はてなキーワード: 真摯とは
初めまして。この記事を読んで強い衝撃を受けました。記事を読んでいてもたってもいられなくなり、返信するために先ほどはてなに登録してきました。この度、初めて増田へ投稿します。
私も彼女がいたことのない23才の男性です。お気持ちすごく分かります。自分の感じている苦しさを言語化されたようで、正直とても驚くとともに、このように感じている人が他にもいたことに少しほっとするような思いがしました。自己を省みて整理された形で文章にする明晰な思考力、自分の未熟さを反省し改善しようとする謙虚で真摯な態度など、到底私には及ばない優れたところのたくさんある魅力的な方だなと感じます。私が彼女になることはできませんが、身近にいらしたら是非友達になりたいなと思うほどです。
色々と厳しい意見も目につきますが、恋愛に多くを求めすぎないことなど、恋人がいらっしゃる方でも実践できていない人は多くいると思います。とはいえ、寄せられた意見、それに対する返信、どれも私にとっても大変参考になるものでしたし、大いに勇気付けられました。
記事を書いて公開してくださって、本当にありがとうございました。お互い頑張っていきましょう。
どうして彼の真摯さそのものを、それだけで独立した達成であり勝利だと考えることができないのだろうか? なぜわざわざ彼の真摯さは一度恋愛に換金されなくてはならないんだ?
昨日書いた「あなた方は恥を知ったほうがいい」への反応で気になったことがあるので書くわ
(元増田の話とはほぼ関係ないのでツリーにのせないよう参照はしない)
あの文章は実験だと思ってほしい。「この文にあなたはどう反応するか?」という実験だ。
卑怯だ、性格が悪い、と思うかもしれない。でもじつはさほど唐突でもない。あの文はそもそも元増田の文章に対してあなたはどう反応したか、を問い、自省をうながすものだった。つまり趣旨は最初から書かれていた。
それに必要なことだ。僕も含めて僕たちは「自分を顧みる」能力がとても弱い。でもその能力はとても大切だし、その能力の欠如が世の中を悪くしていると僕は感じている。
前の文でもこの文でも一貫して問題にしているのは「あなた」だ。僕じゃない。
でも前の文へのブコメの多くは僕や僕の文へのコメントだった。あれだけ自省を促してたにもかかわらず。まぁ仕方ない。そういうもんだ。人間の多くは自分を顧みるのがとても苦手だ。自分を顧みたくないから、わざと他人の気になるところに目を向けたりする、それも習性だ。
ましてやあんな長文で、あんな強い言葉で、あんな極端な物言いをしていれば、そこに言及したくなるのは人情ってもんだろう。もちろんそうなるだろうなって思って書いた。
そういうノイズを掻い潜って自省に辿りつけた人は凄いと思う。そういう人はなかなか居ない。実はこんなこと言いながら僕も苦手なんだ。自分を顧みるの。だからあなたは凄いと思う。尊敬する。
つまり前の文のテーマは凄く短く言えば「自省」だ。あなたたちに自省を強く促しつつあの手この手で邪魔し、最後にはそれまでの刃を自分に向けて「自省」のポーズも軽く取ってみる。
僕はあれを読む人に、自分の加害性や暴力性について振り返ってみて欲しくて、または振り返る能力が本当にあるか問い直して欲しくて、あの文を書いた。
これをマウントだと思って欲しくない。今自省をできてるか問われてるのはあなたもだけど、僕もなんだ。僕もジャッジの対象だ。
この文に対して、またあなたは「僕について」書こうとしてるかもしれない。でも待ってほしい、それはとっても勿体無い。
僕について、つまり他人について言及したくなる重力からなんとか逃れてほしい。それで、もし前の文や元増田の文にコメントしていたら、自分のコメントを見返してみよう。3回くらい読んでみる。どうだろう?
そこに何か問題は無いか、偏見が入っていないか、誰かを傷付けていないか、今度は僕は線を引かない。自分で引いてみて、どういう線ならアウトで、どういう線ならセーフだろうか。その線が適切かも含めて考えてみる。
こういう自省は今日だけ必要なものじゃない。前の文でも書いた通り、日常のあらゆる場面で自分の言動が誰かを傷付けていたり偏見が入っていないか自分でチェックしてみるのはとても大切だ。
たしかに面倒臭い。そんなことやってられるか、って思うかもしれない。でも、そろそろやらないといけない時代が来てると思う。やろう。
「つまり前の文は、元増田の悩みをダシにして、全然別の目的で実験してた、ってわけ?」って疑問には応えるべきだろう。
そうではない、というのが答えだ。元増田の悩みはよく分かるし、彼が救われてほしいと思う、これは本心だ。
そして彼の苦しみの、遠い原因は、やっぱり多くの人の「自省のできなさ」なんじゃないかと思う。
ではなぜそんなに遠い原因を選ばなければならないのか、その背景には僕側の事情がある。つまり、僕は「彼に彼女をあてがえ」と絶対に言いたくないし、かと言って僕も含めた社会が意識しないうちに植えつけたかもしれない意識で苦しんでる彼に、彼だけに努力を求めるのは間違ってると思う、という事情だ。
この事情により、僕は彼が彼女を得る以外の方法で幸せになる道について考える必要があるし、しかもその方法は彼だけに原因や行動を求める物であってはならない、という複雑な制約がかかる。
その結果、彼以外の者(とくに僕自身)に原因の一端があるのではないか、ということを考えてみる必要があるし、それが「自省」に繋がる。
別にリアルで元増田が僕の知り合いかもしれないって心配してるわけじゃない、でも彼のような悩みを抱えている人は世の中にはいっぱい居るだろうし、僕の周りにもいるかもしれない。だから彼の悩みは僕に無関係ではない。
さて、また長文になってきたぞ。
さっき「長文はわざと」みたいなこと言ってたけど、いや、まぁわざとではあるけど、元々素で長文になりやすい傾向はあるんだよね。その点については本当にゴメン。
恋愛至上主義が今の日本にあるかどうかについて、僕は複雑な立場だ(少なくとも前の文よりは、ね)
今僕は日常で恋愛至上主義みたいな空気をそれほど感じない(少し感じる時もある)、でも学生時代はそれこそ元増田のように苦しんでいたし悩んでいた。
これは時代の経過だとは思わない。ライフスパンの経過だと思う。つまり今、恋愛至上主義に苦しんでいない僕と同時代に、中学生高校生大学生達の一部は恋愛至上主義に苦しんでいるんじゃないかと思う。学生のうちにそういうことに悩むのはまぁよくある話だ。
今苦しんでる彼らも、僕と同じように、いつかマシになるかもしれない。でも、だからといって、今の彼らの苦しみが存在していいものだとは全く思わない。
もちろんこの心配自体推測にすぎないんだけど、でも、たとえば、思い出してほしい、男性の多くは女性がどれだけ痴漢の被害に遭ってるか知らないし、一部は、言われても何かしら理由を付けてそれを無視しようとする。
人間は自分とは違う集団の被害を見くびったり、それを軽視しようとする傾向がある、と僕は思う。僕たちが彼らの苦しみを「大したことない」と思う時、そういう心の動きは果たして働いてないと言えるだろうか? 過去に同じ苦しみを抱えていた僕でさえそれをもう忘れかけている。僕達は彼らの苦しみを知らないし、測ることもできない。
ましてや、遠因として僕も加害者のリストに入っているかもしれない。だから今僕がそれに苦しんでないからと言って、「恋愛至上主義は無い」なんて軽々しく口にはできない。
気付いた人もいたみたいだけど、挑発的な物言いについてはグレタ・トゥーンベリをパロディとまでは行かないけど意識はした。
つまり「自分のコメントを顧みろ」というメッセージに対して、そのメッセージの装い(言い方、書き方、態度、長文である事、等々)に人はどのくらい気を取られるものだろうか? ということ。
最後に、文というものはただ単に読まれるだけの客体物だと思っているかもしれないけど、本当はとても怖いものだ。
それが悪文であるか美文であるかに関わらず、あなたがそれをどう読み、どう反応するか、というのは人によって大きく変わるし、つまり「あなた」が物凄く表れる。
しかもそれは文だけじゃない。いろんな物があなたを見てるし読んでいる。
それを意識して、これからの日常、いろんな場面で、他人ではなく自分自身の言動を見つめ返して欲しい。「本当にこれで良かった?」「何か間違ってない? 傷付けてない?」と問い直し続けてほしい。
あ、書き忘れてたので追記、
前回も今回も何度も問題にした「自省」について、類い稀なる能力を持っているのが元増田だと思う。
1つ目の文から自分の苦しみを詳らかに見つめ直そうとしていたし、2つ目では僕だったら反発したくなるようなコメントにすら真摯に受け止めて「自省」しつつ対応していた。
はっきり言って、上から目線で褒めてる場合じゃないんだよ。僕の見るかぎり、彼の自省能力は僕達あなた達をはるかに凌駕している。少なくとも身の程を知った上で褒めたほうがいい。
そして前にも書いた通り、彼のその能力は決して恋愛に換金されずとも、それ単独で素晴しいものだと僕は思う。
恋愛どうこうという価値観を取り払ったとき、彼は、僕にも、あなたにも、見くびられるべき人間では絶対に無いと思う。
ある意味では、彼の事が「どう見えてしまうか」という事が、その人がどれだけ恋愛至上主義的な価値観を内面化してしまっているかの尺度になるんじゃないかな、と思う。
うんちができない苦しみをうんちしたい(うんち)
https://anond.hatelabo.jp/20191210171417
https://anond.hatelabo.jp/20191213170850
上2つのうんちへのうんちを見てうん然とした、うんちした。あなた方はなんでそんなにうんちを知らないのか、うんちなのか。
まずうんちなのはうんちが「うんち至上主義」のわかりやすいうんちだという事だ。
これからいくつかうんちを引いていこう。うんちの右側は判断をうんち。左側は救いようのないうんちだ、というようなうんちだ。
1つめのうんちは「これがうんちではなくうんちのうんちだと気づいてるかどうか」だ。うんちながら、この時点で多くのうんちが左側にうんち。うんちすぎない? せめてもうちょっとうんちってくれよ。
あなたは1つのうんちの長であり、そのうんちの構成員をしあわせにするのがあなたのうんちだ。
あなたはひとつだけうんちを与えられている。そのうんちにおいて「何がうんち」で「何がうんち」とされ「何がうんち」だとされるか、社会のうんち観だ。これをうんちは動かせる。
うんち観にはいくつかうんち肢があるが、「うんちができる者がうんち」とする「うんち至上主義」はこのうんちにおいてうんち級のうんちをうんちする。なぜならうんちを殖やすうんちの領域にさわれるからだ。うんち強者に他よりもうんちしているといううんち感を与えながら、うんちを殖やすことができる。いわゆるぶっ壊れうんち。「うんち至上主義」は為うんち者にとってこれ以上なくうんちがいいうんち観だと言える。
もちろんデメリットもうんちする。
うんち強者でなければこのうんち観のうんちを得ることはできない。むしろそうでない者は自動的に「うんちった者」のうんちをおされる。(元からうんちっているのではなく、「うんちっていることにされる」事にうんちすべきだ。これは積極的なうんちである)
「うんち至上主義」をうんちする限りうんちのすべてをうんちにすることはできない。必ずうんちを必要とする。
これはそういううんちだ。一部のうんちを積極的に生むことで大きなうんちを回収する。気にすることはない。うんちむのは自分じゃない。一部がうんちんで全体のうんちがうんちるならそれでいいじゃないか。――そう考えるうんちがこのうんちを選ぶ。これはうんちではなくうんちのうんちのうんちだ。
もちろんわかると思うがうんちはこのうんちだ。だからうんちんでる。彼のうんちはうんちが今のうんちである限り絶対にうんちするうんちであり、その存在はうんちだ。
「そんなのはどのうんち観でも同じだろ」と思うかもしれない。もちろんすこしはそういううんちもある。なにかをうんちと位置付けるかぎり自動的にうんちは生まれる。どのうんち観もうんちは生む。ただしうんちはこうしたうんち観をいくつも立てることでこれをうんちする。うんち観Aでうんちの者もうんち観Bでうんちとすることでうんちするというわけだ。
しかしうんちなのは「うんち至上主義」の「うんち」の2文字だ。このうんち観は単に「うんちができる者がうんち」とするだけでなく、むしろ他のうんち観に対する自身の「うんち」を主張する。つまりうんちシステムに落とし込めば、通常は複数選べるうんち観を1つしか選べなくするという強いうんちが「うんち至上主義」には掛かる。ぶっ壊れうんちを考えれば当然のうんちだろう。このうんちのため、うんち至上主義ではうんち観Bによるうんちができない。
まとめよう、「うんち至上主義」はうんち弱者のうんちといううんちを払って大きなうんちを回収するが、加えてうんち以外のうんち観を劣位に置くことでうんち弱者が他のうんち観で苦しみをうんちする逃げうんちをもうんち。そのうんちが元うんちの「すべてがうんちで解決される」といううんちだ。これはうんちであってうんちじゃない。元うんちに「お前のそのうんちがうんちだ」と言った者はうんちを知るべきだ。これはうんち個人がうんち意志で手に入れたうんちじゃなく、うんちが生贄を募集するためにうんち1人1人に植えつけたうんち観のうんちだ。うんちがえるな。
さて、うんちしよう。元うんちにブうんちなりうんちメントなりをうんちった者は自分のうんちを思い出してほしい。
そのうんちはうんちではなくうんち個人にうんちを求めるものではなかっただろうか? うんち個人にうんちを(そしてうんちを)求めるものではなかっただろうか?
この質問に「うんち」と応えられなかった者はうんちだ。うんちの左側へどうぞ。うんちは用意してないから以降ぼーっと突っ立ってそのうんち面を晒し続けてくれ。
(ちなみにうんちしておくが、例えばあなたのコメントにうんちが従った結果うんちができるなりうんちになったとしよう。その場合もうんちだ。思い出してくれ、これはうんちの問題だ。例えうんちがうんち抜けしたところでそのうんちはうんちだけのものじゃない。別のうんちが補充されるだけ。全体のうんちは減らない。うんちはなにもしていない。うんち個人がうんち至上主義から脱うんちしてもうんちが無いことをうんちしよう。うんちされるべきはうんちじゃなくうんち全体だ)
すでにうんちの左側に置かれたうんちもこれからのうんちで更にうんちになるかもしれないから以降もちゃんと読んでくれ。もし以降のうんちで右側に置かれたならひとまず喜んでいいしそのうんちは誇っていい。
さて、うんちの苦しみがうんち至上主義がのさばるかぎり発生を避けられないものであることはうんちした。この程度のうんちは分かってたうんちも結構いるんじゃないかと思う。
ただしうんちしたとてそれを避けられるかは別うんちだ。むしろうんちしても避けられないからこそこうしたうんち観はうんちだし、うんちでもある。
うんち至上主義がうんちを生むと分かってたとしても、それをうんち化せずに居られるうんちは少ない。特にあなたがうんち至上主義によってうんちを得ている既得うんち者なら、なおの事うんちだろう。
うんち個人のうんちの解決がうんちの解決に至らないとしても、うんち個人のうんちを願うのはもちろんうんちだしそれなりに美しくもある。でもそのうんちをまたもや「うんちができる事」によって成し遂げられるとあなたは考えていないだろうか?
うんちで紹介した2番目の「「うんちができない苦しみをうんちしたい」に対するうんち返し」(↓)をあなたは読んだだろうか?
https://anond.hatelabo.jp/20191213170850
↑でうんちは寄せられたうんちに一つ一つ真摯にうんちしている(もっともその痛々しいまでのうんちは彼をうんちにするだろうか? とうんちになるが……)
そしてそれに対するうんちは彼のうんちを賞賛するものが多い。いいうんちだ。しかしそのうんちには反吐が出る。
なんと驚くべきことに彼のうんちが「うんちができる事」に役立つことを願ったりうんちする声が多いのだ。なんだこれは? イカレてるのかあなた方は。
どうして彼のうんちそのものを、それだけで独立したうんちでありうんちだと考えることができないのだろうか? なぜわざわざ彼のうんちは一度うんちに換金されなくてはならないんだ?
あなたは彼のうんちを賞賛しながら、なぜその手元の「うんち至上主義」といううんちを手離すことができないんだろうか?
そのうんちこそが彼をひっぱたき皮膚を裂いた凶器であることを知りながら、そのうんちによって彼がうんちになることを望むのか? それがどれだけうんちな事なのか、本当に分からないうんちか?
まずうんちされるべきは彼のうんち至上主義ではなく、あなたのうんち至上主義なのではないか?
もう一度うんちしよう。「Xがうんち」「Xをもつ者がうんちである」と規定するのが社会のうんち観だ。あなたがたはXに「うんち」なり「うんちができる事」を入れることに抵抗はないようだが(彼のうんちがうんちによって達成されることを望むならそういううんちだろう)、一方で彼のうんちである「うんち」はそれそのものだけではXに入らないと考えているようだ。
当然ながら、そのようなうんち観を持つあなた方が多く住むこのうんちでは「こんなにうんちならうんちもできる/うんちになれる」ことも期待できない。ここではうんちのうんちのされ方・されなさがうんちだからだ。悲しくもあなた方はあなた方のうんちがうんちされる見込みがうんちいことを自分自身でうんちしてしまっている。彼のうんちを願ううんちがどこか他人うんちなのもそのせいだろう。
うんちしよう。あなたのうんちは彼のうんちの根源であるうんち至上主義をうんち化したりうんち化するものでなかったか?
「うんち」と答えられないならうんちの左側へ。
なお、うんちではなく「うんち個人に」「うんちによる幸せ」のためのうんちやうんちを求めた者は2重にうんちだ。頼むから慎んでくれ。あなたはうんちだ。
はじめに紹介したうんちを思い出してほしい。私はあなた方をうんちのプレイヤーにうんちした。その意図がわかるだろうか?
あなたがたがやっているのだ。
あなたが彼のうんちを生み、うんちし、うんちし、うんちて、うんちったうんちを食べる張本人のうんちだ。
うんちをプレイするうちあなた方は気付くだろう、このうんちはオンラインうんちだと。うんちは自分だけじゃない、何億といううんちがこのうんちに接続し、それぞれがこのうんちに期待するうんち観をうんちする。そのうんちとしてうんち至上主義はみなさまのごうんちのおかげでランキングうんち位に輝きました。
そもそもうんち的にどういううんち組みでこのうんち観ランキングは動いているのだろうか?
うんちながら、為うんち者が「うんち至上主義」ボタンをポチっとうんちしたらみんなの脳にうんち至上主義がうんちされる、わけではない。そうではないうんち的なうんち組みがあるはずだ。
そのうんちの中にあなたがいる。
あなたがうんちてうんちきてうんちべてうんちしてうんちいてうんちいてうんちんでうんちてうんちってうんちいて過ごす一つ一つのうんちやうんちが様々にうんちして結びつくうんち系がこのうんちだ。
さて、あなたはうんちだろうか? あなたの好きなあのうんちやあのうんちやあのうんちはうんちだろうか?
うんちだと思った?
だとすればうんちだ。どうしてあなたはあなたがうんちかどうか判定するうんちなりうんちがあると思ったのか、うんちしているとしか思えない。
うんちへのブコメを見てもわかる通り、このうんちにはうんち至上主義をうんち化してしまっているうんちが多い。あなた方は日常の様々なうんちでうんち至上主義をうんちするようなうんちをばら撒き、加うんち者となりながらそれに気付かない。
うんちを付けてほしいのはそういううんちなりうんちは必ずしもうんちの的にならないという事だ。すでにうんちの隅々にうんち至上主義が行き届いてしまっている以上、それはうんちからは「うんちされる」。どころか「うんちされ」すらする。このうんちにおいて批判されないうんちやあるいは賞賛されているうんちですら、実際にはうんち至上主義をばら撒く害毒うんちである可能性は十分にあるといううんちだ。聖うんちは無い。
こうしたうんちは、たとえばうんちニストならば割かし容易く受け入れられると思うんち。日常のうんちや多くのうんちに支持されるうんちが誰かをうんちにして成り立つうんち観を静かに忍び込ませてしまう。そうしたことをうんちニズムはうんちしてきた。
たとえばうんちニズムへの敵対者は、残念ながらその逆のようだ。彼らは心情的にはうんちのようなうんちの味方になりたいのではないかと思うが、彼らのうんちはその方法を提供しない。日常の些細なうんちやうんちによる抑うんちやうんち観の忍び込ませといった話題にうんちで迎え撃つ彼らは、同様にうんち至上主義を忍び込ませるうんちやうんちをうんちしえないのだ。
(もっとも、ここにはうんちがあるかもしれない。全員がうんちではないと。例えばうんちニズムの敵対者が「うんちやうんちによるうんち観のばら撒き」をうんちしているのではなく、そのようなうんち撒きへのうんちの「偏り」をうんちにしている、とうんちするとしたら、それがうんちなら確かにうんちだろう。つまりあるうんち撒きにはそのうんちやうんち性を認めるが、他のうんち撒きには認めない、といううんちを取る人をうんちするという事はあり得るし、実際うんちへのブコメを見るかぎりそうしたうんちを無自覚に持っている(自分のうんち性を自覚できていない)うんちは多そうである。また↑のうんちニストへの期待もうんちが必要な場合もある。彼女らうんちらはうんちコンテンツに対しては厳しいうんちを持っているが、うんちら彼らが賞賛するうんちのうんち至上主義のうんち撒きに対して同じくらい厳しいうんちを持っていると言えるか? と言われると、うーむ、うんちさせてくれ、とならざるを得ないし、うんちよりもうんちテンツへのうんちに偏っていると言われれば、それも自信をもってうんちはできない。そもそもうんち至上主義での既得うんち者もそれなりに抱えるうんちなのだ、その点で不うんちであったり不うんちなうんちも混じっているだろうし、そういう不純物に対する自浄性は多くのうんちが備えていない。とはいえ、その辺りもうんちしてうんちを付けてる人は多いと思う。思いたい(もっとも「自分は気を付けてるからうんちだ」とあなたが思ってるとしたら、あなたはうんちの左側にいる))
さて、うんちしよう。
あなたはあなたがこのうんちでうんち至上主義の蔓延に(従ってうんちの苦しみに)加担している自覚を持ってうんちしたか?
「うんち」と言えないならあなたの居場所はうんちの左側だ。うんちを持ってくれ。お願いだ。
この他にも様々なうんちが引けるだろう。流石に疲れてきたので(本当にいいうんちにしてくれ、せめてもっとうんちになってくれ)このあたりにするが、気が向けばまたうんちを追加するなりするかもしれない。
さて、あなたはいまうんちの右側に居るだろうか? 左側に居るだろうか?
右側に居るうんちはおめうんち。ただしそれは偶然のうんちである事をお忘れなく。今回引いたうんちはあくまで私のうんちの限界に規定されてうんちされている。うんちがまだ思いついていない他のうんちで左側に立たされる可能性はうんちにある。
左側に居るうんちは、あなたはうんちにうんちする前にまず自分のうんちやうんち性をうんちするべきだ。まずはうんちを知るところからはじめるといい。
「こんなに細かいうんちをいちいち言われたらうんちもできないしうんちえないじゃないか」といううんちをあなたが持ったとしたら「今更うんち?」と答えるしかない。現代は過去最高にうんちの線が増えたうんちだ。あなたがうんちする度、あなたは加うんち者である。あなたがうんちをできるためにうんちが気を遣ってあなたを避けてくれる事は無いのだ。
さて、気付いたうんちもいると思うが、これがうんち観のしている事だ。
うんちといううんちを引き、不うんちにもうんちをその右側に置いたり左側に置いたりする。もしもあなたがこれまでの私の言葉にうんちさを感じたとしたら、いや、全くうんち。だから、あなたは、うんちなのだ。
うんちを引くにしてもなるべくうんちになるよううんちを尽くしたつもりだが、うんちしたつもりならうんちとは限らないし、仮にそのうんち引きがうんちだったとしても、そのうんち性が無くなることはうんち。うんち種やうんち別のような理不尽なうんちを選ばないとしても「うんちじゃなくうんち」などという戯うんちはやはり戯うんちでしかないのだ。
頼むからうんちしてくれ、うんちを、加うんち性を、暴うんち性を、知ってくれ。
「うんちうんち」じゃねぇぞ。うんちに言ってるんだようんちに。
真摯に向き合って下さりありがとうございます。
私自身、自分の恋愛の経験だけは絶対に小説に組み込まないと言うルールがあるので書くことが絶望的に難しいです。
自分の負の側面を文字で昇華できるのがきっと、小説を書くに値した人間だと考えます。今の私にはおそらくそれはできません。
もう少し大人になれば、今書けないという苦しみ、誰かに越された悔しさを綴れる気がします。
今は何も考えず、死んだように生きるのが精一杯なのかもしれません。
https://anond.hatelabo.jp/20191210171417
https://anond.hatelabo.jp/20191213170850
上2つの増田へのブコメを見て暗然とした、失望した。あなた方はなんでそんなに恥を知らないのか、愚かなのか。
まず明らかなのは元増田が「恋愛至上主義」のわかりやすい被害者だという事だ。
これからいくつか線を引いていこう。線の右側は判断を保留。左側は救いようのない阿呆だ、というような線だ。
1つめの線は「これが個人ではなく社会の問題だと気づいてるかどうか」だ。残念ながら、この時点で多くの者が左側に置かれる。早すぎない? せめてもうちょっと頑張ってくれよ。
あなたは1つの社会の長であり、その社会の構成員をしあわせにするのがあなたの責務だ。
あなたはひとつだけコントローラーを与えられている。その社会において「何が幸福」で「何が優れている」とされ「何が重要」だとされるか、社会の価値観だ。これをあなたは動かせる。
価値観にはいくつか選択肢があるが、「恋愛ができる者が優れている」とする「恋愛至上主義」はこのゲームにおいてチート級の強さを発揮する。なぜなら市民を殖やす生殖の領域にさわれるからだ。恋愛強者に他よりも優越しているという幸福感を与えながら、市民を殖やすことができる。いわゆるぶっ壊れ性能。「恋愛至上主義」は為政者にとってこれ以上なく都合がいい価値観だと言える。
恋愛強者でなければこの価値観の恩恵を得ることはできない。むしろそうでない者は自動的に「劣った者」の烙印をおされる。(元から劣っているのではなく、「劣っていることにされる」事に注目すべきだ。これは積極的な行為である)
「恋愛至上主義」を採用する限り市民のすべてを幸せにすることはできない。必ず生贄を必要とする。
これはそういう方法だ。一部の苦しみを積極的に生むことで大きなメリットを回収する。気にすることはない。苦しむのは自分じゃない。一部が苦しんで全体の幸福が上がるならそれでいいじゃないか。――そう考えるプレイヤーがこの方法を選ぶ。これは個人ではなく社会の構造の問題だ。
もちろんわかると思うが元増田はこの生贄だ。だから苦しんでる。彼の苦しみは社会が今の社会である限り絶対に必要とする苦しみであり、その存在は必然だ。
「そんなのはどの価値観でも同じだろ」と思うかもしれない。もちろんすこしはそういう側面もある。なにかを優と位置付けるかぎり自動的に劣は生まれる。どの価値観も犠牲は生む。ただし通常はこうした価値観をいくつも立てることでこれをカバーする。価値観Aで劣の者も価値観Bで優とすることでケアするというわけだ。
しかし重要なのは「恋愛至上主義」の「至上」の2文字だ。この価値観は単に「恋愛ができる者が優れている」とするだけでなく、むしろ他の価値観に対する自身の「至上」を主張する。つまりゲームシステムに落とし込めば、通常は複数選べる価値観を1つしか選べなくするという強い制約が「恋愛至上主義」には掛かる。ぶっ壊れ性能を考えれば当然の制約だろう。この制約のため、恋愛至上主義では価値観Bによるケアができない。
まとめよう、「恋愛至上主義」は恋愛弱者の苦しみというコストを払って大きなメリットを回収するが、加えて恋愛以外の価値観を劣位に置くことで恋愛弱者が他の価値観で苦しみを緩和する逃げ道をも奪う。その結果が元増田の「すべてが恋愛で解決される」という盲信だ。これは結果であって原因じゃない。元増田に「お前のその考えが原因だ」と言った者は恥を知るべきだ。これは増田個人が自由意志で手に入れたものじゃなく、社会が生贄を募集するために市民1人1人に植えつけた価値観の結果だ。はきちがえるな。
さて、チェックしよう。元増田にブコメなりコメントなりを送った者は自分のコメントを思い出してほしい。
そのコメントは社会ではなく増田個人に原因を求めるものではなかっただろうか? 増田個人にアクションを(そして責任を)求めるものではなかっただろうか?
この質問に「いいえ」と応えられなかった者はアウトだ。線の左側へどうぞ。椅子は用意してないから以降ぼーっと突っ立ってそのアホ面を晒し続けてくれ。
(ちなみに補足しておくが、例えばあなたのコメントに増田が従った結果彼女ができるなり幸せになったとしよう。その場合もアウトだ。思い出してくれ、これは社会の問題だ。例え増田が一抜けしたところでその苦しみは増田だけのものじゃない。別の生贄が補充されるだけ。全体の苦しみは減らない。あなたはなにもしていない。増田個人が恋愛至上主義から脱却しても意味が無いことを理解しよう。治療されるべきは個人じゃなく社会全体だ)
すでに線の左側に置かれた人もこれからの線で更に左になるかもしれないから以降もちゃんと読んでくれ。もし以降の線で右側に置かれたならひとまず喜んでいいしその部分は誇っていい。
さて、増田の苦しみが恋愛至上主義がのさばるかぎり発生を避けられないものであることは確認した。この程度のことは分かってた人も結構いるんじゃないかと思う。
ただし自覚したとてそれを避けられるかは別問題だ。むしろ自覚しても避けられないからこそこうした価値観は強力だし、卑劣でもある。
恋愛至上主義が犠牲を生むと分かってたとしても、それを内面化せずに居られる人は少ない。特にあなたが恋愛至上主義によって利益を得ている既得権益者なら、なおの事難しいだろう。
増田個人の問題の解決が社会の解決に至らないとしても、増田個人の幸せを願うのはもちろん自由だしそれなりに美しくもある。でもその幸せをまたもや「彼女ができる事」によって成し遂げられるとあなたは考えていないだろうか?
冒頭で紹介した2番目の「「彼女ができない苦しみを整理したい」に対するコメント返し」(↓)をあなたは読んだだろうか?
https://anond.hatelabo.jp/20191213170850
↑で増田は寄せられたコメントに一つ一つ真摯に答えようとしている(もっともその痛々しいまでの従順さは彼を幸せにするだろうか? と心配になるが……)
そしてそれに対するブコメは彼の真摯さを賞賛するものが多い。いいことだ。しかしその内容には反吐が出る。
なんと驚くべきことに彼の真摯さが「彼女ができる事」に役立つことを願ったり期待する声が多いのだ。なんだこれは? イカレてるのかあなた方は。
どうして彼の真摯さそのものを、それだけで独立した達成であり勝利だと考えることができないのだろうか? なぜわざわざ彼の真摯さは一度恋愛に換金されなくてはならないんだ?
あなたは彼の真摯さを賞賛しながら、なぜその手元の「恋愛至上主義」というものさしを手離すことができないんだろうか?
そのものさしこそが彼をひっぱたき皮膚を裂いた凶器であることを知りながら、そのものさしによって彼が幸福になることを望むのか? それがどれだけ残酷な事なのか、本当に分からないのか?
まず解決されるべきは彼の恋愛至上主義ではなく、あなたの恋愛至上主義なのではないか?
もう一度確認しよう。「Xが優れている」「Xをもつ者が幸福である」と規定するのが社会の価値観だ。あなたがたはXに「恋愛」なり「彼女ができる事」を入れることに抵抗はないようだが(彼の幸福が恋愛によって達成されることを望むならそういうことだろう)、一方で彼の美質である「真摯さ」はそれそのものだけではXに入らないと考えているようだ。
当然ながら、そのような価値観を持つあなた方が多く住むこの社会では「こんなに真摯なら彼女もできる/幸福になれる」ことも期待できない。ここでは真摯さの評価のされ方・されなさが問題だからだ。悲しくもあなた方はあなた方の願いが達成される見込みが薄いことを自分自身で証してしまっている。彼の幸せを願うコメントがどこか他人事なのもそのせいだろう。
チェックしよう。あなたのコメントは彼の苦しみの根源である恋愛至上主義を内面化したり強化するものでなかったか?
「いいえ」と答えられないなら線の左側へ。
なお、社会ではなく「彼個人に」「恋愛による幸せ」のためのアクションや原因を求めた者は2重にアウトだ。頼むから慎んでくれ。あなたは有害だ。
はじめに紹介したゲームを思い出してほしい。私はあなた方をゲームのプレイヤーに設定した。その意図がわかるだろうか?
あなたがたがやっているのだ。
あなたが彼の苦しみを生み、加熱し、支持し、育て、成った実を食べる張本人のひとりだ。
ゲームをプレイするうちあなた方は気付くだろう、このゲームはオンラインゲームだと。プレイヤーは自分だけじゃない、何億という人間がこのゲームに接続し、それぞれがこの社会に期待する価値観を送信する。その結果として恋愛至上主義はみなさまのご愛顧のおかげでランキング1位に輝きました。
そもそも具体的にどういう仕組みでこの価値観ランキングは動いているのだろうか?
当然ながら、為政者が「恋愛至上主義」ボタンをポチっと押したらみんなの脳に恋愛至上主義がダウンロードされる、わけではない。そうではない具体的な仕組みがあるはずだ。
その仕組みの中にあなたがいる。
あなたが寝て起きて食べて話して歩いて働いて遊んで観て笑って泣いて過ごす一つ一つの所作や言動が様々に作用して結びつく複雑系がこのランキングだ。
さて、あなたはセーフだろうか? あなたの好きなあのコンテンツやあの人やあの活動はセーフだろうか?
セーフだと思った?
だとすれば異常だ。どうしてあなたはあなたがセーフかどうか判定する能力なり権限があると思ったのか、どうかしているとしか思えない。
増田へのブコメを見てもわかる通り、この社会には恋愛至上主義を内面化してしまっている人間が多い。あなた方は日常の様々な場面で恋愛至上主義を強化するような言動をばら撒き、加害者となりながらそれに気付かない。
気を付けてほしいのはそういう行為なりコンテンツは必ずしも批判の的にならないという事だ。すでに社会の隅々に恋愛至上主義が行き届いてしまっている以上、それは社会からは「許される」。どころか「推奨され」すらする。この社会において批判されない行為やあるいは賞賛されているコンテンツですら、実際には恋愛至上主義をばら撒く害毒である可能性は十分にあるという事だ。聖域は無い。
こうした考えは、たとえばフェミニストならば割かし容易く受け入れられると思う。日常の仕草や多くの人間に支持されるコンテンツが誰かを生贄にして成り立つ価値観を静かに忍び込ませてしまう。そうしたことをフェミニズムは主張してきた。
たとえばフェミニズムへの敵対者は、残念ながらその逆のようだ。彼らは心情的には増田のような人間の味方になりたいのではないかと思うが、彼らの論理はその方法を提供しない。日常の些細な言動やコンテンツによる抑圧や価値観の忍び込ませといった話題に嘲笑で迎え撃つ彼らは、同様に恋愛至上主義を忍び込ませる言動やコンテンツを批判しえないのだ。
(もっとも、ここには反論があるかもしれない。全員がそうではないと。例えばフェミニズムの敵対者が「言動やコンテンツによる価値観のばら撒き」を否定しているのではなく、そのようなばら撒きへの批判の「偏り」を問題にしている、と主張するとしたら、それが本当なら確かにそうだろう。つまりあるばら撒きにはその存在や加害性を認めるが、他のばら撒きには認めない、という態度を取る人を批判するという事はあり得るし、実際増田へのブコメを見るかぎりそうした偏りを無自覚に持っている(自分の加害性を自覚できていない)人は多そうである。また↑のフェミニストへの期待も留保が必要な場合もある。彼女ら彼らはオタクコンテンツに対しては厳しい目を持っているが、彼女ら彼らが賞賛するコンテンツの恋愛至上主義のばら撒きに対して同じくらい厳しい目を持っていると言えるか? と言われると、うーむ、検討させてくれ、とならざるを得ないし、言動よりもコンテンツへの批判に偏っていると言われれば、それも自信をもって反論はできない。そもそも恋愛至上主義での既得権益者もそれなりに抱える集団なのだ、その点で不当であったり不誠実な人間も混じっているだろうし、そういう不純物に対する自浄性は多くの集団が備えていない。とはいえ、その辺りも自覚して気を付けてる人は多いと思う。思いたい(もっとも「自分は気を付けてるから大丈夫だ」とあなたが思ってるとしたら、あなたは線の左側にいる))
さて、チェックしよう。
あなたはあなたがこの社会で恋愛至上主義の蔓延に(従って増田の苦しみに)加担している自覚を持ってコメントしたか?
「いいえ」と言えないならあなたの居場所は線の左側だ。自覚を持ってくれ。お願いだ。
この他にも様々な線が引けるだろう。流石に疲れてきたので(本当にいい加減にしてくれ、せめてもっとマシになってくれ)このあたりにするが、気が向けばまた線を追加するなりするかもしれない。
さて、あなたはいま線の右側に居るだろうか? 左側に居るだろうか?
右側に居る場合はおめでとう。ただしそれは偶然の結果である事をお忘れなく。今回引いた線はあくまで私の能力の限界に規定されて選抜されている。私がまだ思いついていない他の線で左側に立たされる可能性は大いにある。
左側に居る場合は、あなたは他人にコメントする前にまず自分の問題や加害性をどうにかするべきだ。まずは恥を知るところからはじめるといい。
「こんなに細かい事をいちいち言われたら何もできないし言えないじゃないか」という感想をあなたが持ったとしたら「今更気付いたの?」と答えるしかない。現代は過去最高にアウトの線が増えた時代だ。あなたが何かする度、あなたは加害者である。あなたが何かをできるために倫理が気を遣ってあなたを避けてくれる事は無いのだ。
さて、気付いた方もいると思うが、これが価値観のしている事だ。
恋愛という線を引き、不躾にも他人をその右側に置いたり左側に置いたりする。もしもあなたがこれまでの私の言葉に傲慢さを感じたとしたら、いや、全く正しい。だから、あなたは、傲慢なのだ。
線を引くにしてもなるべくフェアになるよう言葉を尽くしたつもりだが、尽くしたつもりなら尽くせるとは限らないし、仮にその線引きがフェアだったとしても、その暴力性が無くなることは無い。人種や性別のような理不尽な線を選ばないとしても「差別じゃなく区別」などという戯言はやはり戯言でしかないのだ。
頼むから自覚してくれ、恥を、加害性を、暴力性を、知ってくれ。
「そうだそうだ」じゃねぇぞ。お前に言ってるんだよお前に。
完全に私怨なのだが誰にも何も言えないのも苦しいのでここに書かせてほしい
同人活動で友達ができたのだがだんだんそいつに対してイライラすることが増えた
切れるなら切りたいがそいつの結婚式に行かなければならなくなって余計気が重い
どの点でイライラするのか自分でももうよく分からないが小さなことの積み重ねの結果のような気がする
同人イベントにサークル参加したときに私の本の上にそいつのカバンを置かれたこととか
一緒にサークル参加したときにペットボトルを私の本の上に置かれたこととか
出会い系アプリを使って彼氏作って結婚することになり結婚できると思わなかった〜と白々と晒していることとか
そいつが他の友達から罵倒されたりブロックされたりして泣いていたのでこちらとしては真摯に応じたのに
何がしたいんだこいつ
会うと自分のはまってることをマシンガントークしてきて私の話は聞いてもらえない(話がないときは気が楽だ)
そいつがお金持ちでおしゃれでランカーだって主張したいのはわかったし
そいつの高校時代の友達にそいつの絵を貶されたのにも関わらずその高校時代の友達の被お気に入り数をすぐに超えちゃったのは
今までのリア友にこんなやつあんまりいなかったからもうどうにかしてくれ
チュプになるらしいので同人オフは卒業〜とか言ってるけど子供が幼稚園くらいになったら
あっさりオタクがえりするに一万票入れたい
お前が散々主張してきた一人前の社会人()ってなんだったんだよ
結局チュプ様かよ
専用ヲチ板までできかかったの今ならわかるわ
お前の性格のせいだもう治らん
もう二度と絵描かないとか言って華々しく()引退したくせに数年したらパソコン買っちゃったってなんなんだよ
もう人のこと見下げて自分の方がすごい自慢するのもいい加減にしろよ
こんなやつと付き合ってきた自分が情けない
人を見る目がなかった自分が情けない
チュプ友とかママ友とか作って自分とはフェードアウトしてほしい
12/12追記
ヤフーニュースとかでタイーホされた人の写真とか見ると「この人30なん?」とか衝撃受けることある。
たまたま写真うつりが悪いだけなのか、わざと意地悪い写真を採用したのか。
まぁそれは置いとくとして、増田の心がときめかないのも分かる気がするよ。
いろいろ経験して、知恵がついたんだと思う。慣れ、ってやつかもしれんな。
どうすればいんだろね。
容姿以外の所を観察してみるとか? 相手の仕草とかマインドとか。
年齢を重ねたからこそ出る味わいっていうものがあるんじゃない? 大抵の人には。
でもこういうのは婚活パーティーぐらいでは伺い知れないことだな。
エンジニア職に就いたあと辞めたポエム の者です。業務終わりにみたら伸びてたので補足がてら。ぼくのいる雪山はまだそんなに積もってないんで16時くらいに閉めるんですよね。空気も美味いよ。暖冬最高。「週休2日しかもフレックス」なんて無いけどな。
はじめて書いた増田で、こういう形で二の句を継ぐなんてダサすぎる気がしますが、少しでも注目を得られたのが意外だったので。きもちは残して晒したい派です(なら実名でやれ)。
ここから先はフィクションです。遠い昔、遥か彼方の銀河系の、たまたま地球に似た惑星の、たまたま日本に似た列島の、とある僻地の物語。
もともとフォークやユニック乗ったりしてた人が途中からエンジニアを志してたらこんなヘソの曲がった駄文ではなく、もっと真摯な文章になってたと思います。自分の場合は逆で、バイトのためにフォーク免許取っただけなので、べつに工場勤務はバックグラウンドではないかなぁと思ってます。あと、1~2年で書ける才能があればよかったのですが、阿呆なので3~4年くらいやってこのレベルです。電工二種は落ちました。あれ受かるの天才じゃない?
ほかの多くのひとも言及してますが、マジでどこにでもある話だと思います。ただ、どこにでもあるはずだしタブーでもないのになぜかあんまり表立って見かけないのでぶん投げました。個人的には「どこにでもある話」と言ってる人にどうやってサバイブしているのか教えて欲しいところです。自分は妥協以前に病んだので駄目でした。
あとこれもよく言及してますが、今読み返したらフェイク1.5割くらい、本質に関係なさそうなのを含めると3割くらいな感じです。経緯っつーか言い訳としては、最初個人ブログに投げるつもりだったのでフォーカスずらしてうっすらとブラーかけてたんですが、客観的にみたときにdisだけで終わりそうになってしまったため、増田にアップしようとしてどうせならと加筆しまくったら文字数制限にひっかかってしまい、最終的にざっくりと削ったり言い換えたりしたのも影響してます。ところどころ日本語がおかしくなっとる(のに頑なに好きなvtuberの箇所は消さないスタイル)。
言葉っつーか界隈で使われがちな単語とかは、この程度ならQiita読んだりTech系ポッドキャスト聞いてると刷り込まれると思います。と、ほぼ未経験元SEが言ってみる。
本文中には敢えて書いてませんが、MTG時に議事録録る役を充てられている人がいました。その人が不在のときに自分に役が回ってきて、書き方はこれまでのやつを参考に、と言われたのでやったことが数回ありました。というか正しい議事録の録り方ってどっかで習えたりするもんなんでしょうか。いいなぁ。
これは指摘されて書き方が間違っていたと気づきました。もともとあったシステム部門を切り出したわけではなく、正確には新しく受注するシステムみたいなのを専門にやるために作った、というのが正しいと思います。うーん、そういわれれば本来そういう部門があったかどうかも怪しいです。どうしてたんだろう。
ほかの方も地域差について言及してますね。べつに場所にこだわりはない(ただし都市圏を除く)ので住むのはどこでもいいんですが、スキルに関してはたぶん過大評価です。ほかの方も能力について言及しているのを見かけますが自分のスキルセットは大したことないと思ってます(といってそもそも実務経験がこれだけなので棚卸しもなにもない)。今回は客観的に技術力を評価してもらいたいというのが主目的で入社したのですが、ご覧の通り結局叶いませんでした。せめて研修くらいあって、テックリード的な役割をしている人がいれば最高なんですが、逆にいうと地方でそんなのほとんどねぇよな〜という印象です。なんのためのインターネット・テクノロジーやねん。
本文にも書きましたが賃金はわりとどうでもよくて、「300万出す」と言われたら「180万でいいんで週休4日にしてくれませんか」てな感じで自分の時間を優先するタイプかもしれません。帰属意識や社会的責任が云々ではなく、単に貧乏性なんだと思います。
外国人たくさんいそうで英語使う機会ありそうだし面白そうだったんで白馬いきたかったです。。。
マジで行きたいですね。べつに場所にこだわりはない(ただし都市圏を除く)ので。バイト期間中にそこらへんの会社のリサーチをしてみます。札幌/仙台/金沢/岡山/福岡以外にどっかありますかね?海外でも火星でもいいけど。
ずっと相互のコミュニケーションが不足してるなぁという思いはありましたし、そこが問題だと思ってました。でもどうすりゃいいか結局わからなかったですね。本文に書いた「ポエム褒め褒め大会」や「全社清掃」も実はレガシーな形での相互理解の場のつもりだったのかもしれません。なんつぅか、互いに童貞・処女みたいな感じでした。童貞に雰囲気なんて作れるわけないよね。。。
自分も大好きで事あるごとに読み返してます。彼のような超天才タイプとは程遠いですが。お気づきのように冒頭の "ここから先はフィクションです" はリスペクトです。
ぼくのはなしは、これでほんとにおしまい。
退職者アドベントカレンダー2019はまだはじまったばかりです。楽しみですね。
宗教家はよく地獄に堕ちる(大抵その基準は我々の予想よりはるかに厳格である)!とか、この宗教を信じる者は救われる!しかし信じなければ救いはない!とかいう文句で人々を脅かし、この宗教を信じるように私達に迫る。彼らは死後の世界についてはたくさんのことを喋る。曰く人は死後、各々の罪を裁かれるとか、地獄には常に業火が燃え盛り亡者を焼いているとか、地獄の苦しみの期間はとてつもなく長いとか、その内容は実に悍ましい。
さて、死後人間がどうなるか。この名状しがたき、しかし確かに存在する「私」は何を経験するのかを科学的に解明することは非常に困難である。しかし私達は実は「生でない状態」は既に経験している。そう、それは産まれる前のことだ。肉体が実在しないという点で、産まれる前と死んだ後はそっくりではないか。そう考えると、死後について想像する上で産まれる前というのは良いヒントなのかもしれない。
しかるに、その生まれる前はどうだったのか、なぜ私は私としてこの世に生を受けたのか、という問いについて宗教家は驚くほど寡黙だ。聖書に記されている創造説はそれに当たるように思えるが、世界の始まりは説明していても、増え続ける人間が誕生以前にどこに居たのかは全く語られていない。強いて言えばこの問いに真摯に向き合っているのは輪廻転生を説く仏教やオルフェウス教くらいのものか。ちなみに仏教によると人間に転生するのはなかなか難しいらしいから、私はこれでも前世で結構徳を積んでいたようだ。
それにしても死後と誕生以前、どちらも不思議で、我々の好奇心を刺激してやまず、そして答えるに難い問題だというのに、なぜこんなにも関心の強さが違うのだろうか。
○ご飯
朝食:なし。昼食:七福丼。夕食:玉ねぎ、人参、ソーセージのコンソメスープ。ロールパン。(ナはメロンパンナのお姉さん、なわけだけどメロンパンナより後に生まれたあのくだりすこ。みーなさんすこ)
○調子
むきゅーはややー。
先週終電帰り多かったのと土曜日もそうだったので、もうフラフラでまっすぐ歩くことすらままならない。
たっぷり寝たけど、今もまだ辛い。明日仕事行きたくないけど、明日は明日で僕がキーマンの大事な仕事があるので行かないとだ……
辛い。
ただ辛いだけで終えるのも嫌なので本を読んだ。とても面白く、いわゆるただただ面白い作品だったので、たまにはネタバレなしに感想書きます、おすすめ。(この前に感想書いた紅蓮館は僕は好きだけどオススメするかは別みたいな話)
これすこ! ぼくこれすこ!
いわゆる「独自設定もの」なんだけど、独自設定がどこまで本格部分に関わるかが綱渡りなのがとても面白い。
当然、序盤の序盤で設定の説明は終えてて、「不当な」後出し設定が出てきて本格部分を台無しにしているわけでは、一切ないのだけど
ないからこそ、中盤、舞台のメインがあそこに変わってからのひっくり返しからは読む手が止まらなかった。
このどこに軸足を置いて推理していくかが変化していくのは、バランス感が難しいと思うのだけど、見事に書ききってて素晴らしい。
独自設定ものというだけでも推理の軸足問題は難しいはずなのに、自分でそれをさらに揺さぶってしまうのは、本格に対してとても真摯な姿勢が感じられて、圧倒された。
この独自設定によるミステリ部分の捻りがかなり良い感じなのに加えて、物語の部分にもこれがめちゃめちゃよくかかってるのが素晴らしい。
タイムトラベルものではベタな終わり方かもだけど、良いものはやっぱり良いっす!
続編を期待させる終わり方なので、是非にこの作者は追って行きたい。ミステリってやっぱ面白いな!!!
27-14まできた。終わりが見えてきたけど、ここはここで難しそうだ。早くまた装備
お前の人生が終わってるのはお前が選ばなかった結果だろ、、やだ素敵男の私でも惚れる。
うらやましいな。私も中学生のときにこれだけ熱くなれる夢がもてていたらな。
ここが例え増田であろうと、この学生の熱意を外野よろしくつぶしていい理由にはならない。
ごく一部の絵を仕事にするという狭い狭い狭い穴を狙ってこの学生は文字通り血眼で努力する覚悟がうかがえる。
本当に才能があるなら藝大に行けるという裏付けのない実態を知らない外野に耳を貸さなくていい。
当人だってクソレスがクソほど付くのは想定していただろうけども、ここまで真摯に向き合っていると
既に他の方に厳しいお言葉をいただいたのですが、
私はもう藝大に、そして任天堂に、「魅入られて」しまったのです。
これは呪いです。死ぬまで解けない呪いです。私に残された道は、DEAD or ALIVE. 戦うか死ぬかなのです。
その上で私はやはり目標に向かって全力で走るのを止めないでしょう。
厳しいご指摘ありがとうございます。
そういったお言葉をいただくのは想定していました。
ですが、私はもう藝大に、そして任天堂に、「魅入られて」しまったのです。
これは呪いです。死ぬまで解けない呪いです。私に残された道は、DEAD or ALIVE. 戦うか死ぬかなのです。