はてなキーワード: ぼそぼそとは
数日前の話。出張で東京のビジネスホテルに泊まったのだけど、エレベーターで部屋に上がって、宿泊階でドアが開いた瞬間の光景が意味不明だった。
狭い廊下に上半身裸の外国人がいっぱいいた。みんな白人系の男性で身の丈2mはありそう。1人はベッドの上で寝ていて、胸のあたりにコードを貼り付けている。それを3,4人が取り囲んでいて、英語でぼそぼそとしゃべりあっていた。
一体どういう状況なのか。
まずベッド。折りたたみベッドみたいなものがエレベーター出入口の真ん前に置かれていた。どこからもってきたんだろう。
コードは医療用っぽくて一瞬救急救命中かとびびったが、寝てる人も取り囲んでいる人もみんなニヤニヤしててなんかよくわからない。たぶん私のびびってる顔を見てさらにニヤニヤしている。怖い。みんなでかくて威圧感すごい。
しかも私の部屋はエレベーター出てすぐ真ん前、ベッドで塞がれていたのだった。ドアの真ん前にいるお兄さんは裸じゃなくてホテルのガウンを着ていて、洋画のワンシーンみたいだ。でも胸元のホテルチェーンのロゴが金色に光ってるのがちょっと無念。
とりあえず状況が意味不明すぎて固まった私は、そのままエレベーターのドアを閉じてフロントに戻った。フロントマンのお兄さんに話したらめっちゃ怪訝そうな顔しながらついて来てくれて、多分びびりながら得意じゃなさそうな英語で頑張って部屋に帰るよう伝えてくれた。外国人のお兄さんたちは「あと2minutesしたらどくよ」みたいなことを言ってhahaって笑った。
で、お兄さんたちの間をすり抜けて部屋に入った私。ドアの覗き穴から見ていたら、お兄さんたちはやっぱりぼそぼそ話しながら、2分も経たないうちに私の両隣の部屋に分かれて帰っていった。寝ていたお兄さんも普通に歩いていて、ベッドは畳んで部屋に転がしていった。私物だったのか。
あれから時間をおいてみたけど、やっぱり事情が飲み込めなくて筆をとっている。すごく異文化圏にやってきた気分。ちなみに夜間に両隣がうるさいとかいうことはなかった。
東京くらい人が集まる街だと、こういう事もあるのかしら?
哲学的だったり、最後にあーそういうことか!って分かるような感じの
案の定登場人物の台詞や表情の意味、作中の演出の意図を読み取れずに
「俺は馬鹿だから理解できなかった」「言葉が難しくてよく分からなかった」「専門用語の説明がなくて不親切」「小声でぼそぼそ喋ってるシーンが多くて重要な台詞と思われるものも聞き取れなかった」
ただ「意味が分からなかった!駄作!」としか言わない奴はなんなのか
あんな調子ではほぼ全ての作品で「イミフ!」「どゆこと??」「わかんね!」「つまんね!」となってしまうのではないだろうか
リアルの友人とバーベキューしたり路線図を見つめている方がああいった人たちには有意義ではないのか
「分からなかった……」と落ち込むのではなく、2ch(5ch)、まとめサイトの※欄、ツイッター、増田などで「あれは意味不明だからつまらない!」と人に見えるように攻撃するのはなぜか
あのシーンって伏線だよな!という会話に「気のせい!偶然!大したシーンじゃない!作者は何も考えてない!」と割り込んで何の意図もないことにしようとするのはなぜか
9/16(土)
フィナンシェ作ろうと思ってたのに眠くて寝た。
9/17(日)
実践。
母方の祖父と父が死因糖尿という家系でとうとう兄まで糖尿になった。家族一丸で糖質制限を始めるが、早々におやつへの渇望が強くなったため糖質制限おかしレシピをkindleで購入。写真見て好みのお菓子がマドレーヌとフィナンシェしかなかったので(クッキーが特にぼそぼそして不味そうだった)フィナンシェを作ってみることにした。8個作れて1個あたりの糖質量1.7g。
小麦粉の代わりにアーモンドプードルを使うので結構高くついた。練り白ごまってのは存在自体初めて知った。焼き型も買った。ちょっとテンション上がってる。無塩バターはなんで10gずつカットされてるの売ってないんだろう。基本的に製菓用だろうにあんなの。10gずつカットしたやつも売って欲しい。卵白2個ってあって行き場のない卵黄を冷蔵庫に放り込んでる。まぁ言うて卵だし使いようはあるよな。使い切らないというのが初体験でちょっと戸惑った。
という訳で年に一度しか作らないようなお菓子作りに挑戦。8個中1.5個が炭になりました。被害としては少ない方(当社比)。0.5個の方を食ったけど、ザクザクととても歯ごたえがよくて笑えた。兄にはちゃんときれいに焼けたやつ。使った代替甘味料が独特の風味がするってんで、作ってる時はバターVSゴマVS甘味料でどうなることかと思ったけど、焼いてみたら圧倒的バター(※普通)で食べるとちょっとゴマが香り、甘味料は全然主張がなく、つまり不味くなかった。兄は一口目から高評価。
そう言えば、
プレミアムなんとかも
いまいち浸透しないし、
世間の風当たりはこんなもんよ。
ハッピーなんとかも言わなくなったし、
私がいつも思うのが
体育の日感がないのよねー。
そういえば、
50年に一度のスゴい雨ですって言い方するようになったじゃない。
こないだニュースで
それ言い過ぎ問題が発生していると言うことらしく、
なんか50年に一度業界は、
ざわついてるらしいわよ。
こないだも50年に一度って言ってじゃない、って。
お休みの日は晴れて欲しいわ。
あ、
そう言えば、
逆にこの晴れっぷりは50年に一度です!って
なんか、
そうなると、
いやー今日はスゴい晴れだね!って気分が良いじゃない!
うふふ。
なんか昔は固くてぼそぼそとしてて
美味しい印象なかったんだけど、
21世紀になったらやっぱり
しっとり柔らかく美味しくなってて
あら美味しいじゃない!って。
ヘビロテ決定ね!
うふ。
ふと思ったんだけど、
まぜて2茶とかしても
美味しいのかしら?
そんな
すいすいすいようび~
今から数十年も前の話、当時は引きこもりと言うような呼び名は無かったように思う。
なんて呼ばれていたのかも不明だが、「黙って家の中にいる。一歩も外に出ない。」くらいに言われていたように思う。
それが、案外身近にいたようだ。
酷いぼろ屋だった。
食事も質素な物で、我儘(好き嫌いが多いだけ)な俺には食べられない食事だった。
それでもなんとか一日を過ごし帰宅した。
それから暫くして、「大叔父の家に誰かいなかったか?」という話になり、
「あの子はどうしたんだろう?」
「ずーっと家にいて、部屋から一歩も出てこないらしいよ」
...
そういえば叔母さんが誰かとぼそぼそっと話をしているような、声がしたことを思い出した。
叔母さんの声も、こもっていたような遠い声だったから、外で誰かと話をしているのだと思っていた。
あれがそうだったのか!
婆さんの弟の息子となれば、かなり歳も行っているはず。
...
それから何年も経って、大叔父は病気となり入院したものの、変な話だが、
叔母さんが病院に迷惑を掛けるから退院させると言って、無理矢理退院させたらしく、
その後暫くして、亡くなったと聞いた。
家の婆さんも寝たきりで施設に入っていたので、亡くなったことも知らせなかったし、
誰も葬儀に呼ばれる事も無かったように思うし、行ったという話も聞いたことが無い。
その後、叔母さんとその息子がどうなったのかは誰も知らない。
何年か後、俺が車の免許を取って、自分の車で大叔父の家の前を通過した時には、
もしかしたら何らかの障害を持っていたかもしれないあの息子はどうしたんだろう。
取り留めもない事を書いてしまった。
話題の「真木よう子コミケ参戦表明→炎上→辞退→クラウドファンディング中止」の一件についてツイッターでぼそぼそやっていたところ相互フォロワーから「こんな荒れた話題俺は見たくねーんだようるせえ!」と空リプが来てやりづらかったので此方にまとめる。
別に批判をしたいわけでもなければ攻撃をしたいわけでもなく、ただ自分の中で感じたことを吐き出してまとめたいだけである。
◆全体的に
個々の問題自体はそれほど大事ではないが、どれも元々コミケが抱えていた問題であり、それをよく思っていなかった人々からの不満噴出にも繋がったのだと思う。
コミケと言うのは、よく言われる通り「全員が参加者」という前提のイベントである。
販売者と顧客という立場ではなく、サークル参加者と一般参加者だ。要はイベントに参加した全員で作り上げるもの、という意識が強い。
そして、この大イベントが薄氷を踏むような、あるいは綱渡りをするような危うさでこれまで続いてきた、という認識の人が多い。
一つでも対応を誤れば、二度と開催ができなくなる可能性もある。
忠告するコミケ参加者側に対して「運営でもないくせに」「そんなにえらいのか」という指摘もあったが、だからこその忠告だろう。
◆写真について
また参加表明の際に出回った画像に、コミケ開催中にビックサイトの内部で撮られた写真があった。
「あれは撮影禁止区域での撮影ではないだろうか?」「周囲に写っている人へ了承は取ったのだろうか?」という疑問が呈されていた。
混雑していない場所だった為恐らく明確な撮影禁止区域ではなかったろうが、そうだとしても周囲へ写っている人への了承は得られていない可能性が高い。
その上クラウドファンディングという大金を集める告知と共に出回ってしまった為、「営利目的での使用」にかかる可能性もある。
それを持ってしてまず、「ルールをよく知らない、影響力の大きな人が来てしまった」と言う認識が広がってしまったのだろう。
◆クラウドファンディングについて
クラウドファンディング自体は悪いものではなかったと思う。
前例があるのは知らなかったが、それなら尚更問題はなかっただろう。
ただ、800万円と言う目標金額は大多数の参加者には大金も大金だ。
それだけ集めるなら会場費も込みにして、別のところで別のイベントを開いた方がお互い幸せなんじゃないか、という疑問も湧くのは仕方のないことに思う。
◆会場について
キャンプファイアにて公開されていたクラウドファンディングで募集した金額の使い道には雑誌の制作費・支援者へのリターンにかかる費用という文字はあっても、当日会場で係る経費や混雑対策費などの文字はなかった。
コミケに普段来る層と、真木よう子の写真集を買いに来るファン層はほぼかぶらないだろう。
となれば単純に真木よう子ファンの分だけ来場者数が増え、その分列を作るスペースが必要になる。
周りには列で正面を潰されるサークルも出てくるだろう。
しかも交流をしたいと言うことは、ともすれば本人が手売りをする可能性もあり、手法として嫌われる牛歩にもなりかねない。
列の整理や混雑対策も持ち出しと(一応)考えるならば、尚更コミケでわざわざ狭いスペースを間借りするメリットは、会場の面から見るとない。
◆写真集について
自分が初めてコミケへ行った時、既にコスプレエリアは大盛況だったが、まだコスROMへの風当たりは強い時期だった。
三次元の人間が被写体の「写真集」は、コスプレをしていてさえオタクには馴染みの薄いものだったのだろう。
現在、以前よりコスROMへの当たりは柔らいだろうが、そうでない生身の人間の「写真集」となると、抵抗があるのもわからなくはない。
交流が目的と言うのもコミケのルールに明確に反してはいないだろうが、それでもサークル参加者は自分の作った「創作物」にこそエネルギーを注いでいる人が多数のはずだ。
そんな中写真集は作るがどんな方向性かも決まっていない、と言われてしまっては「そんな、やりたいことをやる場所へ来て、やりたいことがわからなくて進路が決まらない学生みたいなこと言われても……」という話である。
◆ツイッターでのやり取りについて
本人はよくファンともツイッター上で交流していたようであり、もしかすると一番厳しげな意見に返事をすることで、やんわりと忠告してくれていた人々への解答にしようと思ったのかもしれない。
だが結果的には、これまたネット上では嫌われている、同情心を誘い自分は手を汚さず周囲の人々に攻撃させるファンネルと化してしまった。
果たして悪意があったのかなかったのかまでは推し量ることが出来ないが、悪手であったことは確かだ。
「いやなら見るな」と言っていた人がいたが、テレビと違い現地に行ってしまえば見る見ないの話ではなく、上記した「会場について」の問題に直面することになる。
真木よう子一人の為に真木よう子ファンが増え、その分会場は狭くなり、移動に支障をきたすかもしれない。
そう考えるととても「いやなら見るな」で片付く問題ではなさそうだ。
◆辞退・中止が発表されて
案の定「オタクは心が狭い」だの「そう言ってオタクを貶す人々には来てほしくなかった」だの対立が発生している。
叶姉妹並みの対応をしてほしかった訳ではなく、様々な疑問点を解決すれば、受け入れられた部分もあったとは思う。
大体書きたいことを書いたのですっきりした。
おしまい。
邦画の話が出てたので便乗。
恥ずかしながらつい先日初めて七人の侍を見た。
噂通りの大傑作、「当時にしては凄いな」とかじゃなくて純粋にとても楽しめた。
「名作と言えど60年前の作品だしな」という冷めた視点で見はじめたが、
開始10分で困窮する村人の一人として映画の世界に引き込まれていた。
この作品、今日の邦画に欠けている諸々が詰まってたような気がする。
・これでもかと汚しまくった人・物・映像。(みんな乞食みたい)
・秀逸なセット+優れたカメラワーク+泥臭くリアルな殺陣の三位一体。
・冗長・緩慢な描写の排除。(こいつは俺だ!という一言で観客に全て悟らせる)
なんというか、全てにおいて格が違った。背伸びとかでなく、本気でそう思った。
こんな邦画はもう生まれないのだろうか。シンゴジで活路が開かれたかと思ったのだけど。。。
*追記
おお、思いの外伸びてる。。。
あの頃のような漫画チックな演技
ああいう明朗快活な演技の方が好きだな。
yashinegi 邦画の人材はアニメに流れちゃったからしゃーない。「切腹」とか「拝領妻始末記」とか観ると、俳優や監督よりもまず、殺陣や作法を指導できる人がいなくなったんだなあと実感できるよ。
仲代達也の殺気と現代音楽のような劇伴の緊張感の相乗効果は失禁モノ。
リメイクは見てないけどやっぱよくなさそうだな。
「拝領妻始末記」も気になってたところだった。見てみる。
本当にこれ。天涯孤独になった婆さんとかいちいち説得力が凄い。
myaoko 昔に比べて、最近の作品は平易である事を求められている気がする。言葉遣いもストーリーも。現代の作品で「お前は俺だ!」の一言で全てを悟らせるシーンを、何の横槍もなく撮らせてもらえるかどうか…
あのシーン、鳥肌立って泣きそうになった。
今の邦画だったらお涙頂戴の安っぽい回想シーンが入るんだろうな・・・w
久々に邦画でほぼ純粋な冒険特撮活劇を見れて大満足だったけどな。
アニメ臭さ・人物の掘り下げ皆無・噴飯ものカヨコちゃん・ムラのあるCGとか差し引いてもお釣り来るよ。
パシリムやゴジラ2014とか本来なら日本がやらなきゃいけなかったんだからさ。作るの遅すぎるくらい。
まあ、まだ生傷の震災原発をフレーバーに取り込んで凝ったものを仕上げたんだから良しとしなきゃ。
今日日の邦画界であれだけのエンターテイメント性の高さは特筆すべきでしょうよ。実際売れたし。
*追記2
ブコメ、正直にまだ見たことないって言ってくれる奴がいてくれて嬉しい。
是非、これを機に見てみてくれ。ぶっ飛ぶぞ。音声不明瞭なので字幕付きオススメ。
あと「今更七人の侍w基礎教養だろw」みたいな意見が出てるけど、
入門者にいきなりジャブを食らわせて萎縮させるようなこの態度はホント改めた方がいい。
これこそがガチのマウンティングだと思うし、古典的なものが敬遠されてしまう要因だろうに。
「Hello world」で喜んでるプログラミング初心者を「うはwそんなん誰でも出来るしw」と中上級者が嗤うことの醜さに気付け。
「ほー、面白かったか!黒澤だとこんな面白いのもあるぞ!見てみろ!」って方向になんでならないかなあ。
こういう権威主義的な奴は門番気取りでそのジャンルの未来は暗いものにしてしまっている。
俺は映画詳しいなんて一言も言ってないし、「恥ずかしながら」って書いたのもそのせいだ。感想も頓珍漢かもしれない。
現在の邦画を貶し気味に書いたのは悪かったけど、「今の邦画ツマンネ」的な意見がリアルでもSNSでも増田でも散見されたから便乗した。
実際に俺の目にした近年の邦画では「七人の侍」ほどの満足感を得られることは出来なかった、という実体験に基づいてるし、
周りの老若男女にこの話したけど殆ど名前認知だけで見たことなかったし、純粋にみんなに見て欲しいから書いた。
俺はアニメが苦手なんだけど「●●(ジブリ作品)見たことないとかwお前本当に日本人か?w」と
バイト先の男の人に、走り方が変だと言われた。その人は少し年上だけど、入った時期が一緒だったのでわりと仲良くしてた。明るくて話しやすい人だった。
ある日、「この前、道で走ってるのを見たよ。走り方がすっげー変だった。こんな奴いるんだ?と思って超笑った」と言われた。
バスに乗り遅れそうになって走ってるところを見られたらしい。
「別に変じゃないですよ」
「変だったよ」
「変じゃないですよー」
みたいな会話になった。それだけならどうってことなかったけど、その日以来、そいつが私の走り方をディスってくるようになった。
私がバイトに行くと、「お、走り方が変な奴が来たー」
他の人に対して「コイツ、走り方が変なんですよー」
「あの変な走り方、またやってみせてよー」
見下すようにニヤニヤしてた。
バイト先は室内だったのでバイトで走ることはなかったけど、別の日にまた外で見られて「やっぱり変だった」と言われた。ムカついた。
いつも「変じゃないです」と返してたけど、何度も言われてどんどん嫌気がさしてきた。
そんなに変なのかと心配になって、友達に走り方を見てもらったところ、別に何も変じゃなくて普通だと言われた。
「その人、もしかして◯◯ちゃん(私)のことが好きなんじゃ?」と言われて、絶対に100パーそれはないと思った。
そいつに「本当に本当に本当に嫌なんでやめてください。しつこいですよ」と言ったら、「だって本当に変だったしさー」とバカにしたようにニヤニヤしてた。
それから、そいつに走り方のことを言われてもスルーするようになった。言われる回数が減ったけど、それでもまだたまに言われてた。バイト先で顔を見るのが苦痛になった。
そんな状態で数ヶ月たったある日、バイト帰りにそいつに待ち伏せされた。いつもはニヤニヤしてるのにすごく暗い顔だった。そしてプレゼントを渡されそうになった。誕生日でもクリスマスでもなかったけど。
「これあげる!」
「え、なんで?いらないよ」
「あげる」「いらない」「あげる」「いらない」「あげる」「いらない」という変なラリーをして、そいつが泣きそうになって、プレゼントは諦めたらしくぼそぼそと何か話しだした。
「何言ってるかわかんないんだけど」と言ったら、「ちょっと待ってて」と言って、近くの自販機まで走って行って缶コーヒーを一本だけ買って戻ってきた。
そいつはそのコーヒーを飲みながら「実はずっと好きでした。付き合ってください」というような話を震えながら泣きそうになりながらコーヒーは飲みながら言ってきた。
私からすれば、走り方の件で大嫌いになってた人だったので、迷わずすぐに断った。走って帰ろうとしたけれど、そいつが後ろ姿を見ている気がして走らずに帰った。
驚きと途惑いとムカつきと、もやもやしたよくわからない気持ちだった。
後日、お互いに何もありませんでしたという態度でバイトで顔を合わせ、走り方について言われることはなくなり、半年くらい後に私はバイトを辞めた。
25年前、模型屋で
鉄道模型の基本セットをお年玉で買って以来、次がほしいけど買えない日々が続いていた。
ある日、友達のH君がエアガンを見にいくから、一緒に行こうと行ってきた。中学一年生のころだったと思う。
僕たちの目的はカタログだった。お店のカウンターに置いてある、商品がまとめてみられる本のカタログだ。
僕は鉄道模型のカタログを、H君はエアガンのカタログを買うことにした。
お小遣いの何百円かで夢が広がるを買ってしばらくは楽しもうと言い合った。
目的の地方の駅前の模型屋、そこそこ規模も大きく、カウンターは奥からラジコン、鉄道模型、エアガンと別になっていた。、
そのカウンターとは反対側に、プラモデルがたくさん積み重なっている店だった。
店員も奥のラジコンは店長、鉄道模型、エアガンにはそれぞれ、お兄さん店員がいた。
それぞれ忙しいときは手伝うような感じだったが、担当が緩やかに決まっている雰囲気ではあった。
店に入ってカウンターが空いた頃を見計らって、H君を前にエアガンのカウンターに行った。
「このカタログください」
店員は「ここに『店内用』って書いてあるでしょ。あげられないよ」とあっさり言った。さっきまで優しそうな顔だったのにちょっときつい言い方だった。
Hくんの言いたいことが伝わっていないことは僕にはわかった。でも、他になんて言っていいか、とっさにはわからなかった。
ちょっと重い雰囲気になってしまったけど、今度は僕を先頭に鉄道模型のカウンターに行った。こっちのお兄さんは、さっきのお兄さんよりもちょっとぼそぼそしゃべる。大丈夫かなと思った。
「このカタログください」
「あるにはあるけど、もう少ししたら、来年のがでるよ。どうする?」
鉄道模型において、カタログは一つの商品だった。毎年更新ということもそのとき知った。
H君は買えなかったのに、僕だけ買うのはちょっと気が引けた。
「今度にします」というと、お兄さんは「これ、あげるよ、ホントは売り物だったんだけど」といってメーカーから出てる小冊子のバックナンバーをHくんの分と二冊くれた。もらった本は、友達と読んだ後も、穴が開くほど何度も読んだ。
今になるとどちらのお兄さんの立場もわかる。エアガンは子供にはまだ早いと考えたのか、鉄道模型は将来のお客として考えたのか。たまたま忙しかったのか、暇だったのか。エアガンのカタログはお店では売っていない書籍で、鉄道模型のカタログは商品だったのか。でも、横で見ていた僕はそのときは残念に感じたし、Hはもっとかわいそうだった。
あのイヤホンマイクつかった、携帯を耳に当てない通話な。ハンズフリー通話ともいうらしい。
スマホを耳にあてていれば「アー電話してんだな」ってわかるけど、スマホ表に出さないで、イヤホンマイクで通話してるやつはこわい。
特に話し始めとか、ひとりごと?こっちに話しかけてんの?とぎょっとする。不審者かと。
やたら声でかい奴が多いのも気になる。
耳に当ててたら声の調子とか大きさとかに特徴あるけど、ハンズフリーはぼそぼそじゃなくて、怒鳴ってる調子のやつも少なくない。
マイクに届くようにってんだろうけど、普通の会話以上に声でかいのは正直うっとうしい。
外国人はイヤホンマイクの電話をしてる人多いけど、外国人だと、言葉がわからないストレスもあって。もうほんと、やめてくれってなる。
いや、その外国人に否がないのはわかるけど。せめて声を小さくしてくれ。
夜にイヤホンマイクで通話しながら歩いている奴は、ほんと怖い。気味悪い。
宵闇に誰かと話してるらしい一人の声が延々響く上、そいつの姿みても、電話を耳に当ててない。
電話を耳に当ててたら、そこをちらっと見て、電話してんだなって目をそらすことができるのに、行き場を失った俺の視線をどうすればいいんだ。
母であるわたしも、父もゲームが好きなので、もちろん息子もゲームが好きになりました。
普段からよく任天堂のゲームを楽しんでいる彼は、当然のごとく「ペーパーマリオ カラースプラッシュ」のCMに目を留めました。
ギルガルドはよく考え、何度もCMの映像を自分の3DSで確認し、値段も調べて、自分の貯金箱の中身を何度も数えなおしてから私のもとにやってきました。
もじもじ言いよどんだ末に、ペーパーマリオで遊びたいとぼそぼそと話すギルガルド。
自分のお金で買うからいいでしょう。宿題もちゃんとやる。習い事にもきちんと行くから、お願いです、と。
結果ペーパーマリオは前日中にWiiUにダウンロードされ、発売日の放課後から冒険が始まりました。
最初のうちは「負けるかもしれないバトル」に挑むのを躊躇し、
励ましているうちに「マリオがやられてしまうかも」という恐怖に打ち勝つようになり、
敵を軽やかに倒して物語を進めていくようになりました。
マリオの冒険の相棒は、今回はペンキーというペンキの精で、とても表情豊かなキャラクターです。
マリオはいつも無口なので、サポートキャラは饒舌になるものだったけれど、
よく怒ったし、よくしゃべったし、時には笑い、呆れ、一緒に温泉に入ったりもして、
すみませんここからはゲームのネタバレなので、プレイされている途中、予定の方はもう読まない方がいいと思います。
ペンキーは物語の舞台であるイロドリタウンを守るガーディアンなので、
すべてを黒く塗りつぶす悪意の塊をあの小さな缶の中に飲み込んで、遠い空の向こうに去ってしまうんです。
ギルガルドはその光景を見て、少しだけ悲しく思ったようでした。
そのあとに始まるエンディングはパレード仕様で、とても明るく楽しく、クリアしたと強く感じられる華々しさでした。
クリア後もギルガルドは、まだコンプリートしていない要素があるからとプレイを続けていたのですが、
二日後の夜に、おやすみなさいと言った後になぜか母のもとへやってきました。
どうしたのかと尋ねても、なにも言わない。そのうちに、急に大きな声で泣き始めました。
最後の戦いのほんの少し手前の状態のまま、カラースプラッシュの世界は続いていますから。
強く焼き付いて離れないようなのです。
ペンキーがすべてを引き受けて去ってしまったことが、どうしようもなく寂しくて、
けれど、最後にひとかけらの未練も見せずに去っていく男気に心が打たれて、
簡単な気持ちで「寂しい」と言ってはいけないと感じ、それが苦しかったのかなと母は感じました。
普段はいれてあげない布団の中でギルガルドを抱きしめ、いろんな言葉をかけて慰め、
どうやって書いたらいいのかわからないというギルガルドでしたが、
自分の思ったことを素直に綴ればいいと話すと、ノートに下書きをし始めました。
下書きだけは見せてもらいました。
表情をころころかえる姿を思い出す。
また二人で一緒に旅ができるといいね。
こんなことがつらつらと書かれておりました。
どこに送ったらいいのか迷いつつ、結局任天堂あてに手紙を書いて出しました。
母も読んでもらえればいいなと考えていました。
すると先日、返事がきたのです。
マリオとペンキーがプリントされた紙に、ちゃんとギルガルドあての返事が書かれた手紙が、かえってきたんです。
ギルガルドは最初自分で全部読めるといいましたが、何度も見返してから、わからない漢字があるから読んでほしいと頼んできました。
一緒になって読んで、母も泣きそうになり、ギルガルドも泣きそうになりました。
ゲームの感想を手紙にして送るなんて、初めての経験でしたが、こんな風に返してもらえるとは思ってもみませんでした。
「ペーパーマリオ カラースプラッシュ」は、8歳のハートを成長させてくれる素敵なゲームでした。