はてなキーワード: PDCAとは
この増田の認識は間違っていると思う。QC改善系の人材需要ってあんまりない。その理由は主に3つ
①KAIZEN戦士はむしろ余っていて持て余されている なぜかというと国内製造業でこの20年間に国内製造ラインを多数閉めたから。
②PDCAが安易に使われすぎて逆に使えないお題目の典型になっているから。とにかくなんかそれっぽいこと言うときに「しっかりとPDCAを高速で回していきます(いけ)」という言い回しが一時期氾濫した。(数年前にいろんなジョークのネタにもなった「PDCAコマ」「PDCAマニ車」みたいな
③ツリーにもあるが、ガソリン気化器の部品製造のコストを切り詰めるKAIZENをやっていました、ではEV時代に活躍できる人材とは認識されない。ソフトウェアやサービスも同様で、品質改善ための工程ツール改善の必要はあるのだが、ライン製造やっていた人でソフトウェアの品質改善に適性のある人の割合は少ない。
PDCAできない奴はある程度で成長止まるよ
共同通信によって流れが歪んだのではなく、元々日本国民の多くが「自分の狭量さこそがロケット発展を妨げている」という自覚がないことが問題。
シンプルに言えば「人間を相手取って犯人探しをしないこと」だ。
さて、今回のロケット打ち上げにおいて日本人は何をしているだろうか?
大雑把に
・ロケット開発の技術を失わせるような経営的判断をした「人間」を責めている
・技術開発への援助をケチる政治的判断をした「人間」を責めている
・中止になったロケットの再発射の大幅延期を決断しなかった「人間」を責めている
・ロケット製造において十二分な技術力を発揮できなかった「人間」を責めている
・シークエンスの故障について原因を突き止めきれなかった「人間」を責めている
・ロケット開発という不安定な事業に税金を投入した「人間」を責めている
といった所か?
誰もがそれぞれに「犯人になる人間を探している」んだから心理的安全性なんてあったもんじゃない。
こうなるとどうなると思う?
自分を犯人にされたくないから皆が口を噤んだり自分に都合のいい事だけを喋るようになる。
そんなのは嘘発見器にでもかけて真犯人を探せば良いんだと思うだろう?
でもそうじゃない。
それだと上手くいかないんだ。
結局それをやると失敗の本当の原因を突き止めることもできないし、次の機会に事前に失敗を回避できる機会も減るんだ。
たとえば次のロケット開発中に「この設計では上手くいきません」と誰かが発言したとする。
それが本当にまずいことだったとして、心理的安全性が失われた空間ではその意見は黙殺される。
何故ならそこで修正を行えば、その担当者は「再設計を行わせて事業を遅延させた人間」として記録が残り、後になにかがあった時に「そもそもコイツのせいですよ」と吊るし上げられてしまうからだ。
何故ならそうやって「未来の失敗の可能性を先取って指摘した人間」もまた、「事業を遅延させた人間」として記録され、なにかあったときには魔女狩りのリストに真っ先に組み込まれるからだ。
そしてそれは成功したときにさえ「何もしなくても成功したことに余計な手間をかけさせた疑いのある人間」となってしまう。
心理的安全性が低い状態ではあらゆることが「絶対に失敗が出来ないこと」になり、それは結局「失敗を絶対に認めない仕事」になる。
失敗を認めても破滅が待っているのだから、失敗を認めず追求を逃げ切れる可能性に賭けるしかない。
そんな状態でPDCAをガンガン回すようなことが、ロケットの開発ができるだろうか?
誰かが明白に犯人でないというのは、誰にでも責任があった状態とニアリーイコールだ。
そのストレスに耐えられないから、誰かを犯人に仕立て上げるのだ。
全ての罪を擦り付ける生贄を探し、生贄が捧げられたのでもう大丈夫だと思い込む。
なんともスピリチュアルでカルティックな話だが、人間は放っておくとすぐにこれをやる。
「とっさの犯人探しをやらないという不自然」を学習した状態が「心理的安全性が確保された状態」である。
今回のH3ロケットの打ち上げ、その失敗にあえて「犯人」を仕立て上げるのならば、それは「日本人全体の心理的安全性の低さ」にこそあったのではないか?
「本当の失敗」とは、この状態を繰り返すことだが、果たして日本は失敗せずにいられるのだろうか?
誰か力があって賢くていい感じにやってくれる人が日本を導いてくれ
単にマネタイズするためだけとか、物見遊山とか、変な画像を出させてバズるためとか、そういう見方しか出来てない人が結構いる。
でもAIイラストって明らかに創作活動としての面白さがあると思うんだよね。
まず間違いなくソレはプログラミングに近い楽しさを持っていて、効率のいいマクロを作るためのPDCAとしての面白さがまずあるんだよ。
結局は使っている「画材」が違うだけなのよ。
作者が「目的」「テーマ」「道具」「表現方法」「画風」「描写物」「デザイン」「方向性」を決めていって、そうして考えた理想形に近づける作業。
これはある種の感受性を持つ人からすれば「どう考えても楽しい」のよな。
試行錯誤できること自体が面白いし、ループさせられるスピードの早さも面白いわけ、学ぶための環境は揃っているし、やれることは無数にあるわけよ。
結局さ、AIイラストを楽しめない人は「遊び方」を学ばずに今日まで生きてきた人なんだと思う。
実際結構そういうのって多くてさ、究極は「勝つ」「稼ぐ」「褒められる」「生き残る」の4つにしか興味がないタイプの人。
恋愛をする時に「こういう彼氏がいると他の人が羨ましがりそう」みたいな所から入る人や「世間ではこういう人と付き合うと勝ち組とされている」ばかり考えてる人ね。
まあこれについては、学校や社会や親がそればっかり教えて、多くの遊びを「無駄」「将来に繋がらない」で切り捨てたがるのを素直に聞いたらこうならざるを得ないんだと思う。
そういう生き方が別に不幸だとは自分も思って無くて、むしろ凄くシンプルで羨ましいとさえ感じてる。
だって「稼いで褒められて生き残ってそれで勝ち」っていう単にそれだけが目的で生きられるんだったら、人生の悩みなんて寄り道しまくって目移りしてる人の半分ぐらいで済むわけじゃん?
つまりは人生を歩みにおいて有利なわけだから、結局は生き残りやすい人達ってそういう人達なんだよね。
世の中にたくさんいる人達がAIイラストに「遊びとしての楽しみ」を見出す才能、考え方を持ち合わせてないんだから、そりゃまあ結構な数の「AIイラストやってる奴は単に褒められたいだけの手抜きか、楽して金稼ぎたいだけの卑怯者」みたいな風潮も産まれるのかなって。
しゃーないとは思うんだよ。
でもなんつうか、それがこのまま主流になっていくのを見ているのはちょっと寂しいなとも感じるわけ。
一番やばいのが、取り扱いをミスると、懲役4年又は罰金200万円食らう可能性がある。
で、運用管理に死ぬほどコストをかけろって国は言ってるのよ。マジで。
だからさ、年寄の個人医とか零細事業者にマイナンバー扱わせたらもう超赤字確定。絶対運用できない。
そ~いうことをお前らはやれって言ってるのわかってんの?
以下ソースね。
デジタル庁はこう言ってる。
https://www.digital.go.jp/policies/mynumber_faq_04/
マイナンバーを取り扱う際は、その漏えい、滅失、毀損を防止するなど、マイナンバーの適切な管理のために必要な措置を講じなければなりません。
じゃあ、何やるかっていうと↓ね。
https://www.mdsol.co.jp/column/column_121_2069.html
超ざっくり適当ね。
マイナンバー担当決めて常に法律チェックしてお前の会社の運用ルールを厳密に決めろ。PDCA回せ。マイナンバー担当以外はマイナンバーがらみに触れるな。
マイナンバー扱う場所は高度なセキュリティを有した施錠可能な場所にしろ。PCや記録媒体に保管するなら普段はPCをシャットダウンして金庫に入れろ。
10秒走る短距離走と2時間走るマラソンが全然違う体力であるように、24時間365日安定して活動する体力のつけかたはそれらともまた違う。
十代の頃は有り余るエネルギーでなんとかなったが、二十代のピークを過ぎると意図的に体力をつける必要がある。
やみくもに筋トレやジョギングをやってもそれらについやす時間が減るだけでやりたい活動の量は増えないだろ。
栄養バランスのとり方も重要だが、それよりも一番大事なのは自分の体調を細かく観察と計測することだ。
何をどのくらい食べたら集中力の高い時間がどれだけ確保できたか、前日にどういう行動をしたら翌日に疲れが残ったか。
いや、そもそもさ、1年の目標ってでかすぎてPDCAまともに回らねえじゃん。
ひとまず「今月の目標」でいいだろ。
いや……実際には「今週の目標」……だと小さくなりすぎるか……。
「今週のマイルストーン」ってのはどうだ。
ひとまず何かやってみるか。
そうだな。
最近本を読んでないから「一ヶ月で本を10冊読む」とかにしてみるか。
まあ楽勝だな。
適当に図書館でゴミみたいな自己啓発本を10冊借りて読むだけだ。
ガチれば1日で終わるだろう。
とりあえず今週はその10冊を入れて1冊読もう。
来週は2冊。
その次は3冊。
最後に4冊。
終わりだ。
むしろ何故そこで疑問が発生するのかが疑問すぎるわ。
「安くてもいいからやりたい奴!」で手を挙げる奴が出てこなくなる限界まで給料が切り詰められるのはどの業界でも一緒。
でも自分たちで金を手に入れる余地のある業界の場合は「俺、自分で会社作ったほうが稼げるんで辞めます。ついでに従業員も給料高いからウチに来るって言ってました」で引き抜かれていく。
それが出来ない業界の場合はもう本当に「とにかくこの値段でもやりたいやつ!」で倍率がある程度下がる所まで給料が下がっていくのは明白なんだよ。
本当に何故これに疑問がある?
頭の中にシミュレーターみたいのを全く飼ってないのか?
この世界のすべてを丸暗記によって把握しているから思考というものが根本的に、暗記Aと暗記Bを雑に繋いでいく以外の使い方ができない?
いや不思議なんだよな。
俺は疑問を感じた時点で頭の中でシミュレーターがブィィィインって起動して勝手にPDCAを回し始めてチーンって初期段階のフニャフニャな極論が出力されて、そこからグルグル回して行き詰まったときに初めて「うーん分からん」ってなるタイプだから、シミュレーターちょっと回せば答えが出ることが分からない人間がいるってことが疑問だわ。
ここでいう疑問っつ―のは、そういうことが発生すると仮定すれば起こりうる事までは突き止めたけど本当にそんな奴がいるということに懐疑的に奈良ざるをえないが正確な言い方かな。
いやーマジでそんなのいる?
3行まとめ
1 一人で完結できる
一人旅をして、一人で写真を撮り、一人でプラレールを集め、一人でアルバムを眺める。
たとえばこれがチームスポーツや多人数プレイのゲームであれば絶対にこうはならない。
そしてそこには対等の立場に立つ多くのプレイヤーが存在し、そこには法律としては定まっていない様々なルールやマナーが存在し、その多くは明確に示されている。
客という立場で駅員に接し、他人の迷惑も顧みずに撮影をし、文句を言われたら自分のやっていることの素晴らしさを捲し立てれば案外なんとかなってしまう。
ゲームにおいてチートや繰り返しの荒らしはアカウントの剥奪がある。
だが駅という公共施設は相当の迷惑客でもまず出禁にはされない。
そのような環境に身を置くウチに「僕に文句をつける奴が頭おかしいヘイトクリエイターなだけ。僕は正しい」と思いこんでしまえば怪物が出来上がる。
それを止める仕組みがない。
Nゲージを集めたり、あの駅に行ったこの写真を撮ったという経験を集めたり、有形無形の様々なものを集める趣味と言える。
それはゲームにおける実績解除のようなものではあるのだが、そこに必要なのは時間や運ばかりであり、成長する必要が求められるものはめったにない。
たとえば筋トレであれば「○KGの重量を持ち上げた」という実績の解除には自分の筋肉を育てる以外の方法はない(ドーピング剤を使うという道もあるにはあるがそれで達成しても無意味だろう)。
そこには成長があある。
成長の壁であるプラトー期を前にすれば人は自ずと自分を信じ続けるための戦いに巻き込まれ、そこで挫折を経験したりPDCAを回すうちに自分を省みる経験や精神的なタフさが身につくのだ。
だが鉄道趣味はペースを焦ったり他人からの評価を求めなければどこまでもそういった苦労を回避してやっていける。
旅にしたって複雑な経路を設定したり、国外に飛び出さなければ単なる旅行で終わってしまう。
この手軽さは気晴らしのための趣味としてはある意味でとても健康的だとは思う。
しかし、これ以外の趣味を持つこともなく仕事や学校においても「あの人に成長を期待しても無駄だから」といった扱いを受けたのならば、それは意思を持って成長するという経験を知らない魔物への道さえ歩ませるだろう。
鉄道趣味と同じく自己の成長が求められにくい趣味として「推し活」「読書」「映画鑑賞」「スポーツ観戦」などがある。
これらのオタクも奇行をよく観測されるが、それでも鉄道オタクに比べれば全体の人数に対して頻度も少なく、また思考についても比較的明瞭というか認知が歪んでいるだけで日本語で物を考えることは不得意な印象は薄めだ。
鉄道オタクと同じく比較的奇行が多いのは、自己の成長を促される経験を通した学びの少なさが原因だろう。
では、比較的脳みその使い方を知っていたりコミュニケーションが成立しているような気がするという違いが生まれるのはどこなのか?
それは彼らの趣味が自分の脳で他人のストーリーを追うものだからである。
鉄道オタクは自分の脳で鉄道を味わえばそれだけで完結できてしまう。
しかし、アイドルやスポーツ選手を応援する人達は彼らの生きる物語そのものに心を馳せており、そこには他人なりの解釈ながらその人生を空想し追走しようとする動きがある。
漫画なんてものはその最たるもので、キャラクターの心情を感じ取り、それぞれの視点からでの勘違いや世界の歪みを噛み砕くという自他の境界を持つことが必須となる遊びさえも気軽に要求してくる。
このような娯楽に触れるうちにこれらのオタクは自然と、自分が他人と違う人間であることや、世の中には様々な立場や考えがあることを学ぶのだ。
だが、鉄道オタクはそういったものを知らずに「電車カッコイー。ぼく電車乗るの大好きー。ぼくが電車乗るの幸せ。ママはそんな僕を見てると自分も幸せって言ってた。皆幸せにするために僕電車乗って幸せになる。邪魔すんなよ俺が電車に乗って幸せになることが人類の幸福につながってんだよ。テメーも人類の幸せに協力しろ」という精神性のままで突き進んでも、電車は何も言わずに彼らを載せて次の駅へと運んでしまうのだ。
ただ鉄道オタクであっても「レベルの高い模型」や「鉄道エッセイ」などを通してこれらの経験の不足を補うことは不可能ではない。
撮り鉄オンリー乗り鉄オンリーの人は是非その辺に興味を持って欲しい。
怪物になる前に
まずデートに対する認識が間違っている。デートは口説きの場だから、チャットでしているような趣味の話ばかりではいけない。1回目からきちんと口説く必要がある。
セックスをしろというわけではないが、相手に好意があることは示す必要がある。実際好意を持っているかはともかく。
コナン映画予習して、面白いよねーって話していたら付き合えると思っているとしたら、変えたほうがいいよ。
趣味の一致は話のきっかけであって、友達づくりではない以上ゴールには結びつかない。
会話の流れは同じだから、経験積めばそのうち慣れるから頑張れ。
服装もシンプル=ダサくないと思いがちだけど、それも認識が間違っている。
シンプルだと目線が顔にいくから、顔の良し悪しが大きく出がちになる。
アクセサリー買えとかハイブラにいけとは言わないから、20代なんだしスポーツ系ブランドくらい着てみると良い。ナイキとかノースとかニューエラとか。
おすすめは美容師のインスタを眺めて、マネキン買いはせずに1点くらい取り入れるとハードルは低い。
結婚したいなら相談所行け案件だけど、とりあえずアプリ前提での話をしよう。
俺も似たような経験してきたけど、端的に言ってもっと場数をこなすしかない。
そーゆー人がいるなら話は早くて
「友達だから普段は気にしないで接してくれてると思うのだが、彼女を作るにあたって、実は直した方が良い口癖や口調、態度等は無いか」
「変なお願いで申し訳ないが、もしダメな場合でも、今後に活かしたいので、絶対に怒らないのでダメだと感じた点を教えてくれないか」
的な。何人かに一人くらいは応じてくれるはずだ(実体験あり)。
あと、これは本来はマナー違反なのだが、店内での会話をスマホで録音しておいて、自分で聞き返すという手もある。
ダメな点はないかって視点で聞いたら、「あっこれアカンこと言ってるやん」みたいなのけっこうわかるよ。
あなたはすごい頑張って自分のキャリアを積んできたわけで、自分自身の改善PDCAの回し方さえ掴めればきっとうまくいくよ。
最後に、白黒統一ってダサくはないけど喪服っぽいのと、そのコーデは確かにちょっと幼め(大学生なら良いと思う)なので、もうちょい明るめな色(せめてチャコールグレーくらい)でアラサー相当の服を買うのも良いんじゃね。
アプリで人と会うとき専用の服を用意する、と言ってもいいかも。
がんばれ。
理学部で助教をやっている。社会人ドクターを取った後大学に戻った。
幼さを感じた。
増田は、頭というか論理的に考える力は高いんだろうが、この内容は身勝手すぎる話だ。まぁつまり、小学生のような幼さを感じる。自分のことしか考えられない幼さを前提にすれば、まぁ筋は通っているだろう。
結局言っていることは小学生が夏休みの宿題に対して「これなんの役に立つの?」って言ってるのと変わらない。
日本の大学なら18以上だよね?成人しているのだから、何が役に立つのかどうか、何をやるのかどうかは自分で判断せねばならない。
卒論が役に立たないというのならば、大学を辞めれば良い。そうすれば、研究なんてやらなくて済む。その代わり内定は無くなるかもしれないけどな。増田はそれが嫌だから、いやいや卒論を書いている、だから、こんな文章が出てくるのだろう。しかし、世の中はそんなに都合良くはできていない。
卒論をやって就職をするか。卒論をやめて就職しないか。その二択を判断しろ、という話だ。自分の納得できる選択肢がないから『おかしい』というのは、あまりに幼くないか?
お金を稼ぐために、自分には不要に思える仕事をやらなきゃいけないことなんて沢山ある。自分が不要だと思っても、本当は必要だったり、本当に不要としか思えないものもある(上司のプライドのせいで増えた仕事とかね)。その度に、教授に言ったように、そういう文句を上司や取引先に言うのか?そんな必要はない。今後の仕事につながる人間関係と、その仕事にかかる手間を天秤にかけて、やるかやらないか判断すればいいだけだ。というか、本当に不要なら、やらなくても問題は起きないだろう。
自分が何をやるかは自分で決定しないと、他人のせいになってしまう。この場合は自分の欲しい選択肢を与えてくれない教授や、大学のせいにしている。しかし、他人のせいにするのは楽だけど、自分の人生に無責任だ。
もちろん制度に不満があって、それを変えようとしている人は世の中に沢山いる。現状追認が大人の証などというつもりは全くない。だから、増田が学長や学部長に掛け合って、何らかの資格取得や、技術の開発を卒論に相当する単位としてくれるよう嘆願しているというなら応援する(当然教授1人にゲームの例え話をするのとレベルが違うのはわかるよね?)。
大学の教員としては、基本的に専門知識を学生に与え、その知識がちゃんと学生の中で有機的に結合し、能力として発揮できる状態になっていれば、大卒と言えると思う。授業の勉強だけしても、それぞれがつながっていて、かつ意味がある形で使える必要がある。微積線形があって初めて、微分方程式や関数解析ができる。その積み重ねだけではダメで、それらを使って何ができる人なのか?というのが大事だ。個別の知識だけなら本を読めば良くて大学は全然必要ない。何ができるかを確認するために卒論がある。
何ができるか?を問われているので、アイデアが既にあれば、それに必要なだけの知識さえあれば良い。アイデアもなく、b3までに知識を得てこなかった人は、当然それを発揮する場である卒論には苦労する。
それを踏まえて、数学科では普通卒論はない(研究できるレベルの最新の数学をやるにはb4では難しい)から、自分の修論の経験を語る。
修論の経験が社会人になって生きたか?というと、スキル的な意味では怪しい(研究職なら直接役に立つだろうが)。アナリストや記者など、文章の経験を役に立たせている人はいるだろう。また、コンサルやマーケティングなど自分のアイデアをpdcaで回す必要がある職の人も役に立つだろう。しかし、一般化できるとはとても思えない。
だから増田の言うことは増田目線では正しい。文系に行くから行列は要らない!とか、一生コンビニ店員でやってくから三角関数は要らない!言われたら、そうですか、と言わざるを得ない。
しかし大学は上で書いたような学生を養成することが目的であって、就職先で役に立つようなことは想定していない。そういう社会的要請があるのもわかるし、それに阿った判断をして卒論を無くしたりしている大学があることも認識しているが、社会で「一般に」活躍できる人材を輩出したい!と思ってるわけではない。もちろん、資格系や職業人が教授をやるケースなど、その分野で活躍する人材を輩出したいという研究室は存在するが、社会人として役に立つ教育ではなく専門家の養成を目的としている。
一般化できない以上、大学で学んだことをどう人生に生かすのかは、学生次第だ。学生が、自分の判断で、自分の将来に役に立ちそうな大学や学部、研究室を選ぶのだ。
大学が提供するプログラムは上の観点で設計されている。自分の人生に必要かは人によって違うということを認識する必要がある。その中で、そのプログラムでは、多くの学生にとって卒論が、教育上の能力の判定として役に立ってきたからこそ、必修として存在し続けているのだ。教育する側には役に立ってるかもしれない、という視点に立ってみて欲しい。能力の鍛え方が足りない者を大卒として認定するわけにはいかないんだ。
研究で習得出来て仕事でも役立つスキルをいくつか挙げていくよ。もちろん仕事でも習得はできるし、そこそこの規模の会社なら研修とかもあるだろうけど、せっかくなら入社前に身に着けて周りと差をつけよう!
ロジカルシンキングやクリティカルシンキングともいうね(厳密にはこの二つは別のスキルらしいけど面倒なので一つとして語るよ)。ものごとを体系的に捉えて矛盾なく解へたどり着くためのスキルだよ。このスキルがあれば仕事で新しい情報に出くわした際やスキルを習得する際に、それをよりスムーズにしてくれるよ。また、創造性の要求される仕事(企画とか開発とか)でも必須スキルと言われるよ。どのようなバックグラウンドからその提案に至ったのか、その提案はビジネス的に勝算はあるのか、そういった検討を論理的飛躍なく出来るようにならないといつまでたっても下っ端働きのままだね。
Plan→Do→Check→Actionという継続的な業務改善のサイクルのことだよ。自分が経験してきた限りだと方々で「PDCAを回せ」と耳にタコができるほど聞くよ。ぶっちゃけ研究の仮説→実験→検証→再実験の流れと同じだね。もっと平易に言うと、なんかやるんだったらやる前に結果を予想して、やったら予想との差分を取って、その差について考えて、次はもっとうまくやれってことだね。仕事してるとやる前の期待値とやった結果が異なることのほうが多いんだから、いちいち上手くいかないことを先輩・上司に泣きつかずに自分でなんとかしないとだし、一回やった失敗を繰り返すようならどんどん評価が下がるね。
きれいなパワポをつくれる、ということじゃないよ。プレゼンが上手い人はコミュニケーション=相手にとって必要な情報をわかりやすい流れで提示することが上手い人。会話だってメールだって一種のプレゼンだと思おう。意図を汲んでもらうというコストを相手に支払わせてるようじゃそのうち煙たがれるね。煙たがれるならまだしも伝達不備でインシデントに発展したら目も当てられないよ。ちなみに増田のいた研究室だと週いちで週報のプレゼンを課されてたのでこの辺のスキルはメキメキ上達したよ。
小説読んだよ、中学生が拗らせて書いたみたいなひどいやつ、文化祭のコピー本思い出した
マーケティング思考というかペルソナ設定の部分は指摘している人がいるので割愛する
ただ全体を通してブロガーとしての書き方から抜けられてないと思う、そもそもすごいブロガーだから文章力がすごいってことは全くなくて、散文の文章力は全然違うフィールドってことを認識した方がいい
同じ【運動】に見えて全く違う筋肉を使わなきゃいけない状況だってこと
幸い書くこと自体は苦ではないみたいだから書き物のオーソドックスなナレッジから勉強したらいいんじゃないかな、勉強したらPDCA回して書いてまた勉強しての繰り返し
あと小説家になりたいなら小説たくさんインプットした方がいいと個人的には思う、人は知っているものか想像したものしか書けない
多分あなたは小説をそんなに読んでないんじゃないかな(読んでたらごめんね、ただここで自分は読んでる!って言えるのは年間300冊以上とかの人)
流行りのものから文豪、純文学から大衆、SFやミステリ、サスペンスに歴史系、国内外問わず色んなもの読もうよ、紅楼夢とか読んだ?
まあでも読まなくても小説家になれるよ!っていう人もいる、それは恐らく小説以外の媒体で自分引き出しを豊かにしてるタイプだとは思うけど
模写から始めてもいいと思うよ、好きな作家のどこが好きなのか自分で分析して言語化して模倣して腹落ちさせる(当たり前だけど著作権には気を付けて欲しいな)
文章力は鍛えれば鍛えるほど伸びるよ、ただ方向性を定めてきちんと計画してコミットしないと遠回りになることがある、筋トレと一緒
なんかいろいろ書いたけど、頑張ろうね