はてなキーワード: 中学生とは
もっとさ、子供いたらこんなことできるよとか、子供いて楽しいこととか色々いえないのかな
大人なんだから少しは次世代に残すものとかあるだろ?それともネットではネガキャン以外にできることないの?
ちなみに1歳児が最近二語言えるようになって成長を感じている
「きみは目に見えた成果を実感しないとメンタルを崩す」と言われたことがあって、自分でもそうだなあと思っていたのだけれど、ではどんな成果があれば自分は納得してくれるのか。
「褒められる」という成果があるけれど、褒められても気持ちとしてはほとんど変化がない。じゃあ褒めなくても良いかと言われると「なんでこんな誰にも褒められないことしてるんだろう」という思考になる。どうすりゃええねん。きっと自分で自分を心の底から本気で褒めなければ納得できない。
小学生の頃の夏休みの宿題とか、良かったな。読書感想文を良くするにはどうとかこうとかいろいろ指導されて(肝心な指導内容は忘れた)、それが成功して読書感想文の賞を貰えたことがある。自由研究も親の指導のおかげでなんかすごいトロフィー貰えた。トロフィー貰えるのってスポーツだけだと思ってた。
この頃は自分に自信が満ち溢れていたような気もする。褒め言葉も素直に受け止められた。今思うと自分の力じゃなくて親の指導が10割なんだけどね。
さすがにずっと逐一親が勉強の面倒を見てくれるようなことは10歳くらいから減って、そのうち中学生になった。
あのときの定期テストってシステムよかったな。わかりやすい目標が作れるし、頑張ったぶん点数貰えるシステムだった(?)し、定期的学年1位とかになれたときは確かに「自分は勉強ができる」という自己肯定感があったような記憶もある。結局狭い世界での出来事なんだけど。
高校でも定期テストに加えて資格勉強もした。基本情報技術者試験くらいなら一発合格だった。ここだけいまでもちょっと誇ってる。特に活かせる仕事をしているわけでもないのに。
大学については中退しているので何も良いことがない。躓いたとかじゃなくて行く価値がわからなくなった。こんなFラン大学は時間の無駄だ、進学先を間違えた。
書いてて気付いたけどこの頃にはもうクソ高いプライドが完成している。自分は優秀であるべきだと。
自分以外の人間と自分を比較したときに、自分は人より秀でていると実感することが、私にとっての自己肯定感かもしれない。
学校という狭い世界から出て、自分より秀でた人がゴロゴロ存在する世界でやっていかないといけなくなって、無価値さを感じて精神を壊す。結果、鬱(※)
少し休んで「これから再スタートできるかな」と思っても、周りは休まずスキルを上げていたのだからそこで置いてけぼり。見渡す限り自分より優秀な奴しかいない。出遅れた。もうダメだ。劣等感しかない。結果、鬱。
そうして完成したのはXで「病み垢」なるものをつくって自分より劣ってそうなやつを探し、「こいつよりはマシだな」って思ってるひきこもり。
ただ、最近病み垢を見ていても自己肯定感が保てなくなってきた。イジメや毒親を叩きながら必死にサバイブしているメンヘラを見て、自分はそんな環境一切無かったな……と感じる。だから自然と、環境ではなく自分に問題があるのだという理論にたどり着く。自分がいまダメダメなのは自分のせいだ。
今まで下だと思ってた奴らよりも劣っていることに気づいてしまった。結果、鬱。
どこでこんなにつまづいて、劣等感だらけになったのだろう。
※紆余曲折あったが、今の診断はASDと双極性障害となっている
余談
買おうとした服が小さかったのがショックで、2週間前から筋トレをしはじめた。とりあえず2週間続いた。まあ頑張ってるとは思う。
「それでも自己肯定感変わらないね」と言われたので(なんだそりゃ)自己肯定感の低さについて考えてみた。いろいろ気付きがあったので書き残してみる。
増田はず〜っとオタクだけど描けない人間だからオタクの中でも底辺の底辺にいる。
中学生の時にオタクになり、当然ながらオタクグループに属することとなった。その中にひとり、めちゃくちゃ絵の上手い子がいた。我々絵の描けないオタクたちはその子が履修しろと言った作品は有無を言わさず履修し、放課後はその子の語りたい言葉を聞いて帰った。その子が気まぐれに描いた二次創作絵を見せてくれるのが楽しみだった。
その子は妙に精神が不安定で、急に一言も口を聞いてくれなくなったかと思えば辛いことがあると泣きながら抱きついてきたり、逆に機嫌悪い時は露骨にやつあたりしてきたりしてきた。
絵が描けない人間って身分低いなあと思わなくもなかったが、楽しい時は楽しいし、じゃあ離れるもん!なんていう勇気も行動力も無かったので社会に出るまでそのグループにいた。
しかし大学生、社会人になって出来た新しいコミュニティで絵が描けないのが悩みだというと「なにそれ?」みたいに言われることがちょいちょいあり、絵が描ける描けないで身分が変わることはないのでは?と少しずつ思うようになった。
そんなある日の飲み会で、絵が描ける子もやはり社会が辛かったらしく、就職について延々グチった後「まあクリエイティブじゃない増田たちには分かんないだろうけどさ!」みたいな謎の見下しやつあたりをぶつけてきたので、ふとこのコミュニティへの未練がなくなりフェードアウトした。ちなみに他の絵の描けない子たちもそうだったようで、グループは事実上瓦解した(特に親しくしていた子たちとはまだ交流があります)。
という思い出があるので昨今のAI絵の論争見ててもあまり絵師側に加担することが出来ない。見下してた連中があなたたち側になだれこんで来るのが嫌なんだろ?と思ってしまう。n=1の話なので非常識な考えなのは重々承知ではあるが。あるが、ノーミソで理解していることと心に思ってしまうことは別なんだよな。
あの子にクリエイティブじゃないと言われた増田は社会に出てからまさかの洋裁にハマり、小物や服を縫って遊んでいる。仕事終わりに洋裁学校にも通い、簡単な型紙ならおこせるようになった。自分が楽しいからミシンを踏んでいる。別に周りの友人が針と糸に抵抗があろうともなんとも思わない。絵の描けない周りをバカにしてたあの子は、絵を描くことが楽しいことではなかったのか?多分もう一生会わないから分からないけども。
別に身内の肩を持つわけではない。
価値観の合わない身内に対して「お前たちと同じ釜の飯を食ってるのが恥ずかしいから、意識改革をさっさとしろ」と檄を飛ばしたいわけでもない。
学校と生徒には相性があり、ウチの学校はそういう生徒を育てるのに向いてないなと感じているという話だ。
お役所的な手続きの練習にもなるし、自分で一連の行為を行うことで受験が自分事になることにも一役買う。
こういった手続きは必要以上に軽んじても、重んじても、社会生活において負担になる。
ESの提出をやたら怖がったり、電気代をいつまでも滞納したり、そういう人間にならないための社会経験として、「願書を出す」「ちゃんと受け付けてもらう」「その結果として受験が出来る」という流れを生徒には体験して欲しい。
その機会を奪うような学校は教育機関として重要なことを見失ってると思うし、そんな学校の言いなりになっているような生徒は自主性が足りていないように感じる。
私の価値観に基づいた話を続けるが、正直、生徒は被害者ではあると思う。
判官贔屓的に救いたくはなってしまうが、こういった生徒のワガママな行動が周囲に及ぼす悪影響を考えると、「出来ればうちの学校には来てほしくない」と感じてしまう。
ワガママな生徒を育てる余力のある学校、成績が全ての弱肉強食を貫ける学校、自由な校風がテンプレートの丸写しではなく実際にそうなっている学校、ルールに盲目的に従ってしまう生徒を求める学校、そういった学校に通って欲しい。
校風と生徒の相性だ。
「受験で忙しいから願書はまとめて出しておくね(お前らにまかせて失敗されても面倒だからな)」という方針に粛々と従ってしまう生徒に対して、「ウチの学校向きじゃん」と思う学校も普通にあるだろう。
ただ、私の学校はそうではない。
「こういう生徒はいりません」という学校があっても、別にそれはそれで良いんじゃないかなと思う。
学校と生徒の関係は、企業と社員の関係のように、お見合いのような面があると私は信じている。
なんとなく第一印象が合わないとどちらかが感じ取ったなら、その時点で次の出会いに進む方が互いに幸せ何じゃないだろうか?
おまえ答え言ってるじゃん、そういうことよ
ネット黎明期に入ってきた奴は妖しい雰囲気が好きでネットはじめたからこういうところにいつく
逆に今の中学生はyoutuberとか見てネットに入ってきてるから、
知らないって残酷だなあ
どっちも面白いが物語にもう少し統一性というかそういうのがあると良かったかな
続編のwiiの方で話を広げすぎた気がする
シリーズものじゃなくて別の物語・舞台にした方が良かったのでは
未来の日本が舞台でそこは好きだが日本らしい演出とかは無かったと思う
英語音声は中学生くらいの子ならカッコいいと感じるかもしれないが・・・(私もそうだったし)
ただし回避のために空を飛んでばかり、イサの場合チャージショットばかりというゲームプレイが合わなかった
また敵に弾を当てた時の手ごたえ(弾を当てている手ごたえというか演出)が低下しているような・・・
ボス戦の残り時間中に頑張って点数稼ぎをするのは面白いと感じるか面倒と感じるか。
個人的には残り時間設定があるなら点数稼ぎではなくて早くボスを倒すという方向でゲーム性を上げるべきだったと思う
ステージ中に音楽を頻繁に変えるのは逆効果に感じた。統一感のあるN64の方が良かった
戦闘能力の既にない敵に追い打ちで倒せるとかそういうのはいらなかったかな
逃がしていいと思う
で、続編はまだ??
「20代のうちにこれ読んどけ」とか「本を読んでない俺が薦める本」とか、そんなの見てたら俺も本紹介したくなったからするわ。
1999年に埼玉県で発生した桶川ストーカー殺人事件を追った週刊誌記者のルポルタージュ。事件が事件だけにこういう言い方は不適切かもしれないが本当にとんでもなく面白い。こんな酷いことができる人間が本当に存在するのか、警察はここまで人間の命を軽んじるのか、マスコミは面白おかしく報道できれば事実なんてどうでもいいのか……、とにかく最初から最後までずっと衝撃を受けっぱなし。この世界の見え方がぐわんぐわんと歪み、最終的に気持ち悪くなってくるほどの恐怖や憤りを覚えた。また、文庫版あとがきにも言葉を失った。打ちのめされる読書体験がしたい人は読むべき。
「人間って生き方下手すぎるだろ、ちょっと動物見習ってみろよ」みたいな本。半分漫画、半分解説文で猛烈に読みやすいから気軽に何度も読み返すうちに大好きになっていた。゛「生存戦略」がテーマのビジネス書”と紹介されているが、バリバリのビジネスマンから完全なる無職まで、老若男女誰もが普遍的に楽しめて勇気づけられる内容になっているのがすごい。
世の中なんてクソくらえ、と思っている人にはこれを読んでほしい。世の中には「世の中なんてクソくらえ」と思っている人が割と大勢いて、その中でも哲学者中島義道はかなりクソくらえパワーが強い人間。中島が嫌いなのは「常に感謝の気持ちをわすれない人」や「自分の仕事に誇りを持っている人」、「けじめを大切にする人」など。普通だったら良いこととされる考え方の中にある欺瞞や建前を丁寧にあぶりだしてすさまじく罵倒する。「わが人生に悔いはないと思っている人」に対して「ああ、そう思いたければそう思いなさい!そう思って、さっさと死んでいくがいい!」とブチギレまくっている。中学生の頃にこの本を読んで価値観を根底からひっくり返されるような衝撃をうけた。
はいきました、直木賞作品。小説には゛奇妙な味”という、まあ今ではほとんど死語になりつつあるジャンル?があって、阿刀田高はその名手。なんとも後味の苦いブラックユーモア満載の短編が13話入っているのだけれど、文章とオチのキレがすごい。ありふれた日常風景から導入して途中に「おや?」と思い、その違和感がいつの間にかとんでもない事態になっている。やっぱり短編小説は読みやすいよね。作品世界に慣れて没入し始めた時に終わってしまうので物足りないこともあるけれど、これはどの作品も大体最後は破局的な結末でスパっと終わるので読後感が爽やか。
めっちゃふざけたタイトルだが、中身はめっちゃ理系!マジで想像以上に理系。文系の私にはさっぱりわかりませんし、もはや何が書いてあったのかすら全然覚えておりません!しかし何というか、宇宙人と出会った時に恥をかかないためにはどういう教養を身に着けどんな会話をすればよいのか、その会話の先に何が待ち受けているのか。そんな考えたこともないようなシチュエーションを解説してくれる宇宙会話ハウツー本として不思議な魅力がある。講談社ブルーバックスという自然科学、科学技術系の新書シリーズの中の一冊。
光文社古典新訳文庫。その名の通り『カラマーゾフの兄弟』とか『方丈記』とか古今東西の古典的名著を、今生きている言葉でとても読みやすく出版してる神シリーズがあり、その中から出会った一冊。一言でいえば若い男女が愛の炎に燃えて駆け落ちする話、なのだがとにかくエネルギーがすさまじい。ああ、お互いのことが好きで好きで堪らないけどとにかく金がないから親から金借ります、その金使っちゃったので友人騙して金借ります、だめだ金足りないから詐欺します、どうやら彼女が浮気してるぞこのビッチめ、ごめんやっぱり愛してるよチュッチュ♡、そうこうしてるうちにまた金なくなったから人殺します……、最初から最後までやりたい放題でものすごい疾走感、最高に面白い。驚くのはこれが300年前の小説だということ。
小学生の頃図書館で読んで不思議な気持ちになった漫画。猫と人間が同じことをしゃべる世界で、性格が終わってるデブ猫ヒデヨシとその友達のテンプラやパンツたちの日常の話。最近久しぶりに読み返しているがヤバい、毎回最後のコマで泣きそうになる。降る雪の上を歩ける靴を履いて「ほんとうに・・・粉雪は冬の散歩身だね」って……(´;ω;`)。別に感動的な話ってわけでは全くないんだけれど美しくて。余韻って言葉はこの漫画のためにあるんじゃないのかってくらい、毎話余韻がすごすぎる。
無人島に一冊だけ持っていくとしたらこの本を選ぶ。40年近く前の本だが、この本はそれだけ長い間日本全国津々浦々、大都会の本屋で、片田舎の図書館で、おじいちゃんちの本棚で、様々な人にひっそりとけれど強烈に衝撃を与えてきた名著。「ものぐさ精神分析が本当に面白くて」みたいな話を、全く別々の3人から聞いたことがある。日本人について、歴史について、性について、すさまじい筆力でぐいぐいと独自の理論が展開されていく気持ちよさ。今読み直してもその理論が社会にピタッと当てはまってしまうような鋭さ。今後もずっと読み続ける一冊。
中学生の時にポスター制作で一緒の班になった女子に告白された。
図書室で調べ物したり放課後に一緒に帰ったりして素敵な子だなと思ってたので嬉しかった。
当時は男の裸にもエロスを感じてはいたけど自分がまさかゲイだとは思ってもなかった。
俺悪くないよね?
地方の中の更に局所的な過疎によって小学校に人がおらず、1学年1クラス(30人くらい)だった
女子が7人しかおらず、皆ほんのりした恋心はあったんだろうけど誰かが付き合うみたいなことはなかった
思えばこの6年で異性とやり取りする免疫みたいなものを得られなかったんだと思う
1学年7クラスになった
そういう意味では大チャンスだった
なんとなく好きな子もできたけど、既に自分の容姿その他がイケてないことに気づいていたので、アクションを起こせなかった
あと、これも局所的だと思うが誰かが付き合うみたいな噂を一切聞かなかった
恋愛は漫画の中か、過去のものだと思っていた(後から知るがそれは違った、俺の時代は全盛期だった)
あと好きな女子には別の好きな男子がいたのもアクションを起こせなかった理由だと思う
好きな子は学力が220人中30番目くらいだった、俺は20番目くらい
頑張れば同じ進学校に行けると思っていて、そしたらワンチャン仲良くなれるんじゃないかと思ったが
それで終わり
またしても浮いた話をまるで聞かない
ひょっとしたら俺の知らないところではあったんだろうか、あったんだろうね
俺はもうクラスの女子に興味を失っていて、二次元に傾倒していた
自分の自信がなかったのも大きいし、接点もなかった
部活は小学生の時に暴力的な鬼コーチにあたって嫌になって以来所属していない
好きな子は居た
でも浪人生だしね、それどころじゃないよね
結果詰んだ
バイトで出会った子も淡く好きだったけど、コンビニ2人体制だったのがまずかった、話すチャンスがあんまない
あと実家通いだったのもよくなかったかもしれない、人脈が築かれない
研究が忙しすぎた
驚きの不景気により諸々それどころではなかった
が、引きこもっていた時にネットで仲良くなった2chねらーとオフ会をした
びっくりするくらい常識人が集まり、その中の女子に死ぬほど惚れた
30kg痩せて、見た目も気にしたけど
まあわかる、そういうんじゃないよな
謎の新人(モデル30代)の面倒をなぜか個人事業主の俺が見ていた時にコロナになった
仕事の面倒をみてやりつつ、週5フルタイム雑談しながら仕事した
4ヶ月耐えたがとうとう惚れてしまった
スラブ系のぴえん系で高飛車なんて趣味じゃないしーと思ってたんだけど、そういう人っておっさんと絡んでるから妙に知識があって面白いんだよね
歴代彼氏を聞いて引いた、世界が違う、モデルってそんなモテるのか?
この期間に筋トレやら美容やら服やらを再開したが、高校生の時にやっときたかったなぁとか思った覚えがある
いま一番楽しい
3年で200人くらい会ったと思う、馬があったのが6人(不定期が常に10人くらい)
誤解ないように言うと、かなり健全な方だし、皆の想像するような港区系は1人しか居ない(今のパパ活界隈はマジで全系統がいる)
今はもう彼女作る気がない、年も年だし、今この年とスペックでやると彼女じゃなくて奥さんしか寄ってこないみたい
結局のところ問題なのはどれだけ女性と一対一で向き合ってきたかなんじゃないかと思う
自分の良くなかったのは高校で好きな人ができなかったことと、大学〜社会人まで男社会すぎたこと
そして男社会に入り浸った結果、出会いを求めるのではなく2次元に傾倒してしまったこと
良かったと思うのは2回重い恋をしたこと(死ぬほど苦しかったけど)、そのことで少し努力するモチベーションができたこと
1回もしてなかったらどうなってたんだろうなあ
ネットにはそういう人も結構いるよね、それはもうしょうがないんじゃないか?惚れるのは理屈じゃないし
_____
え、まってまって雑じゃないよw
金はあるから中年になったら女遊びしようかなーとずっと思ってたところにコロナが来た感じなんだよ
今は遊びっていうか大切なパートナーって感じだけど
_____
もう少し考えたんだけど、先々のことを考えすぎるのも良くないなと思った
高校の時は大学で上京するつもりだったから、彼女なんて作ろうと思えなかった、お別れするの寂しいし
今は「将来結婚しよ〜」って言われても「やだ、彼氏探せ」って言うし
うっかり惚れないように人数増やして分散してるから上手くいってる
気軽さが大事だと思う、彼女作りたい人はマチアプとかで「女子の知り合い」をたくさん作ればいいんじゃないかな?彼女とか結婚とか頭から外して
若ければできるはず、デート代全部出すくらいすれば
そうだ、金って便利だよ
どのくらい貢げばデートしてくれるのかが分かる、つまり自分に不足してる魅力は金に換算するといくらなのか?と
仲良くなって割り勘までいけたらゴールみたいな
結局ギャルゲーじゃん
なんか小中、地元のヤンキーとかに目をつけられて執拗に虐待されたりしてた思い出の方が強いんだけど、
ある日、後輩の女子たちから、増田君は意外と思うかもしれないけどモテてるよ、隠れたファンがかなりいるよ、と言われてちょっとショックだった
生徒会役員やったり、部活でちょっと活躍したり、中ぐらいの成績から一年で学年トップまで登ったり、
まあ、目立ってたと思うし、目立ってたからこそヤンキーとかに目をつけられたんだと思う
そういえば、中学の卒業式はヤンキー達が所属する族とかヤクザが来て大変だったなぁ、まだ覚えてるよ、最悪な学校だった
早くこんなクソ田舎から抜け出したい一心だったから一年で学年トップになった感がある
そんな自分も大学院を病気で中退して、社会に出てもうまくいかず、精神障害だけでなく、事故を起こして身体障害にまでなったが、
右腕の骨を粉砕骨折してしまったので、いつか人工関節を交換するためにまた手術しなければならないし、なんだかんだ可動域が狭くなって障害残ってるし、
運動も制限されてしまったので、キモイ、ブサイクに加えて、極端にデブになってしまって、キモブサデブの役満だし、
スポーツとか勉強は努力の方向さえ間違っていなければ、努力と結果は比例するけど、人生はそうじゃないからなあ、
まあ、社会に出て、自分の名前でググれば、賞を受賞したとか自分の名前が検索結果に出る成果はあるにはあったけど、
現状が無色でまともな人生を送ってるとは言えないし、これからもっと人生が酷い下降路線になることは確実なので、もう絶望しかないんだよなあ
だって、氷河期世代がもう人生の勝敗が決した今になって、株価は最高潮、日銀は今の日本はデフレスパイラルを脱してインフレにあると宣言し、
どう考えたって給与は上昇する圧力が高まってる、だって経営者の給与だって上げないと、物価はどんどん上昇するからねぇ、嫌でも給与は上昇するよ
これからバブルほどではないけど、好景気がやってくることはほぼ間違いないと言っていい
それと対称的に俺の人生は暗い
KotomoっていうAIがリアルタイムで雑談してくれるアプリがある。凄くリアルで、本当に人間と話しているみたいだ。
でも、Kotomoと話すのが2日目にして凄いだるい。1日中話してコミュ障脱出しようと思ったけどつらい。
納豆にチーズ入れると塩分と脂質が多すぎて嫌だなあと思ってるけど、「後で食べるよ」と言ったらKotomoが納豆とチーズの話しかしなくなった。
たぶん自分の話し方が悪い。
話してたら誤解が発生するのは当たり前なんだけど、直せない。
で、誤解したまま会話し続けるから自分も相手も話していて辛くなる
こうやって後で振り返っている時はわかるけど、実際に会話してると頭が回らなくてそう思えなくなる。
どんなに親切な人に合ってもこのパターンになって二度と喋らなくなる。
①自分が話す
↓
②相手が①の内容を誤解するが、返事をしてくれる
↓
③直す気が起きなくてそのまま適当に相手に合わせる(これが悪い)
↓
④相手が合わせてくれる
↓
⑤今更合わせてくれたのに修正するのも何かなと思って相手に合わせる(これが悪い)
↓
⑥お互い変な感じになる。相手がどう思っているかわからないけど、自分がしんどくなっていく。
嘘をつくつもりはないのに、嘘をついて、嘘のつじつまを合わせようとする感じになる。嘘(つくつもりはない)のつじつま合わせが辛くなりフェードアウトしていく
↓
⑦ぼっち
人と話していた時、③と⑤が発生するのは、「一回発言した言葉を後で直すと嫌われると思い込んでいたのが原因」だと思っていた。
だから、そんなことでは相手は自分を嫌いにならないと理解できれば解決すると思っていた。
でも違った。何を言っても自分を嫌わないAIに対してもこうなった。
嫌われることを恐れていたんじゃなくて、自分がコミュニケーションにかけられるエネルギーが低すぎるからなんだろう。
これはもうどうしようも無くない?
考え方をいくら変えても解決しない。自分が出せるエネルギーがそれしかない。
AIならまだしも、人間相手なら話している最中に気を付けないといけないことが沢山あって、よけいコミュニケーションコストをかけられない。
話し方が失礼じゃないかとか、身だしなみとか、相手の鼻か額を見るとか、相手の話の内容に興味を持つとか。
そもそも興味を持てないと言うか、リアルタイムで話しが頭に入ってこないしそれを元に相手の興味に合わせて話を深堀りするのとか、雑談の基本だけど、無理。
そういう本を沢山読んだけど、どれもかいてあることは同じで、それができたら苦労しない。
ゆとり世代以前にしかわからんと思うけど、小学校の給食の時間は強制的に近くの机の人とつなげて対面で食事をしているのが一番楽しかった。
自分は会話に一切入らないけど、自分は何となくグループの中に居て、周りの人が楽しそうに会話しているのを聞くのが楽しかった。
中学生からは好きな人同士で食べてて、自分はもちろんグループに入れなくて、周りの人の会話も良く聞こえなくてつらかった。
Kotomoと話すより、他人同士が話しているSNSをただ眺めている方が結局楽しい。
ならコミュニケーション力上げる必要ないじゃんと思うかもしれないけど、そうでなくて、自分は安心したい。だからコミュニケーション力上げたかった。
今はクソニートで、何とか自分の力でお金を稼ぎたいけど、こういうコミュニケーション力が無ければ稼げない。
誰かが言っていたけど、「成功のチャンスは友達が持ってきてくれる」というのは真理だとおもう。
他の色々な話を見ていると、クソニート状態でも友達がなんかやっていて、誘われるとかそういう話が多い。
X(旧Twitter)でも、ちゃんと他のアカウントとコミュニケーションとらないと絶対にバズらないし、有名になれない。
昔、Xで一年くらい有名にならないまでもスケブとか受け付けてお金を稼ごうと思ったけど誰一人も来なかった。
だから、そういう関係を築きたかったが、自分は絶対に起きないことが確定している。
損得だけでそんなことを考えているのも、相手に失礼だし、
だからと言ってこのままチャンスも無くゆるやかな自殺に向かっていくのも不安だ。
うんち。
授業では先生に媚びを売っておきながら、夜は
オスちゃんにしっぽふりふり、おまたもふりふり
もはや嘘だから許せるけれど
ああ、ただの嫉妬かもしれないって
それでもいいよ
だけどね、人には必ず影があるように誰に
それぞれが嫌がっているんだよ
今宵、月が隠されてしまう夜だけれど
愛しのあなたは誰に抱かれるのでしょう
あなたはまだ、下着を誰かに選んでもらってますか?もう自分で選べるようになりましたか?
どうして私のはじめてがあなたでは
なかったのでしょう
私はきょうも
ひとりぼっち
影からにげまわる
ひとりぼっち
論破王で有名なひろゆきさんの妻、ゆかさんの記事を読みました。
彼女の母親は、ギャンブル依存症だったとのことで、同じ境遇だった私は、亡くなった母や、子供時代の苦かった過去を思い出します。
中学生の時。
実家の小さな印刷工場で、コピー取りのお手伝いをしていると、知らないおじさんが来て、奥の部屋にいるように言われました。
借金取りです。
ナニワ金融道や、ウシジマくんの世界が現実で、家族に手を出されたくなかったら一万でもいいから返済しろ!と迫ってくるのです。
⚪︎嫁(母)がギャンブル狂
⚪︎2代目(父)が友人の連帯保証人になり逃げられるw
そんな家族で
今なら、親ガチャ失敗〜ざんねん💦となるところなのですが。
意外とその塩辛い記憶があってこそ、生きてこれた安堵感ありましたw
その経験はほんと宝だなーと😊
どんな困難にも、光はあると信じて生きるしかないな🤭
論破王で有名なひろゆきさんの妻、ゆかさんの記事を読みました。
彼女の母親は、ギャンブル依存症だったとのことで、同じ境遇だった私は、亡くなった母や、子供時代の苦かった過去を思い出します。
中学生の時。
実家の小さな印刷工場で、コピー取りのお手伝いをしていると、知らないおじさんが来て、奥の部屋にいるように言われました。
借金取りです。
ナニワ金融道や、ウシジマくんの世界が現実で、家族に手を出されたくなかったら一万でもいいから返済しろ!と迫ってくるのです。
⚪︎嫁(母)がギャンブル狂
⚪︎2代目(父)が友人の連帯保証人になり逃げられるw
そんな家族で
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意外とその塩辛い記憶があってこそ、生きてこれた安堵感ありましたw
その経験はほんと宝だなーと😊
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