はてなキーワード: 過激派とは
そういう姿勢が、フェミや安全ピン賛成派を意固地にするだけだと思います。痴漢加害者が精神病である以上、善良な男性であれば痴漢行為などしないと穏健派フェミやフェミじゃない女性もちゃんと思っているので。私もその一人ですが。冤罪対策に悩んでいる男性の話を見て、過激派フェミを除く多くの女性はざまぁとミサンドリーじみた感情ではなく、大変そうだから痴漢をなんとかしたいと思います。
あなたが本当に善良な男性であると自称するのなら、「善良な男性は痴漢被害者を救う義務もメリットもない」とは言わない方がいいと思いますよ。ただ単なるミソジニー男と捉えられて、フェミや痴漢に対して安全ピンを使うことに思うところのある女性を頑なにさせて、痴漢被害に困っている幼い少女に「誰も助けてくれないから安全ピンを使え」と囁きかけるかもしれません。別に男の人が助けてくれないのは重々承知ですし、期待もしてません。冤罪で多くの男を殺したから女ざまぁと思うのなら、私に言われてもどうするばいいんですかとしか言えません。あなたが痴漢加害者に対してどうすればいいのかと言いたいように。ミソジニーなのは勝手ですが、解決能力の優れていらっしゃる男性様たるあなた様ならすぐ口を突っ込む領分のない案件だと考えてくださりますよね。
肉屋を襲撃するヴィーガンのことがよぎったでしょうが、穏健派ヴィーガンに賛同すれば過激派ヴィーガンにも賛同することになるという論法はスリッピースロープにすぎません。
ヴィーガンに対して「おまえたちは生きているだけで虫や微生物を殺しているのだが?」などと批判することが、かなりズレていることがわかると思います。
見出しはレトリックで、「あっちにも反対しろ」ではなく「どっちにも反対しないだろ?」という趣旨です。
ヴィーガンの主張は主に二つ、「畜産業における劣悪な飼育環境をなんとかしよう」と「畜産業が環境に与える悪影響をなんとかしよう」です。
「菜食主義者」よりも「反畜産主義者」のほうが正確なのでは、という気もしてきます。
前者はエシカル・ヴィーガン、後者はエンバイロメンタル・ヴィーガンと呼ばれ、微妙に立場が異なります。まあ両方を兼務している人も多いのでしょうが。
たとえばエシカル・ヴィーガンの立場では「まともな環境で飼育された家畜の肉は食べてもよい」というヴィーガンすら存在しています。
一方で、エンバイロメンタル・ヴィーガンは、環境保護の観点から畜産業の問題に着目しているので、動物実験を用いた医薬品や化粧品の問題には関心が薄いでしょう。
現代の食肉生産の多くは、環境負荷の高いいわゆる 工場畜産 (factory farming) に頼っています。そして私たちは実に多くの家畜動物を消費しています。鶏が580億匹、豚が14億匹、牛が3億匹など。これは1年の数です。想像できますか?
エサとなる穀物の生産や放牧のために貴重なアマゾンの森林が広く伐採され、土地や河川は汚染され、温室効果ガスを膨大に排出しています。
世界の 飢餓人口 は8億人。そのようななか、家畜に与えられている飼料の総量は40億人以上もの食事に相当すると言われます。
牛肉100グラムを作るためには穀物が1600グラム必要とされているため、穀物をそのまま食べた場合に比べてかなりの無駄が発生しています。飢餓問題は基本インフラ、教育水準、失業率、社会構造など複雑な問題が絡みますが、それでも菜食のメリットは極めて大きいものです。
肉食は水も土地もエネルギーも浪費します。世界人口が2050年に100億人に到達するとも言われているなかで、サステイナブルな食糧体制の確保は急務です。
日本エシカルヴィーガン教会とかいうところのサイトから引用しました。
(エシカル・ヴィーガンを名乗っていますが)こういったものがエンバイロメンタル・ヴィーガンの基本的な主張だと思います。
「クリーンミート」が「再生可能エネルギー」や「電気自動車」などに相当するでしょうか。
二酸化炭素の排出量を削減しようと唱える人に「俺たちに息をするなと言いたいのか?」などと絡む人が(私の観測範囲では)いなかったことを考えると、ヴィーガンに対して「おまえたちは生きているだけで虫や微生物を殺しているのだが?」などと批判することが、かなりズレていることがわかると思います。
あるいはヴィーガン側の主張としても「畜産はコストが高いので減らしていきませんか? そのためにはまず肉食を減らしませんか?」といったものであれば、納得する人は多いのではないでしょうか。
実際、大半のヴィーガンは、いきなり全人類の肉食を禁止しようだなんて思っていないでしょう。
「できることからやればいい」のです。
ここであなたの脳裏には肉屋を襲撃するヴィーガンのことがよぎったでしょうが、穏健派ヴィーガンに賛同すれば過激派ヴィーガンにも賛同することになるという論法はスリッピースロープにすぎません。
つまり「なるべく自動車ではなく公共機関を使おう」と同程度には「なるべく牛肉ではなく野菜を食べよう」という主張は成り立つと思うのですが、いかがでしょうか。
ちなみに私はヴィーガンではないので「おまえらヴィーガンは…」と一括りにするようなレッテルはご勘弁ください。よろしくお願いします。
かつて日本が集中的に叩かれた反捕鯨運動に近い匂いを感じて嫌って説。
普段愛国っぽいコメント残すアカウントが反発してるのはこれっぽい
この要素は弱いと思う
ただ非科学的というか、情緒的な部分が気に入らないのかもしれない
肉屋を襲撃したり肉フェスで残酷写真を掲げる過激派ヴィーガンの手法に
反発を感じているパターン
愛国者パターンと違って、フジテレビの韓流反対デモも苦々しく思っていた人間は
こっちの方に入る
確かにデモや残酷写真は、目的のために人にストレスを与える行為なので、
これを嫌う人が多いのはわかる。共感を得るためには逆効果だろう
ただ、このパターンで嫌う人は、反ヴィーガンのために部落差別なんかを隠れ蓑に使うべきではない
https://otapol.com/2019/05/post-65179.html
(※引用元の人がこのパターンにはまっているというわけではない)
なぜならこの手の部落解放運動の面々こそが、こうした暴力的な手段で世の中に認められてきたからだ
信念に合わない人間たちを自分の目的のために利用するなんて筋が通らないだろう?
俺はこの感覚が一番近い。
特にはてサは昔から手段を選ばず暴力的になる傾向がある(いしけりあそび追放騒動とか)
ので、こういう過激派には非常に警戒心が強い
子供やペットにヴィーガンを強要するのは、ちょっと嫌(だがそこまで嫌悪感はない。所詮他人の家だし)
普段社会問題に中立的なのに急に降って湧いて出た場合このタイプ
どっちかというと、ヴィーガン擁護派(ヴィーガン実践者以外も含む)が指摘している反ヴィーガン像としてよく語られる
なぜか知らないけど、「お前らがヴィーガンを叩くのは調べもしないし知りもしないからだ」という論調で
上から目線ははてなの日常なんだけどヴィーガンと反出生主義は流石に遭遇率顕著に高くない?
ブコメ見てると、論理云々よりこの論調を嫌がるコメが散見される
まあ普通の感覚だよな。私見では「トーンポリシング」なるマジックワードが開発されて
これにヒットすると批判の中身を吟味せずに耳を塞ぐ風習が蔓延してからネット言論界がおかしくなった気がする
まあこの点は別エントリーで書く
とはいえ、上から目線で攻められたら更に上からマサカリ投げるのが昔からのはてなのしきたりだ
俺はこの方向では嫌いにはならない。ただよそではやるなよ
ヴィーガニズムっていわゆる左派の精神と食い合わせ悪い場合が多い
知らない人向けに雑にいきさつをまとめると
「少額で3Dモデル販売するくらいなら無料配布にしてしまった方がよくね?」(悪意のある切り取り方)
なんかMMDでも似たような話があった気がするな……
彼に対する反論に個人的にちょっと納得いかないところがあったので
まずOSS大好きマンとは何かというと「自由第一主義」だ 無料大好きマンではない
本人が言ってるように「金額の話も対価の話も本題とは関係ない」のだ
過激派OSS組織FSF総裁のリチャード・ストールマンですら商用利用を禁止すべきではないと発言しているように、OSSとは無料を崇める宗教ではないのだ
じゃあなんで無料にしろって話が出てきたのかというと2つの理由がある
OSS大好きマンのいう「自由」とは雑にまとめると「だれでも好きに改造してそれを再配布できること」だ 値段は関係ない
だがたとえば有料販売モデルデータに「自由に改造して再配布してもOK」という条件をつけたとすると
点を一つ追加して改造モデルです!って言って実質オリジナルそのまま公開が出来たりする これでは販売の意味がない
かといって「改造は自由だが再配布はNG(販売モデルでよくあるパターン)」ではOSSの教義に反する
なので「有料を敵視しているわけではないが、自由を優先しようとすると結果的に無料大好きマンになってしまう」のだ
いくらOSS大好きマンといっても、この世のすべてを強制的にOSSにしようとは考えていない
じゃあなんでOSS大好きマンは強制的に無料配布……じゃなくてOSS化を進めようとするのか
それはVRChat界隈が「OSSのようでOSSでない少しOSS的な何か」だからだ
たとえばboothにはVRChatを想定したモデルデータが販売されており、その中には「改造自由」や「VRChat以外での使用可」であるものも多い
OSSっぽい規約ですよね?でも厳密にはOSSじゃないよね?よりOSS化するには無料配布がベストですよね?高価なものはともかく100円とかならもういっそのこと無料配布しちゃえばよくね?……というのがOSS大好きマンの考えだ
……無論、「OSSっぽい」からといってそれがOSSを目指しているとは限らない
なのにOSS大好きマンがそう考えてしまうのは「クリエイターは利用規約をちゃんと書かない」ことが原因だ
自由に使ってOKです!って書いてあるのに使ったら無断利用呼ばわりされるとかそういうレベルのクソ規約がごろごろしてる
(OSS界隈もあまり人のことは言えない状態だったので、専門家が規約のテンプレを用意してコピペで済むようにしてある)
なのでクリエイターの書く規約文はOSS界隈では信用されてない[要出典]
そのため「この微妙なラインが作者の意向だ」ではなく「本当はもっとOSS寄りにしたいのに知識がないから意図せずこういう規約になってしまってるのだ(上から目線)」となってしまうのだ
そしてOSS化するのであれば無料の方がいいよね……となり最初に戻る
OSS大好きマンはなんでも無料にしたいわけでもOSS化したいわけでもないが
VRChat界隈が「一見OSSを目指しているように見えるが実はそうではない」ため
じゃあこの問題を解決するには結局どうしたらいいのかっていうと……わからん!
VRChat界隈で無料はよくないって言ってる人でも
というか、自分が必要とする方優先だと認識してる上で、普段、過激派の言い分に納得できなくて敢えて無視してる部分なのだけれども。
まず、人がエレベーターを使うのに上下階を移動したい以外の理由必要なくないですか?その上で、必要な方は使用すれば良いのでは?
優先だと明記されている以上、優先されるべき方がいるときは譲りましょうでいいと思うし、実際に譲るつもりはある。
ただ、そこから飛躍して「健常者が使うのはおかしい」だの「いつも健常者が並んでて迷惑」だの、さらには「健常者は使うな(専用にすべき)」だの過激派が間違った認識(わたしからはそう見える)で強く批難しているのには納得がいかない。
駅の構造にもよるのだけど、導線計画してそこに設置してるのに、わざわざ使わせないの効率悪いと思う。使える資産を敢えて遊ばせとくのはもったいないですよね。
駅のなかには建設時にはなかったのに、後から福祉のためわざわざ設置しているところもありますが、後付けな分、導線が無理してたり、そもそも小型の物しか設置できずにいるところとか見受けられます。それでも、これまでは無いよりはマシ、まずはなんとしても設置しましょうで設置ができたのだと思います。
ただ、それでも専用ではなく、あくまで優先にしているところが多い。施設としても、混雑解消に使って欲しいのではないでしょうか。
それでもそういうのって、電車では絶対に立つと心に決めて、かたくなに座席に座らない人と同じで、俺、私は絶対にエレベーターは使わないってこだわりレベルの少数派だと思っていたので、最近のコメントでそういう過激派が多数いることに驚いている。
優先すべき者を優先しないのは問題だというのはわかる。
だけれど、合間に使わせてもらうことに罪悪感を感じる必要は無いのではないか。空いているスペース、物を活用しないのはやっぱりもったいないと思う。
より不便な方で自分ルール作って我慢しようとする。さらにはそれを人に強要しようとする。ネット上で強く批難する。ギスギスした社会を作り出してるのはどちらだよと言いたい。
あるカップルがいて、んでほかの登場人物がその二人を「くっつけよう、いい雰囲気にさせよう」と周囲であれこれ世話を焼き
それでもちゃんとくっつかない二人にもだもだし、
邪魔をする奴がいたら「私は過激派だー!」とか言って力づくで排除し、
イチャイチャしたらしたで「尊い…」とか言って側で見守りながら感謝の涙を流す、みたいなのをよく見る気がする。
前はそういう流れってなかった気がするんだよね。
そのカプ押しをするキャラも、作中では温かく見守っている立場にしても、なんつうかそういうキャラじゃないんだよね。
二次創作に「その性格は捏造だ!」なんて批判するのは最も愚かなことではあるんだけどw
あー。こういうのが「解釈違い」ってやつかー
いや別にいいのよ。そうやって他のキャラに自分らを投影して「尊い…」ってさせても。
ただ、前はそういうのなかったのに
最近になってまったく別々のジャンルでそういう風潮があって、「あれ?こういうのっていつから出てきたんだろ?」て思ったので。
お気持ち表明がブームらしいので某声なしPaPの私もお気持ち表明がしたくなってしまいました。
こちらでは私の抱いている夢見りあむへその声の実装についての考えを適当に書き並べたのと+αについて述べていきたいと思います。
まず結論から言うと、声はついていいと言うかぶっちゃけ然るべきだと思います。
おそらくテコ入れとして4年?ぶりに実装された新アイドル。4年は短いようで長く、その間に社会は大きくかわってしまいました。2014年って前回のパズドラのハローキティコラボよりも前なんですよ。そう考えると先カンブリア時代と大差ないレベルの過去です。
そしてデレマスは利益を出すために存在しているシステムの一部でしかないので、売れそうなキャラを売り出そうとしますでしょう。かつての俺嫁オタクは減少し私みたいな地雷持ちCP過激派が跋扈する(それでもまだ比率は俺嫁系の方が上かもしれない)今7人中4人が既に相手のいる状態で実装されていたり、数年前より大分盛況している配信をしているキャラだったり、Twitterで調べたら出てきそうなやばいやつだったり、諦観を持った農家だったり。
今様のキャラクターを実装し、人気を出させ、マンネリ化を防ぐテコ入れと収入をかねようとしたのかな、炎上覚悟で。
だから夢見りあむは声がつくのは普通だしぶっちゃけ既にサプぼ用意しててこれで一枠ボイスつけなくて済むラッキーwwwwwwみたいなことを運営が思っててもおかしくない。スケジュールとかたいへんだもんね。
逆にかつて実装されたキャラクターは、それこそ先カンブリア時代の化石かガラパゴスの生物かのような「今それある?」みたいなキャラ付けが多いと思うんです。かつてウケていた色物も受けない時代なんです。況や嘗てウケなかったものをやです。
というかそれについては人数が多いのが原因ですね。好きな人には申し訳ないけどなんの魅力も感じられないようなキャラとかいます。まあ190もいたら属性が分散してニッチなスピアが、所謂色物が出てくるのも当たり前だし、私に刺さらないだけかもしれないけど。
だから、ガラパゴスのなかでも希少な存在(需要は少ない)に今総選挙県内が狙えるかと言うと、言わずもがな。Vo200でアイドルCに挑むようなものだと思います。絶望の具現化かよ。
ただ、その中でこの時代でも戦えているのが多くの声付きと圏内で上がってきているアイドルだと思います。なぜ戦えているのか、それは需要があると運営様に判断されているからです。
時の流れは速いもので、南極環流も驚きの速さで進んでいきます。それにつれて客層の嗜好も変わります。
また、人間は成長を好みます。WJから歴史小説まで、まんがタイムきららすら成長を描きます。
結果、ゲーム運営はキャラクターを成長し発展させなければならなくなります。客がついてこないのでは利益も何も無いので。しかし運営にも限界があり、単位時間で出来る仕事Wには上限値が存在します。
だから、重心を人気キャラに置いて少しは利益を増やそうとします。種の少ない植木鉢にそれぞれ肥料を撒くよりは広大な大根畑にバーっとやった方が自分に都合がいい。
要は運営が環境、アイドルが種の地球がモバマスです。ただし絶滅はさせられない。炎上という名のスーパープルームに全てを滅ぼされなかねないし。
ここまでの話を纏めると、新種の適応した生命体に勝つのは難しいから夢見りあむに声がつくのも普通ってことです。
1つ目はうわめっちゃぴんくです。祇園にどピンクなマカロンショップを開いたところを想像したような色だなと思いました。
2つ目にこいつ本当に95あんのかよです。90くらいじゃない?盛ってない?
3つ目にこいつ楽そうだなです。
O-Ki-Mo-Chi-No Observer!と化していた私はどっかで見かけたこれに賛同したのですが、夢見りあむは詰みをそこまで重く捉えてなさそうなんですよね。突然来た訳でもないゆっくりとした詰みに面している時点で多分色々甘く見ていたんだと思います。それは、あまりにも面倒で理想的なメンタルです。ダイヤモンドに巻き付けたうどんが切れただけでこのスポンジはザコメンタルを名乗っています。極めて健康的で羨ましい限りです。そしてなりふり構わず構って貰おうとします。周りの目を気にしないという才能です。これはメンタルに接着剤を吹くようなそれの機能を持ちます。ゾウムシメンタル。
本当にそうですよね。百城千代子もあと2年したら飽きられるらしいですし。そもそもこの発言に石を投げると押すのをやめた瞬間ガトリングになって返ってくるの怖いです。人間いつかは飽きます。
次に、「みんな頑張ってるのにこいつはちやほやされたいだけ」みたいな旨の批判。
実装されて2ヶ月程度でそれを判断するとしたらモバマスは多分半分くらい消えるんじゃないですかね。初発舌打ちのあの人とかモチベも目的も持ってなかったですからね。
「うちの担当は頑張ってるのに」ならいいんです。最初からアイドルになりたかった頑張る人とかスネークならその発言は正しい。しかし、「みんな」はいけない。その時点でその批判に効力はないです。回転攻撃中の瘴気の魔人に通常攻撃してるようなものです。自称雑魚でも吹けば飛ばせます。
他にもいろいろあるが、オタクがちょろいのは自然の摂理なのでそれもOK。他になんか答えてほしいのがあったらコメントにでも書いてくれれば続編が出ます。そんなに見る人間いないか。
で、総選挙に与えている影響ですが、どうでもいいです。
なんとも言えない状況、それだけ。
ただ言えるのは、ぶっちゃけ夢見りあむにはほぼチートに近い性質があることだけ。炎上してしまったりなんだり、すればするほど票が増えていきます。あれ?やばくないこれ?
つまるところそういう意味でも勝てない。心底マジみっともないと思うがこれは無理。夢見りあむには勝てない。少なくとも話題性においては勝てないことは明らかなのだ。だから多くのファンは圏内入れば幸運としか思えない。そんなレベル。
あとこれも借り受けだが、りあむガチ勢が少ないのもある。人が集まれば変人も増え、変な目線も増える。結果外部に害をもたらすこともある。りあむにはまだそれがない。りあむを批判するのはネタになるし、自担を賞賛する横でライバルを貶めるような厄介もりあむ本人以外は多分いない。だから誰もがそれを心地よく玩具にできる。
夢見りあむは幸せだ。他人の喜怒哀楽を餌に巨大化し、本人はそれに何かを思うこともないからだ。
そんなふうに楽に過ごしたいものだ。
この10連休は、LGBTプライドウィークになっていて、今日は代々木公園でプライドパレードもあるらしい。
何年か前までは、自分(もしくは誰か)の環境を変える一助になればと思ってパレードも歩いたし、募金とかもしてたんだけど、ある時から急に行かなくなってしまった。
1番の原因は、LGBTムーブメントに近い場所にいると心底疲れる、ってことだったと思う。
同性愛者やトランスの人、結婚したい人、過激派の人、活動家の人、ゲイやオネエなどのコンテンツとして捉えてる人、真剣にセクシャリティについて悩んでる人、ファッションセクマイの人、性に奔放な人、アライの人、新宿二丁目(などのゲイタウン)で飲むのが好きな人...。
いろんな人がいて、そんな、いろんな人たちを理解したり、存在を認めたり、場合によってはスルーしたりする事でより良く共存しようね、みたいな感じがあったかくて嬉しかった時期もあったけど、気が付いたら全方位に過剰な気遣いが強いられていて、コミュニティでパワーを持ってる人にペコペコして、繊細すぎてすぐに暴れちゃうような人にヒヤヒヤしていた。
より良く共存するためには、ヒステリックに怒り散らす人に過剰に気遣いしないと輪に入れない雰囲気になっていて息苦しかった。
自分のカテゴリを示すために、パワーのある人や発言力のある人、顔の広い人気のある人、人脈のある人に嫌われないかヒヤヒヤしながらコミュニケーションを取り続けなければならなかった。
LGBTコミュニティに顔を出していた時期もあったから、生きにくさを感じている人も沢山見てきたし、そんな友人達にとって生きやすい世界をつくる活動(署名とか、募金とか、居るということを拒絶しない姿勢を示すとか)をやってきたけど、その「変えたい気持ち」を、LGBTコミュニティ内での"生きづらさ"が上回ってしまった。
差別発言をした人に対する激しい暴言とか、バイセクシャルはストレートに戻る論とか、いつ何時も色恋に目をギラつかせている人とかにも晒され過ぎて疲れちゃった。
状況がより良くなったり、選択肢が増えることは望んでいるし、セクシャルマイノリティに限らないマイノリティ(障害者とか)も少数派だからと虐げられることのないようになればいいとは思っているけど、そう思う気持ちがこれ以上削がれるような不快な場面に直面したくなくて、離れることを選択した。
私はオタクだ。
推しを応援している。好きだ。推しは顔がいい。そしてもはや存在自体が尊い。
オタクの私はその存在にお金を払い、推しは素敵なパフォーマンスを提供してくれる。それだけ。推しは私だけを見てないし、私の彼氏は推しじゃない。
だから付き合いたい繋がりたいとか、まったく考えたことがない。いわゆるリアコ・夢女子ではなくて、同担拒否というのも無い。 google:同担拒否
百人のオタクがいれば当然、百通りの推し方があると思っている。それは法を犯さない限り自由だ。
当たり前に、色々いるだろう。
それはわかったうえで、同担が本当に無理。ここでいう同担は特定個人のことじゃないです。
いわゆるオタ垢は持ってなくても(Twitterのオタクって強い言葉の声デカイもん勝ち感ないですか?それが苦手で。まあTwitterに限った話じゃないね)、オタやってるとなんとなく推し界隈の傾向は掴めてくるものだ。
Aくんのオタクは過激派が多いけど、落とすお金が桁違い。Bくんのオタクはミーハーですぐ次の推しに流れちゃう。とか。
私の推しCくん界隈は珍しいことに割と穏やかだ。
平和だけど、
「来世はCくんの靴下になりたい♥」
「見下して!踏んで!」
なんか終始こんなノリなのである。
……まあ、私とはスタンスが違うけど、うん、オタクは千差万別、十人十色だからね、
「Cくんのことそんなふうに見ないでくれます?」って謎の人格が出てくる。
最初に書いたけど私は推しにとって何でもない。恋人でも親戚のおばさんでもなければペットでもない。推しは推しだし私はただの匿名オタクだ。
じゃあこの感情、何---。
独占欲ではない。どちらかというと、推しの良さを、この世にもっと広めたい。
人と違う自分に酔ってるのでもない。推し側から見れば我々オタクは等しく金づるである。等しくキモオタである。
AくんやBくんが同じふうに言われてても「まあキモいけど人それぞれだもんな。思想の自由だな」とか余裕で思えるんですが、
冷静なオタクでいたいはずなのに推しに必死じゃん私。一気に視野が狭え!
繰り返すけど、推しにとっての特別になりたいとか願ったことすらないんですよ。
まあ私にとってはある種の特別ではあるけど(三次元の推しは彼ただひとりなので)
なんなら推しには配偶者と子供がいる(既婚者推してて楽しいの~?とか笑われるけど、ステージ上ではそんなこと関係ないと私は思います)。話が反れましたね。
じゃあお前は同担にどうしてほしいの?って聞かれても全然わからない。
まあオタクは推しのすべて知れるわけじゃないし(推しが見せたい部分だけ見せてくれればいいし全部知りたいとも思わないけど)、生身の人間に向かって解釈というのは失礼な話だから、違うかな……
ネーミングセンス無いので諦めました。誰かこの感情に名前をください。
名付けは可視化・顕在化。新たに病名がつくことで救わてきた人たちがいるだろう?
助けてくれ。