はてなキーワード: 戸籍謄本とは
こういう境遇の人も多いんだろうなあ
群馬県高崎市出身。両親は高崎市内で「フィリピンパブ」を経営していた。家族経営の店だったが、バブル時の好景気に乗って事業は拡大。最盛期には4店舗ほどに増えていた。ただ、フィリピンパブを営む家業には複雑な思いもあったという。
子供時代から歌うことが好きだった。お店のステージで、フィリピン人ホステスたちに囲まれて歌うこともあったという。
だが1989年にバブルが崩壊すると、日本全体が大不況に飲み込まれて行く。それにともない、彼女の人生も一挙に暗転。実家が経営するフィリピンパブは倒産。父親は多額の借金を抱え、一家は貧困生活を余儀なくされた。
父親は働いたが、多額の借金はなかなか減らなかった。身体の悪い母親まで働いていたが、家にはお金がない。それを見て、高校中退を決める。
「お金がない中でも、どうしても海外留学したいと思ってたんです。ただ留学費用は自分で稼ぐしかなかった。高校に通いながらバイトする程度では、とても留学費用には足りない。そう思って、高校は1年で中退しました。誰にも相談せず自分で決めました」
三人兄妹の末っ子。上に兄と姉がいるという。
ただその兄姉をはじめ、家族内の雰囲気に、幼い頃から「違和感」を感じていた。
「お父さんは私には優しいんですけど、お兄ちゃんとお姉ちゃんには、無茶苦茶当たりが強くて……。小さい頃、『お前はうちの子じゃないんだよ』と言いながら、お父さんがお兄ちゃんを殴ったりとか、『お前は川から拾ってきた子供だ』って言ったりとか……」
彼女には優しい父親が、なぜ兄と姉には辛く当たるのだろうか……。子供のころはまるで理解できなかったという。
「末っ子だから、私だけ可愛がられてるのかなって思ってたんですけど……」
その後、大人になった偶然突き付けられた真実は、想像していたような生易しいものではなかった。
「20歳の時に、パスポートを作ることになって、手続きのために戸籍謄本が必要になりました。当時は上京していましたが、謄本を取りに、高崎の市役所へ行きました。その時間違えて、私個人のじゃなく、家族全員の戸籍謄本を取っちゃったんです。それで、お兄ちゃんとお姉ちゃんは、私とはお父さんが違うことを初めて知りました」
一方、彼女は父親の実の娘で、兄と姉とは「種ちがい」の関係だった……。
衝撃的な事実ではあったが、兄と姉に対する父親の態度に、ようやく納得がいったという。
「戸籍謄本を見て、速攻でお母さんに電話しました。『お兄ちゃんとお姉ちゃん、お父さんが違うんじゃん! なんなら離婚もしてるじゃん』と。そうしたら母親がこう言ったんです。『今の時代、バツ2バツ3くらいついていないと、やっていけないんだよ』と。あまりに予想外の返事すぎてビックリしました(苦笑)」
「私のお母さんって、ある意味で肝っ玉母さんタイプっていうか、変に逞しいところがあるんです。私がAVを始めた時も、止めるどころか、『あなたの人生なんだから、好きにしなさい』と。
戸籍のことも、いずれ時がきたら自ずと知ることになるし、その時になったら話せばいいと思っていたそうです」
90年代前半、自分が18歳の時に区役所に住民票と戸籍謄本を取りに行った際に父親の名前を聞かれたので答えたところ、違うと言われて怒られた。「君、自分の親の名前なんで知らないの?おかしいでしょ」
父の名前は音読みで通っていて、父の親、つまり祖父母も音読みで呼んでいたし父自身もそれが本名だと言っており仕事で使う名刺の振り仮名も音読みだった。
更にもっとおかしな事に気が付いた。父方の祖父母の名前も違う。普段使っていて手紙や軽い法的文書(学校に出す認書など)にも書き、預金通帳にも記され、付き合いのある人に呼ばれる名前は通名だったのだ。本人が全く名乗った事もなく出てきた事もない本名が別にあったのである。
更に自分の苗字も今まで使っていた当用漢字と違い、戸籍では旧字体だという事にも気が付いた。知らなかったので学校の学生証も卒業証書も銀行口座も当用漢字で、それで通っていた。
何れも父方の関係である。何故こういう風になっているのか良く判らなかった。が、調べる方法を知らなかったしものを知る大人が近くに居なかったので説明を得られなかった。
その後10年以上が経過して図書館で調べる方法を知り、更にネットという道具を得た。その結果歴史的な背景がある事が判った。我々はほんの十数年前の事すら知らない。核家族化によって大文字の伝統から外された風俗も伝授されない。
日本は中華文化圏の周縁にあった。独立した文化ではあったが風物の認識には漢籍(中国で書かれた書物)が参照される。梅雨があるのにそれを無視して「四季」なんていうのもそうだ。漢詩での季題に倣って詩やうたを詠んだ事に由る。
昔の中国では親に貰った本名を親を除いて他人が呼んではいけない。本人も使ってはいけない。これは諱(忌み名)であり墓場まで持って行く。他人が本名を呼ぶのは殺人に値する非礼である。
この風習が日本でも倣われ、江戸時代まではやはり出生時に親に貰った本名は親以外が使ってはいけなかった。幼少時には幼名を使い成長した後には仮名(けみょう)を使う。仮名というのは後世の歴史用語であって当時の人達は本名を絶対使わないのだから「名」といったらこれのみである。
武士の場合は朝廷の官名を名乗った。大岡越前守の越前守は律令制時代の越前国の長官だ。それを名乗っている。水戸黄門は変則的で黄門は中国での中納言の事である。漢籍=知的であるので漢語で名乗ったものだ。~~左衛門~~右衛門というのは宮廷の衛兵の事だ。だから家光公なんて言い方は後世のもので当時の人は絶対に言わない。言ったら死刑だ。
外国の報道では天皇の名にemperorを付けるが日本語の報道では絶対に名を呼ばないのはその名残である。
明治になるとこの風習は廃され、どこでも本名を使う事が定められ、諱の併称も禁止された。だから明治以後は本名一本主義である。
…のだが実際は人々は従わなかった。相変わらず通名も使われ続け、更に一般化したのが有職読みだ。
有職(ゆうそく)読みは訓読みする語を音読みする事である。特に名前での使用が顕著であった。
例えば名付けする時に音読みも訓読みも出来る名にする。本名は訓読みとして戸籍に記す。だが一般に使うのは音読みの名前とした。
一般と言っても法的な行動含めほぼ一生の生活の全部である。不動産を買ったり婚姻届け出す以外ではそれで問題は起きなかった。現在常識化している正しい本名をどこでも使うのを求められるようになったのはバブル以後の30年位でしかないからだ。
だから歴史で伊藤博文(ひろぶみ)と習っても、当時の人はひろぶみなんて呼ぶ人は恐らく一人も居ない。呼び方は「はくぶん」だ。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13120057343
「イヌカイ キ」とフリガナを振っている。日本人の名に「き」はちょっと変だが、訓読みの本名を音読みするのが当たり前なのでそう書いてあるのである。当然本人の名乗りだけでなく世間の通りも「き」なので当然の事だ。
戦前の新聞を見れば歴史で習うのと違い、政治家の名前はほぼ全て音読みのフリガナが振られている。原敬なら「ハラ ケイ」である。
戦後になると流石にこの風習は廃れた。特に戦後生まれの団塊世代はこの倣いに従わなかったし、その親である戦中派の多数派も有職読みで子を呼ぶ事をしなかった。
しかし保守的な家庭ではこの倣いを続ける所もあった。それが私の父方だったのだ。祖父は旧職業軍人で戦後も神社や右翼人士と付き合いがある右翼シンパであった。
こんな感じで段々とこの倣いは細くなって行ったのだがバブル期~90年代前半にトドメがさされた。
銀行口座はそれまでハンコと通帳だけを参照するもので、本人確認もろくに行っていなかった。だから仮名での口座開設も簡単であり、銀行自体がそれを止めていなった。日本人で外国人名の口座をもっている人もいるし、法人格獲得していない社名でも口座が開設出来た。
だが当時日本はストックの急拡大により急激に国際的な地位を獲得しつつあり、マネーロンダリングへの対策を求められる事になった。これで仮名での口座開設は不可能になり、本人確認書類も必要になった。口座の文字は本名の字と一致させる必要がある。
更にIDカードが常に参照される社会になって行った。90年代初頭では「欧米では何するにもIDカード提示させられるのでID携行必須なんだよ」というのが珍しい事として語られていたのだが、90年代後半の日本はその欧米と同じ状態になっていた。
こうして本名との完全一致は常に求められうようになったので有職読みとか通称使用とかは完全に無くなって行ったのであった。
だから私が区役所で怒られる数年前までは細々と続いていた風習であったが、現代っ子であった私は自分の周囲がそういう古い倣いに従っていた事に気づかずに居たのである。
そして私を叱った区役所の役人は自分が生まれた頃にはまだかなり現役の風習に気づかず40年以上生きてきたのである。更に戸籍や住民票を扱う部署に配属されてなお知らなかったのである。常識とは視野を狭くする事の一例だ。常識があるが故に保守的な風習が認識できないというのは寓話的だ。
こういう事が判ってから母型の家系を調べると、やはり曾祖父母として認識されていた名前が戸籍に出てこないケースがあった。認識されていた名前と本名が違うのだろう。
現代っ子の自分は時代の常識に則り祖父母の名を本人に代わり書く時も本名を使うようになったが、この辺の知識が無かったのでその時バツが悪い思いをしているだろうという事に気が付かなかった。直接聞いた訳ではないが生まれてから数十年それが名前であったのだから言うまでもない。
親にキラキラネーム付けられて成人してから変名するケースが増えているが、この問題も昔の知恵なら問題にならない。
そもそも親がまともかバカかというのは子がベット出来ないギャンブルだ。そしてやたらとおかしな名前をつける親というのは戦前には結構いた。ダジャレで付けたり有名芸者の名前付けたり、バカ親は戦前でもバカ親である。
でも通名を別につける方法が残されているから問題が無い。「親に貰った名前を変えていいのですか?だって?親に貰った名前を名乗れるかよ!」と言えたのだ。
更に変な読みを付けられても有職読みすればいいのだから問題ない。「今鹿」で「なうしか」と付けられても「こんろく」と名乗ればいい。これは今でも教育現場でも会社でも本来の読みに固執しているのが問題であってそんな例外なきルールなんて精々30位の歴史しか無い。困った問題が続出しているなら破棄すればいいだけの問題だ。
なので硬いルールと思っているものが実は30年程度の風習でしかない事に気が付くべきだし、柔軟にしたら解決する問題もあるという事に気づくべきだ。伝統というものは伝統と思っているものの外側にある事がある。そしてその伝統が問題を解決する術を持っている事もあるという事に気づくべきだ。
最後に、あの区役所のおっさんにこの「自分の親の名前の読み方を知らない理由」を言って聞かせたいもんだが、もう鬼籍に入っちゃってるだろうなぁ。あんたの叱責のおかげで日本の伝統について知ることが出来たぜ。
あー同じような状況…
ぼくも父の顔を知らない。母からも詳しいことは何も聞いていない。父が母を捨てたのかも、母が父を見限ったのかも、知らない。
パスポートの申請で戸籍謄本を取ったとき、父親の名前が書いてあって驚いた。驚いたことは母にも言っていない。附票はなかったから住所などは追えていない。
いつか父に会いたいとは思いながら、ぼくは結局、あれから父の行方を調べていない。そもそもぼくは父に顔向けできるほど立派な人間にはなれていない。
でも、おたがい、いつかお父さんに会えればいいね。
たまに考えては、何度も迷っている。
30歳を前にする今となっては記憶も朧げだが、幼少期を母と2人で過ごし、小学校入学前に突然遠くに引っ越し、今の父も一緒に生活するようになった。
引っ越すまで近くに住む祖父母、伯父伯母、従兄弟と過ごしていたので父親がいないことに疑問はなかったし、最初は突然できた父親とギクシャクはありつつも、疑問はなかった。
小学1年生の遠足で、これまで父親を知らなかったことを一緒に歩く6年生に話し、「それはおかしい」と言われたことを、今でもはっきりと覚えている。
自分の家族はおかしいのかな?としばらく考えていたけど、これは考えてはいけないことなのだと封印したのだったと思う。
中高生になるとさすがに事情を察し、何か話しづらいことがあるんだと感じていた。
この話題には触れずに過ごしてきた。
大学に入学し一人暮らしを始め、奨学金の申請をすることになった。 (ありがたいことに、この奨学金には一切手を付けることなく、大学卒業時に全て返すことができ、両親に対して感謝しかない)
母からの電話で、「必要書類を送った。その中の住民票を見ると、今の父の養子という記載がある。20歳になってから話そうと思っていたが事情が変わったので、住民票を見る前に今話しておきたい。」と私が生まれる前後の話をされた。
詳細は割愛するが、血の繋がる父とは私が1歳になった頃に離婚し、それ以降連絡を取っていない、所在もわからないとのことだった。
それから少し時間が流れ、私が20歳になる少し前、血の繋がった父を探してもいいんじゃないかと思い立ち、戸籍謄本を辿ってみることにした。
まず帰省に合わせて本籍地で戸籍謄本を取り、たしかに転入元は幼少期を過ごした地であることがわかった。
幸い、一人暮らし先からその場所へ行ける距離だったので、すぐに転出届を確認しに行った。
そこで血の繋がりのある父親の名前、さらに前の転入元がわかった。
名前から辿るのは難しいだろうと判断し、離れた地である転入元に行ってみることにした。
住所まで行ってみたが、かなり山奥で畑しかない地だった。
転出元を管理する役所は統廃合がありつつも、辿り着くことができた。
役所の方に事情を説明し、可能であればここでわかる範囲の父の情報を知りたいと伝えた。
現在住んでいるかはここでは調べられないが、父の転出先の情報を教えてもらうことができた。 (かなり時間がかかったが、探すことに時間がかかったのか、情報を私に提供していいかの判断に時間がかかったのかはわからない)
後になって考えてみると、今の私とは戸籍上の関係がない人の情報を渡すのは不味かったのではと思うが、当時の私はここで手がかりが途切れるかどうかだったので、助かった。
血の繋がる父は、私の住む場所からそう遠くはない場所にいるかもしれないことがわかった。
探索は一旦ここで止まって10年ほど経った。
血の繋がる父親の存在が近づいてきて、ここから先に進んでいいものか決めきれずに、時間が過ぎてしまった。
私は社会人になり、現在の住まいも大学生の頃の場所からは遠く離れてしまった。
この10年で父が転出した可能性もあるし、そもそも生きているのかもわからない。
今となっては、また調べることは難しいかもしれない。
私も子供から大人になり、幼少期を1人で育ててくれた母、他の兄弟と分け隔てなく接してくれた育ての父に対して、素直に感謝できるようになった。
同時に、全く記憶にない血の繋がりに今更会ったところでどうするんだという気持ちもある。
そして、何かが変わってしまうのではないかという怖さが一番大きい。
会っても何かしら後悔するかもしれないし、会わなくてもきっとどこかで後悔すると思うと、停滞を選んでいる。
いつか向き合うことはできるだろうか。
気に入ってた格好いい苗字からそこら辺にいそうなありふれた苗字になってクソ!!
マイナンバーカードに旧姓併記したいって言ったら戸籍謄本持ってこいという役所クソ!!!
運転免許証への旧姓併記もマイナンバーカードの後と言われるクソ!!!!!
じゃあ旧姓併記以外やってと言ったら本籍書いてある住民票持ってこいと言われるクソ!!!!!!
なんか忙しかったが、昼間は暇だったらしくて、大量の米飯と惣菜パンが余っていた。
バックヤードに置いてある大量の余りおにぎりは、オーナーが19時半に出勤してから出すから、それまで触らないでそのまま置いといてくれ、というのがオーナー命令だったらしい。が、シフトリーダーはそんなもん認められないって言って、売り場に残ってるのが少ないおにぎりだけ品出しをしていった。
シフトリーダーは今年の始め辺りから一層、オーナーの命令なんか真面目に聞いてられるか! 現場を知っている私の判断で仕事を回してやる! とやる気を高めまくっていて、一々オーナー命令より自分の判断が正しいんだ! とただのバイトの私にまでアピールしてくる。
本当は今日も17時台はフリーター女子バイトさんだけで店番をする時間だったのだが、シフトリーダーはそんなのあり得ないっていうので私が出勤するまで自主的に残業をしていた。まあ、若い女の子一人で、時々すごく忙しくなる時間帯の店番をするのは危険だからいいのかもしれないけど、オーナーに話を通さずに勝手にやることにシフトリーダーは拘るなぁ。
糞忙しい時間帯に、コピー機の使い方が分からないから教えてくれという電話がかかってきた。スマホで撮った写真を、写真にプリントせずに普通のコピー用紙に印刷したいのだが、どうやればいい? 知らんなぁ……。バイトはコンビニとATMの操作法を完璧に熟知していると思われがちなのだが、別に大した知識は持っていない。コピー機のことはお客様がセルフでやるべきことであって、ATMのことなどは法律上コンビニ店員が使い方を教えることさえ出来ない。なのであまりアテにしないで欲しい。……なんて言う訳にもいかないので、アプリにやり方書いてあると思います、などと適当なことを言ってしまった。
段々店が空いてきたなぁ、やっと一息つけそう、という時に、コピー機の使い方が分からないので来てくれと、お客様から言われた。免許証のコピーが出来ないという。なるほど。
ハガキ大? 免許証を何でハガキにコピーするの!? と思って聞いたら、免許証は小さいから小さい紙に印刷すれば紙の節約になると思ったそう。いや、そのボタンはハガキ大の紙にコピーじゃなくてハガキにコピーする用のボタンであって、しかもハガキがコピー機に入ってないからコピー無理です。と答えたら、
「あーやっぱりー。そうだと思ったんだよねぇー」
ですと。そうだと思ったんなら自分でリトライすればいいんじゃないかなあ。普通の白黒コピーをすればいいんだねってんで、お客様はすいすいとタッチパネルを操作していったが、用紙の大きさを自分じゃ選べないとか言い出したので、適当に「A4で良いと思います」、と答えておいた。で、レジに戻ってから気づいたけど、紙の節約がしたいんならB5にすればよかったんだな。
そのお客様はしばらく経ってからぷんぷんに怒りながらレジまで来た。なんでも、紙を印刷したら変な字が出て来た! とか。見れば、住民票か戸籍謄本か何かのコピーで、偽造防止の透かしが印刷されていたのだ。
「偽造防止の透かしですね」
と私が見たまんま答えると、
「じゃあこれは使えないってこと!? あっちがこの書類の“写し”で良いって言って来たのに!?」
と私を詰ってくるんだが、「あっち」とは誰なのか分からないし、住民票か戸籍謄本か何かの「写し」というのは今まさにお客様が持っている「それ」なんじゃないかなあ? と思ったんだけど、
「先方がそれでいいと仰るのならそれでいいのでは?」
と答えた。疲れた。
まず、すべての相続権者を洗い出すために大量の戸籍謄本が必要だが、異母、異父兄弟の戸籍には近づけないので、この時点で士業に頼らなくてはならない。しかも戸籍謄本の一覧をくれるサービスは無いので、全部一つずつ探さなくてはならない。一枚取得したら従前戸籍を確認してその自治体に連絡。下手すると日本中に散らばっている可能性すらある。
次に、遺産相続協議書に「全相続権者が同意して捺印しないと」遺産分割は初めてはならない。万が一遺書に「この人は戸籍にいないけど相続権者に追加する」とか書いてあったらまたさらに調べないといけない。
協議書についても、もめようと思えば何十年でももめられるし、その間に万が一死者が出たらその人の持っている相続権はその人の相続権者に散らばるので更に面倒くさくなる。その人に子供が5人とかいた場合は、その5人に散らばり、5人のうちの二人が子供を三人ずつ残してすでに他界していたらそれが三分割されて子供に行く。
不動産などがあれば処分することもできないのでひたすら税金を払う羽目になる(これは相続権者が法定割合に従って按分して支払う)。法定相続割合が決まってるのになんで?と思うかもしれないが、相続財産の半分が家、とかの場合どうするんだよ、とか、畑の場合はより収穫が望めるものを欲しいとかで揉める。絶対に揉める。そもそも持っていた不動産が売れない場合や、売却金額に納得できない人が一人でもいたら永遠に話はつかない。
非相続者が遺書で「全部この人に相続する」と書いても、最低限の割合(本来の相続権の半分)は他の相続権者に絶対に持っていかれる。
相続筆頭に立った人ばかりが働く羽目になるがそれによって相続権に色がつくことはない。
相続権に時効はないので、例えば、30年前に家を飛び出した前妻が突然子供を連れて現れた、なんて言うこともあり得る。
遺書なんか偽造しようとすればいくらでも偽造できるのに偽造できない仕組みを導入することはしない。
故人が借金を残していたりすると更に話がややこしくなる。財産は相続するが借金は相続拒否するということはできない。貸している側も法定ギリギリになってから急に言いに来たりする。できるだけ故人の死のショックが抜けないうちに来たりもする。ここでうっかり「はい」と答えたら相続確定、借金を背負う羽目になる。
1870年の平民名字許可令によって、誰でも名字を使って良くなった。これまでは平民は名字を使ってはだめだった。
1871年の戸籍法によって名字の登録が推進された。姓尸不称令によって名前は名字と名前になった
1875年の苗字必称義務令によって、名字を持つことが義務になった
1876年の戸籍法では夫婦別姓だった。そもそも慣習としては夫婦別姓だった。
夫婦別姓、と言うと少しニュアンスが違うけど、日本に於いては「親の姓を男女問わずに継いでいく」が基本だった。ただ、庶民には姓なんかないので、この辺は宙ぶらりん感がある
「戸主及ビ家族ハ其家ノ氏ヲ称スル、妻ハ婚姻ニ因リテ夫ノ家ニ入ル」
というように書かれているので、結婚したら妻(女性)は夫の家に入るので、名字は夫の名字になるというようになった。
夫婦同性、と言うよりは、嫁自動的に夫姓になる制度と言っても良い。
そういえば婿養子ってなんだよと思ってこっちも調べた所、男性が親と養子縁組を結んで、その家の娘と結婚する、と言うクソめんどくさい手順によっているようだ。
ここまで見てみれば(と言ってもほうぼうで見かけた情報ではあるが)、夫婦同性というのは明治時代に導入された制度だが、「平民も名字を名乗っていい、いや、名乗れ」からの流れの中で「結婚したらどうすんの?」という感じで「夫婦別姓でいいんじゃね?このほうが自然だし」からの「いややっぱ旦那の姓をなのれ」に変わってきたという結構不自然な家庭を経ている。これを伝統と言って良いのであれば、国家が国民に強制してきたことが伝統になってしまう。
テクニカルに夫婦別姓を考えると、データ管理の点でのコストがあるというのはある。
DBなんかで詳しい人は「姓」にその戸籍の参加者を紐付ける形で管理していたが、この「姓」が家庭の単位を表さなくなったときにどうやって国民の戸籍情報を管理するのかという問題がある。いつ生まれて、どういうふうに転居し、誰と結婚して、子供が生まれて、離婚して、死別して、みたいなすべての履歴データを新形式にコンバートせよという難題だ。明治時代とかの手書きの戸籍謄本は電子化したうえで、ID割り振りという苦行が待っているだろう。待っていないかもしれないがこの辺は考え方次第かもしれない。
戸籍謄本は直系尊属はいくらでもさかのぼって取得して良いというものがある。これは、自分の親、親の親、親の親の・・・というようにさかのぼって戸籍が取得できる制度になるのだが、仮に「姓」で戸籍情報を管理する場合、別の情報で戸籍管理をする必要が出てくる。過去の人にもさかのぼって。
もしこういうプロジェクトを立ち上げた場合にやりたい人っているだろうか、いやいるまい。
夫婦別姓をシステムとして導入するには以下のステップがいるだろう。
何よりもきつそうなのは、戸籍データが各自体で各々管理されている(総務省が何かしらの方法で一括管理しているかもだけど)ので、この辺のすべてのデータを統合する必要がある。しかもやっている間も粛々と人々は結婚し、生まれ、離婚し、死に、転出し、転入する。
そういうわけなので、なにかウルトラCを考えないと、システム側からの夫婦別姓はかなりの困難を伴うだろう。
もしこの辺がきちんとシステム化された場合、例えば遺産相続で非相続者が登場するすべての戸籍謄本を集めなくてはならない(法的に他に相続権者がいないかを証明する必要があるので)というクッソだるいイベントがあるんだが、これを非相続者のIDで申請したら一気に全部取得できるとかそういうのはできるかもしれない。
夫婦別姓なんか「もともと何の問題もないので好きにしてください」位自由にできる。
氏名変更だってそんなに難しくない(しょっちゅう変えるとシステム的に良くてもみんな混乱するので何かしら規制は入るだろうが。)
父が亡くなって、いろいろ契約を整理することになった。
通帳やクレジットカード、保険契約、年金処理をしている中、謎の契約が見つかった。
このまま引き落としが続くのは困るのでドコモショップへ契約の解除をお願いしに行った。
「番号がわからないと止めようがないですね」
名前や住所で止められないのかと訪ねても、該当する契約は見つからないとの回答。
別の方の名義で引き落としだけ父のクレジットカードになっている可能性があるそうで、
その場合遺族の依頼であっても勝手に止めたりすることはできないらしい。
どうしたら請求を止められるか尋ねると、
「クレジットカードの方で止めていただければ」ということで、結局その日は帰ることに。
仕方ない、クレジットカードの方に連絡しよう……
「ドコモの請求について、クレジットカードのほうからお止めすることはできません。
すでに請求された分についてはお支払いしていただく事になってしまいます」
葬儀や他の手続きでもう気力がなくなっていたので、案内されたとおりに未納になっていた分をそのまま支払い。
納得は行かないがひとまずこれで終わった……
そうして一年以上経ってから、2021年1月以前分の料金が未払いになっていますという通知ハガキが届く。
この葉書には父の名前と請求金額とともに見覚えのない携帯番号が載っていた。
電話で問い合わせるも電話では対応できないということで再度ドコモショップへ
父は外でパソコンを使うという発想ができるほどITに詳しくはないし、家でのパソコンの使いみちはメールと麻雀だけだった。
契約した時期には既に光回線を契約していたはずなので、量販店の店員の口車に乗せられて契約とセットでノートパソコンか何かを買ったのだろう。
「契約が見つからなかったのが仮にこちらのミスであったとしても、
故人の口座でお支払いいただいた金額について、故人以外の方に返金することはできないということになっているため。
申し訳ありませんが、請求させていただいた金額についてはお支払いしていただくしかないとしか言えません」
悔しさと怒りと情けなさで頭がぐちゃぐちゃになりながら、「払います」としか言えなかった。
約2万円弱。延滞料金も含めて。
自分は人としゃべるのが不得手で、事前に頭で想定して置かないとまともに会話することすらできない。
人から見たら自分はどんなに無能に見えるのだろうと無力感を味わいながら帰宅した。
どうすればよかったのだろう
以下は日本での話。
アカウント作成後、本人確認を済ませることですべての機能を使えるようになるシステムだ。
本人確認には運転免許証かマイナンバーカードのどちらかが必要。
以下の鉤括弧内は要約。そのまま転載しちゃうのもなんかアレなので。
二重鉤括弧は原文ママ。少しでもニュアンスが変わるとまずい部分。
12月上旬、アカウント作成後マイナンバーカードで本人確認の手続きをした。
性別と臓器提供うんぬんを知られたくなかったので表面を撮影するときはプラスチックカバーに入れて、裏面はカバーを外して撮った。
しかし何度再撮影→再申請しても却下される。アプリ内のサポートチャットに問い合わせた。
「苦情申立がしたいので人間に交代してください」と言ったら人間に交代した。
私「マイナンバーカードの画像が不鮮明であるとして却下された。カバーを外したくないが、そのままでもできる?」
Revolut「今から本人確認する」「技術的な問題が発生したためだったが、解決した」
本人確認の部分で問題が発生するって大丈夫なのかな、と不安になりつつも、問題は解決したのでこれでよしとした。
当該家族はアカウント作成が得意ではないので、私が代行することになった。
家族のスマホでカバーを付けたマイナンバーカードと家族の自撮りを撮る。
案の定却下された。どうせ再撮影しても却下される気がしたから、いきなりサポートチャットに直行。
代行私「マイナンバーカードを撮影したが不鮮明として却下された。」
代行私「家族(=私自身)はカバーを外さずにできた。チャットで確認済み。臓器提供の情報が必要なの?」
代行私「家族は性別を情報提供せずに本人確認できた。なぜ性別が必要なのか。差別をするのか。」
Revolut「メールやアプリ内通知で適切に対応するために必要」
代行私「性別に対応する対応を変えることがあるのか? 本人が自己回答した望む性別ではなく、身分証明書に記載された性別の提出を強要するのはなぜか?」(=性別の情報が必要ならば、身分証明書に拠らず別途自己回答させればよくない?)
Revolut「性別を隠したいのであれば私は相談しなければならない。いい?」(ちょっと日本語が怪しいのは要約前の原文由来)
代行私「はい。私の家族は提供していない。前例がある。レインボーフラッグ色のデビットカードを発行しておきながら、このような対応には不信感を抱く。」
Revolut『性別によって対応を変えることはありません。アプリが言語が日本語に設定したら違いは全くありませんが英語にするとMr.かMrs.を使うことになります。 お客様の要望に応じて性別を調整するプロセスがあります。これは完全な解決策ではないことを認識していますが、私たちは電子商取引機関であり、政府が発行した公式文書で提供されているデータを使用する権利があります。』(後略、原文ママ)
代行私「政府が公式文書を提供していることを理由に差別を正当化するのはやめるべきだ。 その理屈だと、戸籍謄本を要求して本籍地や先祖の情報を要求することも正当化できる。性差別だけでなく部落差別や民族差別をも肯定しかねない発言は慎んだほうがいいと思う。」
これからしばらく待った。予想外の返答が来た。
Revolut「相談の結果、性別を隠したい場合は例外を設けることができる。今すぐ本人確認を完了させる。」
一つ言い忘れてた。
マイナンバーカードが必須なら性別が必要ってのも分からんでもないけど、運転免許証という選択肢がある時点で性別を見せなきゃならないのはおかしい。
差別云々は抜きにするにしても、不要な個人情報を収集するというプライバシーの観点からどうかと思う。
Revolutは性別を届け出ないのは例外だとやたら強調していたが、これが事実であるなら私には例外が自動的に適用されて、家族には自動で適用されないことになる。
氏名と顔写真に基いて、トランスジェンダーやノンバイナリーの類っぽい人間だと判断したら例外を自動適用してるのかもね。
邪推だけど、Revolutは差別をする企業だからそれくらいやってても不思議ではない。
もしそうだとしたらさらに悪質だなあ。