はてなキーワード: イラストレーターとは
吉本興業に所属するお笑い芸人・キングコングの西野亮廣氏の界隈が燃えている。
彼がプロデュースした絵本「えんとつ町のプペル」についてである。最近の西野氏は声優の明坂聡美を名指しで吊し上げたり、
みんなの心が一つにならないと倒せないのだ
— 平野耕太 (@hiranokohta) 2017年1月21日”
と表現した。
たしかに批判的にであっても西野氏を話題にすることで、「えんとつ町のプペル」にはパブリシティ効果が生まれてしまい、
それは西野氏を経済的に利することになる。吉本興業という大企業に守られた彼の立場もまた安泰だ。
西野氏が経済的利益を目的にしているのなら、彼に対する対処は確かに大変に難しい。
金銭的メリットで見た場合、西野氏にとって、ましてや吉本興業にとって、絵本の売上やクラウドファンディングから
上がる利益はそれほど莫大とは言えない。
彼がお笑い芸人・タレントとして積み上げていくであろう利益と、繰り返される騒動の中で生まれた彼に対する面倒くさ
そうなイメージ、負の印象がもたらす長期的不利益を天秤にかければ、収支としてはマイナスも大きい。
最近コンプライアンスや芸人教育に神経をとがらせている吉本からしてみれば、ほどほどにしておけよ、いい加減にしろよ、
それでもなお西野氏がこの道を邁進するのは、彼が欲するのが金銭ではないからだ。
西野亮廣という妖怪を一言で分類するなら、肥大化した虚栄心の化物である。
彼が焦がれるほどに欲しているのは、知的でウィットに富んだ、唯一無二の優れた芸術家という他者からの評価と喝采なのだ。
西野氏の対応は常に後手後手で、その時々に批判された内容に愚直なまでに対応している。
無料公開で広告収益をあげていると言われれば寄付を発表するし、外注イラストレーターたちの処遇が批判されれば特別
ボーナスを出すと吹聴する。
西野氏が本当にビジネスとして割り切って炎上を狙っているのであれば、ここまで右往左往する必要などないのだ。
それほどに彼は、小銭稼ぎに長けた絵本商売人、と見られることを恐れている。
西野氏が明坂聡美を槍玉に挙げたのは、マウントを取る相手として手頃だった…ということもあるだろうが、一番大きい理由
その点に論点が向かう限り、革新的なビジネスに挑戦するアーティストと、旧態依然とした者たちの無理解の戦いという図式
では彼が向かってほしくない方向がどちらかは明らかで、
クラウドファンディングという他人の金で、
作り上げた成果を持って世のクリエイター、購買者を「金の奴隷」と嘲った西野亮廣の尊大さ、あさましさの是非を問われる
ことを彼は一番恐れているのである。
彼の手元に何千万か残ったところで、絵本商売人がアーティストを搾取してうまいこと稼ぎましたね、という評価では西野氏
「なんだ、偉そうなこと言って自分で描いてないんじゃん」
といった個々の評価は、ダメージを与えている手応えはないかもしれないが、エゴサに余念のない西野氏にはちゃんと届いている。
キングコング西野氏がプロデュースした『えんとつ町のプペル』で、ブログタイトルにつられてみんなが反応した。
そうだ、「お金の奴隷解放宣言」という一文は、とても昨今のみんなの気持ちを端的に表しているのだ。
お金を出せば世の中を少しだけ動かせるんだけど、それでも自分の欲しいものはもっとお金のかかるもの。
生活費以外でのこったお金で皆やりくりしている。趣味に使うお金はいわゆる「娯楽費」だから、毎月毎月少しずつお金を出して買っている。
けれど、昔のゲームや今の書籍・雑貨のように「買ったら終わり」の世界ではなく、「買っても次々に課金しなければならないゲーム」
「毎月少しずつ払って使うツール(セキュリティソフトなど)」にさえも、
毎月なんらかの維持費としてお金がかかる。
それらは少しずつなんだけども、5つ集まれば相当な金額になる。
自分を少し、楽しませるために欠かせないものだから、出して楽しんでいる。
それらには、「自分が」楽しむものだから、「自分で」買っているんだ。
「食っていくために出した商品としての『絵本』の内容を、クラウドファンディングの出資者とイラストレーターさんに許可を取らずに、勝手に見せた」ことに怒ってる。
しかも「描いてくれたイラストレーターさんや、出版社などに利益を出すために金を払うのは『糞ダセー』とは何事だ!!?」なんていってるんだけど。
『糞ダセー』と言ったのは、「イラストレーターさんや出版社」にではなく。
『西野氏本人』なんだ。
その発言の矛先は、誰でもない、西野氏が自分で自分に言った言葉なんだよ。
責めてるのは、「商品としての作品を販売している人たち」でもなく、
あるいは「生きてくために値段をつけてモノやコトを売っている大人たち」ではなく、
「買って見たらその善し悪しが分かるよ」と豪語して、中身を見せず表紙で絵本を売ろうとしていた、西野氏が、自分に、自分で、言ったんだ。
ぼくらは、いつのまにか、自分が自分が、と自分を先に出してしまう傾向がある。
「お金を稼がなきゃ生きていけない」
「ちっぽけな自分が生きていくには身を粉にして働かなきゃ」
そして、お金を嫌いながらも、お金があるから今日も貧乏なんだと叫んで生きている。
そして、出した商品の「ココが悪い」に蓋をして、「これでいいんだ」と豪語して、買って使う人たちのことを見ないで、その人たちのもってるお金を欲しがっている。
でも、ちょっと待ってよ。
買って欲しい人って、だれなんだ?
『絵本』を買う人ってだれ?
こども?
おとな?
おとうさん?
おかあさん?
絵本という本は、えとぶんで魅せてくれてきれいなのに、それなりにたかくて。
でも、西野氏が書いたのは、まったく「あたらしいものがたり」だから、大人が買うように「買って読んでみる」ができない。
こどもは「おやがしってるものがたり」しか、買い与えられないことが多い。
だから、一番絵本を見せたいこどものことを考えないで、絵本は売れるわけがないんだよ。
こどもだって体験したものは、みんなにみせたいしはなしたいし、かたりあいたい。
こどもたちが体験したものって、どれも「はじめて」だから、しったときのよろこびはおおきい。
それなのに、かってくれるおやが「知らないから」っていって、かってくれないんだよ。
「ええ、これしらないんだよな~」で、こどもの「ほしい」がふうじられる。
こどもの「ほしい」に、おとなが「はんのう」してくれないと、こどもは「ほしいものがてにできない」こどもになる。
あるいは、「ほしいものをちからづくでてにいれるためにおやにほうしする」ようになる。
欲しいものを買ってもらうために、親の言いなりになる子供。そうなってほしい?
過剰にお金を追い求めなくてもいいから、お金の奴隷から解放するといったのは、こどもたちにたいして、だったのだ。
おこづかいを貯めて買うこともできるけれど、それよりも親に買ってもらうことがこどもにとっては、はやいんだ。
というか単純に、「親に読んで聞かせてもらった」ことの価値は、自分でほしくて買ったときよりも、記憶に残りやすい。
そして、そのときをこどもが思い出す時、親があとで見つけた時に思い出すときの「きっかけ」としての、絵本。
けれど、おやが「買いやすい」ように、「手に取りやすい」ように、「内容がわからないなら見てほしい」ように、
そのことに気付くのが遅かったから、西野氏が自分を『糞ダセー』といったんだ。
むしろ、「無料化」ではなく「有料でネットにあげてしまうと大人たちしか見られない」。
ログインのパスワードをこどもは知らないと見ていいし、ペアレンタルコントロールでこどもが見れるところを制限するし。
絵本を書店からなくしたところで、スマホでもなんでもいいけど、一番見て欲しいこどもたちが、そこまでアクセスできるかな?
で、補足。
この無料化と、ブログのタイトルで炎上してしまった事で、みんなは思った?
「参加したイラストレーターは知っているのか?」と。
昨今は個人で情報を発信できることができ、逆にアクセスされる時代にもなって。
では、みんながそのイラストレーターさんを知って、Twitterやらブログやらに応援ではなく批判したいがために訪問したら最悪どうなると思う?
イラストレーターさんの氏名をなにも載せずに、絵本の内容だけ公開すると決めたのは西野氏であって、この責任を一人で背負うのは西野氏なのだ。
にしのあきひろ著、『えんとつ町のプペル』を読んだ感想を書く。
先に書いておくが、私は紙の本を購入していない。
作品を批評、特に批判的な批評する際、本来であればお金を払うべきだと思う。
でも、本人の意向で無料公開したのだから、私も好きなように書きたいことを書く。
最初にただしておきたいが、六七質さんの背景画が駄目だと言いたいのではない。
むしろ、ものすごい技量をお持ちのイラストレーターさんだと思う。
緻密な建物の描き込みはもちろんのこと、空間の奥行き感じさせるぼやかした遠くの景色、
夢の世界へいざなってくれるようなファンタジックさがありながらも、懐かしい記憶を刺激するようなノスタルジックさを併せ持つ独自の世界観、等々。
私が言うまでもなく、素晴らしい作品をたくさん創作されている方だと思う。
では、この絵本の絵の何が駄目なのか。
それは「構図」である。
一言で言えば、キャラクターが小さすぎ、背景が主張しすぎである。
文字だけ抽出して読むと分かりやすいが、この物語はプペルとルビッチの2人のやりとりをメインに話が進んでいく。
2人の間で育まれる友情や、ルビッチの父親の形見を2人で探しに行く冒険の描写がほとんどで、町の風景の美しさを語る叙景詩ではけっしてない。
もちろん、後述するようにこのえんとつ町自体が、物語全体のテーマに通ずる要素にはなっている。
しかし、町の風景描写はあくまでもサブ的な要素として、もう少し控えめに描くべきであった。
具体的には、キャラクターを大きく、背景のコントラストを落として、キャラクターを浮き立たせるように全体の色彩設計すべきであった。
では、なぜこのようになったのか。
それは推測でしかないが、要するに作者はこの町の風景、世界観を表現したかったのだろう。
最初から中盤まで、とにかく町の風景、風景、風景、風景・・・と同じようなページがずっと続く。
描かれている看板などはそれぞれ違うようにしてあるが、ひたすら同じようなトーンの町の風景ばかりだ。
この町の風景単体で作品としての価値があるかというと、私はそうは思わない。
「ブレードランナー」みたいな町を、「千と千尋の神隠し」みたいな色彩で味付けしただけと私は思った。
ブレラン自体が真似されまくっているので、これも世界中に数多あるブレランの50番煎じ、60番煎じの一つだと思う。
絵については、他にもある。
でも途中で、町は海に面していることが分かる。
ここで驚いたというか、ずっこけた読者も多いのではないだろうか。
「えんとつの町に住むひとは、くろい煙にとじこめられて、あおい空を知りません。かがやく星を知りません。」
とあるが、別にえんとつ町は外界から隔絶された町なのではないのだ。
それと、えんとつ町だけが高いところにあって、断崖絶壁の低地に囲まれているのか、
それとも、えんとつ町だけが低いところにあって、高い崖に囲まれているのか、海が出てくる場面まではっきりしない。
これだけ多くのページで町の風景を描いているのだから、町の置かれた地形が分かるように、町の風景を描くべきだった。
絵について、最後にもう一つ。
プペルは、醜い姿をしながらも、清くて純真な心を持った、他のさまざまな物語にも登場する典型的な怪物キャラクターである。
しかし、絵本の序盤ではプペルの姿ははっきり見えず、終盤に近づくにつれてプペルの姿が明るく映し出されて全容が分かるようになる。
あとがきで作者が 懇 切 丁 寧 に 説明してくれていたように、プペルが「ゴミ」から構成されているのは物語の重要な部分である。
それであるなら、プペルの姿の醜さは、序盤からはっきり分かるように描くべきであった。
あとがきには、この物語について次のように説明している。(※太字は筆者)
えんとつ町は煙突だらけで、そこかしこから煙が上がり、頭の上はモックモク。朝から晩までモックモク。えんとつ町に住む人は、青い空を知りやしない。輝く空を知りやしない。『空』という概念がないものですから、見上げることもしません。
そんな町に突如現れたゴミ人間と、その友達の煙突掃除屋が、それでも空を見上げるもんだから、町から袋叩きに遭ってしまいます。えんとつ町は、夢を語れば笑われて、行動すれば叩かれる、現代社会の風刺。そして、「夢を見る」「夢を語る」「行動する」といった、大人になる過程で皆が折り合いをつけて捨てたモノをまだ持ち続けているという意味で、主人公を《ゴミ人間》にしてみました。
あとがきで「現代社会の風刺」と説明する野暮さには目も当てられないが、ここではひとまず流しておく。
プペルは「『夢を見る』『夢を語る』『行動する』といった、大人になる過程で皆が折り合いをつけて捨てたモノ」、いわば「夢の残骸」である。
子供の頃は誰もが持っていた「夢を見る」「夢を語る」「行動する」は、プペルの心のように清くて純真なもので、
それはえんとつ町(大人の社会、大人の常識)の住民からすればゴミ、汚い、臭いものとして扱われる世界観なのである。
西野氏が、ルビッチのようなサスペンダーとハットを好むのを見れば、一目瞭然である。
http://news.mynavi.jp/news/2015/01/04/138/images/001.jpg
http://up.gc-img.net/post_img_web/2013/02/55cb8b02247b92662b9e0a71412ec0f3_0.jpeg
http://s.eximg.jp/exnews/feed/Taishu/Taishu_21980_1.jpg
http://jgweb.jp/wp-content/uploads/2013/06/new_IMG_0039.jpg
http://img.u-note.me/note/uploadimage/1407827558970.jpg
http://s.eximg.jp/exnews/feed/Yoshimoto/Yoshimoto_201306_post-0995_1_s.jpg
駄目押しで書くと、煙突掃除夫にはこのような制服があるので、作者がルビッチに自分を投影していなかったのならば、ルビッチはこのような容姿になったはずである。
google:image:Chimney sweep uniform
つまり、この物語は、現実世界で「夢を語れば笑われて、行動すれば叩かれる」作者・西野氏自身が、清くて純真な「夢の残骸(プペル)」の尊さを自分だけが理解し、そして夢を叶えるという概念(空にはホシがあるということ)は自分だけしか知らず、自分だけが夢を叶えることができたという話なのである。
それでは、西野亮廣氏は「夢を語るから、行動するから」笑われたり、叩かれたりするのか。
もちろん、そうではない。
https://www.youtube.com/watch?v=asx0938br3E
現代の現実世界では「夢を見る」「夢を語る」「行動する」は、「大人になる過程で皆が折り合いをつけて捨てたモノ」なのだろうか。
社会で生活している人々は皆「『空』という概念がないものですから、見上げることもしません」、つまり夢を見たり叶えたりする概念すら知らないのだろうか。
一部ではその通りかもしれないが、しかし、すべてがそうではないはずだ。
夢を見て、語って、行動し、実際に夢を叶える大人は、この社会にはたくさんいるからである。
しかし、作者・西野氏は「自分だけが『夢』という概念を知っている。自分だけが大人になっても夢を見て、語って、行動している。だから自分は笑われ、叩かれるのだ」という考えを、この物語のなかで自己正当化しているのだ。
「無料公開」によって市場が崩壊する理由を解説したイラストが話題に ソシャゲー、ユニクロ、web漫画、いらすとや、ダンピングによって壊れる日本
https://togetter.com/li/1072368
■記事をまとめると
そんなことをする企業は悪だ。
この記事内での「低価格でサービスを提供している企業が」という風潮に違和感を感じました。
「政治は国民を映す鏡」という言葉があるが、「企業は消費者を写す鏡」であると私は思います。
大きな企業が消費者のニーズを満たすのではなく、消費者のニーズを満たした企業が大きく成長します。決して逆ではありません。
「低価格サービスを提供する企業はけしからん」と言いながら、ユニクロやしまむらで服を着て、IKEYAの家具を使い、ディスカウントストアで買い物をし、メルカリで古着を探し、LCCで旅行をする。
矛盾しているのではないでしょうか。いつだって選択権は消費者にあり、選択を行っているのは私たち自身なのですから。
ピークを迎えた産業が次に待ち受けるのは、激しい生存競争です。
様々な差別化や価格競争で生き残ろうと、企業や店舗・個人がしのぎを削り合います。
「行き過ぎた競争が産業の寿命を縮める」というのも事実かもしれないません。
しかしながら、遅かれ早かれ寿命はいつか尽きます。結局のところ「〇〇が業界を壊す」と言うのは淘汰される側の言い分でしかない様に感じます。
最近、アニメ業界やデザイン業界のいわゆる中の人の「悲鳴」が取り上げられています。
これらの業界は、少し調べたら分かるほど「悲惨」としか言いようがありません。
しかし「不当な評価」「搾取」という言い分は、はたして本当にそうなのでしょうか?
http://j-net21.smrj.go.jp/establish/columninterview/column/gyokai/20130108.html
この資料によるとデザイン市場は四半期で140億 その内約半数がグラフィックデザイン市場。
つまり70億*4=280億が年間グラフィックデザインの市場規模だと考えられます。
グラフィックデザイナーの人口ってどれくらい?
https://www.d3d.jp/info/archives/531
正確なグラフィックデザイナー人口は算出されておらず、推測の域を出ないのですが、
今回は記事内の書かれていた
・予想人数10万人
つまり1人当たりの年間の売上は
就業人数が32,000なら、84万円
100,000人なら、たった27万円です。
気付かれたと思いますが、市場規模に対して就業人数が多すぎます。
イラストレーターを苦しめるのは、イラストレーター自身ではないでしょうか。
こげどんぼ
少女漫画とかそういう系のイラストレーターに該当者多くなる気がするんだけど
それもなしにする?該当者なしになるまで条件厳しくする?
どういう映画だろう?って言う思いが先行して
もちろんネタバレは見ないんだけど、
なんとなく話のスジみたいなものが見えてきて
あれこれ予想してしまう。
実際見る頃には忘れてたりするんだけど、
あれによって見に行くか行かないか無意識?の内に判断してるのはもったいないな、と思う。
で、低評価にも負けず自分の中の「見に行きたい」が勝って見に行くこともあるんだけど、
やっぱり面白くなくって、「レビューに書いてあった通りだな」と思うことが多い。
逆に事前に高評価って分かってた作品は、面白かっても「なるほど面白かった」になっちゃって、
これもまたもったいないことだなと思う。
こないだツイッターで
本物本家のイラストレーターと知らずに賞賛を送っていた高校生がいたけど
こういう出会いって、なんでもネットで調べてしまう今の自分には なかなか無くなっちゃって
この話聞いた時、この高校生は本当に良い「出会い」が出来たな、となんか嬉しくなった。
いや、何が言いたいって、
そんなことが言いたいんじゃなくて
杏仁豆腐氏に対して公式イラストレーターと知らずに上から目線のリプライを送っちゃった人がバズってるけど
確かにソシャゲのイラストレーターの名前って分かるように提示されてないことが多い
アニメなら毎週スタッフのクレジットが流れるけど、ソシャゲではゲームやってるだけではまずクレジットを見ることはない
ところでソシャゲのイラストレーターが安く買い叩かれているという問題がある
そういったケースでクライアント側が「この仕事をやることで次の仕事につながる」とかそんなことを言う事が多い
しかし、あの杏仁豆腐さんですらこの程度の知名度では、ソシャゲでは売名のメリットは殆どないのではないか
クレジットを確認できるゲームでも大概は大勢のスタッフがまとめて掲載されており、誰がどのイラストを書いたかの判断は困難だ
ソシャゲのメインはイラストなのだから、カードゲームのようにイラストの端っこに担当イラストレーターも明記しておくべきではないか
そうすればイラストレーターは知名度が上がるし、ユーザーはお気に入りの絵師が描いているエッチなイラストを発見できたりして一石二鳥である
ずいぶん前から「森見登美彦原作の『夜は短し歩けよ乙女』がアニメ『四畳半神話大系』と同じスタッフでアニメ化される」という妄想をしてきたのだが、期待しすぎてなんでもこじつけるようになってしまったのか、今年に入ってから「これはフラグじゃないか」と思うようなことがたくさん起きている。
そして、つい最近になって、これはもう決まりでしょ、と勝手に確信を持った出来事があった。
まず1について。
湯浅政明監督が劇場アニメを制作するというのは2015年3月に開催された東京アニメアワードフェスティバル2015授賞式で発表されていたが、この時はフジテレビと共同で、伊東伸高氏と組んでオリジナル劇場アニメーションを作るという発表のみであった。
おそらくノイタミナプロジェクトのひとつであるので、虐殺器官などのあれこれで発表が遅れているのかもしれない。
湯浅政明×フジテレビ 劇場アニメ製作! ピンポンがアニメオブザイヤー受賞 - KAI-YOU.net
そして、今年、湯浅監督が海外のファンからのインタビューに対して非公式に答えたものの中に新作についての言及がある。
亜細亜堂さんやシンエイ動画さんで働いていた頃の事にコツコツ答えてみました。
どう訳されているか、確認できていないのですが、興味あれば https://t.co/YgHUJXM5mN
日本語で答えましたhttps://t.co/jiAeY7czfM湯浅政明 (@masaakiyuasa)
ここで初めて、彼が小説を原作とした劇場作品を制作中であることが明らかとなった。
次に2について。
これについては一連の中村佑介氏のツイートを引用する。(書き込み制限に引っかかるみたいなのでURLはh抜きで貼る)
今日も、とあるアニメ制作のためにキャラデザ。文章(台詞や行動)という骨格から、人間の姿を想像し、形作っていく逆算は、たぶん身元不明白骨から粘土などで肉付けする警察の復顔法にかなり似てるんだと思う。ひたすら答えを探す。
さて、引き続きアニメのキャラクターデザイン。映画監督に役に合いそうな色々なバリエーションの俳優をお見せする芸能事務所マネージャーの気分でGO。
引き続きアニメのキャラクターデザイン。これまでで最多の合計18キャラクター。サイン会でたくさんの人に会えたので、それを活かし、あの頃より、幅広く、楽しい感じに仕上がってきてるのを実感する。詳細はたぶん春~夏頃には発表できそうです。
ttps://twitter.com/kazekissa/status/693597211490283521
アニメ用キャラクターデザイン、総勢20名、ようやく全部決まった。もう人間と向き合いたくない程、活き活きとしたバラエティ豊かな生命が刻めたと思います。発表されるのを楽しみに、あとはアニメスタッフの方達にバトンタッチ。
アニメに関しては、僕の口からはまだ何も言えないんだけど、皆が皆、納得するような人選とプロジェクトです。たぶん春~初夏くらいには発表されると思います。期待して待っていて下さい。
アニメの進行は作品や規模、スタジオによってそれぞれなので、外部スタッフとしては何とも言えない部分も大きいのですが、たぶん夏か秋くらいには告知は発表されると思われます。楽しみにしていてください。
ttps://twitter.com/kazekissa/status/745110805151047681
そして僕は、こちらも皆様が待望であろう、更なるリメイクへ。年末に情報公開予定の劇場用アニメーション作品です。マスターピース、はじまってるで!!
このツイートだが、これは今年アジカンがアルバム『ソルファ』を再録して発売し中村氏もジャケットをセルフリメイクしたという流れを受けてのツイートである。
つまり文脈に沿って考えると、以前彼が手掛けた作品を新たに描き直すのだろうととるのが自然だ。
既にキャラクターデザインは決まっているので、考えられるのはキービジュアルの制作。つまり以前手掛けた小説の表紙を新たに描き直しているのではないか、と想像することができる。
来週くらいに、大きな大きな、発表があります。
こちらも発表が遅れているようである。
さて、ここで本題に入るが、私が『夜は短し~』のアニメ化の確信を(勝手に)持ったのは上記の中村佑介氏の「来週に大きな発表がある」というツイートを見たのがきっかけである。
実は、来週の12月15日(木)にはノイタミナプロジェクト発表会2017が開催されるのである。
湯浅監督が制作中の劇場アニメはおそらくここで発表されるだろうし、中村佑介氏の関わる劇場アニメについての情報もおそらくここで発表されるのではないか。
実はこのほかにも思わせぶりなことが多くあるので、引用する。
今年の夏、湯浅監督はどうやら京都に滞在していたらしく、『夜は短し~』の舞台となっている場所にも訪れている。
スタバに 来た
湯浅政明 (@masaakiyuasa)
既に帰京
コレブロンズかと思ってたら木製だった。あるときとない時あると思ったら、閉店の時外して取り込まれてるみたいで
隣のパン屋さん 初めてちゃんと見た湯浅政明 (@masaakiyuasa)
インクライン。琵琶湖からやってきた船を貨車に乗せて下の流れに運だり、運び上げたり。動力源はそこの発電所で賄い、疎水は水路閣通って京都の町を流れてる。この時は工事中だったけど、本当だったら貨車の先の橋の下に水がたっぷり流れ込んでる
湯浅政明 (@masaakiyuasa)
ttps://twitter.com/masaakiyuasa/status/765044550196879360
再読
森見さんの作品は文章の面白さでサクサク読んじゃうんだけど、他の人から言われてテーマに気づく事多い。とても共感します湯浅政明 (@masaakiyuasa)
明石さんの後ろ頭のところに中村さんの遊びがあって、、いいでしょ
湯浅政明 (@masaakiyuasa)
ttps://twitter.com/masaakiyuasa/status/767005832365998080
湯浅監督の劇場作品、今日は3人の方と背景打ちをしました。1人は初対面の方だったのですが「四畳半神話大系」の大ファンで、DMでお手伝いをお願いしたら喜んで打ち合わせに来てくださいました(*^^*)Sさん、どうか宜しくお願い致します
以前、弊社で求人募集をしていない時期に応募してきた子がいました。応募理由の一つに「四畳半神話大系が大好きだったから」でした(^^)この作品、いろんな縁を取り持ってくれています。今、その子は湯浅さんの作品をバリバリ描いてくれています!
というわけで、以上、妄想書き流し終わり。
私はそれを聞いて、何を期待していたとだろうと思ったものだった。
しかし、私がSNSでフォローしていたイラストレーターの自画像が
かなりがっしりした体型に描かれており
よく食べる、服がきついというような実際の言動があったので
だが、どうもたまにアップされる手の写真を見るに
画像補正しているにしても指が細く、
この人は太っていないのでは?と思い始めた。
そして先日全身が収まった写真が公開され、完全にこの人は太っていないという事がわかった。
私は理不尽にがっかりしてしまって、その人のフォローをやめた。
太っていないにも関わらず、太っていて親しみやすいイメージで活動しているその人にも疑問を感じたし
何より勝手にこの人は太ってるというイメージをして、勝手に裏切られたとガッカリした自分が嫌だった。
世の中の自画像を描く方には
キミの住んでる世界では、現実の制服が変わったら、ポスターの中の職員も勝手に着替えてくれるの?
僕の世界ではエロい格好のイラストのポスターも排除しろ、となるよ。
現実を直してもイラストが勝手に直ったりはしないからね。イラストも現実の職員と一緒に叩かれて排除されます。
そのままポスター自体がなくなるか、新しいポスターに置き換えられます。
「エロい格好の職員のイラスト」もエロい格好の職員と一緒に叩かれ、排除されます。
というのがすでに間違っていて、人間の「イラストレーター」が真似して描いたんだわ。
真似てエロいの描くだけなら許されるけど、これを公の場に持ってくるのがダメ。
現実と乖離したエロいイラストを描くのも許されるけど、これを公の場に持ってくるのがダメ。
やっぱりあるのは
現実を真似しようとしまいと、「エロいのは公の場に持ってきたらダメ」
ただそれだけ。
何の性的意図もなく物理的に影の落ちる部分に落としたら性的だとかおかげで修正された駅乃みちか死ぬほど不自然ですよ中略
オタ絵が萌え絵か抜きにしてどちらが自然ですかそれすらも解りませんか
みたいなどえらく自信に満ちた上から目線で例の二枚を貼ってきたのだが、どう見ても修正前の影は前から強風でも吹いてるか水で濡らして足にベッタリくっつけないと実現しない影で、オタクはそれすらも解らないのだなぁと笑ってしまった
当然修正前の影は不自然だと突っ込みが入ったのだけどもう必死に否定している
写真をはってもらったら光源が後ろだから股間に影が出来ないと言うし、オタクがほら影が出来てるじゃないか!!と写真をもって来るが全部体につくラインで片足を前に出しているポーズ
確かに修正後はノッペリしてるよ、金けちってショボい萌えエロイラストレーターに仕事を頼むからリアルな絵が描けなくてこんなド下手くそなエロ影以外つけられないんだよと思ったらラブライブの有名な人らしくて、だからこんなにオタク達が必死なのかぁと生暖かく笑ってしまった
https://www.youtube.com/user/astakuroken
動画冒頭に流れる猫がぴょこぴょこ歩いてくるあのアニメを見て知ってる人もいるだろう。
チャンネル登録者数も1万を超えたとは言え、「まる」や「10 Cats」、「のせ猫」、「しゃべる猫しおちゃん」のような人気はないし、知名度としては「茶トラ猫ひろし」や「ねこかます」以下だ。
しかし、あらゆる猫動画においてこのユーチューバーほど猫を大切に扱っている人はいないと思う。
もちろんそんなものに優劣を付ける意味は無い、というかそもそも出来ないだろう。
これは、このおっさんとおっさんの奥さんは非常に猫を大事にしていると言いたいが為のタイトルだと思って欲しい。
今は亡きチョキから始まり、チャンネルの顔であるジャンくん、最近入ったポンちゃんと、どの子に対しても愛情をもって接している。
動画は1000本以上あるが、たびたびおっさんが近況報告をしているので、そこで彼らがいかに猫たちについて考えているかが分かるだろう。
https://www.youtube.com/watch?v=fwH_moo9TD8&list=PUZwDsOqhKX6UNzHtgVP97og
ジャンくんが鳴いた時にいつも「はぁいぃ」と優しく返事するおっさんが良い。
http://anond.hatelabo.jp/20160923184321
参考にならないか当選案件を作ったイラストレーターの案件を見て愕然とした
圧倒的な作量と幅広い作風を持ち
それを惜しげもなく安い値段で仕上げる才能と経験とビジネスセンスの高さを持っていた
これがトップなのかと感心した
自分はその足元に及ばない
それに比べれば自分の作品はずいぶんと稚拙で時間もかかっている
なるほど自分は向いてない、才能がないってのは確かのようだ
もちろん器用かつ経験を積んだクリエイターであればそういうことは容易だ
オリジナリティは重要であるがそれとは全く逆になんにでも合わせて描ける
同じようなコンセプトでもあっても全てが異なる作風
これでは逆に作家の顔が全く見えてこない
それが持ち味としてもその都度画風を全部変えるようでは却って手間になるのではないか
酷いものになれば作品を構成しているパーツが全部他人の作品というものさえあり
まさかと思い自分の落ちた案件を見てみるとなんとフリー素材の転用
色さえ変えずそのまま張り付けたものを提出していただけだったのだ