
けどさ、
という、
「隠してたんだけど、俺は核戦争を生き延びた魔族の末裔かつ、体がゴムのように伸びて、かつ幼なじみは美人、かつ吸血鬼でなんというか凄くスゴイ、あと、魔法とかも使える。加えていうと、ちんちんが鬼のように黒くてでかい、その名を魔剣士グロチウス」みたいな、ウルトラご都合主義なみに、好条件がそろって、40万円ぽっち。(僕が書いてる時点で)
集金力の低さは、上の「学費という寄付はコスパが悪い」ことと「学費ぐらいなんとかしろというマッチョイズム」に起因してるんでしょう。
いやぁ、無理でしょ。仮に今回がうまくいったとしても、他の学生にも適用できるようなプラットフォームにはなりえないんじゃないかしら。個人情報と、ネットのおもちゃになるリスクをとって得られるリターン、たぶん、恐ろしくつりあわなくなるよと。プラットフォームとしては機能しない。じゃあ、家入てめぇが寄付すりゃええやんかと。
つーわけで、最後はRHYMESTERの『耳ヲ貸スベキ』からの引用でしめたいとおもいます。
で全部終わる話しですよね。てめぇで稼げるんやから、てめぇが稼げやハゲと。まぁ、お金貢ぐひとは勝手にやったらいいんじゃないですか。それで、アフリカ人もっと救えるけどね。
いや、うん、こういう正論じみたものが聞きたいわけじゃないよね。そう、違う。
あのさ、あのさ、留年した理由は、インターネットにはまってSNSに写真をはりつけるのに時間を使ったり、旅行を楽しむのに時間を使ったり、さらには雀荘にいくのに時間を使ったからだよね。いい、言うよ、あの日桜の木の下で交わした約束、もう忘れてる?だから、言うね、今言わないと一生後悔するから、言うね。
ばーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーかじゃねぇの。
糞して寝ろ。
誰なんだろう。とってもラップがお上手な10人をうんこしながら絞ってみた。
動画は、YouTubeから無理くり探してるので、「全然ベストな選曲じゃない!」という意見もあるかと思いますが、ご容赦ください。
・SEEDA(SCARS)→http://jp.youtube.com/watch?v=l8jdx1Y9SVc
・BES(Swanky Swipe)
・志人(降神)→http://jp.youtube.com/watch?v=A9vmF8tMPfI
・だるまさん(元韻踏合組合)
・Twigy(KAMINARI-KAZOKU)→http://jp.youtube.com/watch?v=fNiLCW3FThUの二人目(高音の人)
・Mummy-D(Rhymester)→http://jp.youtube.com/watch?v=e2Na-IJbEogの一人目(ハゲじゃないほう)
・DABO(Nitro Micrphone Underground)
・ISH-ONE(Ying Yang)→http://jp.youtube.com/watch?v=Cd7FsfWCxsYの1人目(PVは赤面系)
ラップは他のジャンルよりものすごーく敷居が低くて、そこが良さだったりもするんだけど、
街を歩いている一般人がカラオケでラップするのとさほど変わらないラップをするプロのラッパーは実は山ほど居る。
その中でこの10人は特にリズム解釈の点で抜きん出ていて、この人たちのラップに馴れてしまうと、凡百の下手っぴラッパーのCDをもう聞けなくなってしまう。
(技巧以外の点で魅力的なラッパーは別。例えばPRIMAL(MSC)のラップは決して技巧派ではないけどそのつんのめり加減がとても素敵。)
KREVAとかからラップに興味を持った人は、KREVAがスタンダードになってしまっていてあまり「KREVAはラップが超上手い」という意識は無いかもしれないけど、
何十枚も日本語ラップのCDを聞くうちに、「KREVAうめえ」って思うんじゃないかな。
あと、SOUL'd OUTが一番ラップが上手いという人がいて・・・となると世界一ラップが上手いのはTwista?どっちも嫌いじゃないけどね。
もちろんラップが上手いだけが全てじゃないので、歌詞が特に耳に引っ掛かる人たちも書いておきます。
■抒情性に富んだ詩を書く4人
・小林大吾→http://jp.youtube.com/watch?v=aXrDIT-fjtc
・Boss The MC(Tha Blue Herb)→http://jp.youtube.com/watch?v=9s1Z0hN8WNU
■ユーモラスな詩を書く7人
・Mint(元韻踏合組合)
・AMIDA(元韻踏合組合)
・だるまさん(元韻踏合組合)
・Shing02→http://jp.youtube.com/watch?v=4C59NMd9en4
■ぶっ飛んだ詩を書く3人
・O2(MSC)→http://jp.youtube.com/watch?v=tTq7K8E91Ssの1分18秒からと2分24秒からと4分25秒からの人。
・NIPPS(元BUDDHA BRAND)→http://jp.youtube.com/watch?v=1r1X1mj8UGEの2分10秒辺りからの人。かわいすぎ
・志人(降神)→http://jp.youtube.com/watch?v=p1jmVv6Qs70の1分55秒辺りからの人。
サンプリングネタ『アニオタが非オタの彼女にアニメ世界を軽く紹介するための10本』
http://anond.hatelabo.jp/20080721222220
あまりにも流行りすぎてるので便乗・・・
まあ、どのくらいの数のヒップホッパーがそういう彼女をゲットできるかは別にして、
「ラップオタではまったくないんだが、しかし自分の悪趣味節を肯定的に黙認してくれて、
その上で全く知らない母国語ライムの世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
JHIPHOPのことを紹介するために聴かせるべき10枚を選んでみたいのだけれど。
(要はブラストベストディスクの正反対版だな。彼女に日本語ラップを布教するのではなく相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、時間的に過大な負担を伴うような80分アルバムは避けたい。
できればミニアルバム、長くても60分にとどめたい。あと、いくらBBOY的にクラシックといっても古びを感じすぎるオールドスクールは避けたい。
佐々木士郎が『建設的』(1986年)は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
ヒップホップ知識はいわゆる「R&B系」的なものを除けば、ケツメイシ程度は聴いている
サブカル度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
『人間発電所 プロローグ』(BUDDHA BRAND)
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「さんピン以前」を濃縮しきっていて、「黒船以後」を決定づけたという点では
外せないんだよなあ。長さもミニアルバムだし。
ただ、ここでILLトーク全開にしてしまうと、彼女との関係がBEEFになるかも。
このサンプリング過多な作品について、どれだけさらりと、普通にならず並すぎず、
それでいて必要最小限の韻踏みを彼女に伝えられるかということは、
B側の「真の空間処理能力」の試験としてはいいSHITだろうと思う。
『ONLY FOR THE MINDSTRONG』(THA BLUE HERB)、『緑黄色人種』(SHING02)
アレって典型的な「ラップオタが考える一般人に受け入れられそうなヒップホップ
(そうヘッズが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの
それを彼女にぶつけてアンサーをみるには一番よさそうな皿なんじゃないのかな。
「オタとしてはこの二つは“ポエトリー”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
空からの力(キングギドラ)
ある種の日本語ラップフェチが持ってるニューヨークへの憧憬と、オアプロデュースのネタ的な考証へのこだわりを
彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにもギドラ的な
の二人のB好きするMCしかいないのが、紹介してみたい理由。
『理由』(K-DUB SHINE)
たぶんこれを聞いた彼女は「お経だよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
これの中の1曲がデブラージの逆鱗に触れたこと、9分以上の曲でDISられたこと、
それが引き金になって若手から大御所にいたるまで一斉にケーダブDISをはじめて、その結果シーンに変な連帯感が生まれたこと、
『EGOTPIA』(RHYMESTER)
今の若年層でドクタールーパーを見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
さんピンよりも前の段階で、宇多丸(SHIRO)の哲学とかDのライム技法とかはこの作品で頂点に達していたとも言えて、
こういうクオリティの作品がDA.YO.NE.の裏でこの時代につくられていたんだよ、というのは、
別に俺自身が早稲田に入れなくとも、なんとなくFG好きとしては不思議に誇らしいし、
いわゆるキングオブステージ以降でしかライムスを知らない彼女にはきかせてあげたいなと思う。
『NITRO MICROPHONE UNDERGROUND』(NITRO MICROPHONE UNDERGROUND)
「やっぱりHIPHOPは不良のためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「街風」でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この作品にかける8人plusαの思いが好きだから。
断腸の思いで削りに削ってそれでも1時間20分、っていう尺が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、
その「捨てる」ということへの諦めきれなさがいかにもBBOY的だなあと思えてしまうから。
ニトロファーストの長さを俺自身は冗長とは思わないし、もう削れないだろうとは思うけれど、
一方でこれがMUROやツイギーだったらきっちり55分にしてしまうだろうとも思う。
なのに、デフジャムジャパンで再販してボーナストラックまで作ってしまう、というあたり、
どうしても「自分達の物語を形作ってきたSHITが捨てられないBBOY」としては、
たとえビグザムがゴアにDISられてるとしても、親近感を禁じ得ない。
作品自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
FUMIYAの「太り方」あるいは「音作り」をBとして教えたい、というお節介焼きから聞かせる、ということではなくて。
「オ・ワ・ラ・ナ・イ(OH!WHAT A NIGHT)パーレイを毎日生きる」的な感覚が
BBOYには共通してあるのかなということを感じていて、
だからこそ雑念エンタテイメントのネタはBST以外ではあり得なかったとも思う。
「パーティした日常を生きる」というBの感覚が今日さらに強まっているとするなら、
その「ぱーりーぴーぽー気分」の源はファンキーグラマーにあったんじゃないか、という、
そんな理屈はかけらも口にせずに、単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
『MIDORINOGOHONYUBI presents MIDORINOGOHONYUBI ONEFOOT』(NIPPS)
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういうインストとミックス違いを主体としてこういうかたちでアルバム化して、
それが非デミファンに受け入れられるか
俺のから揚げに勝手にカットレモンをかけられるか、というのを見てみたい。
9本まではあっさり決まったんだけど10本目は空白でもいいかな、などと思いつつ、
便宜的にクレたんを選んだ。さんピンから始まってクレバで終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、
MPC4000以降の超クリーントラック時代の先駆けとなった作品でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、
もっと他にいい作品がありそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10枚目はこんなのどうよ、というのがあったら10日以内にDIS。
「駄目だこのワックは。俺がちゃんとしたルーティンを作ってやる」というのはピース。
こういう試みそのものに関するアンサーも聞けたら嬉しい。