「現象」が何を指しているか分かりかねるが。
人間が、受け取った作品によりいとも簡単に一線を越える操り人形であるなら、間違いの責任を個人に帰すことさえ難しい。
あらゆる作品は、受け手による自主的解釈がなければ影響を与えられないのだから、作品に責任を求めるのは受け手側の独立性を軽んじ、時には責任所在をぼかそうとするものではないのか?
作品は普遍的に存在しうるが、実際の争いには局所的な理由(個人的な人間関係、政経・歴史における認識や感情など)が必要ではないか?
また、もし何らかの思想(宗教、愛国主義、平等重視など)の元に争いが行われたなら、思想自体を社会的に抑圧することは妥当性があると言えるか?
幼女連れ去り事件が起こるたびに、アニメの影響だと騒がれるので、昭和初期の誘拐事件はなんと言われてたのか検索してみた。 参照:少年犯罪データベース 誘拐・人質・監禁事件 http...
識字率が高くコンテンツ溢れる日本ならではの現象なのかもしれない。 「現象」が何を指しているか分かりかねるが。 あらゆる作品は、受け手による自主的解釈がなければ影響を与...
漫画以前は「小説ばかり読んで」という説教はあったと言う
でも昔は書生って身分が成り立ってたんだよね? 不思議だ
「子供の頃に小説を読むのを咎められた」という昔話は昔よく聞いた。
その少年犯罪データベースを見てたらこんなデータが http://kangaeru.s59.xrea.com/38.htm 昭和38年(1963).10.9〔マスコミの悪影響の調査結果〕 警察庁がマスコミによる悪影響を調査し発表した...
その時代の漫画って幼い子供向けしか無かったのでは?
子供向けだからといって一概に影響はないとは言えないんじゃないの? 勧善懲悪ものの漫画だと主人公が暴力で事態を解決してたりするわけだしね。 例えば子供向けチャンバラ漫画でも...
補導されるような年齢の子は漫画なんて見てなかったんじゃないの。 今だって中学生がコロコロ読んだりしないだろ。