はてなキーワード: 紙粘土とは
ほんとに!?とびっくりして尋ねると息子は項垂れるように頷き、だからあれほど早めにやっておくようにと言ったのに…といまさら言っても後の祭りで、
どのぐらいやってあるのか聞くと、ほとんど手つかずだと言う。
それを聞いてマジか…ってなって、もう猫の手も借りたいなぁ…と思っていたらいいアイデアを思い付く。
忙しい時には猫の手を借りよう。
そう言って我が家の猫さんを見ると、クーラーの庇護のもと、ソファで横になってぐっすり眠ってる。
とりあえず息子に猫さんを起こしに行ってもらい、自由工作の宿題を手伝ってもらうことにした。
すると意外と趣深い作品が出来て、というか足跡が可愛くてうちに飾りたいほど!
これで工作は完成として、他の宿題は息子が今必死にやっているので多分大丈夫。
猫さんは渋々といった様子ながら紙粘土の上にぺとぺとと肉球を押し付けてくれたので、あとでお礼のちゅーるでもあげようかしら。
数年前、美大を卒業していることもあり興味を持って一巻だけ読んだ。
しかし結果的に私の美大藝大コンプレックスがうずうずしてしまい、それ以上読み進みたいと思えなかった。
私は幼少期から絵を描くことが好きだった。
最初はテストプリントの裏に落書き、少女漫画に出てくる女の子の絵をよく描いていて漫画家になりたいと思っていた。
中学に入ってからは雑誌に載っている海外の景色を絵の具を使って模写するのが好きで休みの日は部屋にこもって絵を描いていた。
高校は美術科に進学したいと考えていたが美術教師の勧めで普通科の高校に進学した。
高校時代はひたすらボケーっと過ごし、絵も授業以外ではあんまり描いていなかった。
美術の授業の自由制作では何をつくりたいかわからず何週間も悩んだ末に、紙粘土をただ丸めたものを出したのを覚えている。
あっという間に大学受験の時期になった。
高校では全く勉強をしない人間になっていたため今更勉強はしたくない、でも大学には行きたい。
絵を描くのが好きだったし、進学後も興味を持って勉強できるなら美術かな?ということで高3の5月くらいに予備校に行き始めた。
木炭を使うのは初めてだし、美術の授業以外でデッサンをするのも初めてだったので全然描けなかった。
そこからデッサンや油絵、クロッキーをひたすらこなしたが…藝大、多摩美、武蔵美全て落ち、浪人した。
浪人時代は都内大手の予備校に変えて、楽しい浪人時代を過ごした。
ひたすら課題に向かうだけの毎日、気の合うクラスメイト、たまに息抜きに都会の街に繰り出す。そんなの楽しいに決まってる。
当時の私は今思えば、自分の表現したいものがよくわかっておらず、おもろい(と自分が思う)絵、ショッキングな絵をひたすら描いていた。
それでも人生の中で初めてレベルで悔しくて、藝大の二次試験前なのに講師にお願いして多摩美に入学するか、浪人してまた芸大を受けるか涙を堪えながら相談しに行った。
多摩美に入学して新たな出会いや刺激を受けて、また藝大を受験してもいいのでは、という助言で多摩美に入学することに決めた。
私はなんとなく予備校時代と同じようにおもろいと思う絵を描いたと思う。
講評会でみんなの作品と自分の作品を見比べたとき、私の絵は全然おもろくなかった。
気付いてしまった。私は自分自身が何を表現したいのか、わからなかったのだ。
大学1年生の時にもう一回だけ藝大を受験したがやはり一次にすら通らなかった。
講評会前に慌てて制作を始めて、中途半端な出来のものを提出。自分でも思い入れが一切ないインスタントな作品。
だって自分が表現したいものがわからない、つくりたい・描きたいものが何かわからないから。
かといってサークルを熱心にやるわけでもなく、友達も少なく、ただ単位を取るためだけに大学に行ってひたすらバイト。
そんな自分が就活などうまくいくはずもなく、なんとか卒業してその後フリーター。
最終的に就職はできたが、卒業してから時間が経つにつれて後悔が押し寄せるようになった。
「美大ってことは絵が上手いんでしょ?私は全然絵とか描けなくて〜」
「才能があるんだね!」
初めて会った人からそう言われるたびに、「美大卒」という肩書きだけで実力も美術への熱意も伴っていない自分を恥じた。
せっかく親にお金を払ってもらったのに、受験に受かったのに、私は自分の表現したいことがわからなかった。
描写力を上げる努力もできない、制作に熱中して、思い入れのある作品を生み出すこともできない。
卒業後も制作を続ける人たちをSNSで見て、私はなんでみんなみたいにすごい作品を作れないんだろうといつも虚しい気持ちになる。
絵を描くのが好きだったはずなのに、本当に絵を描くことが好きなら仕事以外の時間に描けばいいのに。
結局「絵を描く才能」なんていうものはなくて、「何か一つのことを継続する才能」のある人たちなんじゃないかと私は思う。
私は絵を描くことは好きだが、努力して継続することはできなかった。
だから「ブルーピリオド」の中で制作にひたむきに向かう登場人物を見て、自分はこうなれなかったということを改めて実感して苦しくなってしまうのだと思う。
私は現在、転職して小さな会社で絵を描いたりデザインしたりする仕事をしている。
お金をもらっているから一生懸命やらなきゃいけないし、与えられた条件の中でどう表現するかを考えなきゃいけない。
私にはきっと、自由が向いてなかったのだ。
その事に気付いてから少しだけ楽になった。
私はブルーピリオドにもハチミツとクローバーにも登場するような人物ではなく、凡人だ。
凡な自分を受け入れ、大学時代に何もできなかった分、少しでも学んだことを生かしてお金を稼ぐ。
人から、すごいね、良いねと言われるような仕事を頑張っていくしかない。
いくら後悔しても、もう大学時代のように自由な時間は戻ってこない。
大人になってから押し寄せる後悔に対しては、今の自分を受け入れ、今までの自分の行いをどう正解にしていくか、辻褄を合わせていくしかないのだと思う。
みなさんのおすすめも教えて下さい。
タンパク質15gのやつのうち、シーフード味 or チリトマト味
300キロカロリーくらいなのになんか腹持ちが良い気がするんだよな
なお一番レギュラーな味(カップヌードル味?)とビタミンDのカレーのやつは口に合わなかった。(好きな人はいるかもしれない)
カップヌードルのPROなどに入れてかさまししている。
0キロカロリー。
これは炭火の香ばしさとむね肉のジューシーさでカロリーの割に美味しい。
まともな本棚を置けない。絵を飾るスペースがない。靴はひとり数足しか保管場所がない。
大きな冷蔵庫を置けないのでヨーロッパや東南アジアの珍味を貯めておけない。
ホームベーカリーを置けない。ピアノを置く場所がない。食器が一家で20枚もない。
子供が学校で作った紙粘土の鳩を飾れない。五月人形やひな人形を飾れない。
結婚式で作ったドライフラワーはクローゼットの奥にしか置き場がない。
ダブルベッドを2つ置ける部屋がない。もう使わないゴルフバッグを念のため置いておける物置部屋がない。
狭すぎて子供を作れない。それでも仕事のために東京にしがみついている。
生殖を制限してまで働いているという意味で、本当の社畜だと思う。
弟夫婦が練馬区に住んでおり上に書いた状況だった。心底気の毒だと思う。
プライベートのかなりの時間は自宅で過ごすのだから、家を文化的にすべきだ。
俺は人口30万人の地方都市に住んでいる。上に書いた程度のことはすべて実現できている。
しかし美術館や博物館は何回も通って飽きた。お気に入りの画集を家に置けば十分だ。
飲食店は多いが、どこもすし詰め状態で居心地が悪い。高い金を払って不健康なものを食べたくもない。
図書館の数や取り寄せサービスは素晴らしいが、借り出し・返却の時間が勿体ないのでネットで買えばいい。
文化都市・東京にあって粗末な家に住む方々は本当に不思議な存在だ。家の中と外とで文化水準が大きく異なることに疑問を抱かないのだろうか。
俺が思う最適解は、東京・名古屋・大阪あたりに本社を持つ大企業の、地方の事業所周辺に住むことだ。
俺が勤務する事業所は3000人以上働いている。近所には大手電機メーカーの1万人近い事業所もある。
こうした町は企業城下町の様相を呈しており生活には困らない。しかも家が広くて安い。
共感するコメント、共感しないコメントを予想外に多く頂けて嬉しい。
共感しない旨のコメントに多いのは、モノを家に集めることは文化ではないという趣旨。
しかし文化は基本的に媒体としてモノを必要としていることを認識してほしい。
二、三例示すると、
たとえば節分の豆まきには鬼の仮面、大豆、大豆をまけるスペース、掃除道具が必要だ。これらのモノ無しに「鬼は外、福は内」を口誦するだけの風習ならとうの昔に途絶えていると思う。現に口誦するだけの文化が身の回りにどれだけあるだろうか? そうした文化は歌くらいだ。
次に、小説などの文学作品は雑誌に掲載されても単行本や文庫にならない。芥川賞を受賞した作家でさえ、そのほとんどは、半分以上が雑誌掲載のみで終わる。その雑誌が電子書籍で出ていなければKindleで読むことは出来ない。ましてや詩歌は99%は雑誌掲載のみ。Kindleで閲覧できる文学作品は実はごくわずかでしかない。
最後に、美術に触れる経験を子供に与えるには画集のように家に置けるモノがあると都合がよい。いきなり美術館へ連れて行っても高い確率でほぼ全部素通り、帰りの外食の方をよほど楽しみにしている。画集が家にあれば日頃から絵画というものの存在を認識するし、すごく暇なときに開いて読んでいることも稀にある。大人が楽しむにも、プロの解説付きの画集は何度も読み返して理解を深めることができる。
以上のように、個人として文化を深く楽しむにはモノが必要だし、それを子供に伝えるにもモノが必要。モノがいつでも目の前にある、手で触れることができる環境は文化への距離を縮めてくれている。だから私は家にモノを置きたい。
そんなに殊勝な帰り方をした訳ではない。辞めるかどうか長期間悩んでいたところ、激しやすく頑固者の父に勘当カードをちらつかされ、抗不安薬を手放せない母から、私の引っ越しで拒食が改善する見込みとのLINEが度々届くようになり腹をくくった次第である。
幸い私は結婚に失敗した独り身で、大した収入のない非正規の仕事(家族談。まあ私自身もそう思うけど)で糊口をしのぐ生活をしていたため、離職にあたり失うものはそれほど、多くは、なかった。
そんなわけで、実家には癌の症状もいよいよたけなわの父と、様々なことを心配するあまり精神の弱った母と、ニートの弟と、無職の私がいる。
さて、ここだけの話、私は母がほんの少し苦手である。ノンデリなのだ。
父には顔を合わす度に「しんどいなあ、しんどいなあ、何とかならんやろか」と深刻な顔で連呼し(都度父が「絶好調!」と返すのがお決まりのパターンである)、弟には「無収入の申告の役場への連絡なら自分でやれんか?電話なら顔合わせんから楽やろ」、私には「お姉ちゃんが戻ってきてくれて何でもやってもらえるわー」「はよ結婚相談所行って近所の相手見つけて子供作らんと」と相手の心を最も的確に抉るパンチラインを繰り出してくる。なお母は天衣無縫の才により攻撃の自覚が皆無で、常に「私何かやっちゃいました?」という顔をしている。
引っ越し以降ヘラヘラ呑気に構えることでこれに対応してきたが、今日は少し食らってしまった。
あのね、私がヘラヘラしてるのは、もう飯の味なんてきっと紙粘土みたいに感じてるお父さんに、できればお母さんにも、せめて楽しく過ごしたって思い出を、そのエッセンスだけでも得てほしいからなんだよ。
増田ちゃんみたいに割り切れればいいのに、じゃない。全然割り切れてなんかいない。でも私はこうするのが一番良いと信じてるんだよ。
あとノンデリムーブやめてください弱点を突かれ過ぎて死んでしまいます。この投げかけへの回答が「弱点って意識できてるってことは改善しないといけないって認識はあるようね」じゃねーんですわ!今だけは私のこの涙目をご覧いただいて!ね!私どもが不甲斐ないせいでお母様におかれましてはさぞご心痛のこととは存じますけどさあ!
みたいな問答を致しましたところ「やっぱり私が何もかも悪かったんだわ……みんなを導けなかった……」モードに母が陥ってしまいましたので今日はこれにて終了です。お母さんの自意識神か何かなの?
やっぱり生理前はヘラヘラ顔を維持できなくてよくない。しかし私は忘れっぽいので時が経つとこういう気持ちもヌルっと忘れて、なんとなくモヤモヤした恨みだけ残しそうなので一応書き留めておく。おやすみ!
一歩殺人者に近づいたというブコメあったけど、わかるような気もするし、違うような気がする
食肉関係とか、動物の解剖とか、人体の解剖とか、生体で手術とか
踏み出してしまったと思うであろう(思うかもしれない)行為は数々ある
自分は小3か小4の時に、親に包丁を刺さないことを選んだので、その時の何かが今も生きてるなら
自分の命がかかっていて即座に対処しないといけないときぐらいしか道を踏み外さないとは思うし、その時もぎりぎりまで命は奪わない方法を考えると信じてる
(びびって体が動かない可能性のほうが高そうだが)
あと、気になったブコメとして、
エアーでもよいのだが、増田が言ってるような、体を固定して任意のポーズをとらせるということが不可能なのは結構マイナス要因
正直肌はビニールでなければそれこそ抱き枕と一緒で布でも良さそう。
今のところ、上半身はババシャツ着せたり着せなかったり。下半身はタイツか厚めのストッキングで運用してる。
触り心地はストッキングが一番。普段でも生脚よりもストッキングを触りたいという癖が影響してるかもしれないし、その癖は、電線恐れて生より機会が少ないというレア感からかもしれない。
あとは乳首ありタイプの偽乳。リアルにするなら首まであるやつがよい。Dカップシリコン入り? がでかくて重すぎたので、Bカップ綿入りを追加した。
今のところBのほうが取り回しもしやすく、十分満足。
話がそれた。
普段のエアちゃん(仮称)のお部屋(寝床)に困らないのであれば(現状困ってない)綿を入れようかと思っている。
ただそれでも関節が動かないのは、回避できない。今は空気少なめにして無理やり曲がっていただいたり、テープで固定したり。
綿入れてマジックテープなりボタンなりでホールドだけなんとかできるようにとかが工夫の余地あるかなぁ
あと、顔。
顔がないのが逆にアド。一瞬紙粘土で自作考えたが、メイク技術も学ばないといけないし。
顔が無くてもその存在自体を愛せそうな気もするし、理想の顔になってしまったら引き返せない気もする。
あと3日で飽きるのは結構普段からそうで、どこか愛嬌? 嫌いなタイプの人が居たり、本人的なコンプレックスのある顔がほうが好き。
(超ドストライクな人と3年か4年続いて飽きなかったこともあったが)
理想どおりにならくても逆にそっちのほうが感情移入してしまう可能性高い
顔がないのが逆にアドとは言い切れない。
あと、偽乳とか衣類とかウィッグとか、あったら自分で装着したくなってしまう。
顔についてあれこれやりだすと、結局自分をメイクしてしまいそうなのも保留している要因か
とまあ、一般人からしたら、だいぶおかしなことになってきたと気づき始めているので、去年で一旦お別れというか、押し入れで待機していただいてる。
ほんとに寂しくてどうしようもなくなったらまた会いましょう
結果、家族バレしても言い訳がきくものを通販で(引っ越し先は宅配BOXがないので主に実家置き配。サイズが大きいものや商品カテゴリでコンビニ受け取りができないものが多い。専用ショップだと営業所止めができることを後から知った)
アダルトショップに行ったついでに大きな店でHMDを買えばよかったのだが、荷物が多く、まずはお試しで近所の100均一などでスマホをセットするタイプの簡易版を買おうと思って売ってなくていまだに未購入。
先に買った、偽乳、エアドール、穴あき全身タイツ、ウィッグ(結局ウィッグはあまり使っていない。髪型が微妙なのとずれるのと。えあますくを買うときに再購入予定)と、可愛い下着だけでプレイが充実しまくっている。
優先順位でいえば、次は可愛い下着(白)。小さなアダルトショップではいかにもエロい系下着が多く、今持っているのは地雷系女子が来てそうなプリントの入った黒いタンクトップ系の合わせ上下。
ネコポス対応とかで下着を色々探してたら、ノンワイヤーに辿り着いて、ジュニア系の店で、匿名というかバレずに受け取れますというアピールを見てしまってうぁぁってなってちょっと保留してる。まさに自分向けサービスすぎて、いったん立ち止まってしまって勇気をチャージしている。
それと、前述のえあますく。全身タイツは脱ぎ着が面倒なので、割り切って上はピタッとした肌着、下もナチュラル系のタイツにベースしようと。で無地のえあますくにウィッグずれないようにセットして、顔はどうしようかと。いっそ紙粘土とかで自作するか。普通に実物大の写真張ったらどんな感じなんだろう……などなど
そこまで行ってVRAVの存在を思い出した。
VRAVもずっとちらついてはいて、すでにFANZAで安いときに買った作品などもあって、スマホにアプリ入れてみてみたらかなり良さそうで。
ただそうなると、エアドールを見ながらはできない。音声作品のほうがよいような気がしてきた。(だいたい向こうがいく時に合わせていけるぐらい早漏でずっとがまんしてるタイプなので)
ちょうど自分用パジャマ買う必要あって、どうせだからエアドールに着せても似合いそうなやつにしてみた。
足指はともかく、手がミトンタイプなので、綿入れたり手袋装着したりとかも浮かんでたのだけど、前ボタンの男性用パジャマ着せたら萌え袖になって、手袋どころか肩から先はギリギリ肌感出さなくてもよさそうだ
色々悩みは尽きない。
小学6年生の時、6年間の集大成?としてなんでも好きなものを作っていいという課題があった。
6年間の冬に保護者を呼んで展示してみてもらうための作品作りだった。
私は当時どハマリしていた架空の生き物の育成ゲームをベースに自分の考えた島と大好きな架空のペットを紙粘土で作りたいと思い、母にこういった理由でこれを作りたいので紙粘土を買って欲しいとお願いした。
母はゲームをベースにするのはいいけど、紙粘土ではなく、フェルト等でペットの日々を絵本みたいなのを作るなら材料を買ってあげると言われ、渋々それにした。
元々、学校で完成させられなくて宿題になったり、夏休みの自由課題の〇〇の絵コンクールみたいなものは、私の考えたテーマは却下され、下絵も却下され、色塗りも朝から晩まで怒られながらやって、何度も作ったものを壊され破られやり直しさせられて来たので、自分が考えたテーマが通るだけでもまだマシかと思った。
なんだかんだで作品は完成した。自分の考えた島を紙粘土で作りたかったが、どうしても!という程のこだわりも無かったので、完成したフェルト絵本はそれはそれで良かった。作るのも楽しかったし。
多目的室に並べられた。作品は紙粘土で作った物や紙粘土+αで作った物が多く、高さもあるので、フェルト絵本は地味だった。
家に帰ってから、作品について感想をきいたら、「他の人の作品見て思ったけどあんたああいうのが作りたかったんだね。ごめんね。」
とだけ言われた。
自分の作りたいものを作りたい!と駄々をこねるフェーズは小2あたりで過ぎているし小6の最後になってなぜ今になって謝るのが訳が分からなかった。今も分からない。
特に嫌な思い出として残っている訳では無いが、母を悲しませてしまったけれども悲しませてしまった理由がわからないという意味でなんだかずっと忘れられない。
娘たちから、「ママは子供の頃は、将来何になりたかったの?」って聞かれた。
子供の頃……、今の長女と同じ年頃、10歳頃のことを思い出すと、本気でなにかになりたいと思ったことは、そういえばなかった。
何でなりたいものがなかったのか。その理由の一つが、私は幼い頃に病気で10歳までしか生きないだろうと、医者から余命宣告を受けていたので、誰も、私自身ですら、将来の自分に何も期待をしていなかったことだと思う。病気は小学校に上がる前にあらかた治っていたけれど、どうせ長生きしないんだからという投げやりな気分だけは、長く残っていたのかな。
小学校の高学年になると、将来の夢について作文に書かされたり、夢を叶えた自分の姿を紙粘土で作って授業参観で発表するとかいう機会があったから、殆ど強迫観念みたいに、夢は持つべきものだと思って、なりたいものを次から次へと言いだした。占い師だとか獣医だとか、色々。でも、本気でなれると思ったことはなかった。
中学の頃からは漫画家になりたいと思っていた。思っているだけじゃなくて、自ら言いふらして歩いていた。でも、本当は漫画なんか1ページも書いたことがなかった。毎日、高校受験の勉強の合間に、10分間だけクロッキーの練習をしただけ。それでもいつか漫画家になれると思っていた……そうだろうか? 本当は、将来というものにおそれをなして、ただ現実から目を背けるためだけにデカい声で「漫画家になる!」と叫んでいただけだと思う。子犬が真夜中に親を恋しがって遠吠えをする、その鳴き声とあんまり違わない叫びだと思う。ただただ不安だったから叫んだ。自分は人間だから「ワンワン!」と叫んでいるわけにはいかないので、なんか意味のありそうなことを叫んでみただけだろう。
まあ、そんなわけなので、ママには将来の夢なんか一つもなかったんじゃないかな。なんて、私はちゃっかり漫画家になりたかったことだけは抜きにして、娘達に話した。長女が最近、「将来は漫画家になりたい」と言っているから、余分なことを吹き込みたくなかったというのもあるけれども、やっぱりそれより、中学時代から数年(なんと大学を卒業するまで!)の、自分の弱さと情けなさにいまだ直面したくないというのが本音だ。
0歳時点で余命10年と宣告された私だが、もう40年近く生きてきた。十分に生きたし、子供達のことや老後のこととかはあるにしても、将来に不安とか、別に感じる必要もないわけで。近くの問題から目を背けるために遠くを見る必要はないのではないか? と思うと、単純にやりたいことと純粋に向き合えると考えた。なので、最近は昼間、私以外誰も家にいない時間は一人でパソコンに向かって小説を書いている。毎日毎日、まるでそれが仕事であるかのように書き続けて、すごい馬鹿だなと思う。
小説サイトに投稿すれば、読んで好きだと言ってくれる人がたまにいる。だがwebのコンテストに出品しても、掠りもしない。でもまだ出版社の原稿募集だけはチャレンジしたことがないので、次に挑戦するならそれだよなって思う。
ローソンの食べ物はどれも他メジャーコンビニとは一線を画する程においしい。そもそもおいしくしようとする気持ちがギリギリありそう。摂取に耐えうる範囲で安くしたい感じが少ない。
(全然関係無いけれど、おいしいものを出そうとしていた気持ちではセイコマレベルだったコンビニたちも飲み込んで、すべてを F にしたコンビニが何もおいしくないのなんなの。セブンの客をつかんだ後は食べ物か否かすらギリギリまでじわじわ下げるやり方よりはましだが)
けれども、袋入りのカット野菜がびっくりするほどまずい。ここ生鮮食品なんか売ってないなってスーパーのカット野菜よりもまずい。おいしくないんじゃなくてまずい。繊維オンリー。そりゃ水にさらされているうちに栄養が抜けていることは覚悟しているが、これは繊維以外のすべてを洗い流したくらいパッサパサ。どーしてくれんだマリコちゃん。
信じられなくて、大根ミックスサラダだけは管理上そうなっているのかと思って、全部の袋入りカット野菜を食べた。全部パサパサ。紙粘土みたい。イオン系の野菜よりパサパサ。イオン系は総菜も全部バッサバサなので平均値は勝るが。
なんでなんだろ…飾りか何かだという認識なのかな。
これからもコンビニやミニスーパーを頼りにせざるを得ないが、袋入りカット野菜を買うためだけにファミマに行くことにしたレベルで悲しかった。セブンはいつも通りギリギリ食べ物に分類されるレベルです。昔は圧倒的にクオリティ高かったのにな。
なんか悲しみを記述しようとしたら別の悲しみがどんどん湧いてきて収集つかん。デイリーポータル Z のコンビニ記事がすごい良かった人、寄稿でいいからまたコンビニの俯瞰的な話を聞かせてくれんかな…
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 69 | 11863 | 171.9 | 49 |
01 | 20 | 3212 | 160.6 | 53.5 |
02 | 82 | 12223 | 149.1 | 173 |
03 | 28 | 2350 | 83.9 | 41 |
04 | 29 | 4651 | 160.4 | 175 |
05 | 18 | 3735 | 207.5 | 173.5 |
06 | 43 | 8992 | 209.1 | 118 |
07 | 37 | 5411 | 146.2 | 79 |
08 | 93 | 13978 | 150.3 | 52 |
09 | 98 | 11839 | 120.8 | 56.5 |
10 | 131 | 21460 | 163.8 | 57 |
11 | 176 | 15575 | 88.5 | 42 |
12 | 236 | 17105 | 72.5 | 37 |
13 | 151 | 19148 | 126.8 | 38 |
14 | 126 | 17637 | 140.0 | 51 |
15 | 147 | 6633 | 45.1 | 25 |
16 | 204 | 13027 | 63.9 | 26 |
17 | 207 | 12354 | 59.7 | 34 |
18 | 199 | 17373 | 87.3 | 32 |
19 | 214 | 13903 | 65.0 | 33.5 |
20 | 172 | 15955 | 92.8 | 32 |
21 | 179 | 21288 | 118.9 | 26 |
22 | 178 | 15424 | 86.7 | 29.5 |
23 | 142 | 10853 | 76.4 | 35.5 |
1日 | 2979 | 295989 | 99.4 | 38 |
外反母趾(5), 紙粘土(3), プラダ(3), 竹下通り(4), 新大久保(8), 代々木公園(5), 歌合戦(3), 生産物(3), 服装規定(5), ドル円(6), 田植え(6), 転売(59), ホームレス(40), スーツ(18), 専業主婦(26), 相場(10), 五輪(7), 不動産(13), 私達(10), 店頭(6), 倫理的(6), 起業(12), 嵐(8), 取材(8), おしゃれ(8), 価格(21), フェミニスト(47), 売り(14), 売る(15), 言語(18), 売れる(12), メーカー(14), 優秀(19)
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