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はてなキーワード: 局所とは

2015-06-22

ファンサ嫌いがファンサ厨になるまで

私が好きなジャニーズアイドルが出演するコンサートには「ファンサ」という文化がある。

それは「ファンサービス」の略で、ステージ上のアイドルがファンに、例えば手を振ったり、指差したり、投げキスしたり等の"サービス"を行うことを言う。

(ちなみに、この「ファンサ」は特定の個人に向けられる仕草を指す言葉で、辺り一帯のファンに向けたお手振りなどは「空気ファンサ」「エアファンサ」などと呼ばれ、ありがたみが一段どころか十段くらい落ちたものとされている。)

ジャニーズコンサートと言ってもベテランから若手まで色々だけれど、このファンサ文化は色濃いものらしく、どのグループにも必ずと言っていいほどファンサをするための時間セットリストに組み込まれている。

それは大体アイドルトロッコに乗って会場のファンの座席近くを移動する曲のときで、トロッコに乗ったアイドルは目の前を流れるファンに、手を振ったり、指差したり、投げキスしたりする。

ツアー名に自分たちグループ名を冠したデビュー組は、会場全部のファンを楽しませなくてはいけない(という建前)に対し、先輩グループの後ろで踊るジャニーズJr.は、自分のファンを増やすきっかけの一つとして積極的にファンサを行う。

…と言うのが、本題に入る前の「ファンサ」のざっくりとした説明。

本題は、「アイドルにファンサを求めるファンを心底バカにしていた自分がファンサを求めるようになってしまう」までの心境の変化だ。

これまで私は、コンサートにファンサを求めるファン(いわゆる「ファンサ厨」)に対して、

構ってもらえれば誰でも良くて大してそのアイドルのこと好きじゃないんだろ、

他のJr.に手厚いファンサもらったらさっさとファン鞍替えするんだろ、

薄情なやつらめ、と思ってバカにしていた。

コンサートでファンサを第一に求めるなんて彼らのパフォーマンスの足引っ張ってるようなものじゃないか、なんて憎々しくも思っていた。

自分は、ファンサなんてもらえなくても良い、ステージで精一杯ダンスしてるアイドルを見ているだけで充分幸せだし、誰かにファンサ貰ったからってサクッとファン止めるとか絶対ない。自分こそが"正しい"ファンだと思っていた。

から、私はコンサートでもアイドル名前が書いてある団扇は持つけど、「○○して」という要望を書いた「ファンサ団扇」的なものは持たなかった。

自分こそが"正しい"ファンだと思っ(ry

そんな私が変わったのは今年の春。

好きなアイドルジャニヲタ的に言うと自分担当するアイドル自担、が出演するコンサートツアーが始まった。

今まではチケットが当たった席でコンサートを観ていたけれど、せっかくのコンサートツアーなんだから自担がよく見える席に座りたい!と決意を新たにして、ここぞと思う場所を選んでチケットを手に入れるようになった。(チケットを定価以上で買っている時点で一般社会を生きる人間として一線堕ちたとも言える。)

自担がよく見える席とは、すなわち自担の視界に入ることのできる席でもあるので、だいたい公演の度に自担が私の団扇を見つけると、「あ、気づいてくれてる」と私が実感することのできる反応が貰えた。もちろん、それは私個人を認識しているわけではなくて、自分名前団扇を持ったファンがいるな、という反応だけれども。

でもこれまでのコンサートでは、自担に気づいてもらうなんて発想はまったく無かったから、「こっち見てる!!!」って実感する衝撃はとても大きかった。

ファンサが手厚いアイドルお手振り差し投げキスに留まらず、エアハグとかエア壁ドンとかファンと2人で指でハート作ったりとかetc、もはやファンサ自体も一つの見せ場であるかのように張り切って色々見せてくれるので、そういうのに慣れている人から見れば私が喜んだ自担のファンサなんてファンサとも言えない仕草かもしれないけれど、でも喩えようのない嬉しさだった。

コンサート自担団扇を持ち、それに自担が気づいてくれる。

それは華やかなステージ上のパフォーマンスと同等か、それ以上の興奮で。

全国に何万人いるかからないファンの一人でしかない私だけど、自担に私が応援しているということを知ってもらえる嬉しさ、あなたのファンがここにいると分かってもらえる喜びは、自己満足だけど抜け出せない快感で。

そのおかげで、今春のコンサートツアー概要ほとんど覚えていない。

いつ自担が私の方を見てくれるか分からないから自担視線から目を離せない。○○くんがバク転したというレポートを読んでも、そのバク転が会場の視線を集めている内にもしかしたら自担はこっち見てるかもしれないなんて思ったらよそ見なんてできない。豪華なステージセットも、今話題Jr.活躍も、迫力ある大人数でのダンスも、全部観れてない。自担視線しか追ってない。

果たして、こんなんでツアーを楽しんでいると言えるのか?

これは"正しいファン"と言えるのか?と疑問が浮かぶようになった頃。

自担に干された。

「干され」とは、わざと自担にファンサしてもらえなかったの意で、私のように自担が私個人を認識していない状況ではわざとも何もないので、厳密に言えば「干され」と言うより、きっとただ単に気づいてもらえなかっただけなのだが、福岡横浜もほぼ同じ席入って反応くれていたことを踏まえるとショックだった。

そして、自担に反応貰えたかどうかがコンサート満足度に影響するようになったことを自覚した。

ただ平穏パフォーマンスを観て自担のかっこよさに感動していた今までの自分とは違ってしまっていた。

もう"正しいファン"ではなくなっていた。

自担も、コンサートに出演している皆も、一回一回の公演に全力で臨んでる。

その努力と熱意のステージを目の当たりにしてもなお、自担が私に気づいてくれなかっただけで、そのコンサートは色褪せてしまう。

自担の気まぐれとサービスである「ファンサ」を何よりも望んでしまう。

これは、自分が何より馬鹿にしていた「ファンサ厨」ではないのか。

「○○して」というファンサ団扇を持たないことで自分はファンサばかり求めるファンとは違うと自負していたが、心の中では誰よりも「自担こっち見て!気づいて!何かファンサして!」と念じて会場に突っ立っている自分は立派な「ファンサ厨」ではないのか。

アイドルグループとしてどんなステージを魅せてくれるのか」よりも「自担が私にどんな反応をくれるのか」なんていう些細でちっぽけなことが自分の中で重要になっていく。

アイドルヲタクなんて、アイドルの夢に乗っかってばかりの自己満足しかないけど、それにしても自己満足自己完結過ぎる。私のファンサ欲を満たした所で自担の道はどこにも繋がらない。自担の道はファンサとは別の場所にあるべきだ。でも、私はファンサが欲しい…。

というファンサ沼に腰まで浸かったところで、ファンサに溺れて初めて気づいた悩みの種がもう一つ。

コンサートツアーで今まで反応を貰えてたのに初めて干されたことで、「応援すれば自担は喜んでくれる」という今まで信じてきたことが揺らいでしまった。もしかしたら、毎公演の様に視界にねじまれる私の団扇自担にとって気持ち悪いものではないのか。自信を持って作り上げるコンサートは一人でも多くのファンに観てもらいたいのに、なんで同じ奴ばっかなんだよ!って憤っていないとも限らない…そう思うと、足がすくんだ。

もし次の公演でまた反応もらえれば「毎回同じような反応を求めるのは贅沢だし、スルーされる時もあるよね」と前向きに思えるけど、次も干されたら、「やっぱり私の応援は必要とされてないんだ!」って気持ちがメキメキ大きくなって、これまで通りに自担を応援できなくなってしまう。

コンサート披露されるパフォーマンスも、自担視線という局所的にしか楽しめなくなってしまうと同時に、自担に干されたら即ち自担は私の応援なんて必要としていないんだぁぁぁわぁぁぁん的な袋小路に突っ走ってしまう私は、きっとファンサなんて知らなかった頃より地雷が多いし、コンサートを楽しめてない。"正しいファン"が聞いて呆れる。

たった半年前までは、ファンサ厨は自分幸せしか考えてないからファンとしての質が低い、くらい思って見下していたのに、自分がファンサを貰ったらその魅力にあっさり堕ちた。

そんな自分をとても情けなく思うし、この先ファンサを貰えなければすぐ「自担にウザがられてるかも...」と疑心暗鬼になってしまうし、何より自担に気づいてもらえる席を買い続けるお金のことを考えると頭が痛い。ファンサ厨なんて自縄自縛の沼だ。

でも、もう戻れない。自分がいることを担当が気づかない席でコンサートなんか観たくない。

時間は不可逆で、自分がいることを気づいてもらえた瞬間の興奮を味わってしまったら、その瞬間が無いコンサートなんて気の抜けた炭酸だ。

こうしてファンサ厨が一人できあがりました。

2015-06-04

「大栗先生超弦理論入門」 を読んだけど面白かった!

栗先生超弦理論入門 (ブルーバックス)   大栗博司

http://www.amazon.co.jp/dp/4062578271



僕は専門外だけどスラスラ読めた。

面白かった!いや、面白かった!

興奮冷めやらぬまま感想文を増田に投下。自己満足

著者は弦理論を作り上げて来た天才達のひとり。

修士在学中に東大助教卒業後すぐにシカゴ准教授

評価書には " He is a genius." とひと言だけ書かれていたとかなんとか。(噂。確認してない)

とにかく伝説的な方である

そんな弦理論第一人者の書いた一般向け啓蒙書がこちらの本。

寝る前にちょっとだけ読み進めていたのが6章あたりからまらなくなった。

とにかく熱い! 第一次/第二次ストリング革命の熱気が!感動が!時を超えて伝わってくる。

基本的お話だと思って読んでよいとおもう。たとえわからなくても熱気だけは伝わる。

すごい

例え話に逃げずに真っ正面から解説しているのがすごい。

数式を避け、簡単なことばを選んで専門用語を説明していく。

とても真摯姿勢読み手を信頼しているのだと思う。

第5章のゲージ原理解説がすごい。

リーマン幾何学みたいな図が描いてあるなと思ったら「為替相場」と「裁定機会とある。なんだこれ!

なんだこれはと思いつつ最後まで読むと理解できてしまう。ゲージ原理が!為替相場で!

ヤン=ミルズ場のゲージ変換なんてすごい。各サイト上に球面「ものさし」を置いて、局所的に回転することで視覚的に説明してしまう!

(球面だからSU(2)なのか?!)

図を見ると一目瞭然なのでぜひ見て欲しい。

大栗さんの美学哲学も伝わってくるよう。

素晴らしい一冊。


いろいろ

イラスト

なんと大栗先生直筆の物理学者の顔イラストつき。

現役の研究者も含まれる。

めっちゃ特徴を捉えていて笑えてくる。これだけでも個人的には買ってよかった。

ホログラフィー原理 (ゲージ/重力対応)

最近はてなで人気のホログラフィー原理は8章から。3章くらいから読むといいかな?

からないところは飛ばしても読める。なぜか雰囲気で読めてしまう。

ダウンロード版ではなく普通の本を買えばよかった。

これなんだっけと前のページをめくるのが辛い。

「この顔イラスト見て見て!」とかやるのにページめくるの辛い。

2015-05-28

周りに居ない

なぁ、TV雑誌最近、1/3が離婚離婚!とよく騒いでいるのを見かけるが、自分の周りに離婚した人間が1組しか居ない。

自分離婚する状態では無い。

これって局所的に同じヤツが離婚繰り返してるんじゃねェの?

それか、人口比率で大人数の団塊の世代現在結婚している若い世代をごっちゃにしてるんじゃね?

日本外資マスゴミが「どうせ離婚するんだから結婚は止めて人口を減らしましょう!」とスパイ工作してるようにしか見えん。

2015-04-14

最近政府マイナンバーCM打ってるけど

上戸彩局所的なデカさが気になってそれどころではない。

2015-01-28

http://anond.hatelabo.jp/20150128133107

普遍的善悪基準ではないが、局所的な善悪基準ではある。

テロ動機にかかわらず悪だが殺人強盗はそうではない」と言うとき

それが局所的な善悪の話なら殺人強盗だって悪になるし、普遍的善悪の話ならテロだって善になりうる。

2015-01-25

ステージの光はすべて星

「この業界周りで働く人たちは、皆、総じて、"愛"に弱い。」(辻村深月 ハケンアニメ!)

アイドルマスターシンデレラガールズ」の第3話を見てこの一文を思い出さずにはいられなかった。思い返せば第1話冒頭。ニュージェネレーションから漏れ彼女たちをすでにデビューしたアイドルとして見せた「お願い!シンデレラ」。画面からあふれでる愛におぼれるようだった。それからはじまった物語も素晴らしく、決め台詞差しまれる話運びにただただ溺れるしかなかった。そして第2話の宣材の撮影。たとえ短くともまた漏れしまった彼女たちが出演している絵に心が震えた。

そこからの第3話。ついにはじまるシンデレラストーリーゲーム本編をプレイしていないため彼女たちの衣装がどのイベントレアリティのそれなのか判らないことが残念でならない。

ここまでアニメデレマスは漠然としていた「見たいもの」が予想以上の物語と絵をもって与えられる、天啓甘露のようだ。まぶしいばかりの愛が散りばめられ、あふれている。まさにスターだ。

そして光が強ければ強いほどに闇が色濃く見える。

アニメ艦これであるアニメ企画が発表された当時に当然の展開と受け止めていた。そして同時に口にはしなかったが漠然とした不安が芽吹いたのも事実だった。

時がたち発表されたPV第1弾。動く彼女たちを見て真っ先に感じたのは違和感だった。重い曇天、鈍色の海。それらを従えたなによりも黒い深海棲艦。立ち向かう艦娘たちにもどこか闇がつきまとう。戦争舞台であることは承知していたが、これはあまりに暗すぎる。その色遣いは先立って感じた不安に塗り込められた胸の内を投影たかのように見えた。

そして第2弾PV。不安を拭い去るかのような明るい場面……の果てにでてくる秘書官長門。参戦本部なのだろうか、その色遣いはセピア色。軍楽隊が奏でるBGM。夕日の中飛行する戦闘機(九七式艦攻? というところに目が行ってしまう)。当然である戦争だと思い知らされる。美少女動物園日常アニメではないと見せつけられる。

それが見たいわけじゃない。

そんな不安の中はじまったアニメ艦これ。なぜか舞台現代でも未来でもない。過去だ。太平洋戦争当時なのだろうか。その説明はない。不安ばかりが募る始まりだった。

そして第3話。不安は形になり、姿を見せた。これは戦争なのだ。生きるか死ぬかの物語なのだ、と。轟沈と隣り合わせの青春なのだ、と。

艦これは強烈にデレマスとの対を感じさせる。

女の子が戦う世界を見せつけることで、全提督に冷や水を浴びせ続けるかのように。世界絶望に満ちていると押さえつけるかのように。誰もが死ぬんだと殴るかのように。目をそらすなと睨むように。

ここに期待はないんだと叫ぶように。

俺は木曜に冷や水を浴び、金曜夜には愛を浴びる(BSは異なる、と入れておけばいいのか)。

艦これ物語世界にあまりに従いすぎている。物語の下に艦娘たちを配置している。だから戦争の影から逃れられない。すべてを支配する。

いっぽうデレマスは女の子たちが物語を従える。彼女たちの意思物語を拓いていくのだと共感できる。

ただそれだけだと虚構のにおいが強いのだが、竹内Pとその上司たちがしっかりと世界を支えている。第3話で楽屋に現れた部長川島瑞樹挨拶をする場面などその真骨頂だろう。リハーサルでの音響さんのセリフ(ここの芝居がとりわけ印象的だ)、ステージ下のスタッフ。そしてライブ終了後の挨拶スタッフの労をねぎらうセリフ。そういった細かいところがこれは「仕事」だと伝えてくる。言ってしまえば彼女たちだって戦っているのだ。みくにゃんの繰り返しの挑戦だって彼女なりの戦いだ。負けるけど。

デレマスのこの「愛し方」が判っている背景は突然のことではなく、これまでに連綿と繰り返されてきたアニメ化によって制作側に培われた技術なのだろう。つまり、もし艦これと同時期に「ゼノグラシア」が放送されいたらと思わないでもないのだ。

アイマスは愛し方が確立している。その頂点が先の劇場版であり、Febriの特殊号だろう。最新号は艦これ特集なのもなにか運命めいた存在を感じさせる。

小山高生タイムボカンについて語った際に「天地人がそろった」と述べていた。同じことをデレマスに感じるし、いけないほうの天地人がそろったことを艦これに感じる。これまた偶然であり、運命の綾であろう思いたいが、第3話放映翌日から艦これアーケードロケテストが始まった。三国志大戦撤去直後に発表されただけにその知らせに触れたプレイヤーが何を期待したのかは想像がつくし、その結果がどうなったかはご覧のありさまである

艦これではなく艦これ人気が好きだった」という増田には深く同意できる。残念だがいまのところ、艦これはすべて期待を裏切り続けていると言わざるを得ない。これから目をそらし、褒めそやすことは大本営発表報道し続けた太平洋戦争末期の報道各社と変わりがないだろう。連想するなら艦これへの弓道から批判は、本来であれば物語全体に向けられるべき「コレジャナイ」を局所的に言語化した結果なのだろうか。

竹内Pと提督の造形の違い、二次設定の使い方、ゲーム中の素材の扱い、表現……。あまりにデレマスと艦これは対をなしすぎる。恐ろしいほどだ。同時期に放送したのは両者の意地なのか、運命なのか、それとも他の何かか。私の心境としては、見届けるデレマスと看取る艦これ、というところだ。

人為的に誘発された知能は,その増大量に比例する速度で低下する」(ダニエル・キイス 「アルジャーノンに花束を」)

2015-01-21

http://anond.hatelabo.jp/20150121014911

環境放射線、というのが大きな範囲での観測、だと思ってるのか?

環境放射線、って、名前に「環境」って付いてるけど、要はある地点における放射線測定の結果に過ぎないぞ?

そこに余計な人工的な放射線が無いと思っての観測、だと思えば良い。

その場の「局所」的な観測

そりゃ勿論、放射線物質が保管してある保管庫の中、とかなら東京でもアホほど高い放射線反応起こすけど、

原発の影響ならいたるところでそのような反応が起こるのでは?

隕石みたいに放射線物質が飛んできてところどころに落ちてる、とか言うの?

ただ、少なくとも今のところそういう場所発見されてないよね?

やはり根本的な理解力が無いのか。

2015-01-19

歌声楽器の一種に過ぎない

歌詞が頭に入ってこない | サンキュータツオ教授の優雅な生活

こんな記事があるけれど、自分もほぼ同じ!

ごく稀に、「たまには意味理解しつつ聴いてみようかな」なんて思い集中を試みるも、全体理解に至らない。局所理解に留まってしまうのだ。

単にバッファが少ないのかな。

リンク先の記事面白いので、同意する方もそうでない方も是非ご覧あれ。

2015-01-18

みんな大好き

#毛の壁 氏について。

人格的なことは触れないとしても、みんな思うのは、「どうして色々読んでるっぽいのにああなれるのか」ということだと思うので、ちょっと考察してみた。

恐らく氏は、センテンス、辞書の項目くらいの長さのものの把握には長けている。ただ、文脈を読むとか、全体像を把握するとかそういう能力が欠如してる。多分、話の筋に展開があるとセクション単位のものも把握できない。

そのため、ミクロ理解のみで全体を捉えようとするから認識現実齟齬が起きる。また、一見同じ形をしているが、論じるべき階層がそもそも異なるようなことを混同してしまう。もちろん物事の体系的な理解も出来ない。そうなると多分いわゆる構造化が必要レベルソースも書けない。形式的定義証明理解も怪しいのだろう。

そう考えると、関数型プログラミング遅延評価だと思うのも、評価戦略としての遅延とライブラリレベル提供される lazy/force を混同するのも、S式Lisp 構文を混同するのも理解できる。アカデミックな体系的学習必要haskell, ML に手が伸びないのもわかるし、数学的基礎と言っておきながら基礎論が全く出てこないのも分かる。ラムダ計算を知らないとすると、Lisp のあのへんてこな改造(?)もうなずける。局所的なスコープクラスモジュール単位アクセス制限の話で揉めてたのは、多分モジュールクラスをまともに扱ったことがないからなのだろう。それは github珍妙コードからもなんとなく推測できる。

全く無駄時間を過ごしたが、なんかある意味未知との遭遇で楽しかった(小並感

これが氏の発するカリスマオーラなのだろうか。

2015-01-14

パフォーマンス3倍を実現した仕事術

当方都内ヴェンチャーSE

俺がリーダーになってから試しに導入してみたルールのおかげでチームの生産性が3倍になった。

誇らしいことだが、果たして一般的有効方法なのかどうか気になるので広く反応を集めたいと思って書く。

そのルールというのは単純、「一日に5時間以上コードを書かない」というものだ。

勤務時間の8時間のうち、本当に仕事をするのは5時間だけに制限する。

そして残りの3時間会議と称する息抜きタイムにした。

これで生産性は3倍になった。

社長も機嫌も俺の評価うなぎ登り

社長モーレツ仕事をする人で、社員にも同じようにモーレツに働くことを求めていたが、俺は同調しなかった。

普通人間は集中できる時間に限りがある。

凡人にはよくて一日5時間限界だ。

それ以上の時間を使っても、単位時間あたりの生産性は下がるばかりだ。

ならいっそ、残りの時間は最高のパフォーマンスを発揮できる5時間を生み出すために使うことにした。

より具体的な働き方としてはこのようになる。

まず朝9時に出社すると、それから時間会議室でだべって過ごす。

もちろん、話の内容は最近技術動向だとか、新しいアルゴリズムだとかの話が多いが、

プリッツポッキーに変換するにはどうしたらいいか? といったバカ議論に白熱したりもする。

その後で朝10時から12時まではコードに没頭する。

全員が音も聞こえなくなるほど集中する。

休みを1時間取って、午後1時から3時までは午前中のコーディングの成果と新たに発見した問題点などについて話し合う。

これは会議らしい会議になるが、どちらかと言えば休憩に近い。

そしてまた3時間コーディングに集中する。

午後6時になったら仕事は終わりだが、大抵の奴らは「残業」していく。

残業と言ってもコードは書かない。

新しい技術習得のために技術書を読んだり、数学の本を読んだりする。

これで従来の3倍の生産性が上がっている。

コード品質は良くなりチームは常に最新の技術動向を掴んでおり、問題解決能力が向上した。

思うに一日の労働は5時間、後の時間自分への投資のための時間であるべきだ。

日本人自分をすり減らして働き過ぎる。

自分をすり減らすというのは、未来自分を損なうという意味だ。

局所最適に陥るということだ。

アウトプットインプット比率は変えられない。

よいアウトプットのためには、よいインプットがいる。

クリエイティブとは、こういうことだと思うね。

2014-12-19

人力ヘリコプターGameraについて

人力ヘリコプター界隈の話。

昔書きためていたメモ放出ブログ記事にもならないので、メモママ

University of TorontoのチームがSikorsky Human Powered Helicopter Competition(シコルスキー賞)を取ってしまったので

対抗馬だった、Univeristy of MarylandのチームのGameraという機体についてまとめたもの

Torontoチームのシコルスキー賞受賞の記事

http://www.macleans.ca/politics/toronto-team-wins-human-powered-helicopter-competition/

http://vtol.org/awards-and-contests/human-powered-helicopter

Torontoチームの対抗馬

University of Marylandの概要技術

人力ヘリコプターGameraについて
Sikorsky賞を取るため

1980年に作れた。最低60秒の浮上と一瞬でもいいので高度3m以上に上がること。その間10m四方を出ないこと。

Cal Poly Da Vinci Ⅲが1989年に6.8秒。日大Yuri-Ⅰが19.5秒の記録を持っている。

機体

Gamera Ⅰは空虚重量48.6kg。2011年11.4秒の飛行。Gamera Ⅱは33%の軽量化成功した。メリーランド大学

アームは片腕9.5m、高さ2.3m、ローター半径6.5m、ローター弦長1mの矩形。

ヘリコプターは重量の1.5乗に比例して必要出力が大きくなる。

ローターで重量の55%、コクピットトランスミッションで15%、ローターのうち、スパーが半分、前縁と後縁で1/4づつ。

地面効果:ローター半径と同じ高度で80%程度、半分の高度で70%、1/4で50%になる。必要パワーが。

ブレード設計

Gamera ⅠはEppler E387を使っている。矩形で捻り下げもなし。局所荷重の伝達を考えると人力飛行機などに使われいる2次構造になった。

ちょっと密度低めのビーズポリスチレフォームEPS)。(スタイロXPSで押出法ポリスチレフォーム)のリブCNC切り出し。後縁はバルササンドイッチ

前縁はXPSスタイロの仲間)でこれもCNCカットしている。スキンはミレファンを使っている。

スパー設計

トラスにしたのは同じ小さなスパーの組み合わせによって構造最適化ができるようにするため。カーボンファイバーとビニルエステル樹脂(リポキシ)の複合材料の市販のパイプが長いパイプ(member)。トラスの網網部はカーボンエポキシの複合材。配向角は全て±45度(当たり前)。三角形の断面にしているのは安定性のため。うまい作り方のためにミニトラスは1時間もあれば作れる。座屈しそうなトラスの網網部分にはXPSをコアにしてサンドイッチしている。

Gamera 2

Gamera Ⅰを受けて、Gamera Ⅱでは最大翼厚を厚いものにした。Seling S8037。スパーの剛性を上げてローター端が上がらないようにした。スパーをローターの中央と端で太さを変えた。towの束の数を変えた。前縁をXPSから軽量なEPSにした。

エアーフレーム設計

運びやすくするために中央、中、外のフレームにしてある。長さや高さや傾斜はブレードのサイジングによって決まっているから、他の部分の自由度については遺伝的アルゴリズムによって決めた。パラメタはトラスの高さとテーパーとノードの数と分布。剛性を束縛条件にして重量を最小化させるように遺伝的アルゴリズムにした。

GameraⅡはキンクをなくしたのと、パイプの径を色々変えたので軽量化した。

翼素運動量理論FEMで解析。YURI-1を参考にした。テーパーとか捻り下げは作る時間技術必要な割に効果薄いと判断してやめた。

2014-11-25

ワタシはアナタ局所最適解

一度は落ちた聡明なアナタ

アナタはワタシを離れていくの

2014-09-27

「気にする」と「注意する」の峻別

自己創発という言葉がある。一種の高度なシステムだ。wikipediaには「局所的な複数相互作用が複雑に組織化することで、個別の要素の振る舞いから予測できないようなシステム構成される。 」とある

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%B5%E7%99%BA

うむ高度である。高度で重要だってんで専門の研究機関が数多くあったりする。しかし高度といっても場当たり的創発には明白な限界がある。長期視点創発を積み重ねること、つまり進化が求められるケースも多いのだ。そういったことを扱うのが「進化システム論」という学問領域である

翻って私たち個人の日常生活ひいては人生において根本的に重要な要素を1つあげるとすればそれは集中力である

人間として生まれたからにはまずその集中力がなんであるかを明確に会得せねばならない。分かりやすい例をあげよう。ハイスコアを叩き出したいテレビゲームがここにある。

画面に「注意する」ことは必要不可欠であるが、スコアを「気にする」ことは果たして必要なんだろうか?否!必要ない。

「気にする」とは余計な思考を含意し「何かを気にして別の大切な何かを気にできてない」ことをも含意する。かように様々なタイプの集中があるので集中力一口に言っても多種多様なことが分かるだろう。

電王戦タッグマッチにおける脳波測定マシーンの滑稽さもここにある。集中力を単純に脳波で量として捉えても殆ど実態は見えてこない。「何にどう」集中しているかに達人的集中のギミックがあるのであるから

ここまで言われると集中のための第一歩が「気にする」と「注意する」の峻別であることは容易に経験からイメージできるのではないだろうか?

テレビゲームの事例でも「画面には注意すべきだがスコアは注意しないほうが良い」と両方「注意」を使って捉えるからどうしようもない矛盾が生まれしまう。

ちゃんと2つの概念区別し「画面には注意するがスコアは気にしないほうが良い」と精密に捉えて初めて成長の道が切り開かれる。

これは人間特有のウェットな話ではなく純粋ロジカルな話なので当然色んなシステム適用できて進化システムもその例外ではない。

例えば会社本来目的を忘れて腐った企業体質のまま古い事業を続けている。これが「気にする」にあたる。一般にシステムをとにかくどんな形でもいいから進化させちゃえと安直に考えるならばその実現はたやすい。

しかし高度な進化まりシステムの根幹にある枠組み自体進化させるには「気にしない」ことの高度な実践がたいてい決定的に重要になってくる。簡単に言うと全体の情報をきちっと注意し続けるということだ。

このように私たち私たち個人と私たちを含む社会集団類比することで新たな側面を発見し打開策を見いだしていくわけだ。他人のフリして我が儘治せということわざもある。

人は自分が思っているほど自分のことを理解していない。それは高度情報社会の闇でもある。気になる情報が多すぎて自己への注意がおろそかになっている。

これが原因で世の中には無用無駄な争いが爆発的に増えているわけで、そこで提案されたのがジョージ・ハリスンの窓、略してジョハリの窓である

自分探しという言葉一部の人間の感情を逆なでするそうだが、注意の復権という意味では自分探しという言語表現こそまさに適切と言えよう。

2014-09-14

仕事できる奴の特徴

仕事できる奴ってさ、

イメージ力がある奴だと思うんだよな

与えられた情報から頭の中で組み上げるイメージ力

これが高い奴は新たな仕事でもすぐ飲み込んでこなして行く

応力以外でも仕事全体像と周囲との関連性と決定権を持つ

キーパーソンを素早く見抜いて自分の頭の中で有機的に

整理してイメージ化する

ダメな奴って局所的に理解しても全体としてバラバラなままで

何かトラブルイレギュラーがあっても解決に向けて思考が

まとまらないんだと思う

2014-09-06

http://anond.hatelabo.jp/20140905175927

私も基本的増田に賛成で、ユーザーリテラシーに合った道具の使い方をするのが局所的最適解 だ。

逃げ道

何かを追いつめるとき、逃げ道も用意してあげないと、自分が窮地に立つ可能性が高まる

ベクトルの先が自分に、そして、局所的な突破口が見いだされる。

2014-09-02

その昔、アシダカグモに例えられたあるはてな利用者がいて

局所的に爆笑の渦を巻き起こしたと記憶してるんだけど。


で話は変わって。

別のあるはてなユーザーの発言やら行動を見て

この人をED-209に例えてみたらどうだろうと思ってみたりした。

Robocop Mr Kinney VS Ed 209. - YouTube (有名なシーン、やや過激注意)

ED-209 GOES DOWN - YouTube



やめた。

2014-09-01

http://anond.hatelabo.jp/20140901223608

視点局所的過ぎんよ。

運輸は今よりマシになった、でも物販は今より衰退した、

結果運輸の需要も落ちて、トータルで見ると金回りが悪くなった、

じゃ話にならん。

2014-08-20

姉歯物件は大震災でビクともしなかった?

やまもといちろう長谷川豊の一連の姉歯物件に関する議論

姉歯物件は大震災でビクともしなかった ⇒http://spotlight-media.jp/article/50466214100990319

②大震災で配管が断絶した(つまり建物がそれなりに地震で変形した)ものもあった ⇒http://blogos.com/article/92808/

の両方の主張は、いずれかが全数調査を行っていない限り「ウソを言ってないというレベルでは」「自分調査した範囲では、という但し書きの下では」同時に成り立ち得るが、あまり意味が無い。

東日本大震災は、地震のものの揺れのレベルは非常に小さかった。ここで言う「揺れのレベル」というのは「一般的建築物を揺らす能力」という意味だがこれは震度意味しない。震度が高くても建物が全く壊れない地震もあれば、震度が低くてもメチャメチャに壊れる地震もある。この辺は高校中学で習う「共振」を思い出せば何となく理解できるんじゃないだろうか。要するに地震のものの持つ周期と建物が持っている周期が一致すればより建物は揺れやすくなる。建物共振やすさは、震度計算にあまり加味されていない。これが東日本大震災で「揺れのレベル」が小さかった、と書いた理由だ。

この前の震災では地震継続時間が長かったか超高層ビルがめちゃくちゃ揺れたとかニュースが流れたが、一般の建物崩壊させるほどのパワーはほとんどなかったと見ていい。

もちろん局所的に地盤が軟らかい土地などでは大きな被害を受けた建物もあっただろうし、もちろんその逆もあっただろう。

要するに地震のものに対する認識が雑だと、この種の議論はまったく空転するのである。いくら建物が強かろうと、それを上回る程度の「揺れのレベル」の地震が来れば壊れるだろうし、逆に弱小建物も「揺れのレベル」が小さければ壊れないのである

長谷川豊が言っている、

当時、震度5か6でパターンと倒れると報道された姉歯元1級建築士設計したマンション果たしてどうなっているのか?!答えは…

ビクともしていなかった。

当時、姉歯氏はこう語っている。

耐震に関してはかなりの強度を保っておりますし、震度7や8にも十分耐えられるはずです」

そう、関東地方にある姉歯物件は実はフジテレビ関係者も住んでいた。お台場にあるフジテレビ本社にはかなり交通の便の良い所に姉歯物件存在するのだ。ちなみに、それらの姉歯物件だが、少なくとも僕の知る限り…

1棟もヒビ一つ入っていない。

要は姉歯氏の言っていた言葉の方が正しかったのだ。

国土交通省省の定める耐震強度がそもそも、あまりにも強すぎる設定になっているだけで、姉歯氏の計算通り、1000年に1度の地震が来ても、彼らの物件マンションはビクともしなかったのだ。

は、まったく地震に対する議論が雑である専門家ではないので仕方ないかもしれないが。地震に対する言及

1000年に1度の地震 ⇒ マグニチュードはその程度の頻度になるかもしれないが、マグニチュードは揺れの強さではない。「揺れのレベル」も表さない。

・そもそも震度8などない(最大で7。姉歯言葉引用のようだが。)

だけである。上でも書いた通り、震度7でもまったく建物が壊れない場合もある。

では逆に、震度5姉歯物件は倒壊しうるか?と言われれば、「倒壊しうる」と俺は答える。

http://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/kyoshin/kaisetsu/comp.htm

上記を参照すると、震度5強で周期1.0秒(建物の周期に近いところな)だと加速度100gal~200gal程度だろうか?(重力加速度は980galなので重力の1/10~1/5の「地面の揺れ」)

建物に「地面の揺れ」が伝わると加速度は増幅される。その倍率を仮に1.5だとする。そうすると建物作用する加速度100gal~200gal×1.5で150gal~300galだとする。

通常建物重力の0.5倍の加速度(490gal)で倒壊しないよう設計されるとして、それが耐震偽装により半分まで落とされた場合どうなるか?

490gal×1/2=245gal

これが耐震偽装された建物の耐えられる加速度だ。地震によって150gal~300gal程度の加速度作用したら?

安全率、建物劣化程度、局所的な地盤条件その他諸々条件を考慮したとしても、「倒壊し得る」という答えが妥当だ。100棟あれば少なくとも1棟くらいは倒壊する可能性が高い。

そんなような簡単な計算に基づいた推測からすると、姉歯は相応に叩かれるべきだったと思うし(叩かれ方は妥当ではなかったと思う。それは同意できる。)、姉歯物件震度5強でも倒壊し得る。

長谷川豊は「あの姉歯物件東日本大震災でビクともしていなかった。」とあくま特定地震に対する結果のみに限定しているとはいえ、姉歯物件安全であるかのような書きっぷりにはやはり納得がいかない。

もっと「揺れレベル」が大きい地震が来たら、倒壊するかもしれないのに。

2014-08-09

http://anond.hatelabo.jp/20140808160127

局所を出すなんてこと普通の人は路上でなんかしないでしょう

そんなことよりもっと楽しいこと、やるべきことがあるから

からそもそも路上局所出しする人にろくな人間はいない

そんな路上局所出し変態男に「ワンチャンある」と思われたとおもうと反吐が出る

わたしは、楽しいことを路上局所出しくらいにしか見出せない人間に「ワンチャンある」

もしくはコミュニケーションか何かの練習台にでも思われたのだ

これはとんでもなくへこむ。わたしは彼らと同等かそれ以下くらいに見えるのでしょう

路上局所出し変態男が狙うのは女芸人のできそこないみたいな人間

断らなさそう、身なりがみすぼらしい、全体的に垢抜けない……

わたしはそういう風に思われたのだ

何がいけなかったのかもわからない・・・

と改変可能ですね

2014-08-02

http://anond.hatelabo.jp/20140802033909

ストレッチならパーフェクト・ストレッチって本がお勧め。全身のストレッチができる。

毎日やってれば、それなりに柔術合気道やってる連中のサブミッションもきかなくなるよ。

そのまま体当たりで潰すこともできるし、殴ることもできる。

増田はそこまでは求めてないんだろうけど、やったあとは気分もスッキリするし、中途半端筋トレよりは効果があるんじゃないかな。


俺は高重量のバーベルを使ったベンチプレススクワットしかしないけど、あまり健康的ではない。

腕立てや腹筋はやらないよりはマシだろうけど局所的にしか鍛えられないし、それならジョギングウォーキングの方がよほど体にいいと思う。あと水泳とか。

2014-07-24

http://anond.hatelabo.jp/20140723130035

識字率が高くコンテンツ溢れる日本ならではの現象なのかもしれない。

「現象」が何を指しているか分かりかねるが。

人間が、受け取った作品によりいとも簡単に一線を越える操り人形であるなら、間違いの責任を個人に帰すことさえ難しい。


あらゆる作品は、受け手による自主的解釈がなければ影響を与えられないのだから作品責任を求めるのは受け手側の独立性を軽んじ、時には責任所在をぼかそうとするものではないのか?

作品普遍的存在しうるが、実際の争いには局所的な理由(個人的な人間関係政経歴史における認識感情など)が必要ではないか?

また、もし何らかの思想(宗教愛国主義平等重視など)の元に争いが行われたなら、思想自体社会的に抑圧することは妥当性があると言えるか?

2014-07-20

局所的な修正では解決不可能なバグ発見した

局所的な修正では解決不可能なバグ発見した

もうだめだーーー

バグを知りながら出荷するしかない

こんなバグなんてなかった

気のせいだあ

2014-07-08

http://anond.hatelabo.jp/20140708171356

ものを捨てるには、まずコレクションを整理して、

それから捨てるもの吟味するのが一番やりやすいし捨てやすいんだけど

1Kじゃそもそも広げるスペースないだろうしねえ。

俺はとにかく局所的に片付ける方法でいったわ。

ある一部分だけを徹底的に掘り進む。この際別の場所に一時置きしてもいい。

そして一部分(20cm×20cmくらいのスペースでも)だけ完全にキレイな陣地を作って、

それからそこを拠点にキレイな陣地を増やしていく、という掃除法。

これなら作業スペースがだんだんと増えていって、掃除も少しずつやりやすくなっていく。

あと、汚部屋属性ある奴はフローリング床が一番いい。

カーペットにするとホコリが溜まって、もう歩くのも触るのもイヤな感じになるから場合によっては虫も湧くし。(衣類につくやつ)

その点フローリングなら、ホコリが溜まっても掃除機でシュッと吸えばそれでOKだしね。フローリング最強。

あとね。掃除するときは薄手のビニール手袋あると死ぬほど捗るよ。

こんな感じの100枚入りのやつ。

http://www.amazon.co.jp/dp/B005FLZ7J8

これさえあれば、どんな汚いものもワシ掴みできる。

ホコリだろうが虫だろうが三角コーナーだろうがお構いなしよ。

いやホントマジで最強防具のひとつだと思うわコレ。掃除中にMP全く減らないもん。

2014-07-05

http://anond.hatelabo.jp/20140704205502

例えば、

ヒューム知らない、

ソシュール知らない、

ブルデュー知らない、

こういう教養はないが、

学力だけは高い人間会社に集まってしまうと、

データに対する盲信と、

局所最適な経営判断がはびこるだろうよ。

マウンティングのためじゃない。

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