はてなキーワード: クリティカルとは
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コメント欄があまりにもひどい。「社会学は学問ではない」「イデオロギーだ」という主張を非科学的な手法で、感情論に任せて行う。まさに社会学叩きこそがイデオロギーと化している。自己矛盾としか言いようもない。
社会学の学問としての是非はともかく、叩き方があまりに雑すぎるのではないか。
心理学系の論文の再現性を検証した論文が何年か前に話題になっていたが、学問の科学的手法をとった批判とはあのようにあるべきだろう。
としても、そうした属人的な事情は学問つまり研究結果や論文とは分けて考えるべきだ。仮に社会学者に人格破綻者が多かったとしても、学問自体の問題ではない(雇用主である大学側としては問題かもしれないが)。
これは社会学批判としては真っ当だ(実際にどうなってるかは知らない)。
が、『「査読システムが酷い」から社会学系の査読論文全てに価値がない(ひいては社会学者の主張は全てクソ)』とするのは間違っている。そもそも「査読システムがひどい」自体にエビデンスがなく定性的で主観的な意見であるからだ。この方向性で批判するのならば、社会学の査読システムに関してきちんと研究し、研究内容を論文にまとめて査読に出すべきだろう。そうして初めて主張に価値が出るのが科学の筈だ。
『個々の論文に関しての評価には、査読が必要』という前提条件から「査読システムがひどい社会学」をバッシングしているのにもかかわらず、「社会学は査読システムが酷くてクソだから社会学系の論文は全て価値がない」とするのは論理が破綻している。
自浄作用というのが、いったい何かわからないので何もいえない。ある社会学者の主張を批判するような内容の論文が出せないということだろうか?それならば確かに問題だ。が、「こいつを批判しないならあいつも敵」という風潮を取り入れろという話ならば、そちらの方が問題があると思われる。なんにせよ自浄作用という言葉が抽象的すぎる。
ネット上の社会学批判はあまりにも雑だ。エビデンスに基づいていない、社会学者個人の発言の問題を社会学全体に拡大して批判する、批判する人々のうち誰一人論文を読んでいない……このようなバッシングで、社会学という学問自体が潰れるのはイデオロギーに対する科学の敗北だ。
もし社会学が非科学であったとしても、社会学の構造上の問題点は科学的に検証されてから潰されるべきである。(個人的には、社会を研究することは絶対に必要だと思うので問題点があるのなら解消して欲しいと思う。)
n4b 社会学の一部の人って自らの研究対象に対するイデオロギーが非常に強いと思うんだけど、それって研究者のスタンスとしてどうかな、とは思う。本来はフェアな立場で批判的にデータと向き合うんだけど
これはもうごく個人的な意見に過ぎないけど、研究者の研究対象に対するイデオロギーの強さはどの分野においても仕方ないものだと思うよ。
研究者も人間だしね。北極グマが大好きだから北極グマを守るために科学者になるし、地球温暖化や環境問題に関する研究をするようになる。気候変動による生態系の崩壊を目の当たりにすれば、当然それを防がなくてはならないと政治的な意見を持つようになる。
社会学者も(会ったことないから知らんが)社会に問題意識を持ったからこそ社会学を専攻したんだろうし、そこでイデオロギーが動機になるのも、結果的に特定のイデオロギーを持つようになるのも当たり前と言えば当たり前じゃないかな。社会という研究対象の特性上、他の学問よりもそうなりやすいだろうし。
それに、研究者自身に思想はなくとも研究者は研究が資金を必要とする以上、どこかからバックアップを受けなきゃならない。企業の研究者は企業の営利のための研究をしなきゃならないし、国の研究機関だって国益のために金を出している。研究者が完全にフェアな立場に立つのは無理だ。
タバコ会社がタバコを無害を示す研究に資金援助したり、石油会社が気候変動とCO2排出量の関係を否定する論文に資金援助したりだとかは、今更無くそうと思ってなくせるものだとは思えないしこれからも増えて行くだろう。
でも、タバコの無害を示す研究も、気候変動はウソだとする研究もあっていい筈だ。むしろ無くちゃ困るものだ。問題は利益のために研究を歪めていないかであって、イデオロギーに基づくかではない※1。
は研究者として本当に重要なことであるし、特定のイデオロギーに肩入れし、恣意的なデータを示す研究者は研究者と言えないと思う。が、やはりそれは研究手法や統計解析方法などから批判されるべきであって、「研究者の立場がフェアでないからこの論文は信用に値しない」とすることは非科学だろう。
研究者がイデオロギーフリーであることもフェアな立場であることも難しいが、データに批判的に向き合うことは出来る。論文の著者は批判的にデータに向き合い、思想によって歪められていない研究結果を示すべきだし、読み手(査読者も含む)もまた思想に囚われずに研究結果に向き合うべきだと思う。
自分も(知ってる範囲の)社会学者のスタンスが好きか嫌いかというと、嫌い※2。だが、著者のスタンスではなく論文を読んで批判するのが、批判者としてのあるべきスタンスだと思う※3。科学を科学たらしめるのは論文ではくて、論文を評価する人間の存在だろう。
※1「利益のために研究を歪めていないか」なんかをチェックするために医学系の論文なんかだと、〇〇製薬に援助を受けました、と書いて利益相反をはっきりさせているが、社会学にそれが必要だとは思わない。
※2 一応論文を書いてる社会学者よりも、雑な理由で社会学全体をバッシングする奴のほうが嫌いである。単なる好き嫌いだがメディア露出の多い研究者は基本的に嫌いだ。社会学含め人文科学には興味がない。
※3 興味がないので論文を読みたくないし研究もしたくないから社会学という学問の在り方について批判も肯定もしたくない。
babelap 追記、イデオロギーについて「ほかでもやってるし」で免責すんなや。学問についての取り組みがイデオロギーで歪められてたら批判されるのはどの分野でも当たり前だ。社会学が影響されやすいならなおさら言われるわ
どの分野においてもイデオロギーと科学は切り離しようがない。社会学のような実社会を対象にした分野(※)では殊更イデオロギーフリーになることは難しいだろう。だからイデオロギーフリーかどうかを研究結果の価値判断の基準にするのは無理がある。「この学者は〇〇思想だから、この論文はゴミ」というスタンスを取るのはそれこそ、イデオロギーであり非科学だ。
研究結果、研究で得たデータがイデオロギーによって歪められ、異なる結論が出されるのは無論問題だ。それはどの分野でも問題になることであるが、「データが歪められていないか」というのは利益相反の有無からではなく研究手法の検証や再現実験などによって判断されるべきだろう。それが科学だ。
※自分の専攻が不幸にも政治的意味を持ってしまうことはままある。環境系などは特に顕著だが、最近では感染症系がいい例だろう。「コロナの危険性」だとか「〇〇な活動がコロナの感染拡大に及ぼす影響」だとかを研究し始めると、右のだ左だのがそれを政治的な意見のエビデンスとして使用し始める。専門家としての見解を少し喋れば、それが政治的な表明として受け取られる。メディアでの身の振り方に不慣れな自然科学者がうっかりテレビに出て無知な大衆にバッシングされるのは見ていて痛ましかった。左/右にとって都合がいい意見だから、こいつが言ってることだからで判断せず、疑念を抱いたのならクリティカルにソースとなる論文から検証すべきだろう。新型コロナは新参が多くて論文が読みやすいそうだから、これを機に物おじせずにGoogle翻訳機片手に読むといいんじゃなかろうか。論文を読む側も検証者として、科学の構成員である。(そういう意味で、「私は感染症素人ですが、皆さんと一緒にコロナについて勉強したいと思います」とサイトを開設した山中教授の行動は素晴らしかったと思う。)
日本の社会学はクローズドだというが、我々一般市民も、(金のために書かれた)出版社の本を盲信するのではなく、思想に基づいて雑に叩くのではなく、社会学を学び論文を読むことで、学問の裾野を広げ、日本の社会学をこじ開けていけるといいかもしれない。
(また余談が長くなったので終わる)
TRPG、とりわけクトゥルフ神話についての話。知らない人にはまるで分からない話題。
TRPGをプレイし始めて人生が楽しくなった。そう思えるくらいこの遊びに熱中した。もっと若いうちに知ってたら良かったのになぁって思うくらい。
基本的にTRPGは自由なゲームだ。特にCoCのルールは飛び抜けて自由度が高いから好きな遊び方ができる。シナリオの作り方やハウスルールの導入の仕方で無限の遊び方ができる仕組みが魅力的だ。
よく、近頃のCoCの遊び方が気に入らない〜みたいな記事を目にするけど、CoCの遊び方に正しいなんて無いと思う。この遊びの正しさを解くってのは、「マインクラフトの正しい遊び方はこう」って決めつけるようなもの。ものすごく無粋に感じる。自由で好きな遊び方ができるルールだからいいんじゃないかって思う。
先日プレイしたシナリオで、筆者はファンブルをした。クライマックスの、一番大事なダイスロールで。その結果、探索者全員が命を落とすことになった。全ロスト、バッドエンドだ。
そのシナリオはやや特殊な判定を最後に挟むシナリオだった。シナリオ開始前時点でHOが配られており、HOごとに個別の推奨技能がある。かなり特殊な技能だ。間違いなく他で使うことはないようなもの。
要するにそのシナリオのラストシーン、全員に順番に見せ場が回ってくるようなシーンで、1人づつ振っていくためのものだった。シナリオ的にも、探索者的にも、おそらくその技能を振るのはその「1回」のみ。
順番に1人づつ、振っていく。一人成功するたびに、シナリオ最後のエンディングを決定づける判定の成功率が、25%づつ加算されていく仕組み。クリティカルなら+10%、ファンブルなら−10%というように。
全員普通に成功するだけでも100%に届く。その中で最初に判定を振った人がクリティカルを出した。劇的な展開だった。
順番に成功し、最後に回ってきた私の番。私はその技能をとても高い数値で確保していた。当然だ、そうするよう言われていたし。このまま素晴らしいエンディングを確信していた。
結果は、ファンブル。
出た目は、97。またしてもファンブル。こうして私たちは探索者全員ロストとなり、シナリオを終えた。
今でもダイス結果が出たあの瞬間が忘れられない。絶対に失敗するわけにはいかない、というより失敗を想定すらしていない、最高の舞台を、私は崩れ落ちさせた。
そもそもエンディングを決める判定の97も、私が成功していれば成功率100%だったので、良いエンディングに向かう事ができたのだ。そこまで積み上げた最高のRPも、奇跡も、劇的な展開も、全てが一瞬にして無駄になった。
もちろん、卓の人たちは落ち込む私をカバーしようとしてくれたし、楽しかったと言ってくれた。でも私は、あの出目が出て、エンド描写が読み上げられた瞬間の、あの白けた気配がどうしても忘れられない。
「何してんだよ」「お前のせいで」
という無言の弾劾がはっきり聞こえてた。
確かにファンブルをした私が悪い。じゃあ聞きたいが、私にはどうしようがあったって言うんだ?
ハウスルールで最高の成功率まで技能を高めたところでファンブルには勝てない。たった一回の、5%の確率が、それまで積み上げたもの全てを無駄にしてしまう。
人間4人のドラマが水泡に帰す。そんな出来事の確率は「5%」なのか。決断も選択も判断もRPも、その5%の前にはどうしたって無力か。
ついでに言うと私は普段はファンブラーでもなんでもない。でもどう言うわけか、こういう一番大切な場面でダイスを振るよう言われると、必ず何か良くない事が起きる。どうしても出目は、私と私の卓仲間たちの不幸を願う。
ダイスは大事だ。でもシナリオをシナリオたらしめたいなら、最後の大事な選択くらいダイス無しでやらせてくれないか。じゃなきゃそこまで積み上げるものになんの価値があるのかわからなくなるんだよ。
いのちの輝きくんとかスライムとかに頭の中で猫耳つけてみたが、結構可愛いと思う
srgy 🐶「……。」 https://images.app.goo.gl/yQk1FppaHm7JSa5X6
リアル犬は流石にかわいそうだな
mitimasu 佐川男子
おじさん ハゲ おばさん
あなたと星つけてる人たち、それは駄目。正しくない。
好き嫌いは自由だけどダメな理由が「耳は4つもない」というのは最悪。反省して欲しい。自然に反するからダメというのは典型的な誤謬。それは全く理由にならない。
普通の耳を持ってる人間が猫耳つけてもOKでしょ。もちろんケモ耳好きの中には四つ耳アンチと呼ばれる人もいて人型のキャラがケモ耳付けてる時には耳を無くすか隠すデザインにしないと萌えないって嗜好の人もいるけど、多分そこまで考えずになんとなくでブコメ書いたり星付けたりしたでしょ。
猫以外に猫耳付けてる時点で自然からは外れるんだから、「自然でないものはダメ」→「猫以外の全てのものに猫耳は似合わない」or「自然で無くても良い」→「耳が四つでも良い」のどちらかの立場を取らなければいけない。
もちろん「全く同じ器官がダブルのがなんかキモい」と思うならそれは個人の感想だから自由だ。けど「自然に反する」みたいなのを理由にするのはやめてくれよな。
ffggmm ジョーズ
brightsoda ウニ
確かに棘より猫耳が小さいとなんかよく分からんことになりそうだな。けどデザイン工夫したらなんとかならないかなー。
denimn KIRIMIちゃん
https://twitter.com/kirimi_sanrio/status/1098935954755076096
デザイン次第だと思うけどたしかにキュウリはちょっとバランス悪いかなー。
犬とか熊とか元々ケモ耳持ってるやつに付けると個性が否定された感じでどうしても悲しい感じになっちゃうよな。
縦に細長い魚はちょっとキツいかもだけど、ある程度横幅がある魚なら大丈夫。
meganeya3 芳一
ごめん、別に非表示じゃないんだけど先に目についたジョーズとか魚についてレスポンスしちゃったからダブりになると思ってスルーしてしまった。
zeromoon0 (耳は4つもない)はコピペだから…… https://copipe.cureblack.com/c/615
コピペだったか。エキサイトしすぎてしまったな。特にコピペの場合、内容に共感するか否かにかかわらずなんとなく使ったり星付けたりって場合もあるからな。俺もそうだよ。
教えてくれてありがとう。けどやっぱり自然主義を無批判に内面化するのは良くないと思うよ。
sds-page サバクのヌシですら猫耳で可愛いからなぁ https://youtu.be/9ZjbG40GMjM
foxintheforest 確かにこれはクリティカルな問いだと思う。星の娘エーブリエタースちゃんに猫耳とか最高の組み合わせだし...。
どっちも可愛い♡
本当は俺も性格的なものを想定してたんだけど、ブコメもトラバも見た目の話だったから切り替えることにした。
x100jp 猫に猫耳もダメだと思います。(耳は4つもない) / (追記:反論) 猫ちゃんの耳が潰れるでしょうがーーーーー!!!!
潰れちゃうような付け方するとかわいそうだよね
この時期は追い出し会が企画される時期。今年からサークル会長として仕切らなって気合を入れようとした中で、挨拶とばかりのコロナのクリティカルパンチ。
OBの為に買っておいたプレゼント1万円強はすでに準備済み。先輩やOBと相談した結果、コロナをこの時から警戒する先輩もあったので強行はせず中止。サークルによっては追い出し会を強行したところも結構あったらしい。参加費から捻出するつもりだったプレゼント代は結局自腹を切る形で後ほど補填しようと思って今もそのまま。予約してたお店のキャンセル料が掛からなかったのは助かった…ってのが正直な感想。
もちろん、飲食業側がそれでとても大変な思いをしたのも分かってる。申し訳ない……
4月以降
大学側でリモート講義の為の調整があって、例年は上旬に始まっていた講義も5月にも入ろうかって頃に始まった。
結局、7月下旬まですべてオンラインでの講義になった。講義スタイルは講師に一任されていて、基本的にはZoomとかを使ったリモート形式+課題か、PDFとか動画の資料を配布して課題をこなす形式かに分かれた。
ウチの大学はPCが貸与される。ちなみに人権は守られないしHDDであるから快適性はお察し、これで1年間リモートとか拷問かなにかですか?なので結局自腹で環境揃えた。最近になって聞くと、一応自腹で環境揃えた学生もいない訳じゃないけど、ほとんどの生徒は人権未実装のPCでここまでやってきたんだそうで、マジですか。
ちなみに、Webカメラは今年の1年からの機種には付いたみたいだけど、それ以外の大多数の生徒にはない。
リモート形式も手探り。100人超えの受講生がいる必修から、10人程度の小規模なものもある。ここは大学、学科によって分かれただろうけど、ウチの学科では、基本的に貸与にWebカメラが標準装備されてないので顔出しは強制出来ない。リモート、双方向とはいえ、講師が一方的に喋る動画講義と変わらないようなリモート講義が続いた。
一応、少人数の時は不意打ちで講師が名指しで生徒を呼んで、返事をするかどうかでサボってないか確認するけど、時たま裏でLINE通話で友達とおしゃべりしてる声が入る不用心な生徒もそれなりに居たし、サボろうと思えば幾らでもサボれる環境にあった。
結局、内容は急ごしらえのオンライン用資料で薄っぺらく味もしない講義で1学期目が終了して夏休みに入った。1つ幸運なことと言えば、試験がおおよそレポートに置き換えられたので、じっくり時間をかければ単位はしっかり取れたことぐらい。
サークル活動に関して言えば、当たり前だけど直接対面での勧誘は無し。オンラインで頑張って勧誘するも、元々そんなに規模も大きくないことから全然集まんない。
何がまずいって、この年の層だけ薄くなることで、例年やってる様々な行事の引き継ぎがうまく行かない可能性があること。
オンラインでは出来ることが少ない活動内容なので、活動も出来ない……OB・OGに状況の説明をすると一応の納得は示してくれるものの、落胆の視線が痛い……
9月に始まる2学期目は、さすがに全てPDFで配っておしまいという講師は減り、リモート講義をする講師が多少増えたぐらいの違い。
あとは、伝達ミスを教授側が認めなかったりとかオンラインならではのトラブルも多少あったぐらい。
実家ぐらしで色々リスクがあった為、バイト先に説明し休職が貰えた。
結局、8月頃の落ち着いてた時期に細心の注意を払って祖父母の家に顔を出したぐらいしか外出はしてないし、外食もしない。友達との遊びもなく。チャットで話す程度で、おおよそほぼ完璧な自粛もとい引きこもり生活をしてきたけど、そろそろ限界が近い気がする。
明らかに生産効率(大学生の場合はレポート効率か?)は春の頃よりも落ちてきているし、講義に対しても熱意を持って取り組めなくなってきてる。
結局、リモートは代替手段であって、大学に行って実際にできることを全て補えるわけじゃない。一年間、そうして「出来なかった」事は、喪失感、停滞感として確実に溜まってきてる。
家にいる事が増えたからってことで、読まなかった漫画やアニメの量を増やして気を紛らわそうとしたけれど、どんどん増えてく喪失感と停滞感と焦り。
ニューノーマルだとか言って、ノーマルを新しい状態に軌道修正しましょうみたいな事を言う人がいる。
でも、大学生は、今やってることが新しい事で、今までの普通を知らないわけだから、軌道修正もできずに、ひたすら真っ暗闇の道を突き進んでるって人はきっと多い。
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補記すると、知人に話を聞く限り、大学生もいろんな人がいるみたいで、ウチはバイトを休んだけども、むしろバイトはやってる人の方が多い感じがした。
バイト先から、バイト同士での飲み会は控えるようにって通達が出ても、うるせぇって跳ね除ける人もいた。
おそらくは、制限を解除した場合、大学生ってのは普通に飲み会を開催してもっと感染者を出しかねないので、感染防止の観点からは一概に大学の制限は間違えとは言えないと思うジレンマ。
選択肢が増えるともちろんそれまで考えなくてよかった問題が出てくる
養子を持つ権利とか、別姓夫婦の子供の姓とか、異性間の同姓婚なら生じなかった瑣末な問題
でも実は、そういう問題って全部、個別の事例として当事者間で調節することが可能であれば、あって無いようなものなんだよね
あとはそういう多様な選択を周りが奇異な目で見るのをいかに減らせるかどうか、つまり単純な慣れの問題
それは、選択が多様になればなるだけ、全く同じパラメーターの値を求めているパートナーを見つけるのが難しくなるっていうこと
選択が自由であればあるほど、当事者同士の齟齬の可能性は増え、調節は複雑化し、結婚に対する心理的コストが嵩んでいくということ
これは今まで選択肢のなかった制度の中で、妥協を強いられてきたことの裏返し
だから、選択肢が増えて自由になるかわりに、なぜその結婚がなされる必要があるかということを人は考えるようになって、結婚は簡単にしようと思うものではなくなっていく
お前のかーちゃんでーべそ!並みの…
しかし「お前の両親は不本意にいきている」というのは、クリティカルな攻撃になり得る、というのがわかった。
「すなわちお前も又、不本意な存在である」から、「お前には存在価値がない」まで暗に含んているからだろうなあ。
面白い。
まず出ベソは価値を下げる特徴なのが前提にある。
直接「お前は出ベソ」と言われるより「お前のかーちゃん出ベソ」の方が反論しにくい(すぐに服をめくって見せられないから)。反論を封じられると、「価値の低い親から生まれたお前も価値が低い」になる。
なるほど、家族に対する侮辱は便利なものだ。家族はその場にいないから、侮辱の内容の真偽は水掛け論にしかならない。それを織り込み済みのやり方なんだな。
趣味+人、仕事+人、食事+人、というように人という因子は何にでも関わってくる
だから素晴らしい「友人」「恋人」のような存在が居れば全ての事象がアップグレードされる可能性がある
逆も然りで、その相手と上手く行かなくなったら突然全てがダウングレードされる危険性もある
全てが楽しめなくなるんだ
だから人付き合いが上手い人は1人に偏らないように分散して安定を図っている
私は下手なので全てがダウングレードされていく
子供の頃、幸せではないにしろ楽しかったと思うのはこのダウングレードが無かったからだろう
下手な人は、上手くなろうと複数の人と人付き合いを築こうとはなかなか思えない
一人に依存するのは確かにリスクだが、一人が最高だった場合、それだけで全てのアップグレードが期待できる
一発逆転が見込めるんだ
薄い目に賭けて更に負ける
リスク分散している人はリスク分散できていない人に対して人として自立していない未熟者と思うようだ
鬱陶しくなる
そしてまた下手くそな人は失敗する
それはわかる
フィクションではないとして。
家事と自由な時間については増田は否定的に言及してるが酒は?妻が酒飲みたいのに飲めてないなら飲ませたらいいのに。
もしかして子供の世話の為に飲めないのなら子供の利益を損なわないようにフォローした上で。妻が下戸なら仕方ないが。
そのようなパターンができてるように見えるが、失敗したときと同じ対応をパターン化するくらい何度も繰り返すのか。まずは感情的になる原因を探って感情的にならないよう、別のやり方をしたいものだ。
既にやってるかもしれないが。
飲酒した時に言ってないか(酔っ払いの喋りは本人の思う以上にグダグダで苛立つものだ)
(これらは可能性であって、増田と増田の妻がそうだと決めつけるものではない。全部外れかもしれない)
願ったり叶ったりでは?全とっかえしなくても、一日やってみて子供も妻も満足な出来栄えなら何でも言えるようになる。
嫁はその場で家を出て行っただろう
俺はまぁラディカルというか原理主義者なので、本人確認なんてものはID+パスワードでいいと思っているわけ。
でも割とよく世間では、ID+パスだけだと本人の確認になっていないとか言うアホ理論がまかり通っていて、そんなわけねーだろということを証明します。
他要素認証を使えば本人確認になる、という説がまことしやかにまかり通っているけど、そんなのじゃ「本人確認」にはなりません。
例えばメジャーなスマホを使った確認を例に取ると、ID+パス入力だけじゃなく、事前登録したスマホに入っている暗号アプリで、自動生成した暗号を入力すると、ID+パス+スマホの所持が揃ったので本人です。って感じで認証するんだけど、これスマホ奪われてたら誰でもできるよな。
確率低い?とはいえ本人意外もできるっていう点だと、ID+パスワードと同じで「本人を確認」したことにはならんだろう。
同じことはEメールへワンタイムパスワードを送付して、ID+パスワード+ワンタイムパスワードで認証する方法もだけど、これも、メールアドレスの権利を確認してるだけど、それが奪われていたら、本人以外でも利用できる。
事前に物理的な乱数表もドングルもマイナンバーカードつかった認証も、奪われれば本人以外が認証突破できるので、「本人確認」できるとは限らない。
ID+パスワードより強度は上がるけど、それは認証の強度が上がったと言うべきであり「本人確認」できるとか、いいきっちゃうのは、本質を知らないで適当にセキュリティ語ってて、だるい。
じゃあ生体認証使えば良いという。感じもするかもしれないけど、指紋のコピーとか簡単にできます。
顔認証も難しいかもしれないけど頑張れば突破できそうだし、何なら本人の指やら首を切り落とせば、突破できると思うので、これも「本人確認」したことになるとは限らない。双子とかクローン使うこともできるしな。
例えば友人とか、本人の許可を得て代理としてシステムやサービスを操作する必要がある場面ってあるわけで、
そういう場面だとID+パスワードだけ知っていれば代理操作をすることができるわけです。
あ、お前らは友達居なかったな。でも大丈夫、ボットサービスとかに代理に処理をしてもらうことを考えれば同じで、
ボットサービスに操作してもらいたいサービスのID+パスを登録すれば、それだけで代理に操作してもらえる。
これが、多要素認証になると、代理操作出来ないくなる。「本人」が操作を代理させる意志をもっていても、端末を友達に貸し与えて四六時中持ち歩かせるわけにもいかないし、よくわからねーボットサービスに指紋情報やら、生体認証を登録するのやりすぎてる。
セキュリティ上がってるとか喜んでるけど、それは裏を返せば使い勝手が下がっているとも言えるわけです。
そこまで使い勝手が下がってて、じゃあそれに報いるだけのセキュリティ上昇が期待できるかと言われれば、前述のように本気を出せば他人がそのセキュリティを突破することはできるわけで、基本的にはコスパ悪い。
もちろん医療とか金融とかクリティカルな場面では使うべきだと思うけど、何でもかんでも多要素認証、生体認証、みたいなノリは気が狂ってるとしか言いようがない。
あとセキュリティが上がっているだけで「本人確認」ではない。ボットにスマホを預けるとかメールを読み取る権利を渡せば実現できる。くっそめんどくさいし危険だけどできる。本人意外が操作できるってことは「本人確認」として機能していない証拠です。
はい、出来ません。限りなく本人っぽいです。ということまでしかわかりません。
仮に対面で人間が認証するって事になっても、詐欺師の人は整形もすれば書類も偽造で取り揃えます。
軽々しく「本人確認」とか言うな。本人って誰が判定するんだよ。まわりか?
まわりが勝手に「本人」であることを認証したり確認したとしてだよ、その「本人」が記憶喪失になって、「本人」であることを拒絶したのならそいつは本人なのか?それとも別人か?
答えろ!