はてなキーワード: 働く男とは
昔から炎上というのはあった。しかしそれは特定の掲示板などごく一部のコミュニティー内でだけのもので、世間を賑わせるほどの炎上というのはそこまで多くはなかった。
しかしTwitterやFacebookといった文字通り世界規模のSNSの登場と、スマートフォンという今や小中学生でも持っている携帯端末の登場で、炎上は一気にその範囲を広げることになった。
■何をするにも息苦しさを感じる
もちろん炎上するからには相手にそれなりの非がある場合が殆どで、そういう意味ではSNSなどを通して社会を監視するというのはとても良い行動のように思える。
しかし、私はそこに危うさを感じるようになってきた。
SNSのようなメディアというのはいわゆる虚業にあたり、良くも悪くも他人のふんどしで相撲を取って生きている分野。
あろうことか、その虚業の側にいる人間が、目についたふんどしを全て焼き尽くそうとしている。
■そして悲劇は起こる
他人のふんどしを焼き尽くしてしまった実例として、2013年に都内飲食店で起きたバイトテロ事件が挙げられる。
この事件は、その飲食店で働く男子大学生が、店内での悪ふざけ画像をSNS上に公開したことがきっかけとなり、瞬く間に世間に知られ炎上することになる。
この時、炎上したのは当の男子大学生だけではなく、飲食店側にも非難の電話などがひっきりなしにかかってきたという。
結果、店は閉店し、その後は営業を再開することもなく破産に至ってしまったというもの。
もちろん店側の監督不行き届きだという意見も分かるし、不衛生さを感じるというのも分かる。しかし、この結果は果たして本当に正しかったと言えるのだろうか。
無事に保育園落ちた。
育休延長させてもらいます。
これでまだ子どもとべったり一緒にいられる!
働かなくてもお金がもらえる!
育休手当万歳!
ひと昔前だったら、産後まもなく仕事復帰しないといけなかったけど、
育休手当がもらえるおかげで働かずして貯蓄ができて、とても助かっています。
児童手当だって、今の制度のままいけば中学卒業までに約200万円もらえる。
子育て中の女性がみんな、働きたいから保育園増やせ!日本死ね!と思っていると思ったら大間違い。
ただそれだけ。
って声を大にして訴えているのは、一部のキャリア女性だけであって、
育休延長期間が終わっても保育園に入れなかったら、今の会社は辞めざるを得ないけど仕方ない。
もしそうなったら辞めて夫や親に子どもを預けられる日だけパートでもしようと思う。
夫が激務だったり育児に協力的じゃなかったり、預かってくれる親がいなかったり、今の会社を辞めたくなかったり辞められなかったり、人それぞれ事情はあるだろうけど、
働きたいのも働きたくないのも働けるのも働けないのも預かってくれる家族がいるのもいないのも今の会社を辞められないのもぜんぶ自分の都合。
児童手当も上げなくて良いよ。
保育園なんか減らしたって良いよ。
一つだけ言わせてもらうと、
男が稼げる世の中にしてください。
金があれば子供産むって人がたくさんいるんだから取り敢えず男の給料上げてください。
女性が活躍できる社会を…って言うけど、男性の育児参加を…って言うけど、
そんなに女を扱き使わないでください。
男性の育休なんてとんでもない。
男は働いてお金を稼いできてください。
誰も養っていない人はお金なんて要らないでしょう。
そのぶん扶養控除額を増やすとか、結婚して家庭を持つと収入が増えるように、家庭を持つ男への支援制度をもっともっと作ってください。
働く女性応援!とかそんなの要らないから、女性が働かなくても良いように働く男性を応援してやってください。
保育園受かったら、我が子を他人に預けて毎日長時間働かなければならない、それがあと何年続くんだろう。
幼い我が子を他人に預けてひたすら働いて、落ち着いた頃には、我が子は何歳になっているだろう?
子どもと過ごせる限られた時間を奪われてまで自分のキャリアを守ることが幸せだとは思えない。
豊かな社会なんじゃないだろうか?
実は効率的なんじゃね?と思うようになった。
女性はいくら環境が整備されたとは言え、様々な差別や障壁が有るし、妊娠出産の期間仕事を休まないといけないから、ずっと働く男との競争は不利だ。
男も本気で働くとなると、家で洗濯や掃除しているヒマは無い。家政婦入れると家事は解決するかもしれんが、孤独で病む。
そして男女とも、若い間は子供なんて不要と言っても、年をとると産めばよかったと言う。これ、数十人に聞いたが今まで例外が無い。
皆無とは言わんが、子無し夫婦の大半が産めば(産めれば)よかったと思っているのではないか?
男女差別とか平等とかのお題目は美しいが、世の中の仕組みを変えるよりも適応して生きた方がQOLは高いのではないだろうか。
男は死ぬほど働く、1日12時間は働く。女は家事をやって子供の面倒を見る。これを比較優位の分業と見れば、効率的ではないか?
ぶっちゃけ、日本企業は残業した人から昇進していくシステムなので、労働時間を1人に集約した方が効率的だ。2人で8時間×2働くより、1人で12時間働いた方が昇進が早く給料も良い。
男女共同参画とか、女性の活躍とか煽っていても、現実は制度がまだまだ甘いし、生理的機能の差で20~30代の数年を妊娠出産育児に取られる女性が働くのは非効率だ。
ならば世の中に合わせて生きるという選択肢も有ってよいのではなかろうか?
自分の生きたいように生きる権利を認めた上での、効率的な生き方の提案という話だが。
事故や病気や離職で詰むとの意見ですが、共働きでも同じでしょうね。
そもそも、共働きで片方が不測の事態で働けなくなった時、家計に問題が無い家庭がどれだけ有るのでしょうか?
働き手を片方に限定する事で、少なくとも住宅ローンは団信によってリスクヘッジが容易になります。
12時間働きたくないとの事ですが、共働き8時間で家事育児を並行してやる方が疲れます。
8時間働いて暗い家に帰ってきて、そこから食事の準備や洗濯をして、風呂に入って風呂掃除、明日の買い物まで。
子供が居ればお迎えと寝かしつけ、高額な時間外保育料金の支払いも。掃除機をかけられるのが休日だけだから、そこまでやっても家は埃っぽい。
男女共同参画を推進する人は、ここまで考えの浅い人ばかりなのでしょうか?
先日実家に帰った。
実家には母とシングルマザーの姉、4歳の姪と2歳の甥が暮らしている。
姪と甥はとにかく可愛いのだが、実家に帰ってしばらくは怖がって近寄ってくれない。
2~3時間くらいすると徐々に話してくれるようになるのだが、それが毎回続く。
そのことを母に話して「恥ずかしがりやなのかな?」と聞いたら、「それは違う」とのこと。
「○○(おれ)が出してる気が怖いんだよ」
母いはく、帰ってきたばかりのおれは「働く男の気」のようなものが出ていて、
女性ばかりの実家にはめったに現れない類の人間だから、それが怖いらしい。同じような理由で、佐川のお兄さんも怖いらしい。
子どもたちがおれに慣れるからではなくて、おれが実家の空気に慣れてくるからか、気が弱まるから。
そういえばおれも子どもの頃、仕事から家に帰ってきたばかりの父が少し怖かった記憶がある。
いつも見慣れている父とは少し違う印象があった。何か怖かったけど、少しカッコよくもあった。
カッコいい父親像というのはこうしてできるのかもしれないと思う。
http://www.bit-hand.com/entry/how_to_increase_womens_engineers を読んでふと思ったことを書く。内容は全然関係ない。
ざっくり言って「IT系」と呼ばれるようなインターネットやウェブ関係の会社をいくつか見た範囲では女性従業員は確かに少ない。ウェブデザイナーは半分ぐらい女性の事もあるがウェブプログラマになると2割ぐらい、ネットワークやインフラ系になると1割を切るというか3%ぐらいな印象だ。
そんな職場で働く男性は、学生時代からずーっと今も、プライベートでも女性との接点が少ない人が多い。多いとは言えこういった男性は半分程度だろう。会社や年齢層にもよるが35歳にもなればエンジニアでも結婚している男も3割~6割ぐらいはいる。未婚であっても全員が非モテではない。それでもなお、男の多いIT系企業においてはあまり「イケた」もしくは「チャラついた」雰囲気が支配することは少ない。
そういう所に突然女性エンジニアが現れると非モテ男子たちがザワつく。
女性に気に入られたいがためにひいきをし始める人、妙にハッスルする人、社内恋愛みたいなものに発展しその喜怒哀楽を仕事に反映させちゃう人、女性に不慣れなあまりうまくコミュニケーションを取れず業務上のやりとりもままならない人、などなどだ。
ひいきなどであからさまに待遇(給料とかって意味ではなくて)を良くされている姿を見れば他の人も気分のいいものではないし、その他もいろいろとにかくうっとうしい。
1歳の娘をバギーに乗せ、3歳の娘の手をとりながら、私は横断歩道の前で待っていた。
住宅地にあるバス通り、それなりに交通量は多いが、信号機はない。
朝の通学時間帯には、地域の父母が旗を持って立ち、子どもたちの通学の安全を守っている。
結局、スピードを落とすことなく走り去る自家用車やタクシーを十数台ほど見送った後、やってきたバスが横断歩道の手前に停車してくれた。
3歳の娘は危なっかしく傘を肩に預けながらも笑顔でバスの運転手に手を振り、私は軽く会釈をしながら横断歩道をようやく渡り終えた。
自宅への道を急ぎながら、娘は「みんな、なかなか止まってくれないよね」と、ぽつりと呟いた。
つくづく、この国で子どもを産み育てていくのは大変なことだと思う。
出産費用にはじまり、医療費に教育費はもちろん重くのしかかる。
家族が増えれば住居の広さも必要になり、自炊するにも食材が増えた分だけ、食費の増加は避けられない。
年に一度くらいは遠方の祖父母に子どもと会う機会をつくろうと思えば、交通費もかなりのものだ。
子どもを育てるコストを負担しつつ、自分たちの老後に備える必要もある。
問題は、その原資となる収入だが、今や雇用の安定など私たち20代や30代には望むべくもない。
成熟し、縮小していく社会において、高度成長期のような右肩あがりの成長に伴う給与上昇は考えられない。
となれば、椅子取りゲームで競争に勝ち、立場と給与を力づくで手に入れるしかない。
勝利しなければ、生き残らなければ給与の上昇を見込めないどころか、今の仕事すら失うかもしれない。
そしてその競争に参加するには、子どもの存在は重たい足かせになる。
家に帰って子どもの世話をするために、そして週末には子どもに時間を使うために、働く親たちは必死の思いで自らの仕事を効率化する。
だがそれでも、突発的なトラブルがあり、夜遅い時間に設定される会議があり、そして就業時間後のコミュニケーションが命運を握る社内政治がある。
子どもを持つ親は、子どものいない同僚たちと対等に競争に参加することは難しい。
この国のビジネス社会は、仕事にすべてを捧げ、集中する覚悟と実践を要求する。
この競争は、ブラック企業だろうと、優良企業だろうと、実はさほどの違いはない。
では、夫婦の内の片方が仕事に全力を注ぎ、もう片方が子育てを一手に引き受ける分担をすればいいのだろうか。
私たちの親世代で一般的だったように、企業戦士と専業主婦という分業により、家庭を経営していけばいいだろうか。
答えはノーだ。
なぜなら、私たちの親世代と私たちでは直面しているリスクの大きさが違いすぎるからだ。
かつて、日本企業は滅私奉公を要求するかわりに、少なくとも正社員として働く男性たちの雇用を守ってきた。
そのしわ寄せは、結婚によって退職する若い女性社員や、パートタイム労働者が負っていたが、彼らは主たる生計者ではなかったから、それでも「雇用の安定」というお題目は守られていた。
今は違う。
主たる生計者が期間限定の雇用に甘んじている状況は珍しくない。
正社員ですら、いつ競争に敗れ、仕事を失うかわからない危機感に常にさらされている。
どちらかが仕事を失っても、次の仕事を見つけるまで、家計を支えるためだ。
競争に勝たなければ所得の上昇が望めない社会で、成長し、お金を必要とする子どもたちに応えるためだ。
そのためには、母親である私は急いで仕事復帰しなければならなかった。
数が足りない認可園に入れないリスクに対処するために、先着順の無認可園を徹底的にあたって予約金も支払った。
秋生まれになるように調整したのは、産休明けにシッターを利用して急いで仕事復帰し、認可保育所選考のポイントを加算するためだ。
11月生まれで1月後半からシッター利用で復職、生後半年を待たず0歳で認可保育所に入園できれば、私たち夫婦の収入でも対処できる。
本当は4月や5月頃生まれの方が、0歳入園でもほぼ1歳に近く、子どもとの時間を持つことができるが、それでは約一年も仕事を離れることになり、復職のハードルが高すぎる。夏から翌4月までをシッターで乗り切るのはあまりに経済的負担が大きかったので、断念せざるを得なかった。
結局私は2人の娘を産んだが、仕事を離れていた期間は通算で一年に満たない。
そこまでして復職しても、いわゆるマミートラックからは逃れられないが、それも甘受するしかない。
「保育園落ちた日本死ね!!!」というブログが話題になったが、ネットで何を叫ぼうと誰も助けてはくれない。
同情の言葉くらいはもらえるかもしれない。数年先には状況が変わるかもしれない。
それでは目の前の子ども、不運にもレールに乗れなかった家庭には手遅れだ。
誰もが自分の生きる場所を守り、しがみつくことに精一杯の世の中で、他者に手を差し伸べる余裕がある者などほとんどいない。
保育園に入れないのも自己責任だと切って捨てられる、それが現実だ。
ちなみに、そこまでして入った保育園も、子どもが体調を崩せば利用できない。
行政が提供する病児保育のサービスはあまりに貧弱で、フルタイムで働く私たちには使いこなせる余地がなかったから、いざという時には高額な病児ベビーシッターサービスも活用している。
そこまでしてでも、母親が正社員という立場を守って働き続けなければ、子どものいる家庭を守ることはできない。
少なくとも私はそう考えている。
母親は一度仕事をやめ、子どもが手を離れる年にまで育ったら、再び仕事を探して働けばいいという識者がいる。
そういう人は、十分な学歴と意欲があり、健康な体を持ち、自分自身以外に面倒を見るべき存在がいない若者ですら、安定した仕事を得ることが難しい社会の現状を知っていて、そんなことを言っているのだろうか。
誰もがいつ仕事を失うかわからない、そして失業した際のセーフティネットがあまりに貧弱なこの国の仕組みを理解していて、言っているのだろうか。
ひとり、あるいは複数の人間を新生児から社会人まで育て上げる責任の重さを、親になったからには背負わなければならない。
それも親になるという選択をしたのは自分たちなのだから、自己責任の範疇である。
費用も、機会も、制度をいかに利用して乗り切るかも、すべて親の才覚にかかっている。
それでも、私は自分たち家族が驚くほど細い綱渡りをしていることを自覚している。
もし娘たちや私たち夫婦の誰か1人にでも何か不慮の事故や病気があれば、この綱渡りを続けられる保証はない。
ここまでは、物質的な話だ。
子どもを育てるには、物理的金銭的に大変な努力が必要なのはもはや否定できない。
次に、親になる者が直面するのは、精神的な困難だ。
公共交通機関に子どもを乗せるなという論争が、日々至る所で巻き起こっている。
冒頭、娘が呟いたように、横断歩道をゆっくりとしか渡れない幼い子どもを連れた親は、道を渡ることすら容易ではない。
必要なしつけはしているつもりだし、公共の場でのふるまい方を教育するのは当然親の務めだと考えている。
それでも、子ども連れでいることで向けられる世間のまなざしに、どうしようもなく辛い思いをすることはある。
一人だったらとくに気にすることもなく車の間をぬって渡ってしまえる道も、子どもが一緒だから、安全を確認するまで辛抱強く待つ。
走り去る車をじっと見つめる娘の澄んだ瞳と、だんだん冷たくなっていく小さな手のひらに、どうしようもない心の痛みを感じながら、私は待つ。
もちろん、指定席を子どもも含めて人数分取っているが、たまたま私たちの近くに乗り合わせたビジネスマン風の男性は、あからさまなため息をつき、はしゃぐ娘たちを見て舌打ちする。
大きな声はださせない、椅子にはきちんと座らせる、そして食べ散らかすような菓子類は与えない。
飲み物はこぼさないようにストローやマグを準備し、それでも万が一に備えてタオルや着替えは常備する。
万全の準備をしているつもりでも、子どもの機嫌が悪くなることがある。
だが、帰省シーズンともなれば、指定席車両のデッキも自由席券の乗客で溢れ返り、苛立つ彼らは泣きじゃくる子どもを抱えて現れた親を睨み付け、ため息をつく。
一体、子を持つ親はどうふるまえばいいのか。
子が公共の場所で泣かず、疲れたとわがままを言わないようになるまでは、外になど出るべきではないのか。
容赦なく投げつけられる批判のまなざしを、せめて子どもが直接こうむることがないよう、親は細心の注意を持って配慮し、矢面に立つ。
自分で選んだ生き方なのだから仕方がない、これも自己責任だと言い聞かせ、今日もぐっと奥歯をかみしめる。
仕事を持ち、愛するひとと結ばれ、子どもをもうけて家庭を築き、社会に参加する。
本当に幸せなことだ。
川の字に並んで眠る夫と娘たちの寝顔を見る時、私は自分の歩んできた道が間違ってはいなかったことを自覚し、そしてたとえようもないほどの幸福感に満たされるのを感じる。
だが同時に、ひどく不安にもなる。
私はこの先も、この幸せを守り続けていけるのだろうか?
家族の健康を守り、仕事を守り、娘たちの未来を保障し、自己責任をまっとうできるだろうか?
身の丈に合わない幸せを追い求め、手にしてしまったのではないかと悩むことがある。
本当は、私のようなごくありふれた個人がまっとうできる責任など、自分ひとりが生き抜くくらいのことなのかもしれない。
仕事に集中し、結婚も出産もしなければ、私がとるべき自己責任の対象は私1人分でよかったはずだ。
ただ、保育園に子どもをいれられなかった親が怒り、子どもの障害とともに生きる親が絶望してしまうこの世の中で、ありふれているはずの家庭を持つ親が何を考えているのかを伝えたかった。
今、この国で子どもを持つということは「自己責任」の範囲を子ども全員にまで広げるということだ。
それでも子どもが欲しいなら、産み育てる責任をまっとうしてほしい。
…ありふれた幸せに憧れているだけなら、残念ながらお勧めできない。
だが、各論では真逆であり、子どもを持つことはリスクであり、ペナルティでしかない。
私たちは誰もが自分の幸せを自由に追求する権利があるが、子どものいる幸せは非常に高価だ。
子どもを持っても、誰も褒めてはくれないし、助けてもくれない。まして見返りなどないし、批判にさらされることが増えると覚悟してほしい。
それでも子どもを持つのは、子どものいる幸せがそのリスクやペナルティを度外視させ、高価さに見合う以上の精神的な充足をもたらしてくれるからだ。
私は正直、覚悟が甘かったから、今でも時々こんな風に心を痛めたり、迷ってしまう。
まだまだだな、と思うばかりである。
世の中の全員必死で競争してるのに俺は残業したくないとかとにかくナメてるのかとしかいいようがない。
棋士とかが1日10時間までしか自分の仕事のこと考えたくない。とか言ってたら応援したくなるか? 後悔しないように一日中考え続けろって思うだろ。
社会にろくに出たこともないくせに働く男への羨みの感情だけで社会進出がどうとかほざいてるから現実が全く見えてない。
だいたい男が働く機械って言われて怒るか? それを女は生む機械って言われると怒るんだから意識の甘さがわかるだろ。
そのくせに勝手に生む機械になって途中で脱落しやがる。アホか。
自分の働いてる会社を自分が育てるくらいの意識持てよほんと。運命共同体なのわかれよ。お前らみたいなのがいると頑張ってるやつらが割りを食うんだよ。
20歳大学生。専業主夫になりたい。僕は家事がとても好きだし、おそらく専業主夫に向いてると自分で思う。
料理は高校生から趣味でやってきていて、調理器具も沢山持ってる。少し料理できるっていうぐらいの女子とかよりは、遙かに上手だと思う。
洗濯も好きだ。一人暮しを始めてから、自分のタイミングで好きなだけ洗濯できるようになったのが、かなり嬉しい。一時期、洗濯するために無意味に下着を着替えまくったこともあった。
掃除ももの凄く好きだ。ルンバなんて買うことは考えられない。俺の楽しみを奪われる。一番好きなのは整理整頓だけど、拭き掃除も好きだ。
倹約というか、節約も好きだ。行きつけのスーパーのチラシをチェックして、安いもので献立を考えたりするのも超好き。楽しい。
それに、浪費する趣味もない。趣味は将棋なのだが、お金を使うとしても、棋書(将棋の参考書、高くても一冊1500円ぐらい)を買うぐらいで、一ヶ月にバンバン読むようなものでもないので、全然お金がかからない。対局はネット(24)なので、無料でやれる。
自分は専業主夫に向いてると思うし、専業主夫になりたいと思ってる。だけど、なるのが難しい。女性だと、働く男性に嫁いで、「あなたをサポートするわ~」と専業主婦ルートが綺麗に舗装されていると思う。
だけど、男にはそれがない。一回だけ、合コンもどきで上に書いたみたいに、ざっくり家事が好きなんだーみたいなこと言ってから、「専業主婦になりたいんだー」と軽く言ってみたら「え?ヒモになりたいの?」みたいな反応ばっかりだった。まあ、流石に露骨にそう言われたわけではないけれど、女性陣の反応は冷めた感じだった。
共働きでパートナーを助けるって感じが現実的なのだろうか…。多分、将来的にそうなるんだろうけど、そうなると専業主婦が羨ましすぎて、悔しい。
働く女性を見つけて、そこから専業主婦を目指すルートが最後の望みだと思うんだけど、働く女性はどこにいるんだ!!募集してます!!専業主夫してる人の話も聞きたいです!!
最近何かと話題の“マイルドキャバ嬢”というキーワード。地方都市のキャバクラで働き、休日はドンキなどで過ごす、従来のキャバ嬢よりも安価な現代のキャバ嬢たちのこと。彼女らは上京志向を持たず、低学歴・ブスであるケースも多いが、人情に溢れ、地元で深く強固な人間関係を築くのが得意で、できちゃった結婚も大概早い。彼女らの言動や振る舞いを注意深く観察してみると、都会で働くキャバ嬢が失ってしまった、純粋な部分をしっかりと保ったまま生きている姿が魅力的に見える。もしかして、会社で揉まれるストレスフルなアラフォー男子にこそ、彼女らのような存在は必要なのではないか……? 拙者が先日、偶然入店した際に気づいた、マイルドキャバ嬢の魅力について考えてみた。
中・高時代を振り返ってみると、なぜか普通の女子よりちょいエロ女子がモテたという記憶がある方も多いのではないだろうか。モテた彼女達は、なにかと恋愛経験が豊富だ。男子が喜ぶ振る舞いをよく理解しているし、彼氏にはもちろんのこと、男友達もヌく。
女同士で話している会話に男子が1人入ってきても、キャバクラのNo1さながら自然と男子が主役になるように会話を回す配慮が出来たり、ご飯に行ったら後輩や男子に奢るのは当たり前、道路を歩いたらさり気なく腕を組んでおっぱい当てるのは当たり前、車に乗ったらラブホまで行くのが当たり前……というような習慣があるようで、ベタだけど「ちょっとエロじゃないか?」と感じさせる振る舞いがサラっと出来たりするのである。
マイルドキャバ嬢たちと会って、1番驚いたのは、意外と都会で働く男子の仕事に興味があるということである。トラックの運転手、大工、鳶職、警備員などの地元で働く客が多い彼女らからしてみれば、いつもの客とは全く異なる環境や職種で働いている男子がどんなことをやっているかというのが気になるようだった。物珍しさからなのか、地元で働く男子たちよりもよっぽど興味を持って仕事の話を聞いてくれる。「ガラケーって何の略ですか。お客さん答えられる?」「えっと、ガラパゴス……」「ガラパゴスって何(笑)超ウケるんですけどー! 私パソコン使えないの。ビットコインって、投資とかしちゃうの?」「どれくらい儲けるの?」「Macとか使っちゃうの?」
こちらとしても、キャバクラの仕事が稼げるという話や、彼女らが出会った客や同伴喫茶の話を聞いていると、新鮮で面白いし、自分と違う領域で頑張っている姿に素直に感心してしまう。
仕事で息詰まった時、マイルドキャバ嬢たちと話をしてみると、意外と新しい発見があったり、ふっと力が抜けるような気持ちになることもあるかもしれない。
キャバ嬢と言えば、「とにかく何かいけないことをやらかしてそう」と考える人も多いのではないかと思うが、先述したマイルドキャバ嬢たちは、案外大きな“コト”は何も起こさず、現在は平和に暮らしているという人が殆どだ。もしかしたら、昔はエッチな事件も1つ2つ起こしていたかもしれないが、そういう人間ほど、今はママになって、家族の為に必死で主婦していたり、自分の子どもや料理作りに誇りを持って懸命に頑張っていたりする。
彼女らは都会に出ていないだけに、ヘタな計算高さや、見方によっては痛いプライドみたいなものが一切身についていない。ありのままの姿で身の回りの環境や友人・家族・恋人を大切にし、絆を築いている。ある意味、都心でバリバリ働き、しれっと男子にエスコートさせる女性よりも信頼性が高い人々なのではないかと思う。
一般的に清楚・可憐な女性は、需要が多いためにすぐに売り切れてしまうのが現実。都会で働く男性こそ、そういった女性に目が行きがちだ。しかし、洒落た店や最新のデートスポットに連れていかなければという発想はなくとも、地元や仲間との絆を大切にし、自分の持つ領域で最大限に相手を楽しませようとしてくれる、サービス精神の強いマイルドキャバ嬢たちこそ、都会の荒波に揉まれて疲れた男性に癒しを与えてくれる“結婚相手”になり得はしないだろうか。「俺の地元にもマイルドキャバ嬢がいる!」という男性は、この機会に地元に住むキャバ嬢たちに目を向けてみてはいかがだろうか?
駅から少し距離のある喫茶店。この街では、それなりに長い歴史を持つお店なのだが、駅前開発の影響を受け、つい先日現在の場所に移転した。オーナーの意向で、移転を機に若い女性向けの内装となったため、長い歴史には似つかわしくないポップな洒落た空間となっている。仕事の息抜きに、ぼくが立ち寄るお店のひとつ。二十代〜四十代の、働く男性たちがこのお店を利用する主な顔ぶれだ。
移転してからというもの、近くの高校に通う女子高生たちが出入りするようになり、それはそれで平和的な絵面なのだが、どこか尻がむず痒く落ち着かない。だから、最近は専らお昼が落ち着いた時間に寄るようにしている。この時間はお客さんも少ないため、ぼくはオーナーや店員さんたちと他愛もない話をしながら、珈琲を二杯飲んで帰る。この日もそのつもりだったのだが、思わぬ出会いによって習慣を破らざるを得なくなった。
その老人は、店内に入ると軽い戸惑いの表情を浮かべたが、数秒のうちに何かを納得し、カウンターに腰を据えた。お客さんはぼくと彼だけだ。カウンターに二人で並ぶカタチになった。老人はぼくの前に灰皿が置かれているのを目にし、自らもガサゴソとポケットを探りはじめた。オーナーの女性が、スッと灰皿を出す。老人は煙草を探す仕草をいったんやめ、オーナーの機転に「ありがとう」と会釈をする。その仕草から「ダンディで、丁寧なおじいさん」という印象が漂う。ぼくは不思議と、この老人がいまのこのお店の雰囲気に最も似合っている人物であるような気がした。
芯の通った太い声に、オーナーがもちろんですよと笑顔で答える。老人は、珈琲を淹れる準備をしはじめたオーナーを優しげな目で見届け、ポケットから丁寧に折りたたまれた一枚のチラシを取り出した。すぐ近くのデパートのチラシだ。
「クリスマスケーキ…ですか。」
ぼくは何気なく尋ねた。
「ひ孫に…ね。」
老人はチラシを前後させながら、文字の読みやすい距離を測りつつ答えた。
「ひ孫さんですか。」
ぼくは少し驚きの気持ちが込められた声を出してしまった。オーナーも少し顔を上げ、驚きの表情。ご老人は、確かにご老人だが、ひ孫がいるような歳には見えなかった。そんな空気を察したのか、老人は「ふふ…今年、九十歳」と照れくさそうに自分の歳を告げた。
「九十歳!」
「…そう。長生きしてしまったねえ。ここらも変わるわけだ…。」
「九十歳というと…ぼくの六十五歳上ですね…。」
「そうかね。君は孫より歳下か…この歳になると、若い子を見ても幾つか判断つかなくなるなあ。」
「はあ…それはそうで…いや、そういうものですかね。」
「おまたせしました」
「このあたりでお仕事をされていたんですか?」
「このあたりは、たまにかな。魚をおろしに来ているんですよ。」
「魚…」
「え…!まだ現役なんですか!?」
「そうだよお!さすがに重たいもん運んだりするのは、若い人たちに任せているけれどねえ。」
「はあー…」
「いまは…いい時代になったよ。君たちは自由だ。軍人勅諭を暗記する必要もない、どんな仕事だって選べるし、勉強したいことがあれば、その道の学校はたくさんある。幸せな時代だよ。」
遠い目をして語る老人に、ぼくらは何と言ったらよいかわからずにいると、老人は「まあ、私たちだって負けじと幸せだったけどな」とニヤリと笑ってみせた。説教臭い話がはじまるわけではなさそうで、ぼくは少し安心した。店内の緊張が一気に解けていく。
「若い頃は、どちらにいらっしゃったんですか。」
「戦後は東京だねえ…東京に出てくれば何でもあると思っていた。」
「ああそうさ。あの頃、渋谷の喫茶店には珈琲とあんみつしかなかった。フルーツポンチというものを出す店が出はじめた頃は、仲間とみんなして食べに出かけたものだ。」
「…なんだか、想像もつかないです。」
「そうだろうねえ…メチャクチャな時代だったよ。何もなかったけれど、楽しかったし、若さだけはあった。それに…」
「それに…?」
煙草の煙をふかし、一呼吸置く。「…女性も美しい人が多かったねえ。」
オーナーが嬉々として尋ねる。「おじいさん、カッコイイし、モテたでしょうねえ。」
老人は煙を払うように手を動かし「ぼくは、ぶっきらぼうだったから全然ですよ。」
老人は、遠くを見つめるようで、すぐ近くのことを語っているようだった。
「ふむ…」老人は少し思案を巡らせ「…言葉遣いが綺麗な女性だね。言葉遣いが綺麗な女性は、セクシーだよ。」
この言葉に、ぼくは胸を打たれた。「美しい言葉遣い」と「セクシー」という単語が、こんなにもスマートにイコールで繋がることを、ぼくはこの時まで知らなかった。
それから、老人はぼくらの知らないこの街、東京、日本という歴史を語り聞かせてくれた。やがて「おお、そろそろひ孫のケーキを買いに行かないと」と言って立ち上がり「はじめて入ったけれど、いいお店ですね」と優しく言葉を残し、去っていった。
その言葉に煽られるようにして、予定時刻を大幅に過ぎていることに気づいたぼくも立ち上がった。