はてなキーワード: 命題とは
増田様
2007年の記事なので、もう見ておられないかもしれませんが・・・
まだかかったばかりのようで元気だったのも幸いしました。
脇にドでかいゴキ2匹がかかっていて、こわごわさけながらヤモリさん分だけ切り取り。
最初、ただつまようじではがそうとして、しっぽ2mmほどチョン切れました。
だ・け・ど、ヤモリさんが気になる。
なるほど、水と油か!
草の下からヤモリさん回収。小さいので慎重に慎重に進めました。
えらく怒っておられ、口を開けて威嚇!元気じゃん。がんばって。
で何とか救出。庭へお帰りになりました。(予後も必要だったか?)
ヤモリさんは、なんとなく愛嬌もあり、家守様でもあり、見殺しにはできませぬ。
本当に助かりました。
こんな命題UPされている方がいるなんて思いもしせんでした。
看護協会というのがあって、看護師は半ば強制的に加入圧力がかかる。で、その巨大な看護協会は、お抱え議員達を擁立し、メディアにも圧力をかけるプロパガンダ機関というべき代物だ。また、管轄の厚生労働省の管轄課に協会から人員を送り込み、出先機関と化している。
協会主導の看護師地位向上運動というプロパガンダマシンが世論を押さえてる。共産党とも近く、すぐ「看護師の給料が~」とか、「看護師の労働環境が~」とか、声高に叫ぶ。
同様に、今回のように、すぐ活発な看護師関係者たちによる話題逸らしが始まる。
看護協会の活動の中心は、常に、看護職の地位向上運動にあります。世間では、医師の診療補助をするのが当たり前と考えられ、法にも、それが業務として謳われています。しかし、「看護師は独立した専門職であり、医師と対等の職種である。医師の補助職ではない」というのが、彼らの主張の根幹なのです。たしかに、かつての看護師の社会的地位を考えると、地位向上にやっきになることは理解できないわけではないですが、あまりに時代錯誤であり、また、「診療の補助は、看護師の本来の仕事ではない」という主張は、見当外れだと思います。
実は、内診問題と同じような問題に、静脈注射についての通達があります。かつて「看護師が静脈注射をするのは保助看法違反である」という厚生省の通達がありました。もちろん、現実には遵守不能で、最高裁判決でも違法でないとされました。ところが、公的病院の看護部は、通達を盾に「静脈注射は医者の仕事である」として、絶対に注射をしようとはしませんでした。「看護師の本来の業務は看護であって、医者の手足として働いてはいけない」という主張です。
この通達は数十年を経て、やっと平成14年に実態に即した変更がなされました。しかし大病院の看護部は今なお反対し、それをどう受け入れるかについて議論があります。看護協会にとっては、医師から独立した専門職として社会的に認知されることが、大命題なのです。とくに大病院の管理職の看護師は、常にこの意識にさいなまれています。
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要するに、厚生労働省医政局看護課は、看護協会、看護連盟の出先機関でしかなく公正中立な行政機関とはいえないのです。看護課長が各議員を回り、看護協会の意向を受けた政策に強引な同意を求めるということについて、国会で民主党議員が抗議の質問をしたことさえあります。
大病院でも看護部は強大な力を持っています。大学病院の総婦長が、他部署はおろか院長でさえも手出しができない存在であるのと同様に、恐らく、厚生労働省内でも看護協会と看護系議員をバックにつけた看護課は、局長ですら手出しができないのだと思います。
事実、日本医師会が医政局長に説明を求めたところ、「預かり知らないところで、看護課長が勝手に通達を出した」としています。省に持ち帰ってからの責任論では、「厚生労働省全体の責任です」という話に変わってしまいますが、それには政治力が働いたと考えるべきでしょう。通達の直前まで、南野智恵子議員は厚生労働副大臣でした。
元増田です。いやあ、さすがにはてなの人々はよくわかっていますね。正しい論点を突いたブコメがきちんとトップに来る。難しくなるからあえて触れなかったところですが、ちょっと舐めすぎていたようです。
b:id:rascalrascal:20180708 会社法を出したとたんに会計用語を使わない意味がなくなっているよね。正しい命題は「BSで内部留保が積みあがるほど利益がでるなら、PLの段階でもっと従業員に配るべき」で、その是非を検討すべきじゃないの?
この命題を理解するにはしっかりと会計を勉強する必要がありますが、ここでは会計の概念を使わないで解説してみましょう。最初に結論を書いておくと、
ってところです。
前の記事でも書いたとおり、会社がお客から受け取った売り上げから、仕入れ先に原料の代金を支払い、従業員に給料を支払い、営業に必要な諸経費を支払い、銀行には利息を支払い、政府には税金を支払った後の、株主の最後の取り分が新たな利益として未来の内部留保に回ります。ここで支払われる従業員への給料を上げろ、という主張は共産主義でもなんでもなく、極めて真っ当です。会社が生み出したお金が株主の財産になる前に、もっと従業員へ分配しろという話だからです。結果として株主の取り分が減ったり、あるいは株主が損をしたとしても、労働者の知ったことではありません。正当な給与を要求するのはもちろん、正当でなくてももらえるものはもらうべきです。「赤字上等。サビ残なんてとんでもない。」それが労働者としてのあるべき姿勢でしょう。もっとも、現実には会社が潰れたり、お客から受け取る売り上げが減ったりすれば従業員も損をするので、一定の妥協はつきものでしょうが。
「ここ数年の企業業績は好調なんだから労働者にも払えるはずだ。もっと分配しろ。」至極真っ当な主張です。共産党がこのような真っ当な主張をせずに、内部留保論のような悪質な印象操作に走るのは理解に苦しみますが、真っ当なことを言うと効果的なアジテーション(扇動)にならないからでしょう。彼らは彼らの支持者のことをよくわかっています。
ただし、残念なお知らせが一つあります。既存の内部留保も、これから生まれる内部留保も、株主の持ち物であることに変わりはありません。内部留保の源泉が株主の投資だからです。労働者への分配を高めた結果株主が儲からなくなれば、株主は日本に投資をしなくなってしまうでしょう。前回、労働者に配るお金を作るために工場を処分して、結果として従業員は職を失う、という滑稽な例をあげましたが、これはしばしば現実に起きています。労働者にお金を配った結果、建っていたかもしれない工場が建たなくなり、生まれていたかもしれない雇用が生まれなかった、という形で、ですが。
労働者に全く分配しないとなると労働者は疲弊し、ひいては国が疲弊します。一方で、前回も言ったとおり、内部留保は株主の持ち物であるという前提で経済は回っています。無秩序に配ることはできません。どのような会社にどの程度分配させるのが現在と未来の日本国民全体にとって最良なのか、政策立案者の視点で考えてみると簡単な選択ではありません。少なくとも、僕にはちょっとわかりません。
オウム真理教幹部が一斉に死刑になって、また死刑反対・賛成の議論が盛り上がってる。
自分の立場は、「あのレベルのテロやらかしたら死刑はしょうがないだろ」って感じなんだけど、世の中にはどんな人間でも死刑にすべきでないと考える人もいるらしい。
死刑反対派の人たちはどんな理論で説得してくれるのかなー?と期待してたんだけど、
例の法曹さんの増田も含め、だいたいが「冤罪だったらどうするんだ」理論なのね。
がっかり。
「明確な悪意をもって人を殺めたなら、命をもって償うことはやむを得ない」
つってんのに、
「冤罪だったらどうするんだ!」
って。
クソリプでしょ。
「Aという要件が事実であれば、Bであることはしょうがないですね。」
っていってんのに
「AがAじゃなかったらどうすんだ!」
って、アホの子なのかな?
いやいや、「AはAであることが前提ですよ?」っていっても聞く耳持たない。
「国家権力は信じられない!」とか「警察を信じるのか!?」とか。
いやいや、もちろん国や警察をまるごと信じるわけじゃないけど、それでも冤罪ではない状況だってあり得るでしょう?
って話なら分かってもらえるのかな?
この命題に対して、
「痴漢冤罪で社会的に抹殺される人もいるんですよ!」とか「痴漢は腐れマ〇コどものデッチ上げ!」とか混ぜっ返したら、ミソジニーのクソリプとしか思われないでしょう?
話は、「痴漢が事実だったら」ってとこからスタートしてんですよ。
「女性の意に反して性的な行為を強要するのはいけませんね。」って話してんのに、
「日本をここまで傾かせて、金の卵産む鶏を唐揚げにして食うレベルの蛮行をやらかしたとんでもないバカで低能揃い、生まれついて金持ってるだけのフランス革命前夜のバカ貴族みたいなのしかいない、たまに普通の人間なら近寄りもしないヤバい奴にフラフラついていって殺されてニュースの一面かざるのがいい例だ」っていう増田と
「警察や役人を手足の様に使って一般国民を法と暴力で支配して、社会システム的にどんな方法を取ろうとも絶対に勝てる訳がないし絶対的な身分制度をインフラごと作り上げて支配している物凄い怜悧冷徹で残忍で狡猾な悪の強者揃い、なんか汚職事件が露わになると関係者が速攻で変死して証拠不十分で無罪になるのがその証拠だ」っていう増田がいる
どっちの理屈や上げる例もおかしくもなんともないし、寧ろ論理的にも筋が通っている、なのに真っ二つに見識がわかれてしまっていることに気が付いた
を読んでの感想。詳しくは書かないが元記事に書かれている通り、この人はある程度火付け役を担ったというか、でも言いたいことはそういうことではなくて、そういう人がどのようにあのY社エンジニアの記事を読んだのか。そういうことがわかる解説記事なので、ありがたく読み、感想文を書く。
私がこの記事を書く動機は、私にはあのY氏の記事を何度読んでも差別発言をしているとは思えなかったので、どこがどう差別的であったか、他人の意見を知りたいと思っているからだ。これはその感想文、または反論である。ちなみに以前にも記事を書いている。
以下登場人物を、
・私のことを、私
と書く。
またこちらは匿名なので、フェアではないことを明記しておく。フェアではないので別に元記事筆者は私の反論に対するアンサーを (してくれると嬉しいが) する必要は一切ない。
長文注意。2記事に分割している。
先に私の考えを書いておく。
・Y氏は差別発言をしていない
・「男性は女性がいるとやる気があがる」が、「女性は男性のやる気を上げるために存在する」に拡大解釈/誤解された
・Y氏のロジックは炎上の危うさを孕んでいることに本人が気づき、やめるべきだった
・Y氏のソリューション自体にはなんら倫理的/差別的問題はない
まず、この章について言及する。
元記事では、「不必要なラベリング」をしたことが問題だと主張している。該当部分を引用する。
特定の集団に対して不必要にラベリングすることは、差別とみなされる場合があります。性別のような、人間が努力によって変えることができない事柄はその代表例であり、本件のように、性別に基づいて、その性向をラベリングすることは、差別であるというのが私の考えです。
たしかに不必要なラベリングは差別とみなされることがある。ただ、ここでいう「不必要なラベリング」が具体的にY氏の記事のどの部分を指しているのか明記されていないのでなんとも言えない。
Y氏が「女性エンジニア」と冠に「女性」をつけたのは、「女性エンジニアが少ない」というまえがきがあるので文脈上必要なラベリングだと思うし、ソリューションのメリットに男性・女性別のメリットを挙げるために性別のラベリングをするところも流れ的には自然だと思う。元記事筆者はどこが不必要なラベリングだと思ったのだろうか。
もしも、そもそも「女性エンジニアを増やそう」というテーマが不必要という主張であるならば同意する。必要なのは優秀なエンジニアが増えることであって、そこに 男性女性のラベリングは不必要だと思う。
まず、女性エンジニアは、男性エンジニアのやる気を出すために存在しているわけではありません。エンジニアとしての職務を全うするために存在しています。
「女性エンジニアはエンジニアとしての職務を全うするために存在している」という部分は完全に同意する。
ただ、やはり元記事筆者も誤読をしているのだが、Y氏の記事では「男性は女性がいるとやる気があがる」とは言っているが、「女性は男性のやる気を上げるために存在する」とは言っていない。
ここはY氏が差別発言をしたかどうかの分水嶺なので、はっきりと明言しておく。
また、全ての女性エンジニアが、女子トークができないことを問題としているわけではありません。さらに、男性側についてもラベリングが行われています。すべての男性エンジニアは、女性エンジニアが少ないことによっていいところを見せたいというやる気がでない、というわけではありません。
つまり元記事筆者によれば「全ての女性エンジニアが女子トークができないことを問題としているわけではないのにも関わらず、Y氏はそのように言ったことが問題」、「すべての男性エンジニアは、女性エンジニアが少ないことによって『いいところを見せたい』というやる気が出ないわけではないにも関わらず、Y氏はそのように言ったことが問題」ということだろうか。
仮にY氏がそう主張したとしても、Y氏の論理(あるいは仮説)が明らかにおかしいだけで、差別発言ではないと思う。
あとそもそもなのだが、元記事では「全ての女性エンジニア」、「すべての男性エンジニア」と冠に 「全て」 が付いているが、Y氏の記事では「全て」とは書いていない。
そして、これによって生じる問題は、男性エンジニアにとっては、「いいところを見せたい」というやる気が出ない。そして、女性エンジニアにとっては、女子トークができない。これは非常に重要な課題だと思います。
ここを「全て」と捉えるのは誤読で、「ある一定の割合の話をしている」と捉えるのが普通ではないのか。(それとも解釈の分かれ目なのだろうか?)
Y氏が「全て」というバカデカ主語を使っている部分はこれより少し前で、該当する部分を引用すると、
エンジニア全員が抱えるもっとも重要な課題を解決して、「機械学習はすごいな」っていうのを体験していただければなと思います。
これは言うまでもないですね。まあ、全員抱えてますね。
(会場笑)
この部分のみである。ツッコミどころはむしろここで、「全てのエンジニアはそんなこと思ってねーよ」なのだが、この部分をツッコんでいるTwitterのアカウントは(私の知る限り)一人も観測していない。
もしかしたら、この部分のバカデカ主語が引っ張られて、後の部分でも「全員」という冠が付いているように 元記事筆者は誤読してしまったのではないだろうか。
仮に「全て」が付いたとしても、「【全ての】女性エンジニアが、女子トークができないことを問題としている」、「【全ての】男性エンジニアは、女性エンジニアが少ないことによって『いいところを見せたい』というやる気が出ない」という命題が偽なのは自明であり、自明であるので「ああ前振りネタか」とスルーすると思うのだが、そうは捉えない人もいるということだろうか。
なぜ自明なのか一応説明すると、「すべてのカラスは黒い」と同じ理由だ。上の命題が真であるかを全人類にひとりひとり聞いてまわれば、反例がすぐに見つかることは想像に難くないからである。
ネタ部分が差別的な場合、「ネタだろうと差別は許されない」というのは正しい。この部分は後述の「ただのネタに大げさでは?」で言及する。
「ある一定の割合の話をしている」について補足すると、世の中には女子トークがしたいと考えている女性エンジニアがいるかもしれないし(観測したこと無いが、どこかにいるかもしれないし、そのような女性エンジニアとしてのあり方を否定する訳もない)、女性エンジニアがいることで男性エンジニアがやる気を出すという部分は、まさにある一定の割合の男性に当てはまる話だと思う。
ここで私が強く主張したいのは、そのような男性は別に女性差別をしていないということだ。異性を意識して仕事に取り組む姿勢を変える(やる気を出す)というのは別に差別でも何でも無いはずだ。もしここで、「俺のやる気を出すために、女性らしい格好をしてこいよ」となれば、それは女性エンジニアにエンジニアとしてではなく女性性を要請していることになるので、女性差別にあたる。しかしY氏は、そこまでは明らかに言及していない(触れてもいない)。「女性がそばにいると、やる気出ちゃうんすよね」は女性差別だろうか。女性性を意識することは女性差別だろうか。女性エンジニアに女性性を要請していないくても女性差別なのか。これはただの女性好きの話ではないのか。この部分は、後述の「女だってイケメンがいいって言ってるだろ!そちらも同様に批判しないのは差別だ!」と関連する。
「行った(言った)側の意図は関係がありません」という所には反論の余地ありだが、引用部分は概ね同意。
ネタだから差別的な発言は許される、というの考え方は間違っている。
相手の悪口を言った後で、「ジョークじゃん。何怒ってんの?」と言うやつが通用しないのがその典型だ。
しかし、私はそもそもY氏は差別発言をしていないと思っている。
まず、全員がそうとは限りません。少なくとも私の周囲では、同意しない人は何人もいました。もちろん、女性がいたほうがやる気が出ると答えた人もいます。そういう考え自体は個人の自由なので否定するつもりはありません。いずれにせよ、事実とは断定できません。
「 もちろん、女性がいたほうがやる気が出ると答えた人もいます。そういう考え自体は個人の自由なので否定するつもりはありません。 」
この考え方を許容して、なぜY氏の考えを否定するのか理解に苦しむ。Y氏の主張がまさに「女性がいるとやる気が出る」という話ではないか。
あと、「全員がそうとは限らない」とあるが、これも自明だと思うのだが、やはりこのへん、解釈が分かれるのか。私からしてみれば「ある一定の話をしている」のは自明である。
本件のような発言を耳にした場合、どのように捉えるかは人それぞれです。ある女性に話を聞いたところ、「男性が『女性がいるとやる気が出る』と言ってくれると、自分もやる気がでる」という女性もいるとのことでした。一方で、このような発言を聞くと、自分が性の対象として見られている可能性があると感じて不快である、という人もいました。
感情的にどう捉えるかという話ももちろん重要ですが、本件ではこちらはひとまず横に置いておき、性別によるラベリングに起因する性差別の話にのみフォーカスします。
性別でラベリングすることは、快か不快か関係なく、性差別性を孕んでいる(可能性がある)という話か。なるほど。
https://news.mynavi.jp/article/20150810-a094/
この部分には同意。
ここでいう「女だってイケメンが~」の「女」は『「職場にイケメンが必要」と回答した女性』のことを指しており、決して「女性全体」のことを指していない。
要は割合の話である。誰も全員なんて言ってないのだが、そう主語がでかく捉えられてしまっているのが問題だ。
また、上記記事で「職場にイケメンが必要」と回答した女性は性差別かどうか、ということに元記事筆者は回答していない。ここは重要な点だ。今からなぜ重要なのか説明する。
続いて、会社にイケメンがいることで、社内にどのような影響があるか調べたところ、約半数が「仕事へのモチベーションが上がる(49.8%)」と回答した。次いで「社内のコミュニケーションが活発になる(21.2%)」と続き、イケメンは社内を活気づける存在となっていることがわかった。
と書いてある。つまり、アンケート結果として約半数が「イケメンがいると仕事のモチベーションが上がる」と回答しているのである。この回答者は果たして性差別的回答をしたのだろうか。Y氏も「女性がいるとやる気が上がる」と主張した。このY氏の主張が性差別発言ならば、このアンケートに回答した女性たちも同様に性差別回答をしたことになる。
また、Y氏の「女性がいるとやる気が上がる」が、「男性は女性をやる気を出すための存在としてみている」に換言可能ならば、「イケメンがいると仕事のモチベーションが上がる」は「女性はイケメンを仕事のモチベーションを上げるための存在として見ている」に換言可能なはずだ。 元記事筆者は「換言可能だ」と主張はしていないが、少なくともそう解釈はしている。
よって、Y氏が差別的発言をしたと主張するならば、上記記事の女性も差別的回答をしたことになるのだが、それでよいのだろうか。
RubyKaigiは門外漢なので知らない。 リンク先は個人の記録なので、 どういう文脈で「台湾の女の子はKawaii、だからRubyKaigi Taiwanに来るべき」と発言されたのかを、事実ベースで確認することは不可能なので多くは言わない。だが、うかつな発言だと思う。
また、「この程度のこと、今までいろんな人が普通に言っていたのでは?」という擁護危うい。「この程度大丈夫」と思っていても、抑圧されている側が声を上げていないだけで、実は逆鱗に触れていてある日爆発する、というのはよく聞く話である。
ここに書いてあることは概ね同意。つまり、新卒だからと言って、差別的発言は許されないということだ(何度も言うが、 私はそもそもY氏は差別的発言はしていないと思うが)。ただ、情状酌量の余地はあると思う。
もし、「新卒」というラベルがない人が発言したときに態度を変えるのだとしたら、それは明確に年齢や属性で差別していることになります。
この主張は、少し手厳しすぎると感じる。新卒かどうかで態度を変えるのは普通の出来事だと思うのだが、どうだろう。まあ、第三者に向けての発表は、第三者からしてみれば新卒だろうがベテランだろうが関係ないという意味で書かれたのかもしれない。
私からしてみれば、年齢で相手に対する態度を変えるのは当然だと思う。どういうことかと言うと、「若いのにしっかりしているな」とか「おっさんなのに新しいことに挑戦してすごい」とかそのへんの態度の変化のことである。これを差別と言われれば差別かもしれないが、差別呼ばわりされるのは納得いかない。
この章では、無意識のバイアス、ダイバーシティ、AIの差別と機械学習エンジニアの倫理観の説明がされている。
GoogleやMSが無意識のバイアスについての研修を無償で公開しているのか、知らなかった。なるほど、ありがとう。
できれば、Y氏の発言を具体的に取り上げ、どこが無意識のバイアスがかかっていて、どう差別的だったのかを指摘してくれれば、理解が進むので助かる。
重箱の隅をつつく指摘をするが、正確を期すために書いておくと、Y氏は「機械学習エンジニア」……(一つのアプリを作った時点でそう名乗って良い)と言えばそうなのだが、本業はそうではない。
彼が本当に「議論を避けて、罵倒だけをしていた」ならそれもありうるかもしれないけど
現実には彼は「罵倒メインだけど、たまに思いつきで議論らしきものをふっかけて、知識不足で逆にボコボコにされる」ことを繰り返してたんよ
だから長く付き合ってきた人ほど、彼の学歴と実際に見た議論レベルとの乖離に戸惑っている
たとえば彼は「論理学には詳しい」と自称しておきながら、命題と述語の区別がついておらず
「"Aする"の否定は"Aしない"ではないぞ低能w」という恥ずかしいミスをしても最後まで間違いを認めないほどだった
また彼は偽科学批判をやっつけたいという動機から「科学とは何か(科学哲学)」の議論を始めたこともあったが、
どんな入門書にも必ず書いてある「反証可能性」という概念をどう扱うかまったく考えていなかった。そもそも知らなかったように見えた
(これは古典的な概念なので、賛成しても批判してもそれぞれに理論は組み立てられる。科学の権威を崩したいならこのテーマをスルーすることはありえない)
新幹線乗ってる間暇だったから中学高校でやってた素数について考えたわけ
そのときさ、「pがp未満かつ1でない全ての自然数に対して割り切れない」って考えたんだけど
「pがp未満の全ての素数に対して割り切れない」って同じじゃねーかなみたいなことふと思ったの
んで同値であることを証明しようと思って、んでたぶん最初の命題から次の命題を証明するのは簡単じゃん
p未満の全ての素数も自然数なんだから自然数で割り切れないんだったら素数でも割り切れないじゃん
でも二番目の命題から一番目の命題のやつだとなんとなく背理法でしかわかんないのね
pがp未満の全ての素数に対して割り切れないとき、pがp未満の1以外の自然数で割り切れるとすると
その自然数がもし素数なら、全ての素数に対して割り切れないことと矛盾するじゃん
この場合素数で割り切れることになってやっぱり全ての素数に対して割り切れないことと矛盾するじゃん
だからp未満の全ての素数で割り切れないならやっぱり1以外の全ての自然数でも割り切れないんじゃね?
ってなったのね。間違ってたらすんまそん
「1以外の全ての自然数で割り切れない」ことと「全ての素数で割り切れない」ことが一緒になるって普通におかしくね?
どう見ても自然数と素数って定義違うし集合も違うのにこのことが同じになったらおかしいじゃん
命題の使い方間違ってそう
そこまで言うなら俺がデレアニに失望した点に反論してみてくれんか?
結局最後まで、運だけでシンデレラになり大企業の庇護下でぬくぬくやってる連中の話でしかなかった。
このアニメでアイドルが必死で頑張ったりファンのことを考えた描写なんてほとんどないよね。