はてなキーワード: お墨付きとは
少しずつできるようにはなっているけど、全体像がゼンゼン見えてこない。
そろそろ、一応、今週くらいに、世界初の研究をやらせてもらえるみたいな感じになるみたいだけど。
ゼンゼン見えてこない。
だって、確実に、自分が研究しなくても誰かが研究して世界は進むでしょ。
ってなってる。
アンモニアが大量生産できるようになったら、肥料が大量生産できるようになって、そのおかげで食料問題が解決した歴史とか。
コンピューターができてから色んな分野が爆発的に進んだ歴史とか。
そういうのを考えると、
自分みたいな応用系でかつ、産業っぽくないとかのは、なんだそれってなる。
素粒子とかで、重力波を3点で測れるようになって、宇宙の謎が解かれる方がいいんじゃないの。それは今、建造中で、確実に成果が出ることが確定している。
企業で開発とか、まあ開発じゃなくても、営業とかでも何でもいいんだけど。
そっちの方がはるかにいい気がしている。
完全に、趣味って感じがしている。
そりゃ、いい環境にいるんだけど。
意味が分からないし、ってか、まあハッキリ、意味は薄いんだけど。
あー。なんでコンナことになったのかなー。
辛い。
まあ、研究が進んでいけば視界も違うのかねー。
あー。本当に論文なんて書けるのかなあ。
指導教官に、「絶対書かせてやる」とかお墨付きもらって、どうやらマジで育ててくれてるっぽいんだけど。
10年も20年も名刺代わりにはならないじゃん。
しかも、基礎理論とかではなく、ホボ応用だから、速攻で優位な研究が出されてすたれるやろなー。一応、あれかな、レビューにもしかしたら引用してもらえるんかねー。そういう意味で歴史に痕跡残せる的な?
それすら夢のまた夢やね。
ほげぇ~。
予め、味の素の冷凍ハンバーグを常温解凍して、薄く3~4枚程度に包丁でスライスする。
それをラップに小分けして(ソースも)包み、タッパに入れて冷蔵しておく。
西友のパンドミーロールに横から包丁を入れて半分にし、バンズをつくる。
ここで、チーズがはみ出ないように四隅を折り取る。折り取った分の▼x4は、上側のバンズにのせる。
その間に小分けにしておいたハンバーグパティを1包、電子レンジでチンしておく。
下側のバンズにパティをのせる。ラップからスルッとライドオンだ。
具が足りない?そんなもんしらん。
野菜を足すと味が薄まる。濃厚なのがいいんじゃ。
コーヒー?知らんがな。
ちなみにコスパは微妙だし、手間は普通だし、もっと上等なやり方もあるだろう。
が俺はコレが好き。惣菜パンコーナーにある紙包みのバーガーなんかよりは断然美味いと思うね。
ちょっと小さいけどな。
自分 26歳男
24歳まで某有名国公立大で何も勉強せずフラフラしていた挙げ句中退し、
何もスキルがなかったが勉強すればなんとかなりそうなIT業界を目指す。
とはいえ未経験なのでヤバそうなところしか内定がもらえず、どうしようかと思っていたところでたまたま知り合った方に紹介してもらい、今の会社へ。
ぶっちゃけそこまで良いわけではない、ありがちな数十人規模のSES企業だが、
現場ガチャで当たりを引くことができ、未経験だったのに開発・クラウドなど色々させてもらえていて、1年半かけてそれなりの技術を身につけることができた。
んでまあ、ある程度スキル面で生活の見通しが立ってきたところで悩みどころなのが給料
自分の場合、社会人としては2年目だが年齢は20代後半なので、基準が難しい
今の年収は20代後半であることを考えると少ないが、社会人2年目としてはエンジニアなら平均的な額。
ただまあ高校時代の同級生とかと会ったとき、なんとなく収入差があるのを感じるのが辛い
というわけで転職活動をすることにしたのが今年に入ってからの話
自分で登録したGreenで希望に近い年収(同年代の平均程度)で内定を得られた。
自分くらいの経歴の人が中小のIT企業に転職したいなら多分Greenはオススメできると思う。
んでまあ上司に転職の意志を伝えたら、その場で同額まで給料上げるから残ってくれと言われる。
SES企業の給料って基本その社員の契約単価ベースなので、契約単価が上がれば給料が上がる。
それだけの成果を上げているという自負はあるし、現場でもお墨付きを頂いている(むしろ安すぎると言われる)。
そしてインフラ出来る人がチームに自分以外いないので抜けた場合ダメージがでかい。
というか現場でもその話少ししたら同じ様に単価上げるから辞めないでと言われた。
そうなると自分が転職を志した理由がほぼ待遇面のみなので、どうしようとなっている所さん
転職先もビジネスモデル自体はやってることそんなに変わらないんだよなあ…
あと本社が今より遠い。
ただ、一度転職話をした以上、引き止めに応じて給与が上がっても今後は冷遇される可能性もあるし、どうしたものか。
んでまあ似た事例をググるとだいたい「転職したほうが良い」みたいな記事が出るんだけど
こういう記事の場合、転職理由が待遇以外に重きを置いているから微妙に違うし。
あと記事の発行元が、転職サイトとかアドバイザー企業で、こいつら転職させることで金を得てるから、そりゃ転職推すんだよね
ワセリンを代表とするミネラルオイル、いわゆる鉱物油(石油)は人体に吸収されないからね。下手な植物油よりもマシ。
目の中に塗る軟膏(医薬品)のベースは、ワセリンなんだけど体に吸収されない=安全 ってことで使われてる。口の中に塗る軟膏(医薬品)にもワセリンが使われてる。
石油由来だから危険とか、廃油を塗りたくるなんて狂気の沙汰とかあおるアホな奴も居るけど、白色ワセリン(何度も言うけど石油が原料ね)が医薬品として売られていることを考えれば、安全性はお墨付きってわけ。
石油も地下から汲み上げた天然の油なんだよな。 天然温泉と意味合いは大して変わらんのに、扱いが化学薬品チックなのが残念。精製工程が化学的と言われたらそれまでだけど、不純物混ざりまくりの植物油と高度に精製して不純物を極限まで取り除いた石油のどっちが安全かと判断したら、医薬の世界では石油に軍配を上げたんだがね。 あー、ひまし油とかもあったか。まぁそっちは、便秘の時にケツに注入する位しか使われないが。
その事をツイッターで呟いたらFF内外から怪しげな抗癌を謳う食品や治療法を薦められた。
本当に抗癌作用があるならいち早く製薬企業が特許とって治験して製品化してると思うんだけど。治療法だって研究が進められてると思う。
1本数十万円する薬がある。それは開発費が莫大だったから「とりあえずこの適応、この価格で」という設定だ。
抗癌剤は特許やシェア拡大、開発費の回収などとにかく一秒でも早く売りたいものなので、
とりあえず一つの適応で発売してから追加または同時進行で治験をしてどんどん適応を追加していく(特許も延びるしね)。
そんなわけで暴利な薬価の設定をしてまであれこれ売られている現状で特許すら無い無防備な治療法達が何故現場で採用されないのか?
暴利な薬価の薬を使うよりもずっと安上がりで済む、膨らみ続ける医療費の救世主となるのに?
本当に効果があるならお墨付きがもらえるし、もっとたくさんの人が救われるし、特許でお金も入るのだ。
冷静に考えればわかることなんだけど、お金に余裕があったり藁にもすがる思いの末期の人ならば試したくなってしまうのもわかる。
告知されときはやっぱガーンってなったもん。
当時は溢れ出る正義感と、ずっとつるむ友達はいない程度のコミュ力、そこそこの成績もあって
どんどん「まとめあげる」的な中間管理職的なことの難しさだとか、
色々言われるのにも疲れて正直「向いてないな」って思ってた。
でも学期ごとのそういったもののの選出は名前が上がり、向いてないと正直に言いつつも結局やることになるのがほとんどだった。
行事のための看板製作などは喜んで参加してたし、そうのには関わることはしたいと思ってた。
その流れで生徒会に立候補するのは、自分でもまっとうな理由だったと思っている。
だがしかし、そこには大きな壁があった。
生徒会は内申にしっかり書かれ、影響する。そのため、やりたがる人間が多かったのだ。
自分の中学校の生徒会選挙は1年任期。毎年3学期に1,2年が、投票する。
そこそこ付き合いのある同学年はともかく、何もしらない下級生、上級生から票が入ってる気がしなかった。
おそらく同学年からも入ってないとは思わないが決め手なるほどの支持を得られてなかったのだろう。その程度のコミュ力だった。
だがしかし、まだチャンスはあった。
その後に選出される議長は、ほぼ生徒会と同じ行動をし、行事に関われる。
幸い自分は何度も役職を任された経験上司会を何度も経験し、そこそこできている自覚はある。
しかもこれは
・必ず2年生から
で決められる。
他に枠はなくこれが最後のチャンス。だがしかしこれなら任されると思った。
…が、落ちた。
選ばれた子は友人だった。
だがしかし、その子は内申+αが目的で、本当にそういった仕事をしたかったのではないのは感じていた
生徒会長もよく知った中ではあったし、教師受けもよかった(実際、担当した教員から「この役職が向いてる、推薦する」とお墨付きももらっていた)。
だがしかし、自分が良くないと思ったことは曲げられないタイプで「扱いにくい」と感じられていることも自覚していた。
多分敗因はそこだろう。そう自覚しつつも非常に悲しく悔しかった。
それまで面倒を避けてたような要領の良い子が7~8割(もしかしたらそれ以上)が占め、
いままでコツコツとクラスや委員会の運営を支えて来たような子たちはほとんど落ちていった。
それからしばらく進みできる限り行事に関わるものに参加しつつ、結果受け入れて生活していた。
中学3年にもなると受験を意識し、更に「◯◯長」をしたがる人間が増えた。
郷土に関係することをテーマを分けて発表する、という内容だったのが、
他の希望者多数のテーマに組み込まれた。しかしそれでもやっぱりそのテーマをちゃんと学習したくて立候補した。
だがしかし、昨年までが何だったのかというくらい希望者多数となり、じゃんけんで負けた。
勝者は正直、同学年の支持がない子だった。
案の定、自分のやりたかったテーマは影が薄れ、忘れ去られ、それでもやることはやって着々と作業を進めていた。
そして発表時テーマの班長は決まっていながら、それとは別に発表の「監督」を複数人選出することになった。
もちろんこれは内申に影響しないし、監督になると発表する側にはなれない。
そして後半は発表に準備だけになるし、実質、監督が指揮を取ることになる。
「船頭多くして船山に登る」状態になるのには反対したが通らず、やはりそこで自分が担当することになった。
(今思えば、それまでの行動で求心力がなかった班長で進めるのを避けたかったのかとも疑っている)
発表側をやりたかった自分は不承不承、しかし決まったものは仕方ないと全力で発表に向けて走り回った。
発表側になった班長や、人員が不足したときいつのまにか発表側に回った同じ監督だった子を羨ましいと思いながら。
確か、小道具の場所を把握してないのは監督としてどうか、的なことだったかと思う(余談だが小道具係は別にいる)
些細なことだし苦笑いしてやり過ごしたが、これまでのことでパンク寸前だった自分にはだめ押しとなって
本番中誰も来ないところでうずくまってこっそり泣いた。
部長・副部長は生徒の投票を加味して「顧問が選ぶ」という方式だった。
当時の部活は「顧問VS部員」の構造があった。その結果、明らかに「顧問が付き合いやすい」
「票が入ってないわけではない」と強調していたが、密な付き合いのある部員間の話では
それが嘘でなくても1,2人いる?という票数であるのは皆察していた。
(ぶっちゃけ、得票数TOP3の子たちは顧問に不満は持ってなかったんだから
その結果、顧問が転属して居なくなると「部長・副部長VS部員」の対立構造に変わり、
部長、副部長が居づらい環境になり、不満を持つ子たちが言うことを聞かず、落ち込んでいってるのがわかった。
自分は比較的その子達と仲良かったのもあり、緩衝材として連絡する、仕切る、やきもきするという謎の構造ができていた。
正直この行動は部長たちの孤立を加速させ、良かったのかは自分でも疑問であったが、そうしないと団体行動も怪しい状況だったのだ。
結果、最初に話した議長/各種委員長でもあった2人は生徒会に入り浸り、ますます対立を深めていった。
これに関しては正直、仕方ないことだと思うし、それほど2人は追い詰められて居たと思う。
だが、生徒会室で仕事がなくても談笑した姿をみると自分が本気でやりたかったことを逃げ場にしていること、
その一方で自分がやりたくもないことばかりしている状況にがすごく虚しかった。
その気持を抱えながら部活動はやりとげた。
今でもこの一連の流れは思い出す。
まあ、その程度でなにやってるんだろう、明らかに貧乏くじじゃないか。
そして残念なことにこの正確、環境は今でも変わってない。
根本的な理由は「やりたがる」「でしゃばりたがる」正確と長年いじられ続ける容姿、
心意気をうまく伝えられないコミュ力、プレゼン力であり自業自得だ、と自覚している。
本気で「義」を理由に口を出ししても、「自己のため」と誤解されることも多々ある。
そこを変えないと…と思いつつも、「誰かがやらないといけないこと」をやり続けても「やりたいこと」がやれない思い出を愚痴らせてほしい
そりゃ、当時の大日本帝国にあっては、直接的に皇軍に加わりアジア諸国を侵略したわけじゃなくとも、多かれ少なかれ悪事に加担はしていただろう。
工場勤務の青年は、他国を侵略する兵器を作っていたかもしれない。銃後の婦女子であっても、息子や夫を戦地に送り出して侵略の片棒を担いでいたかもしれない。軍人とは縁遠い教師が、軍国主義を子供たちに吹き込んでいたかもしれない。
あるいは生まれたばかりの赤子であっても、その子に乳を含ませた母親は、植民地から収奪してきたコメを食べていたかもしれない。とすればその赤子の幸福もまた、植民地の人びとの血と汗の上に成り立っていたことになる。
『この世界の片隅に』で主人公が泣き崩れるシーンを想起されたい。あのシーンは、自分たちの「平穏な日常」が植民地からの収奪の上に成り立った「暴力」であると気づくシーンであり、主人公に自覚していなかった「責任」を突きつけるシーンだった。
そういう意味で「無辜の人々など本当に存在したのでしょうか?」という問い自体は正しい。が、同時に、その問いを「この文脈で」持ち出すのは間違っている。
第一に。なるほどそういう意味で「責任」はあろう。だが、それは核の炎で焼かれても仕方ないほどの「罪」なのか。
ホロコーストを計画・実行した連中だって、生きたまま焼かれはしなかった。ニュルンベルク裁判で死刑宣告を受けた死刑囚たちは、どれだけ残虐なナチであろうと絞首台に吊るされる程度で済んだ。
それなのに、戦争犯罪や侵略を命令したわけでも実行したわけでもない、せいぜい「喝采を叫んだ」「止めなかった」「のうのうと暮らしていた」程度の人たちが、あんな殺され方をしていいのか。
罪には軽重というものがあり、罰はそれに応じたものであるべきだろう。
被抑圧者の膏血を絞って暮らしていたことに対して、下の世代から糾弾され反省を迫られる程度のことは受け入れるべきだ。でも、原爆で焼き殺されてもいいなんてとても思えない。
第二に。その論理を敷衍していくとヘイト野郎やテロリストどもにお墨付きを与える結果になるだろうが、それでもいいのか。
たとえば現在の中華人民共和国による少数民族への迫害に、中国人民は責任を負っている。外国に観光旅行に出かけるような都市部の裕福な人びとの暮らしを支える資源の一部はチベットから収奪してきたものだし、彼らの享受するテクノロジーは新疆でウイグル人を監視することによって発展してきた側面もあるし、彼らの抱くチベット人やウイグル人への偏見は政府による民族弾圧を側面からアシストしている。
では、彼らには迫害や弾圧への責任があるから、秋葉原で楽しく観光しようとしたときにヘイトスピーチを浴びても仕方ないと、暴力的なデモによって威圧されても仕方ないと、そういえるのだろうか。あるいは、だからテロで殺されても仕方ないといえるのだろうか。
アメリカは悪の帝国だから、その経済的中枢にあるニューヨークの人びとがビルに突っ込んだ飛行機に殺されても正当性があることになるのか。イスラエルはパレスチナを侵略しているから、イスラエルの空港で銃を乱射して民間人を虐殺しても正しいといえるのか。
世界貿易センタービルにいた人びとは、アメリカ帝国主義による他国への侵略や経済的収奪に責任の一端を負っていた。ロッド国際空港にいたイスラエル市民は、イスラエルの植民地主義に加担していた。だから彼らは崩れ落ちるビルに巻き込まれても仕方なかったのか。だから彼らは自動小銃で撃ち殺されても仕方なかったのか。
無辜の人々など存在しない。現に私たちは今も外国人技能実習生の汗と涙で育った安いレタスを食べ、ブラック企業にすり潰された人々の血で染まったシャツを着て、過疎地に押し付けた発電所から電気を供給されて暮らしている。現代日本で豊かな生活を送る私たちには責任がある。だがそれは、私たちが惨たらしく殺されてもよいことを、決して意味しはしないのだ。
法的な面で男女同権を推進したリベラル・フェミニズムを越えて、ラディカル・フェミニズムが目指したのは暗黙の圧政を行う父権主義的な保守文化の是正だった。日本的な感覚で言うと、文化ってのはふわっとしたもので責任者が居ないわけだけど、欧米の場合は事情が異なっていて文化の責任者は宗教的な権威、当面の話で言えばローマ法王庁だ。
だからこそ、フェミのある時点のゴールは、法王庁から男女同権を認めてもらうことだったし、LGBTのゴールも法王庁からお墨付きをもらうことだった。日本人からすると奇妙に聞こえるけれど、そこに(当面のではあっても)終着点があるから、権利運動として終わることができた。全員が終わるわけじゃないんだけど、矛を収めるタイミングとでも言うべきものがあったわけだ。
日本には法王庁に相当するような「日本人全体の文化的基調を監督する、お墨付きを与える組織」が、一般的にはない(ことになってる)。だから闘争が終わらないし終結宣言も出せないんだが、唯一それに類似した機関が、東京都青少年健全育成審議会だ。ここは「父権社会がその暗黙裡の搾取精神を持って、あたかも女性が性商品であることを認めるようなみだらな商表現をしてきた」現在を、規制する能力がある組織だ。だから、この審議会で規制を強めれば強めるほど、ラディフェミ的には勝利度があがる。
今は我が国には第二の法王庁があるのだ! 最もこっちの法王庁は女性そのものの権利を保護も推進もしない。(ここではその正しさをとわないが)基本的に表現物を規制するだけだ。しかし、それが日本の学級裁判フェミニズムと最高に相性が良いのだ。ま、そんな東京都青少年健全育成審議会からみても最近規制してるものの多数はBLなんすけどね。