はてなキーワード: 鉄人とは
今年で33歳。実家の片付けをしてたら中高生くらいの頃読んでたラノベを見つけたのでもの凄く浅いコメントをする。
(改行の仕方がわからない)
毎週本屋でわくわくしながら新しいラノベを探して、ブックカバーつけてこそこそ読んでた良い思い出。
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一番よく覚えてる作品。中高時代のバイブルと言っても過言ではない。
自分の青春はイリヤもいなければ水前寺もいない(当たり前か)陰鬱とした生活だったけど、
それでも「こんなぶっとんだ生活がどこかにあるんじゃないか」と思わせてくれるような作品だった。
今でも名前を聞くだけで、子供の頃の夏休みの終わりのような切なさを思い出させてくれる。
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イリヤの人の続編。結局1巻以降続編が出なかった。
本当にやきもきさせられた。
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この作者病んでるなあと思った。数年後に直木賞を受賞した。
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このラインナップの中では比較的無名なんじゃないかと思う。ジュブナイル系ループもの。
「図書館司書」というワードにフェチズムを感じるようになったのはこの作品のせいかもしれない。
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■12月のベロニカ
よくできた作品だなあという思い出が強い。
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■EME
うまいこと深夜アニメ化すれば売れたんじゃないかなーといまだに思う。
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去年から年明けにかけてウルトラジャンプで漫画連載されてて驚いた。
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けっこう好きだった気がするんだけど内容をよく覚えてない。
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何故とってあったんだろう。
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トム・クルーズ主演で映画化するとは当時夢にも思わなかったけど、
それでも「これはすげぇ!」と唸った作品。
『クイック・ジャパン』『ロッキンオン・ジャパン』以外で、小山田がいじめ自慢していたとされる『月刊カドカワ9月号』の掲載記事について、
メディアが偏向的な切り取りで掲載して拡散され続けているのがずっと気になっていたんだけど、
案の定これを利用して、拡散の元凶となった件のブログが『 小山田圭吾がいじめを語る理由 - 孤立無援のブログ 』という記事で外山恒一氏のnote記事に反論している。
また変な扇動をしかねないので、記事の冒頭から関連する箇所(幼少期から高校時代)までをまるっと書き起こした。
なお、カドカワの記事はフリッパーズ・ギター3rdアルバム「ヘッド博士の世界塔」の発売直後に刊行されたもので、
アルバム発売を受けて、音楽への姿勢を掘り下げるために幼少期から振り返させた全19頁のインタビュー記事のようだ。
月刊カドカワ9月号(1991年9月1日発行)P348〜P352
きっと、ぼくの生い立ちなんて面白くないですよ。やっぱりこういう話が載るんだったら、波乱万丈の人生を歩みたかったですよ。
幼稚園のときに、巨人の土井選手の娘がいてね。土井ヨウコちゃんていう子だったんだけど、餅つき大会があって、土井選手が餅ついててかっこいいって思ったのが最初の記憶ですかね(笑)。土井ヨウコちゃんの顔は覚えてないんだけど、土井選手の顔は覚えてる。今でもテレビで土井選手の顔を見るたびに、餅ついてたなということを思い出しますね。
すみれ三組だった。それは年長組で、その前は忘れちゃった。ぼくはお絵かきを習ってた。シンちゃんていうちょっと知恵遅れの子がいて、クレヨンを投げまくって先生にひっぱたかれていたのを思い出すな。
普通の子だった、おとなしくもないけど。すみれ三組の隣のクラスに「ひらけポンキッキ!」に出たヤツがいて、そういうヤツの悪口を陰で言ってた。出たからって威張るんです、そいつら。ぼくらはイジケたグループで、五人ぐらいいた。女の子もいたな。まだ人間できてませんからね。学芸会も普通にこなしてたな。インディアンの歌を歌うその他大勢の役をやった。
小学校は遠かったんです。同じ世田谷区だったんだけど、私立だったから。それからぼくは高校まで同じ学校に通うわけなんだけど、もうシンちゃんはいなかったんだけど、二年のときにKという知恵遅れの子が転校してくるんです。ぼくらの学校は身体障害者の人が多いんだけど、特別にクラスは作らないで普通に入ってくる。Kは高三まで同じクラスだった。ぼくだけじゃなく、みんなにインパクトを与えたと思う。Kとは小学校のときはわりと距離を置いて付き合ってたんだけど、高校に入ってから意外に密接な関係が出てくる。
小学校のときは成績は良かった。運動会のリーダーとか、班長とか。それから、物が流行るじゃない、スーパーカー消しゴムとか怪獣の消しゴムも流行ったしね。そういう物のコレクトに関してはいつでも一位にならないと気が済まない男でね。それで人気を博してたからね。相撲の消しゴムも流行った。貴ノ花とか高見山とか。ガチャガチャでも、十円入れてガチャガチャでカプセルを出すと効率悪いのね。
ちょっと遠いところに駄菓子屋があって、その店では中身がドンと箱に出してあって、自分でスーパーカー消しゴムを選べる。友達とその店を発見して、他の友達には言わないで、自分らだけでコレクトして・・・ジャーン!!(笑)
小学校のときって、足の早い人とか人気があるじゃない。そういうタイプじゃなかったから、物で誤魔化したり、人気のあるヤツの足ひっぱったりとか。陰で悪口言ったり、変な噂流したり。こすいヤツだったな(笑)。だからすごく嫌われたりすることもあったな。いちばんショックだったのが、小学校五年くらいのときに文集を作ったんだけど、みんな普通のことを書いてるのに、「小山田くんの嫌なこと」とかいうタイトルで作文書かれてね(笑)。別に人気者じゃないヤツに書かれたからね、よけいにムッときて。親にその文集はみせられなかった。ぼくがそいつをいかにして迫害したかっていうようなことが切々と書いてあってね。でも、事実なんです(笑)。まさか文集にそんなタイトルで書かれると思っていない。ちゃんと印刷されてるもので、先生が見るだけじゃないの。みんなに配られちゃうの。けっこう挫折だった。だからそいつには、小学校人生全部かけて復習した(笑)。
運動会のリーダーも五年のときかな。仕事はそんなにしなくて、自分の好きなようにやってた。学校に遅くまで残れたり、プリント刷ったりするのがすごく好きで、そういうことができたからやってた。運動が得意だったていうわけじゃなくて。
音楽は幼稚園から。アニメとかのコレクトがすごかった。幼稚園の頃はコレクトって意識じゃなかったけど。水木一郎って知ってるでしょ。あの人が近所に住んでたの。それで家族でどっかに旅行に行ったら仮面ライダー・ショーをやってて、司会が水木一郎で、うちのお母さんが仲良くなって、家に来たことがあった。そのとき『イナズマン』のLPにサインしてもらった。やっぱり子門より水木だよ、とか言って。ウルトラマンからマイナーのものまでLP集めてた。「鉄人タイガーセブン」とか。よく一緒に歌ってた。その頃から歌手になる資質があったんですね、ねえよ、そんなもん(笑)
超テレビっ子。家に帰ったら、ずっと。アニメの再放送とかゴールデンタイムも。でも三年生ぐらいから「ザ・ベストテン」が始まった。大好きだった。チャートを全部メモるの、点数まで。二十位から十一位まで久米さんが早口で言うんだけど「『いい日旅立ち』山口百恵、九千何百何十点」とかいうのを、早くて書けないから「いい日、山」とか書いて後で清書する。それで学校で「昨日、何位だったよな」って言ってメモ見せて威張るというのが流行った。あとになって小沢もそれをやってたって話をきいて。他にもいろんなチャート番組きいて、どのチャートが信憑性があるとかって。オリコンもずっと読んでる、細かいチャートまで。地方別チャートだとフリッパーズ・ギターは四国が全然ダメなの。だからこれから四国を強化したいなと。
あと、「カリキュラマシーン」が好きだった。鉛筆のジョーとか宍戸錠とか吉田日出子とか藤村俊二とか。変な歌があった。「ねじれてねじれてシャシュショミャミュミョ」とか、そういうねじれる言葉があるでしょう。そういう言葉を覚えさせるためにその曲がある。一緒に歌ってた。それから、「三は嫌いだよ、いつもいつも、二人仲良くなると、ひとり仲間外れ〜」とか言い終わると、二人が真ん中のひとりをギターでボコボコにしておしまいっていうような(笑)。強烈なの。コント55号はもう欽ちゃんがソロでやってたけど、ぼくはダメだった。ドリフの志村のほうが好きだったけど、それより「カリキュラマシーン」のほうがずっと好きだった。よくギャグを覚えてる。ギャグともとれないようなギャグだったけど。きっと当時は笑ってはいなかったと思う。『天才バカボン』の第二巻もすごかった。
中学になると、人当たりが悪くなって。クラスに友達があまりいなくて、すぐにイジケるタイプに変わったんだよね。あまりしゃべらなくなった。休み時間は仲のいい友達とクラス出て、他のクラスの仲のいい友達と遊ぶみたいな感じ。中学になると音楽がすごく好きになって、そういう話もできる人としか話さなくなった。
Kはね、体がでかくて、小学校のときは突然牛乳ビンで人を殴ったりしてたんだけど、中学になるとそういうことはしなくなった。大人になったみたいで。
同じクラスにひとり仲のいい子がいた。その子のお兄さんがパンク系が好きで、ぼくもその人の影響でそういう音楽が好きになっていった。その子にテープ録ってもらったり、貸しレコード屋に行ったり。その頃、ウォークマン・ブームで、そういうのはいち早く察知して、お金なかったけど小六のときにウォークマンⅡを買った。ボディが青くてヘッドホンがオレンジ。すごく大事にしてたんだけど中一のとき電車に置き忘れちゃった。ショックだった。で、二台目はアカイやつ。電車の行き帰りで聴いてた。最初に行ったコンサートは、中二のときのクイーンかな。
その頃、初めてエルヴィス・コステロ『インペリアル・ベッドルーム』を借りて、すごく好きで、そのちょっと後に『パンチ・ザ・クロック』ってアルバムが出た。音楽雑誌のグラビア見るのも好きで、"イアン・マッカロクのお部屋"とかいって、奥さんと一緒に写ってる写真の中にレコードがダーッと並んでて、いちばん前にアズテック・カメラの『ハイランド』が置いてあった。それで貸しレコード屋に行ってアズテックの「思い出のサニービート」の12インチ・シングルを借りて、その友達と二人で「いいね」って聴いてた。それからそっちの方面の音楽にどっぷりいった。
そういうふうにして中学生のときに洋楽を聴いてると、みんな馬鹿で自分は頭いいって思いがちでしょう。案の定、そういうふうになっていた。
ギターは中一から。いとこが弾いてて、クイーンとかディープ・パープルを教わった。教則本とか見て普通に弾けるようになったんだけど、アズテック・カメラは弾けない、コーが難しくて。いろんなコードを知らないから、コピーして一生懸命した。だから我流で、コードの名前なんて知らなくて、指の形で覚えた。
高校になると、すごく仲良かったヤツが違うクラスになっちゃった。そうしたらKが隣の席なの。アイウエオ順で、小山田の次がK(笑)。クラスにいるときは、Kとしか話さなかった。Kって特技がひとつだけあって、学校の全員の名簿を暗記してるの。バスの中で一緒になったとき、「あいつの住所は?」ってきくと、ペラペラペラって出てくるの。見たこともない下級生や上級生の電話番号とか兄弟もわかってる。で、高校になるとみんな色気づいて下敷きの中にアイドルの写真とか入れてくるじゃん。Kも突然入れてきた。何かなと思って見たら、石川さゆりだった。「好きなの」って言ったら、「うん」。それから、Kは鼻炎だから、いつも鼻かんでるんだけど、ポケットティッシュだとすぐなくなっちゃう。だから購買部で箱のティッシュ買ってきて紐つけてあげた。それでKはいつも首から箱をぶら下げてた。難しい漢字にもすごく詳しかった。暗記には異常に強かった。俺はいつもビクビクしてたの。ある日、突然キリッとした顔して真面目なこと言い出したら怖いなって。「本当は俺は・・・」って。だって下敷きに石川さゆりを入れてるのも、ギャグなのか本気なのかわからないじゃない。ギャグだとしたらすごいじゃない。で、ずっと観察してたんだけど、そういうことはなかった。だけど風の噂だと、Kがどこかで森鴎外の小説を読みながら歩いていたという話をきいた。
ぼくは浮きまくりっていうか、クラスのみんなが和気あいあいでやってるんだけど、クラスの集合写真にいなかったり。文化祭の打ち上げとか、集まるときに呼ばれなかったり。でも別に平気。人に相談とかしないし。高校になると他の学校の友達とかいたから。
変な高校でさ。普通、レベッカとかBOØWYのコピーバンドとかが主流としてあるんだけど、先輩が変わってて、メテオーズのコピーバンドとかよくわかんないバンドが多くて、レベッカとかやってると迫害されて潰しにかかられる。学園祭で体育館でやるコンサートにはオフコースとかニューミュージック系のコピーしか出られなくて、パンク、ニューウェイヴ系は音楽室。そこにアズテックとかスミスのコピーやって出てた。授業中はウォークマンのヘッドホンのコードを袖に通して手のひらに隠してきいてたりね。
小沢は中学だけ同じ学校だったんだけど、別に仲良くなくて。高一くらいのときにたまたま友達の家で一緒になって、ぼくの持ってた編集テープ聴いてからそういう音楽を好きになったみたいで電話かかってきた。それから学校の帰りに待ち合わせて、お茶の水のジャニスって貸しレコード屋に行ったり。そこはイギリスのインディーズとかヨーロッパものが置いてあって、泊まって、学校行かないでレコードを全部テープに取って、返しに行って・・・そういう生活してたな。その頃の経験てでかいかもしれないな。エスカレーター式だから大学の試験はそんなに難しくないんだけど、遅刻とか欠席が多かったから一年生の時点でダメだとわかってた。だけど小沢は学校に行くの。ぼくは小沢の家で寝てたり(笑)。
※このあと、音楽の話からフリッパーズ・ギター結成までのエピソード、アルバムに対する思いなどが語られるが、問題となっているいじめに関係する箇所は上記だけなので以降は省略。
読んでわかると思うのだけど、ここでも小山田は外山恒一氏の読みどおり、過去を振り返るときは一貫して”自分自身を自虐的で自嘲的なニュアンス”で語っているんだよね。
そして問題の記事から遡ること3年前にもかかわらず沢田君の話が出てくることから、彼に対しての思い入れが深いのもわかるし、
自分自身を嫌なやつと言ながら、”イジメしていたことは認めたくないけど認めざるを得ない葛藤があったのではないか”とする外山氏の下記視点は、なるほどなと腹落ちする。
まず第一に、これは小山田氏が、自分がいかに情けない人間か、いや、〝情けない〟を通りこして、もはや〝卑劣〟で〝ろくでもない〟と云ってよいぐらいの人間であるか、自虐的に語り続けている過程でこういう話になっているのだ、という点を見逃してはいけません。活字に起こすと単に「(笑)」となってしまいますが、少なくとも小山田氏のセリフに付け加えられている「(笑)」は、ニュアンスとしては完全に自嘲的な「(笑)」です。イジメをやっていた当時の気持ちに戻ってしまって、「楽しかったなあ」と笑っているわけではありません。
ーーー(省略)
それにしても驚かされるのは、小山田氏がイジメの始まりとエスカレートの過程を、事細かによく記憶していることです。さんざん云われるように、イジメた側はそんなことはやがてすっかり忘れてしまって、これほどまでに、「ああ、そういう展開はいかにもありそうなことだ」と情景がまざまざと思い浮かぶような語り方をしうるほど詳細に覚えているというのは、イジメた側としては極めて例外的なことなのではないかと思うのです。このことはむしろ、世間で云われているのとは逆に、小山田氏が自身のイジメ加害経験と真摯に向き合ってきたことを示しているのではないでしょうか? それも極めて稀なレベルで、です。小山田氏の云うとおり、そもそもの最初は〝ちょっとフザケていただけ〟、〝ちょっとからかっていただけ〟なのでしょう。それがいつのまにかエスカレートして、ヒドいことになっていく。小山田氏は「決してイジメているつもりはなかった」という線を頑なに守ろうとしていますが、内心ではおそらく当時リアルタイムで、「これはもうイジメと云われても仕方がないレベルなのではないか?」と不安になってもいたように感じられます。高校生になってイジメっ子を卒業してからか、あるいはイジメっ子時代の末期からのことなのかもしれませんが、「どういう経緯でこんなことになってしまったのか?」ということに強くこだわって、よくよくそれを思い返し、もちろん少なくとも『ロッキンオン・ジャパン』や『クイック・ジャパン』でそれを語ることになる20代半ばの時期まで、何度となく反芻してみたのでなければ、なかなかここまで詳細に記憶していられるものではないように思うわけです。
また、件のブログの反論としては、”自分の判断で「障害者を虐待できる俺ってかっこいい」というブランディングを行っていたのである”ということだけど、
フリッパーズ・ギター解散前にそんなリスクの高いブランディングを行う必要はないでしょ、と。
下手したら、「障害者虐待をアピールするから小沢に捨てられた」というような負の印象を残しちゃうわけで、ダメージの方が大きいことは想像できるし、いくらなんでも無理筋すぎる。
サイクルロードレースがこんなに注目されること、ない。
弱虫ペダルが流行っても、レース運営の仕組みとかプロトン内の駆け引きとかトニー・マルティン(落車させられた人)の
なので、きっかけはどうあれ、なんだかうれしい。
東京オリンピックのロードレースも、これを機会に見てほしいと思う。
(オリンピックの開催自体には私は反対だが、ロードレースは観戦ポイントを調べるくらいには楽しみに
してしまっている。ちなみに平坦区間での観戦はおすすめしない。プロトンは時速40km以上で走るので、一瞬で通り過ぎる。
おすすめは、激坂と呼ばれる急勾配の山道の、できればヘアピンカーブの内側だ。坂を駆け上がれば2回見れるからな)
サイクルロードレースというのは機材スポーツであり、団体競技であり(ツールの場合は1チーム8人)、同時に個人競技である
(エースを勝たせるために、他の7人が存在する)という特殊性もあってか、多士済々を絵に描いたように
フィリポ・ガンナ(伊)/もともとはトラックレース(競技場内でぐるぐる回るやつ)の世界チャンピオン。ロードも走ってみたらめっちゃ速かった。
ついたあだ名が「トップ・ガンナ」。ブラッド・ピットには似てない。
アレハンドロ・バルベルデ(西)/今年41歳。毎年「これが最後。もう引退」って言いながらビッグレースに出場し、あげくにステージ優勝の1つ2つ
マチュー・ファン・デル・プール(ベルギー)/3代揃ってレーサーという自転車一族の御曹司。体形的に大谷翔平とかルカクに近いのか?
なんか見るからにすごい。シクロクロス出身(自転車競技なんだけど、泥まみれになりながら自転車を人が担いで坂を登ったりする謎の多い競技)で、
山も登れるしスプリントの発射台もできるし、何をやらせても完璧超人。ちなみに現在マイヨジョーヌ)。
ナイロ・キンタナ(コロンビア)/顔が村長っぽい。村長と呼ばれている。
とか、色々すごい人が来る予定なんだよ。
新城幸也(日)/石垣島出身。高校までハンドボールやってた。2009年にツールに初出場して以来、
グランツール(フランス、イタリア、スペインにそれぞれある)に14回出場、すべて完走。
3週間ほぼ毎日、延べ3500キロとか走るんだよ。その中で、こないだみたいな落車もあるし、
体調不良やチーム事情(次のレースのために途中でリタイヤとか)も影響するので
実際の完走率って確か80%くらいだったはず。
それを、新城は14回完走してる。鉄人かと。そんでいつもにこやか。明るい衣笠かと。
付け加えると、今回のツールはアジア人は一人も出てない(カレブ・ユアンが韓国系オーストラリア人だけど)し、
黒人も多分一人だけ。理由は経済的なこととか文化的なこととかいろいろあるんだろうが、
日本人選手は何度もツールに挑んでは、跳ね返されてきた歴史がある。
それが、14回。新城すごない?
前なんか、逃げにのってステージ優勝一歩手前まで行ったこともあるんだぜ。
ちなみに奥さんはサイクルカメラマン(カメラパーソンていうのか?)。たまに中継に映る。
あとは、アラフィリップ(大スター)を見たかったけど、出場しないらしい。残念。アラフィニッシュが見たかった。
*アラフィニッシュとは! 最後のスプリント勝負で、ゴール前に勝ちを確信してハンドルから手を離し、
バリエーションとして、実際差されてしまったものの直前の斜行により自分が失格になっていたので、
恥ずかしい記録は残さずに済んだってこともあった
まあそんな感じだ! チャオ!
1:過去を変えたら、現在(恐らく過去改変の起点になった時点)で対象が変わるパターン。※鉄人兵団
2:改変後の歴史が、物語開始時点での正史だったパターン。※ジャイアンのツチノコ発見・スネ夫の祖先の手柄、竜の騎士など。
3:普通に過去が変わり、ドラえもん達以外の記憶が変わってるパターン。(1と異なり、「現在までの歴史」も変わっている)※パパとおじさんの柿の木の話、パラレル西遊記など。
増田が気になってる話は、恐らく3のパターンで、元のマンガは作者が頑張って考えて描いたのだが、ドラえもんが未来から戻ってネタバレした結果歴史が変わり、
せやろがいおじさんのキャラが少し混じってるな。ただ増田の洞察は鋭いと思う。人間の悪しき本性を見せられてきただけあって、人を見る目がある。
その介護の鉄人というのはいると思う。情が深いんだろうな。マザー・テレサみたいな。増田自身にもその精神が宿っている気がする。その片鱗を感じる。気のせいかもしれないがw
「穴モテ」すらしない「女」がおること、想像できんか~?????
これまで会ってきた家族以外の男全てに「存在自体が気持ち悪い」「視界から消えてほしい」「汚物」「あれにマンコついてること自体が受け入れがたく不快」「あれの穴に入れたらちんこ腐って死にそう」とか罵倒されとる女の存在、想像できんやつおるな~?????
「穴」自体が汚泥とか肥溜めとか放射性廃棄物相当の「挿入行為で自分にとんでもない害が生じる」と忌避される「女」、ここにおるで!!!!!
まあそういういじめを小学校から社会人まで受け続けてメンタルがメコメコになって職場のトイレでリスカしてズタズタの腕を同僚と上司に見せつけてどや顔したらなんかクビになって、今では無事に無職の引きこもりですは。
なんかね、家に帰って「マンマァ~~!!!」しか言わんようになったら母ちゃんが私を哀れに思って世話してくれるようになったんだわ。人生最高!
世話してくれんかもしれんけど病院には入れるかもしれん。そこから「マンマァ」ムーヴを周囲に展開していくといいよ。
なんか…なんか知らんけど…医療とか福祉の人(男女問わず)の中には介護がそんなに苦じゃない鉄人みたいな人がごくまれに居るから、そういう人かな?と思ったらすかさず「マンマァ」すればその人が(こいつ…要介護だ!!!)と認定してくれて面倒見てくれるかもわからんで。
とにかく「マンマァ」や。弱さをさらけ出すんや。私は女だから確かに「マンマァ」ハードルは低かった。男が「マンマァ」しても需要あるわけないだろと思うかもしれん。
でも実際「マンマァ」レベルまでいくともう性差とかそこまで関係なく狂人なんで、誰かが世話してくれる確率が確実に発生する!これは大きなチャンスなんや!
あとはまあ死なない程度に自殺してつらたんアピールも確実に「効く」けど、失敗して死んだら私もあなたも困っちゃうからあんまりおすすめしません。首吊りに失敗して脱糞とか、あんまり清潔じゃないしな。
とにかく!自分の「弱さ」を活かせ!と言いたいんや。がんばれ。世話好き通り越して介護好きの人類は確実に居るんやで!捕まえたら離さずに一生をかけて依存しろよな!!!
「ドラえもん、のび太の小宇宙戦争」(以下リトルスターウォーズと呼ぶ)は大長編作品の中でも屈指の名作だと思っていた(旧鉄人兵団には劣るが)。軍事独裁政権に立ち向かうというテーマがまず良いし、何より主題歌「少年期」は名曲中の名曲だ。雲の王国もそうだが、主題歌が良いと名作に思えてくる。
今でも好きか嫌いかで言えば好きなのだが、ただ真面目に観てみると突っ込みどころが多すぎてイライラするのである。
ピリカ星人より地球人のほうが圧倒的に強いのだからパピくんはもっとのび太たちを頼ればよかったし、ドラコルルがまったく地球人に対し慎重にならずスネ夫たちを襲撃するのも不自然だ。あの襲撃の流れで出来杉くんがフェードアウトするのも不自然だし、何より体のサイズというメリットを自分から手放す意味が分からない。ピシアの探査球への警戒も足りないし、わざわざ挑発するのも相手を嘗めすぎている。いや嘗め切っても全く構わない相手ではあるが、そのせいで殺される寸前にまで行ったのだから弁護の余地はない。
スモールライト奪われた段階ですぐドラミちゃんに連絡しろよとか、ビッグライトなり使えよとか利用すべきカードを切らないのはドラえもんだから仕方ないとしても、あまりにも墓穴を掘りすぎている。
自由同盟の地下組織に行く際が最たるもので、まずのび太のような足手まといを連れていくのが失敗の元だし、ロコロコ以外にもっとマシな案内役いないのかとも思うし、のび太を見捨てなかったせいでアジトを突き止められたうえ、見られた可能性があるのにそれを組織の人々に告げずピシアに急襲されるにいたっては戦犯以外の何物でもない。
使うべき道具を使わないのは大長編では仕方ないとしてもそれ以前の利敵行為ばかりやっているので見ていてイライラする。それでもストーリー展開とテーマ性と主題歌が良いから名作には変わりないが、これほどドラえもんたちが失点ばかり積み重ねた作品も無い。