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2017-04-09

才能のある友人が新卒ベンチャー就職すると決断した話

才能のある人っていいですよね。自身に満ち溢れていますし、とてもあこがれます

僕はそんな生き方はできないと思います。凡人ですから。でもそれでいいんです。



※後で読み返したらすごい長い文章になってしまいました。ホントすみません



僕の高校クラスメートの友人の話です。 

僕は彼には才能があると思います。頭もとても良いです。

話していて楽しいですし、いろいろなことを考えて生きているなぁ

僕のようなどこにでもいるポンコツ大学生とは違うなぁと感じます



昨日、1年ぶりに彼に会っていろいろと話をしました。

彼は僕よりも1つ学年が上なので、就職活動について少し教えてもらおうという下心もありました。



彼は持ち前の行動力バイタリティを活かして、大学勉強以外にも

積極的インターン企業の人事の方とお話をしてきたそうです。



そんな中で、ITベンチャーインターン等に行く中で自分共感できる理念を持った企業出会い

内々定を貰ったと話してくれました。半年近く彼は悩んだそうですが、



彼のやりたいこと「世の中をよりよくするための仕事をする」という目標のもと、

そこのITベンチャー就職することに決めたと言っていました。



そこの企業ベンチャー企業としては大きく、その道を志す人にとっては有名だそうですが

残念ながら僕が知らない企業だったので、ホームページを見ながら

どんなことをやっているのか教えてくれました。




ホームページを見た瞬間、正確には経営理念事業内容を見た瞬間でしょうか—





なんだかすごい嫌な予感がしました。





自分感情文字に起こすのは難しいのですが、『すごい嫌な予感』としか表現できない感情が湧いてきてしまったのです。

おそらく僕は彼に嫉妬してしまったんだと思います。きっとそうです。僕にはできないことをしているから。



僕にはないものをもっているから。内々定も持ってるし。

将来も決まっていて、やりたいこともあるから。そうであってほしいです。



『その会社やめておいたほうがいいんじゃない?』とは言えませんでした。

彼がその判断に至るまでの過程歳月を鑑みたときに、僕が感じてしまった一過性感情および感覚

彼の判断否定することがあってはならない。



彼の論理的思考に基づいた判断尊重しなければならない。

そう僕は考えました。



繰り返しになりますが、彼には才能があると思います。頭もとてもいいです。仕事だって人よりはるかにできるでしょう。

彼が誰だって知っているような有名企業エントリーすれば、おそらく内定をいただけると僕は信じています



僕はそうしてほしかった。21歳という年齢は若いですし、そこで社会人としてのキャリアを始めることは

決してマイナスにはならないと思うのです。僕から見た彼の印象は『寄り道』をすることを嫌っているような、そんな印象でした。




やりたいことが俺にはある。だからそこへ行くんだ。そこで俺の理想を実現する。寄り道なんてしてられない。

実にシンプルな行動論理だと思います。でも僕は彼に『寄り道』をしてもらいたかった。



それが一見無駄に見えることであっても、実際に無駄だったとしてもです。

彼は生き急いでしまっているのではないでしょうか。



僕が彼に有名企業に入ってほしいのはどんなに企業の中が腐敗していたとしても、

その企業日本の中心にあって日本を動かしてきたことは否定のしようがない事実であり、

入れる機会と才能があるのならば入社しても決して損にはならないと思うからです。



入社してみて、

実際に働いてみて、気づくことだってたくさんあると思うのです。

それを現時点で放棄するのはもったいないことではないでしょうか。

たぶんそれができるだけの能力権利もあると僕は思っていますし…




超長文/駄文 になってしまいましたね…

僕は何といえばよかったのでしょう。






未来のことはわからないので、答えがわかるのは20年後・30年後かもしれません。

しかしたら一生分からいかもしれないですね…

2017-03-20

結婚と死

結婚する。昨日、双方の両親と会話した。そこに反対はなく、ただ祝福の言葉が届いた。帰ってから私は何故か感情抑制がきかなくなり、とめどなく流れる涙をどうすることもできなかった。ブレーキが壊れたように嗚咽をあげていた。

物心ついたときからずっと精神を病んでいた。いつも孤独焦燥感が私を支配するのだった。だから、静かに死ぬことだけを考えていたのに、今は人生ではじめて孤独を奪われてしまった。彼女は語りかけながら、傍らにいて、そっと頭をなでてくれた。

私はもはや死ぬという選択肢を自らの意思にもとづいて取ることがなくなった。今や私は死ぬことの選択を外部に委ねることができる。それは死ぬという選択肢を、「人に求められなくなったとき」――それは自らの決定に於いてではなく最愛恋人に委ねることが出来るということだ。

彼女がいるということで、私のコンプレックスであった「誰にも求められていない」という滑稽な空想否定されるわけだから、私はそれに基づいて自ら死を下すという決定を行うことができない。

出会ってからそんなに歳月を経たわけではないが、間違いなく最愛の人、であるわけだし、そういう人の手によって自分の、かつてのでたらめで無秩序な生が肯定され、死が滑稽な妄想のように扱われるのは、嫌な心地がしない。ずっと誰から必要とされることなく、誰にも愛されることのない、徹底した不干渉、それこそが自らの求めるものであったのにもかかわらず、今はその制約こそが幸せだと思う。そうして死の権限移譲された。

彼女は私がいなければ死んでいたと言ってくれた。何度も言ってくれた。愛の告白にしては些か荷が重いが、それでも、私ですら時として人を救えるというのは、自惚れに近いが、素直に嬉しいのかもしれない。

間もなく結婚だ。式は挙げない。一人で死ぬよりは幸せな結末をどこか期待しながら、今日は二人でカフェにでも行こうと思う。

2017-01-28

36過ぎた男が平気で10歳以上年下の女にアプローチするの

キモいと思わないの?

遊びならまだいい。若い身体と遊びたいってのはすごく納得がいく。

でも婚活アプリ

コータロー(36)「甘えんぼは嫌いですか?」

平気でメッセしてくるの

いや問題はそこじゃないからって思う。

そして現代東京には

こういう奴がわんさかいることに驚く。

ペアーズとかomiaiとか

真面目系出会いアプリ開いてみれば

こういうクソ野郎どもがはびこって

30後半としては決して高くない給料を振りかざして

若い女を釣ろうとしてる。

合コン行ってもそう。

恥ずかしくないのかな。

人生の伴侶として10歳年下を堂々と選ぶなんて

恥ずかしくないのかな?

経験よりも円熟味よりも

何よりも若さを重視してる。

アクセサリーとしてしか女を見ていない。

人間として自分は格下ですよ〜って

言ってるようなもんだと思うけど。

30後半まで何してきたの?

好き放題やってきたんでしょ?

それで今更結婚しようとして

結婚するなら若い方がいいって?

子ども産むなら若い方がいい?

こっちのセリフだわ。

「男は35過ぎるまで結婚しなくていい」

そんな幻想を抱いてモラトリアムやってきて、

更にその負債を年下と結婚することで帳消しにしようだなんて

なんて浅はかなんだろう。

てめえらはちゃんと過ぎた歳月責任をとって

同い年ぐらいの女と結婚してやれよ。

35過ぎた女共が途方にくれてるぞ。

あと私にメッセ送り続けてくる69歳のジジイ

遺産目当てでもいいからとか

ちゃんと40年を説明する条件明示しろ

2016-09-17

デレマスアイドルガンプラバトルする的な妄想

南条光:RX-0(ギンガナム艦隊仕様

宇宙世紀ユニコーンガンダムと呼ばれていたMSが、黒歴史とまで呼ばれる歳月を経て発掘され、月のギンガナム家の施設軍隊で使われるようになった」という設定で、南条光が作成したガンプラ

宇宙世紀より劣化した西暦技術で改修されたため、高出力のビームマグナムなどはオミットされており、近接戦闘に特化している。

特徴は製作者の「変身願望」を実現した、ユニコーンモードからデストロイモード改め「ミンナノミカタモード」への変身だ。

本来ユニコーンニュータイプに対して反応して変身するのに対して、こちらは味方のピンチに反応して変身する。

その仕組みはなんと、バトルフィールド中に散乱した「プラフスキー粒子」を吸収し、自身のパワーにしている。

しかし、普通にバトルフィールドに満ちている「プラフスキー粒子」を取り込むのは難しいため、味方のガンプラから露出したもののみを吸収している。

そのため、南条光以外の2人を先に倒してしまうと、どんどん彼女が強くなって行く。




喜多日菜子:クランシェO(オー)カスタム

「もしレミが死なずにオブライトと共に100年3世代を駆け抜けたら」という妄想で、喜多日菜子が作成したガンプラ

あくま一兵卒にすぎないオブライトにそこまで極端なカスタマイズをするわけにはいかない、という妙に現実的妄想のためもあって、通常のクランシェから大きな改良は加えられていない。

しかし、喜多日菜子にとって「本編での悲恋成就した」という「妄想」は格別らしく、完成度がとても高い。



・棟方愛海:バーガ・ハリBS-R(アルゴンプロミネンス+アウクソー仕様

「超帝國の剣聖アルゴンプロミネンス」が薔薇剣聖マドラ・モイライの肉体を介して星団に帰還するも、その桁違いの騎士とての力を制御する気が一切無い彼女のパワーを受け止めきれるGTMは今現在の星団には存在し無かった。

なんと彼女にとってはツァラトウストラ・アプターブリンガーですら役不足で、彼女のパワーを受け止めきれず壊してしまっていた。

しかし、何故かこのバーガ・ハリだけは慎重に扱い、決して壊す事無く制御していた。

それが何故なのかを彼女本人に聞いてもわからないだろう。

彼女のその肉体に宿るいくつかの精神の一つにとって忘れられない記憶であり、決してその他の人格に漏らしたくない自分だけの記憶からだ。

また純血の騎士を目の当たりにし、GTMコントロールが再び可能となったアウクソーをパートナーにしているが、バーガ・ハリBS-Rからすると、元の持ち主の元カノと、元の持ち主の子供の父親パートナーという何だか微妙修羅場に巻き込まれているようで可哀想

という設定で棟方愛海が作成したGTMのガレージキット

ガンダムでもプラモでもない!

2016-07-26

http://anond.hatelabo.jp/20160724040923

これでトラックバックになってるんですかね。

元増田です。

出勤時に見たらすごことになってて、びっくりしました。

まず、僕は筋肉質でナヨナヨしていません。筋トレ大好きです。

これがセックスレスと要因となるのかわかりませんが、肉体的なもの解決できてるなら解決しているような体型と身なりです。幼稚園の他のお父さんみたいにお腹は出ていませんし。

すごく気を使っています

子供の寝ている部屋でしようってことも言ってません。正直、子供は乳飲み子ではないので。

部屋も複数あります

家庭自体は僕の家事育児放棄崩壊していません。

家事します。二人でして早く終わるなら、それが正解だと考えています。片方だけが負担すると結果的に過ごす時間が減るという考え方で、嫁さんもそういう人が初めてってびっくりしていました。

僕はなにより嫁や家族と過ごす時間をたくさんとりたいと思っているので、分担はします。

あと、料理は好きです。するのも片付けるのも。

ただ、僕が料理すると不機嫌になります。嫁は料理がそんなにうまくありませんので。

僕は一人暮らしの期間もあり、料理や片付け全般できますし、しています

ご飯に関しては、子供可哀想なので、きちんと作るか僕が作るって話はしましたが「子供好き嫌いがあるから」って言われました。

ふたりきりでデートもしていますよ。

それでもダメでした。

もともと気団の駆け込み寺スレを見ていたので、基本的には「何をしたらダメか」というのは理解しているつもりです。

ですので、DVその他はしていません。

と、真面目に書いてみましたが、やるべきことは試したつもりなんですよね。

話し合いについては、「僕は君のことは子どもたちの母親であり、僕の最愛女性だと思っている。本当に好きだし、愛しているから、スキンシップを拒絶されると本当に悲しい」という形でつたえました。

嫁は泣きながら「そんなつもりで否定したつもりじゃなかった。軽い気持ちだった」ってお互いちょっと泣いて和解したんですが、結局何も変わりませんしたね……。

趣味のススメを書いてくれた方、ありがとうございます

僕もコーエーゲームしますよ。

未だに太閤立志伝Vやってます太閤チームの復活を10年以上待ってます

真田丸が始まってから真田プレイ楽しいです。

というか、趣味ゲームです。

結婚生活は我慢ということを書かれていましたが、概ね合意します。

ただ、人間には我慢の限界があると思います。極論になりますが、DVも我慢しないとダメですか? って話になりますよ。セックスレスも十分な離婚事由になります

少なくとも僕は家庭に安らぎを求めていました。それが夢見がちと言われるのなら、僕の結婚観が間違っているのでしょう。

セックスレス以外は妥協もあり、お互い改善できるところは話し合いで解決してきました。

ケンカもしたことのない仲良し夫婦です。

からこそ、強く悩みますし、ここまで考えて眠れなくなってしまうのです。

「uza_momo このレス増田レスによる結婚生活破綻危機もさることながら、相手がその危機感を知らない温度差が読んでて辛い。原因はレスだけど、双方に結婚に望む形の相違を顕在化して話し合えたらいいのにね。」

温度差はすごくあると思います

嫁は僕がここまで深刻に考えているとは思っていないです。

最後の話し合いで「離婚事由になる」とは言いましたが、結局レスのまま、「やめて!」って言われても仲良し家族はできていますし。

最初にも書きましたが、「レスである」という点を除けば、本当にうまく行っています

会話もありますし、家族映画見たり、でかけたりも頻繁です。

嫁とはゲームセンターCX見ながら、あーでもないこーでもないと言いながら笑い合っています

お互い感謝気持ちは忘れないというのは、同棲していた時からずっと今も続いています

家庭崩壊設定している人が意外といましたが、崩壊していないから凄く苦しくて、悩んでいます

それと、口説き直したら的なブコメも見ましたが、意外とナイーブだったのか拒絶に傷つきすぎて心が折れてしまいました。

同じ立場の人がたくさんいらっしゃると思うのでわかると思いますが、拒絶ってかなり心にきます

女性子供いるからできないというのがあるのだとしたら、男性は強い拒絶に非常に弱い部分があります精神的な面でEDになったりします。

好かれる努力しろって意見もわかりますが、強い拒絶を受けると好かれる努力もできなくなりますよ。

普通恋愛をしてきた僕は強い拒絶を受けることなんて初めてのことでした。

朝方に色々と勢いで書いてしまった内容に、いろんなコメントをいただけて本当に嬉しかったです。

離婚前提で考えるのではなく、とりあえず現状について話し合ってみます

レスでも平気! という人がいるのは当然だと思っています

人はそれぞれの価値観がありますし。

ただ、僕は思いっきり愛して、思いっきり愛されたかったんです。

新婚のときに「セックスレスなんてなるわけない」と話し合っていたことが嘘みたいな現実になってしまいました。

強い拒絶と5年の歳月は、僕の嫁に対する性欲を失わせました。

それでも僕は嫁を性的ではない部分で愛していますし、子供も愛しています

そういう前提があるなから辛くもなりますし、悩んだりもします。

僕は性欲に負けているのかもしれませんね。

でも、「好きになった相手と愛し合いたい」って思うことって普通だと思っています

今はお互い子どもたちの親という形になっています夫婦ではないと思います

様々な反応があって本当に嬉しかったです。

ありがとうございました。

2016-05-23

『レヴェナント』のテーマ考察

『レヴェナント』を観た。

監督の前作『バードマン』に比べて難解で、現段階ではテーマがさっぱり分からないのだが、主に海外サイト議論を参考に、テーマ考察をまとめておくことにした(これを踏まえてオーディオコメンタリーインタビューが出るのを待つことにする)。

そこで以下、結論難解な理由、様々な視点から問題提起、現段階で考えられるテーマ妄想)の順に書いていくことにする。

1. 結論(先出し、めんどくさい人はここだけ読めばOK)

考えながら書いたので、思ったより文章が長くなってしまった。結論を先に書いておく。

(1) 『レヴェナント』はどういう物語

『レヴェナント』をそのテーマに基づいて要約すると次のようになる。

主人公グラスは、その人生の全てであった息子ホークを殺されたことで、生きる意味を見失い、死亡する。 しかし、息子を愛する気持ちにより、死と再生を繰り返し、野生動物に生まれ変わってまで生き残り、宿敵フィッツジェラルドのもとにたどり着く。

最後の戦いではフィッツジェラルド瀕死の重傷を負わせた末、神の代行者リーによる神罰を引き寄せ、息子の敵を討つ。 息子を失い、復讐という目的も失ったグラスの精神崩壊し、(ブチャラティ的な意味で生き延びていた)肉体もついに死を遂げる。

(2) 『レヴェナント』のテーマは何か

本作のテーマは、親が子を愛する気持ちいかに強く、大きいものか、ということである

2. 難解な理由

(1) 単純なテーマに落とし込みづらい

『レヴェナント』のストーリーを単純に言えば、「復讐心に捕らわれた男が、大自然の中で死闘を繰り広げるが、最終的に復讐をやめる話」である(図式的に表現すれば、『大いなる勇者』+『デルス・ウザーラである)。

このストーリーを見たとき、すぐ連想するテーマは、①復讐のむなしさであったり、②大自然と対比された文明批判である

しかし、①復讐のむなしさがテーマだと言い張ることには疑問が多い。というのも、(後述するように)復讐をやめた後の主人公の表情は発狂寸前のそれである復讐を完遂して破滅するか、中止して救われるかの方がテーマとしては明確なはずである)し、監督自身インタビュー復讐物語を描くこと自体には興味がないと答えているからだ。

さらに、②文明批判テーマだと言うのも苦しい。というのも、この映画には文明に対する疑問が提示されることがないからだ(『デルス・ウザーラ』のデルス、『大いなる勇者』のジョンソンのように、文明対立する人物が出てこない)。

ということで、『レヴェナント』は単純なテーマ理解することが困難である

(2) 解釈に影響を与えそうな要素が満載

『レヴェナント』は昔の映画からたくさん引用をしている上、宗教的意味ありげな要素がたくさん散りばめられている。さら監督過去作品との整合性まで考慮に入れるとすると、どの要素にどの程度力点を置いて物語解釈すれば良いのか分からないという問題があり、これがテーマ理解の妨げとなっている。

(3) 特にタルコフスキー引用が難解

(2)と関連するが、『レヴェナント』ではタルコフスキーの諸作品(『僕の村は戦場だった』、『鏡』、『ノスタルジア』、『アンドレイ・ルブリョフ』)から引用が多数なされている(これを分かりやすくまとめた動画がある:https://vimeo.com/153979733)。

しかタルコフスキー作品と言えば、それ自体が難解映画の筆頭である。そこから引用となると、どういう意図なのか(タルコフスキー意図をそのまま継いでいるのか、ただタルコフスキー表現が気に入ってやりたかっただけなのか)が皆目検討がつかないのだ。

3. 様々な視点から問題提起

そういうわけで、『レヴェナント』は難解な映画なのだが、海外ファンサイトでいくつか有力な問題提起がなされていたこから、これをいくつかまとめておく。

(1) [視点Ⅰ] イニャリトゥ監督過去作品から見る

ア. うまくいかない親子の関係

まず、イニャリトゥ監督過去作品では、「うまくいかない親子の関係」が描かれることが多い。

監督の前作『バードマン』では、監督そっくりの父親が、娘に全く愛されず尊敬もされていないことに気が付き、悩む様が描かれる。また、デビュー作『アモーレス・ペロス』では、マルクスそっくりの元反政府活動家が、活動のために家族を捨てたことで愛する娘と会えず、悲しむ様が描かれている。

これらの作品に比べ、『レヴェナント』は異質である。というのも、主人公グラス(ディカプリオ)と息子ホークの関係は互いに愛し合っているからだ。

この点をどう評価するのかがまず1つの問題である問題点α)。

イ. 死と再生

前作『バードマン』で、主人公は、演技に悩んだ末、舞台拳銃自殺をする場面で、拳銃実弾を込めて自分のこめかみに発射する。その死を賭した演技が絶大な評価を受け、主人公は自らの弱さの象徴であるバードマンを打ち倒すことに成功する。

こうした死と再生イメージは、映画でよく用いられるモチーフである(『鏡』、『8 1/2』など)が、『レヴェナント』ではこれが3回(数え方によっては2回とも4回とも)も行われる。

① 熊に襲われ瀕死となり、フィッツジェラルドに埋葬されるが、立ち上がる。② インディアンに追われ、川に流されるが、生還する。③ 崖から落下したのち、馬の中に隠れ、回復する。

ではそれぞれ、何に生まれ変わったのだろうか。前作『バードマン』で主人公は、拳銃自殺ギリギリのことをすることで、弱さ(バードマン)を克服した強い人間に生まれ変わった。では本作ではどうか。

これについて、海外サイト面白い考察があった。グラスは死と再生を繰り返すたびに、野生動物に生まれ変わっているというのである

(ア) 熊

まず最初にグラスは熊に生まれ変わっている。その表れとして、グラスは熊の毛皮を着て、首に熊の爪のネックレスをしている。さらに川で魚を手づかみにし(木彫りの熊)、それを生のまま食べている。

(イ) 狼

次にグラスは狼に生まれ変わっている。その表れとして、インディアンバッファローの肉をもらう際、四つんばいになって人間にへつらっている。そしてインディアンが肉を投げると、これを貪るように食っている。

(ウ) 馬

さらに、グラスは馬に生まれ変わっている。これは冷たい夜を生き抜くために、馬の死体の中に隠れ、後に這い出ていることから明らかである

(エ) 謎の肉食獣

最後の戦いにおいて、グラスは牙と爪で戦う肉食獣に生まれ変わっている。これは、銃を放棄し、斧(牙)とナイフ(爪)で戦っていることに表れている。

上記の見方はそれ自体面白い見方だと思うが、これによって何が言いたいのか、というのはまた1つの問題である問題点β)。

なお、グラスが当初の瀕死状態から山を走るところまで回復するのは、死と再生を何度も繰り返すからだという見方があった。

(2) [視点Ⅱ] タルコフスキー引用から見る

先に貼った動画https://vimeo.com/153979733から明らかなように、『レヴェナント』ではタルコフスキー作品から引用が非常に多い。

そのうちよく解釈に影響を与えそうなものとして挙げられるのは、「宙に浮く女性」、「ラストシーンでグラスがこちら(観客側)を凝視する表情」、「鳥」、「朽ち果て教会」、「隕石である

このうちここで取り上げたいのは、「ラストシーンでグラスがこちら(観客側)を凝視する表情」である。他の引用解説が面倒くさすぎるので各自ぐぐってほしい。

この表情の元ネタは、『僕の村は戦場だったである。この映画主人公イワンくんは、ソ連少年兵であるが、母と妹をナチスによって殺害されている。問題の表情は、そんなイワンくんがナチス相手戦闘を仕掛けるシミュレーションを1人でしていたときのものである

まり、この表情は、純粋で愛に満ち足りていた少年の心が、ナチスへの復讐心で歪み、壊れかかるときのものである

これをそのまま『レヴェナント』のグラスに類推するならば、グラスの心は最後の戦いの後、壊れかけていたことになる。

しかし、『僕の村は戦場だった』と違い、『レヴェナント』では復讐を止めた後にこの表情をしている。そのため、イワンくんの内心をそのままグラスに類推していいものか、グラスは最後にどういう心境だったのか、という問題が生じる(問題点γ)。

(3) [視点Ⅲ(おまけ)] 監督目標から見る

イニャリトゥ監督インタビューで、目指している映画として以下の5本を挙げている。

黒澤明デルス・ウザーラ』② コッポラ地獄の黙示録』③ タルコフスキーアンドレイ・ルブリョフ』④ ヘルツォークフィッツカラルド』⑤ ヘルツォークアギーレ/神の怒り』

共通点は、いずれも撮影に困難が伴った映画であるということである

①『デルス・ウザーラ』では秋の風景を撮るはずが雪が降ってしまったためソ連軍を動員して人口葉を木に付けた、②『地獄の黙示録』では台風でセットが全て崩壊した、③『アンドレイ・ルブリョフ』ではソ連当局検閲が通らず製作から公開までに10年以上の歳月を要した、④『フィッツカラルド』では実際に巨大蒸気船を滑車を使って山越えさせた、⑤『アギーレ/神の怒り』では撮影過酷から引き上げようとした俳優を銃で脅した、などなどの多数のエピソードがある。

そうすると、「テーマとかどうでもよくて、むちゃくちゃつらい撮影がしたかっただけなんじゃ・・・」という疑念が湧いてくるのである問題点δ)。

(4) [視点Ⅳ] 「復讐神の手にある」の意味から見る

これはグラスが途中で出会った一匹狼のインディアン言葉だが、意味は正直言ってよく分からない。

ただ、ラストシーンでグラスが復讐を委ねた相手インディアンリー誘拐されたポワカの父親である。このことから海外サイトの中には「リー神の手、すなわち、神の復讐の代行者である」との解釈が多く見られた。

(5) [視点Ⅴ] グラスの生きる意味から見る

イニャリトゥ監督作品テーマはいずれも生きる意味にまつわるものであるが、この点に関してグラスが2つの重要言葉を残している。

All I had was my boy... but he took him from me.“

「私にとって息子は全てだった。しかフィッツジェラルドは私から息子を奪った。」

“I ain't afraid to die anymore. I've done it already.”

「私はもう死ぬことを怖れていない。私は既に死んでいる。」

息子が全てだったという台詞は、グラスの生きる意味が息子にあったことを示している。そしてこれは、デビューから親子の関係を描き続けてきた監督自身言葉でもあるだろう。

息子がフィッツジェラルドによって殺害されたことで、グラスは生きる意味を失う。代わりに「復讐」という意味見出したかのようにも見えるが、それによって再生した姿は上述したように、野生動物の姿である

このことからすると、私は既に死んでいるという台詞は、「生きる意味を失ったことで、人としては既に死んだ」ということを意味するのではないだろうか。

(6) [視点Ⅵ] グラスは死んだのか論争から見る

海外サイト掲示板などで最も熱く議論されている論点は、グラスは死んだのか?という点である

これが問題となる理由は、①復讐モノの物語復讐者の死で終わる場合が多いということと、②戦いに勝利したとはいえグラスも致命傷を負っていること、③スタッフロールが始まってもグラスの吐息が聞こえること、といった事情があるからである

さら映画外の理由であるが、④前作『バードマン』においても主人公最後に死んだのか死んでいないのかで論争があったこともこの議論に影響を与えている。

死んだ説に立つ人は①②の事情を挙げ、死んでないよ説に立つ人は③④の事情を挙げている状況にある。

しかし、これもテーマとの関係で考える必要がある(問題点ε)。

4. 現段階で考えられるテーマ妄想

これらを踏まえて、現時点で筆者なりに『レヴェナント』のテーマについて考察してみたいと思う。

(1) 問題点α:監督過去作と違い、『レヴェナント』では親子(グラスとホーク)が愛し合っている。これにより、監督連続して掲げてきた「親子」というテーマ消失・変容したか

結論

① 『レヴェナント』においても主要テーマは「親子」である

「親子」というテーマは『レヴェナント』においても依然として維持されている。

その根拠は、(a)グラスの息子ホークというキャラクター史実存在していないのにわざわざ登場させたこと、(b)監督インタビューに対して、息子を登場させたのは親子関係を題材にすることで物語がより複雑で充実したものになると考えたからだと答えていること、(c)デビューから前作まで延々親子関係テーマにしてきた監督が、ここに来て生涯のテーマを捨てたとは考えにくいこと、である

② しかし、「親子」というテーマに対する切り口が、前作までとは違う。

前作までの切り口は、分かり合えない親子の問題をどう解決するか、というものであった。『レヴェナント』はそうではなく、子供を生きる意味としてきた親が、子を喪失したとき、どうなってしまうのか、という切り口で「親子」というテーマに迫っている。

その根拠は、(a)グラスが息子ホークが人生の全てであったと言及していること、(b)グラスが息子を失ったことで一度死んだと(解釈しうる)発言をしていること、である

(2) 問題点β:グラスは死と再生を繰り返す過程野生動物に生まれ変わっているが、これは何を表現しているのか。

結論:息子ホークを失ったことで、グラスが生きる意味喪失し、結果、人間としては死んだということを表現している。

その根拠は、(a)野生動物へと生まれ変わるタイミングが、息子ホークを失ったことをグラスが認識した時点からであること、(b)グラスが息子を失ったことで一度死んだと(解釈しうる)発言をしていること、である

(3) 問題点γ:ラストシーンでのグラスの表情の意味は何か。

結論:グラスの精神が壊れ(かかっ)ていることを意味している。

その根拠は、(a)元ネタである僕の村は戦場だった』のイワン少年がやはり精神が壊れかかったときにこの表情をしたということ、(b)息子ホークという生きる意味に加え、復讐という一応の生きる目的さえ失ったグラスには、これから生きる意味が何もないこと、である

(4) 問題点ε:グラスは死んだのか。

結論:グラスは死んでいる。

この問題は前作『バードマン』で同様の問題が争われたときと同様、作品テーマから考えなければならない。

前作『バードマン』で主人公の生死について争いになったとき、生きている説が有力となった理由は、作品テーマが「『中年危機』を迎え、娘ともうまくいっていない父親が、この先どう生きていけばいいのか」というものであったという点にある。つまり主人公が死んでしまうとこのテーマとの整合性が取れないのだ。

しかし『レヴェナント』では、主人公は既に自分は既に死んでいる旨を明言し、生きる意味を新たに獲得した様子も認められず、その心は壊れかけている。

ここから解釈が分かれるところだが、『レヴェナント』のテーマは「親が子をいかに愛しているか」という点にあるのではないか

グラスは本人が言うように、息子ホークの死亡を確認した時点で、死んでいた。それにもかかわらず死と再生を繰り返し、フィッツジェラルドのもとにたどり着いたのは息子を愛する精神の力(つまりジョジョ5部のブチャラティ的な意味で生きていただけ)によるものではなかったか

フィッツジェラルドを打ち倒し、インディアンリーによる神罰を引き寄せた時点で、彼の精神崩壊し、肉体的にも精神的にも死亡したのではないだろうか。

(5) 問題点δ(おまけ):監督は、むちゃくちゃつらい撮影がしたかっただけなんじゃないの?

結論:それはインタビュー見てるとそうかもしれない・・・。

5. 結論(再掲)

本作のテーマは、親が子を愛する気持ちいかに強く、大きいものか、ということである

2016-05-02

老い

歳月を重ねた時に老けるのですか?

歩みを止めた時に老いるのですか?

2016-01-22

[][] (今更)攻殻機動隊 S.A.C. #13 ≠テロリスト

全体

この話は途中で兵士義体化もしていないのに死を恐れていない、という話からも分かるように、エカ=老婆自らの身体に全兵士ゴーストインプットしてある、という仕組みを暗に述べている。なぜなら彼女は素子によって取り押さえられる前に自殺しようとしており、SSTサカキバラも「仲間は殺された」「彼女は生きてい『た』」、という過去形で話を進めている。

ちなみに彼女に娘がいた謎は各所でも指摘されており、兵士に輪姦されたのでは、という推測がなされているが、これはトグサが作中で述べている憶測通りクローンであるとしたほうがキーワードとしては辻褄が合う。いわば『チェーホフの銃』である

それはともかく、上記の兵士の集合記憶に関する回答はついに見当たらなかった。むしろ上記の回答以外では以下のシーンの謎が解かれない。老婆エカが自殺して娘から開放されようとした際、娘が傍を離れるなと老婆に言い放ったシーンである。娘エカは明らかに自殺を止めようとした。兵士ゴースト内包説を採用した場合、母エカがリーダー化した理由兵士ゴースト内包する母性であったためで、次なる母性象徴として娘エカは存在したと考えると一応の辻褄はあう。その上義体化もしていないのに兵士が死を恐れないところまできれいに説明はできるし、サカキバラが混乱した理由説明やすい。この説の矛盾点は、旅団電脳化を拒否している、という一点である

ざっとトップ検索だけさらってみてもこの話を完全解明しているサイトはなく、そればかりかレイプ説など突飛な回答でお茶を濁しているものほとんどだった。

(ちなみにリアルクローン技術場合、その人そっくりそのままになることはない。これはコピーキャットなどで証明済みである



プロット

興国の旅団誘拐されたトクラ・エレクトロニクスの娘エカが発見されたのは二日前の事だった。自衛隊SSTメンバーによりエカは撮影されたが、そのSST分隊は潜入したまま消息を絶ってしまったという。荒巻はこの件を受けて9課メンバー派遣。トグサは潜入の最中旅団はエカをクローンして、トクラの遺産簒奪を狙っているのではないのかと指摘する。しかSST提供遺伝子照合の結果が本人であり、このトグサ説は素子により一旦否定されている。

一方バトーたちもGPS信号を受けて潜入する。ところがSSTサカキバラは自殺しようと自らの頭に銃を構えていた。彼は茫然自失の様相でエカがリーダーだったと口走る。バトーはその言葉と男の持つチップを見て男がエカに接続したことを知った。エカに出会った素子は自殺しようとした老婆を叱責する姿を目撃する。素子はバトーとの通信の後突入してエカを拘束し、電脳ハックを仕掛けようとする。しか彼女には直結する端子が見当たらなかった。その上彼女の側近にあたる老婆はその子じゃない、という謎の言葉を呟く。

潜入した9課は旅団発見されてしまうが、旅団は味方の死体を盾にして攻め込んでくるという玉砕戦法に出た。素子は側近の老婆を連れだすと戦場離脱する。ところが離脱中のヘリの中でエカは突然母に触るなと叫びだしてしまう。老婆の首元には電脳への接続端子が存在していた。

事件後素子とバトー、トグサはエカ本人が十六年の歳月を経て老婆化していることを言及し、かつ娘がなぜ旅団を指揮する事になったのか、という疑問を呈する。

2016-01-13

瞳の住人

数えきれない…でも少しの歳月は流れ

いったい君の事をどれくらい分かってるのかな?

指先で地図辿るようには上手く行かないね

気づいているよ不安そうな顔 隠してるくらい

急ぎ足の明日へと抵抗するように

駆け回っていても不思議なくらい…この胸は君を描くよ

見上げれば輝きは色褪せず溢れていた

どんな時も照らしてるあの太陽のようになれたなら

もう少しだけ君の匂いに…抱かれていたいな

外の空気首輪を引かれ僕は背を向けた

白く滲んだ 溜め息に知らされる季節を

繰り返しながらふと思うのさ…なぜ僕はここに居るんだろう?

そばにいてずっと君の笑顔を見つめていたい

移り行く瞬間をその瞳に住んでいたい

どこまでも穏やかな色彩に彩られた

つの風景画の中寄り添うように時を止めて欲しい永遠に

そばにいてずっと君の笑顔を見つめていたい

移り行く瞬間をその瞳に住んでいたい

つの日か鮮やかな季節へと連れ出せたら

雪のように空に咲く花のもとへ…花のもとへ

2015-12-29

NOVA社是 - Scrapbook整理中その02

今の社是よりなんか長い。2007/6/29 19:43:48にスクラップ



理想は実現するためにある

 目を輝かして将来の自分の夢を語っている人に対して、「無理、無理!まだ青いな。理想理想現実現実。まあ君もそのうちわかるよ。」と諭そうとするというお決まりパターンがありますね。あれが私達は大嫌いなのです。

 何か目指すべき目標があって、そこに至るまでの正確な計画と実行があれば、実現できないものはないはずです。もしできないとすれば、キチンと実行していないか、もしくは最初の計画そのもの論理的な欠陥があるからで、それを頭からできないものと決めつけるのは自らの可能性を閉じてしまうことです。

 理想は実現するためにある!それが信念です。

未来は創るもの

 先を読めと云う。しかし5年も10年も先を読み通すなどということが、はたして可能でしょうか。先を読めという人に限って、本当に見 通しが効いているのでしょうか?

 先を読んで、そしてどうしろというのでしょうか。

 考え方には大きな二つの方法があります。先を読み、未来迎合し、世の中が流れるままにトレンドに合わせて生きてゆこうとするか、または理想というビジョンをまず見出し理想の実現に向って力強く未来を創出してゆこうとするか、この二つには大きな違いがあります理想という言葉には非現実的で実現不可能ものというニュアンスが 伴いますが、理想とは実現できてこそ価値があり、実現できないもの理想ではなく、何ら計画性の伴わないただの妄想にすぎません。理想というビジョン真正面に見たときに、それは何としても実現しな ければならないターゲットとなるのです。

一人一人の自己実現の夢の集まり組織

自分の夢を実現させたい、力を発揮したい、能力限界に挑戦したい、こんな欲求は物欲以上に誰にでも、もともと激しくあるものです。ところが社会人になって会社自分をうまく使ってくれないとか、実力を試させてくれない、発揮する環境づくりをしてくれない、自分の力に見合った仕事をくれないと、錯覚自家中毒に陥り成長を自ら放棄してしまうことがあります。これは陥りやすい大きな錯誤であり、組織にとっても個人にとっても、最も不幸なことです。意見が通らなければ通すためには何をしなければならないかを考え抜き、自説の論理的な欠陥を探せばいい。もともと共通の利害をベースにするひとつ組織の中にあって、あらゆる観点で論旨が通り欠陥のない完成された企画であれば通らないはずがない。考えて考えて額が発熱するほど考えぬけば、これしかない、絶対こうなるはずだという結論がでる。そのとき自分の考え抜いたその企画は9割方成功したも同然です。そこまで成し遂げたときに最高の喜びがある。体力の限界に挑戦しても仕方がないが能力限界に挑戦し続ける、その上でたまには体力の限界への挑戦もある。いつも完全燃焼していれば、ストレスフラストレーションも溜るわけがないじゃないですか

 自分の夢(実現するための)を見つけよ。その実現のために組織をうまく使えばいい。

 自分能力限界へ挑戦し続けることによって能力限界値が切り上がってゆき、そのとき夢もまた広がり、もっと具体性を帯びて来る。自分自身の成長と組織の発展は、そこで初めて合致するのです。

絶対ポジティブ

 やる気のない上司についたやる気のある部下、何事においてもネガティブ上司をもったポジティブな部下、ビジョンを持ちたい部下と見通しのきかない上司、こんな構図を想像できますか。不幸なパターンです。成長率の抜群に早い状況下で、当社では部下を持つのが非常に早い。

 リーダーになれば自己規定必要になります。チームの誰よりもやる気がなければならない、ポジティブでなければならない、有能でなければならない、見通しがきかなければならない。これは考えるととても大変なことですが、この自己規定(信念)さえいつも頭の片隅においておけば、いずれそう成れる。そのために費やした年月をキャリアというのです。キャリアというのは決して年齢のことではなく、たった3年とか5年の歳月をどんな姿勢で過ごしたかということなのです。

 「ポジティブであれかし(行動力の源泉)」そしてもう一つ「謙虚であれかし(吸収力の源泉)」、この二つの行動原理で過ごした5年後の自分の姿をビジョンとして見ること、これがNOVAスピリッツです。

論破すること

 チーム・リーダーが率先垂範でなければならないことは言うまでもありませんが、チームのメンバーが増えれば増えるほど、今度は自分自身の個人の能力限界への挑戦もさることながら組織者にならなければならない。スタッフ能力発見開拓する能力重要になる。もし自分より優れた部下に恵まれ発見することができたなら、上司冥利につきるではないですか。立場が上がるほどに部下の能力発見能力がなければならない。そして優れた部下は上司にいつもまともにぶつかって、言いたいことを言う力がなければならない。そこに絶妙人間味のあるチームが生まれる。人間関係立場を気にするあまりに言いたいことを我慢して言い合わないのはロクでもないチームです。結局フラストレーションが溜まりイライラしてネガティブなグチしか言えなくなってしまう。こうなってしまうと悪循環でチームは崩壊し、個人が成長することもなく、組織の発展も止まってしまう。

 優れた意見に直面し、これは良いと思った時に私は、あえてそれを否定するスタンスで論争を仕掛けることがある。とことん論争したあげく、否定立場に立った私を論理的論破できたならそれは本当に優れた意見であり、もし欠陥があったなら論争の中から問題点が浮き彫りになる。口角泡を飛ばしスタッフ達と論争する姿を馴れない人が見たら、喧嘩でもしているのかと錯覚するかも知れませんが、議論している我々自身、実は内心とても謙虚なのです。これは一種思考訓練であり、オオマジメに論争することに意義があり、議論プロセスにおいて論旨がよりはっきりして来る。

 論争を仕掛けられたときビックリ仰天して引っ込んでしまっちゃいけないのです。御説ごもっともと、納得もしていないのに黙って引っ込まれしまたらこっちがビックリする。論争することにおいて上司立場もヘッタクレもなく、論破された方が実力不足

 日常茶飯これを続けることによって初めて健全なチームが出来上がる。これは今も昔も変わらぬNOVAの社風です。

自己確立

 現在NOVA社員の7割近くが外国人社員です。数千人の外国人社員と両手に余る国籍が社内に同居し、その数だけ常識存在する。日本国内で他にそんな企業があるのかどうか判りませんが、そんな中でもし自分自身が未熟で自己確立ができなければ、一体どうなるのでしょうか。常識と言うのは自分自身のある種の思い込みであり、偏見であり、固定観念であり、それに捕らわれ過ぎるのは非常に危険です。額が熱を発するほど考え抜いた企画を、時間を忘れて論争しつくして初めて究極の真理に行き着くことが出来る。究極の真理に基づいたプランでないものは単なる思いつきにすぎず、実現不能なものばかりです。常識偏見の枠を破ったときにこそ発想の飛躍が起きる。真剣勝負で出来上がったプラン100パーセント成功するのです。

 それにかかわった個人も企業も成長する。社員一人一人の成長に支えられて企業は成長してゆくものです。社員が成長しなければ、人の集団である企業としての成長もない。

 一体自分は何の為に生き、仕事をしているのか良く考えてみるべきですね。遊ぶ時間よりも、寝たりくつろいだり食事したりする時間よりも、少なくとも社会人である期間は仕事をしている時間が一番長い。その時間を充実して過ごすことが出来なければ、何と無味乾燥人生で味気ないことでしょうか。仕事が楽しめなければ仕事などしなければ良いのです。

 自分自身生き方スタンス確立しなければならない。自分の行動原理に即して目的を追求すること。夢は必ずその延長線上にあります自分生き方スタンス確立させ、夢を語ることができなければ、人の集団である組識社会と深くかかわっていくことなど出来るわけがないじゃないですか

大いなるアマチュア集団

 平均年齢27歳の当社を指して、大いなるアマチュア集団と看破した人がいます。言われてなるほどと我ながら妙に納得してしまいました。叔父様ですら妙につやつやと若い。一体何をしてかくあい成るのか。

 この学生ちょっと毛が生えただけのようなアマチュア集団は、ところがどっこいとてつもないパワーがある。ものすごくポジティブで、底抜けに明るい。(ネガでグチしか言わない人には耳が痛いでしょう)

 ポストなど掃いて捨てなければならないほど次から次に新しく出来てくるから保身なんて発想がない。もとよりアマチュアプロの卵なわけだが方向さえ誤らなければ相当なエネルギーを発揮することが出来る。やりたいことが山ほどあるのに自分に代わる人材がいないものから自分がそっちにまわれない。早く自分にとって代われる人材がいないものかとスタッフ争奪戦をする。早く俺にとって代われ、俺を楽にしてくれと部下を叱咤激励する。これが創業以来のNOVAのしきたりです。

ポジティブ単語威力

 強烈な上昇志向がある。生理的欲求や物欲などを超越した自己実現願望がある。では何時もいつも、ポジティブ単語で話し続ければ良い。上昇志向があるにも関わらず、何故かネガティブ単語しかから出ない人がいる。この場合心とは裏腹に、成長の可能性を自らことごとく摘み取っているに等しいのです。疲れてもいないのに「お疲れのようですね」とか、元気で力が余っているのに「顔色が悪いね、やつれてますよ、大変ですね」なんて毎日10回も言われ続けたら、本当に疲れてしまうか、余計なお世話だと思うかどちらかです。

 相手は決まり文句のように、挨拶がわりに、また同情を示すことによって共感を得、親しくなろうという気持ちからこのような単語を用いるのでしょうが、言われた方は疲れます。本当に相手のことを思うなら、「オッ、元気そうだね、良いことあったね!」と言ってあげた方がよっぽど元気になれるのです。ところが世間の大半はどういう訳かネガティブ挨拶を、社交辞令に好んで使います。そして言ってもらった方も、気遣って(?)そんな風に言ってくれた人に共感を覚えてしまう。ところがドッコイ良く考えて見ると、相手のネガな言動や心理自分まで単に巻き込まれしまっただけ。

 アホらしいですね。言った方も言われた方もロクな人生を歩んでいませんよ、きっと。

 ネガティブ単語は、人生観自分の行動原理確立していないと、 口にする方だけでなく聞かされた方もネガティブ心理に非常に巻き込まれやすく、また無意識の内に自分自身がそんな言動をして人を巻き込もうとしてしまっています。最悪です。ポジティブ単語表現を強く意識し続けることによってだけ可能性を切り開け、素敵な明るい未来が手に入るにもかかわらず。

 「ポジティブであれかし」これは行動力の源泉であるだけでなく、未来自分の姿を素敵に創り上げるための行動原理です。

前進を忘れて現状維持の発想になったとき企業は終わる

 企業である限り、利益を出さなければならないことは言うまでもないことですが、利益を出すこと自体目的ではありません。利益は、全てさらなる品質改善事業拡大のための投資にまわし、常に前進していかなければならない。その企業にかかわる人の数が多ければ多いほど、企業としてのビジョンを追求し、理想や夢を実現させるために全力を尽くさなければならない。企業理想を追求する姿を明快にしてこそ、その企業にかかわった全ての人が幸せに成りえる。それが社会の中での企業の使命であり宿命です。前進することを忘れて現状維持の発想になったとき・・・・・・そのとき企業は終わりだと思います

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さ、……消そう。

2015-12-24

ユメニーでマジイキすると現実に戻れなくなるのでおすすめしま

http://anond.hatelabo.jp/20151223021454

http://anond.hatelabo.jp/20151223201827

すみません、御二方に便乗する形になりますが、少し思うところがあったので。

未知なる快楽に挑戦するといった観点からは、たしかアナニーもサイニーも有効アプローチですし、そういった活動真摯に取り組まれる方を心から尊敬しています

ですが、もしも本当に《快楽彼岸》へ辿り着こうとするならば、私たち現実を捨てなければならない。私は長年の自慰研究において、そう確信したのです。ややマイナーな部類ではありますが、ここではユメニーをご紹介いたします。



ユメニ―というのは、その名の通り「夢」のなかでオルガスムスに到達する方法です。

前提条件として

 1.夢の内容を記憶していること

 2.夢を自由自在に操れること

 3.興奮によって夢から目覚めてしまわないこと

の3点が必要です。そう、つまり明晰夢によって極地に達するわけですね。



ユメニーの場合男性は大変ですね。男性性的な夢を見ると、無意識的に射精をしてしま性質夢精)があります。これがユメニ―修行の大きな難関として立ち塞がります

男性はこれまでの経験から、「射精の瞬間」を悦楽のクライマックスだと誤認している。まずはこの認知エラー修正する必要があります。(手始めにアナルを開発すると良いです)



夢のなかで満たされる快楽と、精液を放つ快楽とでは、まさに「月とスッポン」です。たかだかスッポン快楽に溺れて愚かな行為に走ってしまう人が後を絶たないことを、私は悲しく感じますし、憐れみさえ覚えるものです。

私たち人間は、理性ある動物として、肉体的な快楽と決別すべきです。さらなる高み、上位の快楽次元を追求し《超人》を目指すのです。



快楽上位次元への到達が唯一可能なのは、ユメニーだけであると私は考えます

いいですか? 夢のなかでは、時間も、空間も、すべて私が支配する。《空間時間》というアプリオリ概念を夢によって塗り替えるのです。



私たちユメニストは、日頃から夢日記」「アクティブイマジネーション」「瞑想」「補色残像を用いたイメージ拡大訓練」「体外離脱」「自律訓練法」「意図的金縛りを引き起こす」などの血の滲むような修行を積んでいます明晰夢の完全会得には、私も4年の歳月を要しました。



初心者の方には「夢日記」をおすすめします。夢の内容を忘れてしまうのではユメニ―など夢のまた夢ですので、まずは夢を忘れない能力を身につけてください。

夢日記を1年間も続ければ、かなり鮮明に夢の内容を記憶しておくことができます

夢日記は、枕元にノートペンを置いておくか、もしも初期投資を惜しまないのであればポメラを買って活用するのが良いです。

私はすべての夢をポメラで記録していますが、あれはとても楽です。Wordに移して確認してみたら、夢日記の総文字数が300万文字に達していました。小説を書くわけではないので、文体はめちゃくちゃで、箇条書きや単語の羅列でも構いません。とにかく「継続すること」が大切です。



夢を記憶できるようになったら、次は明晰夢(夢のコントロール)を会得します。詳しい訓練法と書くとこのスペースではとても書ききれないので、ググってください。

最近幽体離脱にはまった』というタイトル2chウィキおすすめです。

幽体離脱と聞くとオカルトな印象がありますが、言ってみれば身も蓋もない「明晰夢」のことです。したがって「幽体離脱を会得する=明晰夢を会得する」と考えて頂いて大丈夫です。

幽体離脱ができるようになったら、いきなりエッチなことをするのではなく、まずは「夢の滞在時間を伸ばす」訓練に努めてください。私の場合は「夢世界カップラーメンを作る」という修行を積みました。これで最低でも3分間は夢世界滞在できるのです。



自称明晰夢者――クリアドリーマー」には、たった10秒間くらいしか明晰状態を維持できないのに「俺はできる」と思い込んでいる人がいます。私もかつてはそうでした。

しかしそこで満足していては成長がありません。明晰夢ができるようになっても、現状に甘んじてはいけません。人間はいだって成長できる。精神的に向上心のないものは、馬鹿です。



熟練のプロともなれば、夢世界で3年近くを過ごせる人もいます。(3年というのはあくま体感時間であって、現実時間ではありません)

レベルダイブするにはコツがあって、それは「夢のなかで眠り、もうひとつの夢を見ること」(夢中夢意図的に作り出すこと)です。夢中夢をある程度コントロールできるようになれば、目が覚めてもそこは現実世界ではなく夢の世界になりますので、理論的には半永久的に夢のなかにまり続けることができます。(理論通りにいかないのは、人間の肉体としての限界が必ずどこかで生じるからです)



ユメニ―の素晴らしさを知らない人が「たかだか夢のためにどうしてそこまで努力するんだ?」と疑問に思われるのは仕方のないことです。しかしよく考えてみてください。もしも夢のなかで、なんでも自分の思い通りにできて、しかもそのリアリティ現実を上回るのだとすれば、それに優る幸福がこの世界のどこにあるというのでしょうか。



私は夢のなかではすでに、恋人と5年以上付き合っています。夢のなかでは友人にも恵まれ永遠青春を満喫しています現実世界のことで悩んでいる人たちを見ると私は「まだ現実で消耗してるの?」と声をかけたくなるのです。

さぁ、現実なんて捨てて、私と一緒に夢の世界に逝きましょう。


まずは夢日記それから明晰夢です。高度に情報化された世界では、夢の操縦法なんてもの検索すればいとも簡単に情報が手に入ります最初の第一歩を踏み出すのは、これを読んでいる方々です。



えーっとどこまで話しましたっけ。というか今私は文章を書いていますが、ここって本当に現実世界なのでしょうか。

なんかキーボードがふわふわとしていて感触がないんですよね。

ああ、声が聞こえますね。アヤコの声です。可愛いですよね。

多分書いたと思いますが、今ここにいる彼女が、5年間付き合っている私の恋人なのです。

近いうちに結婚する予定で、ええ、幸せな家庭を築けるように頑張らなきゃですね。イブ増田なんてよしてよ、とアヤコが笑っています。あ、そんなとこ触ったらくすぐったいって。あ、アハハハ。



あ、本当に呼ばれているので、ちょっと離脱しますね。ではまた名倉で

2015-11-28

背伸びして買った香水も今では普通に使える

大学生の当時付き合ってた同じサークル男性

ディオールの2番めに有名な香水が好き」と言ったので

購入したのがデューンだった

三越ディオールカウンターのお姉さんに「母親用に」なんて言い訳したのを憶えてる

田舎者のあかぬけない風貌のまだ20歳そこらの私がつけると言ってしまっては

苦笑しつつ別のものを勧められそうな気がしたからだ

買った香水をつけて男性に会うと、何の香水かと聞かれた

2番めに有名なやつですと答えたら、自分の思っているのと違うと言われてしまった

当時いちばん有名だったのはプワゾンだった、2番めはなんだったのか今となってはわからないが

その男性とはほどなく疎遠になってしまい、手元のデューンけが残った

ろくに化粧もできない喪女大学生がつけて似合うものでもなく

若い嗅覚ではハイクラスの香水はキツすぎて使えない

ルーコロンにしてみたり、入浴剤に混ぜてみたり、髪を洗うのにリンスに混ぜてみたりと

あれこれ微妙な使い方をしてみたが一向に消費できず

洗面所棚の隅に長いこと放置状態だった

数日前にふと思い立って使ってみた

いい匂い

もう強い香りにも酔わない

この香水普通に使えるなんて、私も大人になったもんだと20年の歳月を感慨深く思った

と同時に、香水20年経ってるのに普通に使えることにも、ちょっと驚いたりもした

2015-11-23

ニコニコ動画をやめた

一気書き怪文書こゎぃ

というわけで、ネット特有のスラングネタ等が含まれるため、そういったものが苦手な方は

ブラウザバックか注意して読まれることをおすすめします。某手書き劇場じゃないけども。





24歳、学生です(大嘘)

え~、ネット歴が10年で、ニコ厨歴が8年(SP1)です。

そんなこんなで人生を歩んできたわけだが、一種の詰みという状態になっているわけだ。

具体的にどんな詰みなのかは、ここでは言及を避けておく。避けておくが、借金で首が回らない等の絶望的な感じではない。

感じではない、が、それだけに、ぬるま湯から少しづつ熱湯へと変わる水に気づかないで茹でられてしまカエルのような、そんな最悪な気分であり状況であることは言及しておく。





そんな状況になったのも、色々な問題から逃げてきたせいだと思う。世の中すべてが自己責任なのだ。全ては自分のせいであり、他に原因を求めても仕方ないのだ。

思い返すに、一番最初に思い出せる逃げた経験は、進研ゼミチャレンジ特に赤ペン先生だったように思う。

一時はそれを取り返そうと、一年分の赤ペン先生提出用小テストを送ったものだ。懐かしい。

それから、様々なことから逃げてきたように思う。

部活動の選択、いじめ・イジりからの脱却、文系・理系の選択、大学の選択、単位の取得、あらゆる勉強、交友関係、就活、エトセトラエトセトラ…

よくある感じのクズ人間だ。こうはならないようにと、心がけてきたつもりだったのにな、心がけてきただけで、実行できなかった。

なんだか怖かったんだな。実行に移すのが。まるで自分が食べることのできる大切なケーキがどんどんなくなっていくようで。




一方で、ネットにはハマった。これはもうホントに、見事にはまっていった。

まずは、中学生らしくG行為ネタだ。まずはそこら辺に転がってた18禁小説から

クリスマスプレゼントかなにかで買ってもらったPSP1000をいじっていると、

どうやらネット機能を使えるということがわかり、若い時のドキドキを携えて恐る恐る「エ ロ」と検索したのだった。

検索エンジンが何かまでは覚えていないが、トップ近くに出てきた(であろう)18禁小説を適当に選択して読んでいた。

寒かったことも手伝って、布団に丸まって片方の手を股で挟んでいると…というテンケテキな精通を迎えたのであった、まる

今でも何故か覚えているが、最初に読んだのは姉妹のレズものだった。文体は単純なのに「ふ…ふみゅ!?」とかいった

きゃわいい吐息の描写ものすごく興奮したのを覚えている。

それから、森の奥の吸血鬼姉妹のもとに仕えることになったメイド姉妹ふたなりものとか(今でこそそれが東方Project二次創作だったとわかるが、当時は全く知らなかった)

社会人とヒモの物語とか、コナンの虹エロ小説のみを掲載してるサイトだとか、お寿司をホニャララに突っ込んでズルズル吸い上げるとかいう今から見ると嗚咽もののものまで、

情欲が満足するまで、ひとり夜のベッドの中で励みまくった。

そのうち小説では飽きたらなくなり、フリー公開のエロ漫画や、同人マンガっぽいものうpされているようなサイトまで足を伸ばしていった。

そういえばえろまんがわーるどってサイトにだいぶお世話になった記憶がある。今どうなってるんだろうな。




そこから、他のネット文化に親しむ様になるのに時間はかからなかったように思う。

それこそ、上に書いたえろまんがわーるどでオナネタを探している最中に見つけた東方Project二次創作の同人マンガを見つけて感動し、

東方Projectとその二次創作郡(主に同人マンガ)に見事にはまっていったし、

もう黄金期は過ぎていたが、Flashのまとめ倉庫みたいなサイトを見つけて、Flash動画にはまっていったし。

2ちゃんねるへの書き込みとかも興味があったけど、なんだか殺伐とした雰囲気に「半年ROMれ」という格言も手伝って、ほとんど書き込みはしなかった。

受験勉強ほっぽり出して、冬でかじかむほど寒い中、東方星蓮船をひたすらキーボード使って、最後の白蓮の弾幕をよけながらクリアしてたっけ。




そうして辿り着いたのが、ニコニコ動画だった。

うそこは、俺にとって天国であった。

会員になったのはSP1からから、高校で入った計算になる。

学校でいじられ続けて病み気味になっていた俺を元気づけてくれた、唯一と言っていいほどの存在だったのだろう。

そこで親なり担任なりいのちの電話なり、周りの大人に頼っていれば、道は違っていたのかもしれないが、

俺がとった道は電子世界への逃避だったわけだ。

ドナルドエア本フタエノキワミチャー研レスリング、最近では淫夢等、Flash動画時代を髣髴とさせるMADを食い漁るように探して見続けた。

東方にもはまっていたので、ニコニコで勢力を拡大しつつあった、同人マンガの延長線上のようなジャンルである東方手書き劇場」も、ホント漁るようにして探して見続けた。

それだけだと飽きちゃうので、台頭し始めていたMMD系列や、サービス開始当初から人気だったVOCALOIDも時々見ていたけど、やっぱりMADと東方手書き劇場が主軸だったかなー。





みんなはどうなのかわからないが、俺の予測だとハマっているコンテンツがまずあって(つまり特定アニメ漫画音楽小説があって)、

それを共有することや二次創作的な作品を見たい・作りたいって思いからニコニコ動画に登録し始めると思う。

俺も東方ProjectFLASH動画で頭を金槌で打たれて人生が震えた人間なので、その一人といえば一人なのかもしれないが、

しろニコニコ動画で昨今のサブカル(主にアニメ漫画的な意味で)の流行を知って、それらにハマっていった記憶が強い。

イカ娘とか超電磁砲とか日常とか。あずまんが大王なんか、空耳ケーキのMAD見てなかったら存在も知っているかどうか怪しい…ってのは言いすぎかもしれないけど、多分「これは名作なんだな」なんて認識は

確実になかっただろう。

特に深夜アニメ放送という概念存在しない都道府県に生まれた身としては、身につきすぎたぐらい身についたのではないかと思う。

俺はそうして、サブカル(主にry)に関する基礎中の基礎となる知識を身に着けていったわけだ。

ニコニコ万歳ニコニコのおかげで人生変わりました!



そんな生活をする中で、今までの勉強量という貯金を切り崩して見事よくわからん国立大学合格したわけだが。

まわりが「よし!大学生活遊び放題だね!」と言ってくれる中、俺はそんな楽観的な観測はとてもできなかった。

その頃にはもう就活生の悲喜こもごもが聞こえ出していたし、そもそも大学選びの時点で俺はものすごく憂鬱だったのを覚えている。

「お前はこれから自分の足で立って、自分の足で生活して、自分責任のもとで生きていくんだ」と宣告されているような気がしたから。

それを好意的に受け止める人種がいることも、今は知っているが、でも大体の、敗北を知っている少年少女たちは、青年たちは、不安と不安でいっぱいだったんじゃないか?

同意を求めてみるテスト





悲喜こもごもの悲に入ってはダメだ!、と自分なりに大学生活でやらなきゃいけないことを色々意識して、頑張って頑張っていい社会人になるんだ!

ぐらいには頑張ろうと息巻いていた。たくさん読書して、たくさん学部の専門科目を勉強して、できるだけ早く単位をとって、卒業研究も今のうちに足場を固めてしまって…

もうおわかりだと思うが、結局どれも実現しなかった。4年間通して。草生えますな。





機会損失という概念がある。なにか始めるのには、結局何かを、上で書いた例だとケーキを諦めなければならない。どのケーキがどれだけなくなるのかがわかっていればまぁあきらめも付くというものだが、なんと失ったケーキの種類も量も正確にはわからないというのがこの世のニクイところである

俺は大学生活というあまりにも貴重だとわかりきっている時間に、勉強も遊びも将来の担保も全部全部つめ込まなければならないと思うあまり、何にも手が出せなくなってしまったのだ。何かを諦めるという、その勇気がどうしても出せなかった。

と書けばなんだかかっこが付いたふうだが、単にやる気がなかっただけだと思う。根性がないよね。だって全部詰め込んでる人は、それこそネットを探せばいくらでもいたし、周りにもそういう人はいたんだから





一日一日を後悔しながら、ニコニコ動画を始めとしたネット文化サブカルへはもっとハマっていった。そこで、俺はサブカルには詳しいんだぜという変な自負心も生まれかけたんだけど…

大学の友人たちが、そんな自分のちっぽけな自負心をも打ち砕いていった、という、またテンケテキテキなパターンになった。

一人は俺よりニコニコ動画歴が長く、尚且つ知っているジャンルもあまりに広く、信じられない程深かった。それに、プラモデルゲーム、その他のサブカルにも造詣が深く、もう尊敬せざるを得なかった。

二人は一つのジャンルを突き詰めに突き詰めていた。宇宙語と俺には思われる言語で会話して、なおかつ他のサブカルに関しても基礎的な知識をちゃんとおさえていた。

なにより、ひねくれた俺よりよっぽど常識があって、性格のいい奴らだった。

もう俺は、ひねくれて性格が悪い上に唯一ほかより得意で知識のあるネット文化サブカルですら圧倒されているこいつらはなんなんだ。そんなことよりそれに比べた俺の価値の無さは何なんだ…唯一深い知識があると思っていたジャンルにすら引けを取る俺の価値の無さは…

そんな感じのタコツボ化でもう自分がいよいよ嫌になったり、ついでにニコニコばっかで学業をまともに修めていない自身の将来の不安がますます増えていったりした。






突然だが、俺の将来の夢はマンガ家だったりする。

上記の偏歴を見ればまぁ予想はつくだろうが、好きなマンガを描いて楽しく生きていきたい。そういう意味では、マンガ「家」ではなく、「趣味マンガ、なのかもしれない。

その他にも、MADを作ったり、音楽で既存の好きなゲームリミックス作ってみたり、SSみたいな小説を書いてみたり、3分くらいのアニメ作品を作ったり、スレを立ててコピペとして受け継がれる書き込みしたりと、そういう、ネットサブカル文化に深く関わって生きていきたいと思って生きている。

そして、そういう活動を、大学のうちに出来たはずなのだ。出来たはずなのに…




思えば、学業も、ニコニコアニメマンガ小説・絵その他ネットサブカル文化に関する活動も、資格取得や就活等の将来に対する投資も

なにもかも、なにもかもが中途半端大学生活だった。

中途半端どころか、自分のやりたいこと・やるべきことが何も達成できない、真空もびっくりの空虚な生活になってしまった。

4年間だ。4年という歳月をだ。

願うなら、この後悔を一緒に大学入学のあの日に持って行って、もう一度やり直したい。

いやそれができるのなら、高校入学のあの日まで行って、部活選びをやり直して、もっと必死に勉強したい。

いや、やっぱりそれが叶うのなら、中学入学のあの日まで行って、やっぱり部活選びをやり直して、もっとまともな交友関係を築きたい…




思えば、俺がアニメにハマったのは、マンガにハマったのは、ニコニコにハマったのは、Flashにハマったのは、東方Projectにハマったのは、エロ同人にハマったのは、18禁小説にハマったのは、PSPでネットに助けを求めたのは、

結局何かから逃げ「続けた」からじゃないだろうか、と、今振り返って考えてみると思う。

なんだか、この文章を書く前と結論が違っているような気がするが、やっぱり文字に起こして出力してみるって違うんだね、と。

学校での日々のイジり(悲観的に捉えれば、いじめ?)や勉強からストレス、将来への得も知れない不安から唯一開放されていた、このPCの窓。そこから広がるインターネッツ

そういえば、今これを書いている時と同じような、肌寒さもいよいよな低音の中、ひたすら「インターネットしていた」な。あの頃の俺は、何かのバランス感覚を失っていたんだと思う。

そしてそれは、社会人として仕事に勤めている今にも、強い影響力を残している。

帰ってからもずっとネットにかじりついてるし、土日はほとんど外に出ないで、頭が痛くなっても構わずアニメを見て、マンガを見て、MADを見ている。





別にそれらは、異常なことじゃない。もともと、異常か正常かということを言い出すこと自体、なにかものさしを使っているということだ。

この場合、俺の今住んでいる地域で、コミュニティで、ちょっと異常だということが言えるくらいで、さして間違った生き方ではない、と俺自身は思う。

思うが、それは、きちんと仕事趣味を両立して、充実した人生だと思えるような、色々な意味で自立した人間が生きるべき生き方であるとも、誰よりも俺自身が思う。

そして何よりも、俺自身が、今、そうではない。




今、実は岐路に立たされている。時間は1年と無い。始めの方に書いたように、具体的にどんな岐路なのかは書かないが、やっぱり岐路であることに変わりはない。




先日、俺が大好きなブログで、戦後70年テーマ的なものにして、ブログ主がこういった趣旨のことを書いていた。

戦後左翼思想家は、敗戦の総括をしないと前に進めないといって、政府が現実の問題を四苦八苦して解決している中、ずっと空論や理想論を掲げ続けてきた。戦争とは、平和とは、と。それも戦後半世紀近くずっと。それは、理想論を突然語り出す中高生と同じ。自身の親が抱える現実的な問題に、いつか自分もぶつからないといけないんだと知った時、現実逃避して、問題を先送りにしている。その中高生たちとおなじだよね。」

前半の思想家の部分が本当なのかどうかはともかく、大事なのは、後半の「問題を先送りにしている」という部分だ。

俺はおそらく馬鹿であるため、理想論など掲げることもなく、ただひたすら目の前の問題を見ないよう聞こえないようにするために、ひたすらネットサブカル世界に没頭し続けた。

そして、大人に「なってしまった」今、その先送りにした問題が、いま目の前に、もし解決していた場合と比べてとんでもなく性質を悪くして立ちはだかっている。




ところで、最近キルミーベイベー熱が再燃した。どしたのわさわさなんでもなーみん。あの歌詞にあんな深い意味が込められていたとはね…

そんなキルミーベイベーにハマるキルミストたちがいつも貼る、あのチャーリー・ブラウンのAAをみんな知っていると思う。

(崩れちゃうかな?)

      ,, _

       /     ` 、

      /  (_ノL_)  ヽ

      /   ´・  ・`  l    キルミーベイベーは死んだんだ

     (l     し    l)    いくら呼んでも帰っては来ないんだ

.     l    __   l    もうあの時間は終わって、君も人生と向き合う時なんだ

      > 、 _      ィ

     /      ̄   ヽ

     / |         iヽ

    |\|         |/|

    | ||/\/\/\/| |

もう、死んだんだと思う。何とは言わない。言わないが、俺ももういい年なんだ。

もうあの時の、Flashニコニコ東方Projectにハマっていたあの時の輝きに満ちた時間はもう終わっていて、もう死んでいて、もう腐っているんだと思う。

俺ももう、人生と向き合うときなんだと思う。いい加減。

逃避し退避し、遠ざけていた人生と、強制的に向き合う時期が来てしまったんだと思う。





それに加えて、アニメも、マンガも、ニコニコも、ここ最近そこに割く色んな意味でのリソースなんか無いことに気づいた。

そう、俺は、ネットサブカルを愛す、オタク足り得なかった。

岡田斗司夫が、「強いオタク」と言っていたが、この定義からすると、ありとあらゆる中傷があっても、理論武装でも何でもして、自身オタクであるということを保っていくことこそが「オタクである条件だった時代があったらしい。

正直、それは今も変わらないところがあると思う。どんなに仕事が忙しくても、どんなに私生活が忙しくても、アニメを、マンガを、ラノベを、その他サブカルに使う時間と金だけは絶対に惜しまない、その体力だ。

俺には、そんな心の強さも体力も理論武装するような頭も、何もかもが資格不足だった。

もともと俺には、向いていない趣味であって、生き方であったということを、ここ数年間で、嫌というほど味あわされてしまった。こんなにネットサブカルに関わるあらゆる物事が大好きなのに。

でも、資格が不十分だった。ちょうどある一定の身体条件を満たしていないと、宇宙に行くことができないように。目が見えないと、運転免許が取れないように。

俺には仕事と炊事洗濯等の基本的私生活を送るだけで、どうやら大半の脳のリソースを使ってしまうようで、そこにネットサブカルを放り込むと、何もできなくなってしまう。どんなに頑張っても。

現実は、そういうことだった。





俺は、大したことのない、ただの平凡の、平凡以下の、ただの、しがない人間だった。

一発逆転の、いきなり三千院状態にならない限り、俺は大好きなマンガにもラノベにもアニメにもゲームにもイラスト制作にもMADにものめり込むこともできない、まとめサイトで斜め上からのニヒルでひねくれて皮肉が効いたあの空気を共有することもやっとの、平々凡々とした、無趣味な人間だった。





とりあえず俺は、目についた片っ端のウェブサービスからアカウントを消していった。

TwitterやらPixivやら、ニコニコ動画でのチャンネルも次々退会していった。

そして、ニコニコ動画のものアカウントの出番であった。


思えば、高校からずっとの付き合いだった。

俺はニコニコで笑い、考えさせられ、知識と知恵を学んでいった。

ニコニコは俺の青春のすべて、とは言わないが、俺の青春の明の部分であり、花であり、やっぱりほぼすべてだった。

音楽も思考も動画コンテンツも、そしてそういったものの質の善し悪しも、全部ニコニコやそこから派生したものから学んだに他ならなかった。

ニコニコネタを通じて大学で無二の親友たちができたし、どんな嫌なことがあっても、ニコニコがあったから笑って、なんとなく流して、なんとかやってこれた。

ニコニコは、やっぱり俺の人生を、とんでもなく支えてくれたと同時に、俺がダメなハマり方をしたせいで、こんな状況を招いてしまった。

から、これまでと決別し、これからを生きていくために、

俺はニコニコ動画を、退会した。




もちろんニコニコ動画と決別するわけではない。ましてや、俺の思考や趣味趣向の基礎基本を叩き込んで、教えてくれて、俺を最高に楽しく生かしてくれた、ネットサブカルと決別する気なんか毛頭ない。

今は、あまりにも色々なもの脆弱から、距離を置くだけだ。

いつか、経済力も、思考力も、精神力も、色々なものが「大人」になってからそれから戻ってくる。それだけの話だ。

文字にするのはそれだけで、実行していくのは、きっととても遠い話だ。

しかしたら、一生戻ってこれないのかもしれない。

それはそれで、そういう運命だったというだけもお話だと思う。運命という言葉がなんかアレなら、その程度の才能、身体、能力、DNAしか持っていなかった、というだけのお話なんだろう。

先ほど上げたブロガーの言を借りれば、人類の生きてきた何京通りのパターンの中で、たまたま幸せになれなかったパターンを引いてしまった、それだけなのだと思う。

それでも、俺はニコニコに戻ってくることを、ネットサブカルの中で再び熱狂する日に戻ってくることを目指して、どんな手を使ってでも、(いくらかの倫理と法律を守った上で)脳みそパンパンになってはじけ飛んででも、突進していきたい。


とりあえずそのために卒業式自作自演し、なんとか卒業していった。

24歳、学生でした。
















そういえば、ニコニコ動画アカウントを削除するにあたって、特に好きな東方手書き劇場動画と、懐かしのFLASH動画まとめ動画をみていたわけだが、

Flash動画の中でも、知っていたものは良くて半分くらいだったのが、ちょっと衝撃だった。

「おいおいこれを知らないとはモグリのにわかめー」と、Flash職人であるポエ山の作品「quino」を知らずに友人にからかわれたことが一度だけあるが、それもわかる。

代表的な一部の有名作品の一群ですら、俺が知らないものがたくさんあったのだから

2015-11-17

悲しさに躓いても真実を見ていてね そのままの貴方でいて

大好きなその笑顔 曇らせてごめんね 祈っても時の流れ早すぎて

遠くまで流されたから戻れなくて

ah 穏やかな輝きに彩られ、歳月は夜を夢に変えるみたいだから

2015-10-08

http://anond.hatelabo.jp/20151008190134

ラジオ深夜便を聞きながら朝刊配達を3年半。

誤配と叱られる癖ができ(いやけっこう前からこの癖はある)。

紹介されたアパートは隣に老人2人と手前は2部屋借りたババア一家、に囲まれた、大学から15キロ離れた風呂なしボロアパート

同郷の配達員が売り上げ部数水増しの件で所長(60歳で子どもを設ける謎性欲)をゆすって金を取りドロン。

その後なんかひどくドタバタして僕は僕で未払いの奨学金40万を請求し受け取り転居のち失踪。

おそらくいろいろ呪われた挙げ句の果てだろう(60歳で子どもを設ける謎性欲の所長が呪わないはずはない)大学中退

それから11年の歳月が流れ現在ワープア惑星にいる。



グーグル地図を見るとボロアパートは取り壊されレオパレスになっている。

巡る巡るよ搾取は巡るきつつきせつつき繰り返し今日別れたマレビトたちも巡り巡ってのたれじぬよ。

2015-09-21

げつげつげつげつげつようび~月日は薄情~歳月は無情

2015-09-06

もしもし亀よ亀さんよ

教師「みんな友達でしょ!」

いじめっ子「ククク・・・・なあ・・・坊主、聞いたか。俺らって友達らしいぜ?」(ここで腹パンチ)

いじめられっ子友達なのにこんなことするなんて誰にも聞いてないこの孤独に僕は震えるだろう」

教師「とにかく仲良くしなさい!」

図書館司書学校が辛いなら図書館にいらっしゃい・・・・」

いじめっ子「僕学校が辛くて」

図書館司書「そう・・・ゆっくり本を読んで考えるといいわ」

いじめられっ子「あっいじめっ子図書館司書鎌倉ラプソディー!なんてことだ僕はまた裏切られた!」

いじめられっ子の父「そうか辛かったな一緒に自殺しよう」

いじめられっ子「父さん極論としてそれは正しいけれども例えば僕が落下して破裂する飛び降り後の肉片に宿る一匹の虫がいじめっ子を退治してくれる可能性は低い」

いじめられっ子の母「その意気があればなんでもできるわあなたはそうね・・・総理大臣になるといいわ!

いじめられっ子それから何年の歳月が流れたろう僕は国会議事堂安倍晋三をやっている」

いじめっ子「あれから何年の歳月が流れたろう俺は国会議事堂麻生太郎をやっている」

教師「教え子の過ちを許してはおけないそしてあのとき私の判断は間違っていた」

いじめられっ子先生、僕は安倍晋三ですから我が国に脅威が迫る前に先制攻撃もできるようになったんですよ我が軍で」

図書館司書「辛いなら図書館に来るといいわ・・・・」

いじめっ子司書さん、日本ナチスを見習ってはどうだろうか」

図書館司書「そんなのとっくに見習っているわよ」

2015-08-21

朝鮮国防委員会政策日本首相の「戦後70周年談話」を非難


平壌8月19一発朝鮮中央通信朝鮮民主主義人民共和国国防委員会政策局は19日、次のような内容のスポークスマン談話を発表した。

去る14日、日本首相安倍が「太平洋戦争敗戦70年談話」ということを発表した。

これに先立ち、日本首相官邸で行われた閣僚会議のでは安倍のが「談話」を政府公式立場で決定したとする。

日本敗戦70年と関連した阿部の「談話」は当然、我々人民アジア人民永遠に散って負けない甚大な被害苦痛を与えた血なまぐさい罪の過去痛切な反省と石膏の大罪で一貫されるべきだったのだろう。

しかし、安倍の「談話」が発表されるやいなや、内外の憎しみと怒りを醸し出している。

それは「談話」の内容が日本の罪科を必死回避してむやみに上書き捨てどのように一つ軍国主義の亡霊をキャッチアップはヒュンシムに満ちていたかである

阿部は、まず「談話」で、19世紀西洋諸国植民地支配の余波がアジアにもが黙って世界的な経済恐慌が発生して大きな打撃を受けた中で、日本大勢に沿って「力の行使」に、これを克服する目的で「戦争への道に出た。」というふうに、日本海外侵略が避けられない選択のようだが合理化して出た。

また、「どのような行為侵略に該当かに対しては、歴史家たちの論のに任せなければならない。」は、とんでもない詭弁で2年前、「侵略定義は決まっていない。」とマウスピース妄言が不変の立場であることを二もなく公開した。

これは過去の罪を認めないという露骨な宣言や相違ない。

阿部厚顔無恥にも「日本人口の80%が戦後世代として、それらに謝罪を続ける宿命を消してはならない。」とマウスピースでありながら過去歴史に対する謝罪がよりはないことを公の場でジュウェチョ待機もした。

それに歴史歪曲国策として定め、過去の罪を美化するために総力を傾けている真意がどこにあるかを自ら明らかに見えた。

人類被害を与えた前の犯罪には時効がありえない。

罪に満ちた過去反省は決してしてもされてなくてもされているいたずら距離ではない。

オマンバンジャた安倍は、過去をオムルチョクしてしまって、まるで日本敗戦した後は、「平和国家」として "不全の誓い」を堅持してきてどのような紛争にも反対し、「法の支配尊重」してくるもの国際社会で「自己責任"を多きリョクソルまくっ。

それとともに、今後もその何が "積極的平和主義」と「国際協調主義」の旗を持って、世界平和安全積極的に貢献するという饒舌を並べた。

開始から最後まで終始に犯した罪を隠蔽、縮小、回避した阿部の「談話」は、私たちの自主権尊厳国際的定義人類良心の正面挑戦である

今、世界日本代表する阿部のみすぼらしい姿を介して、昨日の日のファッショ日本今日日本反動破廉恥しガントゥクししつこくスロプギこれにないサムライアクジョンの集合体に過ぎないことを改めて実感しながら驚愕と怒りに値を震えている。

日本国内でも「謝罪を全く言及していない欺瞞的な内容」、「引用の形で言及して首相の考えを埋めておいた談話 "、"歴史認識を変えようとする意図」という不満と非難の声が激しく響き出ており第3国でも「日本の罪科を認めた村山談話で完全に後退した言語的しゃれ」に酷評した。

しまいにたらアメリカですら「不十分であるリンゴ」という評が注ぎ込まれ傀儡さえ過去侵略植民地支配のための真の謝罪反省の代わりに "外交的捜査責任回避のみ没頭した談話」と非難のであろう。

談話」を発表した阿部は、敗戦国首長としてジトスグリーンみすぼらしい姿ではなく、まるで貝をもたげ舌をペロペロながら毒を洗い流す日本産蛇のままであった。

かつて日帝によって無言できない悲惨な人的、物的、精神被害を受けた朝鮮人民の怒りは抑えられないほど恐ろしく急増している。

なぜ国の野蛮人たちが私たちの国の秘法的な強みと40余年間の中世的な植民地統治期間犯した永遠大罪は、そのときに行っても消すことができてもガーリー泣くこともできない。

いくら歳月が流れ山川が変わるといっても、この地に住んでいるどのように誰100万人の無実の命を屠殺て840万人を強制連行して殺人的な奴隷労働強要し、20万人の恋人若い女性日本軍性奴隷にした特大型半人類犯罪を忘れだろうか。

私たち民族の悠久五千年の歴史伝統はもちろん、朝鮮言葉と文字、朝鮮人の姓と名も抹殺しようとするあくどい朝鮮民族抹殺政策も、檀君朝鮮の基折れ合図秀麗山河のあちこちを包んで通って鉄杭を打ち込みた想像外の罪も、私たちの国の標準的時間さえ奪わして流れる歳月さえ、日本のものと、作成した邪悪な策動も古今東西に類例がない最も野蛮で非道ものであった。

日本が犯した反人類的な犯罪シルク私たちの国でだけでなく、東北一帯と管内を含む広大な中国大陸をはじめとするアジアのあちこちで敢行された。

いたるところで千秋の1つを残した前代未聞のチョンインゴンノする罪を謝罪するどころか、むしろ歴史のラクヨプ中上書きてしまおうと、あらゆる権謀術数にぶら下がっ阿部は狡猾成果好戦性が血統的に遺伝され極右反動思想政治信条に体質化一現代サムライの典型である

振り返ってみると、阿部が再侵略主に疾走する軍国主義馬車の御者座を占めてすぐくっついたもの第二次世界大戦後、そのいくつかの武力的な脅威や使用もできません。軍隊を使えば持つことができなくなった戦犯国、敗戦国としての法的地位権を全面否定する憲法改正であった。

同時に「周辺有事法」、「有事関連法 "、"テロ対策特別措置法」などをはじめ、海外派兵のための法律的基盤を築き、その実現のために空母打撃団による海洋進出、最新鋭の戦略空手段にによる作戦領域の拡大、「国際平和支援」の名分による世界進出など、国際的支配権軍国主義侵略策動を絶えず拡大してきた。

過去何世紀も前、朝鮮半島ユーラシアの広大な大陸を使い果たしてしまった」東方盟主」として君臨すると轟音デドン軍国主義日本は、今日戦争国家の復活に換装がされて形式上の「非核3原則」さえも吐いてしまって核武装化をしようとする程度分別を失っている。

特に日本の再侵略策動はわが共和国大陸侵略の前哨基地に必ず乗って座って野心でより少ないララにあらわれている。

日本反動層は、「予測することができない核で武装した北朝鮮の脅威」を唱えて去る4月に新しい「日米防衛協力指針」を操作して出して "<集団的自衛権>発動"を通じた朝鮮半島有事の際の介入の名分軍事的条件もすでに完備して置いた。

罪に満ちた過去の延長である人類的反平和的な70年の歴史を「平和繁栄のために貢献」として美化した安倍の「談話」こそ軍国主義日本極悪非道なヒュンチェを表わした毒気中傷である

軍国主義日本は大きく誤算している。

敗戦の奥さんは、敗戦踏襲インポートものだ。

安倍が罪に満ちた過去日本侵略社で痛切な教訓を検索どころか「大東亜共栄圏」の昔の妄想にとらわれているほど順番れそうは歴史の墓である

私たち軍隊人民は、百年の宿敵日本反動に千百倍の血の代価を代を継いで、必ず無条件受け入れられるべきである

千秋万台を置いてでも、日本から必ず謝罪と賠償はもちろん、犯した罪の代価をどのように受け止める行く時間証明見えるだろう。

過去現在を透けてくれ将来を明らかにしてくれる灯りとした。

不適切過去から現在の誤りを是正して、新しい出発をハルジュル知るべきである

今のように全敗局、戦犯として人類に計り知れない不幸と苦痛を挙げるかぶせ犯罪について謝罪と賠償をすべき国家義務を履行していない唯一無二の国で残っているほど、日本特有の狡猾性のまま回避と兔に歴史過去を消しリリョゴ手品をつかうほど70年前にあった惨敗よりも数倍よりすさまじい血の代価を払うことになるだろう。

狡猾にも、米国では、過去の罪について贖罪の真似をすることオムルチョクしてしまって、私たち民族アジア人民の前では、責任回避することがオグランことなんてそもそも捨てること。

いくらアメリカにぶら下げても、日本政治的には小人の国であり、経済的には、膨らんだ泡が消え始めた没落の国である

人類の警告を無視した場合落日の境遇から絶対に逃れることができないということを心に留めてなければならない。

この惑星永遠に消えて下る悪夢のような空をあわないば安倍朝鮮人民と人類の前にひざまずいて犯した永遠大罪について無条件に謝罪してソングンヒ賠償するものと罪の過去を繰り返さないという実践意志を示さなければならない。

世界に向けた再侵略の毒を洗い流す軍国主義安倍日本精神を弁えなければならない。

それ破滅へと疾走する日本を救うことができる最善の方策である

軍国主義である安倍日本は、この厳粛な警告の前に熟慮しなければであろう。

主体104(2015)年8月19日

平壌(終わり)

2015-05-25

ソープへ行っても何も変わらない

過去、同じようなことを言われていたらごめんなさい。

初めての投稿で、少しドキドキしてます

初めてなんです♪、って言えば優しくしてもらえるかもしれない、みたいな打算的な期待もしています



巷でよく、「ソープへ行け」みたいな言説があるじゃないですか。

ぶっちゃけ、あんなの嘘っぱちですよね。

ちょっとくらい体験させてもらったくらいでは、何にも変わりやしませんよ。

ただただ絶望が増すだけです。

しかに女の人の体は柔らかいし、細いし、ぬめぬめしてるし、気持ちいいというのは間違いないかもしれません。

指先でそっと撫でられると少しひんやりしてくすぐったいし、自分からは見えないので背中を撫でられたのだか舐めてもらったのかわかんないけど不意にびくっと反応しちゃったりして恥ずかしくなったりもします。

けど、自分右手に馴染みすぎて黒ずんで皮が伸びきったような鈍感息子にとっては、なんというか、そこまで特別な刺激ではなかったような気がします。

くぱぁと開いた神秘洞窟に侵入させてもらっても、これで俺も晴れて大人の男だ、みたいな感慨もなく、あー、うん、こんな感じなのかー、みたいな、なんかふわふわしたような、現実味の無さ。

跨がってもらって、汗だくになりながらも腰を上下スクワットしてくれて、胸のあたりのふにふにした物体が2つ別々に弾んでいるのをぼんやり眺めていると、あー、俺、なんでこんなことしてるんだろー、とか思索に耽りそうになります

振動方程式だか波動方程式だかって何だったかしら、とか、知りもしないことを思い出そうとしてみます

なかなか至らなくてしびれをきらされたのか、攻守を交替してもらって、くびれた腰をおっかなびっくり掴んで、やや反り気味のしなやかな背中と浮き出た肩甲骨と首からうなじ、後頭部の曲線、汗ばんで乱れて揺れる髪の毛を見ながらも、

少しばかり俯瞰というか、自分の後頭部の更に斜め後ろくらいにカメラレンズを設置したような、幽体離脱して自分背中越しに眺めているような感覚に陥って、なんだかものすごく滑稽な格好をしているように思えて笑ってしまいそうになったりします。

アスタリスクを見て、猫でロックな解散芸を思い出してしまい、あまりにも場違い妄想でかき消したくなります。ΦωΦ

相手方も、あん♪あん♪、と嬌声を上げてはくれたりするわけです。

だというのに。

にもかかわらず。

あー、これって、演技してくれているのかなー、みたいな。

なんだか気を遣ってもらっちゃったのかなー、みたいな。

どうにも居たたまれないような気持ちになってしまいました。


エロマンガで見るような、クソデブキモオヤジみたいなのが突然奇跡の力に目覚めて、女の人をアヘェとか、おほぉぉぉとか、させてあげるようなことなんてできるわけがないんです。

30を過ぎたからといって、魔法なんか使えないわけです。

制限時間が迫っても一向に機能を発揮しようとすらしない、ローションにまみれてテカテカした皮余りの愚息を、どうにか作動させようとばかりに、ひんやりした小さな手でさすさすと擦ってくれるわけです。

最後には、向こうが悪いわけでもないのに、ごめんね、ごめんね、と謝られたりしてしまって、更に居たたまれなくなるわけです。

ほんと申し訳ないですし、自分が情けなくなります

金銭を無駄にした、みたいな後悔ではないはずだと、自分では思います

それに見合う労働はしてもらいましたし、自分にとっても貴重な経験にはなった、と思いたいです。

ただ、「まだ俺は本気出してないだけ」だったはずなのに、もしかしたら本気を出したところで何もできないのではないかという無力感に苛まれているだけです。

きっと何者にもなれないのです。

世界革命されないのです。

卵の殻を破らねばひな鳥は生まれずに死んでゆくかもしれませんが、卵の殻を破ることができても死んでしまうひな鳥もいるのです。

甲斐ない。

つらい。

虚しい。

こんなつらい気持ちになるなら、いっそ、知らずにいればよかった。

知りたくなんてなかった。

世界は優しさに満ちていて、だからこそ、残酷です。

彼女にとってみればお仕事だったのかもしれませんけれども、あんなに汗だくになってまでしてくれたのは、決してなおざりものではなかったはずですし、それはきっと彼女自身の優しさだったのだろうと思います

からこそ、それに応えられなかった自分が情けなくて、不甲斐なくて、悲しい。

至らず、ほんと申し訳ありませんでした。



結局、こじらせた中年男がソープへ行ったところで、何も変わりません。

無力で何もない自分を思い知るだけです。

エロマンガエロビデオから仕入れた虚構にまみれた嘘だらけの知識だけ持っていたって、何の役にも立ちません。

敢えて若い人へアドバイスするなら、こじらせる前に済ませておきなさい、とは言えるかもしれません。

こじらせてしまってはもう、手遅れです。

将来、といっても老い先は短くなりつつありますが、万が一にでも伴侶となってくださる人がいたとしても、その相手にまでこんな負担を掛けてしまうことになってしまったら、その伴侶となってくださるかもしれない方に対しても申し訳ありません。

肥大した自意識の化け物に飲み込まれしまって、どうにもなりません。

ソープへ行っても、何も解決しないどころか、余計にこじらせてしまったような気すらします。




それでも、

それでも、俺は、

俺は、本物が欲しい。

努力とかしたくないけど、本物だけ欲しい。

痩せる気もないし、育毛する気もないけど、本物を手に入れたい。

楽して、ありのままでワガママで欲張りで自分勝手自分のままで、クソデブハゲチビキモオヤジのままで、美味しいところだけ吸い上げて生きていきたい。

青年なんちゃら隊に入って海外へ行こうだなんて思わない。

消え去りたい。

透明になりたい。

ワタシはスキをあきらめない。




※追記(2015-5-31)

たくさんのトラバブコメありがとうございます。返信の作法がよくわからなくて右往左往してましたけど、追記という形に致します。



まず、ひとつ釈明すると、この時は同僚に連れて行ってもらいまして、自分意志で行ったわけではありませんでした。恥の上塗りではありますが、ますます受け身でしかない自分に気が滅入ります。事前の心構えができていなかったので、オナ禁してからならばまた違うのでしょうか。次の機会があるとしたら、留意します。

恥ずかしながら、北方謙三先生のことを存じませんで、ネットで流布している慣用句か何かだと思っていたのですが、元の発言者がいらっしゃるのですね。著書等を読めばもう少しその言葉真意理解できるのでしょうか。

皆様のアドバイスが身に沁みます。とくに、ちょっと今は見当たりませんでしたけれども「気づいたんだ、僕からキスをすればよかったんだ」というコメントにハッとしました。みるん王子。俺はユリ熊嵐の何を見ていたんでしょうかね。恥ずかしい。ゲスゲス

はいえ、クソデブハゲチビキモオヤジなんかがいきなりキスでもしようものなら暴力沙汰で訴訟になりかねないので自制しますけれども。

「感じなかった」とか「たいしたことない」という感覚であったのは確かなのですが、別に気持ちよくなかったわけではありません。他人と密着するなんて体験はこれまでほとんどしてきませんでしたから、なんというか、その、くっつくのってそれだけでドキドしますし、ふわーっとしたような、ああこれが「幸せ」ってものなのかなー、みたいな感覚にもなりました。『彼氏彼女の事情』に、ただぎゅっと抱き合うだけで充足されるみたいな場面がありましたけれども、ああい感覚を初めて実感できたというか。

こんなにいいものだったとは。もっとはやくすればよかった。

ただ、その「たいしたことない」ことですら、まともにできなかった自分が情けないといいますか。彼女お仕事としては「フィニッシュ」という目に見える形での成果こそが必須だったと思うのですが、それを為せなかったのが、双方にとって心残りになってしまったように思います。皆様がおっしゃるとおり、自己流をこじらせた結果、鈍くなってしまっているのだと思います。こればかりは、こじらせてきた歳月の長さ、重みを思い知らされた気分です。


皆様から「変わった」と言っていただけると、自分では自覚できていないものの、何か得ることができたのかもしれない、とは思えるようになりました。あとは、俺自身がどうするか、どうしたいか、ですね。まだ何も見えてはいませんけれども。


他所様ですが、http://togetter.com/li/828262 こういった報告を読むと、若いって素晴らしい、眩しいと思います

藤子F先生の『未来ドロボウ』みたいな気持ちになります。いや、そんな大した財産も無いわけですが。

2015-05-04

http://anond.hatelabo.jp/20150504012955

32年周期で永遠に終わらないゴールデンウイークがあるってこと知らないの?

みんななんのために32年も無駄歳月を費やしたと思ってるの?

この32年に一度のビッグウェーブに乗るためだろ?

お前はちがうのか?

載らないのか?このビッグウェーブに!

2015-01-02

Natural Color Phantasm Vol.06 『墓場まで45分~1999年上半期総括』

■本文。

 今年上半期の美少女ゲーム業界を見渡すと、市場の拡大に伴う、保守化の流れに向かいつつある感がある。これは、おたく業界全体が内包している問題ではあるのだが、正直な所、拡大する市場を追いかけるのは既に辛くなっている。個人的にも、久々に行った秋葉原で、ギャル絵の洪水に立ち眩みがしたのも確かだ。

 さて、コンシューマ市場肥大したが故に、一般性の高さが必然となっていった。例えば、ドリームキャストの失敗は、古くからセガファンが放つ、マニアック重力から作り手の側が脱する事ができなかったが故の悲劇とも言えるのだが、一般性ばかりを追い求める状況は、作り手の側にも不満が蓄積されていく。

 その、取り残された創作性を実現させる場所として、美少女ゲーム業界が成立したという背景がある。実際、筆者が一番面白かったのはDOSからWINDOWSへ移行する過渡期で、けったいな野心作が多く出た時期だったのだが、その後、市場として、成長・拡大すると、やはり、メディアミックスなど、資本主義的な視線が入り込んできた。

 そして、今の美少女ゲーム業界は、昨年来からレーベル数の増加と、タイトル数の増加と反比例するように、ゲームジャンル多様性が失われる傾向が生まれている。タイトル数の増加の背景に、発売サイクルの短期化があり、制作期間の短縮に伴い、システムシナリオ練り込みが薄れている作品も多い。バグなどの不具合の発生が日常茶飯事になっていて、インターネット上での差分ファイルの配布が流行している現状に至っては、もはや何をいわんかや、という感じでもある。

 不幸中の幸い、筆者はそういうゲームにあまり遭遇したことはないのだが、シナリオ練り込みが足りない上に、一時間程度で終わるゲームの為に一万近い金を出すのは、効率が悪いよなあ、という心境は間違いなくあるだろうと思われる。また、メイドもの恋愛ゲームタイトル数の半分以上を占めるという状況では、やる気そのものが起きなくなってくるのは事実だ。

 まあ、メディアミックスを基盤とした企業複合体のシステムに組み込まれ大手では、実験的な企画はほとんど通らないという話もあるし、一獲千金を狙う中小メーカーも、安全パイの企画しかさない所が増えた。市場が拡大すればするほど、ジャンルが逆に淘汰されていくというのは、当然と見るか、皮肉と思うべきなのだろうか……。

 このような、メーカー側の風潮と相互作用しているであろう、ユーザー側の意識についても、前回、「オブジェクト嗜好」と指摘したように、非常に即物的な傾向を示している。キャラクターの消費サイクルが非常に早くなっているため、自己内面においての批評的な掘り下げが生まれなくなったのだ。

 既に、ゲーム誌の編集者すら、全体を把握しきれない程、美少女キャラクターが氾濫している現在市場状況では、その心性に惚れ込むのではなく、快楽的な記号の組み合わせだけで、売れ線のキャラクターが成り立ってしまう。あまりにも多い選択肢対峙した時、人間というのは表層的で直接的な視覚イメージを優先してしまうからだ。

 ところが、快楽的な記号を積み重ねれば積み重ねるほど、どんどんキャラクターフリークス化していくし、リアル少女から離れれば離れるほど、逆説的にキャラクターイノセンスを獲得して、ユーザーヒーリングされる……といった構図になっているのだろう。多分。

 何故、おたくセックス観がリアルな肉体から遠く離れなければならないのかを考えると、それだけでこのコラムの3回分になってしまう位に深くて浅い問題なのだが、やはり、日本特殊フェミニズム環境が背景に存在しているような気がしてならない。これほどまでに、二次元美少女を消費しなければならない、内的な問題はいったい何なのかについては、また改めて書くとしても、これらの背景に、戦後日本の構築した、過剰な消費社会ターゲット若者のみに向けられ、若さの素晴らしさや、青春幻想メディアが強調しつづけた蓄積の結果であると思われる。その副作用として、「オブジェクト嗜好」も含めた、おたくの奇妙な性嗜好が構成されているようにも思う。

 これは、日本独自フェミニズム的なものに対する、無意識下での抵抗と位置づける事もできるし、その中で形成された美少女概念現実のズレが生み出した現象ともいえる。現に、美少女ゲームにおけるヒロイン像の大半が、十代中盤の保守的少女に設定されているのは、当たり前と言えば当たり前だが、不自然といえば不自然でもある。だが、少なくとも、筆者はこの状況を全面肯定できるほど、気楽にはっちゃけられないのだ。

 しかし、同じおたくの枠に括られているとはいえ、メタ的なものフェミニズム的な表現を賛美するサブカル好きなおたくと、ひたすら癒しを求めて空想世界依存し続ける昔気質おたくは、明らかに正反対の方向を向いているし、それ故に、前号の本誌「オタク定点観測」にもあったが、双方の感情的な対立も表面化している。だが、前者には普遍化させようという意志が欠けているし、後者には相対化する視点が欠けているので、おそらく、どこまで行っても歩み寄ることはないだろう。

 まあ、自分のことは棚に上げるが、本誌のコラム陣もまた、サブカル否定おたく保守の傾向が強すぎるようにも思うし、最近はあらゆる所で極端な対立が起きるので、さすがにどちらかに与して云々という気持ちも無くなってしまったのだが、おたくという言葉が生まれて、15年の歳月が経ち、その括りだけでは収まりきれない時代になっているのだろう。美少女まんがはそれぞれのニーズに応えようとして、遂に80誌を超えようかという所まで肥大してしまったが、ならば、美少女ゲームはどうなっていくのだろうか?

 加えるならば、前回の原稿を書いている時にインターネット上でぶつかった、萌え派と泣き派の思想的対立というのも、拡大する市場と、それに伴う価値観拡散に伴う混乱、そして、批評軸の喪失といった状況が、結果、ユーザー思想脆弱にしてしまったという意味では、分かりやすい例だと思う。

 快楽記号が多くてキャラクター萌えられるから良いゲームだ、とか、心の琴線に触れて泣けるから、良いゲームだ、というのは、はっきり言って、どちらも同じ穴のムジナだし、良いゲームかどうかを決めるのを、一元的価値観のみに拠って決めること自体が、ゲーム本質を歪めているようにも思うのだ。そして、作り手の側も、「時代がそれを求めている」とかい言葉で、その表層的な状況をそのまま受け入れているようでは……なんだか、ヒヨコが先か、タマゴが先か、といった話になってきたのだが、もう、この世界は良い方向へ向かうことは絶対にない、と言わざるを得ない。これは、鬱のせいばかりじゃないと思うし、美少女ゲームに限った話でもないのだ。

 批評軸の無い世界自由に限りなく拡散していくのだろう。だけども、空洞化した世界には秩序は生まれないし、結局、内面の闇から逃げる為に、無意味祭りを繰り返すのだろう。そして、絶望祭りを行ったり来たりする筆者の心は、まるで墓場酒場を行ったり来たりする沢田研二のような気分なのだダバダバダバダ(意味不明)。

■暑くて憂鬱な夏の総括。

 なんか、またゲームの話をしなかったなあ、このコラム最初普通にゲーム評をやるつもりだったんだけど、すっかり別物になりつつあります。ごめん。しかし、ゲームのことを書くと、褒めても褒め方が気に食わないと文句付けられるらしいので、いっそ全く書かない方がいいのかも知れない。まあ、これは某メーカー広報誌と化した、とあるコンシューマゲーム雑誌で書いている友達台詞なので、美少女ゲーム誌では、そんな事はないと僕は信じているけどねっ☆

2014-11-15

自動車免許取得にはウン十万円。住基カードは500円。

http://anond.hatelabo.jp/20141029041221

住基カード」はどうすれば取得できるの?|住民基本台帳カード総合情報サイト総務省 http://juki-card.com/syutoku/

取得にかかる歳月も段違いで写真付き住基カード圧勝ですね。

免許証身分証としてのコストパフォーマンスは最悪に近いものがあります

写真付き住基カードが最善ですね。

2014-10-06

北日本自動車共販

北海道札幌市にある中古自動車の販売店である

道民にとってはローカルCMをよく流す会社として知られている。

そのCMの冒頭、ミニスカ美脚のお姉さんが車から降りてくるんだけど、この部分、多分20年くらいは使いまわしている。

昔はお姉さんの顔とか台詞とかあったんだけど、バブルっぽい風貌だから、さすがにその箇所は使わなくなったんだろう。

CM北日本自動車共販のサイトから見ることができる。

http://www.kitanihon-car.co.jp/




今日話したいことはこの美脚のお姉さんとその息子のことだ。

以下のなんでも実況Uの日ハム専門スレッドをご覧いただきたい。

http://read2ch.net/liveuranus/1283683322/

462 + 6:今、天王星wiki見てきたら軌道傾斜角(i) が0.774°だった[] 2010/09/06(月) 15:40:00 ID:hIY5TJWR (1/3)

ただいまハム専!向こう(千葉)でゆっくりして今札幌に戻ってきた。

重大発表だが実は俺の母さん「北日本自動車共販」のCMの足なんだぜw知らない?母さん昨日初めて教えてくれたw20年前のCMを未だに流してる企業もどうかしてるがねw

このとおり、お姉さんの息子と思しき人物が2chはなんUのハム専で書き込みしているのだ。

もちろんこの書き込みが嘘の可能性もある。だがこんな微妙な嘘をつくメリット特にないだろう。

妙な本当らしさがこの書き込みにはあると、私は思う。



美脚のお姉さんは20年の間に母になり、息子も2ch書き込みするくらいに成長している。

あのCMの脚は私のものだ、と初めて息子に教えた母はどんな気持ちだったのだろうか。

私はこの発見で、20年の歳月というものに思いをはせている。

美脚でならしたバブリーな女性が、母になり、多分今も札幌に住んでいる。

時の流れに、悪い意味でもなくいい意味でもなく、ただなんだか切ない気持になる。

2014-04-30

10年いたベンチャー企業卒業した。

http://note.mu/katagiri/n/n6f415407a873

大企業で働くこととベンチャーで働くことの大きな違い

少し前のエントリだが、この感覚はよく分かる。

ベンチャー企業人格経営者のもの

ベンチャー企業経営者意志

そのまま社員への評価になり、全体の雰囲気を覆う。

社長価値観や考えと、自分乖離してきた場合、合わせ続けるのは辛い。

会社の変化と自分の変化

在籍している10年の歳月に、小さな船だった会社フェリーくらいになった。

一方、結婚出産時短勤務と自分環境も大きく変わった。

長時間労働があたりまえの環境

世の中よく働く社長は多いと思う。

私がいた会社社長も、休日深夜問わず働いていた。

同様に、遅くまで残っている社員は「あいつは頑張っている」と見られる。

計画を外れていくのは社員責任ではないと思うが、

予算が未達なのだからみんなで頑張るしかない。(のだろう)

頑張っている姿を見せるのが大事である

この10年、変わらない風景だった。

効率よく働くことに対しての評価軸

まだこの会社にはないし、成熟していない。

多様な働き方を許容し、評価できるほどの経済的余裕もない。

前述したような印象評価が大部分を占める。

個人的な事情妥協

子育てしている自分には、時間的リソースがそもそもない。

無理をおして、深夜に自宅対応したり勤務時間を伸ばしても、さして給料は上がらない。

限られた時間からこそ、責任をもって目の前の仕事に取り組みたい。

自分を認めさせようとやっきになって、

社内政治的なことに心を割くのは無駄と感じる。

鈍感に、居続ければいいと思っていた。それも可能だった。

しかし、どうしても苦しい。

堪え難いギャップを感じるようになった

会社経営者である、このベンチャー企業では、

相手の色に染まり、気に入られる自分を演じ続けるような不自由さがある。

合わせる努力10年し続けてきた。

これまで去って行った人の一部は、その違和感が受け入れられないほどに

育っていったのではと想像する。

相手は変わらない、自分も変われない(条件的に)。

企業人材ミスマッチと結論づけた

誰にとっても居心地のいい環境はないと思う。

現時点でこの企業に合う人材も沢山いるだろう。

マイノリティ存在は斟酌されにくいので、苦境を強いられることも多い。

少なくとも現在自分はこの場所に合ってない。

退職を決めたとたんに、長年の呪縛が解かれたような感覚があった。

自分仕事や働き方、存在意義を前向きなものとして考えられるようになった。

ワーキングマザー理想的な働き方について立派な意見は持っていない。

その都度、自分の中での優先順位を決めて、模索し続ける。

 
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