「不謹慎」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 不謹慎とは

2013-11-20

http://anond.hatelabo.jp/20131120110203

そうだよ?

元々「風刺」なんてのはお目こぼしで成立してるだけで

単なる名誉毀損侮辱じゃね?っていう部分は常にあって

要するに面白いなら見逃されるわけよ


虚構新聞については

日本ユニセフに損害を与えたからどうこうっつうより

寒いからいい加減にしてくれ」

「これが面白いとか言ってる低偏差値・低センス民も死んでくれ」

「(お前に特権は)与えられねーわ」

っていうのがメイン論点だよ


虚構新聞ってそもそもジョークとして成立してない記事は前から一杯ある

まりブクマもされずに炎上もせず流れていっただけでさ

対象に迷惑だとか不謹慎だとかじゃなくて

純粋に「え…?どういうジョークだかよくわかんねえ…」レベルのね


まりジョークサイト主催するほどその方面センスがないわけよ

従って大衆対応

「あんたは面白くないのでお目こぼしもされません」

「なのでフラットに見ますと、あんたのやってるのはデマの流布・名誉毀損です」

ってことよ


別にあるべき権利が奪われてんじゃなくて

特権を当て込んだけど付与されないっつうだけ

2013-11-19

虚構新聞を叩いている馬鹿共へ

気は済んだか?よし、とりあえず別のサイトみようや。このネット上にはいろんなサイトがあるんだから他のサイトみようや。なんならインターネットじゃなくたって読書でもゲームでもいろいろあるんだからさ。いやな、人間の9割は悪口だから誹謗中傷だ!」とか「不謹慎だ!」みたいな揚げ足取りすることを否定なんてしないけどさ。かっこいいと思うよ?でも好きだって言ってる多くの人間だっているんだから。そういう人に対しての配慮は一切ないわけ?ないすか、そうすか

2013-11-15

不謹慎だけど。

つきぎめ ねえちゃ~ん (アートネイチャー の CM の 調子 で

2013-11-08

だめだ、不謹慎かもしれないが、

島倉千代子って文字を見ただけでしまったしまった島倉千代子を思い出して笑ってしま

2013-10-22

ツイッター投稿で個人蕎麦屋が閉店した件で店側が悪いという指摘はおかし

チェーン店ですら経営状態が悪化する引き金になるかもしれない風評被害という二次被害がある中で、増して個人経営店が今回のような事件が発生して苦情が殺到する事態に発展すれば

当然業務遂行が困難になるのは確実であるし、また個人経営という事でチェーンのように一店舗閉鎖する、という事にはならない。

苦汁の決断を以て今度の閉店騒動に発展しているわけだから、チェーン以上に個人としても思い入れが深かったはずであろう。

にもかかわらず、今度のアルバイター不適切かつ不謹慎勝手まりない行動に対してネット上では、むしろ同情的な意見があるのは違和感を感じる。

ましてや、今度のアルバイターの行動は予測のつく話だったのか、店側の対応アルバイターへのマナー訓練が適切であったかどうかはさておき、そのような行動に至るのは一般的にありえない。すなわち非常識というよりも非一般的な、異常事態であったことは考慮されるべきである。はたして、普通ならありえないという考えは彼らネット住民にはなかったのだろうか。

普通はありえないのだ。

そのありえない事をこのアルバイターやらかしたのである

この異常さが報道過熱した一因といえる。

今回の一件で被った損失は計り知れない。

アルバイターのおふざけで済まされるのは、あくまで店側の許容範囲にあってであり、普通雇用契約書に記載されるものである

まりこのアルバイター雇用条件違反したものであった。

すなわちこの行動に対して処分が下されたのであって、また店側の計り知れない営業的損失や苦情等による精神的苦痛は当然考慮されるべきであり、アルバイター不謹慎過ぎる行動を反省しなければならなかった。

それにも拘らずおふざけだったという一言で済まされて良いのだろうか。

また、これに同情的であるのは如何なものか。

もし貴方がこの蕎麦屋のような個人経営店であれば、世間の評判がどれだけの意味を成しているか理解できるはずだ。

店側の対応はもはや修復不可能な程に追い込まれていたという事実がある事を踏まえて判断しなければならない。

第三者がアルバイターの行き過ぎた行動に同情する余地は皆無だし、店側がこの不謹慎さに対応できたか一般論として考えて欲しい所だ。

2013-09-23

http://anond.hatelabo.jp/20130923134209

不謹慎だけど、このシステムがきちんと整備されたら、

ねこを洗ってる家のほとんどが通報されちゃうなって思った

コンテンツが盛り上がるかどうかは

女性支持が得られるか」どうかだと思う

艦これも、男性向けかとおもいきや、

二次創作とか見ていると女性も多いようだし。

 

そして、コンテンツ崩壊するかどうかも

女性に支持されているか」どうかだと思う。

ヘタリアかい女性向け作品が不謹慎だと叩かれていたので、

艦これもそうであるべきとキチガイ女が広範囲で暴れている。

 

まとめると女はクソ。

クソなのに行動力だけはあるから手に負えない。

2013-09-15

http://anond.hatelabo.jp/20130914231818

20代前半で死んだ友人の葬式は、あまり呆然として悲しいとも思わなかった。

古い友人の葬式は、久しぶりにたくさんの友達と会えたことで、不謹慎だが意外に楽しかった。

親の葬式でも泣かなかった。親戚の案内やらさまざまな雑用があり、葬儀中も親族

子供たちがおとなしくしているように、いろいろと気を使って、忙しすぎて泣く暇なんてなかった。

泣いた、または泣きそうになった葬式というのは、こちらが完全にお客様で、その死が

自分にとって切実でないとき雰囲気と演出で泣かされたような感じ。

でも、何かの折りに、ふと亡くなった親や友人たちのことを思い出す。

じんわりとその人たちのことを思い返す時間がある。

日時が経つにつれて、そのことを思い出すことは減ってくるが、それでいいと思う。そういうものだと思っている。

2013-09-02

燃料棒が全露出

ってなんかエロい響きだよね?

いまさらだけど不謹慎ですか?

2013-08-28

タイトル名を見てもって…

http://anond.hatelabo.jp/20130828114702

なんだただの不謹慎サヨキャラじゃんって思った自分感覚がマヒしてると痛感する

でも「地震をお祝いします」より「ジャップ連呼」を問題視する増田感覚がマヒしてません?

2013-08-23

ゴーストタウンが好きなら、今すぐ「ピエリ守山」へ行け!

この廃墟とは違った廃れた感じがたまらなくいい!

舞台では不謹慎まりないのでここで書くことにする。

ピエリ守山とは、琵琶湖付近にある滋賀県守山市の巨大ショッピングモールである

オープン時は滋賀県内で最大規模を誇っていたそうだが、僅か2ヶ月で他社にその座を奪われてしまった。

不便な立地もあり、客足は年々途絶え、200店舗近くあった店も、今では20店舗近くしか残っていない。

その為、ご覧の有様である

動画は60店舗あったときのものです。

これでもなお営業中というから恐れ入るが、近い将来、閉鎖の可能性もあるらしい。

閉鎖される前に、要チェックだ!

2013-08-22

はだしのゲン閉架処分反対派と表現規制賛成派は同じである

大前提となる大きな事実関係

 先週「はだしのゲン」を巡る大きな騒動があり、ここはてな界隈でも話題となったことは記憶に新しいと思われます

はだしのゲン閉架」に 松江市教委「表現に疑問」

http://www.47news.jp/CN/201308/CN2013081601001339.html

 また、教育委員会自体は否定しているものの、右翼系団体から圧力があったという話があったことも話をさらに大きくさせました。

 荻上チキ氏のはだしのゲン閉架騒動について

http://togetter.com/li/549915

 この辺の話は極東ブログさんが事実関係及び時系列客観的にまとめた記事があるので、そちらを読んだ方が手っ取り早いと思われます

 松江市教育委員会による「はだしのゲン学校図書閉架問題について

 http://togetter.com/li/549915

前提となるこまごまとした事実関係

 さて、ここでブックマークを拾いながら「はだしのゲン」を閉架処理にしてしまうことがいけない理由を見てみたいと思います。なお、これは私がチェックした時点(8月22日深夜0時)においスターを多く集めている順に書いていることをあらかじめここに記しておきます

 まずは一番目に挙げた記事から見ていきましょう。

id:Lobotomy

漫画からって軽い気持ちで手に取ったガキにトラウマを与えるのが、はだしのゲン存在意義なのに……。

id:panamolyfumizou

こういうの見ると、じゃあ発達段階にガッツリ読んでた私ら世代おかしく成長したのかと問いたい。

id:nanaoku

調べてみたら在特会が噛んでいた事案だった http://www.nicovideo.jp/watch/sm17718509

id:fulci

ロイドまみれの人とかヒロポン中毒者とか、発達期の子供が読むとトラウマになる描写ばっかだからいいんじゃん。おかげで子供ながらに戦争原爆とか絶対ダメだこれって思えたよ。

id:IGA-OS

絵が嫌いで読まなかったけど、それを選ぶのは子ども自身であり、閉架扱いにしたら選択の機会が事実上殆どなくなる。閉架は隠すことと同じだろ。

id:nonpori

松江で今年の最高気温華氏451度)が記録されました、というニュース

id:NOV1975

わからんでもないんだけど、これって「なんか聞かれても答えられる自信がありません」っていう教育委員会の敗北ではないのかな。

id:susahadeth52623

不謹慎な言い方かもしれないけど「はだしのゲン」はホラー漫画であり、仁義なき戦いであり、人間の虚飾を引っぺがしつつ、人間賛歌でもあるという極上のエンターテインメントだよ。ぜひ小さいうちに読むべし!

id:honeybe

代わりに古典的名作「火の鳥」を入れようぜ!(レイプ殺人なんでもありですが)

id:yachimon

進駐軍によるレイプシーンの事かな。私はあれでレイプの酷さを知った。小学生高学年以上なら大丈夫だと思うけど。/戦争の汚くそして酷い面を覆い隠して、何がしたいんだろう。

 以上が人気のブックマークトップ10です。

 こうして見ると、はだしのゲン戦争悲惨さを刻み付けるために読ませるべきだという意見は三人ほどおり、またそれに賛同の意を示すかたが意外と多いという事実が分かります。(ちなみに、私はスターを入れていませんが、id:panamolyfumizouさんや、id:IGA-OSさんの意見共感しました。)

 二番目に挙げたブックマークでは某レイシスト集団、ひいては歴史修正主義者に対するコメントばかりなので、「はだしのゲン」という作品そのものに関するコメントは、人気ブックマークに現れていませんでした。もちろん、そういったコメントもあることにありましたが、人気のブックマークの一覧にはありませんでした。当該まとめが取り上げている事案が事案なので仕方がないでしょう。

 とは言え、他の「はだしのゲン」を取り上げた記事においては、必ず一つは人気ブックマークおいて「はだしのゲン」でトラウマが、「はだしのゲン」の描写によって戦争反対が云々、などと言及されているものがあります。また、子供の頃トラウマになった作品挙げていけなどといったしょうもないまとめ系記事でも必ず挙がり、ここでも戦争が云々などと必ず触れられます統計的なデータは取っていませんが、ネット界隈を見渡す限り、このあたりは共通認識であると言っても構わないでしょう。まあ、統計云々以前に、少なくとも、「はだしのゲン」を読んで性的欲求を満たされただとか、積極的に首ちょんぱしたり戦争を行うべきだという思想を獲得したなどという感想はないことは言えるでしょう。

本題

 さて、長くなりましたが、ここからが本題、即ち表題に書いてることについてです。

 表現規制賛成派がどういう理由でもって表現規制に賛成しているかはみなさんもよくご存知の通り、漫画アニメにおける描写が現実性犯罪を引き起こす恐れがあるということからです(もちろん、他にも理由はありますが、ここではこの理由に絞ります)。

 つまり、例えば漫画アニメの中で小学生あるいは中学生しか見えない見た目の登場人物が、和姦であれ強姦であれ触手であれ蟲であれ、何らかの性的行為を行っている描写を読者が見て、現実世界でも実行しようという誘引が働くという訳です。米国で問題になったレイプレイの議論も参考になります。また、他の暴力描写が含まれる作品、例えばバトルロワイヤルなどを巡る議論も同様です。フィクションにおける描写が、現実世界おいても同様の事例を発生せしめる可能性があるという科学的根拠のない意見でもって、規制をなそうという暴論がまかりとおっているのです。

 ところで、上記に述べた「はだしのゲン」を小中学生に見せようという意見を見てみましょう。彼彼女らは、「はだしのゲン」を読むことによって子供達に何らかのトラウマを与えて、また戦争悲惨さを教え、更にはレイプシャブ非道さを教えられるというのです。

 今度はポルノ表現を見てみましょう。ポルノ規制反対派は、猥褻描写が行われている漫画あるいはアニメを見ることによって、例えばレイプされても感じるのだからレイプしようだとか、現実児童にも手を出そうとか、そんなことを読者が考えるとみなしているわけです。

 この論理構造本質的には一緒じゃないですか?即ち、何らかの視覚表現が何らかの影響を読者に与えるというのです。私は、この点でもって、「はだしのゲン」は戦争悲惨さを云々だという論理には危うさを覚えています。しつこく繰り返しますが、描写が凄惨漫画を読んで反戦争を唱えると、レイプ漫画レイプされている人が感じるということを"知って"実際にレイプするとは、本質的に同じ論理構造です。

私の考え

 私自身は、今回の閉架処分には反対です。理由は実に簡単で、漫画表現なんて現実世界に何の影響も及ぼさないし、そもそも現代おいては「はだしのゲン」なんか可愛く見えるくらいグロテスク表現を使ったブツが大量にあるからです。そんな中で「はだしのゲン」だけを閉架処分にするだなんて無知きわまりないです。また、表現の自由という観点からもありえない決定です。ましてや、「はだしのゲン」が特定個人を誹謗中傷している作品ならまだしも、少なくとも史実にしたがって描かれた作品なのです。やはり、今回の松江市の決定は悪しき前例以外の何物にもならないでしょう。

 なお、反戦に関しては、個人的にはたか漫画を使うのではなく具体的なデータ及び記述でもって丁寧に教えた方がよっぽど良いと思います情緒反戦を訴えても意味がありません。それは、より強い思想によって塗り替えられるだけです。確固たる客観的記述を知ることの方が、歴史修正主義者たちの出す捏造された資料を読んで騙されることがなくなるためはるか有用です。個人的に、ネトウヨがこうもうじゃうじゃいる理由はここにあると考えています教育関係者には自省を促したいところです。

2013-08-09

明日になる前に

あと1年ほどで30歳になります

気になる異性ができたのですが、声をかけることができません。

私には生まれつき知的障害をもった兄がいて、

数年前に半身麻痺を患ってしまった母がいます

当時一人暮らしをしていた私は実家に戻り、

父と私の二人で、兄と母を支えるようになりました。

私は幼いころから兄が大好きで、

その兄を懸命に育てた母のことも好きです。

母が倒れた時、私は職場人間関係ボロボロになっていましたが、

入院介護のために、職場を替えてもらうことができました。

不謹慎ですが、私のために母が犠牲になってくれたんだと思いました。

今の職場では申し訳ないほど配慮していただいて、

帰れば家族が待っていて、とても幸せです。

ただこの数年、平日も土日も、母と兄のために時間を割く日々が続いて、

職場飲み会や友人と会う機会に罪悪感を感じるようになり、

自分が興味のあることよりも家族を優先するようになりました。

その間に友人たちは次々と好きな人と結ばれて、

嬉しい気持ちと同時に、置いて行かれたような寂しさも積もっています

お付き合いという形でなくていいので、

家族以外のひとと過ごす時間がほしいと思っていますが、

今日は〇時に帰ってくるよね」「明日は××に連れて行ってね」という母の悪気のない言葉に、

いろいろなことを躊躇してしまます

将来。と考えたら、いっそう重みがあって、もう諦めているところもあると思います

母や兄を、人付き合いを避けるための言い訳にしている面もあるかもしれません。

何だか考えすぎて動けなくなってしまった、というのが今の状態です。

さまざまな思いが入り混じって、

冒頭のとおり、気になる人に声をかけられません。

その人は少し前の職場で会った人で、

これまでにほとんど接点がなく、私の一方的な片想いです。

恋愛感情というよりは、もっと話してみたいというライトな気持ちですが。

でもこんな背景があったらきっと相手も困ってしまますよね。


ただ、ここに書くことで

勇気を出すきっかけになればいいなと、

どこまでも受け身な自分にへこみつつも登録してみます

読んでくださった方、ありがとうございました。

2013-07-24

http://anond.hatelabo.jp/20070316151804

自分中学ぐらいか死にたい。理由はわからない。恵まれているはずなのに死にたい

中学以前は自分ぼんやりしていて何を考えていたのかすら思い出せないけど、それからずっと死にたかった。でもまだ生きてる。

成人すればそんなこと考えないかとか思っていたけど成人して数年たつ今もそのまま。

不謹慎だが不慮の事故病気で死なないかなあと思いながら、毎日ご飯食べて金稼いで適当に娯楽をして生きてる。

体調が悪くなると少しだけ期待する。本当に不謹慎だし、自分が苦しむところを想像できていないといわれたら反論できないけど。

中学生の頃ははやく老後にならないかななんて考えてもいた。だれも苦しまいかたちで死が近づいて、あとは待つだけの状態が良いと思っていた。

リアルでは誰にもこういう気持ちのことは話したことない。たぶん理解されないし、面倒な騒ぎを起こすだけだと思って。

自殺志願者向けに安楽死施設があれば死ぬのだろうか?あってももしかしたら死なないんじゃないか

でももしかしたら我慢できずにふっと飛び降り死ぬんじゃないか

ときどき「死にたい(生きたくない)」と「なんで死ぬんだ、死ぬのは苦しいぞ」の葛藤が苦しい。

元増田はあまり苦しんでいないようですこしうらやましいが、もしかしたらうらやましく思うのは自分のは自己憐憫をしているだけだからかもしれない。元増田の方は物心つく前からのもので、自分の方は思春期が来てからからまり同じものでもないのかもしれない。でも同じように若いから死にたいままずっといる人間がいることに安心…とは違うような気がするけど、異邦人気分は紛れた気がする。

2013-07-04

http://anond.hatelabo.jp/20130704114840

飲食業みたいに人件費比率が高いところはそうかもしれないが、大抵の会社社員が1人欠けても支障なく業務が回るようになってる。

そうなってなかったら、病欠冠婚葬祭社員が1人休む度に業務が止まるし、そんな綱渡りみたいな運用してる会社は多くない。

業務が回るかどうかは関係なく、私用で有給を取ることが不真面目・不謹慎だという風潮が社内にあって、

有給を行使すると「権利ばかり主張して他人の迷惑を顧みない奴」と評価されかねないから、みんな有給を使わないだけ。

有給消化ごときが業績に影響するような会社は、労基法がどうなろうと早晩潰れるよ。

2013-06-25

炎上して自殺した議員さん、火葬場でまた炎上ちゃうんだな

ってツイートみて不謹慎だけど思わず笑ってしまった

2013-06-21

詩人オウム世界

そろそろ時代的に地下鉄サリン事件を知らない世代が表に出てきてもおかしくない頃合だと思う。というか、かく言う自分がその辺りの人間である

事件のあったときに生まれてなかったという訳ではないけれどあまりテレビとか見てなかったしそもそも住んでいた場所が事件のあった霞ヶ関辺りとは遠く遠く程遠い場所だったのであまり実感も何もなかったってのもあるしあまり詳しくは知らない。でもじゃあ今になって事件を詳しく調べてみようなんて気分には正直全くならない。寧ろ出来るだけ触れるべきではない話題なんだろうなあと何となく怖がっている節がある。世間的な大事件といえば酒鬼薔薇の件や宮崎の件、バスジャック云々ってのもあったしあと最近なんかだと加藤の件とかも、とにかくセンセーショナルな物といえば他にも色々とあったはずなんだけど、それでも口に出すのも憚られるってレベルじゃあない。一体どこら辺が差を生んでいるんだろうなあと思った結果「被害者が進行形で後遺症に悩まされている」とか「関係者がつい最近まで逃亡生活をしていたり何らなの形で事件がまだ続いている」みたいな印象があったりするせいなのかなー、とか。何かと聞くのも調べるのも気が乗らないし不謹慎みたいな感覚があるんだよなあ。ポア鳥とかネタ的な感じで使われてる奴とか見ても結構笑いづらくて勝手に困っちゃったりしてる。とはいえこちらが調べるつもりじゃなくてもある程度耳に入ってきちゃったりする話なんかを聞いていると事件当時ないし事件が起きるまでの間にどういう風な感じでオウムが扱われてきたのかとか色々と聞こえてくるしやっぱり興味がないわけではない。怖いけど。

事件が起きるまでは「ちょっと変な宗教とその教祖」程度の扱いで結構普通にメディア露出していたとか、反面映像作品に教祖写真サブリミナルでぶち込んで視聴者に刷り込もうとしたとか、選挙活動していたとか(歌、有名らしいけど)、今思うと結構引く様な風景だけど当時としては割と日常風景だったんだなあ……何か怖い。いや寧ろそれ位まで浸透してきた辺りで事件が起きてしまたからこそのセンセーショナルなんだろうか。どうなんですかね。

日本人宗教嫌いはオウムのせい、なんて話も聞くけどそれはちょっと言いすぎだと思う。多分もっとから結構ひねくれてる人種からオウムだけのせいとはいえないと思うけど、まあ宗教自体に対する偏見とかあからさまな忌避みたいなのはオウムが決定的にしちゃった部分はあるのかもしれない。まあやっぱ当時の事知らんからなんとも言えんけども。実際海外に行って無宗教なんて言うと酷く胡散臭がられるらしいなんて聞いたけど、その場でちゃんと「日本では新興宗教化学兵器テロを起こした事があってそのせいで宗教に対する偏見が強くなったんだよぅ」とか理由付けをしっかり述べてあげれば先方も納得するとは思うけどね、っつーか寧ろショックで口半開きになるよきっと。何せそんな事件なんて世界広しっつってもこの国だけでしょうし。自爆テロなら今でもチョイチョイ見かけるには見かけますが、「新興宗教が」「化学兵器自作して」「地下鉄にばら撒いて人を殺す」んですよ。色々な意味ツッコミ所が多すぎる内容ですよ。

 

 

 

……オウム。結局は得体が知れないから怖いって事なのかなあ。新興宗教ぶち上げて人殺して、結局何がしたかったんだろうか全く分からない。分かるわけはないですし実際に首謀者たるヒゲ教祖(昔から生理的に苦手な風貌ではあった)も今では鉄格子の向こうで気が触れてらっしゃると聞くし、真相は闇の中って奴なんだろうなあ。何かやだなあ。怖い。

2013-06-03

http://anond.hatelabo.jp/20130603203118

まぁ、アートならOkなんですよ。

戦場写真家だって同じようなもんでしょ?

本当なら殺し合いを撮影するなんて不謹慎の極みなんですから

2013-05-30

不謹慎スマホアプリ

アプリ名 : 神の怒り

内容 : 増えすぎた人間あの手この手を使って粛清する

端末を揺らす→地震

から陸へ向かってスワイプ洪水

災害を起こしまくると恐怖メータ宗教依存メータが上がってくるのでそこでマイクに向かって適当なお告げを言う。

宗教依存メータが振り切ると全人類悟りを開きゲームクリア。お告げを言うタイミング大事

ゲスネタとしても人に言えないが、思いついてムラムラするので書きました。

まねして本の紹介 その2

http://anond.hatelabo.jp/20130529230131 の続きです。長くて途中で途切れるため分けました。このエントリで紹介するのは以下の本です。

名人に香車を引いた男、八十歳のアリア―四十五年かけてつくったバイオリン物語記憶の切繪図, 弁護士、闘う―宇都宮健児の事件帖

影響を受けたブログは20冊の本を取り上げていた訳だが、自分で真似をしてまとめていく内に20冊よりもずいぶん多くなってしまった。なので、上記4冊は似たテーマなのでまとめて紹介することにする。この節は日本人自伝だ。

「名人に香車を引いた男」は昭和将棋指し(棋士)の升田幸三名人の自伝羽生善治さんがもし生きていたら是非将棋を指してみたい棋士の方だと聞いたことがある。

生き方はなんとも痛快。昔の人のバンカラな感じというか、そういう感じが良く出ている。この人のように、どんな人にも自分の本音を話せる人は今日本の中にいるだろうか。そして、名人になった時の一言が心に残る。

「八十歳のアリア―四十五年かけてつくったバイオリン物語」は糸川英夫さんの自伝だ。この方はロケットが専門の研究者で、戦時中戦闘機設計に関わっていたり、戦後もロケット開発に関わっていたりする方だ。戦後間もない時期は失意に沈んだ時期で自殺も考えるほどの状況だったが、バイオリン製作きっかけで少しずつだが自分を取り戻していく。そのバイオリン製作には完成までに40年以上もかかった。そのバイオリンとは――。

升田幸三名人、糸川英夫さんの両氏とも戦争の影響が人生に大きくのしかかる。その点でまとめさせてもらった。それと、両氏の著作とも読んでもらえばわかるが、自由だ。それ以外はあまり共通項はないけれど、読んで楽しい本だ。重い話はないし、読みやすい本なので手に取ってみてほしい。

記憶の切繪図」は「フェルマーの最終定理」の中で登場する志村五郎博士自伝。「フェルマーの最終定理」の中でサイモン・シンさんは志村さんにいろいろインタビューしている。その中で数学における「良さ」とは何なのか、それに答えるシーンがある。その答えが簡潔なのだけれど、それ以上無いくらい志村さんの数学のとらえ方を表しているように思え、興味があって読んだ。

この方も上記二人に劣らないくらい自由だ。Amazonレビューには高木貞治さんを愚弄しているという指摘がある。しかし、だからといって謙遜して書いてもらっても一読者としてはおもしろくも何ともない。むしろそのまま出版してもらって良かった。

こう書くと志村博士はずいぶん口の悪い人で、ある種の暴露本に思えるかもしれないが、そうではなくて、要所要所に意図して書かないことがあったり、感情を押し殺した表現がちらちらあるのだ。それがあるから志村さんの人となりがわかった。良い自伝だ。

弁護士、闘う―宇都宮健児の事件帖」は少し前に東京都知事選立候補されたり、弁護士会の会長をされていた宇都宮健児さんの自伝だ。まだ自伝を出すには早いと思うので、半生を綴った本としておいた方がよいか

決して飾らないその人柄は文章にもそのまま表れている。豊田商事事件、オウム真理教の一連の事件、カード破産の話など、弁護士として関わった事件の数々。それらを振り返りながら、今されている仕事にも言及している。自分法律のことは全くわからないが、こんなに多様な類型、しかもその事件が発生した時点では立法のものが不整備だったり、法解釈が分かれていたりといった、未開拓の問題に対処するのは並大抵の法律家にはできないように思える。それをまるで飄々とこなしているような姿は、武道の達人のようだ。

気負いのなさと実直さ、そして執念を感じる本だ。宇都宮健児さんへのインタビューが下のURLにある。興味のある方は見てほしい。

からくり民主主義

この本は学生時代に講義で先生おすすめされていて読んだ本だ。著者は高橋秀実さん。

高橋秀実さんはルポライターで、自分の体験を元に本を書く方だ。ただ、ルポライターではあるけど、少しほかのルポライターと毛色が違う。本来ルポライターは事件や事故が起きたら素早く現場に赴き、当事者インタビューをして、それらを記事や本にする。高橋さんはそれらの事件や事故が起こって、ほとぼりが冷めたあたりでインタビューに出向く。時期がかなり遅いのだ。

元のブログでは物事には多様な見方解釈があって、一元的に判断することは危険なことを理解するための本として「バカの壁」を挙げていた。その点では、この本も内容は似ている。面白いのは、この本ではそれが「実例」でいくつも挙げてある所だ。

ニュース番組新聞では、大きく取り上げられていた事件・事故が、実際に現場に行ってみると「あれ?」と思えるくらい当事者たちは冷めていたり、むしろその状況が続くことを望んでいたり――。読み進めていくうちに、不謹慎かもしれないが笑ってしまうような話になっていったりするのだ。某映画台詞の反対で、むしろ事件は会議室しか起きていないんじゃないか?、という気持ちにもなる。

自分単行本ハードカバー)で読んだ。解説を村上春樹さんが書かれていた。(はずだ。確か)

堅苦しい話ではないので、気楽に読んで、何度かたまに読み返すとその度に不思議な気持ちになる本だ。

冬のデナリ

著者は西前四郎さん。半分が小説で半分がノンフィクションといった感じの本だ。

デナリというのはアラスカにある山の名前で、日本では「マッキンリー山」と言った方が通りがよいと思う。この山を登る登山家チームの話だ。ちなみに、植村直己さんはこの山で行方不明になった。(この本のチームとは無関係だろう)

厳寒期の冬山を登る人の気持ちは自分には想像もつかない。だけれども、そんな自分にも山を登るチームワークの大切さと難しさ、軽く見積もった事象が後にやっかいな出来事にふくらんでいくその状況判断の危うさや過酷さ、そして生きることへの執念といったもろもろが、響いてくるような本だ。

今の登山の装備と比べると、重かったりかさばったりしてその面でも大変だったはずだ。写真のページを見ると、そんなところも気にかかった。

この本も最後一言(だと思ったけど)が良い。

この本のあと、山登りの本は植村さんの本(「青春を山に賭けて」)も読んだけれど、こちらの方が山について全く知らない自分には印象に残った。所々で登山の道具の名前ハーケンとかザイルとか)が出てきて、イメージができない自分のような人は、出てきたところで、ググったり辞書で調べて簡単な絵を紙に描いておいて、再度出たときにその絵を眺めたりしながら読むとより読みやすいと思う。

パタゴニア―あるいは風とタンポポ物語

この本は椎名誠さんが著者だ。椎名誠さんは今はエッセイ世界各地を回った紀行文を書いたり、写真家であったりとマルチ作家だけれど、この本が出たのはそうなり始めてすこし経った頃だ。

冒頭から危機的な状況である。にもかかわらず出発するのだ。この判断は本当だとしたらすごいことだ。何が危機的なのかはここでは言わないけれど、読めばすぐわかる。

全体として、椎名さんが書く紀行文自分で感じたことをズバズバわかりやすく書いていく方法なのだが、この本はそこまでズバズバ書くと言うよりも、なんとなく「岳物語」につながるような、私小説風の書き方をしている。その書き方もあるし、パタゴニアという場所のせいもあるからか、行き止まりに向かって進んでいくようなやり場のの無さを感じる。それが途中ですっと消えて静かな感じで終わるのだ。自分はそこがとても好きだ。精神的な閉塞感がふと消えて、やさしさが残る本だ。

から春にかけて寝る前に少し読むのが似合う本だろう。この本は文庫版もあるけれど、ハードカバー装幀自分にはしっくりくる。

カヌー犬・ガクの生涯

カヌー犬・ガクというのは、前に挙げた椎名誠さんの飼っている犬の名前だ。その犬は手こぎボートの船頭に座って川下りをするのが得意という、ちょっと変わった特技を持つ。

その犬と椎名誠さんの友人の野田知佑さんが、日本世界の各地を巡ったときの話をまとめたのがこの本だ。著者は野田知佑さんご自身。

カナダユーコン川を下ったり、北極(か、南極か忘れてしまったけれど)に行ったり、といろんな所に行って危険な目に遭ったり……、南国に行ってのんびり過ごしたり。少し羨ましいけれど、いざ自分が行くとなるとそんなところはとても怖くていけないようなところに行く。

犬を人間と同じように扱うという著者なので、犬が好きな人はより楽しめるだろう。元のブログとの対応としては「深夜特急」にあたるかな?(やや無理矢理だけど)

ピアノ調律師

著者はM.B. ゴフスタインさん。翻訳は末盛千枝子さん。絵本だ。(やや字が多いけれど)

小さな女の子主人公。おじいさんがピアノの調律を仕事にしていて、おじいさんとしては女の子ピアニストになってもらいたいのだけれど、女の子はおじいさんのようにピアノの調律をしたくてたまらない。そんなときに、ピアノの調律を頼まれるのだ。

あらすじで書くとそんなに心惹かれる感じは無いかもしれないが、絵の良さ、そして言葉の良さ。二人を取り巻く登場人物の面々もすばらしい。

「謎のギャラリー」のところで言及した「私のノアの箱舟」も同じゴフスタインさんの絵本だ。こちらもすばらしい。ゴフスタインさんの本はほかにも何冊か読んだけれど、この本が一番絵本らしい絵本だと思う。絵の良さはいくら文章にしたところで伝わるものではないので、図書館で借りたりして手に取ってみてほしい。もちろんM.B. ゴフスタインさんのほかの本を読むのも楽しい

数学ワンダーランド

中学校で習う数学を、苦手な人も得意な人もできるかぎり楽しく考えていこう。それがこの本のテーマだ。中学生向けの数学月刊誌で連載していた読み物をまとめた本で、著者は小島寛之さん。はてなダイアリーを利用されている( http://d.hatena.ne.jp/hiroyukikojima/ さん)ようだ。

数学は、学習が進むにつれてどんどん(指数関数的に?)難しくなっていき、小学校中学校では好きだった人もだんだんと距離を置いて離れて行ってしまう……、そんな科目だ。なかなかずーっと数学が好きで好きで……、という方はいないのではないかと思う。おそらく数学プロの方(数学者のような)でも、そのキャリアのところどころで難問にぶち当たり、歯がゆい思いをするのだろう。(そういう話は前に挙げた「フェルマーの最終定理」にちらっと出てくる)

そんな風にだんだん一般人数学から身を引いていきがちになるわけだけれど、この本は、わりと数学算数を学び始めた頃に不思議に思えたことを延長して話をすすめようとしていく。こういう書き方はやろうと思ってもとても難しいはずだ。著者は数学が好きな気持ちと、一方で嫌いな気持ちの両方を持ち続けているような、そんな状態になるだろうから。嫌いな人の気持ちになって、そしてそのどこが嫌いなのかを共感した上で話を進めつつ、好きな人も読めるようにする配慮を怠らない。そんな書き方がされている。

この本が持つ数学へのアンビバレントな思いは、いわゆる数学(の歴史を中心とした)解説本でもなく、かといってとっても難しい数学ドリルみたいな本でもなく、わかりそうでわからない絶妙な問題の難しさと相まってなかなか類書がないと思う。くわえて、ところどころに経済学の話とかもでてきたりする。好きな人もそうでない人も読んでみてほしい。なんとなくわかりそうで手が出ないあの「数学の感じ」を思い出すはずだ。

同じ著者の「解法のスーパーテクニック」も良い本だ。ただ、一冊にしろと言われたら「数学ワンダーランド」かな。ほかにも小島寛之さんの著作はいくつかあるのだけれど、自分が読んだのはこの2冊だ。なのでほかにも良い本はあるだろう。

元のブログとの対応としては細野さんの数学の本としておく。(その本を読んでないのでどこが?といわれると、単に数学つながりなだけだ)

心地よく秘密めいたところ

この本は幻想小説というのだろうか。ファンタジーだ。著者はピーター・S・ビーグルさん。翻訳山崎淳さん。

この本はとても雰囲気がよい。あらすじはそんなにたいしたものは無いんだけど、夏の早朝のような爽快な感じがある一方で、なんか少しじめっとした感じもするのだ。

Amazonレビューがこの文章を書いている段階で4つある。で、そのどれもが作品の魅力を的確に紹介しているのだけれど、なんだかそれらのレビューだけではこの本の良さを伝えきれない感じが残る。言葉を連ねてもなかなか伝わらない感じがする本だ。

この本を自分は夏の終わりの頃に読んだのだが、その頃の陽気にとてもよく合う本だった。光の強さと日の入りの早さがこの本の主題に合ったものからだろうか。「リプレイ」が動くSF小説に対して、この「心地よく秘密めいたところ」は静かにじっとしている感じだ。でも、どちらを読んでも同じ思いに至るはず。不思議だけれど。

東チモール県知事日記

著者は伊勢崎賢治さん。この方は日本大学卒業されたあとにインド民衆グループリーダーをされて、その実績を買われ、国連の要請東ティモールに赴任する。(下のURLに伊勢崎賢治さんへのインタビューがあるので詳しいことを知りたい人は読んでみてほしい。)

こういう日本人って(自分不勉強なせいかもしれないが)あまりいないと思うのだ。杢尾雪絵さんくらいしか自分はほかに知らない。

ずいぶん前に読んだので細かい記述は忘れてしまったけれど、この本の良さは著者が見たこと、感じたこと、やったことが率直に書かれたところ。そして日本に住んでいる限り想像できない「危険」な東ティモールでも、危険な所もある一方で、そうでないところがあるといったような、現実の姿が伝わってくるところだ。

外見はなんかどこにでもいそうな感じのおじさん(もし本人や関係者がこの文を読んでいたら失礼で申し訳ない。すみません。)だ。だが、インフォーマルな組織における統率の方法や、戦争犯罪者をどのレベルまで処罰するのか、など、繊細な問題への対処。こういうのは前者は経営学とかで少し研究されているようだけれど、じゃあそれが実地で適用すれば問題は解決するのかというと、そうでも無いと思う。そういった「答えが見えない問題」へどうやって取り組むのか――。しかも異国の地で。

そういうことを知りたいときに読むとよいかもしれない。自分も詳細を忘れていることに気がついたのでもう一度読むことにする。それにしても久しぶりに上のインタビュー記事を読んだけれど、タフな人だ。

ニッポン貧乏旅行

著者は藤本研さん。この本は、藤本研さんがおよそ半年をかけて日本を歩いて一周をした旅行記。旅行記というよりも生活記録といった方が良いかもしれない。

生活記録なので、朝は何時に起きたとか、午前中はどうしていた、お昼は何を食べた、などなどそっけない記述が中心だ。でも、そのそっけなく感じる記述が妙なリアルさを出していて、読んでいると日本ってこんなに広いんだと思わせてくれる。それと歩いてたどり着いた各地の景勝地を見るとか、そういうことも無くて、そこもこの本の特徴だ。タイトルに「大貧乏」と付くのは、宿泊ほとんどを野宿やお寺の本堂の隅を借りたりして無料でまかなうことによる。食事もとても簡素ものだ。

本のはじめに藤本研さんの歩行ルート日本地図と一緒に図示されていて、その後にスケジュール表があって、それをみるのも楽しいたんたんと書いてある中の楽しさ、と言って伝わるだろうか。

たまにアクシデントに見舞われるのだが、そのアクシデントがなんとなくユーモアがあるというか、おだやかな感じだ。日本一周するからと言って、気張らず、藤本研さんはたんたんと歩いて行く。歩いている途中で同士がいたりする。そういう記述もなんだか一緒に日本一周しているような気持ちにさせてくれる要因だろうか。

自分は今まで挙げた本はだいたいは図書館で借りて読んでいる。この本もそうだ。再度読みたいのだが、図書館で借りようとしたらいつの間にか消えてしまっていた。残念だ。




(まだつづく、かも。)

2013-05-29

http://anond.hatelabo.jp/20130529134812

それ単に、二次元存在する理想男性という概念を知った事で、自分が付き合ってる三次元に愛する値打ちがないと気付いてしまっただけの話では?

彼氏の描写読んでると「どこがいいのこのゴミクズ男」って感想しか出てこないよマジで二次元にはまってなくても目を覚まして逃げろって言いたくなる。自分の話ばかりまくしたて、不謹慎なことを言って自分爆笑するような男は友達でも嫌だ。

二次とか三次とか両方を愛する資質がとか後付けみたいな事をウダウダ考えて言い訳してないで、とりあえずそいつとは早く別れなされ。

自分が見る限り、あなたが今の彼氏うたプリ攻略対象のように愛せないのは、あなたに愛が少ないのが原因には全く思えない。

2013-05-01

地方の死

この連休帰省だった。同級生葬式に出た。

彼は酒と煙草パチンコセックスジャスコ家族を愛し、そのために死んだ。脳溢血だった。享年35歳。自分死ぬなのだな、と今更ながらに思い知った。

彼はスーパー鮮魚担当毎日朝3時から夕方3時まで働き、その後6時まで酒を飲む。「ただで腹いっぱいだ」とスーパーづとめを楽しんでいた。鮮魚の仕入れから店に出すまですべてをこなしていた。

体重は120キロを超えていた。「まだメタボリック診断の歳じゃない」と笑っていたのを思い出す。その歳まで生きなかったじゃんかよ……。

ひいて自分省みる大学進学と同時に上京し、院を出てSI屋に入った。救われない上司と救ってくれる同僚、どうしようもない営業と客に囲まれて、毎日毎日限界だ。今日も22時まで働いた。連休中は終電じゃないから早いと思えるくらいに毒された毎日を過ごしている。体重は平均をはるかに下回る。もう一日一食、昼だけだ。一人で昼を食べるのももう10年だ。働く前からこれは変わらないけどさ。彼とは違った病気死ぬのだろう、と今回のことでぼんやり思った。誰が僕の死体を見つけてくれるのだろう。彼は仕事中に倒れたようだ。大勢の中で死ぬのなら働いている途中に限る。不謹慎ながらそう思った。自宅で死ぬなんて、誰が見つけてくれるのだろう。

だきまくらを買う勇気はないけれど、もし、「ただいま」に反応して「おかえり」と言ってくれる人形が出たら買いそうだ。

今日も誰もいない部屋に「ただいま」。

2013-04-20

親父が死んでから体調がすこぶる良い。

親父が死んでから体調がすこぶる良い。良い、というか死んだ親父から何かを継承したのでは無いかというくらいにボアアップしている感がある。さすがに不謹慎だと怒られそうなので他人には言えないのだけど、これは一般的な話なのだろうか。自分誰にも言えない心境にある以上同様の価値観から公表出来ない事案が相当数あるのではないかと推測する。というかそうであって欲しい。俺は唯物論者なのでいわゆるオカルティックな話題は好んで話さないが、こればかりは実体験として知覚できないなんらかの影響を親父の死から受けていると認めざるをえない。

体力とかそういう物理的なエネルギーではなく、人間生命力というかなんというか、1機増えて同時に操作しているかのようなテンションがある。洋服を同時に二人で着ているかのような肉体と精神ミスマッチ感。ただひとつの問題としては、俺が今の俺の好調を御しきれていないという点だ。御すというか昇華できていない。真っ黒な排気ガスが出続けているだけ。今のテンションにうまく乗れていない。幸い明日休みだし出かける予定もないし、瞑想でもしてみようか。するわけないか

俺は両親とうまくやれなくて親父が死ぬ手前でその事実を知りながらに何もせず会いもせずただ死ぬのを遠くから待っているだけだったけど、それでもこれほど大きく変化を感じているのだから、そうでない人はもっと大きな何かを感じるのではないか、これを親父が死ぬから知っていたらもっと近づこうとしただろうか。いや、正直親父から何かを受け継いだのだと実感できてしまうことが若干気持ち悪い。取れないぬめりのような不快感がある。きっとそれがあるから素直に受け入れて今のテンションに乗っかったりできないんだろうなと思う。誰にも言えないけど書き記しておきたいと感じたので匿名で書けるここに書いて済ます事にした。

2013-04-16

子供レス家庭の奥さんは、旦那健康を気使う必要ない?

職場の先輩が「太りすぎ」ということで、奥さんに弁当持たされている。

職場の皆と昼飯たべたら、食べ過ぎてしまう」ということらしい。  

でも、その先輩の家庭は40代半ばだが、子供がいない。

確か「子供しかったんだが、出来なかった」と語っていたと記憶している。

子供がある家庭で、奥さんが「旦那に先立たれたら大変」と弁当持たせるのは分からなくはないが、

別に子供いない家庭だったら、そんなに旦那健康気にする必要ないんじゃない?と不謹慎ながら感じてしまった。

2013-04-10

早くミサイル落ちないか

不謹慎だが、そんなことを思ってしまう。

国内でいい、僕が安全ならいいや。あと知ってる人が死ななければ。

それを期にアメリカ北朝鮮軍事介入して、一ヶ月もせずに終戦。北朝鮮崩壊

やったね、ならず者国家が滅んだよ!

どっかの誰かが戦って。

どっかの誰かが死ぬ

それらはすべて、モニタの向こうのこと。

僕は安全からそれを観戦する。

どこで戦争が起きようが、誰が死のうが、僕の平和は常に守られている。

僕の平和のために、死んでくれ。

そんな気分。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん