はてなキーワード: 都市部とは
交通規則は一気に複雑化するだろう。空飛ぶ車の導入により、既存の交通ルールに加えて、空中交通に特化した新たな規則が必要となる。以下にその例を列挙する。
- 最低飛行高度: 空飛ぶ車が飛行できる最低高度を設定し、地上交通や歩行者に対する安全を確保する。
- 最高飛行高度: 高度の上限を定め、航空機との衝突を避ける。
- 高度別通行帯: 高速道路のように、高度別に異なる速度制限やルートが設定される可能性がある。
- 飛行ルートの指定: 特定の飛行ルートを設定し、渋滞や事故を防止するために空の道を効率的に利用する。
- 都市上空飛行禁止区域: 住居密集地や商業地区の上空では飛行禁止エリアを設けることで、安全性とプライバシーを確保する。
- 飛行優先権: 同一経路上での進路譲渡のルールや、交差点に相当する場所での優先権の規定が必要。
- 離着陸専用ゾーン: 空飛ぶ車が離着陸できる専用エリア(「スカイポート」など)を設定し、無秩序な着陸を防止する。
- 緊急着陸規則: 技術的問題が発生した場合に、安全に緊急着陸できるエリアとその手順を規定する。
- 空中での速度制限: 地上とは異なる速度制限が必要となる。高度や天候に応じた制限も考えられる。
- 操縦ライセンスの取得: ドライバーではなく「パイロット」としての訓練が必要で、特別な免許制度が導入される。
- 飛行禁止天候: 強風や濃霧、雷雨時には飛行が禁止される。
- 視界確保義務: 飛行時に一定の視界が確保されている必要があり、自動運転機能が故障した際の対応策も規定される。
- 空中交通管制の強化: 空飛ぶ車が増加することで、空港での航空管制のような空中交通管制システムの導入が不可欠になる。
- 通信と追跡義務: 空飛ぶ車が常に追跡可能であるよう、位置情報をリアルタイムで送信するシステムが必要。
- 自動衝突回避システム: 空飛ぶ車には高度なセンサーと自動衝突回避システムが義務付けられ、事故を防ぐ。
- 飛行間隔の確保: 前後左右上下の空飛ぶ車との距離を一定以上に保つための規則が必要。
- 騒音制限: 空飛ぶ車が都市部上空を飛行する際の騒音を規制し、居住者への影響を最小限にする。
- 排気規制: 空飛ぶ車が排出する排気ガスや環境負荷を低減するための規制が導入される可能性がある。
- 電動化推進: 環境保護の観点から、電動空飛ぶ車の利用を奨励する。
- 空飛ぶ車専用保険: 地上の自動車保険とは異なる、空飛ぶ車専用の保険が設けられる。
- 事故時の対応規則: 空中での衝突やトラブル発生時の対応プロトコルや、被害者救済措置が規定される。
- サイバーセキュリティ規制: 自動操縦機能のハッキングやサイバー攻撃を防ぐための厳しいセキュリティ基準が必要。
- 緊急停止機能: 何らかのセキュリティ脅威が発生した際に、強制的に飛行を停止するための機能を義務化。
- 空中でのプライバシー保護: 空飛ぶ車による撮影や監視が容易になるため、個人のプライバシーを守るための規則が求められる。
- 空中領域の所有権問題: 空飛ぶ車が通過する空域の権利や管理責任が明確化される必要がある。
これらの規則により、空飛ぶ車社会が安全かつ秩序正しく運営されることが期待されるが、技術の進歩に伴いさらなる規制の追加も考慮されるであろう。
かなえ先生みたいなvtuberといって、切り抜き動画で滅多切りにされたものだが、外国人向けに賃貸の広告を出しながら、管理をしていたことで気づいたことがある。
外国人は、すべてとは言わないが、タコ部屋を量産し、部屋をめちゃくちゃにする。
だから、日本人に優先的に貸し出し、外国には貸さないなんてことをする。
でも、3点ユニットバス、外置き洗濯機の物件は日本人も借りたくないので、大家は外国人に仕方なく出す
そして、ある日、差別されていたことに気づいて、無敵の人のなる。
なお、外国人を札束で大家のほほをたたけば風呂トイレ別、室内洗濯機の物件を借りることができます
大体このような物件はREITで運用されていて、ADもマシマシなので、不動産屋からするとすごくおいしいです
こういう人は無敵の人にはならないし、ゴミ出しのルールも守ってくれるし、日本で生活できないとわかったら、不法滞在せずに部屋をきれいにして本国に帰るので、すごく楽です。
※外国人を生活保護世帯、低所得者、母子家庭、父子家庭、LGBT、弁護士や不動産屋に置き換えても普通に成立します。もっともLGBTは同棲しようと考えなければこのような差別にあうことはありません。
※地域によってはこれらの属性の人でも風呂トイレ別の物件を借りることはできます。この話はあくまで地価の高い都市部の話です。
全740ポイントのうち、
・現役国会議員が一人2ポイントで合計272ポイント(約37%)
・国政選挙の立候補予定者が一人1ポイント合計98ポイント(約13%)
・全国1236人の地方議員の得票案分で合計185ポイント(25%)
・11万4792人の党員・サポーターの得票案分で合計185ポイント(25%)
以下敬称略で
候補者名 | 国会議員票 | 立候補予定者票 | 地方議員票 | 党員票 |
野田 | 90(1) | 38(1) | 58(2) | 81(1) |
枝野 | 66(2) | 17(3) | 71(1) | 52(2) |
泉 | 58(3) | 26(2) | 33(3) | 26(3) |
吉田 | 56(4) | 17(3) | 23(4) | 26(3) |
この投票結果って、それぞれの人の立場がよく表れてると思うんですよね。
党員の願いって、自民党から政権を奪取することで日本の政治を建て直してほしい、ってことだと思う。
(党員がそう思っているだろうということで、野田立憲民主が建て直せるかどうかという意見は受け付けていません。)
よって、政権交代が可能そうな人、せめて質問時間を確保する意味で議席数を増やせそうな人、そういう人が投票対象になる。
じゃないかもしれないけど少なくとも自分が落選する状況になることはマズい。
基本的なスタンスは現役国会議員と同じだけど、当落線上かそれ以下の人が多い。
よって現役国会議員以上に党勢拡大してもらわないと困ると考える人が多い。
つまり立候補予定者からは枝野では党勢拡大は狙えないだろう、とみられているという事。
なんだったら実績はないけど女性である吉田のほうが選挙アピール上ましだ、と思う人もいた結果、同数になっている。
一番の問題がここ。
なぜこうなるかといえば、国政選挙と地方議員選挙のシステムの違いだと思うんですよね。
ということは自公の候補に勝たないと当選できない。(比例復活や参院都市部で複数人当選することもあるけど。)
市区町村議は市区町村内全域が選挙区だから都市部なら数十位、議員定数日本最小の沖縄県北大東村ですら5位に入れば当選できる。
都道府県議は区割りによって1人区もあるけど、多くは2位か3位に入れば当選できる。
むしろ共産党との協力関係が壊れて共産党候補を出される方が怖いし、
下手に政権交代して支持者ウケの悪い政策(2012年の消費増税や八ッ場ダム中止からの建設再開など)を始められる方が痛い。
とまぁ政権交代するくらいに党勢拡大してほしい人もいれば現状維持でいいと思ってる人もいる、というのが現状の立憲民主党を表している気がする。
中国の経済状況については、ネガティブな意見を持つ人々が一部に存在するものの、実際には経済全体が着実に成長しており、都市部も農村部もその恩恵を受けています。個人的な困難や失敗を経験した人々が「経済が悪化している」と感じることはありますが、これが国全体の状況を反映しているわけではありません。
まず、都市部では平均年収が約25万人民元(約410万円)に達しており、多くの人が豊かな生活を送っています。高級レストランやブランドショップは連日盛況で、予約がないと入れないほどの賑わいです。私自身も、友人と食事をする際に何週間も前から予約を取る必要がある状況を目の当たりにしました。こうした都市部の活気は、中国の経済力を象徴しています。
農村部でも、平均年収が約12万人民元(約190万円)と、他の先進国と比べるとまだ差があるものの、経済成長は着実に進んでいます。私の知人で農村部に住む人々も、生活水準が大幅に向上しており、家を新築したり、車を購入したりする余裕が生まれています。農村部でも、インフラの改善や新しいビジネスの機会が広がり、多くの人々が都市に出ることなく地元で経済的な自立を目指しています。これは、農村部も都市部同様に経済の恩恵を享受している証拠です。
さらに、全体として消費活動は非常に活発で、2023年の中国の小売業売上高は約60兆人民元(約900兆円)に達し、前年比で7%以上の成長を記録しています。高級品への需要が高く、国内旅行や贅沢品に惜しみなくお金を使う人々が増えています。特に観光業では、2023年の国内旅行者数が70億人を超え、観光産業の売上高は約7兆人民元(約105兆円)に上りました。
技術産業においても中国はリーダー的な存在です。AIやフィンテック分野でのスタートアップ企業は急速に成長しており、2023年にはこれらの分野への投資額が約2兆人民元(約30兆円)に達しました。多くの若者が新しいビジネスに挑戦し、成功を収めています。
これらのデータを見る限り、中国の経済は都市部、農村部を問わず、豊かさが広がり続けています。ネガティブな見方をする人々は、個別の困難や経験に基づいて意見を述べているにすぎず、実際には経済全体が非常に好調であることがわかります。今後も中国全体で経済的な豊かさがさらに拡大していくことが期待されます。
必ずほぼ一定の確率で交通事故が起こるし、必ず自動車事故で人が死ぬんだよ
銃と同じで、自動車は凶器だと言って差し支えないわけだけど、でも、自動車がなかったら、言わずもがな、近所のコンビニやスーパーにトラックは来ない、俺は飢えて死ぬ
自動車のメリットの方がデメリットを上回っているので、自動車で多少の人が亡くなるのは仕方がない、という考え方で世の中は回ってるんだよ
だから、自動車を運転している人は、凶器を運転しているという意識を持て、ということ
そして、それを成立させるためには、結局は人間をお金で換算することになる、自動車保険である
結局、最後の最後は、亡くなった人は生きてればこれくらいの収入を得ただろう、とか、それを数学的確率的に考える頭いい人たちが保険会社とか銀行とかにいるわけだ
それで人が一定確率で自動車で亡くなってしまっても問題ないということになっている
同様に、自動運転で事故る確率とか、そういうのを頭いい人たちが考えて、自動運転で事故が起こって亡くなった人がでたら、それをお金で換算して処理する
何も普段の生活と変わらない、危険なことには保険をかけ、いざというとき、仮に人が亡くなってもお金で済ますということだ
中国はどうやってるのかよく分からないけど、都市部のみで自動運転が実用化しているのは確かだ
日本は、自動運転で過疎地域を救おう、とか訳の分からないことまでやってしまっていて、それも良くない気がする
ただ、自動運転のデメリットがメリットを上回る、ということが証明できるなら、それは自動運転をやるべきではない、となる
テキサス州の最低賃金は10ドルとかで、700ドルはちょうど、最低時給1000円の地域で7万円くらいなんだよな。ゲーム好きの高校生も、夏休みのバイト代で買えるくらいの感覚
もちろん、都市部はもっと最低時給が高い。体感で5万円くらいかな。
円、弱くなっちまったなあ……
それ以外はまあまあ平均的と言えるけど30歳こえての交際経験なしはさすがに平均以下だわ
内閣府調査で交際経験のない30歳男性は都市部で25%、地方で30%。
いうなれば女性関係以外に関しては平均的であるが、女性関係だけ下回っている感じ。
自分が平々凡々なのをわかっているなら、頑張らないと女性と関われないのは当たり前。
合コンで前のめりに話をしたか?そのあと連絡とったか?アプリはどうだ?
「どうせ自分なんかに」「こんな必死な自分が恥ずかしい」と思ってないか?
大学でもどう考えても男前じゃないし性格もお世辞にも良いとは言えないやつでも
なぜか彼女がいたりしただろ?そいつとの違いは何か、女性にがっついているかどうかなんだよ。
そういうやつらは5人10人に邪険にされようがどんどんアタックしていくんだよ
朝日新聞が記事出してはてブでトレンドになってたが、記事もコメントも的外れなので、卒業後大学→一般吹奏楽団複数を渡り歩いた増田が「大半が高校卒業後に辞めちゃう本当の理由」を解説しておくよ。
ほとんどの大学には吹奏楽部やオーケストラがあるし、大学の数以上に一般吹奏楽団があちこちにある。首都圏(東京、神奈川県、千葉、埼玉)には300以上の一般吹奏楽団が活動している。
これらの一般吹奏楽団は初心者お断りが殆どだが、逆に言えば「元吹奏楽部で楽器保有」なら引く手数多なのだ。楽器保有は若干ハードルがあるように見えるが、高卒まで続けるような管楽器部員は殆どクリアしてる。(クリア出来ない部員は途中でいなくなる)
また一般吹奏楽団で吹奏楽コンクールに出るのは全体の3割くらいしかなく、7割はコンクールに出ずに年1の定期演奏会と数回の地元イベントに出る程度の団体が大半なので、「コンクールのスポ根みたいなのが嫌だ」という人でも受け入れられる土壌はある。中には「地元強豪校の1軍OBOGまたは音大芸大在学または卒業」という厳しい入団条件があるところもあるが、レアな部類だ。
2つある。
技術面で上達出来ず、吹奏楽コンクールのメンバー(最大55名)に最後まで選ばれなかったとか、ずっと三軍メンバーで本番は野球応援と定期演奏会のアンコール曲しか吹かせてもらえなかったとか、トランペットだったけど3年間メロディは吹かせてもらえず、ずっとサポートパート(万年3rdというスラングがある)だった…などというような人。
一見酷い扱いに見えるが、野球部に入ったけどずっと球拾いで試合は客席から応援団として参加、というのと同じと思えばよい。
(余談だが、甲子園のアルプス席は「野球部の2軍以下」て「吹奏楽部の2軍以下」の集まりというケースが多い。それと「コンクールよりも甲子園優先はけしからん」という指摘は的外れ。何故なら彼女らはコンクールメンバー落選組だから。もちろん例外はある)
そういう部員は、高校卒業とともに部活のジャンルから離れる。吹奏楽でも野球でも。成功体験が得られずトラウマにしかならなかった環境を忘れるために。
先述の一般吹奏楽団は、実は「何処かの学校のOBOGバンドが母体orOBOGが多い」という特徴を有するところが大半だ。場合によっては指導者がその学校と掛け持ち指導のケースもある。
つまり、一般吹奏楽団に行くと、吹奏楽部時代に会った嫌な先輩、同期、指導者と再会どころか、一緒になってしまう可能性が高いのだ。
幸い「嫌な相手」がその楽団にいなくても、「嫌な相手」とつながりのある人が楽団に居る可能性が極めて高いし、コンクールや吹奏楽連盟主催の合同演奏会などでその「嫌な相手」とばったり再会してしまう可能性も高い。相手は別に嫌な思いはあまりないので気軽に「今度飲みに行こう」とか言ってくるし誘っても来るが、こちらとしては吐き気しかしない。
なら高校在学中に辞めれば良かったのでは?と思うかもしれないが、学校という集団生活の中で途中退部してしまうと「負け犬」として学校カーストの下に追いやられるので、相当な覚悟が要る。
しかし卒業してしまえば「もう楽器辞めました」となっても誰からも笑われないしカーストの下にも追いやられない。だから高校卒業と共にゼロクリアしてしまうのだ。
増田が言いたいのは「環境が無いから辞める、というのはただの建前」という1点だ。理由の建前と本音が根本的に違うという意味では転職活動と似ていると思う。
「増田は都市部の強豪校だけの話してるだろ」という的外れな指摘があるので補足するよ
「成功体験がない」の説明を端折りすぎたのがよくなかった。具体的にはこういうのも含む
それは「コンクールで地区予選(県大会の下)止まりかつダメ金すら経験がない弱小校」の部員。大学や一般楽団でこのレベルの元吹奏楽部員を見ることはかなり少ない。「私は弱小校でした〜」と言うような人でも、実はB部門の支部大会(つまりB部門の最上位大会)まで経験あり、ってパターンばかりだ。
B部門(奏者30名以下)とは言っても実際は「A部門は上位大会に推薦される学校が事実上固定状態だからB部門に出てるが、部員は50名以上居るのでオーディションがある」ケースが少なくなく、十分「上澄み」の域に居ると言えるだろう。
ただし、本当の弱小校でも演奏会でソロもらってそれなりに出来た経験がある人だけはこの話に当てはまらない。演奏会が成功体験になってるからだ。
それすら得られなかった「万年3rd」のような人は、大学進学とともに別ジャンルへ消えていく。
もちろん、成功体験が多分にあっても、高校卒業を区切りとして楽器から離れる人が大多数だろうし、増田もそういう人をたくさん見てるが、「続けたかったが環境がないから辞めた」って人は多くは見ない。広義では人間関係も環境の一つと言えるから、「環境がないから辞めた」の中には「人間関係に疲れて辞めた」が多分にいるのかも知れないし、捏造に定評がある朝日新聞のことだから「人間関係」を「環境」に置き換えてるのかも知れない。
日本社会における共同体の形態は、時代とともに大きく変化してきた。かつての故郷を中心とした共同体から、会社中心の社会、そして現代の「推し活」に至るまで、その変遷は日本人の生活や価値観の変化を如実に表している。本稿では、これらの変化を考察し、各時代の共同体が持つ特徴と、その基盤となるものの変化について探る。
まず、最も古い形態の共同体として、「故郷」に焦点を当てよう。故郷という共同体の最大の特徴は、その「大地」に根ざした不変性にある。人々は同じ土地で生まれ育ち、その土地の文化や伝統を共有することで強い絆を形成していた。この共同体は、地縁・血縁に基づく強固な結びつきを持ち、相互扶助の精神が根付いていた。自然災害や飢饉などの危機に際しても、互いに助け合い、乗り越えていく力を持っていたのである。
しかし、明治以降の近代化と、特に戦後の高度経済成長期において、日本社会は大きな変容を遂げる。地方から都市部への大規模な人口移動が起こり、故郷が担っていた共同体としての機能は徐々に失われていった。その代わりに台頭してきたのが、「会社」という新たな共同体である。
会社は、故郷が担っていた共同体の機能を代替し、終身雇用や家族的経営など、日本独自の特徴を持つ相互扶助を実現する場となった。ここでの結束の軸は「生産」である。社員は会社の生産活動に従事することで、安定した収入と社会的地位を得ると同時に、会社を通じて新たな人間関係を構築した。会社という共同体は、個人の生活を支える基盤となり、そこでの人間関係は時に家族以上に親密なものとなった。
しかし、バブル崩壊後の経済停滞と新自由主義の台頭により、会社という共同体の力は徐々に弱まっていく。終身雇用制度の崩壊や成果主義の導入により、会社と個人の関係性は大きく変化し、かつてのような強固な絆は失われていった。日本人は再び連帯を失いかけたのである。
そんな中で台頭してきたのが、「推し活」を中心とした新たな共同体である。推し活とは、特定のアイドルやアーティスト、キャラクターなどを熱心に応援する活動を指す。この新しい形態の共同体は、80年代のオタクカルチャーとは異なり、より「共同体的」な性質を持っている。
オタクカルチャーが個人の趣味や嗜好を強調し、それが結果的に既存の共同体からの逃避や代替の場として機能していたのに対し、推し活はむしろ個人を再び共同体的な枠組みに引き戻す役割を果たしている。推し活を通じて人々は、共通の関心を持つ他者との連帯感を感じ、コミュニティを形成している。このコミュニティは、かつての故郷や会社が持っていた連帯感に似た役割を果たしているのである。
しかし、ここで注目すべきは、これらの共同体がそれぞれ何に根ざしているかという点である。故郷は「大地」に、会社は「生産」に、そして推し活は「消費」に根ざしている。この変遷は、共同体としての強度が徐々に弱くなっていることを示唆している。
大地に根ざした故郷は、よほどのことがない限りなくならない。生産に根ざした会社も、人が生きている限り必要不可欠なものであり、個々の会社の栄枯盛衰はあれど、会社という制度自体はなくならない。会社を移動することで共同体を失うリスクは最低限担保される。
しかし、消費に根ざしている推し活は、消費するための財がなければその共同体に参加することはできない。財とは個人的なものであり、財を失ったときに補完してくれる基盤はほぼない。生活保護などのセーフティネットは存在するが、それを受給することは推し活に回す余剰がほぼない状態を意味する。
したがって、推し活による共同体は極めて脆弱な基盤の上に成り立っているため、その財を得るために無茶な行為を働きかねないというリスクにつながる。これを読んでいる皆さんの周辺でもそのような現象は枚挙にいとまがないであろう。
このように、日本の共同体の変遷は、社会の近代化と個人主義化の過程を反映している。大地から生産、そして消費へと基盤が変化する中で、共同体の強度は弱まり、個人が抱えるリスクは増大している。
推し活という新しい共同体の形は、現代人のニーズに応える一方で、社会の安定性という観点からは課題を抱えている。今後の社会は、この新たな形の共同体がもたらす利点を活かしつつ、その脆弱性にどう対処していくかが課題となるだろう。
私たちは、これらの課題に対して、どのような社会システムや価値観の変革が必要となるのか、真剣に考える必要がある。消費に基づく共同体の脆弱性を補完する新たな社会的セーフティネットの構築や、消費以外の要素で人々を結びつける新たな共同体の形の模索など、様々な角度からのアプローチが求められている。
日本社会が直面するこの構造的変化は、単なる社会現象ではなく、私たちの生き方や幸福のあり方に深く関わる問題である。共同体の変遷を通じて私たちが失ってきたものと、新たに獲得したものを冷静に見極め、より強固で持続可能な社会の構築に向けて、一人一人が考え、行動していくことが重要だ。そうすることで初めて、推し活に代表される新しい形の共同体と、伝統的な共同体の良さを両立させた、真に豊かな社会を実現できるのではないだろうか。