はてなキーワード: 自発的とは
公開日:2020/11/12 06:00 更新日:2022/03/01 17:39
プーチン・ロシア大統領の病気説は自作自演?(C)ロイター/Sputnik/Aleksey Nikolskyi/Kremlin
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ロシアのプーチン大統領(68)がパーキンソン病で来年初めに引退--。今月6日、英紙「サン」がこんなニュースを報じた。プーチンの映像を見た専門家が、脚が絶えまなく動き、ペンを持つ手が痙攣しているように見えると指摘。クレムリン(ロシア大統領府)の内情に詳しい政治評論家のソロベイ氏は、パーキンソン病の兆候があると示唆し、プーチンの恋人で新体操選手だったアリーナ・カバエワ(37)は権力の座から離れるよう求めているという。
日本のメディアは米大統領選一色となり、大きく報じなかったが、ヨーロッパでは注目のニュースだった。
クレムリンでは今月に入って、議員グループが大統領経験者には、生涯にわたって刑事訴追からの免責が付与されるという法案を提出した。KGB出身のプーチンは、これまで暗殺などの疑惑がささやかれてきた。免責という特権を手にしてから病気引退するつもりではないかと騒がれた。
手足の痙攣、歩くときに肩が傾く
砕氷船「ビクトル・チェルノムイルジン」を視察し、サインをするプーチン・ロシア大統領(C)ロイター/Sputnik/Aleksey Nikolskyi/Kremlin
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「引退説はフェイクニュースでしょう」とは国際政治経済学者の浜田和幸氏だ。
「カバエワさんのほか、プーチン氏の2人の娘も、彼の健康を心配して休養してはどうかと勧めたというのが真相のようです。たしかに彼は手足の痙攣のほか、歩くときに肩が傾いているとか背中に痛みを感じる、腕が痛くて痛み止めを服用しているなどの健康不安説が出ました。柔道の黒帯を持つマッチョマンだから少しでも様子がおかしいと大袈裟に騒がれるようです」
浜田氏によると、プーチンは故郷サンクトペテルブルクに延命医療センターを設立し、100歳まで元気に生きられる技術の開発を命じているという。目的は旧ソ連の国々の元首とともに長生きし、かつてのソ連を復活させること。だからこそ大統領を辞めるわけにはいかないという。
今回のパーキンソン病引退説には、政治的な思惑もありそうだという。
「プーチン氏が自発的に病気引退説を流したとも考えられます。こうした噂を広めると、クレムリンの中でプーチン氏に反感を抱いていた人物が大統領の座を脅かす動きを見せるもの。獅子身中の虫を見つけるための“観測気球”として、プーチン氏が自らパーキンソン病説を流したのかもしれません」(浜田和幸氏)
下記ブコメ欄見たら、好戦的だったり積極的に戦争を起こせ(ロシアに攻撃し攻め込んで占領しろ)と言ってるブコメが予想以上に多くて驚いた。
北方領土の主権主張「永久に忘れた方がいい」…ロシア外務省幹部が強硬姿勢示す 交渉"さらに難航"の恐れ(北海道ニュースUHB) - Yahoo!ニュース
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/916eca448bcad4e53b3f4573b1c7ce0142557bc9
pendamadura 今が攻めどきだよな
stamprally 乗り込んで占領すりゃええ。
もちろん冷静なブコメもあるが数は少なく、スターもほぼついておらず無視されている。
「もともと日本のもので、不法に占拠されてる」ていう論理的正当性はあっても、 既に50年以上ロシア(ソ連)が実効支配し続けロシア住民が多数住んでる場所に
自衛隊が攻め込んで軍事力で奪取するなんて、国際的に「正当な戦争」「自衛行為」とは認められないだろう。
「戦争を起こしたのは軍部や政治家、責任は彼らにある」「国民は政府から強制的に戦争に行かされた被害者」
日本が直接攻撃されたわけでない現状で、ここまで戦争したがる声が国民から自発的に上がる熱狂状態になってしまう。
日本がアメリカから兵糧攻めされてた1930年代に、日本国民の間でどれだけアメリカとの戦争を望む熱狂状態にあったか、容易に想像できてしまう。
そして今、ロシア制裁に反対するものやロシアと親しいものを「反日売国奴」「ロシアのほうを向いている」「こんな議員は国会にいちゃいけない」と呼んで非難するブコメが支持のスターを集めいくつも上位なり、国民自ら思想信条の自由を否定してるように
(https://b.hatena.ne.jp/entry/4716216110778026914/comment/mouseion
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/byline/oohamazakitakuma/20220301-00284484
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/oishiakiko/status/1498981489887031298)
太平洋戦争時に反戦を訴えた者が、どれだけ多くの国民から「反日売国奴」「非国民」「アメリカのほうを向いている」「臆病者」と呼ばれ非難され国民の意志のもとに特高警察が逮捕拘束し日本社会から排除したか、
いかに国民の意志のもとに国会で異論を許さない挙国一致の大政翼賛会体制が成立したか、容易に想像できてしまう。
そして常にアメリカからの攻撃に怯えてる北朝鮮が、なぜ国民生活を犠牲にしてでも軍備優先の先軍主義をとってるか、異論を許さない政治体制をとってるかも理解できるような気がする。
平和と自由の大事さを教育されてきた日本人ですら、遠く離れたウクライナの戦争でここまで好戦的になり異論を排除したがるのだから、最初から逆の教育をされ常にアメリカや韓国から攻撃されるかもしれない状態下にある北朝鮮の人々の好戦・挙国一致を自ら望む意志は相当のものだろう。
日本の非戦主義、思想信条の自由は、アメリカが平穏に世界のトップにいる間だけのことで
アメリカ1強体制が揺るがされる状況になればそれは容易に「平和のための戦争」「国益のための戦争」「政府の対外方針に批判なき政治」を自ら望む声に変換されてしまうものだったんだ。
おそらく来年には憲法9条廃止するための国民投票が実施されて「戦争を起こせる普通の国」になり「抑止力のための核軍備」もされるだろうな、国民からの熱狂的な要求に基づいて。
先日パートナーに「君は美容以外の趣味とかないの?」と言われた。
美容も趣味の一環だと思っていたが、一般的には趣味認定は受けづらいらしい。
(ここで言う美容は美容外科や審美歯科、美容皮膚科にかかったりコスメや自宅ケアなど全般)
1日5-6時間は趣味に費やしていたが、それが高じて仕事になってしまったので趣味とは言えなくなった。
むしろ仕事になってしまったので、当時の趣味に関わることは全て仕事関係にカテゴライズしている。何より昔ほど手放しで楽しむことはなくなった。仕事なので。
齢30をとうに過ぎて、今から新しい趣味を探すのは少し億劫だ。
好きなことならある。料理やセルフジェルネイル、大学で認知心理を学んでいたので精神医学の医療論文を読んだり、洋服も好きだ。
元々グルメ関連も好きで定期的にミシュラン掲載店やいわゆる銘店的な所に行ったりお酒も楽しんでいたが、今のパートナーがさほど外食に興味が無いこと、コロナ禍、自分の減量のためにすっかりグルメ関連からは手を引いてしまった。
音楽や映画は仕事関連にカテゴライズされるし、ゲームやネトフリなども特にハマるものはない。
友人ももちろんいるが、一人の時間が比較的好きなので、月2-3回遊べればいいと思っている。
スポーツも子供の頃色々強制的にやらされていたせいかむしろ苦痛な方だし、筋トレは好きだが体型を保つための義務感があるので趣味ではなさそう。
パートナーからすると、美意識が高いだけで基本的には無趣味に見えるみたいだ。
自分でも何か趣味があればいいなと思ってはいるが、中々見つからない。
俺は文章を書くのが好きで、なぜ書くかというと支配するために書いている。
これは自分の動機を色々な意味で乱暴に表現した言い方だけど、実際この通りで、俺は世の中のたくさんの物事がよくわからなくて、それを自分の言葉で自分自身のために説明し直すことが俺にとっては対象を屈従させたことと同じなので、それが理由で書いている。
一種の、そういう暴力的な方法でしか、この世界にある意味不明さと向き合えない。とにかく俺は「わかりたい」のだが、いまは、まるで真逆のことを言う。
「説明を受けてようやくわかった」
「感じていたもやもやを(自分の代わりに)うまく言語化してくれた」という意見を最近よく目にすることがあって、それを見かけるたびに、正直言うと少し嫌な気持ちになる。
俺自身が「わかる」ために言葉を並べることに憑かれているし、俺が書いたものを読んだり講義を聞いた人に「説明上手ですね」と言われると身もだえるほどうれしいので矛盾しているのだが、本当に、そんな簡単に「わかって」いいのか? と心のどこかで思っている。
俺はそれが怖い。
「わからない」のは不安だし、「わかる」ことで参加できること、貢献できることが世の中にはたくさんある。
というか、ほぼそれしかない。この社会で「わからない」やつはお呼びでない。仕事でも議論でも。そういう風にできている。
「わからない」と正直に言える者が機能するのは、学校の授業のように教える側と教わる側が明確に区別されているか、その共同体が何か重大な問題をはらんだまま、よほど硬直している場合だけだ。
そして、それも結局、みんながよりよく「わかる」ための経緯の一つとして回収されていく。
多くの人は「わからない」を早く手放したい(俺のように、場面によってあえて「わからない」にこだわってトリックスターを気取らない限り)。
「わかった」人も、他の人にも「わかって」欲しい。だから、「わかる」は増加していく。
それはある意味で、みんな同じになっていくということだ。
俺だって普段は「わかりたい」と思っているし、「わからせたい」とやっぱり思ってるけど、それでも、みんな一緒になっていくことは怖い。
きれいごとを言えば、「わかる」が他人と同じになっていくことだとすれば、「わからない」ことには唯一無二の価値がある。「わからない」「わからない」とずっとわめいていることにこそ、その人だけの価値があると思う。
もちろん、その人だけに価値があるというのは、その人が自分で作った独自の貨幣と同じで、何の役にも立たない。まあ、でもいいじゃないか、と言いたい。危うくて、でも、おかしくて愛しくていいじゃないか、と思う。
俺が「わかる」ことに、どこかの誰かの生死がかかっているとしたら、俺は「わからないといけない」。
俺が「わかる」ことに、俺の大事な人の生死がかかっているとしたら、俺は「わからないといけない」。
遠いところからやってきた誰かが俺に銃を向けたとき、俺がどうしていいか「わからない」と言ったら、その人は俺を撃って先に進むだけだろう。次の誰かを撃つために。
それでも、俺はみんなが「わかった」というのが怖い。
このとき、「その『わかった』が間違ってたらどうするんだ?」という疑念と(星新一の『殉教』のような)、みんなが一つになっていくユートピアへの根源的な恐怖(人類補完計画的なものへの嫌悪感)は区別しないといけないだろうし、「なんだろうと、とにかく怖いから、そんな簡単に『わかった』って言わないでくれ!」という俺の稚気も別物だろうけど、俺にもよくわからない。
今回の件はみんな「わかってる」らしい。俺も、それで正しいと思う。
でも、じゃあ、みんな「わかってる」なら俺だけ「わからなくて」いいかな?
「令和5年度以降、休日の部活動を段階的に地域に移行し、休日の部活動指導を望まない教師が休日の部活動に従事しないこととする」
俺は悲観的。
まず、現時点で既に、募生活動の一環として学校が地域のスポーツサークルを提供しているところが結構ある。
また、これも既に、裁判所公認で教員は自発的に部活の指導をしていることになっている。
結局、形式だけ学校と分離された地域のサークルを教員が「自発的」に指導することになって、教員の負う仕事と責任はより増えるのではないかと思ってる。
(さらに言えば、まったく個人的な推測だけど、顧問に「○○部で受験生を何人集めて来い」みたいなノルマも降ってくるようになるだろうと思ってる。)
客側にコンドーム使いたくない、って人が多いのであれば、その遊び方を自発的に変えて欲しい、ってやっぱり厳しそう。動機がない。
法律変えることの難しさもなんとなく伝わる気がするけど、その方がまだ現実的な印象も受ける。俺が客なら、一般論として同じ価格だったら希望のサービスが受けられる店を選ぶと思うから、その要望(避妊具なしでの本番行為)が違法って状況を作ってもらうしかないような。
増田は売春防止法はたぶん変えられない、って言ってるけど、それはなんでなんだろう? そこを争点にしても政治的に勝ち目がないからか。
確かに、他の項目に優先するかって点を含めても、あえてそこを打ち出す政治家も、そこに票を投じる人もいないだろうな、とは思う。でも、サービスに法規制が働かないと、現場の判断で訳のわからないことやる奴が出てきて労働者個人が不幸になる、ってどの業界でも起きることだと思うから、やっぱり法律しかないように見えるんだよな。
違う。民主主義社会では、すべての国民が賢くなっていこうとしないと、温室栽培のパターナリズムによって国民も白痴化するし、国も腐敗するんだ。
国民各自が過剰に自主規制しようとしてしまうほどにお利口で体制に寄りすぎると、国はそれに甘え、恣意的な運用をしはじめ、法のアップデートもされず、腐敗が起こる。国民による自発的パターナリズムがそれを誘発してしまう。太平洋戦争を開戦に向かわせたのもそれが一因だ。
国民を裁くのはあくまで法であるべきで、国民による自警団であってはならないんだよ。本来は、法的に曖昧なラインを攻めていくくらいの態度の方が、アップデートが促され、民と官の綱引き関係が保たれる。より明瞭で怯え隠れる必要のない秩序に繋がる。
風営法だとか、パチンコだとか、技適だとか、アップデートされない時代遅れなまま恣意的な運用をされている法は多々あるが、ここでは関連深いわいせつ物頒布等の罪で考えてみよう。
まあ面倒だからwikipediaとブコメ、ニコニコ大百科を見てほしい。
このへんを読んで俺の言っている問題意識が伝わればいいが。
俺は腐女子文化に興味はないが、最大限尊重され守られるべき文化の一つだとは思っている。こそこそしていてほしくはない。ゾーニングどうするか問題のようなものも、隠れているうちは表現者各自の裁量に委ねられてしまい、不要な負担が表現者にかかってしまうだろう。そういうのは良くない。やり方を洗練させ、法を時代に追いつかせ、社会をより風通しよくしていくには、隠れずに前に出していかないと。
20代後半。
超絶仕事のできない無能営業正社員だが、私生活はめちゃくちゃストイックだと思う。
基本的に、仕事をしていない時間はすべて勉強に捧げている。具体的にはウェブ関連、語学、簿記などだ。
ちょっと意味がわからないと言われそうだが語学に興味が湧いたので通信大学で英語の教員免許まで取った。
正直なところ今の仕事ができるようになるモチベーションは一切合切全くなく、そんな調子なので最早仕事が全然回されないので窓際社員と化しているが、いつかクビになった時の備えに関しては死ぬほどモチベーションが高い。むしろそのときに備えるための人生と言っても過言ではないくらい、大学受験よりもガチでスキル取得のための勉強とストイックすぎるレベルで貯金をしまくっている。実家住みなんでまあ金は貯まる。休みの日に遊んだこととか一回もないな。
だが自分から会社を辞める勇気はないので、早くクビにしてくれないかとすら思う日々だ。というかコミュニケーション能力がガイジレベルでなさすぎて自発的に転職活動とかするの怖すぎるのでとりあえずクビになって誰かに退路をたってほしい。ぶっちゃけこの備えつづけるストイックな生活からとにかく早く解放されたい。だんだん疲れてきた。社会が怖い人が怖い。
外務省のページに書かれているように『国家としてやるとしている事』だし
https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/sdgs/vnr/
社会的責任に関する規格『ISO 26000』はフツーに国際規格である
https://www.iso.org/obp/ui/#iso:std:iso:26000:ed-1:v1:en:term:2.18
ある程度の組織規模感になるとCSRページ作ってるので常識の範疇の話になる
関連増田:国際規格 ISO 26000:社会的責任に関する手引 (anond:20201106141817)
いただいたコメントを受けて過去を冷静に振り返るエントリも書いたんで気になる人は見ていってください。
https://anond.hatelabo.jp/20220116181308
23卒の文学部。マジで日本のキャリア教育も私の周りの人間もとことんなじって泣きたい気分だ。
まず受験を経て中学に入学してから、大学受験は恐ろしいものだという周りの言葉にしたがって、青春を勉強にささげた。
高校生の私は、文学や映画といった芸術が好きで、それを勉強してみたいと思った。
その結果、オープン模試では浪人も含めた受験生で一位になるなど、自分でも本当かよと思う成績を常にとっていた。
そして大学受験。過去最高の点数をたたき出し、狙い通りに宮廷大の文学部に晴れて入学。
入ってからは、サークルに所属することもなく(人と関わるのが面倒くさかった)、変わらず勉強に打ち込む日々。
文学理論の本をあさり、文学作品を読み、レポートを必死に書いた。
アルバイトはしたのだが(ノンバイサーはさすがにやばいかもと思ったので)、結局勉強する時間がなくなったし人と関わるのがしんどかったので半年でやめた。
そして今、就活を始めてやっと気づいた。今の私を求める企業なんかない。
ESに書けることがない。ガクチカで、今まで勉強を一人でしてきました!とは書けない。自己PRで、成績めっちゃいいです!とは言えない。
そこまで頭がいいなら研究者になれば?と思うかもしれない。しかし、私が得意なのは勉強であって、真理を追究しようという強い意志も、狭き門を狙って親の穀潰しを10年以上続けるほどの度胸もない。
もし仮に十年以上穀潰しをやって、博士課程を出たとして、そしてどのポストにもつけなかったら死に向かって一直線だ。
親は私が文学部に進むのをまったく止めず、「せっかくその頭があるんだから好きなことを研究しなさい」と言って送り出してくれた。
小学生の時から中学受験のために塾に入れ、バカ高い私立進学校の学費を払い、ここまで育ててくれた。
ごめんね、ありがとう、でもあなたたちはマジで教育を間違えたよ。私のこの先の人生のことはまったく考えずに、勉強だけさせたらいいと思ってたんだね。
勉強だけしてきただけあって、私の大学での成績はGPA3.6。宮廷でこれなら、かなり上位のはず。
そしてそれを見た親は、ここまで来ても「そんなに頭がいいんだから、人生一度なんだし院に行ったらいいんじゃない」「研究者になったりして!」と言う。
親は分かってないのだ、何にも。文学研究者になって食っていくことの困難なんて。もうすでにその一度の人生を棒に振りかけてんだよ。
仮に文学修士で卒業するとしても、そんなやつどこの誰が雇いたいと思うのか。6年間文学の研究してた人間を雇いたいと思うか?誰でもいやだろ。
これなら、「お前の人生はお前で歩け。後はしらん」と放り投げて知らん顔する親の方がまだよかった。
親の言葉を信じて、親も私の成績の良さが誇らしくて、共依存になっているうちにここまで来てしまった。本当にばかだった。
もう今では、自分は学ぶのが好きだったのかどうかすら自信がない。
勉強する才能は間違いなくあるのだろうが、学問が好きなのかというと分からない。というか、正直多分そこまで好きじゃないし向いてない。
高校までは、勉強さえしていれば褒められる。私は三教科で偏差値80越えの生徒だったから、周りの先生や生徒に、そして親にちやほやされていた。
その実、性格的にはややコミュニケーションに難があり(HSPなのかメンヘラなのか知らんが、常に不安でいっぱいな感じ)、高校生活でも最後は保健室登校みたいになっていたが、それでも注意されることはなかった。
甘えてないで人と接しろと、それがお前の将来のためだからと、そんなことを言ってくれる人はいなかった。
分かっている、悪いのは私だ。一人でできる勉強にばかり逃げて、人と関わろう、向き合おうとしてこなかった。
自分の価値決定を他人に任せてきて、褒められたから自分は生きていていいんだと、そんな風に他人任せで真面目に自分の人生を顧みなかった。
でもさ、でもよ、大学入学までの18年間、ずうっと勉強しては褒められる環境にいた結果、「勉強をしてれば報われるんだ」と考えてしまったのは私だけの責任じゃないはずだ。
思ってしまうのだ、そんな私をつくったのは、親であり教師でありこの社会のシステムのせいでもあるんじゃないのかと。
高校では「勉強していい大学に入れ!」と尻を叩かれつづけ、大学に入ったら「好きにしろ(あと数年で就職だけどね)」と放っておかれる。
最初から言ってくれよ、文学なんか勉強しても社会で何も必要とされないって。
国語が特にできるね、読書が好きなんだね、マイナー映画も好きなの?なら君は文学部で好きなことを勉強しなよ。
いい加減にしろ!そうやって私の将来なんか何も考えることなくおもちゃみたいにして!誰も私の人生のことなんか考えてねえじゃねえか!
私が優れてるのは小手先の成績であって、持っているのは記憶力と心配性であって、研究を続けられるずば抜けた力なんかねえよ。それぐらい見たら分かるだろうが。
初めから言えよ、今までと同じように勉強だけしてても、お前はゴミにしかならなくて生きていけないよって!研究者になれる人なんか一握りだから勉強はもうやめろって!
だれか途中でせめて軌道修正してほしかった、叱ってほしかった、もっと真面目に将来のことを考えろって。今のままじゃ、社会は誰も今のお前を必要としないよって。
今までの人生何だったのか。私が大切に持ち続けていた成績という武器は、もうどこにも通用しない。
もっと人と関わればよかったんだ。いくらそういうのが苦手でも、コミュニケーションで疲れてしまっても、無理してでも普通の大学生活を送ればよかった。
もう涙しか出ませんよ本当に。どこにも行くあてはないよ。キャリセン行っても面接講座行っても涙目で、電車で泣いて変な目で見られたさ。
みんな、親や教師のことなんか信じずに自分の力で歩いてたんだよな。大学の勉強だけやるなんて馬鹿なことはせず、、社会勉強をちゃんとしてたんだよな。偉いわ。
それに比べてなんて私は馬鹿だったんだろう。将来のことを本気で考える頭もなかったんだから、これじゃFラン以下の脳みそだ。
誇れるのは成績だけだった!!てへ!!
あーあ、死にてえw
アドバイスくれた人ありがとうな、こんな読みにくくてルサンチマン爆発の日記にコメントしてくれて。まだ絶望感がやばくてずっと涙が止まらんが、資格、バイト、公務員、学校の推薦、就活対策など、頭冷やして今からでも動こうと思う。あーでもやっぱり辛いな、曲りなりに頑張ってきたつもりだったんだけどな。
追追記
引き続きコメントありがとうございます。他責しつづける幼さや浅はかさ、指示待ち人間なのがそもそもの問題なんだなっていうのがよく理解できた。みんなちゃんと生きててマジすごい。
これから人の良さやすごさを見つけて尊敬できる人間になるべきだと考えたので、自発的に人と出会いに行くところからでしょうか。
あと人格が未発達すぎるというコメントがちらほらあるけど、専門家に行ってみた方がいいレベルなの?俺の怠惰さが原因なだけで修正可能なのか、先天的に問題がありそうなのかわからん。劣化版チャーリイ・ゴードンは嫌だ。