はてなキーワード: 幹部とは
いや、そんなフンワリしたものはどうでも良いよ。いや、それでもすごいけど、そうじゃなくて。
麻原は最終解脱者だから、空中に浮けるし、仏典にもそう書いてある、とか言ってて、でも空中浮遊は誰も見てないって、えええええー?じゃない?
しかも水中クンバカって修行は弟子にやらせて、それを評価基準にしてたりするんだよ?
なのに、最高位の自分はやらずに済ませるって、すごいよね、逆に。
尊師、ぜひ見本を見せてください!っていう、当たり前の願望を言わせないのって、本当にすごいし、それを言えない幹部たちの無能さよ。
目の前で、超能力が使えると断言してる人が居るのと、とっくに死んだ人の伝説を同列に語るのはなぜ?
あなたは、目の前で空中浮遊ができると言ってる人がいても、そこはスルーして、信仰の中身を重視して、そこに共感できたら、超能力は全く見せてもらえなくて、他の幹部も誰も見た事がなくても、信じられるんだね。
じゃあ、言い方を変えよう。
超能力が売りで、尊師は超能力が使えるから菩薩なんだと宣伝してる団体なのに、幹部ですら誰も見たことないのに、なぜ信じられるのかわからない。
これならどう?
自民党の中堅・若手議員が閣僚や党幹部とくつろぎながら懇談する「赤坂自民亭」が5日夜、衆院赤坂議員宿舎(東京都港区)で開かれ、安倍晋三首相(党総裁)が初めてゲストとして出席した。
会場では、首相の地元・山口の地酒「獺祭(だっさい)」と岸田氏の地元・広島の地酒「賀茂鶴」が振る舞われ、出席者からは「どっちを飲むんだ」などと意味深長な声も出た。
https://www.j-cast.com/assets_c/2018/07/news_20180710154839-thumb-autox380-140709.jpg
実に楽しそうですね。
先日、麻原彰晃(松本智津夫)をはじめとする複数のオウム幹部の死刑が執行された。
それに関して死刑制度の是非がまた論じられるようになっている。
まあ死刑制度については人によって考えがいろいろあるのだろうが、ここでは個人的な考えを纏めたいと思う。
一つは「報復のため」だろう。目には目を歯には歯を、とばかりに、極悪人には死で償ってもらうというものだ。
二つ目は「スカッとするから」だろう。悪い奴、嫌いな奴、憎い奴が殺されるのは気持ちがいい。もし俺が被害者遺族の立場に立ったら、加害者は殺したいほど憎むと思う。
三つめは「犯罪抑止のため」だろう。だが、これには疑問が残る。もし死刑に犯罪抑止効果があるなら、死刑を廃止した国は、死刑廃止後に犯罪数が激増しているはずだ。だが、そのような話を聞いたことがない。これは話半分に考えておくべきだ。
では、死刑反対について話をしよう。死刑反対の理由はいくつかあるが、
一つは「冤罪の可能性がある」だろう。冤罪の人間を殺してしまっては取り返しがつかない。もっとも、これは冤罪そのものの問題だし、殺さなければいいというものではない。そして、冤罪でないことが明らかな相手には無関係な話だ。
二つ目は「人を殺してはいけない」に説得力がなくなる点にある。国は市民に殺人を禁止しているのに、国が殺人を行うのが許容されるのは、明らかに矛盾している。という理屈だ。「正式な手続きに則っているのだから良い」という意見もあるが、その「正式な手続きを経れば殺人が許容される」という考えがおかしいと批判されているのだから、ここは平行線だ。
さて、死刑反対の話を出すと「欧米ではテロリストを射殺することが多々あるが、現行犯を射殺するのはいいのか」という意見がたまに見られる。
断言するが、このケースは許される。
こういうことを書くと「人を殺してはいけないんじゃねーのかよ」と言われそうだが、これには例外がある。それは「現在進行形で他者の生命や安全が脅かされているとき」だ。
これは正当防衛の論理と全く同根だ。もしあなたの家に刃物を持った強盗が押しかけてきたとして、その強盗に反撃して殺してしまっても、基本的には正当防衛が適用される。
だが、この強盗をひっとらえ、手足を拘束し、身動きを取れないようにするなど、無力化した場合はどうか。相手が自分を殺しに来るような悪人であっても、無力化された人間を殺したり、危害を加えるのは(情状酌量の余地はあるにしても)許容されない。
これが死刑反対三つ目の理由であり、そして最も重要なロジックだ。
「無力化された人間は、いかなる理由があろうと殺してはいけない」
逮捕され、拘束され、刑務所に入れられた人間は、明らかに「無力化された人間」に他ならない。だから、そのような人間を殺すのは許されない。
一方、逮捕されてもいない、武装した強盗やテロリストは、いつ人を殺すか、危害を加えるかわからない。「無力化されていない、かつ他者の生命を脅かしている存在」だからこそ、逮捕せずに射殺が許される。
さて、死刑に賛成の人間が、これに太刀打ちできるロジックを立てられるかというと、不可能だ。だが、死刑賛成はロジックでするものではない。
死刑を望む理由は二種類ある。「悪い奴は殺されるべき」「極悪人を許せない」という義憤や正義感と「悪い奴を、嫌いな奴を殺したい」という欲望だ。
どちらも人類が持つ感情として普遍的なものであり、この感情を否定するのは絶対に不可能だ。
なぜ死刑が肯定されうるか、それは人類にとって普遍的、かつ自然な感情に訴えかけているからだ。
ここまで並べればわかるだろうが、死刑反対派と死刑賛成派は決して交わりえない。
実名でやっているブログもツイッターもあるのだが、そこで書くと炎上しそうで怖いため、増田で書くチキン野郎です、どうもすいません。
さて、まずはこのまとめ。
https://togetter.com/li/1244367
ブコメでは江川さんを称賛する声が多い。だが、正直に言えば、麻原の処遇に関して江川さんはわりと冷静さを失う感じがする。
そもそも、精神鑑定に関していえば、「行われていない」というデマが流れているというよりも、「まともな精神鑑定が行われていない」という疑問を呈している人のほうが多いのではないだろうか。
麻原の精神鑑定については、西山詮医師による鑑定が行われ、「訴訟能力あり」ということになっている。しかし、その一方で、正式な鑑定ではないものの、複数の精神科医が面談の結果、訴訟能力なしと主張している事実はある。
(参考)
https://diamond.jp/articles/-/8876?page=2
https://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/63db65c218a5ee890796ceededb22c87
上記以外で仄聞するエピソードと併せて考えると、麻原の精神が拘禁によって崩壊したのはたぶん事実なのだろうとは思う。「詐病」と判断するには無理がありすぎる。
だが、麻原の精神が崩壊したということになると、とても困る人がいる。それは特定の誰かというより、日本という国家そのものなのだろうと思う。
もし仮に、麻原が「心神喪失」状態に陥ったことを認めてしまうと、法律的に彼の裁判や処罰が難しくなってしまうからだ。
(参考)
刑事訴訟法314条
「被告人が心神喪失の状態に在るときは、検察官及び弁護人の意見を聴き、決定で、その状態の続いている間公判手続を停止しなければならない。但し、無罪、免訴、刑の免除又は公訴棄却の裁判をすべきことが明らかな場合には、被告人の出頭を待たないで、直ちにその裁判をすることができる。」
だが、言うまでもなく、麻原は戦後最大のテロ事件の首謀者だ(個人的にはその点に関して疑いはないし、これ以上の「真相解明」にも正直まったく興味はない)。その麻原を裁けないとなると、日本の法秩序に対する信頼が根幹から揺らいでしまう。いくら「法律的にできない」と言っても、世論はまず納得しないだろう。麻原およびオウムの幹部を処刑することは日本の国家意思だったと言えるのではないか。
「そんな法律は変えてしまえばよい」と言う人もいるだろうが、これは法律における根本的な思想(ルールを理解している者だけが責任や処罰の対象となる/理解できない者は対象とはならない)に関わっている問題なので、そう簡単にはいかないのではないかと愚考する。
ともあれ、上記の刑事訴訟法に抵触することなく、麻原を死刑にするためには、麻原に「訴訟能力」「責任能力」があるということにしておかねばならない。だからこそ、形式的な精神鑑定をやっただけで終わらせた。しかも病気でないことになっているので治療もしない、ということになったのではないか。
ここからは蛇足だが、小坂井敏晶『責任という虚構』(東京大学出版会)には、次のような一節がある(p.157)。
自由だから責任が発生するのではない。逆に我々は責任者を見つけなければならないから、つまり事件のけじめをつける必要があるから行為者を自由だと社会が宣言するのである。言い換えるならば自由は責任のための必要条件ではなく逆に、因果論的な発想で責任概念を定立する結果、論理的に要請される社会的虚構に他ならない。
要するに、こういうことだ。何か事件が起きたとき、社会には大きなストレスが発生する。誰かに責任をとらせ、「落とし前」をつけることで、そのストレスを軽減させなくてはならない。だから、その誰かには「その事件の原因となる行動をしない自由があった(=したがって責任がある)」ということにしておかねばならない。行動しない自由があったから責任が生じるのではなく、誰かに責任をとらせるために、そのような「自由」があったことにされる、というのが上記の指摘ということになる。
この指摘を今回の件に応用するなら、麻原に「訴訟能力」や「責任能力」があったから裁判で死刑になったという理解は必ずしも正しくない。そうではなく、死刑にしなくてはならないから「訴訟能力」や「責任能力」があったということにされた…という疑念が拭いきれない。
もっとも、その是非については、判断はしない。国家の存続にはそういうフィクションが必要だ、という考えも理解できないではないからだ。ただ、それでもモヤモヤした感は残る。
そういう気持ち悪さが、今回の一件には、ある。
(追記)2018/7/9
https://news.yahoo.co.jp/byline/egawashoko/20180708-00088579/
江川さんのこの記事で、「詐病」とか言っている人がいるけど、この記事でもやっぱり2000年代初頭の話までしか書かれてない。これ以外の詐病を疑わせる記事も、逮捕当初から2000年代初頭までの時点での話しかない。そこから15年以上の期間があるなかで、麻原の精神状態に変化があったとしてもなんらおかしな話ではない。実際、上でリンクを貼っている加賀さんの面談は2006年のものだ。
上で述べられている刑事訴訟法の規定は、「犯行時点の精神状態」ではなく「裁判や死刑をする時点での精神状態」に関わるもの。したがって、犯行時点において麻原の精神状態に責任能力が認められるものであっても、関係ない。
個人的には日本の法制度がそうなっている以上、麻原の死刑もやむを得ないとは思うが(そうでないと他の死刑囚とのバランスが取れない)、「麻原を死刑にしなくてはならない」という発想から、多くの人の事実認識が若干おかしくなっているのではないか、ということが気にかかるだけの話。
https://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/c34aa02a0f1770deebaa5ceafe30c3b0
(さらに追加)http://www.aum-shinsokyumei.com/2018/06/03/post-416/
id:blueboy 「詐病」だと言いたがる人は、たとえ命がかかっていようとも、糞尿垂れ流しの強烈な悪臭が漂う空間で、汚物まみれの布団で寝る生活に20年耐えられるかどうかを想像してみれば良い。無論、麻原の「宗教者」としての精神の強靭さがそれを可能にしたと考えることもできようが、それでは麻原を凡庸な俗人とみなす「詐病論」の人物描写との整合性がなくなる。むしろ、麻原が凡庸な俗人だからこそ、長期にわたる収監と死への恐怖によって精神に異常をきたした、というほうが説明としてはよほど合理的だと考える。
オウム真理教幹部が一斉に死刑になって、また死刑反対・賛成の議論が盛り上がってる。
自分の立場は、「あのレベルのテロやらかしたら死刑はしょうがないだろ」って感じなんだけど、世の中にはどんな人間でも死刑にすべきでないと考える人もいるらしい。
死刑反対派の人たちはどんな理論で説得してくれるのかなー?と期待してたんだけど、
例の法曹さんの増田も含め、だいたいが「冤罪だったらどうするんだ」理論なのね。
がっかり。
「明確な悪意をもって人を殺めたなら、命をもって償うことはやむを得ない」
つってんのに、
「冤罪だったらどうするんだ!」
って。
クソリプでしょ。
「Aという要件が事実であれば、Bであることはしょうがないですね。」
っていってんのに
「AがAじゃなかったらどうすんだ!」
って、アホの子なのかな?
いやいや、「AはAであることが前提ですよ?」っていっても聞く耳持たない。
「国家権力は信じられない!」とか「警察を信じるのか!?」とか。
いやいや、もちろん国や警察をまるごと信じるわけじゃないけど、それでも冤罪ではない状況だってあり得るでしょう?
って話なら分かってもらえるのかな?
この命題に対して、
「痴漢冤罪で社会的に抹殺される人もいるんですよ!」とか「痴漢は腐れマ〇コどものデッチ上げ!」とか混ぜっ返したら、ミソジニーのクソリプとしか思われないでしょう?
話は、「痴漢が事実だったら」ってとこからスタートしてんですよ。
「女性の意に反して性的な行為を強要するのはいけませんね。」って話してんのに、
死刑廃止を主張してるのにヒトラーやナチス幹部だけ例外として死刑にするのはダブスタ
日本だと弁護士が死刑廃止訴えるときによくある「お前の家族が惨殺されても同じこといえんの?」っていう反論と一緒
しかし、管理職になって驚いた! 自分がやることがほとんどないことに。
毎日何らかの定例会議に出て報告を受けて、合い間に部下の相談に返事して、承認を下ろす。これぐらいしかない!
「管理職」だからと関係ない定例会議にも出させられて、やってることが違う部署の報告を見させられて「ほほー」と眺めていると1日が終わる(だいたい報告者はその部署の幹部とやり取りするだけになるので、口を挟む余地はない)。
まぁ、管理職だから知っといてよ、っていうのはわかるけど、一週間のほとんどがそれに潰れるんだよなぁ。
あと部下の「こういう状況です」「これやっていいですか」っていうのを聞いて「どういうこと?」「いいんじゃない?」と言っていれば終わる。
「あぁ、会議ばっかりで忙しいなぁ」と思っていたらすぐ評価の時期がやってきて、「●人をコメント付きで360度評価してください!」って言われて、それを定例会議の合い間にやって……あれ? おれの仕事ってなに? なにも喋らない会議に出ずっぱりで、「NO」と言いようがなものを確認して承認おろして、評価コメントに忙殺されて……っておれ一円も生み出して無いんだが? これって仕事なの?
一日中社内の人間としか顔合わせていないから世情にも疎くなるし感性も死ぬ。
唯一の楽しみといえばお気に入りの女子社員とランチに行くこと。さっき一緒にカキフライ食べたけどこれがないと死ぬ。
(所要時間4分)
女性なら高卒で一般職入社からの結婚で退職してからの専業主婦。
進学する気さえあれば、貸与型奨学金やら、公務員になれば返済免除やらたくさんあり、情報強者は就職する友人たち大半と袂を分かち進学した。
この時代の高卒は、子供(現在30代〜40代)もやっぱり高卒。
就職氷河期を迎え、フリーターからの派遣からの契約社員で二代揃って負け組。
当時は公務員の給与が低かったので、バブル期に就職した彼等が公務員など選ぶはずもなく、ほとんどは中小企業に。
失われた10年が20年、30年と長引くにつれ、差は縮小、逆転。
民間には買収、合併、倒産の嵐が吹き、ワープロ、そしてパソコンに順化できない人もまたオフィスを去った。
フリーターという言葉も定着してきたし、海外留学もだいぶ一般化したしで、負け組は就職出来ない現実から目を背けてフリーターやら留学やら。
そうこうしてるうち一般職派遣が解禁で、3年で派遣から直接雇用ルールや5年で契約社員から正社員ルールのおかげで、派遣切りも契約社員切りも全て経験。
歳だけ食って、親世代からはいい歳して就職しないで遊んでるかと思われただただ悲惨。
ベンチャー、起業もブームになり冒険者が増えたが、出る杭は打たれ、ベンチャーには一罰百戒、大企業なら恩赦、報われない。
長引く不況、サブプライム等々、今の30代が世に出た頃は、若者は株や投信なんか誰も手を出さなかった。
カモられただけですね。
そこまでカモられた人は多くないにしても、妙な自己啓発ブームに踊って英語とか資格とかとった人が多い印象。
今じゃ英語が得意くらいじゃ見向きもされず、専門スキルも20代に追いつくのがやっと。
専門性を高めるのもしんどく、管理職になろうとしても上には分厚い蓋。
大卒だからといって優遇もされず、進学に使ったコストをペイしようと婚期を遅らせて結局損するという、進むも地獄、戻るも地獄。
正社員から正社員への転職はあるのに、非正規から正社員への道はすごく遠く、歩く歩道を逆走するような困難さがあった。
というか今もある。
わからん。
周りに流されるな。
自分の道を貫け
人の行く裏に道あり花の山
20代ということもあって結構可愛がってもらえるし仕事も序盤からやりたい事やれて充実してた。
今年の5月までは。
今年の4月に消防団長とかいう人と自治会長が家に勧誘に来た。消防団自体はなんとなく聞いたことあったけど地元じゃ全く活動している気配がなくて何やるのか全然知らなかった。
団長には「まあ同年代と集まって酒飲むだけの集まりだから。」と言われた。酒は好きだしこっちにコミュニティがあるわけでもないから特に拒否はしなかった。それに何か問題があれば辞めさせてもらえばいいやと軽く考えていた。
そんで4月中はなんとなく花見やらなんやらに出て酒を飲んでいた。でも若い人たちは消防団への愚痴が凄かったのが印象的だった。
5月になって急に呼び出し回数が多くなった。なんでもソーホーとかいうものの練習をするらしい。そして俺はポンプ車の2番とかいうのをやるらしい。しかもこれから週5日も訓練があるらしい。話が勝手に進んでいて困惑した。
俺「ソーホーってなんですか?」
俺は「火消すんですか?」
班長「いや消火みたいな実践的なことより、動きの綺麗さを競う大会」
俺「それ意味あるんですか?」
俺「俺仕事で週5日も出れないですけど」
全然意味がわからなかった。全然意味がわからないけど話がどんどん前に進んでいた。
とりあえず仕事を口実に休んで(実際、個人事業主だからめちゃくちゃ忙しいんだけど)そのまま影が薄くなったところで退団しようと決めた。
でもダメだった。休みはじめて2日目の21時、仕事から帰ると幹部の人たちが家の前にいた。
団長「なんで来ない?」
俺「いや、仕事なんで」
団長「君は番員になったんだから来ないとみんなに迷惑かかるよね?」
俺「じゃあ辞めます。」
団長「無理無理。君が入ってくれたから前の2番員退団したから。」
埒が明かなかった。そのまま小一時間話したけど全然話が進展しないからとりあえず後日話し合うということで一旦帰ってもらった。
翌日、今日こそ退団しようと思って詰め所に向かった。幹部がみんないた。
団長「おう、待ってたよ。」
俺「あの、退団届け出しに来ただけなんですけど。」
団長「とりあえず一旦落ち着いて話そう。まあ飲みなよ。」
団長「仕事ってw君、個人事業主でしょ?なんとでもなるじゃん。」
俺「いや、個人事業主だから駄目なんです。仕事やらないと飯食えないんで。」
俺「今の仕事やるのがずっと夢でここまで必死にやってきたので。」
団長「ずっとってまだ20代でしょ?もっと良い選択があると思うけどなw」
心底ムカついた。学生のときからやりたい仕事でそのために経験積みたくて満員電車に6年耐えてその業界の企業で働いた。経験も事業計画も煮詰まってきてやっとの思いで起こした仕事。お客さんにも喜んでもらえてるし売上も立ってきた。田舎だからそれなりに地域にも貢献できてる自負がある。俺の生きがい。
それを全部否定された。
殴っちゃう前に無言で帰った。
そのあとは何があっても音信不通にした。
仕事に集中できるようになった。
でも今俺はほとんど村八分状態だ。この一件まではお客さんとして沢山来てくれた地区の人もほとんど来てくれなくなった。