はてなキーワード: 幹部とは
ある趣味のサークルに入っていて、毎月のように作品を提出する必要があり、それを皆の見ている前でプロの先生に講評されるという日々を送っている。
一見そんなに大変なことに見えないかも知れないが、熱心な人は休みのすべてを注ぎ込んでいるんじゃないかという勢いであちこちに出かけ、作品のストックを作っている。だいたいつでも納得の作品ができるわけではないので、こだわりの強い人ほどお金と手間をかけることになる。
が、やっぱりそういう努力をしている人はどんどん腕が上がっていき、「趣味なんだからほどほどにやればいいじゃん」という緩い感覚で活動している私とはレベルの差がどんどん広がっていく。
おかげで最近全然先生に作品をほめてもらえない私は活動がつまらなくなりつつあるが、ちっぽけな肩書きがあって毎回やらないといけない仕事があるので、参加しないわけにいかない。幹部に「最近活動に熱意が持てない」と言ってサークルを辞めることも可能だけど、ただでさえ友達やプライベートの予定が少ないのにこのサークルを辞めるのは私生活に対するダメージが大きすぎる。
趣味なんだから、日々の仕事や生活に支障のない範囲でやれば良いはずなんだけど、上級者たちの取り組み方はどうやって家事やその他の雑事をこなす時間を捻出しているのか理解不能だ。ちなみに私は休みの日に寝過ごすことが多く、家事の要領も悪くて時間がかかるので、趣味に割ける時間が少ない。
家庭もちで家族の面倒をみなくてはいけない人々に比べて百倍自由なはずなのに時間が確保できなくて悲しくなる。あと、あまり完璧主義ではないので、それほど細かいところにこだわらず、雑な部分が残りやすいのでどうしても残念な作品になる。センスの良い努力家たちの作品の完成度の高いこと。毎回集まりのたびに彼らの作品を見て凹んでいる。
何でそんな飯の種にもならないことに情熱を注げるのか分からない。飯の種にならないがゆえに、上司につべこべ言われることもなく、自分の趣味嗜好を発揮できるのが楽しいのかなと思うけど、私はアイディアが貧困で、作品作りにあたって斬新なイメージを持ってアタックすることができないので、さほど欠点のない作品であっても何か面白くない代物になりがちである。
皆のあまりのレベルの高さと熱心さに、趣味が苦行になりつつある。私の作品が平凡だろうがレベルが低かろうが、誰にも迷惑はかからないんだけど、とにかく自分がつらい。他に長続きしている趣味がないので、休みの日にやることがなくなるのもなんだかなぁ…。
10代から20代にかけて、およそ10年間、「実家に放火して親を焼き殺す」計画を立てて過ごしていました。
本気でした。警察の本部に売っている「捜査幹部必携」という専門書も入手して、焼死の際の事件性の有無の判定基準まで学びました。
刑務所には入りたくなかったのです。現代の火災現場検証では油が出火もとであればすぐに反応が出る、例えば首を締めて殺した後に火をつけたとしても、肺の中に煙が入っていない(呼吸をしていないから)ことで事件性はすぐに明らかになる、といった内容が載っていました。難しいな。何回も計画を練り、材料を燃やして検証し、でも、実行には移せずにいました。
物心ついた頃から虐待を受けていました。貧困家庭でした。年収200万円の5人家族。その中には、血の繋がっていない人も何人かいました。
思い出したくもありません。口減らしにと、真夜中の山奥に車で連れて行かれそのまま放置されたこともありました。パチンコ狂いの義父が負けて帰ってきて、私のゲームボーイを取り上げて遊びながら私をサッカーの球に見立ててドリブルしてきたこともありました。
食べ物はありませんでした。砂糖に一滴の水を垂らしてレンジでチンすると水飴になるのでそれを食べていたのですが、バレて砂糖を隠され、近所の猫のカリカリを食べました。あれは不味かったです。ハムスターの餌の方が美味しかったです。植物だとツツジの花がほんのり甘くて美味しいと思います。スミレの花も味が薄いので悪くないです。
ある時のドリブルで腰の骨が折れたことがあります。ベッドで動けない私を見た母親は、髪の毛を掴んで綱引きのように引っ張り、私はベッドから転落させられた末、殴られました。ちょうどお盆のことでした。他の家族は私を置いて旅行に行ってしまいました。私は這いずり回りながら、砂糖を探して食べました。帰ってきた母親に折れた腰のまま土下座をして、ようやく医療機関に連れて行ってもらいました。私の足は今も一部がしびれたままです。
紺色の服と白い服しか持っていませんでした。当時流行していた「ベティーズブルー」といった鮮やかな色の衣料とは無縁で、惨めでした。義父は自分が稼ぎが少ないのが気にくわないのか、常にコンビニ店員やガソリンスタンド店員にタメ口で命令していました。かわいそうな、あわれな大人だなと思いました。
長女でした。何度か「父親」が代わり、下の兄弟が増えていき、一番最初の父親に顔がよく似ている私はことごとく除け者扱いされました。
抱っこされた記憶があまりありません。おかげで、25歳ごろになるまでは、交際した男性にも「触らないで!」と要望していました。なにしろ、ハグの仕方が分からないのです。手を繋ぐのも怖かったのです。
自宅では、他のきょうだいが名前で呼ばれる中、「ゴミ」と呼ばれていました。劣等感の塊でした。小学3年から自殺未遂をしました。
数回やってもなぜか生きています。きっと、覚悟がなかったから死ねないのでしょうけれど。
そんな日々で、唯一自尊心を満たしてくれたのが、学校のテストの点数でした。良い点を取れば、認められる。認められたい。なんでも良いから。なんでも良いから認めて欲しい。だから、狂ったように勉強しました。河合塾主催の模試の上位者ランキングに名前が載りました。トイレでも、お風呂でも、ご飯の最中も勉強していました。
志望校に落ちました。「ちょっとだけ頭がいい方」くらいの、赤本を一度も解いたことがないような滑り止めに進学しました。
その時も本格的に自殺未遂をしましたが、死ねず。その学校に通い始めました。
しかし、なんにせよ、実家から脱出できたのは本当に大きかったです。
都内の家賃4万円のアパートを借りました。保証人欄には、今は行方の知れない実父の名前を書きました。奨学金は容易に掛け持ちできました。機関保証と給付です。アルバイトは3箇所ほど常勤で入り、当時規制がなかった日雇い派遣の案件をこなして生活費に当てていました。
ちなみに4万円のアパート、壁が薄くて、外で住人が階段を上がる音がするたびに、かつて母親がそうやって暴力をふるいにきたときの足音を思い出してしまいしばらくは安眠できませんでした。
もともと家に居場所がなかったため、学校ではずっと社交的で行動的なキャラクターを演じ続けていました。表面的な友達がとにかく多いタイプでした。親友はできませんでした。
それが功を奏してか、大手マスコミの内定を取ることができました。
初任給が、かつて私が育った家庭の2.5倍ほどありました。
5人家族で200万円だったのが、1人で500万円です。
お金の使い方が分からないので貯蓄してばかりですが、ずっと入れなかったファミレスの「ジョナサン」などに行くようになりました。
付き合いの宴席も多く、クレジットカードはあっという間にゴールドになりました。
PTSD。
心的外傷後ストレス障害とも呼ばれるこの病気は、辛かった日々が急に頭の中でフラッシュバックし、同じような苦痛を感じる、というものです。私は毎晩、義父にドリブルされる夢や、母親から階段で突き落とされる夢、10代の私が苦労して貯めたアルバイト代を母親が奪い取って美容整形に行って顔が変わって帰ってきた時の夢、そんなものばかりを見ました。
次第に不眠になり、虐待関連のニュースでも吐き気がするようになりました。マスコミ勤務でそれは困ります。現場では頓服を飲みながらかなり無理をしています。この無理ができなくなった時、私は職と社会的地位を失うと思います。
10代の時は貧しくて憎かった。20代で就職し、富を得ても病気で常に苦しめられた。だから元凶の実家を燃やしたい。ずっと、ずっと思っていました。
「実家を燃やしたい」から「どうでもいい」に変わったのは、最近のことです。
私は発病から5年以上が経過しました。一生病気と付き合って行くと思います。そんな中で、憎しみと怨念を抱きながら暮らして行くのは、もう疲れました。
そう、疲れたんです。
幸いにも今、「あなただから話せる情報なんだけど」と仕事に役立つ情報を提供してくれる人も増えています。結婚はしていませんが(結婚話は、元彼との間で一度でました。親の話などが出てくると、とたんに受け付けなくなってしまって、衝動的に別れを告げました)、結婚もありかな、と少しずつ考えることができるようにもなっています。今の生活を守りたい。それだけ、それだけなのです。
故郷の役場に行って、あの家庭の戸籍から私の名前を抜いて分籍しました。頼る家族はいません。正真正銘、ひとりです。
精神疾患を患った我が身のみが頼りです。
これで、よかったんですよね?
受付嬢ロボット、欧米はNO「ジェンダー偏見助長する」:朝日新聞デジタル
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASL7645G4L76UPQJ006.html
最近、タイミングを合わせたように、海外の3人の識者から同じ指摘を受けた。
「日本のロボット・AI(人工知能)研究開発はジェンダーバイアスを助長している。なぜ社会は問題視しないのか?」
1人目は、EU(欧州連合)の科学技術イノベーションを担当する幹部であり、2人目はスウェーデンの科学技術担当の民間アドバイザーだ。3人目は米スタンフォード大学のシービンガー教授で、「包摂型社会」のための科学技術イノベーションに関する同大学の研究プロジェクトを率いている。
彼らが、ジェンダーバイアスを助長するロボット・AI開発の例としてそろって挙げたのが「受付嬢ロボット」だ。日本では東京オリンピック・パラリンピックを視野に入れて、「おもてなし」ロボットの開発に力を入れている。受付嬢ロボットはその代表で、見た目も声も人間の「受付嬢」にそっくりに作られている。最先端のロボット技術を海外に披露するという意図もあり、国の研究開発機関や大学も開発を競っている。それらには「アメリカやEUでは受け入れがたい」ほどのジェンダーバイアスがある、というのだ。
欧米先進国の識者が指摘する通りで、ジェンダーバイアスに歪められた研究なんぞ産業廃棄物として潰してしまえ、と思う。
いちいち具体例は書かないが、特に人工知能、機械学習、ロボット工学の系列で近年目に余るのがこれ。
ジェンダーバイアスで歪んだ研究成果は、そんなの研究とは認めず、製品やサービスにも一切認めない。
欧米と同じく、日本社会も許さない姿勢を全員で表明したいし、国際社会でも互いに抑止する姿勢を強めていきたい。
個々の企業もGoogleを見習って、セクシズムをまき散らす社員を追い出すべき。
不安なのは、抜け駆けをする国や企業が出るんじゃないかってこと。
結果的に役立つ技術が生まれれば許されるでしょって判断で、これまでは何もかもなし崩しに認められてきた。
軍事利用目的で開発されたインターネットすら、いつの間にか肯定されている。
軍事研究を認めない大学教員の声明文も、どこまで本気か疑わしい。
強制力を持った実践は一国の制度・法律でどうこうなるものじゃなく、国際社会全体で監視するしかないと思う。
ジェンダーバイアスから生まれた研究は研究と認めない、結果生み出された製品もサービスも輸入・輸出を禁止する。
あぁ、まただ。
休日だというのに問答無用で社長がSlackで仕事を頼んでくる。
弊社は社員10人程度の小さなITベンチャー、すでに億単位の資金調達をすませて上場を目指している。
大手企業で働いていた私はこの会社への転職によって年収が500万下がったが、
ストックオプションによって莫大な富を得ることを期待して転職してきた。
しかし、時がたつにつれてそういうモチベーションは薄まってしまった。
一方で社長は前々から「経営者のつもりで働いてほしい」とみんなにしきりに話している。
経営者のつもりで働いてほしいなら株をよこせ。
あなたは自分が大株主だから、24時間365日仕事をしたくなるのは当然でしょ。
会社が成功すれば自分やVCどもに莫大なリターンが入るんだから。
ベンチャーだからと安い給料で働かされ、生株は当然のように全く分けてもらえない。
ストックオプションを配ると話しているが、まだ誰ももらってない。
ってかそれ以前に最終面接で、社長が持っている生株を少し分けてくれるって話してくれたよね。
なのになんだこれwww
こんな状況でも、経営者のつもりになって働けって?
生株もストックオプションも渡さずに、いいように安い給料でこきつかってるだけでしょ。
なんて都合の良い話なんだ。
ベンチャーだからこれが当たり前って社長は思ってるのかもしれないけど、
その話が通用するのは生株やある程度の量のストックオプションをもっている幹部や、
上場準備を始めてたりして上場の可能性が高い会社でのメンバーに限ってだと思う。
よくもそんなことが言えたもんだ。
あんたらの会社の社員をあんたらに都合がよい社畜にしないように強く要望する。
もし社員に経営者のつもりで働いてほしいなら、それに見合うもの(株なのか給料なのか何なのかは考えてほしいが)、
社員にはきちんと差し出すべきだ。それがなければ、私は現在の報酬に見合う仕事しかしない。土日に仕事なんてまっぴらだ。
逆にそれに見合うなにかをもらえるなら、私は24時間365日仕事をし、よき社畜となろう。
ちなみに私は平日は仕事をさっさときりあげ、平日の夜は土日は着々と転職の準備を進めている。
おもしろいことに入信理由が、外国人の場合は、「自分を高めたい」とか「自分の人生を考えたい」とかそういうのが多いのに対し、日本人は圧倒的に「病気を治したい」とか「悩みを解消したい」らしいよ
国民性かね
俺の場合はまあちょっと奇跡的なことがあったから続けているが、ぶっちゃけ他の宗教でもそれはありえるのかもしれないと思うし、人がどの信仰をしても人の自由だと思っている、学会内では異端児である
学会は組織が大きくなりすぎ、教義で教えられることを間違って認識したり、思いよがりでこうだ!と決めつけている人もけっこういる
そしてそういう人がネットでよく聞くトラブルを起こすわけで、まあおおむねは創価の人間はただのまじめな奴が多い
あと変なのが多いという意見には当然だと思う
だって貧乏人や困ってる人に声をかける宗教なのだから、おかしい奴も増えるに決まっている。金がなくても入れる、続けられる宗教なんだから変な奴も入る
それをいかにしてまじめに頑張る奴にしていくかが組織の腕の見せ所ってやつになる
創価は大きくなりすぎて、末端まで目が行き届かず、幹部は真面目くんがなるので、なかなか硬直化している
まあ、公明党の市議会議員と、婦人部の存在はでかいよ。子供が虐めにあって、学校が何もしてくれない、とか、近くの道路が崩れててずっと放置されてる、とか条件が悪くて市営に入れない、とか、議員様に頼めばなんとかなるし、直接会話できるのは強い。
結婚したいなんていおうものなら、大量に女子部の釣書が来るし、女子部も結婚したければ、婦人部に言えば大量の男子部の釣書が来るw
あと聖教新聞いらねとか思ってたが俺みたいに独身一人暮らしだと、新聞溜まってると、大丈夫か、生きてるか、と連絡くるから老人一人暮らしにはいいかもな
麻原彰晃こと松本智津夫の四女・松本聡香さん(仮名)と代理人の滝本太郎弁護士は、死刑の執行だけでなく、教団の解散まで必要と主張されています。
現在、公安調査庁によってオウムの残党と認定されている団体は3つあります。
聡香さんと滝本弁護士は、教団の解散に向けて、どのようなロードマップを描いているのでしょうか?
最終的なオウム解体に向けて、日米政府および国連、内外の有識者たちによる第三者委員会を設立して、十分に協議し、不要な混乱や遺恨を残さないように努めるべきでしょう。
今はインターネットがあり、世界に向けて誰でも自由に情報発信できる時代です。(中国の金盾のように、「言論の自由」が制限されている国もありますが。)
聡香さんと滝本弁護士は、他の日本人からも合意が得られるようにプレゼンテーションを積極的に行ない、解散に向けた支援の輪を広げるべきでしょう。
https://anond.hatelabo.jp/20180710225920
先輩にオウムの麻原学祭(GWにある)にきてあそこのグラウンドで演説してたんやでとか言われたわ
といっても実際に亡くなったのは数年前のことで、彼女がはまっていたものを宗教と言っていいのかも微妙なところだ
誰にも言えなかったことを吐き出そうと思ったら長くなってしまった
私が物心ついたときから母はその手のものが好きだった。インドのヨガマスター?の団体やアーユルヴェーダ、断食などに興味を持ちそのいくつかには私も参加したことがあった。家にはスピリチュアル系自己啓発本が何冊もあった。
私自身幼い頃なので詳しく覚えているわけではないが、彼の教団が形成される段階のうち比較的初期の方に出会っていたようだ。
したがって当初その関わり方はいわゆる信者ではなく弟子のように直接的なもので、なん家族かで彼の家に泊まりに行ったこともあった。彼の子供を含む歳の近いものたちで海に行ったり花火をした思い出もある。ならなぜわざわざ「教祖」と呼ぶのか。それは、母が金をつぎ込んでいたからである。
たとえば彼の家の近くによもぎ蒸し風呂を作りたいという話。これは消防署から許可が降りず、出資した数百万円は水の泡になった。このようなことは何度もあった。母は専業主婦だったため独身時代の貯金、父の収入、そして実家からも借金をしていたようだ。この活動は命に関わる難病と診断されてからより一層激しくなった。
母とその仲間たちは彼に心酔していた。しかし私はそれに従いながらもどこかで疑問に思っていた。これは定かな記憶ではないが、ある日それが高じて母の日記を盗み見たことがある。そこには
「今日は(教祖)先生の夢を見た。膝枕をされている夢だった。これが性夢だろうか。この先より高いレベルに到達したらもっと先の夢が見られると先生はおっしゃっていた」というようなことが書いてあった。耳年増だった私はその意味するところに思い至りすぐに日記を閉じた。
また、母は彼から叱責されたり冷たい態度をとられると泣いて塞ぎ込んだ。私との血縁関係よりも公的なことを優先しなければならないと言った。これはその先生の言う「この世の人のためのこと」を実践するという意味だった。
テレビや市販のお菓子や肉食を避け、引越しをし、出資した。ある女性は中学生の娘を祖父母の元に預けて家を出たと聞いた。合宿では朝昼夜にそれぞれ講義を聞かされた。通話ソフトを通じた先生の講義中は子供たちも会話は許されず、座禅を組みながら聞くことを推奨された。母はこの世の人を救い、それによって救われるらしかった。私もそれを漠然と信じていた。先生の理念を叶えるため事業につとめる母は苦しくも生き生きとしているように見えた。そのころには先生にも頼りにされ、上位幹部的な存在だった。
しかしある日母が死んだ。
死因は不明だが恐らく急性の心筋梗塞か脳梗塞。まだ眠っているような安らかな死顔だった。
先生に電話をかけたら泣いていた。彼の教えは母の、少なくとも物体的な命は救えなかった
母と私は療養のため普段は父と離れて暮らしており、久しぶりに家族全員で過ごしていたときのできごとだった。私はそのまま父の元で生活をはじめ、数年が経った。
その間ずっと私は母に複雑な思いを抱いていた。
私は母のことが大好きだった。母が難病だと知って、もし母が逝ってしまったら私も死のうと思っていたくらいだ。いい母だった。いろいろなことに挑戦させてくれたし、教団を通じて出会った同年代の友人とは今でもとても仲がいい。私の体を心配して、寝る前にはマッサージをしてくれた。病をおして出かけてくれた。強制することなく学問的素養をのばしてくれた。たくさん愛の言葉をかけて抱きしめてくれた。
それでも彼女は不安定で、先生にすがっていて、私よりも世界の方が大事だと言った。世界を救うのと言った。母の温かさに直接触れられなくなってしまってからは、それがフラッシュバックして、日記を忘れられなくて、なにかに引け目を感じたまま生きてきた。
私は生活に不自由したことはないし父にも母にも愛されて育ってきた。母がなくなったことを勘定に入れても恵まれているほうだろう。それなのにそんな気持ちを抱いてしまう自分が嫌だった。
去年の終わりごろ、その先生と会った。母の死以来はじめて話した先生は痩せて酷く弱っているように見えた
彼は涙を流して謝って、母のことを本当に大切に思っていたと言った。私のことも娘のように思っていると言った。そして息子と結婚しないかと持ちかけて、帰っていった。
そしてその一週間後に彼は死んだ。
この日記を書いたのは、その縁談相手から久しぶりに連絡が来たからだ。
彼は彼の信じるものに従って母の忘れ形見の私を守りたいと思っているのだろう。私の価値観とはズレるところがあるが、善き人であるのは確かだ。
気になって彼らの現在の活動を調べてみた。とてもうまくいっているようだった。理念は変わらず、ホームページの表記に宗教色はあるものの、自然派の人をターゲットにした事業で真っ当に成功しているようだった。口コミも不自然でない程度によかった。世界を救えるかはともかく、普通に面白い試みだと思えた。公式Twitterもそこそこ流行りに乗ってた。母のかかげた理想は、思ったほど馬鹿げてもなかったのかも。母の苦労は報われつつあるのかな。
今になって思えば私は母にとって絶対的に一番の存在になりたくて駄々をこねていただけなのかもしれない。彼女は私が求めるほど完璧ではなかったけど、けしてただ弱い人だけのじゃなかった。「この世の人」の中には私や父、母自身も含まれていたのだと気づいたのは最近のことだった。歳をとるごとに母の強さを感じる。
私はきっとその活動には参加しない。でも私自身が大人になりつつあること・その団体の成功を知ったことで哀しい宗教家としての母は死んでいき、先見の明があって優しくて賢い大好きな母の姿をもう一度曇なく信じられるような気がした。そしていつか誰にも恥じずに母の話をしたいと思った。