はてなキーワード: 人形とは
意識してるのかな
・じゃあ何すか
ドラえもんはミーガンって事すか
と思いながら観てたけど冷静になればのび太君は
境遇でミーガンに依存するのと機械で友だちをつくるなんて、かわいそうだね。とは
前提が全然違うか…となった
・カウンセリング?の人が自宅に来ておもちゃ(コレクション)で
ピキらせながら開封して遊ぼうかシーン、
独身の人が子供を引き取っての軋轢をすごい的確に伝えて秀逸ゥ〜ってなった
あと入り口でマッチングアプリ通知してくるの的確な独身わからせ描写だだた
・ミーガン役の子、モーションに少し期待し過ぎてた
唐突感の味わい
・ネット評判でクソ親をぶち す話って聞いてほーんって観たけど
全然違うじゃねーか!いいけどネットの話は鵜呑みにするもんじゃないなと
思った
40代子なし。
周りの同世代は父母になり、クリスマスはサンタさんする側にまわってる。
聞こえてくる楽しいほっこり幸せエピソードも、子供の無茶振りに振り回されるエピソードも、どれも羨ましくて仕方ない。
自分の子供時代は、機能不全の毒親一家でサンタさんとかクリスマスとか、子供時代にそういうの楽しんだことないな。
親は自分の都合で子を振り回して、子供を喜ばそうとか、イベントを楽しもうという感覚を一つも持っていない人たちだった。
サンタさんはすでに保育園の頃からいないものだと教えられていて、夢を見る暇もなかった。
枕元に靴下を置いて寝たら、朝にはみかんが入っていて、ガッカリしながらみかんを持って起きていくと、親はそれを見て腹抱えて爆笑していた。
何が楽しいのか、一つも楽しくなんかない。
小学生のときはクリスマスに、着せ替えの人形が欲しいと言ったら、取引先からお歳暮でもらったという(商売でご贈答文化があった昭和時代)
目がギョロギョロの子供には怖いだけの大きなフランス人形を押し付けられたりもした。
悲しんだりがっかりしたのがバレるとめちゃくちゃ不機嫌になるのがわかってたので、無理やり喜んだふりをした。
自分に子ができたら、子供時代の分まで精一杯自分の子供に楽しんでもらいたいとおもっていたけど、不妊治療を10年続けて、結局子はできなかった。
友人や仲のいい同僚のお子さんたちにプレゼントをあげたり遊びに誘ってもらったりして、子供世代と触れ合って楽しいこともあるけど、
クリスマスはやっぱり家族の行事なんだよね。一緒に楽しんだりできないのは寂しいけど、できなかったのだから諦めるしかない。来世に期待だ。
こんな家で育って、兄弟も誰も結婚してない。なので甥姪もいない。まあ、家庭に夢も希望も持てない家に育ったんだから、当たり前だよな。
とても寂しいけど、結婚できただけマシと思うことにしてる。
昨日子ども連れて「くるみ割り人形」を観に行ったの。好きなんだよ、クリスマスの「くるみ割り人形」。色とりどりのチャイコフスキーの名曲に合わせて、エレガントからキュート&セクシーまで幅広い衣装とゴージャズな舞台装置、それにロビーを埋め尽くすバレエ少女の数々!みんなが幸せに暮らしているんだな〜この世は素晴らしいぜああ生の喜び!って錯覚できるじゃん。劇場の外はGAZAとか温暖化とか汚職とか炊出しとかデフレとかポイ捨てとかパワハラとか首切りとか胸痛むことばかりなのに、「くるみ割り人形」を見に行けば何も考えずに心を踊らせる体験に浸れるから、好きなんだよ。
でも、今まで特定のバレエ団のくるみしか見てこなかったから、噂には聞いてたけどこんなに解釈と演出と振り付けが違うなんて思ってもいなかった。出産前に観ていたバレエ団のくるみは、ねずみも子役も子供がやってるハートフル系でヨタヨタ踊りも「ん〜かわいい!」ってなるやつ。話もほぼ絵本通りのベーシックな、ドイツの貴族のクリパで魔術師風味のおじさんがアグリーなくるみ割り人形くれるけどウェルカムな少女クララはいい子だねってことで小さくなって夢の国にレッツゴー。最後は目覚めて、夢を見ていたの…わたし?トウシューズ抱きしめエンド。安心安全安定のくるみ。
今回初めて観に行ったバレエ団のくるみ、メッセージ性が強すぎ。こども向けだったから踊りにナレーションで解説が入るんだけど、クリパの主催者が少女クララになってるし、そもそもクリパじゃなくて大戦後に行方知れずと成り果てた一族友人が身を寄せ合って慰め合うための慰労会なんだって。戦争で死んだ知人空似の顔人形を両手に持って大広間で踊る人々。それもうパーティの面影消えて葬式の亜種じゃん。お菓子の国で出会う、チョコレートのスペインの踊り、お茶の中国の踊りも、完成された素晴らしい音楽をバレエの幅広さを感じさせるキュッとしたキャラクターダンスで見せてくれる最高の場面なのに、随所に挟まる「この踊りはクララの心の強さを表しています」のナレーション。表してないから!そのコサックダンスは人の心とか表さないから!強いて言うなら大麦糖の美味しさを表してるから!ドロッセルマイヤーおじさんが子どもたちにねだられて出す機械仕掛けの人形の踊り、これも息を呑むような幽玄な踊りなのに、「あっ!これは行方不明になったトレバー!こんなところにいたのね」とかナレーションがついちゃう。戦争で行方不明になった友人が機械仕掛けの人形になって帰ってきたら嬉しいどころかホラーじゃん。極めつけはネズミの王様対くるみ割り人形のたたかいの踊りに被さるクララの心情代弁風ナレーション「戦争はやめて!」。その直後にくるみ割り人形サイドを名指しして会場の子供の声出しを煽る「みんなもクララを応援して!がんばれーがんばれー!」って何?戦争やめさせたいならワンサイド応援させんなや。世相反映しすぎ!非戦のメッセージが強すぎ!調べたらリーマン・ショックのあとからこの演出やってて東日本大震災で死者追悼風味が増したらしいけど、暗い世相を夢のバレエに何で反映したのさ。最後に、逃げるように会場を後にする友人知人と今生の別れをキメるクララ、馬車に乗って立ち去るドロッセルマイヤーおじさんにすがりつくも振りほどかれ門は閉まり瀕死の白鳥みたいに泣き崩れるクララ。S席買って、絵本と紙芝居であらすじ確認して、楽しみにしてきた我が子、全体の悲壮さにポカンとしちゃってたよ。なんでこの演出で10年続いてるの?これ好評なの?終幕で舞台にどーんと出てくるメッセージボード「wish happiness for all people everywhere.」、分かるよウクライナやガザの事考えたら貴族のクリパ観に来てる場合じゃないって思っちゃうよね。キリスト教の博愛精神でより恵まれない人に愛の手を差し出すべきって日だよねクリスマスは。でもこっちは2万払って家族連れて遠くまで夢見に来てるんだよ、非戦は他所でやってくれ!せめてパンフとWEBに独自解釈書いてからチケット売り出してくれ!
これ本当は団員の中にもこの演出どうなの?クリスマスに商業的にやるには偏りすぎてない?って思ってる人がいるでしょ、でもそれ表立って言えない雰囲気なんでしょ。コールドの振りが揃ってないなーとか上手い人はいても脇役やってるぞ?とかカーテンコールそんな回数求められてないのにまた幕開いたぞ?とか、きっとこのバレエ団は自浄作用も客観視してくれる存在もいないんだなと思うと、期待外れだった怒りと閉鎖的な組織の成果物見せられた胸糞悪さでダッシュで劇場を出ました。ていうか、私が観たのは一体何だったの?
誰か、来年のクリスマスに子供を安心して連れていける、夢のようなショーを知ってたら教えてください。もしくは他バレエ団のくるみの様子を教えてください。
綾辻行人の最高傑作『十角館の殺人』ついに実写化 内片輝監督×八津弘幸脚本で3月配信 | マイナビニュース
https://news.mynavi.jp/article/20231221-2845699/
いや、ドラマは楽しみにしているよ。
脚本が『おちょやん』の八津弘幸さんなら、よほど変な演出をしなければ、間違いなく面白くなるはず。
それはいいのだけれど、『十角館の殺人』って、なぜか小説そのものも変に神格化されていて、「最高傑作」とか主張する人がいるのって、ちょっと違うんじゃね?って、ずっともやもやしている。
推理小説としての「館」シリーズのできを評価すると、『時計館』が、推理小説という枠を超え、小説としても飛び抜けた傑作で、『水車館』『迷路館』が続き、それと同じかちょっと落ちるぐらいのところに『十角館』があって、『黒猫館』『人形館』、後はお好きにって感じだと思うんだよね。
時計館>>水車館・迷路館≧十角館>黒猫館・人形館>>>暗黒館・びっくり館・奇面館
『十角館』は新本格ムーブメントというものをつくり出した(のだよね?)という歴史的意義は認めるし、その観点から神格化するのは全く問題ないのだけれど、
その観点に引きずられて、『十角館』という小説そのものも神格化している人は、おっさんおばさん(というか、おじいさんおばあさん)の戯れ言というか、老害そのものだよなって思っちゃうね。新本格ムーブメントの台頭というものにリアルタイムで触れておらず、自分が(推理)小説を読むようになったときには、「新本格」という枠がすでにできていた世代からするとさ。申し訳ないけれど。
ただの感情の吐き散らし。SNSにもリアルにも吐き散らす場所がない可哀想な人とでも思って。
数年前、当時の担任から何を思ったのか責任転嫁されてそれから不登校になってから人生が狂った。
同時に家庭や親の異常性に気が付いて、家出もしたし軽い自殺未遂までも数回した。その度心配してくれたのは親じゃなくて仲の良いネット上の人だった。
母は父、彼女からすれば夫の愚痴は言うが私の愚痴には興味がない。
父はそもそも私の教育には無関心で世間体さえあればどうでもいい。
それがあの時までは普通で、他の家庭は幸せそうだとは思っていたけどまぁそんなものかと思っていた。そうじゃなかった。
私はさほど愛されていないし、親の都合のいい愚痴のはけ口か、思い通りに動いてほしい人形でしかなかった。
今は着れるようになったけど、吹っ切れる前は本当に着たい服も親が好みじゃない、嫌だから着せてもらえなかった。
月のお小遣いももらったことがない。必要な時は都度渡される形だったが、僅かな金額を渡されて、その場で使い切ってしまえば使い過ぎだと怒られた。それで貯金できないから更に責められた。
私の精神面についても考えられたことなんてないだろう。一度、無理を言って心療内科に連れて行ってもらったことがある。その時、睡眠導入剤と精神安定剤を処方してもらった。
数日飲んでから、「精神科の薬は危ないから」と捨てられた。泣いて、嫌だと拒否しても起きたら薬はもうなかった。
けれど数か月後か数年後だか、母が心療内科の薬を飲んでいるのを発見した。それについて私の薬は捨てたくせにと問い詰めたら、そんなことしていないと言われた。やった側なんてそんなものかと諦めた。
自分のお金で好きな服を買っても、推しのグッズを買っても、イベントのチケットを支払っても、全て「また無駄遣いして」と一蹴される。親に支払ってもらっているわけじゃない、それら全て私のお金で支払っているのにだ。
風邪を引いて辛くても、どんなに痛い場所があっても心配はされない。そのことを話しても「いつも〇〇してるからそうなるんだよ」か「あの時××したから」という言葉しかかけられない。そのくせ、自分は心配されないと「心配してくれないんだ」と拗ねて怒る。なんて面倒な親だろう。
別に離婚したわけじゃない、死別しているわけでもない。数年前、夫婦喧嘩が拗れて母と私は家を出たが、父との交流はある。私はたまに父と飲みに行く仲だ。
しかし、家を出る前はほとんどそんなことしなかった。私が父に抱いている印象があるとすれば、サラリーマンだったのに会社を勝手に辞めて、その退職金で勝手に起業した若い女が好きな腐ったおじさんという程度だ。
何かを相談した記憶はないし、褒めてもらった記憶はない。一丁前に感情的に怒鳴られたことは何度だってあるけれど。
今は父公認で様々なお金を出してもらっているが、それ以前はほとんど彼に何かで頼ったことはなかった。うちはまぁ、こんな家庭なのだ。
さて、ここまで書き散らしたが、何故これを書こうかと思うに至ったか、明確な理由がある。今日、本当に『さっき』と呼べる頃に遭った出来事だ。
上にも書いた通り、私と母は家を出ている。辿り着いた先は母の実家だ。母の母、私の祖母にあたる人は私が生まれる前に夫を亡くしており、以来ずっと一人で暮らしていた。私たちはそこに逃げ込んだのだ。
しかし、母は祖母のことが嫌いだ。根本的に性格の相性が悪いのだ。それを隠して普段は生活しているが、祖母がいなければお構いなしに母は祖母のことについて愚痴る。愚痴りまくる。
祖母は耳が遠いからいいが、私はそうではない。まだまだ若い、耳がいい。小声で言ってるつもりでも全部聞こえる。いや、私にも聞いてほしくて言ってるのかもしれないが。
しかし今日は酷かった。薬を飲んでも体調不良が治らず、食後の食器洗いも十分にできず、母の「自分のだけでいいよ」という言葉に素直に甘えて自分の洗い物を済ませて、トイレに行ってから部屋に戻ろうと用を足しているときのことだった。
それはもう、独り言の大きさとは到底思えない、割と大き目な声で母が愚痴を零しているのだ。内容は要約すると、「何で誰も洗い物をしてくれないんだ」、「私はこんなに疲れているのに」、「本当に嫌」。まぁこんな内容だ。
確かに、祖母の使った調理器具で祖母が洗っていないものがあった。それが要因で、8割くらいは祖母に向けた言葉なのだろう。しかし残り2割、もっと多いかもしれない。そのくらいは、私に向けた言葉だろう。「自分のだけでいいよ」と言いつつ、やってくれと本心では思っているのが私の母なのだ。結局軽く手伝いはしたが。何年経っても母が怖いままなのは変わらない。
確かに、今現在生きている中で、私にも非はたくさんある。現に、私は正確に言えばニートではないが働いていない。成人して数年が経つ身にも関わらずだ。
心身的な病気だと診断されたことはない。そもそも病院になかなか行かないこともあるが。しかし精神的に辛く働きに、社会に出ることが難しいのだ。これはきっと世間は甘えと言うのだろう。
母に、それについて責められたことしかない。せめて少しは慰めて欲しかった。あの人は、何を言ったところで改善してくれない人だから言っても無駄なのだが。こう言えば誰か、「言ってもないのに諦めるの?」と言ってくる人がいるだろうが、血の繋がりのない人の言葉さえ無駄だったので、もう私は諦めて自分の精神を蝕んでいくことを優先している。泣きたい。泣かないけど。死にたいとも思う。死なないし、きっと私は死ねないけど。
別に、私を擁護して欲しいわけではないし、お叱りのコメントも何もいらない。
ただ、匿名と言う形で、私の気持ちを吐き出す場所が欲しかった。
はるかぜちゃんを10年以上中傷していたアカウントの、1000件ぐらいのツイートを対象とした訴訟に進展。はるかぜちゃんのママが報告。
訴えられた人は「ぬこちゃん」と名乗る男性。はるかぜちゃんよりも、ママの方のアンチ。
訴状によれば、問題となった発言の中で特に酷いのは以下のようなもの。
「毎日のようにモラルのない言動に及んだり、あるいは自分が無関係の案件にくびを突っ込んでは自分の意見が正しいかのように振舞ったりして売名売名」
「もはやただの畜生でしかない そんなだからまともなところにはいつまでも使ってもらえないんだ」
「畜生」など人間を動物扱いするものは、単なる罵倒語を超えて裁判ではかなり重く扱われる。
刑事告訴も進む模様
はるかぜちゃんの実家がある神奈川県警に何度か持ち込むも相手にされなかったそうだが、3600万円裁判の相手との民事が進んだ結果、被告の最寄りの青森県では認められたらしい。
ママは昔ネットアイドルをやっており、その頃に赤ちゃんだったはるかぜちゃんを連れてママタレを目指して素人応募系のテレビ番組に何度か出演していた
https://archive.md/http:/www.asahi-net.or.jp/~zh7t-iskw/* (リンクうまくされなかった場合は*を最後につけて)
その結果、ネットアイドル以前の複数名義の芸能活動がバレて当時2ちゃんねるで騒ぎに
ママのサイトが2ちゃんねらーに乗り込まれて荒らされ、そのままサイトは閉鎖した
それと引き換えにはるかぜちゃんのブログ、Twitterが生まれ、ママアンチが引き続きはるかぜちゃんアンチになり、ぬこちゃんはその頃の残党のようだ
はるかぜちゃんはナチス、3.11、フェミ、障害者、安倍晋三、トランス女性、グラドル、ありとあらゆるものを対象とした苛烈な発言で新規のアンチを生み出していったが。
ママは長年表に出ずにいたが、数年前からはるかぜちゃんのママだと名乗ってTwitterをやるようになった。
そしてその時期からはるかぜちゃん本人はかつての炎上芸をやらなくなり、出演作の宣伝や食べ物についての平和なツイートばかりやるようになり、「自我を持つようになった娘に拒絶されてママが弾き出された説」などがあるが全てはアンチの妄想にすぎず真偽は不明。
ママは過去の芸能活動と結び付けられることも気にしなくなり、顔を出すようになった。
ttps://archive.is/UvdLo
ttps://archive.is/dwXkf
ttps://archive.is/Oyy6p
ttps://archive.is/xYkgi
有名人ではない個人による誹謗中傷は50万以下ぐらいが相場とされていたが、近年は重く見るようになり、知念実希人はつい最近に100万円以上の賠償を得た。
ぬこちゃんも1000件以上、10年以上、という粘着具合が重く見られる可能性。
以前にもはるかぜちゃんは示談金によって300万円ほどを得た。
その後にママはリカちゃん人形を愛好するようになり、イベントごとに爆買いして数百体をコレクションするように。
資金が尽きたのか、ここしばらくはリカちゃん垢は大人しくなっている。
はるかぜちゃん一家はけして裕福ではない。はるかぜちゃんは幼少期には大手のCMに出演して多額のギャラをもらったそうだが、家の方針は「自分の金は自分で払え」で、はるかぜちゃんは幼稚園の頃から学費はギャラから支払い、炎上芸がマネタイズに結びつかずむしろ仕事は減ったため、お金は残っていない。
ママがリカちゃんを爆買いしていたころ、弟は給付型奨学金審査に落ちて鬱々としていた。
はるかぜちゃんが炎上と無縁な健全なツイートを心がけるようになった一方で、弟はなにかと赤裸々に語り、愚痴る。
>先に出れるの羨ましいね、末っ子は最後まで取り残されて、崩壊する家族の後始末させられるんだぜ
ttps://archive.is/Vuehn
>嫌いな人間と過ごすことを〝あなたのために今まで耐えてきたんだよ、もう十分でしょ〟と親たちが言うのなら、私が今まで家出も何もせずグレてこなかったことも、〝よく耐えた、もういいよ〟って言ってほしい
ttps://archive.is/8kEW9
>ペットを責任もって〝最後まで〟飼うって、飼い主の最後じゃなくて、ペットの最期まででしょ???
ttps://archive.is/wtLVY
>一度飼われると自然界で餌を自力で取る方法がわかんないんだ、頭でわかっていても、知識じゃどうにもできないんだ
ttps://archive.is/cuXr4
巨大なサメがウヨウヨしてる池の上をグライダーで低空飛行していた。何度か食べられそうになった。
やがて汚れた肌色の壁の洞窟に入った。先導する親父曰くこの洞窟は生きている、話しかけると反応するからくれぐれも気を付けるように、とのことだった。
中は狭く窮屈だった。「天井を高くしてくれないか」と僕が言うと汚い肌色の壁はクネクネと動き出し、ズズズズズと3メートルほどの高さまで持ち上がった。本当に生きているようだ。
調子に乗って「人の形になれ!」と言ったら女豹のポーズの下半身だけが召喚されるみたいに出てきた。
外見はマネキンのようだが柔らかく温かい。さらに指を穴に突っ込むと湿っていたのでこれはいけるぞ、と確信した僕は冒険そっちのけで全身を作ってくれ!と言った。
しかし地面からニョキニョキ生えてきたのはバランスの歪んだ気色悪い身体だった。ビニールタイプのダッチワイフみたいだった。それでも一応触れるとぬくもりを感じるので抱き枕にはいいなと思った。
なんとか工夫を凝らして納得のいく一体を作り上げた僕は洞窟を撤収して池のほとりで行為に臨んだが、気持ちよさは無だった。
ふと横を見ると対岸に二人組の男がいた。双眼鏡でこちらを覗いている。
不気味なので場所を移動したがどこへ行ってもその二人組は無限についてくるので行為を諦めて街に戻った。
街では何か事件が起きたらしく騒然としていた。「お前が犯人か!」とそばにいた警官に詰め寄られた。僕は人形を見せながら無実を証明して免れた。
おうハシゲ!
オマエ、『マンガしか置いてへん!』ゆうて児童図書館ツブしよったよなぁ?
『お人形遊びやん(笑)』ゆうて文楽への保護へらしよったよなぁ?
オマエが路頭に迷って物乞いしとったら踏みころしたるしなー忘れとけよー
○ご飯
朝:玄米ブラン。昼:豆腐、エノキ、たら、ニンジンの鍋。たまごおじや。夜:唐揚げ。ブロッコリー、ほうれん草、にんじんのスープ。ナポリタン。間食:プリン。アイス。オーザック。
○調子
○人形の傷跡
公称ジャンルは“サイコホラー”なノベルゲームで、90年代後半同人ゲームの移植版を遊んだ。
連絡がつかなくなった大学生の姉を探すために上京した上条明日美が主人公。
上京したはいいものの、同じ大学の学生や事務員に聞いても姉のことは誰も知らない上に、所属している研究所はなにやら怪しい気配が漂っていて恐ろしいという導入。
開幕早々怪しい展開が続くが、本当にただ読者を怖がらせたいだけで、物語的にはあまり意味のないビックリ要素も多々あるのは好みが分かれそう。
ストーリーは二転三転かなり目まぐるしく状況が変わっていき、その時々でホラーらしい恐怖展開が繰り広げられる。
視点人物の認識そのものに恐ろしい何かが秘められている展開などは、まさにサイコホラーらしさ。
それでも上条明日美の根底にある姉を見つける意思は疑いようの無い気持ちであるのが、ホラーと感動のバランスをとろうとしている試行錯誤が見えて興味深い。
恐ろしいビックリする展開はふんだんにあって、確かにどれも怖かったのだけど、それ以外のストーリーの筋は緩急の変化がなく、ずっと急いでいる激しい展開が続く。
このキャラクタがどんな人間なのか? とそもそも興味を抱くシーンすら少な目なので、次から次へと展開する驚きの展開に終始振り回された。
途中でダレることなく一気に走り抜けているので、作風としてはちゃんと一貫していた。
ただ、日常パート的なキャラクタの好意を抱くようなエピソードがかなり少ないわりには、人間としての好意がエピソードの芯にあるため、読んでいる側からすると若干唐突に感じる展開も多数あった。
とはいえ、この辺には大落ちに繋がる重要な設定の影響もあり、移植版で追加されたザッピングシナリオで補完されているので、製作陣も重々承知していて割り切った部分なのだろう。
これはもうジャンル全体を包括したような乱暴な感想になってしまうが、段取りを省略することで唐突な驚きと恐怖を演出すること自体が、良くも悪くもなんらかの解決を求めないホラーらしい展開だった。
僕の好みとしては、キャラクタの個性を魅せる場面や、物事の段取りを立てるパートがあると嬉しかったのだけど、それらが省略されているからこそのホラーだと主張されると返す言葉が出ない。