はてなキーワード: 一枚岩とは
マイナーな話題だから反応って言うかブクマもトラバも無いと思うけど(って予防線張ったけどめっちゃあったわ。ありがとね)
ドラゴンクエストの漫画作品って色々とあるじゃないっすか。俺、基本、(電子書籍中心に)全部買ってまして。
スライムもりもり
スライムドーン
ゆうべはお楽しみでしたね
で、全部買って読んだ結果一番おもしろい漫画が何かと考えた結果
まず、敵が超頭いいのよ。敵には「復讐の月(イシュ・ヤンカル)」という大魔術だか魔導兵器だかの発動という勝利条件があって
その勝利条件を人類(アストルティアの5種族)達に知られないように達成しようとしている。
その魔族側が持つ余裕の範囲内で、研究をしたり復讐に動いたり。敵として考えられる範囲内で理性的に行動を起こしていて
一枚岩ではない魔族側をうまい事まとめている国家の長としての魔公王イシュマリクが超かっこいい
魅力的な物語は超魅力的な敵あってのものだと思うので、敵が作中で最高に魅力的なキャラクターというのがまず最高。
それを倒すべく立ち向かっている我らが主人公のソウラもすごいキャラクターで
最初はチートとも言えるエクステンションライン(ドラゴンの紋章)頼りのキャラクターだったけど
自分がライン以前から持っていた剣術への理解を深める事で新たな境地へたどり着いたり
ネームドキャラクターみんながやりたい事や目指している事が違っていて、それぞれが「作者に動かされている」のではなく
「生きている」って感じのキャラクターなのが素晴らしい
あと、ドラクエ10の世界なので、今行われている海底魔城攻城戦は100名の読者投稿キャラクターが活躍しているんだけど
流石にドラクエ10の勇者ほどのパワーは無いという描写は守りつつ、メドローアのような呪文や
魔術を極めた者によるハッキングだったり、旅の扉の建造による補給路作成作戦だったり
全編にドラクエ11~10にいたる全てのドラクエの要素が網羅的に使われていて
他のドラクエ漫画はだいたいが「主人公達が作品世界内で最強」なんだけど、ソウラは全然そんな事なくて主人公達の実力はその世界の中でも低い所からスタートしていて、主人公よりも強い冒険者が山程いるっていう層の厚さも個人的に好き。
ドラゴンクエストという超有名ブランドでもスピンオフとなると追う人はあんまりいないんだなぁって思った。
ドラクエ10で遊んでたらスマホアプリ経由でタダで全話読めるからドラクエ10遊んでる人はだいたい読んでいるんだが・・・。
この作品は面白すぎるのでドラクエ10を遊んでない人にもおすすめできてしまう。
と言うかVジャンプ、今、全ての漫画雑誌の中で一番おもしろいまであると思う。
ダイの大冒険の前日譚も連載中だしな。
【追記】
「タダで読めない」については1日10ジェムもらえるからコツコツ溜めれば年間3650ジェムになるログボで買ってるって人が多いのよ。(そのおかげで紙の売上そんなに無いのに8年以上連載続けられてる。スクエニ様様)
この漫画の何がいいって「バイシオン」「スカラ」「ズッシード」なんかの補助呪文が効果的に使われてる事だったり
キラキラポーンやHPリンクやビッグバンやギガスラッシュのような特技がカッコよく使われてる事だったり
他のドラクエ作品よりもドラクエ要素を当たり前のように作品に取り込んでるのが好き
10に出てないモンスターも平然と登場させてたりするのには賛否両論あると思うけど
作中人物がさらっと流しているアレやコレやの中に大好きな世界観の延長線上にあるドラクエが見えてくると思う。
例えばエスコーダ商会の船の名前が「パトリシア級8番艦ミーティア号」なんだけど
船首にミーティア姫が象られていたり、パトリシアって4の馬車馬の名前じゃん!船のサイズの基準になってるんだ!ってなったり
あと、天空物語は電子書籍無いから未履修だわ。電子書籍発売されたら買うね。
他のドラクエ作品も面白いの多いけど、読んでる作品は人それぞれ違うんだから人それぞれの「個人的最高傑作」があっていいと思うのよ
ただ、2つ言うことがあるなら、ダイの大冒険好きには今連載されてる「勇者アバンと獄炎の魔王」は買ってほしいし(作画変わってるけど気にしないで。原作あり漫画の魅力は原作者が8割だと思ってるので)。
ロトの紋章好きは続編のもんつぐまで読んでほしい(完結したばっかり)。
1番好きな作品なら食わず嫌いせずに最後まで付き合うと楽しいよと、ダイ好きとロト紋好きには伝えたい。(最強ジャンプ買ってるからクロスブレイドも読んでるけど、こっちは素直におもんないですね…)
あ、スライム冒険記については、今連載しているスライムドーンでは人間になったヨーゼフ(スターシステム)が出たり、モシャス変化のカメオ出演だけど勇者スラきちが出たり、蒼天のソウラのキャラクターがスライムドーンのレギュラーになってたりするのでかねこ先生好きにはこちらもオススメ。
「ドラゴンクエスト 勇者アベル伝説」ってアニメをこないだabemaTVの一挙放送で全話観たんですよ。
すっげー面白かった。
観る前は評判悪かったんで敬遠してたんだけど、確かに序盤つまらないけど後半面白いって言うか
「ダンジョンを踏破するワクワク感」「新しい街に到着してホッとする感覚」「パワーアップは基本的にアイテムの入手」だったり
何よりも原作BGMが使われている事だったり、身内と実況してツッコミ入れながら楽しんだから面白かったって要素が1番大きくはあったんだけど(1人で観てたら序盤で脱落してたかもしれぬ)
なんにしても自ジャンル作品の食わず嫌いって良くないなって思った。
今はドラクエライバルズエースっていうドラクエのデジタルカードゲームやってるけどすごい面白いので、ドラクエは令和も現役コンテンツだなぁって思う。
私はあのオーナーの発言は自己正当化のために特に深い考えもなく受け入れている都合のいい考えだと勝手に思っている。
1.ヴィーガンが広がる
→3.高価で高品質な肉は売れなくなり、安価で質の悪い肉だけが売られるようになる
→4.牛の待遇のいい、高価な牛肉を生み出す牛舎は潰れ、劣悪な環境の牛舎が残る
→5.苦痛に満ちた生を送る牛が増える
という感じだと思う。まあ分からなくもない。
まず前提としてオーナーの発言はアニマルウェルフェアの観点から言っているのは文脈上間違いない。
アニマルウェルフェアの観点から言って畜産の問題点は、私のすぐに思いつくものでは(元の文章にも書いたが)
の2つ。
で、ヴィーガンといっても一枚岩ではないから、前者と後者のどちらに重きを置くかは人による部分があり、
その意味で「殺すのは悪(1の論点)」というのを完全に否定する人は殆どいないだろうが、
しかし実際には「殺すのはよくないが仕方ない面もあるので、可能な限り牛の生に配慮すべき」ぐらいの立場の人も割といると思う。
で、先のオーナーのロジックによればヴィーガンが広がることは後者の問題点を逆に悪化させるらしい。
私としてはオーナーの論理は可能性としては言い得るが、あまりに単純すぎると思っていて、
どうなるかは割と不確定だと思っている(もちろんこの回答は曖昧で不誠実だ)。
例えば、ヴィーガンが広がることによって待遇のいい牛舎がむしろ増えるロジックも展開できる。
1.ヴィーガンが広がる
→2.ヴィーガン市場の規模が拡大し、商品の生産・流通が拡大、安く扱いやすいヴィーガン食材を手に入れられるようになる
(実のところそもそも現在でも豆は肉よりも安価ではあるが)。また食肉の消費が減り、肉の価格が上がる
(現在は基本的に畜産は政府によるバックアップがあるのでそれが減れば一層値上がりするはず)。
→3.低所得者にとってヴィーガン食が現実的な選択肢になり、広がる
→4.畜産業界は安い肉を売っても利益が薄いので、富裕層向けの高付加価値肉の生産が増す
という風に言えるわけだ。
ただここではある程度「肉の付加価値」と「畜産環境の良さ」が正の相関を持つと仮定しているけれども、
和牛生産を見ても分かるように必ずしもそうではないので、少しペテン的ではある。
まあでもヴィーガンが増えると食肉業界に嫌悪を抱く人が増えるだろうから、
それに対するエクスキューズとして、「でも可能な限り牛に配慮しています」というポーズは今以上に必要になるはず。
ともかくヴィーガンが増えると言っても、ある日突然増える訳でなく、徐々に増えるはずで、
それにつれて市場も変化していく。その変化につれて、食肉業界とヴィーガン食材生産業界の広告宣伝が活発化するはずで、
その広告戦争の勝敗によって人々がどっちに流れるかがかなりの程度決まるのではないかと思う。
ここからは余談になるが、そもそもヴィーガン生活は経済的余裕のある人しかできないというのは一面では真理だが、嘘でもある。
嘘というのは、実際、豆や野菜は安い。カルディでも大きめのスーパーでも乾燥豆は売っているので、
是非一度見てほしい(料理に使うには大豆は結構使いにくいのでひよこ豆、レンズマメ、ムングダールあたりがおすすめ)。
あとご存じの通り、豆腐も納豆も安い。非常に安い鶏肉と比較すると流石にたんぱく質効率で負けるかもしれないが、
今の段階でも豆によって安価にたんぱく質を十分量摂取するのは現実的に可能だ。
というわけで経済的余裕のある人しかできないというのはネガキャンだと思うのだが、
一応真理でもあって、それは豆を使った料理というのがあまり浸透していないということだ。
つまり、乾燥豆を渡されてもどう調理していいか分からないし、料理のレパートリーもないという人は割と多いはず。
で、そういう情報にアクセスするにはある種のリテラシーが必要で、経済格差と教育格差に正の相関があることを考えると
ある意味では経済的余裕がないとヴィーガン食は作れないというのは真実になる。
また慣れ親しんできた食生活を捨ててヴィーガン食を作るというのには、ある種の趣味的な精神も必要になるはずで、
ここまで言ってもまだ色々言い訳して逃げようとするんだろうな。
トランスジェンダーがそれがMtFにしろFtMにしろ、肉体的性とは異なる性を選択した際、ジェンダー議論の中で定義されるステレオタイプ的な振る舞いを好む/忌避し自らの社会的性を確立しようとしたとして、それは性別二元論批判と対立するか?
例えばMtFが化粧をし、ハイヒールを履き、スカートを好み、それが社会的に女性として扱われるためだとしたら?
トランス(やX・Qジェンダー)の幼少の体験としても、男の子のおもちゃ、女の子のアニメといった言葉は見られる。社会的性の選択と社会に構築された性観念は密接で、それに則り社会的性を構築するのは当然のことでもある。しかしてそれは既存の性観念(性規範と言っても良いかもしれない)を積極的に肯定することになるのか?
そもそも、選択をする時点で社会的性差を一定以上認めているのではないか?性差がないと考えるのであれば、性規範のみを批判すれば事足りるのではないか?
自身を内的に肉体的性と異なる性を持つと思うだけでは満たされず、社会的承認を以って初めて社会的性の構築と捉えるのであれば、何らかの見本が必要であり、それがジェンダーステレオタイプであり、社会的な性差なのではないか?例えば#kutooのようなジェンダーステレオタイプの押し付けを批判する概念と折り合いをつけることはできるのか?
ステレオタイプが完全に破壊され、誰しもが自分のしたいように自由に振る舞える時、個々人の肉体的性との不和は本当に解消されるのか?誰もが社会的に認められるとして、そこに各社会的性の承認はあるのか?そもそも不和が生じるのか?
そこにあるのはMaleでもFemaleでもなくただの個人で、それ以上でもそれ以下にもならず、究極的には社会的性が失われるのではないか?これは男女共同参画に対するバックラッシュの中で論じられた「中性人間」と通じるかもしれないが、ミソジニーに基づく政治的な主張などではなく、社会的性の存在に関する純粋な疑問であると自負している。
性的嗜好とも関連する。男性という性自認(=ジェンダーアイデンティティ)の下、男性という性自認をする人を嗜好することと、オス(=セックス)がオスを嗜好することは異なることである。
性自認が男性でも肉体的にはメスで、性転換手術を受けていないかもしれないし、そのオスの性自認は女性かもしれない。これらもやはり社会的性に関わるが、社会的性無しに線引きできるのか?
ステレオタイプ的に振る舞う個人が悪なのではなくそれが肉体的性を理由に押し付けられ、個人の自己実現が抑制されることが問題と見做すとしても、ではステレオタイプから大きく逸脱する振る舞いを採る人間は承認されるのか?外見上オスに見え、性転換手術も行っていないが性自認は女性のレズビアンと主張する人物を我々はどこまで信じられるのか?
フェミニズムも一枚岩じゃない。出発は政治・社会における男女の力の不均衡であるが、その後の歴史展開の中でホモフォビアや性別二元論への考え方などにおいて分類ができる。上述した#kutooも決して全体の思想ではない。「ジェンダー」というフレーズはフェミニズムの中でも用いられる語句だが、その多義性から一部のフェミニズムと一部のジェンダー概念って場合によってはとんでもなく対立しうるのではないか?
「『マジック・スピーカー』を観たんだけど、私の中では映像が露骨すぎるんよね~。掛け算の仕方も違うというか~、いや、あくまで私の中では、だけどね~?」
「別に監督はどうでもいいんだけど、やっぱり掛け算が露骨というか~」
その数学者は、とかく掛け算に心血を注いでいるようだ。
実際、その熱量は本物のようで、高校レベルの知識では全く話についていけなかった。
「え~と、知らないんならそのままでいいと思うよ~。私的には譲れない部分ってだけで、そんな店員さんに面と向かって言うようなことじゃないし~」
「そうですか……掛け算の仕方が違うというのは、どういった感じなんでしょう」
「ん~、じゃあ問題なんだけど、例えば“9×6”じゃなくて“6×9”の方がしっくりくるってのは分かる~? いや、分からないなら分からないで全然OKなんだけど~」
「しっくりも何も、掛け算なのだから数字の順序を変えても答えは同じでは?」
「あ~、店員さん、そのレベルか~。あ、いや、別にそれがダメって言ってるわけじゃないんですよ~?」
掛け算ひとつとっても、数学者と一般人では見えているものが違うらしい。
「『ネコはバター犬の夢を見る』とかも、まあ良いんだけど、そもそも供給元が最大手だと逆に困るんだよね~。0から1や2を生み出すのが醍醐味だと思ってる人間としては、原作で9とか10出されたら、それ以上の数字を出す楽しみがないじゃん~」
数学というものは俺が思っているよりも奥深く、それと同時にしがらみの多い世界のだと数学者は語る。
界隈は一枚岩ではなく、それは単なる計算処理からくる問題ではなく、時に思想主義まで交わすものらしい。
「いや、それが良いって思ってる人がいるのは分かるよ~? でも私みたいな二次ロマン主義者や擬似ロマン主義者にとっては余計というか~」
それとも、俺の知っているロマン主義とは異なる歴史から生まれたものなのだろうか。
二次ロマン主義だとか、擬似ロマン主義っていうのも初めて聞いたし。
「リバがバリウケでバリウケるってな感じで~。いや、バリウケるかどうかは最終的に自由だよ~? でもバリウケるからにはモラルが必要なわけよ~」
そんな職種は初めて聞いたが、まあ“料理は科学”だというし、研究家がいても不思議ではないだろう。
「『なめくじ食堂』って知ってる?」
「そんなわけないでしょんな!」
「でしょんな?」
自ら研究家というだけあり、その客は料理について一家言あるらしかった。
「料理っていうのはね、体の健康はもちろん、ひいては心の健康にも繋がるの。それは食べる際にも、作る際にも」
ただ研究家という割に、言ってることがあまりアカデミックに思えない。
「いえ、料理と言えるほどのことはやってないですね。そういうのに労力を使わない身なんで……」
「確かにね、献立を考えなきゃだし、素材を買い集めなきゃだし、もちろん調理しなきゃだし、食器を洗わなきゃだし、余った食材の管理もしなきゃで工数が多い。そこまでして節約するくらいなら、その分バイトしたほうがいいってのも分かるよ? でも選択肢として、手札に持っとくのは人生を豊かにすると思うの」
「はあ……」
「だからね、鍋にしよう! これなら簡単だし、野菜とか栄養も手軽にとれる。鍋が飽きたらスープや煮込み料理! 具材を放り込むだけ、ね!」
「そうですね……」
相槌を打ってはみたものの、俺が活用することは一生ないだろうな。
前島アナと熊谷アナが入ったことにより華やぐかに思えたニッポン放送女性アナウンサー陣であるが、どちらの新人も十人に一人くらい人にハマる非正統派の美人。前島アナに関しては私と同郷の群馬県出身ということもあり、逃れられない芋っぽさがにじみ出てしまっている。
私の1番の推しである新行アナは、推しの理由がそもそも容姿ではなく、日々政治に関する知識を得ようとする貪欲さ、飯田アナウンサーに食らいついていくその姿勢があってのことである。
私の1番のタイプである箱崎アナウンサーは私と同年生まれということもあり、何故か一歩引いて見てしまう。
結局ニッポン放送女性アナウンサーは半世紀ちゃんこと増山アナウンサーで保っている一枚岩であるということだ。
いつまでたっても可愛すぎる。
こんなくだらないことを話している俺は絶対的観音菩薩的存在である那須アナウンサーの手のひらで踊らされているだけなのである。
私は田舎出身です。コンビニもバスも電車も無いところで、周りは田んぼと畑と山しかないところで育ちました。
トラブルに巻き込まれたツイ主さんには同情するし、上手く解決してほしいと願っている。
土地トラブルは置いておいて、問題なのはこのツイートに対する反応である。
同情的な反応が多いが、田舎に対する一方的な批判も目立っていた。
「若者は虐げられる~」
などなど散々言われてた。
犬鳴村か!!!!!
というわけでここから色々言いたい。
ありえない
民事不介入で民間トラブルにあまり動いてくれないのはどこもそう。
当たらない
私の住んでいるところには都会から引っ越してきた人もいますが、みんな普通に接している。
誰も悪口なんて言ってないよ。
たまに爺さんがじろじろ見たりするのは珍しいからです。悪意はありません。
ちなみに作物泥棒には強く当たります。近所に他所からきて畑から作物を盗む人がいましたが、何が悪いかわかっていないようでした。
ならないです。
実は村八分にしようとしたり、他人の悪口を言う人は嫌われます。
知ってた?
田舎といっても色々ある。
シャトレーゼがあれば田舎という説や、私のように自然のど真ん中の田舎もある。
もちろん大昔は色々あったとも聞く(100年ほど前)
令和の時代には流石にない。
ありません
私自身、都内のマンションでろくでもない管理人や隣人トラブル経験したことあります。
新興住宅地に家買ったら近くの古くから住んでいる人とトラブルや、謎の町内会ルールとか聞いたことない?
それも持ち回りで、管理者が死んだら別の家に回ってくるらしいけど。
戦って大丈夫
でもめんどくさがってお年寄りがなあなあにしたがるのは本当。
正義がこちらにあるなら、戦うと応援してくれたりする。田舎も一枚岩ではない。
相手が老人なら痴呆や金銭の問題があるので、息子や娘と話すると解決しやすい。
結局何が言いたいかというと、田舎限定の暗い話なんて殆どが言いがかりか古い話がほとんど。
現在もあるなら、そこがやばい地域なだけなので日本の田舎全体にしないでほしい。
そもそも都会でも家買ったりマンション買ったらあるよねそれ?みたいな話が多い。
あとみんなが食べているお米や野菜はそんな田舎で作られてるよ。
これだけ色々書いたけど近くにアニメイトないからそのうち引っ越したい。
おまけとして私のところだけかもしれないが、トラブル(土地関係)をなんで老人達がなあなあにするかというと、田舎は結構戦争の火種が燻っていたりする。
先祖代々の土地(登記上は他人名義)なんてのが結構あって、昔先祖が口約束で土地を交換したり貸したりがあった名残である。
あまり突っつくと連鎖的にあの家もこの家もとトラブルが広がっていく。めんどくさいのもあるだろうが、だからなあなあにしたがると私は考えている。
でも残された家族は大変である。都会に住んでいる息子が親が死んだから畑や田んぼを手放そうとすると、他人名義だったりとかあるある。
個人的に一番怖い田舎の話が、先祖代々の土地だと思ってたらお爺さんが勝手に色々植えたり耕したりしてたことが発覚して、お爺さんが死んだ後に元々の権利者の家の人がどんどん来て、家以外ほぼすべて消えた人がいる。