はてなキーワード: 最期とは
似たような話
ぶっきらぼうで人付き合いが苦手な爺さんがいて、近所とのコミュニケーションはほとんど婆さんがやっていたが
婆さんが亡くなったとたん、急に爺さんも愛想良く近所に挨拶をし会話をするようになった
婆さんは死の間際まで口下手な爺さんのことを心配しており、独り身となった爺さんもこのままではいけないと一念発起したのだ
程なくして爺さんも亡くなるのだが、最期はやれることをやったという満足感で幸せそうであった
…というのはあくまで爺さん視点、実は近所の人達は「あの爺さん急に話しかけてくるようになってきてキモい」「いちいちおみやげ渡してくるのウザい」とか最初からずっと陰口を叩いていた
私は物忘れがとても酷くて色々忘れちゃうから忘れない様に何度も読み返して記憶に焼き付ける為にメモする
末期癌の父をさっき自宅で皆で看取った
昼間訪問した時はまだ反応があったんだけど0時過ぎぐらいから呼吸がちょっとおかしくなったというので、母から2時に電話が来た
誰も歩いていない真夜中の静かな町を早歩きで向かう
徐々にご飯が食べられなくなって、父は骨と皮でゴツゴツになってしまっていた
総入れ歯だったからごっそりげっそり頬がこけちゃってねちょっと不憫でね
誰も泣き叫ばず静かに看取る真夜中
掌の中で命が消えていく哀しい時間
段々目の焦点が合わなくなって、白目が濁るってのかな?瞬きとかの動きが減っていき、亡くなると体温が失われて肌の色が変わっていくんだね知らなかった
その時を迎えた父は、寝た様に見えた
ぽかんとクチ開けていつものパジャマ着て酔って寝ちゃったみたいに
だけど、違う
腹膜が1mmも動いてない
それを見て、ああもう呼吸をしてないんだなって痛感した
開いた口と閉じた瞼
苦悶さは一切見えない
モルヒネの力で苦しさはなかったみたいだけど、目頭に残ったこの液体は、たぶん父の最期の涙だ
まるで着くの待っててくれたみたいだ
昼間は自力でベッドから起き上がって座る位置直したり動いたりしてたって言ってから、今夜逝こうと決めたのかな?
それぐらい不思議な早さだった
末期がんの診断出て2年
思っていたよりも長く父は生きた
その後抗がん剤で髪が抜けてしまって、でも抗がん剤止めたら髪が生えて生命力すごいなーなんて言ってて
末期がんって判ってから仕事辞めて家にいる事になった父は家具作りやスマホや家事や料理を始めた
引っ越したばかりの団地の部屋を得意の家具作りであちこち整え、スマホを学んでネットで競馬したりLINEやyoutube視聴やポケモンGOもしだした
炊き込みご飯を勧めたら気に入ったみたいで美味しいのを作る様になったし、カレーも作った
庭いじりが好きな父は四季折々庭を整えられて少し楽しみを持ててたみたい
あとめだか飼いだしたけど上手く育てられなくてすぐ死んじゃうから悲しくなって飼うの止めたって聞いてちょっと辛かった
今回は自宅で看取れたので良かったと思う
祖父の時は病院で心電図モニタありで音が結構辛くてイヤだなって思ってたから今回は無しでいくって聞いてたので良かったと思う
お医者さんも看護師もいない自宅だから、逝こうとする父を皆で静かに見守れて良かったと思う
今コロナで休業期間で家族全員が毎日じっくりゆっくり看取り期間があったから徐々に覚悟が出来た
って母がずっと言っていた
…お父さん
私もありがとうって思ってるよ
朝が来た
真っ白な光の風景
暗かった闇が潮の満ち引きみたいに引いて朝が来た
父がいなくなってから初めての一日が始まる
しっかり務めるよ
一日後に見た父はダブルのスーツ着せてもらえてて安置してもらってた
顔は一日前に見たままだった
胸には花束が載っていた
父が庭で育ててた花で作った花束
ピンクと白の綺麗な花で、ちょうど咲いたんだそうだ
もう一度、声をかける
訃報を送ったら、会社の人とか私の周囲の人達が私が父の面白話をちょこちょこしてたからか、話した事すら忘れてた父との小さなエピソードを覚えててくれて、それが嬉しいねーって話をしたり、孫が父に書いた手紙があったりしたのでそれを見せてもらった
出棺後はお別れの時間がないよと言うので、僅かだけど二人きりにしてもらった
線香をあげてから、頭を撫でる
暖かかった頭
髪の毛は一日前と同じ柔らかでふわふわだったけど、髪の毛の先、皮膚からはすでにドライアイスでかっちこちの冷え冷えの身体
変わっちゃってて、最期に撫でた頭の温もりとのギャップ感がかなり激しかった
斎場へ
先に行った私達から遅れて父と母が車で着いた
車はクラウン
ああ、トヨタなんだ
父はレンタカーはトヨタって決めてるぐらいトヨタに絶対の信頼を置いてたので、ちょっと笑ってしまった
(偶然なのか帰りに捕まえたタクシーもトヨタ製だった。どこまでトヨタ好きなんだ)
白っぽい棺が台車に載せて運ばれてきて、お花を入れてあげてと言われた
ここでも庭から摘んだ花を入れてあげられた
庭いじりが好きで実家も深い山の中の人だから、あっちに行ってもきっと珍しい草木を見つけて育ててるだろうねなんて言いながら皆で父を花で埋めていく
注文してた花と育てた花で棺が埋まっていく
ダブルのスーツをパリッと着て綺麗な花に埋もれた父のその姿は、見ていても不思議と決して不幸な感じはしなかった
余談なんだけど、遠い昔、親戚の葬儀に参加した時、棺に釘を打つ作業があった
知らない親戚だったけどあれは二度とやりたくなかったから、この斎場ではそれがなくって良かったなと思った
粛々とやる事が進んで、やがて焼き場の扉前に棺が運ばれる
みんなで父にお礼を言った
泣きながら 泣き崩れない様に支え合いながら 涙そのままに 既に涙が枯れてたり
各々の別れ方だった
そして、横、縦と閉まっていく扉
その時は終わった
それは死んだ珊瑚みたいで骨に見えなかったし、これが父だったんだとはちょっと思えなかった
物を骨壷に入れて、布巻いて、木箱を母が抱える
ようやく終わったなー。そんな感じ
真夏の様に暑かった昨日とはうって変わって、とても凉しい皐月らしい午後のお別れだった
三週間前ホスピスに入院になったけど、何とか実家に戻ってきた父
整えてなかった実家の不便な所のビフォーアフターを済ませ(DIY好きの父なのであちこち整えてった)、身の回りの物の整理や、搬出搬送しやすい様に動線の整理も済ませ、亡くなる3日前、栄養のない点滴に自分の意識で切り替えたとも聞いた
二年半、末期がんの父を皆で思い思いに看病をし、逝くまでを皆で見られた事
祖父の時出来なかった事を全て出来たと思う
言い方悪いけど、母の時にまたやる事になるだろうから、その覚悟も出来たと思う
私もこんな風に逝けたらいいと思えた葬儀でした
モルヒネで意識が混濁してた父ですが、最期には目があって何度かアイコンタクトを交わせたのですが、その眼差しと動きには心残りや苦痛な感じは一切見受けられなかったので、悔い無かった様に感じられました
最近、麻薬のような強い麻酔薬を入れないと痛みをごまかせない段階に至った。祖母は81歳だが全くボケておらず、マスクをしたまま面会しても三人の娘と五人の孫を識別できるし、冗談を飛ばす余裕もあった(ただ面会後は丸一日寝てしまっていたようなのでやはり疲れさせてはしまったようだが)
けれど、投与を始めてからは話しかけてもああとかううとか唸る程度で殆ど反応を示さず、会話もできず、指一本も動かせず、自力で寝返りを打つこともできなくなってしまった。ただ、薬が効いている間は目が虚ろなのだが、時折目に光が宿るので、その合間を見ては話しかけたりしていた。
投与を始めてから三日目、看護師さんに歯磨きをしてもらった直後、突然祖母が暴れ出した。本当に、指一本も動かせないような容態だったのに、点滴を外そうと暴れて、「殺して」「早く死なせてくれ」と泣き出した。親戚で必死にとりなして、落ち着く薬を投与してもらい、事なきを得たが、私は無意識のうちに「ごめんなさい」と涙が出てきた。「息をするだけで痛くて苦しいとわかっているのに、おばあちゃんに生きていてほしいがために、苦しさを強いて生かしてごめんなさい」と。
延命治療は家族のエゴだと思う。祖母が好きだから、愛しているから、家族は祖母がどんな姿になっても、一分一秒でも長く生きていてほしいと願って薬を投与して生かそうとする。医者だって、患者を生かすために手を尽くしてくれる。ただ、意識があるのに話すことも体を動かすこともできず、ただ黙って死を待つのは、あまりにも残酷ではないのだろうか。
私は祖母の嘆きを聞いて、もう最期を迎えさせてあげてもいいのではないかと思った。ただ叔母らは、「大丈夫だからね、もう痛いことはしないからね」と祖母をとりなし、薬の投与を続け、まだ自然死をさせてやるつもりらしい。いや、全然大丈夫じゃないじゃん。祖母は薬の投与で再びあまり動かなくなった。けれど、たどたどしく「終わり、終わり」と投げやりに呟いている。親族は相変わらず、祖母の呟きを聞いては涙している。
ただ、早く逝かせてあげるのが祖母にとっての幸いなのではないかと、こんなふうに考えているのは私だけなのかもしれないと思うと、なんだか急に恐ろしくなった。おかしいのは私なのか、親族なのかがわからない。愛しているから生きていてほしいのか、愛しているから解放してやりたいと思うのか。人によるのだろうか。たまたま私の親族が前者の思考だっただけで、世の中には私のように考える人も多いのだろうか。
勿論、祖母のことは好きだ。というより、毎朝毎晩仏壇に手を合わせて念仏を唱え、「ご先祖様助けてやってください、安らかに逝かせてやってください」と一心に祈っている85歳の祖父を想うと、祖父の意思を尊重すべきなのだろう。祖父は、祖母がどんな姿になっても、一分一秒でも長く生きていてほしいのだ。
生きることも難しいが、死ぬことも大変だ。
そもそも、今まで「ミュージカル刀剣乱舞」という作品に対して「刀剣乱舞のキャラクターの服を着た人が歌って踊る」くらいの認識しかなく、むしろ「世界を守るために戦っているのに歌って踊っている場合なのか?」と思っていた。
そんな私が刀剣乱舞ミュージカルを見て楽しめるのか? と訝しながらも、刀ミュガチ勢の友達が薦めてくるのでせっかくだからと見てみることに。
結果、最高。
本来「モノ」であった刀剣が肉体とこころを持ってしまったことで生まれる葛藤、死んでしまった主に再会できたことに喜びながら、でもここに派遣されたということは主の最期を見なければならない、幸せな時間はうたかたの夢であることに気付いている刀剣男士の苦しみ……。歴史の渦に翻弄されながらそれでも『生きた』人たち……(しんどい)。
それと対照的に、第二部や真剣乱舞祭の圧倒的なエンターテイメント性……。キラキラしてる……。あんなにキレキレで踊ってるのになんでめっちゃ歌うまいの?????? 私と同じ生き物ではない。
すっかりファンになってしまった……。「イケメンが歌って踊ってるだけでしょ」とか言っててすいませんでした。靴舐める。
しかも、現在進行形でこのコロナ騒動で翻弄されている受験生の私にとって、特に救われたことが二つあった。
まず一つ目。
現在私の学校は集団授業再開のめどが立っていない。三月一日から授業ができなくなり、そこから一度も授業を受けてない。映像授業もようやく再来週から始まる状態で、できることといえば週に一度だけ配布される課題を黙々とこなすことだけ。私は予備校の映像授業も受けていたのでまだラッキーだったけど、ほんっとに……ほんっとに虚無(でも私の学校はまだしっかり対応してくれてるほうだと思う)。
一日中パソコンで映像授業を受けているのでターゲッティング広告がすべて東進予備校になった。「模試受けませんか?」ってもう受けとるっちゅーねん!!!!!
しかも私、ちょっと変な大学に進学しようとしてるので、予備校の授業を日本史しかとってない。学費クソ高いからこのままじゃ進学できるかもわからんのに毎日毎日日本史を勉強する日々……。
「お前は王族の血を引いてるから」ってわけわからん滅んだ国の文字を勉強させられてる在りし日のムスカ大佐に異様に感情移入してしまう。
読める、読めるぞ!!!!!!!!!!!!!!(クソデカボイス)
文字と戦果の羅列でしかなかった歴史が、ミュージカルのおかげで色づいた。ムスカがあそこであんなに興奮してる気持ちが痛いほどに分かった。だってこれ進研ゼミでやったもん。
「みほとせの部隊が竹千代を保護して最初にするのが『城の修復と日々の記録』ってめっちゃエモいな(家康が征夷大将軍になって最初に行ったのが江戸城の造成と郷帳、国絵図の作成)」
とか、
「結びの響、はじまりの音によってもたらされた変化は、みほとせであれだけの祈りをもってもたらされた泰平の世を塗り替えるものなのかぁ」
とか習った歴史を思い出しながらしみじみできる。む、報われた……。日本史勉強しててよかった。
個人的に、榎本武揚の五稜郭籠城中、榎本が秘蔵していた国際法研究書を「これからの日本に役立つものだ、戦火の灰にしてはいけない。これからの日本に役立ててほしい」となんと敵方である新幕府軍の黒田清隆に送ったエピソードがすごく好きなので、ミュージカルであんなに魅力的な人物にえがかれていて納得しました。そりゃ黒田も感動して助命嘆願するわ……。
黒田清隆、死刑にするべしと言われていた榎本を救うために坊主頭にしたんですよね。敵であった人物にそれだけさせるだけの説得力があった。
しかも、戦火の灰にしてはならない、と言うってことは榎本には五稜郭を戦場にする覚悟があったってことなんですよね。そんな覚悟をさせるだけの土方歳三……流れ星を見つけ流れ星のように生きた男……。
話が脱線した。
でも、それだけミュージカル刀剣乱舞は魅力的でした。最高。日本史勉強しててよかった、って思えてよかった。ありがとう。大学受験はどうなるかわかんないし、志望校に受験できるかわかんないし、高校さえいつ始まるかわかんないけど、それでも日本史を勉強してたから私はこのミュージカルをたくさん楽しめた。
ならいいや!!
二つ目。
運動会はほぼ練習終わってるし、学園祭も夏休み中に劇の練習があるので、夏休みが無いと言われている現状、開催が絶望的。もっと言ったら友達の引退ライブもたぶんできない。
つれ~~~。ほんとならライブハウスを貸し切って、めちゃめちゃモッシュして最高に盛り上がるはずだったのに。
でも!!
ミュージカルを観て、舞台の上にいる誰かの真剣な顔を見てはっとしたり、真剣乱舞祭でキラキラしてる誰かにキャーキャーしたり、なんかそういうので『『青春』』成分を補給できた気がする。
そりゃ、何か月も稽古をして、それが本業の俳優さんと同級生を同列に語るのはとても失礼だけど、でも、二か月も友達としゃべっていない虚無虚無プリンな今の私に一番必要だったのは、友達と一緒にかっこいい誰かにキャーキャー騒げる、そういう他愛ない時間だったのだと痛感した。
もう、ぼろっぼろに泣いてる。アホほど感動している。
私、全然刀剣乱舞知らないんだよ……言っちゃえばミュージカルがほぼ初見なので、キャラクターとしての彼らをあんまり知らない。え、ゲーム内の彼らは歌って踊らないですよね……。刀だもんね……。
のに、刀剣男士が、主を、仲間の刀剣を、歴史を、どれだけ大事に思っているか。
主とともに紡いだ歴史とともに、自身をどれだけ誇りに思っているか、
そして主(審神者さん? とにかく観客席の方たち)がどれだけ刀剣乱舞というコンテンツを愛しているかがビッシビシに伝わってくる。ミュージカル観ただけなのに。素敵なジャンルだ……。
受験終わったら円盤買いますね。年末にはコロナ渦が収束してたくさんの審神者さんたちがまた騒げることを願っています。
最後に昨日「三百年の子守唄」の見どころを友達に聞いたところ、「ファンサのとき良い匂いがした村正」と言われた。
どう味わえと。
毒薬だと思うのだが。
もはや勝ち目のない戦いを、それでも政府は国民に強いるのであれば、せめて武士の情けとして、自決の手段が欲しいと思う。
諸外国は都市封鎖までしているものの、その後の報道を見ても2か月経過しても拡大が止まる兆候は見られない。取りうる最終手段を講じても、状況は悪化しているのが現実である。
これに準ずる国内の対策が功を奏していないのも、日々の報道により明らかである。
https://www.asahi.com/sp/articles/ASN515VJQN51ULBJ00C.html
この状況が1~2年続けば、経済はおろか国家が崩壊するのは自明であり、すなわち人類に勝ち目がない根拠ともいえよう。
あるいは、最期に国家と大企業(の看板)は残るかもしれない、でも庶民は見捨てられるだろう。みんな、もうわかってきているのではないか。
https://news.yahoo.co.jp/articles/a5718f79a834c347c009410079793e873f109f7f
そんな時に必要なのは目先の金などではなく、いつでも辛くなったら自ら人生をリセットできる手段が手元にあるという安心感(?)ではないかと思う。
毒薬だと思うのだが。
もはや勝ち目のない戦いを、それでも政府は国民に強いるのであれば、せめて武士の情けとして、自決の手段が欲しいと思う。
諸外国は都市封鎖までしているものの、その後の報道を見ても2か月経過しても拡大が止まる兆候は見られない。取りうる最終手段を講じても、状況は悪化しているのが現実である。
これに準ずる国内の対策が功を奏していないのも、日々の報道により明らかである。
https://www.asahi.com/sp/articles/ASN515VJQN51ULBJ00C.html
この状況が1~2年続けば、経済はおろか国家が崩壊するのは自明であり、すなわち人類に勝ち目がない根拠ともいえよう。
あるいは、最期に国家と大企業(の看板)は残るかもしれない、でも庶民は見捨てられるだろう。みんな、もうわかってきているのではないか。
そんな時に必要なのは目先の金などではなく、いつでも辛くなったら自ら人生をリセットできる手段が手元にあるという安心感(?)ではないかと思う。
いびきがうるさい(呼吸止まる)から同じ布団は無理、睡眠外来行くまで分かれて寝る!と怒ったところ「なんで一緒に寝てくれないんだ」との反論をいただいた。
話がループしているわ。
料理得意で常人よりよく食べ、噛まずに飲み込み、布団でゴロゴロしながらゲームをし、ジムは自粛だから運動はしない。
「足べったりつくよりかかとからついたほうが静かだよ」と言ったけど足音すごい。ゴジラ。
リングフィットで遊んだりゆっくり噛んで食べてみせる姿も全てスルー。しかし一緒に寝てくれとの要求。
私は知っているぞ。旅行に行ったら「ホテルはエッチするところだから」と言って明け方にこっそり私の身体ベロベロしてたの知ってるぞ。拒否の意を込めて蹴り返したのに「気づいてない〜」とか言ってたの知ってるぞ。世の中の異性がすべて自分のタイプになってるわけないだろ。
その上で私に「性欲がない」とか断定形で言うのやめろ。あっても垂れ流さないから。
一緒に暮らしたり出かけたり他愛無い話をするのはいい。服がくさいのもまあ許す。代わりにミントぶちこむ。
都合の悪いことでもちょっとくらい聞いてくれ。死んでほしくないから。でも聞いてくれないなら、その時はあるがままにして最期は看取るしかない。
それまではどうすりゃいい。
自分のよくないところもあるにはあって、人に触られることがとても苦手だ。仕事で人の手を取らなきゃならない時は我慢できるけど、家族とも昔ほど触れ合うことはできない。なんなら仕事先で一度ベタベタしてきた人に裏拳を浴びせてしまうくらいには…(もちろんきちんと謝った。申し訳ないことに、影響はなかったです)
毒薬だと思うのだが。
もはや勝ち目のない戦いを、それでも政府は国民に強いるのであれば、せめて武士の情けとして、自決の手段が欲しいと思う。
諸外国は都市封鎖までしているものの、その後の報道を見ても2か月経過しても拡大が止まる兆候は見られない。取りうる最終手段を講じても、状況は悪化しているのが現実である。
これに準ずる国内の対策が功を奏していないのも、日々の報道により明らかである。
この状況が1~2年続けば、経済はおろか国家が崩壊するのは自明であり、すなわち人類に勝ち目がない根拠ともいえよう。
あるいは、最期に国家と大企業(の看板)は残るかもしれない、でも庶民は見捨てられるだろう。みんな、もうわかってきているのではないか。
そんな時に必要なのは目先の金などではなく、いつでも辛くなったら自ら人生をリセットできる手段が手元にあるという安心感(?)ではないかと思う。
毒薬だと思うのだが。
もはや勝ち目のない戦いを、それでも政府は国民に強いるのであれば、せめて武士の情けとして、自決の手段が欲しいと思う。
諸外国は都市封鎖までしているものの、その後の報道を見ても1か月経過しても拡大が止まる兆候は見られない。取りうる最終手段を講じても、状況は悪化しているのが現実である。
この状況が1~2年続けば、経済はおろか国家が崩壊するのは自明であり、すなわち人類に勝ち目がない根拠ともいえよう。
最期に国家と大企業(の看板)は残るかもしれない、でも庶民は見捨てられるだろう。みんな、もうわかってきているのではないか。
そんな時に必要なのは目先の金などではなく、いつでも辛くなったら自ら人生をリセットできる手段が手元にあるという安心感(?)ではないかと思う。
居住地は伏せますが感染者数が3桁に達するレベルで感染が拡大している県です。大学病院ではありませんが、県内屈指の症例数を誇る3次救急指定の総合病院です。私の勤める病棟は一般内科、呼吸器内科が主ですが一類感染症にも対応できる陰圧室を有する感染症病棟でもあります。現在は新型コロナウイルス感染症(COVID-19)専用病棟として運用されており、入院しているのは陽性が確定した患者と、感染が疑われる患者です。病床数は40床程度ですがそのほとんどが埋まっています。はじめは陽性の患者は陰圧のかかる個室で管理していたのですが、すぐに個室は埋まり、現在は大部屋で管理しています。一般病床ですので陰圧はかかりません。病院の構造上病棟そのものを閉鎖空間にすることもできず、病棟の入り口にポールを立て出入りを制限しているのみです。すぐ隣の病棟には癌で化学療法を受けている免疫の低下した患者が大勢入院しています。院内感染が起こると危険な状況です。
PPE(個人防護用具)の不足についてはメディアで報道されているとおり危機的な在庫状況です。陽性患者が療養されている空間(レッドゾーン)に入る際には、私たちはマスク、ガウン、手袋、キャップ、フェイスシールドを装着します。このうちマスクは一般的なサージカルマスクではなく、今や皆さんご存知のN95という空気感染にも対応できる特殊なマスクを使用します。通常であればこれは患者毎に使い捨てるものですが、1日に1個まで使用が制限されています。新型コロナウイルスが発生する以前は、N95を使用する機会はほとんど無く、たまに入院してくる結核患者の対応で使用する程度で院内に在庫は豊富にあったのですが、あっという間に品薄になってしまいました。ガウンとフェイスシールドに至っては在庫が底をついてしまったので、自家製のものを使用しています。ゴミ袋で作ったガウンとクリアファイルを切り抜いたフェイスシールドで、看護助手さんが毎日せっせと作ってくれています。PPEも満足に揃わない状況で患者の対応をするのは不安でありますが、あるもので何とかしなければならないと割り切って仕事をしています。院内感染が全国的に多発しており問題となっていますが、私の病院でもいつ職員から感染者が出てもおかしくない状況と言えます。余談ですが看護助手さんの存在なくして、私たち看護師は満足に働くことはできません。もちろん陽性患者に直接接することはありませんが、彼らも立派な医療従事者です。危険手当も感染した場合の補償もないにもかかわらず、文句一つ言わず働いてくれています。ちなみに私たち看護師はありがたいことに1日あたり300円の危険手当がついています。
入院している患者の大多数は軽症患者です。味覚・嗅覚障害のみで発熱もなく元気な方もいますし、呼吸器症状のある方でも酸素投与までは必要としない方が大半です。入院治療を必要としない軽症患者をホテルなどの宿泊施設に移送するといプロジェクトが本県でも始まってはいますが、手続き上の細々としたことで難航しており、あまり上手くいっていない印象です。
当然ですが重症化する方もそれなりにいて、数名の方は病棟で人工呼吸器につながれています。今のところ人工呼吸器が足りないという話は聞きませんが、今後の状況次第では不足する可能性は十分にありそうです。人呼吸器につないでも呼吸状態が改善されない場合は、亡くなった志村けんさんも使用していたと言われるECMO(体外式膜型人工肺)を回したりします。ECMOは一般病棟では到底管理できないのでその時点でICU(集中治療室)に移します。ICUで勤務する同僚に聞いたところでは、残念ながらECMOまで稼働させて持ち直した症例は少ないとのことです。脳出血などの重篤な合併症を引き起こして亡くなるケースも少なくない印象です。
また、新型コロナウイルス感染症では腎機能障害を併発する方が多く、腎機能低下が著しい場合はCHDF(持続緩徐式血液濾過透析)といって特殊なポンプを用いて24時間血液浄化する場合がありますが、この回路が血液凝固でよく詰まります。そのため24時間MEさん(臨床工学技士)が常駐しており、回路が詰まるたびに対応してもらっています。人工呼吸器、ECMO、CHDFなどの医療機器の稼働率が高くなっている状況において、MEさんの疲労は半端なくピークに達しつつあるのが表情から察することができます。人員が少ない分看護師以上に過酷な労働環境でしょう。
看護師は誰でもそうだと思いますが、看護学生時代から幾度となく、看護はベッドサイドからと教えられます。私も患者の側にいてこそ看護師であると日々思いながら仕事をしてきましたが、今はいかにベッドサイドに行かずに済ますか考えなければなりません。軽症な方の食事は部屋の前に配膳しておき自分で取りに来てもらいます。検温もナースステーションから電話で声掛けし、自分で測ってもらいます。隔離されている患者の不安やストレスは相当なものだと思います。特に高齢の患者の場合は隔離による悪影響は計り知れません。ベッド上で過ごす時間が1日のほとんどを占めるようになると、あっという間に歩けなくなり認知機能も落ちてしまいます。せん妄と言って見当識障害を引き起こしたり、不穏になる方も出てきます。できることなら側で話を聞いてあげたいし、世間話でもして気を紛らわしてあげたいのですが、患者との接触は最小限にするようにICT(感染対策チーム)に強く言われています。看護師の一人でも感染するとかなりの数のスタッフが出勤停止となり、医療崩壊を招きかねませんので当然ではありますが、今まで自分が看護と考えていたことと間逆な対応余儀なくされていることへのジレンマは常に感じています。
私も何例か立ち会いましたが、この感染症の患者の最期はとても悲惨です。家族に看取られることもなく、防護服をつけた医療従事者に囲まれながら一人で死んでいかなければなりません。通常ですと医師により死亡確認がされたあと、看護師によりエンゼルケアといって清拭をしたり軽く化粧をしたりするのですが、本線感染症の場合エンゼルケアも感染のリスクを高めるため避けるべしという病院の方針により、亡くなったそのままの状態で納体袋に収めることになっています。納体袋は2重になっており内側はビニールシートのような材質で中が透けてみえるようになっています。遺族は患者が亡くなったあと窓越しではありますが、ビニールで密閉された患者に対面することが許されています。変わり果てた患者の姿に絶句し、無念さに涙する家族の顔が焼き付いて離れません。つかの間の再会のあと、分厚いブルーシートのような素材の外袋で密閉し火葬場に直行し荼毘に付されます。とても非情で残酷ではありますが遺体からの感染も懸念されることから、仕方のないことだと自分を納得させています。
スタッフの中には自身が感染するという不安や恐怖のため、メンタル的にやられている方もいます。小さなお子さんがいる方は特に神経質になっているようです。そのような方は他の病棟に異動させるなど配慮をしてほしいものですが、スタッフの数が不足している状況でなかなか声を上げにくい環境ではあります。医療者差別については個人的には経験がありませんが(両親には実家に帰ってくるなと言われてはいますが)、差別的な言動や対応を受けたスタッフも実際にいるようです。そのようなことがあると仕事に対するモチベーションが下がりますが、ほとんどの医療スタッフは普段どおり淡々と仕事をしています。仕事柄ストレスに対する耐性が高い人が多いこともありますが、このような感染症の流行に備えて日頃から訓練を積んでいますし、覚悟もできています。医療現場が忙しいのはコロナ以前からですし、このような状況だからこそ冗談を言い合いながら笑って仕事をして、むしろ病棟の結束力は以前より増しているように思います。これに関しては人間関係に恵まれた職場で働けていることに感謝しています。
新型コロナウイルスの流行がいつ終息するか、それは誰にもわかりません。メディアではコメンテイターや医学博士といった肩書の方が様々な持論を述べていますが、第一線で患者の治療にあたる医師たちはわからないという事実に対してとても誠実です。すくなくとも年単位は覚悟しなければならないだろうというのが現場の共通認識です。国民の大多数が感染し集団免疫を獲得するかワクチンが開発されるまでこのウイルスが影を潜めることはおそらくないのでしょう。ワクチンについては、すでに感染している患者に治験薬を投与するのとは違い、健康な人に接種するのですから段階的なフェーズを踏んで安全性と有効性を確認しなければなりません。開発にはそれなりの時間がかかることが予想されます。自粛生活がいつまで続くのか、先行きの見えない不安やストレスを抱えながら生活するのは気が滅入りますが、いつか終息すると信じて耐えるしかないのでしょう。
末期がんの父
要体が良くなくて栄養不足で明日からホスピスに入院になっちゃった
しばらく顔見せられないアンド見られないから、顔見せに来てって母に言われた
なので可愛い格好ですぐ行ってやった
まだメイク落としてなかったやったね
こういう時実家徒歩5分で良かった
着いて早々
「最後に顔を見られて良かった」
とかのたまいやがった
バカ親父め、人の顔見て泣くな失礼だぞ
そういうセリフは可愛いヒロインとかが最期に恋人言うやつじゃん
最後に見るのが泣き顔じゃイヤだろうなーと思ってあえて平静にいつも通り接してやった
あと素知らぬ振りで、実家に帰ってくるんでしょ?って言ってやった
病院で面会出来ないんなら院外ですればいいじゃん点滴スティック連れてって明るく提案してやった!
…もう少し生きてもらいたいな
無口というわけでもなく寡黙といわけでもなく、ただ、あまり自分から言葉を発しない祖父のことは嫌いではない。けど好きでもない。
基本的に、毎年お正月にしか会わないし、「女の子なんだから」と祖母の料理を手伝うよう叱られたこともある。言われてすぐは「兄弟は何もしなくていいのになんで自分だけ」と腹が立ったが、昔気質なんだな、と思えばなんてことはない。祖母も「おじいちゃんに言われたの?ごめんね、ありがとう」と苦笑していたから、やはりそういう人なんだろう。
これといった思い出があるわけでもなく、会話もあまりない。「元気してたか?」と聞かれ、「うん、元気だったよ」で会話が終わってしまうような関係だ。
一緒にお屠蘇を飲んで、お節を食べて、お雑煮を食べて、こたつでのんびり過ごしている間、「これ食べるか?」「寒くないか?」と聞かれ、「うん」「大丈夫」と答える。
本当に、それぐらいの会話だけだ。もっと小さい頃はどうだったんだろうと記憶を掘り起こしてみたが、多分あまり変わらないかもしれない。
そんな祖父が亡くなった。悲しいとも淋しいともあまり感じなかった。ただ、父は大丈夫だろうかと、伯父は大丈夫だろうかと思っただけだった。
数年前に倒れてから一気に衰弱してしまった祖父は施設にお願いしていた。正月だけは家に帰って、私を含めた孫を出迎える。
衰弱だけでなく痴呆も進んでしまっていたから、忘れられていたかもしれない。
誰かが新年の挨拶に顔を出しに来るとその度に「○○来たよ」「ほら、△△だよ」とみんなで声をかけたが小さく頷くだけで、理解していたのか分からない。
嚥下能力が衰えたからお節を一緒に食べることも出来ず、大好きな日本酒を飲むことも出来ない。それでも、たくさんの料理が並ぶテーブルを一緒に囲んで正月を過ごしていた。
一昨々年が最期になった。
去年、祖父母が喪中だった。今年は行くのが夕方近くになってしまい、会えなかった。
久々に会った祖父は、ひどく痩せこけていて、こんな顔だっただろうか、と違和感しかなかった。
嫌いではないけど、「おじいちゃんのこと好きだよ」と屈託なく言えるような感情もなく、触れ合いもない。
葬儀の最中に涙が滲むこともなく、「おばあちゃんは一人ぼっちになってしまうのか」「伯父や父たちは大丈夫だろうか」と、ただぼんやり考えていた。
一通りのことが終わって一息ついたけれど、やはりこれといった感慨も何もなかった。
いつも通り出社して、いつも通り仕事をして、いつも通り昼食を食べる。いつもと同じだった。それなのに、昼食を食べ終え休憩室でのんびりしていたら、急に涙が溢れ出てきた。
「おじいちゃんは亡くなったんだ」と、何をしていたわけでもないのに、なぜだか唐突に悲しくなった。訳も分からず休憩室でひとり泣きながら、「元気してたか?」と目を細めて笑う祖父や、「これ食べるか?」と私が小さい頃から好きな料理を差し出し、「寒くないか?」とこたつの設定温度を上げる祖父を思い出した。
優しい人だったのだ。
もっとたくさん話せば良かった。