はてなキーワード: 責任能力とは
(1) ある抽象理論の汎化性能を確かめるためには、さまざまな事例や反例を見つけるのは学術的には行われている行為。極端であっても具体例が抽象理論に合致しない例となるなら、その理論の一般性を疑うことができる。
ぜったいアウトじゃないですか?
人生はいいものかもしれない!とかそういう話じゃなくて、シンプルに、同意とらずに生んじゃいけないでしょ
子持ちの人、レイパーみたいな思想なんだろうなと俺は思ってんだけど、世の中をみてると、子持ちなのに「同意は大切」みたいなことを言ってる人が結構いて、混乱してしまう
「人生の開始」よりも影響のでかい行為ってそうそうない気がするんだけどな
泥酔してる間にセックスするとか、憔悴してる間に契約を結ばせるとか、そういう行為はダメだってわかるのに、なぜ一切意識のない相手に強制的に人生を開始させることは肯定できるのか?
これがわからない
本当にわからないので、教えてほしい
ーーー
それはそうかもしれないが、それをここで言ってどうすんだよ 本文読んだあ?
そういう話してなくない……?
「どうして財布を盗むなんてことができるんだ、どんな心理なんだ」って話をしてるのに対して
「財布を返せと盗んだやつに言え」って言われるようなもので、まあそらそうかもしれないが、そんな話してねえんだよな〜としか言いようがない
何も意味あること言えないんなら口挟んでこないでっ!
これ本当に謎で、「同意のとりようがない相手になら何をしてもいい」っていう世界観があるのか…?
同意のとりようがないならやめておきましょう、っていうのが基本だと俺は思ってたのですが……
せめて人産みの顔をして生きようと思う
えらい!
子供がニートになっても犯罪者になっても絶対なんの文句も言わずに育ててあげてほしい
俺個人としてはしないべきだと思うけども、反出生の本陣がなんつってるかは知らねえ
動物になに言ってもしゃあないが、人間になら話が通じるかも!と思うので俺は話しかける相手を人間に限定しているが、実際に話が通じたことはほとんどなく、それならもうその辺のメダカとかカエル、鳥などに「おい!生殖をやめろ〜ッ!」つってまわるほうがマシなのでは?という思いもなくはない(なんの話?)
これ言うってことは、あれなのか、普段から法律とか倫理とかを全否定して、万人の万人に対する闘争状態を支持してる感じなのか
これ冗談だとは思うんだけど、あまりに数が多いのでちょっとマジで言ってるようにも見えてきて戦慄している
脳のない精子にすら自己責任を求めるんだったら、責任能力って概念は消滅するよな あらゆる人のあらゆる行為は自己責任なので、救済も補償もなにもいらない
原作は「マイルドDQNであることが普通の田舎」の話を書いていて、作者もそういうところで育った人間なのに、アニメ化する際に都会の連中がマイルドDQN成分を無理に漂白したから、ゲェーッ!?免許取り立てで二人乗り!?みたいなことになるんだよな。
うっせぇうっせぇうっせぇわ。
田舎では赤信号は「気を付けて渡れ」だし、原付は免許取る前から乗ってもいいし、二人乗りに制限はない。煙草も酒もやりたきゃやればいい。無免許の中学生があぜ道をトラクターとか軽トラとか普通に走らせてる。私有地だからだろ?って言うけど、私有地であってもあぜ道は道路扱いだから免許はいるけど、免許と収穫どっちが大事なのかという話だ。
スーパーカブの原作でもはっきりとそう書かれている。罰金よりも大事なものがある、と。あれはそういうリアリティラインの話だ。そして別にそれは「特別」な世界の話ではなく、ごくごく一般的な田舎のマイルドDQNの思考だ。
これがアウトローの思考だと考えるのは、キレイなインハイで生息しているバカな都会人の考え方だ。田舎にスローライフを夢見る風潮は1000年前から変わっていないが、田舎の倫理観がスローなのも1000年前から変わってない。今でもエグいくらいに男尊女卑だし、なんなら部落だって過去のことじゃない。貞操観念は死んでるし、大人のいじめも度は過ぎてる。田舎が景色以外できれいなわけないだろ、常識的に考えて。
都会の物差しで田舎を測るな。都会では十代は何の責任能力もない守らなければならないガキかもしれないが、田舎では10000年前から10代は立派な大人であり、個別に尊重される労働力だ。自分の愛機を手に入れて正式に乗る権利を有したらあとのことは本人の判断に任せるべきだ。
二人乗りだってできる機構になってるんだから、したっていい。事故らなきゃいいだけの話だし、事故ったら自己責任だ。乗せたやつも乗ったやつも自分の意思で決断してそうしてる。たかだかニケツ、ガタガタぬかすな。
池江は可哀想ランキング超上位だからはてなでは何とか池江姫は擁護しつつオリンピックは叩きたいの。
平社員は例えベタだったかもしれないが、この増田のブクマでは涙ぐましい理論武装の努力の結晶が見て取れるではないか。
「20歳の子に重すぎる責任~」とか。(池江の権力性を一切無視しつつ、子という単語を使って責任能力の意図的な軽減を狙っている。見事)
「利害関係でがんじがらめ、結局は籠の鳥」とか。(いい大人である池江が、環境のせいで個人の判断能力を奪われているという構図を構築。見事)
「皆が不幸だからお前も人生の目標を諦めろというのは違う、真に糾弾されるべきは~」とか。(誰が言ったかもわからないセリフを使い、真の敵理論で池江への攻撃を反らす作戦。見事)
「成功者か社会的強者かは直接関係ない、意思決定に関する権力配分の観点~」(権力配分という定義不明の謎ワードを使用し、また強者性の有無を問わずに関係ないと断定して池江の権力性を漂白。見事)
繰り返すが池江は可哀想ランキング超上位者だから、はてなでは破格な取扱で遇さなくてはならないのだよ。
なんでこういうデマを流すんだろう?
責任を代行する人がいるというだけで「無罪でやりたい放題」なわけじゃないよ。
「責任能力がない」人はある程度の人権の制限(というか、「行使選択の代行」)が認められる。代表的な「責任能力がない」存在が子供。子供の飲酒や喫煙やギャンブルや深夜徘徊やポルノ視聴を制限するという「人権侵害」がなぜ認められるかというと、子供には「責任能力がない」から。だから代わりに責任を取れる大人がきちんとコントロールする責任を負う、という論理で社会は動いてる。
「責任能力を認めろ!」という主張を増田がしてるかしてないかは知らないけど、「責任能力を認める」ということは、すなわちそういう「合理的な人権の制限」を認める根拠を失うということであって、それこそ「野放しにしろ」と同義なんだが。それをわかって言ってるのかな?
昔だったら精神科病院にずっといる感じだったんだよね。
過去の触法行為があって帰り先がない少数の人と、治療がある程度奏功して退院できそうな人両方が、長期入院になっていたということ。
病院側も、多数の手間のかからない障碍者がいるから、少数の手間のかかって長期になる触法気味の障碍者を受け入れられた。
少数の人たちの現状は、プライバシー保護の問題もあって、公にはされないから、偉い人やらマスコミには「罪状」は見えない。
精神科病院の在院日数が問題になって、すでに入院している人中で施設に出せる人はどんどん出しているけれど、あらたに触法行為があって入院が長期になりそうな人は、入院しづらくなっている。
医療観察法の適応になような重罪に類するような触法行為でも、入院期間は3年。
もちろん健常者の例えば殺人でも、最短5年くらいで出所するから
世の中的には、暴力のリスクは、加害者に障害があるかどうかは置いておいて、受け入れる必要がある時代になっている。
本来、暴力行為の加害者で、治療の余地もなく、手間をかけたケアが必要なひとについては、法的手続きを経て、長期に入院を可能にする制度と施設と運営資金が必要だと重くのだけれど、障碍者にお金をかけることについても批判がありそうで、難しい。
法的手続きについては、司法の関与が望ましいけれど、これまでは、精神保健指定医という制度で代替してきたように思う。精神保健指定医の制度で問題なのは、判定する医師が利害関係者であるところ。
虐待など事件が起こると、法曹関係者やマスコミは精神科医療への不信ばかりかきたてる。批判はごもっともと思いますが、長期に入院せざるを得ない人については、立法して、処遇を担保しほしいと思います。
障碍者施設の大量殺人事件があったけれど、裁判を通じて、被害者の入所経緯や状態が詳らかにされるかどうか気になっている。大量殺人は全く持って許されるべきではないという前提はあるが、大多数は善良な方と思うけれど、一部には唐突に人を殴っちゃうような、不条理な障碍者がいるような気がするし、施設側の処遇にも問題があった可能性もありうる。
差別の問題が深くかかわっていて、触法行為を繰り返す人が障碍者の中にいて、そういう人には長期のケアが必要だという話なると、一般の障碍者の差別を助長するし、障碍者全般に対する差別があると、一部の人の触法行為すら表に出てこなくなる。表から見えない密室では、虐待などの事件が起こりやすくなる、かもしれない。
重度行動障害のある人への医療的アプローチ、など、元増田が言う、暴力的な児童などにたいするケアの技術や方法論は向上しているけれど、現場ではやっぱ怖えぇなーってひとに、時々出会う。このあたり、触法行為と精神疾患については、心神耗弱や責任能力の議論として端的に表れる問題以前に、どう処遇していくかっていう社会制度の問題でもあるけれど、感情的になりやすくてまともな議論ができていない気がします。いっぽうで、犯罪の疾病化や、その逆の疾病の犯罪化が、深い議論を経ぬままに制度化されてしまうことに危惧を覚えます。
アセクシャルじゃなくてただの人嫌いじゃねぇか
アセクシャルじゃないとする論拠は何? ふたつは排他で両立するだろ。
そう思われてるもなにも世間一般的には長期的に人間関係構築する方にBETするやつが多いわけじゃん
それを作る気ありませーんつって放り投げられるのって他人にコスト負担させてリターンやらないんだからそのくらい思われて当然やろ
いやいや、長期的な人間関係を持とうとしないことは他人にコスト負担させているなんてことにはならない。確かに長期的人間関係で得られるリターンは無いが、ただそれだけだ。向こうが一方的にこちらに期待してコストを支払ってくるならば応答責任が生じるけどそうなったら関係構築の拒否を伝えればいい。人間関係の話なのになぜ双方とも一方的に支払う前提なのか。
いやならん。
アンタの思想を採用したとして、責任能力・一貫性・人格の保持が無いならば必然的に長期的人間関係構築が無理なのは論理的に正しいが、逆は成立しない。長期的人間関係を放棄してるからと言って元増田に責任能力・一貫性・人格の保持ができないってことにはならない。単にそういう選択をしないだけの線がありうるし実際そうだろう。
子どもを持ったり、家族を養ったり、クルマを維持したり、会社を管理したり… 責任を持つと様々なリターンを得られるけど、それらを持たない選択をしても、シンプルにそれは生き方を選ぶ個人の自由だし、他人にとやかく言う筋合いはない。
アンタは長期的人間関係に一家言あるようだが、思想は誤っていると思う。
長期的に関係を持っている相手がもし、仮に人格がブレたり何か思想が一貫しなかったとしてそれで関係を断つ方がよほどクズだ。大人だろうと人間は成長するし変化していくもの。相手に変化に対応する心遣いと寛容さの方がずっと大事だ。
…なあでもそれ以前にさ、他人のセクシャリティを私見で断じる態度は、かなりやばいレベルのクズだぞ。まさか、ネットだけじゃなくて実社会でも一貫してその人格を保っているのか…?
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210128/k10012836791000.html
これまあどう考えても普通の状況ではないし、情状酌量の余地みたいなものは出てきそうだと思うよ
「完全に健全で余裕はあるが人格だけが異常な人間が、子供を殺したくて殺した」ってことはないだろう 障害があるとか、すごい追い詰められてたとか、なんかそういうのがあるのは間違いないといってよさそう たぶん 間違いないんじゃないかな ま、ちょっとは覚悟しておけ
でもさあ!
やるべきことは逮捕じゃねぇーー!!
みたいなコメントがつくのは怖すぎでしょ
「女は常に被害者で、何にも抵抗できず、いっさいの責任能力がないので、何をやろうと罰を受ける謂れはない」ってこと?
ホンマに怖いねん
精神科 鹿児島県立姶良病院 鹿児島県姶良市平松6067 TEL:0995-65-3138 FAX:0995-65-8044 E-mail.air-hos@pref.kagoshima.lg.jp
http://hospital.pref.kagoshima.jp/aira/
「2019-06-19 県内唯一の公立精神科病院 社会のニーズに応えたい
1983年鹿児島大学医学部卒業。鹿児島大学医学部附属病院神経科精神科医員、県立鹿児島保養院医長などを経て、2013年から現職」
「また、医療観察法に基づく指定入院・通院医療機関としての役割も担っており、研修も実施しています。この研修は、関係者をはじめとする地域の精神科医療関係者を募り、年に1回程度開いています。
裁判員制度が始まってから、全国的に精神鑑定の件数が増えています。責任が重い仕事ですので、当院では6~7人が分担しています。精神鑑定ができる医師の養成も、われわれの役割です。そのためには、経験を積んでもらうことが必要。社会の要請に応えられる人材が育ってくれたらと願っています」
「時代とともに患者構造や病状が変化し、地域社会の精神疾患患者に対する目も変わってきました。地域移行も進んでいます。
私たちの役割は、まず患者さんや地域の方が困ったときに、すぐに対応できる力をつけておくこと。さらには地域住民にも、精神疾患や精神疾患がある患者さんに対する理解を深めてもらい、地域全体の対応力を上げていくことなのだと思います」
「2020/11/27 13:00 日置5人殺害公判 「被告は重度の妄想性障害」 起訴前鑑定医が証言
2018年に日置市東市来町湯田の民家で男女5人が殺害された事件で、殺人と死体遺棄の罪に問われた近くの無職岩倉知広被告(41)の裁判員裁判第6回公判が26日、鹿児島地裁(岩田光生裁判長)であった。起訴前に精神鑑定した医師は「犯行当時は生来の自閉スペクトラム症(ASD)に加え、重度の妄想性障害を抱えていた。深刻な精神状態にあった」などと述べた。
起訴後に精神鑑定した別の医師は25日の証人尋問で「妄想性障害の程度は軽微で、一連の犯行は元来の人格傾向の影響を強く受けている」と証言。裁判の大きな争点である責任能力の判断を巡り、参考となる鑑定医の意見が大きく分かれた。
26日の証人尋問に出廷したのは、県立姶良病院の山畑良蔵院長。検察側から依頼を受け、逮捕・送検後に期間を延長しながら18年7月から19年1月まで精神鑑定した。
山畑院長は、生活の変化などから妄想性障害を発症した時期を04年前後と推定。一時的に軽減することを繰り返し、長期的には悪化していたとした。病状の深刻さを踏まえ、統合失調症の可能性も示唆した。
妄想性障害の悪化により、「思考・行動に異常があった」と指摘。弁護側から動機や行動選択への影響を問われ、山畑院長は「誤った考えに基づく病的感情は、当然行動に影響を与えている」と述べた。
27日は、精神科医の証人尋問や被告人質問、遺族の心情意見陳述を予定している」
https://373news.com/_news/?storyid=129151
平成元年に卒業し、鹿児島大学病院精神科で研修を受けました。精神科は自然科学だけでは解明できない興味深い世界があるのでと思って期待もありましたが、漠然とした不安もありました。
しかし、指導医の先生方に丁寧に指導していただき、また、いろんな病状、個性のある患者様と向き合い経験していく中で、「人の心」「精神」というものを自分なりに考えるようになり、学会で発表したりもしました。
姶良病院は、鹿児島県における精神科医療の中核としての役割を果たしています。精神科に興味のある先生方にとっては、貴重な研修ができるものと思います」
http://hospital.pref.kagoshima.jp/recruitment/message/aira.html
「県立姶良病院情報誌 第 62 号 やすらぎ 令和元年 7 月 1 日発行 病院理念 ~安らぎと幸せを~
「山畑狂蔵」とは 副院長 堀切靖
知らない方が多いと思うが、山畑良蔵院長は以前「山畑狂蔵」というペンネームを持っていた。少し自虐的で、少し自慢げで、少し笑いを取った、とってもいいネーミングだと私は思う。
「狂」の其の一:顔で笑って、実は心の中で怒っている。逆に、怒っているように見えて、心の中では笑っている。これ、まさしく「狂」
「狂」の其の二:私は昨年から医療観察法病棟の病棟医長をしているが、多職種で会議を開き、入院継続の 3 要件や症状評価の 17 項目を検討したり、外出、外泊では詳細な計画を立てる等、大変。大雑把な私は集中力がなくなり、いつしか違うことを考えたり、眠くなったりする。しかし、狂蔵氏は、それらの報告を聞き、ちょっとした?間違いに気づき、でも、実はそれが大きな問題だったりするのに気づかされる。その集中力、注意力、気づきの鋭さ、まさに「狂」
「狂」の其の三:志布志の田舎で生まれ育った、まさしく神童。神童は数学者を目指していたと言う。高校時代の愛読書は哲学書。狂蔵氏が入院していた時、私が感動した小説を差し入れたところ、小説を読む楽しみは将来に取っておいていたのだと。その知力、忍耐力、まさしく「狂」
「狂」の其の四:医療観察法病棟を開棟する際、20 人?30 人?の職員で研修会に参加。懇親会の後の 2 次会は狂蔵氏がカードでポン。腹が出ているのは昔からだったか?まさに「狂」
「狂」の其の五:長年にわたり姶良病院に勤務し、海千山千の処遇困難例の治療に携わる。その間、興奮し暴言を吐く患者と対峙すること数えきれず。時に消化器で泡だらけにされたこともあれば、包丁を持った患者に追いかけられたこともあり。それでも患者を愛する狂蔵氏、まさに「狂」
「狂」の其の六:姶良病院は交通事故や違反が多いということで、繰り返し職員に指導が行われている。実は狂蔵氏は 2 回も後ろから追突されたことあり。しかも、1 回は大きなダンプカーであったが、ボルボに乗っていたためか、特に怪我はなし。ただ車は 2 回とも廃車。これも「狂」なる故か。
「狂」の其の七:毎年、95 パーセントの稼働率を維持し、県立病院の経営改善に最大限に貢献する。医療観察法病棟の開棟、精神科救急病棟の開棟、各病棟の改築を行った。去年は自治体病院精神科部会の会長、来年は日本司法精神医学会の会長を務める。さらに重大事件の鑑定、各所での講演等々、その働きぶりは、もう「狂」と言うしかない。だが、近くで見ている私が一番すごいと思うのは、リスクマネージメントや組織を運営、管理する能力である。管理者としての能力はとても真似できない秀逸な「狂」。
「狂」と言いながら、褒めてしまった。なので、ここでこそっと言っておこう。狂蔵氏は隠れセクハラ親父である。可愛い女性職員に「おっ、今日の洋服はかわいいね。いいね!」等、ポロッと言ってしまうのを私は聞いている。その心の中は「狂」に違いない」
http://hospital.pref.kagoshima.jp/aira/images/stories/contents/201901yasuuragi.pdf
・・・殺人事件の精神鑑定も行っている県立病院の医者たちが「あのセンセイは狂っている、狂だよね~」などと院内誌に堂々とおふざけを書く人権感覚のなさ。
その囚人はなぜ死刑を言い渡されるほどの重罪を犯すような人間になってしまったのだと思う?
監督責任は突き詰めれば親にとどまらず、ムラ、そして国家に行き着く。最終的に国民のための環境を整備する能力と責務のある者、それが国家だ。
自分の行動の責任を自分が負う能力があるはず、というのはあくまで人間が法や秩序を成り立たせるために決め打ちした虚構のルール、フィクションの概念にすぎない。人文科学的なマネジメントと言える。大雑把にはそれは有効で効率的に回る。
だが自然科学的に考えれば、そもそも人間はそんな責任と能力を持てるような生物ではない。狼に育てられれば狼の倫理観を内面化するし、スラム街に生まれれば盗まずに生きてはいけない。脳は環境に適応してパターン認識を重ねていくだけの肉塊だ。
であるから、どこかで人による裁きが虚構的であるという歪みを認めて、個人の責任能力を根拠に裁きを下す刑罰執行システムに妥協するポイントを作らねばならない。
そのポイントこそが、国家による殺人行為が刑罰となっている死刑、ということになるだろう。
国家くん「ウチの国が至らんばかりにとんでもない悪人を輩出してしまったわ、申し訳ないな、ワイの責任や、もう野には放てんが死ぬまで塀の中で面倒みたるわ」というのが穏当な極刑の形である。
国家くん「ワイは悪くないわ、こいつの面倒みる義理ないやろ、こんなウジ虫が湧いてくるの防ぎようがないやろ?十分国民のケアしとるわ!」と言ってはばからず、社会に異物が湧いてくる度に消し潰していく考えだ。
この発想をとる国では、懐は傷まないが、その分「なぜ我が国にこんな人間が形成されてしまったのか」に向き合うことはなくなる。
こうして国家が不出来な子殺しを続けていくことは、残酷なことに他ならない。
国家がすべきことは、例えるなら、違法ダウンロードを行う割れ厨を目ざとく発見して片っ端から吊し上げ首チョンパして「これが製作者の怒りや、こうなるんやで」と脅しを効かせて回ることではなく
割れ欲求を持つ人間がなるべく最小化されるように低廉で優れたサブスク方式ストリーミング配信サイトを構築できるよう促すことなのである。
制御でき(バレない形でやれ)ないセクハラ自体が性依存症の一種だからね、病気と犯罪であることは同時に成り立つよ。目撃者死ぬほどいるとこで危険運転する奴と一緒で、頭おかしいけど罪じゃなくなるかっていうとそんなことはない。責任能力とかのレベルの心神喪失状態になるとまた違うけど、趣味活動できる程度には理性残ってるしね。
そもそもいくら用意周到にやったって絶対バレないことはありえないんだから、一発で社会的地位喪うかもしれないうえに風俗で数万払えば安全にできるのにセクハラするの自体自分には病気にしか見えないけども。善悪とか以前に、詐欺とか横領とか違って手に入るリターンが小さすぎて気が狂ってるとしか思えない。
今の基準でも12歳同士とか、12歳と16歳とか有りそうだけど、犯罪なのか?
実際に捕まったりするの?少年法が有るから大丈夫か、少年院には送られるのかな?
そう言えば少年法でも刑事責任年齢が13歳なのか、性的同意年齢を上げるなら、こっちも上げるのかな?子供に判断の責任能力が無いのが根拠だとすると、有りそうだね。
もし上がらないのなら、性的同意年齢未満かつ刑事責任年齢以上、という層が出来そうだね。
となると捕まるのか(例えば性的同意年齢が16歳になった時に15歳同士でやると、犯罪かつ刑事責任に問われる?)
あと、12歳同士でヤッたらどっちが捕まるのかな?両方?或いは男の方が多く責任を問われたりするのかな?男同士女同士の場合もあり得るよね。
同意が不可能な年齢って事だから、両者が合意の元やったとしても同意は成立しておらず、両者が互いに「同意を得ずに性交」つまり強姦した判定になるのだろうか?(なんかバグ技みたいだな)