はてなキーワード: 偶像とは
Vtuberリスナーはよくテンプレ批判に対してアイドルを引き合いに出して反論しているが、そもそもアイドルに金を貢ぐ行為からしてよく分からないのは自分だけだろうか。思うに、「バチャ豚」の蔑称を用いて批判を繰り返すような人間は私みたいにそういう人間の心理が理解できないのだろうと推測する。
まず、グッズをコレクションしたり、メンバーシップの恩恵を受けたりなど単なる体験ではなく「実物が手に残る」ということに対してお金を使う例。これは全く問題なく理解出来る。特に、ゲームなどでコレクター気質の自分からするとグッズなんかを(実際に買い集めたことはないが)集めたくなる気持ちは実によく分かる。メンバーシップの限定動画や配信なども繰り返し視聴可能という点で実物が手に残ると言って差し支えないだろう。問題は「実物が手に残らない体験」についてである。アーティストのライブのように多額の費用を投じて行われる一大イベントならまだしも、基本的に無料で視聴可能なゲームや雑談の配信に対してであるのだから尚更である。もちろん全ての投げ銭が煩悩に支配されている訳ではなく、純粋に「応援したい」「感謝を伝えたい」といった心持ちで投げ銭する人がいることは分かっている。その上で、本当に、理解が出来ない。
Vtuberというのは、デジタルのガワを被ったただの配信者である。たかだか一人の異性との写真、たかだか一個人のゲームプレイ映像。たかだか一人の異性との握手、たかだか一個人の雑談。たかだか一人の異性との二言程度の会話、たかだか一個人からの感謝の言葉。これはただの個人の感想でしかないのだが、これらに金銭を使うぐらいならば美味い飯でも食った方が余程幸せなんじゃないのかと思ってしまう。金銭を虚空に消し去り手元に何も残らないことに虚無感は感じないのだろうか。私も出来心でソーシャルゲームに少額課金してみたことがある。最高レアのキャラクターを入手し束の間の喜びを感じたものの、その快楽が過ぎ去った後に残るのは虚無感だけであった。恐らく私がスパチャを投げようもんなら恐ろしい程の虚無感に襲われ、たちまち泡を吹いて死に至る。
分からないなりに考察すると、彼らは決して自分を裏切らないVtuberを、決して自分を裏切らないルックスを持つアイドルを、心の拠り所にしているのではないだろうか。これらに共通するのは強い信頼感である。身近な人間と比べても、自分の望まない行為や結果を起こす可能性はかなり小さい。
では、他人がそうしている間私は何を心の拠り所にしているかというと、何も無い。自分が何を欲しているのか、何をしたいのか、分からない。投げ銭を連投するリスナーをカオナシとはよく言ったものだが、何を隠そう我々こそが真のカオナシだったという訳である。しかし、動いて喋る二次元のキャラを見ても、優れたルックスであざとく振る舞う人間を見ても、何も心は動かない。それは心の拠り所にはならない。その結果が、「バチャ豚煽り」なのだろう。理解できない人々の反対側に自らを置くことで、居場所を無理やりねじ込んでいる。彼らの出来上がる過程としては同性愛差別主義者などと同じで、理解できないことに対する根源的恐怖が彼らを狂わせているのである。
Vtuberリスナーはよくテンプレ批判に対してアイドルを引き合いに出して反論しているが、そもそもアイドルに金を貢ぐ行為からしてよく分からないのは自分だけだろうか。思うに、「バチャ豚」の蔑称を用いて批判を繰り返すような人間は私みたいにそういう人間の心理が理解できないのだろうと推測する。
まず、グッズをコレクションしたり、メンバーシップの恩恵を受けたりなど単なる体験ではなく「実物が手に残る」ということに対してお金を使う例。これは全く問題なく理解出来る。特に、ゲームなどでコレクター気質の自分からするとグッズなんかを(実際に買い集めたことはないが)集めたくなる気持ちは実によく分かる。メンバーシップの限定動画や配信なども繰り返し視聴可能という点で実物が手に残ると言って差し支えないだろう。問題は「実物が手に残らない体験」についてである。アーティストのライブのように多額の費用を投じて行われる一大イベントならまだしも、基本的に無料で視聴可能なゲームや雑談の配信に対してであるのだから尚更である。もちろん全ての投げ銭が煩悩に支配されている訳ではなく、純粋に「応援したい」「感謝を伝えたい」といった心持ちで投げ銭する人がいることは分かっている。その上で、本当に、理解が出来ない。
Vtuberというのは、デジタルのガワを被ったただの配信者である。たかだか一人の異性との写真、たかだか一個人のゲームプレイ映像。たかだか一人の異性との握手、たかだか一個人の雑談。たかだか一人の異性との二言程度の会話、たかだか一個人からの感謝の言葉。これはただの個人の感想でしかないのだが、これらに金銭を使うぐらいならば美味い飯でも食った方が余程幸せなんじゃないのかと思ってしまう。金銭を虚空に消し去り手元に何も残らないことに虚無感は感じないのだろうか。私も出来心でソーシャルゲームに少額課金してみたことがある。最高レアのキャラクターを入手し束の間の喜びを感じたものの、その快楽が過ぎ去った後に残るのは虚無感だけであった。恐らく私がスパチャを投げようもんなら恐ろしい程の虚無感に襲われ、たちまち泡を吹いて死に至る。
分からないなりに考察すると、彼らは決して自分を裏切らないVtuberを、決して自分を裏切らないルックスを持つアイドルを、心の拠り所にしているのではないだろうか。これらに共通するのは強い信頼感である。身近な人間と比べても、自分の望まない行為や結果を起こす可能性はかなり小さい。
では、他人がそうしている間私は何を心の拠り所にしているかというと、何も無い。自分が何を欲しているのか、何をしたいのか、分からない。投げ銭を連投するリスナーをカオナシとはよく言ったものだが、何を隠そう我々こそが真のカオナシだったという訳である。しかし、動いて喋る二次元のキャラを見ても、優れたルックスであざとく振る舞う人間を見ても、何も心は動かない。それは心の拠り所にはならない。その結果が、「バチャ豚煽り」なのだろう。理解できない人々の反対側に自らを置くことで、居場所を無理やりねじ込んでいる。彼らの出来上がる過程としては同性愛差別主義者などと同じで、理解できないことに対する根源的恐怖が彼らを狂わせているのである。
某アイドルグループが怖い
すぐわかるかもしれないが、問題児が出て、メンバーの一人が急遽消えてしまったグループだ。
建前上「体調不良」にしてあるが、メンバーは心配するそぶりもせず、
ついつい話に出しちゃったり、怒ったり、そういうことが
一切いなかったかのようにふるまうほうが、アイドルであることは、
納得しているのだが。
それがやはりどうしても怖いんだな。
そこに「いない」ことがまざまざと見せつけられているのに、
前まで全員で歌っていたPVが一人減っている。
全員で歌った曲が消えている。
それがさも当たり前のように淡々と過ぎる。
そして、ファンも当たり前のように「わあ!楽しみ!」とコメントする。
いや、何度も言うが、「仕事」だし、それがアイドルとして正しい姿なのだ。
仕事だといくらわかっていても、ある日突然いなくなったメンバーのことを
一切触れずに笑顔で「次のアルバム出ましたー!」と言える人々の
ことを見ると、「ああ、この人たちアイドルとしてすごいなあ」と思う反面、
やはり、怖い。
アイドルは確かに偶像だが、別に神とか人外として見ているわけではない。
神を拝めているわけではない。
とても距離感を感じる。
お便りを読んでペンネームを呼んでくれた時も、
あんなに近くに感じたのに、
今じゃそれがむしろ、「偶像たる存在の、人間のまねごと」にしか見えなくて怖い。
ちなみに、匿名ダイアリーに書いたのは、ただただ「怖い」という感情を
吐露したかったからであって、批判するなら表のブログで堂々と書く。
しつこいようだが、「仕事」である以上、それが正しいことは分かっている。
ただ、それがわかっているからこその否定的な感情がどうしても抑えられないことが耐えきれず、
ここに吐き出した。
オタクは後天的な趣味だから、先天的で変更できないor変更困難な属性(在日、黒人、ゲイ、女性etc...)に置き換えるのは無理がある。
「オタク差別」を論じる時には「異教徒から改宗してイスラム教徒になった人への差別」が置き換えるのに適切な例だと考える。自分で選んで差別される立場になったという共通点から。
https://anond.hatelabo.jp/20211121073713
いちいち言うのも嫌だけど、オタクを在日とかと入れ替えてみてくださいよ。
在日から凶悪におぞましい犯罪者が出たら(実際出てる、当たり前)、在日全体を蔑視したり疎外したりしていいの?
(中略)
tokatongtong 先輩「俺はゲイだけどゲイは弁えるべきだし同性婚まで求めるべきではないと思う」っすかあ
「古臭い差別野郎の手垢のついた手口」を更に天丼してくるそれってなんかのギャグなんすか?
イスラム教は、開祖のムハンマドは最愛の第四婦人アイーシャが9歳の時にセックスして、聖戦で死んだ者が行く天国は処女膜が無限に再生する美少女ハーレムと描写されている。どこかの「エロゲ」か「なろう小説」かな?
コーラン他の聖典には異教徒差別、女性差別、同性愛者差別がいくらでも見つけられる。
こういうのが(旧約聖書の食事のタブーのような)古代のとっくに廃れた教義では留まらず、現代に至るまで、
「自爆すれば美少女ハーレム天国に行ける」と絶望的な生活をしているパレスチナの少年をテロリストが勧誘する文句に使われたり、
女性や異教徒を奴隷にするイスラム国やタリバンを生み出している。
フィクションと理解した上で12歳小学生アイドル催眠陵辱エロ同人誌でオナニーしているキモオタと比べて、9歳女児第四婦人セックスや異教徒性奴隷化や無限処女ハーレム天国を神聖な預言者の事績や神の言葉と本気で信仰しているイスラム教徒の方が潜在的に遥かに危険な連中であるのは間違い無い
……とイスラム教については素人の私などはついつい偏見を抱いてしまいそうになる。
しかし、だからと言って、仏教徒からイスラム教徒になった日本人に対して「このロリペド・セクシスト・ホモフォビア野郎め!」と罵倒してはならないし(たとえ彼が生まれながらの信者ではなく自分の意思で「9歳女児とセックスしたムハンマドは神の使徒なり」と改宗を誓ったとしても)、
公共の施設でイスラム文化に関する展示が行われる時に「このような女性差別・同性愛者差別の思想を公共の場で税金を使って宣伝することは許されない」などと攻撃して展示の中止を求めるのは宗教差別であろう。
我が国には信教の自由というものがあって、ペド教祖が受信した差別主義の煮凝りのような神の言葉を聖典と崇める宗教の信者が、公共の場で堂々と彼らの宗教シンボル(例えばヒジャブ、女性の隷属的地位の象徴と批判する意見もあるだろう)を表現できる(偏狭なフランスと違って礼拝所の外ではヒジャブを脱げとか日本では法規制されない)。
公共の場で児童婚をした教祖を崇めて実在の女性にヒジャブを被せるイスラム教徒を容認するほど、我々の社会は多様性を尊重するのだから、12歳の架空の偶像を陵辱するキモオタの罪の無い妄想ぐらいは容認すべきであろう。
というわけで、オタクを黒人や在日のような生来のマイノリティに例えるのは無理があるけど、イスラム教差別への反論はオタク差別への反論に使えるぞ。
某ソシャゲの某女性声優が素行の悪い男のセフレであるとの噂が流されて炎上している。
噂がすべて事実であるとすれば、演じているキャラを降板するのは不可避と当然のように語られているが、彼女が仕事を奪われるのは不当である。
以下の通り、某女性声優は契約を解除されるべき不正行為は何も行っていない。
・本人も相手の男も独身とのことなので、不貞行為による民事上の損害賠償責任も発生しない
・ゲームの未公開情報を交際相手に教える等のコンプライアンス違反も犯していない
そして見落としがちだが、今回のセックス・スキャンダルは彼女自身が意図的にあるいは過失で公開した情報ではない。
第三者である男の恋人が当てつけとして暴露したものである。某女性声優自身は望まずしてプライバシーを晒された、いわばリベンジポルノの被害者である。
――もちろん、ビジネス上の理由で某女性声優は降板するしかないであろう。
今や某女性声優が演じるキャラに課金していたファンは激減し、アイドルユニットで売っている某ソシャゲの特性から同じユニットの他のキャラへの課金額にも影響し、ひいては某ソシャゲ全体の売上の減少にも繋がりかねないからだ。
しかしそれでも、某女性声優に降板を強要するのは不当であることに変わりはない。
考えてもみて欲しい
「犯罪行為も、ビジネス上の不誠実な行為もしておらず、独身者同士の自由恋愛を第三者に暴露されたことを理由に仕事を奪われる」
これほどの不正義があろうか?
フェミニズムの立場からは、女性が保守的な性規範から逸脱して性愛を楽しむことに対してことさらに社会的制裁が加えられるという女性差別の一形態「スラット・シェイミング (slut-shaming)」であると批判するべき状況であろう。
――おそらくは、月曜にでも某女性声優の体調不良による降板がアナウンスされるであろう。過去の声優のセックス・スキャンダルのように。
しかし私は彼女に徹底的に闘って欲しいと思う。降板を強要するゲーム会社や事務所による契約の解除は不当であると裁判で争って欲しい。役を続けることはないとしても相応しい金銭的な補償を勝ち取って欲しい。その後も女性に性規範を押し付ける世界と戦い続ける闘士になって欲しい。
オタクくんにとっては聖女や天使しかいない純潔な世界を破壊したフェミニズムやポリコレを象徴する悪魔として、
しかしながら多くの同業者や女性にとっては自由を象徴する女神として新しい偶像(アイドル)を人生を通して演じ切って欲しい、そう心から願う。
(追記)
私はこの件について某女性声優を擁護する意見を表明しないフェミニストを今後一切信用しない。沈黙している者は自由恋愛をしただけの女性を罰する家父長制権力に服従している差別主義者の一員とみなす。私はひとりのフェミニストとしてここに意見を表明した。あなた方はどうする?
https://www.chinatimes.com/realtimenews/20211008004667-260404?chdtv
《偶像大師》女聲優被爆是小三 正宮狠貼赤裸事後照「還1夜4次」
https://tw.appledaily.com/international/20211008/AXQL4OAMEFCP5L4DTJCN6FA7WY/
読める読める…
こんな感じの人は見ないでくださいね。多分めっちゃくちゃ不愉快だから。
先に言ったからね。
そもそもがなんかもうただただ口汚く感情を吐き捨てたかっただけだから、きっとてつもなく読みづらいし楽しくもなんともないし毒にも薬にもならないよ。
先に言ったからね。
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勿論、全ての人がそうではないと思うし、坊主憎けりゃの精神で十把一絡げに物を言うつもりはないけど…
でも、ここ最近で考えると、なんかもう本当に訳のわからない職業になっちゃってるよねって。
まぁネットって物がある現代故に表面化するんだろうし、あるいは昔だとパワハラセクハラもっと酷かったのかもしれないけど。知らんけど。
それでも最近は余りにも目に余る物事が頻発してると思うんですよ。
有名人のおまけみたいに言われるのが嫌
とか
とか
もう義務教育を終えて働いてお金を貰ってる人の言い分と思えないんですよ。幼稚園児か?
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普通はさ、作品を作る上でその作品の中のキャラクターに声を当てないといけないとなったら、当然キャラクターに合う声を探すのが普通じゃない?違う?
極端な話、未就学の男の子の声にしわっしわの聞き取るのがやっとみたいなおじいちゃんの声を当てるわけにはいかないじゃない?違う?
もう今は違うんよ。「人気の声優さん上から順番に持ってきて!」でしょ。完全に。
さらに酷いとロクに演技もできていないズブの素人の配信者とかコスプレイヤーとか持ってきちゃったり。
しかもそれを大々的に誇って発表しちゃったり。…ブラックローズに関してはもう相当前です。
もう演技力がどうとかキャラクターの印象に合ってるとか、そういう作品全体のクオリティとか全部どうでもよくなっちゃってるじゃん。
だもんでもう声優さん側も、
「あんなにこの作品好きって周りにアピールしておいたのに呼ばれなかったー」
とか
「あの頃はイマイチやる気が出てなかったけど、今なら多分頑張れるから、~周年のと時とか何かあれば頑張りたい」
とか平気で言っちゃう。もう天狗よ天狗。声優だから何ってんじゃなく、普通に仕事についての発言として問題大アリなんですよ。
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世間に未公開の社外秘の物を私的に使うとか、もう本っ当シンプルに大問題よ。
別にそれが芸能界の歌って物が特別とかでも何でもなく、もう本当この世のありとあらゆる全ての仕事で。
そんなことするのがどれだけ大問題かって、普通の人なら少ーし考えればわかるんですよ。
なんならひょんな拍子で露見しないかと会話の内容にさえヒヤヒヤビクビクしながら仕事する職種もあるわけよね。本当に理解できない。人として。
それによくもまぁばれる様なやり方したり記録の残ることをするもんだなぁと。やっぱりその辺の事の問題性を理解してないから、そういうことをしちゃうんだろうなって。
何よりも優先して自分の欲望欲求を満たしたいから、「凄い人と付き合っている」て言うバッジを付けて見せびらかしたいだけで、本当の愛や想いなんて欠片もないんだろうし、誰かを踏みにじったり迷惑かけたりなんてもう本当に心の底から全く一切どうでもよくて、そもそも初めから欠片っぱかしもその辺のことを考えてさえいないんでしょうねって。
だってもう本当、本当ーにホンーの少しでいいから考えたらわかるじゃない。
そもそも行いそのもの自体が一人の人間として問題あるんだけど、増してや普通のお仕事ではなく芸能界・声優って言う特殊な仕事で、現代なんてこれまで以上に顔と名前を大々的に世間に発表することで成り立っている仕事をしているんだから。あーた達昨今平気でクイズ番組とかに出るじゃないの。
そこで問題のある行動を取ろうとして(取ろうとすること自体して欲しくないけど)、「あ、これ問題あるよな」て思わないもんかなぁ。思わないんだろうなぁ。
微妙に話がずれるんですけど、最近は不倫って物自体がなんかもう当たり前になっちゃってるもんね。そんな話しょっちゅうしょっちゅう見聞きするもんね。
本当皆さんSEX好きよね。猿やん。
不倫をしようとする時点で異性として「パートナーがいるのに頭おかしいんじゃないの気持ち悪」て思う人が大半であれば理想なんだけど、今はもう時代が違うのかなぁ。
昔は不倫って人として本当の本当に言語道断な、外道の行いって扱いだったと思うんだけどなぁ。
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で。
もう本っ当に凄いなとさえ思うんだけど、挙句の果てにそう言った自分の不倫やなんかの不埒・非行が判明して周りから非難を浴びせられると、心が疲れきったとかなんとか言ったり、ばらしたら自殺する(前以て宣言してたって本当なの…?やばない…?)なんて言ったりとかするんだよね。何故そこには頭を使えた?
もう凄くないですか。
いや、お前それ誰のせいでこうなったと思うの?って。もう徹頭徹尾ピンからキリまでただただただただ自分が悪いのよ?ちょっと、ちゃんとお母さんの話聞いてるの?
そういう人種の中では、あくまで自分を責める相手「が」悪いんだよね。10:0で。100%。自分は一分の非もない清廉潔白な人間なんだ。
勿論、根拠も何もないただの暴力である誹謗中傷は問題です。だけど、お前それは自分でそんなことしなければこんな目に合わなかっただろうが、て。
因果応報で自分の行いが自分に返って来て痛い目を見ているのに、全てにおいて相手「だけ」が悪くて自分は被害者で可哀想な人間ってことになるんだよね。
もう本当最後の最後の最後の最後まで自分のことしか考えていない。幼稚園児の方がまだ不器用に周りのこと考えようとするよ。
でなんかもう怖いことにね、ファンの人はこういう行いを肯定しちゃうんですよね。
「本人も傷ついたんだから仕方ない」とか「疲れきった人間にムチを打つなんて酷い」とか。
一番の優勝ははやらかした人に対して、「○○さんは何も悪くないよ!元気出して!」とか言っちゃうの。いや悪いっつの。お前清掃員の人に普段どれだけ助けられてると思ってるんだと。てめぇは休日に小汚い商業施設で買い物したいんかと。そんな特定の誰かを嘲いながら、あなたに笑顔と癒しを届けたいとか言ってるの本当凄い。
その手の「ファンだから全肯定しちゃう!好き!」てタイプの人は、自分の家族や友人が同じような辱めを受けてもなんとも思わないのか。
そんな風な不貞行為や問題のある行動があったら、周りに白い目で見られるし、職場だって直接でないにしても解雇になるレベルの大問題じゃないのか。
幸い、自分の身の回りにその手の人種がいないので実際の例は知らない。類は友を~で問題にはならないのか。わからん。
平気で武勇伝として語るんだろうか。「実は昔はやんちゃしてましたね(笑)。」とかって。開会式。
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まぁ。
いつの時代も、誰も彼も文字通りのアイドル・偶像を求めて止まない物だし、ゲーム・アニメが発達してそれらに触れているのが恥ずかしいことでもなんでもないとなった現代において、そのアイドルって物が「声優」に求められているんだとは思うんです。そういう風になっている時流を理解はしているつもりです。
そういう需要である以上、売り手側もそれに応えて、敢えて悪く言えば利用して商売をするのが世の中なのも勿論わかってます。現実って綺麗事ではすまないものよね。
ただね。本来はキャラクター・作品の為の演技力を以ってして優劣を見定めて、未来に向けてより良い物を鎬を削って鍛え上げて行く職種において、やれイケメンだとか美女だとか、グラビアアイドル顔負けのスタイルだとか、そんな職業としての原義から遠い所にばかり拘って、肝心の演技は取り敢えずまぁ聞けるでしょ・みたいな程度でおざなりにしたり、酷いと「デブ=こんな声」て男子学生がスニッカーズを持ちながらじゃれあうような安直な演技ばかりに似通って、そうして数年使って飽きられたり年齢を重ねて若さがなくなったりギャラが上がってきたら「ハイ次!次の若くて人気のある子持ってきて!」てポイッと使い捨て、以下繰り返し。
そんなことやってたらこの先どうなるんですかね。どこかのゲームやアニメで聞いたような演技ばかりのファスト演技が、数十年後に立派な味のある演技に円熟するんでしょうか。
大事な部分を捨てて歪んだ土台を使っているから、昨今のような歪んだ話ばっかり出てくるんじゃないのかぁ。
なぁんて。思ったのでした。
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弁明じゃないけど
別に声優さんにパートナーがいること自体を否定したくはないので、誤解のなきよう。むしろ不倫だとか何だとか抜きに、お互いでお互いを支えあえるパートナーと出会えるって、本当に尊く幸せなことではないでしょうか。
ただ、残念ながらそれこそ声優に「アイドル」と言う在り方が求められている・その需要を使っている以上、パートナーがいると言う事に需要側が反感を抱くのも無理のない話なんじゃないのかな・とも思います。
そういう、アイドル的なちやほやを受けたくて目指す人がいるのなら、そういう厄介は覚悟して然るべきなんじゃなのかな。仕事の一環としてというかなんというか…特殊な職種であるのなら、それ相応の特殊な苦労が発生するのは当然ですよね、なんて。それが嫌で出来ないのなら、他の仕事をしましょうねって。
まぁ、声優と言う物が演技で食べる仕事だとしたら、「誰もが憧れ恋患う、決して誰の物にもならないままの永遠のアイドル」を演じることが出来ないといけないのかもしれませんね。(上手いこと言ったみたいな腹立たしい顔
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以上
思ったことをつらつらとだらだらと書き綴った怪文書でございました。
いないと思いますが、ここまで読んでくださった方。
もしいたら、本当にお疲れ様でした。
お粗末様でした。
数日前にTwitterにて回って来たアマゾンの書籍レビュー。
ある日突然、大切な子供が自ら命を絶ち、そんな現実を受け入れられないまま、それでも世界は回り、
受け入れられないまま葬儀の手配をする。
今まで、子供を育てた二十数年間の日々。明日も続くと思っていたそんな日々を突然失った人が、
どうにかして、何かに、多すぎて言葉にできない怒りとも悲しみとも喪失感とも呼べるものを、その書籍にぶつけたい。
そんな悲しみに満ちた話かと思った。
違った。
そんなお綺麗なものじゃない。
既視感がある。
それを私はみたことがあるぞ。
そもそも「後始末マニュアル」と出た時点で私はそのツイートを読むのをやめるべきだった。
私はだいぶ油断していた、それなりに良いことがあったし、最近はほとんど思わなくなっていたし、
というより考えるのをやめるコツをちょっとだけうまくなって、どうにか思考停止もできるようになっていたし。
だから油断して全部読んで、気分が悪くなった。
全部読まないで途中でやめればよかったのに、怖いものは見たいし、臭いとわかってるものは嗅ぎたくなるような、そんな心情。あるよね。
そんでもって、この体たらく。最悪だね。
私は、十代の義務教育後半から、義務ではないけど世間一般に義務教育みたいな扱いを受けた学生時代。
それはそれは死にたかった。
病院には行かなかったし、この先だって行く気もないし、そこまでではない。
その頃は手首はバレるからと、腕を切り刻んでいて、そろそろ十年ほど経つのに、それは二度と消えない真っ白のケロイドとして三十本は残っている。
私は、それを消したいとも思わないし、誇りだとも思わない。見せびらかすなんてありえないし、憐れまれる原因、弱みとなるものなんて見せるはずない。
話が逸れた。
想像でしかないのだけど、その子供が死ぬことを選んだのは、おそらくその家族間にも問題があったのでは。とも思う。
実際何がいやで、何がそこまで追い詰めたのかなど知らないから、どうでも良いのだけど。
この、レビュー主のおそらく母親の言い分が、めちゃくちゃに刺さった。最悪な形でね。
そろそろ埃でも積もるかと思っていた、だいぶ前に閉じた箱が、まさしくパンドラの箱のごとく蓋がずれた。
確かに、きっとおそらく、子供を愛する母親なのだろう。でもそこに、恥ずかしいと、書くべきではなかった。
程度が知れてしまうよ。
薄っぺらい。
子供を、育て、愛し、清く正しくまっすぐに、間違ったことをしても謝れるように。そういう風に育てる、母親。
私だって大変なんだと、きっと言ったいた。
それくらいどうしたっていうの、それより私の話を聞いてよ。
病院に行けば?と言いつつ、本当に行こうかと思っていると相談をすれば、本当に行くの?いや、良い大人なんだから好きにすれば良いと思うけど?
そうやって、否定的なものをにじませた声色で言うのだ。きっと。
そこにふざけたような笑い方も付け加えていなかったか。
冗談のように言っていただろう。
子供の意思を尊重させていると言いつつ、自分の思い通りにならなかったら、育て方が悪かったのだと、泣く人。
絶対にそうだと思う。
外面が悪い。
マンションから出られない。泣くときは窓を閉める。声が聞こえないように。線香をあげるとき、窓を閉める。だれへの配慮だ。
本当にマンションだからか。人が死んだと陰口を叩かれたくないだけではないか。
人の目が気になる。親族に自殺だなんて言いたくない。でも、友達には「見送らせてあげたい」
ああ、本当に嫌だ。
まるでそっくりだ。
悲劇にヒロインぶりたい人だ。正しい母親であること、普通の母親だと、愛があるのだろうが、それだけではないだろう。
本当に気分が悪い。
本当に。
死んだのが私で、私の母親がこれを書いたのではないのかと思ってしまうほどに。
他人の目なんか気にしていないよ。と、そんな風に振舞って、そのくせとても人の目を気にしている。
おそらく過保護。
人のことを考えて。と言いつつ、自分のことしか考えていない、根底は優しくても、本性は愚かしい人だ。
思い出されたのは、私が学生の頃、程度は違うのだがしこたま言われたことだ。
私は頭の出来があまり良くなかったから、勉強に苦労した。覚えが悪いし嫌いだった。
全員で首をくくるしかない。
進級できなかったらどうするの。恥ずかしくって表を歩けない。
あんたのやることをやりなさい。
学校自体に辛いことはなかった。ただただ、毎日のようにそう言われるのが、恐ろしくしんどかった。
言わなくちゃあんたはやらないでしょう。
もうそろそろ、一番初めの頃から十年は立ちそうなのに、まさかここのパンドラを開く羽目になるとは思わなかった。
まあ、私は途中でふざけて袖をまくられ、切り傷まみれの腕を見られ大泣きされたし、
恨みつらみを書き連ねた日記帳を投げつけたりもしたし、それ以降はまるで本当に傷物で腫れ物に触るように
だいぶ甘くされている。
だから今でもフラフラしていても、そこまで辛く当たられることもない。
それでも、時折見せるその視線の先を感じるし、耳障りで仕方がない。
もう今では切り刻んでいることはない。タバコに切り替えているからね。私は自傷行為の延長で吸っている。
遺書があればよかったのか。
それで満足したのか。きっとしないだろう。
自分のことばかりだ。子供を愛していると抱きしめた手と、その口から出る言葉の温度があまりにも違う人だろう。
よかったね。君は救われたのだろう。それしか選べなかった君。とても勇気があり、ともに愚かしい。
けれど私はとても羨ましい。
私は学生のころ、とても死にたかった。成人以降はだいぶ楽になったけれど。
私はだいぶ特殊というか、恵まれたというか、恵まれている、甘やかされていると言われるような
振る舞いをしているのだから、本当に同じように辛い人の気持ちはわからないのだろうけど。
本当に気分が悪い。久しぶりに吐きそうな叫び出しそうな泣きそうな走り出しそうな気分だ。
「誰か、残される人のことを考えてください。」という人。
それで引き止められる人は優しい人。
確かに、考えてしまえば足を踏み出すのをためらってしまうだろう。
けれど、そんな言葉を口にした、その人が本心から心配をしているのだろうか。
この人のように、誰かの目を通した自分を、心配しているのではないだろうか。
集団の中で生活し、生きているけれど、自分自身の命の使い方くらい、自分で決めさせてほしいものだと、私は思う。
だいぶ前から、いつかその書籍は読みたいと思っているし、これは話題になったしそろそろ買う時期かしら。と思った。
その書籍を読んで、実行に移す人が少なかったという話を、私は知っているよ。