はてなキーワード: 右から左とは
お盆中だから、ということだ。お陰で今日の昼御飯は子供達をせっつきながら慌ただしく食べることはなく、のんびりできていい。
このご時世で親戚回りもできず、外に遊びにも行けず、ハイパー暇なので、最近の子ども囲碁事情をただの碁好きなだけで素人であり、我が子が子供囲碁教室(ボランティア運営)に通っているというだけの私がわかる範囲だけだけど書いていく。
県内の大会だけの話だけど、毎年参加人数記録を更新している。ただ、地方は少子化が進んでおり、県内に囲碁教室があまりなく大会も開かれないという県もあって、そういう所から子供達が越境してきて大会に参加しているという事情もある。囲碁人口の増加だけじゃなくて集約化されているようなのだ。
子ども囲碁大会は二つのセクションに別れている。棋力認定戦と全国大会予選である。どちらに参加するかは個人の自由なのだが、基本的には囲碁教室の先生に声を掛けられた子が予選に出場するって感じだ。
棋力認定戦でぶっちぎり優勝してもただ昇級・昇段できるだけである……というのを、保護者がちゃんと解っていないケースを見たことがあるんだが、そこで揉めると当の子供と教室の先生が可哀想なので、わきまえて欲しいところ。
数年前、全国大会予選会が開かれないことがあった。その時は大会主催者とかなんかお偉いさん達が協議した結果、推薦枠で一人の子が試合をせずに全国に進んだ。県内の有力選手の中に、その子に匹敵するような子がいなかったらしいと聞いた。なんだろう、プロの門下生だったのかな? ここら辺をズルいと保護者が思っちゃうとやっぱり辛いのは子供と囲碁教室の先生である。今の囲碁界の感じだとプロになれる子とただの囲碁を嗜む子供の間にはとても越えられない壁があると私は思う。
けど、親としてはやっぱり頑張ればプロになれると思っちゃうのかなあ。夫婦揃って教室や大会についてきては子供を右から左から激励して追い詰めている親がいるけど。
いきなり世界レベルの話をするけど、囲碁二大強豪国の中国と韓国では囲碁はスポーツと見なされていて、まだ幼い子供達の中で才能のある子供達を手厚く厳しく育成している。
日本の囲碁界も最近世界でめっきり通用しなくなってきたということで、子ども棋士の英才教育に乗り出しているけど、そういうのは基本的には都会だけの話で、私が住んでいる地方では、まず少子化甚だしい中で子供達に囲碁を普及することから頑張らないといけない状態。
多くの囲碁少年少女が囲碁を知るのは早くて保育園・幼稚園の年長さんで多くは小学生から、すーごいゆっくりペースで碁を覚えていくという状況で、英才教育を受けている子供達には到底敵わない状態だ。
スポーツとしての囲碁は陸上とか野球とかがそうであるように体力溢れる若いうちが強い時期なので、小学生から趣味の範囲内で頑張ってももう遅いのだ。
かつてフィギュアスケートでタラ・リピンスキーが五輪最年少優勝をしてその直後に引退したことが問題になり、五輪出場に年齢制限が設けられたが、囲碁にはそのような質の制限はまだない。ずっと制限のないままでは、これから囲碁は若さこそが強さであり若い頃しかやる価値のないスポーツになっていく。
囲碁強豪の韓国はすでにそんな状況になっているようだ。韓国内や世界でタイトルを若手棋士が取りまくることによって、プロ棋士は盛りを過ぎた途端に収入を得られなっているそうだ。これから自分の家族を持ち養っていかなければならないという時期に食えなくなるとなれば、態々囲碁棋士になろう、あるいは我が子を棋士にしようと思う人はそのうちいなくなるだろう。
日本において、子供がプロを目指して囲碁修行をするというのはそうとう特殊事例だと思うけど、いずれ日本囲碁界も世界の潮流に呑まれていくとすれば、将来棋士になって良いことはさしてないだろうと思う。
うちの子が通う囲碁教室は地域の囲碁好きなお年寄り達のサークルが面倒を見ている。ボランティアだから授業料がすごく安い。他の教室もだいたい似たような感じだと思う。ボランティアの人達がいなくなったら、囲碁教室もなくなってしまうだろう。だが、ボランティアの人達の年代は特定の年代に偏っていて、後から入ってくるひとは多くなさそうだ。
囲碁人口を絶やさないためにまずは子供達に囲碁を知ってもらうことから、ということで、ヒカルの碁ブームの頃から囲碁普及を頑張って来た人達が、ヒカ碁第二世代が小学生になるまで持つかどうかというのが問題。最近は中邑菫ちゃんの登場だったり、将棋の藤井聡太君の活躍にちょっと便乗できた(近場に子供が将棋を習える場所がないので仕方なく囲碁に流れて来たというケースがある)ので、少子化の酷さのわりに地域の子供囲碁人口は減っていないのが救いだけど。
趣味で囲碁を教えてくれる人がいなければプロ棋士やインストラクターの教室に通うしかないが、それはかなりお金がかかることだし、囲碁は少数の人の高等遊戯になるだろう。
我が子がお安く囲碁を習っていられる今の状況はもうすぐ終わるかもしれないというのに、ただの数ある習い事の選択肢のひとつとして厳しい目で保護者が選別しようとすれば、子ども囲碁教室の寿命は益々短くなると私は思っている。
※過去の記憶を頼りに書いているため、情報の正確性を保証できません。それを了承の上でお読みください。
今は亡き私の祖父は、日本軍兵士として末期の日中戦争に従軍した。
第二次世界大戦が終わって75年、その話を自分の記憶がこれ以上劣化しないうちに書き留めておく。
・祖父…1920年12月生まれ、1944年頃〜1945年従軍、体験を語った当時90歳(認知機能正常)
しかしそれ以上のことは何も知らないままだった。
大学2年のGW、私は両親、妹と共に父方の祖父母宅へ遊びに行った。
祖母と母が台所で食事の片付けをし、祖父、父、妹、私が居間で団欒していたその時だった。
祖父が何の前置きもなく、そして極めて淡々と、幼少期からの戦争体験を語り出した。
こんな田舎の子供でも「兵隊になる」と思わせる学校教育がなされていた。
祖父の話しぶりからは、小学生頃は兵士に本気でなりたいと思っていたが、
いざ徴集される段階になってからは、出兵せずの任期満了を願っていたように感じられた。
ちなみに祖父はJRを国鉄と呼ぶノリで、中国全体を「満洲」と呼んでいた。
祖父は日本から中国沿岸部まで船で移動し、その後陸路にて石家荘に到着した。
この鉄道を走る汽車は日本軍の物資を運んでおり、これを中国側に妨害される恐れがある。
日本軍は農村を占拠し、逃げ遅れたり抵抗した現地の民間人を捕虜として捕らえ、使役していた。
彼らが日本軍を襲ってくることがあった。
それに山は樹木で覆われ視界が悪く、敵の姿が見えず、どこから襲ってくるかがわかりにくい。
「祖父が戦ったのは民間人のみだったのか、民間人に擬態した軍人だったのか、それとも両者混ざっていたのか」
という、かなり重要な情報が私の記憶から抜け落ちてしまっている。
ある日、祖父は仲間達と共に銃の撃ち合いをしていた。
もちろん敵からの銃弾が自分達に向かって飛んでくる(祖父は「プププププッ」という効果音と共に
親指と人差し指でつまむようなポーズをとり、右から左に水平に移動させることで弾道を表現した)。
そしてその後、祖父の片脚にも弾が当たった。
銃創のでき方によっては、当時の医療技術では脚を切断しなければならなかった。
しかし祖父の場合、銃弾は膝上を貫通しており、脚の切断は免れた。
祖父が野戦病院に入院している間、祖父のいた部隊は中国側の総攻撃に遭った。
祖父は小柄で屈強ではないため、戦友会では「あの時入院していなかったらお前も死んでいただろう」とよく言われたという。
この部分を聞いた時、私は色々なショックを受けた。
戦争のリアル、穏やかでニコニコしている「おじいちゃん」の抱える痛み、そして父や自分の誕生が紙一重だったということ。
このことは、祖父の葬儀で喪主の伯父(祖父の長男)が挨拶の場で初めて語った。
喪主挨拶では他にも、祖父が夜中に大声を出して飛び起きていた(のを幼き日の伯父が目撃した)ことが明かされた。
祖父は戦地の体験を引き金としたPTSDを発症していた可能性がある。
これらの話を祖父がすることはなかったし、裸足の祖父を何度も見ているはずなのに、指が無いことに全く気がつかなかった。
銃弾の効果音のまぬけさといい、「自分が中国人を撃った」経験を話さなかったことといい、
祖父の語りは孫娘用にかなりマイルドになされていたに違いない。
祖父がなぜあのタイミングで戦争体験を孫に話したのか、その意図を聞くことはもうできない。
はぁやっぱり今日は午前中てんてこ舞いなのねって言うぐらい、
押し迫ってくる時間匂われながらこれはもう5分ぐらいで書いちゃう勢いで書くわ。
朝はあーだーこーだで
判子をたくさん押す仕事。
一応書類には目を通しましたよってポーズを掲げるための判子な訳で。
あっと言う間に終わらせたいところよ。
午前中は一旦ほっと一息入れたいところ。
何度になるでしょうか?
答えは「マイルド」!
って忍びないぐらいにトータルテンボスさんのネタだよそれ!って言っちゃいたいぐらい、
そのぐらいの余裕が欲しいわ。
うかうかしている間に
5分過ぎちゃったから、
今日はここまでにしておくわ。
またね。
うふふ。
もうこれだけあればいいです、ってなぐらい超リピ!
あとはいまいちなのかも知れないけど、
私の今のこのブームはそれよ!
相変わらずルイボスティーウォーラーが簡単お手軽で便利ちゃんよ。
横着して2度目のルイボスティーウォーラーをこしらえてみたけど、
やっぱり一番出のお茶の方が美味しいわ。
まさに二番煎じを地で行く感じで、
色も薄いし味も薄いってなぐあいよ。
横着したらだめね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
「昔は縦書きしかなかった」なら同意するけど、横書きの日本語ってのはどんな昔の話だい?
多分、増田が思ってるのは一行に一文字しか書かない縦書きやで。
進行方向から文字を読ませるようにペイントしてある車はまあまああるけど、そういう話なんだろうか?
その方式ならスリットみたいなところから車を見て、1文字ずつしか読めなくてもどちらを読んでも意味が通るなと思った。
そんな特殊な状況がそんなにあるのか知らんけど。
さっき飲み会から帰ってきた。こんな状況になってから初めての、本当に久しぶりの飲み会だった。しばらく会ってなかった友人にも再会できた。楽しかった。楽しくてマスクを居酒屋に置き忘れてしまったくらいだ。自分はインドア派でステイホームなんて別に不便でも何でもないよとか思ってたけど、やっぱりちょっと我慢していたんだななんて思った。
で、けっこう通りに人も戻ってきてるなとかタクシーの窓から外を眺めてたら、あれが目に入った。
「車導指 会協ーヤイハ〇〇」
パトカーみたいに白黒に塗り分けされてるけど、パトランプはない車の側面に書かれていた。もちろん反対側には「〇〇ハイヤー協会 指導車」とあるはずだ。(〇〇は町の名前)
前もって言っておくと、私は普段、「イケメン/美人だと言われてるあの芸能人の良さが分からない」とか「名作とされてるあのアニメの良さが分からない」とかいう人間に会うとウルセーなと思う側の人間だ。お前に好かれたり理解されたりするために世界は存在してねーよ、と。自分が理解できないものや良さが分かないものでも理由があってそこに存在していたりするものだ。それは分かってる。
でもだ、「車導指 会協ーヤイハ〇〇」はやっぱりおかしくないか? ハイヤー協会のやつは今回初めて見たが、トラックや商用車でよく見るあれだ。そもそも、何らかの理由(美しさとか?)で左右対称にしたいなら、当然ここは鏡文字になっているはずだ。そうしないと反対側と完全にシンメトリーにならない。それだと読みづらいだって? いや、「車導指 会協ーヤイハ〇〇」は読みづらいだろ。読みやすさ重視なら、普通に車の両サイドに「〇〇ハイヤー協会 指導車」でいいだろ。
こういうのを目にするたびに、私なりに理由を一生懸命考えてみるんだが、何度考えてもやっぱり納得できない。たぶん昔は横書きの日本語を右から左に読んでいた、あたりが関係してきそうな気はしてるんだが……
もうずっと長いことこのモヤモヤを抱えて生きている。たのむ、誰か納得のいく理由を説明してくれないか? こんなにこの世に存在しているからには、必ず理由があるはずだ。いや、納得できなくてもいい。私が納得できなくても、なるほどそういう風にこれを正しい/美しいと考えている人たちがいるのだ、という理解はしたい。
あとついでにCDのことを「シーデー」と言うと笑われるのに、「スィーディー」と言うとやっぱり笑われる(ような気がする)のは何でなんだ? シーディー? おかしくない?
酔っぱらってるのかな。寝ます。
実行力や経験値から、実際の政権運営を任せるには頼りなく思うが、
れいわや山本太郎現象の盛り上がりが、日本の反緊縮を象徴していることは確かだ
日本は右から左まで、既存の有力政党は軒並み経済政策がダメダメで、
明らかな富裕層優遇や財政再建至上主義という狂気、あるいは無関心という、それはそれはひどい状態だった
どんな屁理屈をくっつけようが、日本の経済政策がダメだったことは、失われた20年が実証している
山本太郎とれいわ新撰組は、これら状況に対する有力なカウンターとなる可能性を持っているのだが、
今回の大西つねきの除名処分にはつくづくがっかりしたり不安を感じさせられた
しかし大西がれいわ新撰組における有力な経済政策論者であったことは間違いない
れいわの反緊縮傾向をよく思わない敵対勢力、利害の相反する代議士や財務省に、
30人かな
縦横高さ10×10×10の形にワインを並べれば1000個並ぶ
右から左へ1面10×10 100本の「縦グループ」10セットに 右から「1~10」
手前から奥へ1面10×10 100本の「横グループ」10セット 手前から「あ~こ」
下から上に1面10×10 100本の「高さグループ」10セット 下から「A~J」を割り当てる
それぞれ縦 横 高さの3グループ全ての 1セット100本で30セットに1人ずつ割り当てられた30人が一斉にワインを飲む
仮に一番右「1」 一番手前「あ」 一番下「A」 のワインが毒ワインだとすると
縦「1」セット100本 横「あ」セット100本 高さ「A」セット100本を飲んだ3人が死ぬので毒ワイン1本が1回で絞り込める
>>死ぬのは10~20時間後の間のどこかのランダムなタイミング
というのはただのひっかけ
100回中100回 確実に24時間以内に見つけるには 最大20時間を見積もって一回の検証で見つける必要がある
企業側にとっての障害者雇用枠というのは何とかして埋めなければならない枠らしく、知的な障害を持った人に右から左へ荷物を運ばせて、終わったら左から右へ(もとに戻す)という意味のない仕事をさせてるところもあるらしい。
先日、服屋に行った。どこに行ったかは伏せるが自宅から電車で40分はかかるところだった。
もともと服を見るつもりはなかった。服ではなく、映画を見るためにその駅を降りたからだ。30分前に着けばいいと思っていたのが用意が早く終わって家を出ると、なんと予定の3本前の電車に間に合ってしまったのだ。結果、1時間半もの時間を私は持て余すことになった。ので、近くにある大きなビルを下から雑貨屋、服屋、化粧品、服屋と見ていくことにした。1店目の服屋は特に何もなかった。服の素材を右から左に触るだけの女だった。そこの店員がなかなかにアグレッシブで何かを手に取るたびに話しかけてきたから、逃げるように化粧品コーナーに逃げた。
そうしてビルの最上階にある服屋に入った私はさっきと同じように服を眺めていた。このあと映画を控えていたからもとより買う気は一切なかった。荷物を増やしたくなかったのだ。冷房の効いた室内でだらだらとしていても時間は1時間弱ほど余っていた。久々の外出ということもあって足も限界、最初から適当なカフェに入っておけばと自分を呪いながらマキシ丈のスカートを手に取ったその時、推しが横にいた。正確には推しではない。なぜなら私の推しは韓国アイドルでありこんなコロナのご時世に日本にいるはずがないのだ。そもそも日本ツアーが中止になった時点で逆立ちしても日本にいるわけがないに決まっている。こんなことは初めてだった。これまでの人生野中で日本一の男性アイドル事務所であるジャニーズのメンバーを追ったことはなかったが、ジャニーズファンの友達が「推しに似た人見た...」とうわ言のように呟くのを何回か見てきたことはあった。でも自分がそっちに回るとは思ってなかった。それでも隣に立って服を決まった場所に返している店員さんはどうしようもなく推しに見えた。とにかく目が似ていた。コロナ対策のマスクで目しか見えないからそれしか言えないが、目が似ていた。むしろマスクで見えないという事実が、もしかすると全体的に推しに似ているんじゃないかという妄想に拍車をかけた。そう考えているうちに店員さんは服を全部かけ終わって別のところに移動したがそれを見てまた思った。顔だけじゃない、体格も似てるんかい!!!!!!! 推しは足が長かった。実際の身長は180オーバーなため店員さんとは違うとわかっていたが悲しいかな私は未だ推しのサイズが実感できるような距離で推しを拝んだことはなかった。180越えの成人男性が米粒に見えるようなドームの端でしか見たことのない推し。唯一近距離で目視できる接近イベはせっかくの当選も虚しくコロナ禍で儚く消えた。
そんな私には店員さんが推しに見えた。自動販売機の横に立っては照れていたがそっくりな顔が付いている分こっちの方が100倍照れた。顔、滅茶苦茶小さかった。私の頭蓋骨をどれだけ削れば推しの小顔さに並べるのだろうかと思っていたが多分これはドリルなんかでどうこうするものじゃない。天性のものなんだろうな。現地で彼らを出待ちするファンってこんな気持ちだったのかな。推しの身長を体感できるの羨ましいな。Tシャツにジーンズだけでこんなにスタイルがよく見えるのって推しだけだと思ってた。裾を大きめに折り返すのも、そこから見える白ソックスもスニーカーも推しがしてたのを見たことがあった。髪型なんて私が推しにハマったきっかけのライブの髪型と同じだ。そのまま私は買いもしない服屋の店内をうろつきながら、たまに同じ列に服を返しに来る店員さんを視界の端に納めては馬鹿らしくドキドキしていた。しかも帰ってから気づいたことだが、推しに日本語は通じない。でも推しにそっくりな店員さんは日本語が通じるのだ。なんなら日本語が母国語なのだ。店にいた時も今も店員さんに話しかけるつもりは一切なかったが、声をかければ返ってきたのだ。寒いねと言えば寒いねと、暑いねと言えば暑いねと、普段私が行なっていたコールアンドレスポンスさながらの会話のキャッチコピーが推しとそっくりな人間とできる可能性が、日本人にはあるのだ。コロナで大変な世の中だけど、案外希望というのは残っているらしい。私にはないが。
おれは受託やってるプログラマで、コロナの影響で4月からリモートワークやってる
前からディレクターって伝書鳩以下だよなとは思ってたけどここ3ヶ月で確定的になった
そもそもデザインもプログラミングもやったことないやつができる仕事じゃないんだよな
ヒアリングも右から左に伝えればまだ悪影響はないけどそれすらできないし
ここ最近は打ち合わせはネットだから話すのおれらでディレクターは空気
たぶん何話してるかわかってないんだろうな
タスク管理もプログラマの仕事だと思ってるのか丸投げしてくるし
「え?増田さんリーダーっすよね?やりたくないだけっすよね?」
いやディレクターいないならそうだけどじゃあおまえは何やってんだよ
こいつめんどくさいしバカだ
他の会社どうなんだろ?
こう聞かれて、応用例の10個やそこら説明できないなら、数学教師をやめた方がいいだろう。
そんなことは頻繁に聞かれる疑問なのだから、その答えを用意するのは、講義をする側として当然である。そうでなければ、そいつは指導要領に書かれたことを右から左へ流してるだけの無能である。
仮に、何かの法律について説明するなら、条文をコピペするだけではなく、制定の経緯、関連する用語の意味、具体的な状況で何が違法になるのか、といったことを説明するのが当然である。
学校の勉強以外のあらゆる物事で、こんなことは当たり前だと認識されている。こういうことができないのは、単純に教師の怠慢および能力不足である。
アンチ安倍の主張とは裏腹に、安倍政権はビビリだから、新解釈の強行でも改竄でも、コトの本丸には手を付けない傾向にある。
原理的にはやりたい放題になる可能性はあるんだが、それを利用してめちゃくちゃやるのかというと、そうでもない。
森友の改竄も、読めば確かに文書の趣旨は変わっておらず、まあ政治家とか首相夫人の名前が消えてたんで一部の人らは発狂してたけど、
彼らの関与で土地の値段が下がったわけではないのは明らかだったんで、あれ、野党マスコミにビビりすぎたのが最大の失態なのよ。
要は安倍政権というのは、とりあえず政権が存続することが至上命題になっている感すらある。改憲ですら与党陣営へのポーズに見えてしまう。
安倍が巨額のカネを動かすとか、どこ見てもないでしょ。疑惑になるのは、政権周辺の、せせこましい案件ばかりだ。
それにしてもポスト安倍となると、与党にも野党にも、インパクトのある経済政策を語れるものが少ない。
ええ、安倍のやってることは緊縮ですよ。ただし安倍に信念はない。風向きが変われば、コロッと2回消費増税を延期したりもする。
信念がなければこそ、財政拡大派の学者をしれっとブレーンに据えたりもするし、またその下で金融緩和だけ続けつつ、財務省の言うがままインフレにならぬよういわゆるデフレスタビライザーで財政出動を抑え、財政健全化の実績を作っていたりする。
しかしこんな右往左往の安倍に対してですら、特にマクロの経済政策において、アベノミクスの問題点を個別に指摘し、うちの党は金融政策はこうやる、財政についてはこうだ、と語れる政治家もほとんど皆無だ。
アベノミクスは金持ち優遇!格差拡大!としか言えない奴ら、論外。「人への投資」しか言えないのも、論外。
さらにコロナ騒ぎで増税を正当化しようと躍起になっている連中が跋扈している。これに日本の国民が抵抗するのは、至難のわざだよ。
安倍みたいに汚れまくってる奴より、清廉な顔して、国民のために寝ずに働いてます、この身を犠牲にしてでも国民のために頑張ります、みたいな顔してる奴が、一番危険。