はてなキーワード: 麻痺とは
が知りたい
最近平日は常に頭がボーっとして
気合入れて「頭回転させなきゃ!」と思っても三秒くらいで回転数が落ちてくる感覚がある
そしてくだらないミスを連発する
そのことで上司らに怒られても悔しいとも、申し訳ないとも思わない
ただただ、一人になって表情筋を緩めたり、ため息を自由につける空間が欲しい
最も休日になればまあまあ元気だし
食欲も復活する
酒も好きだ(飲み会は嫌いだが)
なので鬱病ではないと思う
1、鬱病になっても(薬などを使うことも考慮に入れて)今まで通り(仕事含め)生活はできるのか
2、鬱病の薬を服用していても車の運転をしていいもなのか
3、そもそも鬱病は完治するものなのか。その場合早ければどの程度の期間で完治するものなのか
4、鬱病になって一番苦労したことは何か
お願いします
○朝食:なし
○昼食:おにぎり三つ
○夕食:パン三つ
○調子
ちょっとツラい。
○ポケモンOR
メンツは
ダーテング、ヘルガー、ヤミラミ、ワルビアル、ゲッコウガ、ズルズキン
○一戦目:ボルトロス、ズルズキン、ガルーラ(メガ)、ヒードラン
敗北。
っていうかこの初手の並び強いなあ。
敗北。
ニンフィア強い。
勝利。
とはいえ、ゲッコウガのハイドロポンプが外れるという僕に運が向いてたが故の勝ちでした。
○四戦目:ガルーラ(メガ)、ニンフィア、ニンフィア、サンダー
敗北。
ニンフィア強い。
(今日二回目だな)
敗北。
敗北。
○七戦目:ガルーラ(メガ)、ニャオニクス(オス)、ファイアロー、ニンフィア
敗北。
ニンフィア強い。
(今日三回目)
○八戦目:ハッサム(メガ)、ミロカロス、ボルトロス(霊獣)、ルチャブル
勝利。
○九戦目:ニョロトノ、ルンパッパ、ピクシー、ボーマンダ(メガ)
勝利。
○十戦目:ゴチルゼル、ハリテヤマ、ファイアロー、クチート(メガ)
敗北。
なんか普通に殴り負けた。
メガクチートに熱風を当てるタイミングができなかったのがツラかった。
○十一戦目:ピカチュウ、パチリス、水ロトム、ライボルト(メガ)
勝利。
サンパワー晴れ熱風で無事勝利。
たかし。
数年前、夏休みの少し前あたり。台風直撃下の神社境内。雨が真横に降り注ぐ素敵な光景の前に、当然ながら参拝者の姿など影も形もない。
参拝者「(ガラッビュウゥゥゥゴオォォォヒイィィィィガラッ)ハァ…、ハァ…、すいません」
神主様「……こんにちは(おいおい嘘だろ台風直撃中だってのに人来たよ)」
参拝者「ハァー。ちょっと、そこ座って待ってて。(従う推定九歳児と推定三歳児)」
参拝者「御祈願を…、お願いしたいのですが」
神主様「どのような御祈願ですか?(この台風の中来たんだから余程切羽詰まった祈願なんだろうな)」
神主様「(特にないんかい、じゃあ何でわざわざ台風の日選んで来たよ)家内安全ですね。ご住所を」
参拝者「〇〇県〇〇市…」
神主様「(嘘だろ…かなり飛ばしても三時間くらいかかるぞ)はい。続いて皆様のお名前を」
参拝者「〇田〇夫、〇子、〇美、たかし!(突如顔を横に向け大音量で絶叫)」
参拝者「(母の叱責にしぶしぶ戻ってくる感じの推定三歳児を見て)まったく…あ。すみません」
神主様「…、(麻痺より回復)いえ。たかしさん、で宜しいですね?」
神主様「(さっきの音響爆弾に対する謝罪はないのかよ)どのような字を書かれますか?」
参拝者「えっと、たかしは…高い低いの高いに、たかしっ!(再度首を真横に向けて絶叫)」
参拝者「待ちなさいっ! たかしっ!」
神主様「…、(麻痺より回復)あとで受付いたしましょうか? 先にお子さんを…」
参拝者「ありがとうございます!すいません!(ダッシュ)」
背景といい表情といい、多分たかし目線だと物凄く恐ろしい光景。なんたって、荒れ狂う台風の中で憤怒の表情を浮かべた母親が自分めがけて全速力で突っ込んでくるんだから。
エロばかり読んでると感覚が麻痺するらしく、それが現実では絶対に許されない犯罪であるという認識が薄い。
犯罪であるという知識は持っていても、根幹の部分で「大したことないのに」「大袈裟に騒ぐ奴の方があたまおかしい」と言う認識をしている。
万引きとか傘泥棒を窃盗だと思わず軽い気持ちでやってしまう奴ってのがいるけど、それと同じようなもん。
大阪に行く度羨ましく思う。地下鉄網が必要な場所にしっかり整備されているからだ。
中之島辺りはまだ改良の余地があるし今里筋線は無駄だったかもしれないが、なにわ筋線という「本当に必要とされる線路」を具体化できるあたり京都とは違う。
京都市会議員ときたら「東西線の乗客が少ないから太秦天神川から洛西NT~長岡京と延伸し、六地蔵からも延伸して環状化しよう」などと宣うような連中である。
アホだと思いますか?そうアホなんです!
本当に必要なのは西大路・北大路・東大路・京都駅を繋ぐ地下鉄環状線なのに。
京都駅から出て東大路通を上り清水寺や祇園を通る206系統には朝っぱらから外国人観光客が並んでいる。積み残しなど日常茶飯事。
金閣寺・立命館大学方面の205系統も混雑が酷い。西大路通には阪急西院駅、地下鉄西大路御池駅、JR円町駅などがありそこから通学者や観光客が雪崩れ込んでくる。
にもかかわらず交通局は対策をほとんど諦めている状態で、むしろ東大路に至っては四条通のように一車線化する予定らしい。
その四条通は視界に5台のバスが常に映っているような状態でオンシーズンには完全に麻痺する。救いようがない。
京都観光をしたことのある人ならあの不快極まりないバスに恐らく一度は乗ったことがあるだろう。
運転は荒く道路状態は悪く愛想という概念が無い。扉が閉まらないうちに発車することすらある。時刻表っておいしいの?
GIRLS CHと言う女性向けAV動画サイト(AV会社の女性社員が立ち上げたらしい)があって、
女性向けAVや女性向けオリジナル動画(イケメンが出ている)以外に、女性スタッフが「女性向けでもウケる」と考えた男性向け動画も載せているんだけど
「雌豚」とかそういう単語が入った(恐らく男性向け動画としての)宣伝文句をそのまま載せていたりして
女性であってもAV業界で働いていると麻痺してしまうんだな…と思った。
それを見て不快に思わなかったりむしろ喜ぶような女性であれば、そもそも男性向け動画サイト見ると思うんだけど。
あと絞込検索用として「(多分)挿入なし」と言う意味で「パコパコなし」と言う項目があるのも、女性でも男性向け業界で働いているとそういう感覚になるんだなと思った。
最初見た時に一瞬何を指しているのか分からなかったよ。女性向けエロ業界で「パコパコ」なんて使わないもの。
はてなに日記を書くこと自体が久しぶり過ぎてアレで、変なことしてたらご容赦。
結婚前にいろいろと話し合って、一度別れかけた。原因は私は子供が欲しい、相手は子供が欲しくないという点。
毎日深夜3時くらいまで話すのが当たり前だったのに、その喧嘩のあとは3日以上口をきかなかったことをよく覚えている。
子供が欲しいという気持ちと、彼女と暮らしていくことを天秤に―そんなこと天秤にかけたくなかったが―かけて、
悩んだ。
身体にとっても、キャリアにとっても、女性が出産育児を行うことで受けるダメージは男性より大きい・多いというのは
理解していたから、子供よりも彼女と一緒に歩んでいくことの方を選択した。
情けない話だけど、結婚後3年くらいまでは諦めきれない気持ちもあった。
結婚後からゴムは使っていないのだが、膣内射精はしていないし、してみたい・子供が欲しいと頭の中でどれほど思っても
勝手に中だしして結果妊娠しましたというのは卑怯でもあり、納得した自分を裏切る事でもあり、何より伴侶を裏切る事であると
思っていた。
結婚から5年後、妻の姉(以下義姉)に子供ができた。35歳以上なので高齢出産である。
赤子はかわいく、すくすくと育っていった。義姉にあったり義実家にいけばそこに赤子がいて、私にとっても妻にとっても
1年目の育児は夜泣きや慣れない身体の変化でキツいというのは、義姉の体験を聴かされてわかったのだろう、
「私にはとてもむりだ、こんなに大変なら子供なんていらない」
と言っていたのが、いつの間にか
などと言うようになってきた。最初は流していたが、ふとした折にこんなことを聞かされ続けるのはとても苦痛だということに
気が付いた。俺があきらめて蓋をした「子供が欲しい」という気持ちがこじ開けられそうになるのを必死に抑えているのと同時に
じゃあ子供を作ろうつくろうという前向きな気持ちと、両方の全く正反対の気持ちがぐちゃぐちゃと織り交ざるのは耐えられない。
義理の実家は古い家であるため、そろそろ子供はまだなのかと私に遠回しに言ってくる。
冗談じゃない、俺は欲し「かった」んだ。「まだ」じゃねえ、もうお互い35を超えた大人同士がナマでやっただけで着床なんかするか阿呆、
と叫びたい気持ちを押さえながら「やー、種が悪いんだか畑が悪いんだか、なんなんでしょーねー」と愛想笑いをする生活にもう疲れた。
とてもめでたい。我が家の総領息子の誕生だ。奥さん良く頑張った。弟グッジョブ。
我が両親からもあんたたち子供はまだなのと今のところは言われてはいないが…言われるのは確実だろう。
どうしろってんだ俺に。妻は時折やっぱり子供いらないと言ってみたり子供が欲しいような言動を言ってみたり決定的なことは
何も言わない。
どうしろってんだ…
※ 20150617 1718
大事なところが間違ってたので修正。俺だの私だのと一人称がぶれてて申し訳ないけど敢えて修正しません。
※ 20150617 1730
コメント(というか、トラックバック)にコメントってできないのかな。
> なんか最近子供欲しそうにみえるけどそうなの?って聞いてみたら
コメントありがとう。聞いてものらくらなんだけど、それを許してうやむやにしてるのは私の方か。
ちょっと話してみる。
子供が欲しいという根源的理由はわからない。もしかしたら単に中だしという未知の体験をしたいだけかもしれないし
他の人の赤ん坊を見てかわいいというのもあるかもしれないし、自分が育て上げてみたいというのもあるかもしれない。
もともと子供は好きで、中高時代は子供向けのボランティアとかやってたような人でした、私。
> 「アップルウォッチが欲しい!もう何が何でも絶対欲しい!でも手に入らないから血反吐を吐く思いで諦めるよ。
たとえばアップルウォッチでたとえれば、最初のロットにプレミアがついてものすごい価値になったとしますよね。
あの時買えたのに買えなかった…ちきしょう… みたいな感じですかね。
ちょっと違うかな。
アップルウォッチは(ハードやOSの変遷はあるにせよ)いつでも買えて変わらないモノですが、私も妻も35歳以上となり、
生殖能力も、元気な子供が生まれてくる確率も子育てをする体力もがっくり落ちています。いつでも作れるものではないです。
どうせつくるんだったらなんで若くて元気でリスクのないうちに作ればよかったじゃないか。同僚や幼馴染や後輩や
弟妹たちの子供がみんな可愛くて、明るい家庭を築いていてうらやましいなあ、でも俺はそういう生活はもう作れないんだなあ
と言う暗い感情も一緒にたまっていたのかもしれませんね。圧がかかって爆発寸前、と言うところかもしれません。
※ 201506191129
読んでくれた方、トラックバックコメントくれた方、どうもありがとう。
嫁ときっちり話をしてみました。おそらくもう誰も読んでないと思うけれど報告しておきます。
・ 結婚後(正しくは結婚の数か月前からなんだけど)特に避妊らしきことをしていないことについて
変な話、これでできたらできたであきらめるっていう気持ちだった、膣内に出さなきゃ大丈夫とは思っていないし、
自分でもいっそ出来ちゃえば踏ん切りがつくのかなと思っていたとのことです。
私としては「え、そんな感じでできちゃっていいのかよ…」というのが正直な気持ちで、そのことも伝えたところ、
作るか!っていうほど積極的な気分ではないからなんかこう…(原文ママ)とのこと。
・ 嫁は子供が欲しいのか
わからない、とのことでした。誰かがコメントしてくれていたように、周りの子供や家庭をみて私もそういうのいいなあと
思うようになってきたんだけど、じゃあ、本当に子どもが欲しいのかと考えるとデメリット等々考えると欲しくない…ような
それでも欲しいような。正直、わからない、と。
欲しい3割欲しくない7割というのが正直なところです。昔は欲しい10割だったのだけど。欲しい気持ちに蓋をして、それを
押さえつけるためにいろいろな知恵を付けてしまったので、もう今更…、本当に「今更」いいかなあという気がしています。
私が父親になる・なれる機会はもう得られない気がするし、それならそれでともう何回も何十回も何百回もあきらめたので
・ 今後どうするか
ここは…二人で黙ってしまって、結局結論は出ず。子供が欲しい、産んでくれる人産ませてくれる人と再婚するという年でも
ないし、そんな情熱を持つほどではないという宙ぶらりんな状態は結局変わりませんでした。今すぐ決めなければいけないくらい
(肉体的)時間に余裕はないけれど、急いでも後悔するだろうから今年中に結論だそうということで決着しました。
・ 話し合ってみて
どんなことでもよく話す夫婦なんだけれど、この点についてだけは明確に話してきませんでした。
嫁がのらくら逃げる的なことを書きましたが、嫁からしてみれば増田も同じように見えていたということについては率直に
謝りました。
まだまだ夫婦として未熟なのかもしれませんね。今回、いろいろばーっと書いてみて、コメント等に背中を押されて
話をしてみてよかったです。ありがとう。
※201702111200
40になりました。子供を作るにはもう適さない(この基準は私の中でだけだけど)年齢に達してしまったので、
もうあきらめざるを得ないし、誕生日にその話もしました。結局私は、子供を作れなかったんだなあ…となにか
種として男として終わってしまった気がする反面、もうこの話で悩むこともないし、むしろ老後の生活設計を
しっかり考えにゃならんという前向きな気持ちにもなっている気がします。
どうしたらよかったのか。いまとなってはよくわかりません。
自分でもどうしてそういう気持ちになったのかはわかりませんし、あえて分析はしませんが、精子の検査を
受けようかなと思っています。そもそも種に問題があったのなら、最初から煩悶すべき問題ではなかったという
だけの話ですし。いっそ問題があってほしい。もともとそういう能力が付与されていなかったのなら、こちらが
悪いと大手を振れる。
とはいえ、生殖能力に問題が無いと判断されてしまったらもうなんかいろいろ終わる気もしている。
よって、検査予約の電話を入れたもののドタキャンしてしまって、ふと思い出してこれを書いている。
どうしたらよかったのだろうか。どうすべきなのだろうか。
昨日再放送でやってるから見た。2期の9話かな。ラブライブ自体いつもちゃんと見てるわけじゃないのでストーリーはよくわかってない。この9話もネットやりながらちらちら見てただけなのでもしかしたら納得できる描写があったのかもしれないけど。
穂乃果たち3人がいまからライブ会場に行かなきゃいけないんだけど、雪が降ってて移動手段がなくて困ったという状況。走って向かうしかない。でも吹雪いててなかなか前に進めない!音楽がすごい悲壮感をあおってて(誰か死ぬのかよみたいな)、キャラクターもすごい苦しそうにしてるんだけど(めくり上がったスカートの向こうになぜかパンツが見えない)、そんなにかよって思った。吹雪いてたって普通進もうと思えば進めるじゃん。傘たためばいいじゃん!なんで傘たたまないの?なんか三文芝居みたいになってて笑った。なんかかっこいいセリフ言ってるし。逆境に立ち向かう穂乃果たちっていう安易な構図。
で、なぜか突然吹雪がおさまる。演出の都合で。これも安易だね。するとなんか知らんがクラスメイトらしき人たちが雪かきしてて、穂乃果たちが走りやすいように道を作ってるんだよね。まあそれはいいや。でもそこで立ち止まってぺらぺら喋り出す。お前ら時間ないんじゃないのかよ!と思った。いちいち素敵なお芝居しなくていいよ!でももっとびっくりしたのはクラスメイトたちがライブ会場までの道に順番に立ってて道案内してるような描写があったこと。え、なに、1時間走ればぎりぎり間に合うかもみたいなこと言ってたのに、クラスメイトたちが先回り出来ちゃう程度の距離なの?ていうかクラスメイトたちはどうやってその場所まで吹雪の中あらかじめ行っていたんだろう?もちろん歩くか走るかだろうけど。穂乃果たちは全然前に進めてなかったのに不思議!もちろん吹雪いてない時刻に先回りしていた可能性はある。でも吹雪いてない時刻だったら交通も麻痺してなかっただろうし、そのときに穂乃果たちが走って会場に向かうなんてどうして予測できたんだろう!
穂乃果たちは1時間走り続けたはずなのに仲間たちに合流したときにたいして疲れてない感じだったのがすごい。まあ鍛えてるから体力あるのかな。
フェミニズムには現在残念ながらふたつのおおきな側面があって、ひとつはもちろん「女性の社会的地位向上(男性との権利バランス)を目指す」ってものです。この運動や思想ってのは否定されるべきものではない。でももうひとつには「社会的地位において搾取されてる女性がスカッとする」ってのがあって、こっちはもう、どうにもならんほどただれて瘴気を放ってしまってる。
これはけっして諦めろという意味ではないんですが、日常生活を送ってる「社会的地位が搾取されてる女性」個人が、その個人の搾取された状況を変えろって無理ですよね。たとえば企業勤めの女性が上司の「そろそろお嫁に行かんのかね」発言をやめさせようとしたって無理がある。「そんなの訴えろよたれ込めよ!!」っていうかもしれないけど、そんなことしたら職場にいづらくなるだけでしょ? 職を失ってまで戦えっていうのはやはり現実的じゃない。もちろんだからこそ、そういう発言はよくないですよ、という社会風潮を形成するために前者のフェミニズム運動があり、それは必要だと思います。
しかしながら「ド許せない犬畜生にも劣るハゲ爺だしね」なんて言い放つってのは、特に実際体面もしてないネットで炎上ってのは、それはもう、なんというか、自分をすっきりさせるための行動なんですよね。そんなセリフいってどうなるの? といえばすっきりするだけです。まあ居酒屋の愚痴みたいなものですね。
思想運動政治運動ってのは時間のかかるものです。10年、いや歴史をみれば100年越しの運動なんてのも珍しくないわけです。
ですからそういう運動というものは果実を受け取る期待とは無関係にすべきなのだと思います。つまり、利益が直接自分がえられない、自分自身はすぐさまは救われない。「しかし」それが正しいから賛同し、運動する。次の世代のために地ならしとして粛々と進めておく。そういうスタンスが思想運動には重要です。なぜかといえば、自分自身が利益を即座に受取ろうとすると往々にして後者のヒステリーになるからですね。
前述したとおり、個人がその個人の置かれた周囲数百人の思想を個人のちからだけで一晩にして解決するのは難しい。ほぼ無理だといっていい。誰もがそんなことは言葉にしなくても肌で感じている。そうである場合、個人にとっては「目先でスカッとする」ことのほうが重要(利益があるように感じる)になってしまうわけです。現実自分の置かれた苦痛を麻痺させるために、言葉の棍棒を振り回して自己慰撫するような状況です。
最近出ているアンチフェミってのは後者に対する反発運動だと考えれば理解がすっきりします。まあ仕方ないですよね。誰だってこん棒で殴られたくはないです。「これだから男性優位社会なんだ、男性は優遇されてる、男性は世界を支配してる、みんな死ね!」みたいなことをサービス残業計算したら最低賃金割ってました本当にありがとうございましたみたいな弱者男性にいったとしても「こっちくんなよキチガイ。ほっとけ、俺は自分サバイバルで手いっぱいなんだ」としか返答のしようがないです。
日本における思想運動家ってのは人気商売なので(っていうか要するにTVタレントなので)、前者の「粛々と運動を進める」スタンスだと金になりません。後者の炎上発言をして、女性の「うんうんそうだよね、よく言ってくれた、スカッとした」みたいなのを集めないと生活が立ち行かないという構図もあります。そんなわけで、こん棒的な発言や人材には事欠かないわけです。
しかし中長期的に見れば、フェミニズム運動(前者)の障害は後者であるという結論になりかねない、なりつつあるというのが現状ではないでしょうか?
日陰干しでも臭くならないんだけど、俺の鼻が麻痺してるのかな……。
先日からテレビ東京で『LOVE理論』というドラマが始まった。水野敬也さんという『スパルタ婚活塾』や、このドラマの題名でもある『LOVE理論』という、婚活や恋愛のハウツー本を出されている方の本が原作で、このドラマはその本に登場するメソッドを、面白おかしく、ドラマ仕立てにして、パロディにして紹介している。テレビ東京だからこそ可能な際どいラインを攻めたドラマだ。まだ1話しか放送されていないが、「非モテがLOVE理論を学び、実践し、意中の女性を手に入れる(語弊があるかもしれない)サクセスストーリー」であることは間違いないだろう。
さて、このドラマやこの話題に、いち早く反応しそうなクラスタが、昨今はてなやTwitter界隈で話題になったことが記憶に新しいのではないだろうか。「恋愛工学」、「藤沢数希」、「ナンパ師」。
藤沢数希さんを長に作られている「恋愛工学コミュニティ」では、メルマガ上で、日々履修者たちが実践や経験を共有し合い、スクリプトやメソッドを共有し合い、開発し合い、切磋琢磨してる。ナンパ師クラスタでは、カリスマナンパ師を筆頭に、ナンパ講習が行われ、ルサンチマンを抱えた男性の自己啓発の一面も担った実践が、都内各所で行われ、ナンパ師同士で切磋琢磨している。似て非なるこの2つのクラスタが、時には交わり共にフロントラインに立ち、切磋琢磨している。
Twitter界隈では、ナンパ師や恋愛工学履修者たちの行動について、様々な意見が飛び合っている。クラスタ外の人でも目につくほど、最近話題に上がっている。最近というか、ここ半年というリアルタイム感。ここ一週間で言うと「街なかでの声掛け」についてだ。とてもHOTで活発な議論が日々いたるところで行われているこのタイミングで、良いネタきた。このドラマというわけだ。タイミングが絶妙すぎて、個人的には、何もかも藤沢数希所長の計算だったのだろうなと思うほどである。
前置きが長くなってしまった。僕は前者、つまり恋愛工学受講者である。数ヶ月前まではTwitterでも盛んに議論に加わっていたり、成果をブログに報告したりし、一定以上のつながりもクラスタ内外で形成し、日々仲間達と切磋琢磨していた。しかしながら、そこで利用していたアカウントを、自分の所属している別のコミュニティでも利用していたため、その別のコミュニティから恋愛工学等への批判が多く、トラブルになる可能性が高まったため、そのアカウントは削除して、僕は現在ネット上での活動を自粛し、ひたすら淡々と個人で実践を繰り返していた。そこから、数ヶ月が経過し、ほとぼりが冷める頃を見計らって、新たにアカウントを開設し、活動の報告やコミュニケーションを再開しようと考えていて、その最初の一歩が、この匿名ダイアリーへの投稿である。本来であれば、ブログを新たに開始し、そこに投稿すべきなのだけれど、もともと僕が成果や記事の投稿を頻繁に匿名ダイアリーに投稿していたので、その名残で、今回の一発目はこちらに投稿した。
自己紹介も長くなってしまった。本題の「LOVE理論、あるいは恋愛工学(戦略・戦術)」について、僕の思うところを、自己満足的に、ひたすらに淡々と、書き綴っていきたいと思う。これは、僕の主観に満ち溢れた、独断と偏見に満ち溢れた、ただの戯れ言である。
僕は昨年の10月~今年の3月にかけ、多くの女性を抱いた。すべての女性は、別々であり、Sexの回数であれば、その倍以上になるだろう。彼女たちとの出会いは、基本的に、語弊を恐れずに書くと「ナンパ」である。渋谷のスクランブル交差点付近で目的もなさそうにしていた女性、恵比寿駅の西口改札前で浮足たっている感じのルブタンのヒールを履いた女性、新宿バルト9で席が隣になったサブカル系女子、Twitterで相談によくのってあげたキャバ嬢、そのジャンルの幅はとても広く、一人ひとりについて書くことは不可能に近い。そんな活動を、モクモクと、ある種、ロボット的に、日々こなしている人たち、それが「恋愛工学受講生」や「ナンパ師」であり、僕も、例によって、それなのだ。僕達には、これがとても日常的で、それは一方で、とても感覚が麻痺していることも気がついてはいる。心が磨り減るだけのこともあれば、深い愛情と安心で満たされることもある。
社会学者の宮台真司は、昨今の近代化や合理化について以下のように述べている。
〈システム〉と〈生活世界〉の関係を確認します。〈システム〉ではデニーズ的アメニティが提供されるのに対し、〈生活世界〉では地元商店的アニメティが提供されます。前者は「役割&マニュアル」優位な関係性で、後者は「善意&自発性」優位の関係です。だから前者は匿名的・入替可能で、後者は記名的・入替不能です。
近代化とは、〈生活世界〉で賄われて来た便益を〈システム〉に置き換える「合理化過程」。置き換え途上の段階ゆえに〈システム〉化され切らない〈生活世界〉が残っていると信じられるのが「近代過渡期」(モダン)で、置き換えが完遂して汎〈システム〉化=脱〈生活世界〉化した段階が「近代成熟期」(ポストモダン)。
近代化がある程度進んで、「まだ〈生活世界〉が残っている」というより「敢えて〈生活世界〉を保全している」と言えるようになるのが「再帰的近代」です。これにも2段階あって、いったん汎〈システム〉化した後に、かつての〈生活世界〉の機能的等価物を再構成したのが「ポストモダン的な再帰的近代」ということになる。
昨今の国内の人々の恋愛関係の事柄の矛盾や苦悩は、まさに宮台が上で指摘していることだ。近代化の影響ですべてが合理化されていくことは自明の事実である。それは恋愛(〈生活世界〉)というカテゴリーに対しても同じだ。恋愛〈生活世界〉の合理化<システム>化、突き詰めると、人間の生殖、子孫繁栄、それに対してこれまでは、「恋愛」「愛情」というとても曖昧なもの〈生活世界〉がそれを肯定していた。しかし近代化が進むにつれて、それすら合理化する波が押し寄せてきている、しかしその合理化に適応しきれない部分も存在し、それが苦悩や悩みと表象されている。<システム>化され、合理化が進んだ現代であれば、本来であれば、そこに恋愛という後押しが、「人間の生殖、子孫繁栄」には必要でなくなるのだ。ただ、現状はその過渡期であるから、そこで私達は苦悩する。「敢えて<生活世界>を保全することによって発生する負荷/代償」というとわかりやすいかもしれない。今回のネタでもあるLOVE理論や、恋愛工学のメソッド、スクリプトは極めて現代的であるのだ。理詰めされた戦略、整然としたロジック、曖昧性を排除した合理的で、もっともシステマティックな、生殖へのアプローチ方法なのだ。それを「心のないロボット」と揶揄する人も多くいるだろうが、それは<システム化>された社会の行き着く先であることは否定できない。
僕達が信じている(あるいは信じていた)恋愛観など、欧米から輸入した価値観でしかない。その押し付けられた恋愛観、一種の洗脳、から開放されることは、非常に難しい。生まれた時から、その価値観を埋めつけられているからだ。人は環境に規定されてしまう、一度規定されると、なかなかにその規定から外れることはできないし、規定され続ける限り、自身を客観視することは非常に難しくなる。
だからこそ、恋愛工学クラスタ、ナンパ師クラスタ、が発生することは、合理化された社会では当たり前なのだ。合理化が進んだ、<システム>化が進む恋愛市場への、一番合理的なアプローチであり、社会への適応なのだから。もちろん、そのアプローチが時には、女性への迷惑行為になり得ることも十分に承知している。一種の危険性を孕んでいる事実は隠せない。しかし、それを頭ごなしに否定することは、それも全く違うのだ。「ナンパ・声掛け」とてもマイクロ的な事象を、もう2,3歩さがって改めて考えてみると、全体が見えてくる。<システム>化という波にのみこまれそうな恋愛<生活世界>という具合だ。
僕はこんなことを考えながらナンパをしているのか、と改めてこのように文字に起こしてみると、新しい発見がある。現代病とくくれば、そうなのだろうけれど。
http://b.hatena.ne.jp/entry/247229709/comment/xevra
「貧困者はメンヘル。大脳が壊れて人間になり損ねたメンヘルだから当たり前の行動を期待するのは無理。誰かがしっかりと手を差し伸べないと闇の餌食となってしまう。頑張って欲しい。」
まあ先生はいつもこんな感じだからいちいち気にしてなかったけど、貧困者やメンヘルは大脳が壊れて人間になり損ねた存在って言ってるわけだよね。
もう感覚が麻痺してしまっているけれど、冷静に読んだら普通にかなり差別的な発言なのではないかと思いました。
こんなこと言っててほんとに世の中よくしたいと思ってるんですか?