はてなキーワード: 食生活とは
でも植物を食べるのが一番被害が少ないから植物を食べてるわけ。
動物を食べるってのは動物を通してより多くの植物を食べるってことなの。
それを少しでも減らすために植物を食べてる。
たとえば君が吸血鬼で人間の血を摂取する必要があるとするじゃん?
でもそこで余った輸血パック、脳死患者の血、自殺志願者の老人の血とかで我慢すれば人への被害はほぼないっしょ?
でも他の吸血鬼は「健康な若い女をレイプしながら吸う方が美味しいだろ。折角食べるなら美味しい方がいい」と行方不明者を次々に生み出してるわけ。
その状態に「これでは人間と共存できなくなるぞ!」と君は慎ましい食生活を維持しようとする。
これがヴィーガンなの。
ヴィーガンに対して「でも結局食うんでしょ?植物という命を?」ってのは的外れなんだよね。
というか百周遅れ。
クリーンエネルギーの話題に「でも太陽光パネルや風車を使うのにエネルギーを使うよね?」と言ってるようなもん。
影響を抑えるための努力をする話であって、魔法みたいにゼロにする話じゃない。
「シートベルトしたほうが安全だよ」って話に「でも眼の前でタンカーが爆発して焼け死ぬなら一緒じゃね?シートベルトしたからってリスクはゼロにならないよね」と返すレベルの屁理屈はやめなよ。
ひっさびさにスーパーのパック寿司冷やかしたらクオリティ下がりすぎてびっくりした
数年前の認識ではタマゴ1+海鮮9の10貫で安くて600円弱ぐらいだったの。
それがこの前、閉店前で元値それぐらいで半額だった寿司をよく見ず手に取ったら
太巻き2
稲荷2
タマゴ
だった。値段とマグロだけで10種寿司かとおもったら8個だし過半数は魚介類じゃないじゃないか。魚にいたってはマグロだけだし。
そりゃ売れ残るよな…でも半額ならいいかと買いました。そこまでは別に日記に書くほどのものじゃなかったんだ。
だけど、いざ食すぞと目の前で改めてみてみると…マグロがめっっっっっっっっちゃ細い。
全体的に小さくなっているのは想定の範囲内だったけれど、「お前、正方形になったほうが安定しないかい?」って寿司を心配してしまうほどの、なぜ長方形にこだわるのかわからないほどの形だった。
思わず寿司についてた醤油挿し、そうあの魚型のアレ。ランチャームだ。あれをマグロにかざしてみた。
お、おいおいおい…横幅…ランチャーム未満じゃねぇか…。
ネタの種類もサイズ悲惨になってなおこの価格域。食料品の家計圧迫はここまで来たかと感慨深かった。
そして翌日、どうしても気になって近所のもうひとつのスーパーに向かった。
こちらはもう少し大きめで高めのスーパーで魚介類の取り揃えが良く、10種寿司はやはり600円弱だった記憶があった。
が…やはりこちらもタマゴ以外は魚介類をクリアしていたが、10種から8種に減っていた…。エビがすこし大きめになって横向きに設置することと、ラベル下が記憶よりスカスカになっていたことで2貫分のスペースをごまかしているようだった。
あぁ、私が愛したパック寿司は死んだのだ。回転寿司以下と揶揄される10種のパック寿司。タマゴと人工イクラで水増しされつつも10種という二桁の幸せを楽しんだパック寿司。マグロイカはレギュラーの主砲とし、ハマチやサーモンでどう打線を作るか毎回悩んだパック寿司…。
半額寿司がめったに手に入らないからと売り場すらスルーしている間に、存在そのものが消滅してしまった…。
中堅回転寿司でキャッキャするブクマカにはわかるまい。お魚はお高いのだと。
ギリギリ摂取していた贅沢なパック寿司は死に、サバ缶は値上がり+不漁で手が届かなくなった。ロシア産のシャケも死んだ。
魚肉ソーセージもすさまじい勢いで減量+減本数+値上げした。イワシが豊漁とのことだがイワシ缶まではまだ波及していない。
いや、いいのだ。随分前から魚はほぼ存在しないものと意識していたのだ。今更なのだ。悲しみは。増田はいいのだ。
増田の食生活ではなく、ただただ、あのスーパーのパック寿司というものの変質が悲しいのだ。値上がりもせずシュリンクという形で消え去った10種のパック寿司。あれは増田にとって文化だった。スーパーの象徴であったし、庶民の寿司の象徴だった。
これからの令和キッズ、令和の庶民の子にとってのスーパーの寿司、それがあの10種のパック寿司でなくなったことがただただ悲しい…。
もともと独り言のつもりで書いたので、ナルシストな表現があるのは大目に見てください。
初めて体重を気にしたのは小二の頃。
体重計に乗った時の数値が以前よりも大きくなっていることを気にしたのか、その年代の平均値よりも大きいことを気にしたのかは覚えていないが、体重計の針が示した数値ははっきりと覚えている。
その時は25kgだった。
周りと同じセーラー服が着こなせなかったのだ。
私の腕は、他の女子生徒が袖からのぞかせるものと同じように細くはないし、なんだかブツブツしている。
それに、体育が極端に苦手だった。他の人は軽々と走るトラックが何よりもキツかった。
きっとそんな自分は、他の人の目にはみっともなく映っているんだろうと思った。
ただ、この頃の私はまだましな方だったと言える。
家族もまだそこまで太っていない、普通体型だと言っていたし(それでも太ってはいたが)、何より中学では成績優秀、昔から活発な性格を知っている友人が多かったので、太っていることを何も後ろめたく感じる必要はなかった。
それに、中学生の頃までは私自身美醜の基準がわからなくて、自分の容姿が優れていないことを知らなかったのだ。
中3の時に仲良くなった、かなり容姿が優れている男友達は私に対して恋愛感情を抱いているようだったし、それ以外の人からもモテた(ただ、この容姿端麗な男友達と比べて私がかなり太っていることに対しては、私自身何か思うところはあった。それにこの男友達は美醜の感覚が壊れているようで、誰よりも男前な自分の顔を不細工だと言っていた。その目で見た私に恋愛感情を抱いていたということは、つまりそういうことである)。
言ってしまえば、自分の容姿が優れていないのに明確に気づいたのは高校生の頃だった。
腹が減った以上仕方がないと、食べるのが好きな私は頻繁にホットスナックを帰り道に食べた。
太っている人間が太るものを食べている姿は滑稽なので、隠れながら食べた。
私は時々、自分の体型をいじられた。
脚の長さを測られたり、太っていると言われたり(実際太っているが)した。
それによって、人並みに傷ついた。
顔については明確な言及はなかったが、周囲の人(とくに男子生徒)が私に対してはかなり不機嫌そうに話すのを見ていると、顔も悪く、太っていて、容姿はかなり悪かったんだろうと思っている。
実際、この頃に撮った写真に写る私は、髪も汚く肌も汚く、笑顔は醜くて眉毛が太い、極度に太った姿をしている。
太るものを食べていたら「そんなの食べてるから太るんだよ」と思われそうだし、痩せるものを食べていたら「そんなの食べてんのに痩せてないじゃん、意識だけは高いね」と思われそうである。
実際、これは誰にも言われたことのない言葉だが、常に思われているのではないかと怯えていた。
それゆえ、外食をするときは店に知っている人がいないかよく探した。
他人からどう思われるかなど大して気にしない私でさえ、こうである。
それほどまでに、太っているということは自信を失くさせるものなのだ。
きっと、太っていて繊細な女の子には、もっと色んな場面で、もっと色んな罵倒の言葉が聞こえているんだろうと思う。
高校の3年間は太り続けた。
受験期が近くなったために高3では外で勉強をするようになり、それに伴って休日は基本外食をした。
毎回、ラーメンやハンバーガーなど、太るものばかりを食べ続けた。
それ以外の時間も、腹が減れば食べた。
食べることぐらいしかストレスの発散方法がなかったのか、元々食べるのが好きだったからなのか知らないが、とにかくよく食べた。
このままだと痩せられない、ずっと太ったままだから、今日で太るものを食べるのはやめようと思っていても、やめられなかった。
「痩せる」ということがかなり遠い道筋のように思えて、どうも継続ができなかった。
その時よく見ていたサイトでは、どうやら私はBMIが28と少しあって、標準体重よりも16.5キロ重いらしい。
時々ダイエットを決意しては数日で諦め、熱意を忘れた。痩せなければという意識、自分の滑稽な容姿に対する後ろめたさだけが常に頭の片隅にあった。
写真に写るときは少しでも痩せて見えるように工夫したし、それでもその後見た写真には他の人よりも著しく太った自分の姿が写っていた。
高3の頃に、こんなに太っていても仲が良くなったクラスメイトとの写真にも、太っているから喜んで写ることができなかった。
太っていて、顔も優れておらず、髪も汚い私には、どんな服を着こなすことも難しかった。
まず、「着たい服」ではなく「着られる服」を着るようになる。
「着たい服」など、考えられなかった。
少しでも痩せて見える服を好んで着た。
どのウエストラインにすると痩せて見えるかばかり気にして、私服を着たときは鏡の前で数分にわたって腰を調節した。
それでも、ふとした時に鏡やガラスに写る自分はかなり太っていて、腕も汚く、特に横から見た時の腰の太さが異常だった。
運動もせずに、友達とも遊ばずにテレビなんか見ているから太っていて垢抜けないんだろうと思っていた。
それでも、垢抜けた人のようにオシャレな格好はしてみたかった。
この汚い顔、太った体でもできるオシャレといえば、髪飾りぐらいだった。だから、髪飾りはよく購入した。
金のピン、青いリボン、カラーゴム、シュシュなど、あらゆるものを買った。青いリボンをつけた日は、いつもより可愛くなった感じがした。
それでもやはり、あまり変わらなかったが。
ファッション誌も読んだりしてみた。
しかし結局、ファッション誌でさえ遠い世界のように感じられ、誌上の情報を断片的に真似してみては全く垢抜けない、そんな様子だった。
街中では綺麗な人しか見かけないし、綺麗な人はどうしてあんなにも綺麗なのか気になった。
同じくらい太っているのに綺麗な人もいた。あの人たちと自分は何が違うのかわからなかった。
成人式でも、私は醜かった。
成人式の頃にはかなり太っていた。両親と横幅が大して変わらなかったし、下ろせない髪によって隠せなくなった輪郭は、顔の肉を強調させた。晴れ着を着たら多少は綺麗になれると思っても、実際には綺麗になれなかった。せっかくの写真も、何も嬉しくなかった。
大学生なってからも変わらず、ウエストラインを調節し続け、周りを気にしながら外食をしていた私は、大学3年生の時に急に思い立ってダイエットを始める。
「暇だから痩せよう」とかの軽い気持ちで、たまたまそう思った日の前日に2万歩近く歩いていたからとか、その程度だ。
痩せるためには食事管理と運動だよな、とか思いながら、食事管理アプリで一番ダウンロード数が多いらしい「あすけん」を入れた。
痩せることは大変ではなかった。
あすけんは、健康的に痩せることをモットーとしているアプリらしくて、(賛否両論あるが)それなりに沢山のものを食べることができる。
ダイエット中でも、世間一般で言われているような「揚げ物は食べてはだめ」とか、「毎回白米の量を半分にして」など、する必要がなかった。
規定値に収めることができれば、ファストフードだって食べられたのだ。
ただ、規定値に収めるために、お菓子を食べることは必然的になくなった。
むしろ、食事管理を通して自分の食生活を数値上で管理できるようになったことで、いつの間にか太ってしまうのではないか・想定外のことが起こってしまうのではないかという不安がほぼ全て払拭され、ストレスがなくなった。
歩くことも苦ではなかった。
脚はかなり疲れたが特に大変さは感じなかったし、モチベーションなども保つ必要がなかった。
歩いている途中、どうしてもしんどくなったときは、6月のライブ(のちに10月に延期になる)までに必ず痩せなければいけないことを思い返したり、曲で歌われている美人な魔性の女のように自分がなることを妄想したりするなどして乗り切った。もっとも、こんな容姿で美人になることを妄想するなど、言語道断であるが。
そうこうして、痩せた。
夏の時期は中弛みなどあったが、合計16キロほど痩せることができた。
ウエストは20cmほど細くなったと思う。
標準体重よりも少し重いが、ダイエット中は体重の数値よりも骨格筋率・体脂肪率などを重視したため、この体重でも見た目は普通の人よりも少し痩せている程度になったのだ。
痩せても大きいままだった胸に対して腰は標準より細く、腕は少し太いものの一般的な太さになっている。
痩せてまず、服を買うのが楽しくなった。
初めて服を買った。大学3年生にして。
ジーンズを履くなど、太い脚が強調されてしまって私には絶対無理だと思っていたが、憧れの黒スキニーを履くことができた。
思い返してみれば、その時はまだダイエットを初めて数ヶ月しか経っていなかったため、まだ着こなすことはできなかったが。それでも当時は嬉しくて仕方がなかったのである。
家族とアウトレットに行くのも楽しくなった。自分の表現したいことが、服で表現できるのが何よりも楽しかった。
6月には、以前買ったスーツがあまりにもブカブカになってしまっていた。そのため、スーツを新調する必要があった。それが何よりも嬉しかった。
周囲、特に家族からも褒められた。私自身は大したことをしたつもりはなかったが、母はことあるごとに私のダイエット成功を努力の結晶だと褒め、認めてくれた。今私は母のダイエットを手伝っている。
遠く離れた祖母も、久しぶりに会った時はずっと痩せたことを褒めてくれたし、それ以降も電話でよくダイエットの話をしては褒めてくれる。認知症が進行したもう一人の祖母も、ふとした時に私が痩せたことに気づいて喜んでくれた。
かなり痩せて、体型も標準に近くなった頃、垢抜けようと思った。
眉毛も剃った。3分の1の太さにまで削った。これで丁度よかった。
そして、メイクの仕方を変えた。スキンケアを覚えた。色んなものも買った。パウダー、マスカラ、ビューラー、グロス、コンシーラー、アイライナーなど。
黒いアイライナーを引くことで、私の強い目力はちょうど良いほどに強調され、かなり化けるようになった。時期は大学3年の12月ごろ。
黒いアイライナーは、たまたまYoutubeで見ていた動画に出てきた女性が黒いアイライナーを使っているのを見て、真似して買った。安物だが、これが私からしたら魔法の道具だった。
もとの顔も、痩せて眉毛を削れば悪い顔ではなかった。少しばかり人中が長いが、その程度大したことはない。
顔の比率も理想に近く、肉の取れた輪郭は綺麗な卵型で(若干面長だが)、顔は普通のサイズよりも小さい。昔から姉と母に言われていた言葉(太っていたので信じていなかったが)は、本当だった。目の大きさも平均値より大きく、力強い目は目鼻立ちをはっきりとさせ、鼻筋もある程度通っている。目と眉毛の距離が近く、口も大きく、芸能人レベルではないがまさに顔タイプエレガントといった形だ。キリッとした顔つきは、周囲の人に賢そう・しっかりしていそう・頼りになるといった印象を持たせる。縮毛矯正をし、アイロンで伸ばした髪は、顔の力強さに負けていない。あの太かった眉毛に伴う長いまつ毛は、私の目の美しさを作り上げている。立体的な造形の顔と長頭の形は横顔の形を綺麗にし、腰の細さを強調させる。
この顔が、さらにメイクで化けた。黒いアイライナーはよりはっきりした目へ、書かれた眉毛はより凛とした表情へ変化させ、色白で力強い顔には真っ赤なリップも映える。赤いアイシャドウや濃いチークにだって負けず、それどころかより顔を華やかに彩る。マスクを取っても、整った顔立ちは変わらなかった。マスカラではっきりとさせた長いまつ毛は、少し目を細めて現れた奥二重に重なって、憂う表情を美しく彩る。
街を歩けば、通行人が振り返った。周囲の男子学生や男の人が私にだけ優しくする場面だってあった。よく色んな人から眺められた。見惚れられた。彼氏もできた。いつも私の顔を美人だと言ってくれる。ネット上のコミュニティでは、私が美人だという話がよく話題になった。実際に出会ったネットの友達は、女慣れしている人でも私の姿を見て固まっていたし、明らかに優しくなっていた。どうやらその後、写真で見るよりもずっと美人だったと言いふらしていたらしい。私の姿を見て美人だと言わない人はいなかった。昔はあんなに綺麗に見えた通行人も、今思えば普通の人だ。
醜く太った、毛深く垢抜けない女から、誰もが認める美人になった私は、お洒落に目覚めた。真っ黒なワンピース、激しいピンクの色、かっこいいベストなど、強い色の服や上品そうな服を身に纏った私は、ミステリアスで不思議な魅力を持つ美女とも言えた。イヤリングは顔の煌めきを増大させるし、特殊な色のネイルにだって負けなかった。
痩せて美人になってからの私は、よく音楽を聴くようになった。聴く音楽の対象が変わった。
美しい歌声で歌われる妖艶な曲に自分を重ね合わせたし、繊細さを重ね合わせたような曲のような価値観を持ってみたいとも思った。私の容姿だと、そのような価値観を持っていてもきっと絵になると思ったからだ。私はここ数ヶ月間、美人な自分と美しい曲を重ねては、綺麗な自分に酔いしれ続けている。それはもう、異常なまでに。
きっと今までずっと醜く、虐げられるように生きることを続けてきたから、その反動が大きかったのだと思う。もう周りを気にしながら外食をする必要なんてない。大手を振って表を歩ける。私は痩せて美しくなってから、以前のようにこそこそと生きる必要は無くなったのだ。
そしてこれからしばらく、美しくなった自分に酔いしれ続けるのだと思う。綺麗な服を集め、もっと上品になって、周囲の人からは高嶺の花として扱われて生きるのだ。
それでも、つい一年前まで醜かった自分の影は消えない。私が美しくなったのはここ数ヶ月での話しだから、それまでに虐げられてきた記憶の方がずっと長い。目を閉じれば、高校生の頃のクラスメイトの男子生徒の、私にだけ雑な扱いをする様子がフラッシュバックする。今だって、太っている人や不細工な人を馬鹿にする言葉には腹が立つ。容姿が優れている友人と扱いが違うことを語った漫画やツイートには、思わず共感して読んでしまう。所詮ここ数ヶ月で綺麗になっただけの私は、外見が変わろうとも中身はほとんど全く変わらないのだ。昔の醜かった自分を見下し、悦に浸りたくとも、浸り切ることはできない。
しかし、やりたいことはある。太っていると周囲の人が本性を表すとは本当のことで、きっと私に対して明確に態度が悪かった人は、そういう人なんだろうと思う。そして、私が太っていた時から仲が良かった人は、本当にいい人なのだ。
私のことが、高校の頃から好きな人がいるらしい。もうすぐ4年になる。私は彼に対して恋愛感情はなかったので、ずっと見てみぬふりをしてきたが、もし今の彼氏と別れたら、会いに行こうと思う。
その友人も容姿はそれほど優れていないし、言ってしまえば内気な人だ。きっと、人の容姿などもあまり気にしないんだろうと思う。
それでも、こんなに美人になった私をみてほしい。彼が好きになったのは私の容姿ではないにしても、昔よりも綺麗になった私をみて、感動してほしい。そして、それでも中身は変わっていないことを伝えたい。
その機能がうまく働かないと鬱や食欲不振、腰痛などになって現れる。
やってみてほしいこと
①早寝早起き
自律神経が整う最高最強の薬。
特に早寝が1番大事だ。深夜までスマホをいじって寝落ちする…夜勤でそもそも寝ないなんてのは最悪だ。
スマホは夜の9時以降は一切触らないようにする。
これだけで身体の不調は基本良くなる。
②太陽光を浴びる。
早寝早起きの次に最強。脳内で幸せホルモンのセロトニンが出る。メンタル改善に有効。ただ浴びすぎはよくないので、15分くらい浴びれば十分。
③食生活を変える
④運動
以上を試してほしい。
メンタルの不調は自律神経失調症と深く繋がっている。健康的な生活をすれば必ずよくなる。
騙されたと思って試してくれ。
必ず変われる。現に俺は変われた
セルフケアとは、個人が自分自身の健康や福祉を促進するために自発的に取り組む活動や習慣のことを指します。セルフケアは、健康状態を維持するために日常生活で行われることから、病気やけがの回復を促進するための特定の取り組みまで多岐にわたります。
セルフケアの例としては、健康的な食生活を維持すること、運動をすること、ストレスを減らすためのリラックス方法を見つけること、適切な睡眠をとること、病気やけがの治療を支援するために薬を正しく服用することなどがあります。また、定期的に医師や歯科医師、精神保健専門家などの専門家を受診することも、セルフケアの一環として重要です。セルフケアを行うことで、個人は自己管理能力を向上させ、健康的なライフスタイルを維持することができます。
私は健診で何度指摘されても生活指導がついても、意識はしてるんですけどなかなか…みたいな感じだった
要経過観察からどんどん評価が悪くなっても、自分で出来ることはしてるつもり、でも改善しない、みたいな感じだった
痩せないと不妊治療及びその後が難しいらしいとのことが理由になり、菓子類を食べるのをやめた
これだけでそこそこ落ちた、5キロくらいは
その後、不摂生の見本のような・自分のコピー元である父親がいろいろ悪くして亡くなったあたりで、不摂生は死に至る病なのだと強く感じた
それに加え以前にも増して食生活や運動などを気にするようになった
危機意識が父の死でぐっと高まった、似たような体質で似たような性格と生活態度、自分が同じ道を辿ることを想像して恐怖した 健診結果から確実に父と似たような不具合が自身にも起こりつつあることが読み取れた
きちんと記録してみると、節制して抑えていたと思ったカロリーも案外日々の活動カロリーを超えて摂取していることを理解した
そうして順調に落ちた体重もしばらく下げ止まっていた
食事はこれ以上減らしようがない、これ以上は運動か何か大きな努力しないと無理だろうと思った
が、ここ最近また徐々に落ちている
体が痩せないようにする防御反応していたのが、チートデイか何かで解けたのかもしれない
何度注意されても痩せられなかったのが痩せた
人はアドバイスなんかでは変わらない
タイトルしか読んでないけどアドバイスの多くはそんなもんな気がする
タバコ・酒は体に良くない、やめた方がいいとか
みんな良くないことは何度も言われてるし表面的には分かってる
でも変えられない、変えられない理由があるんだよね
そこを突き詰めるのは他人にはほぼ無理
心配していると伝えるのがせいぜいだ
20代の上にうちにしておくべき事は出産、って言われても何の意味もない上に不快にさせるだけのクソアドバイスだと思うんだけど
正論だと思う人がいる事にびっくり。
だからなんで、産むなら若いうちに産んだ方がいいなんて当たり前の事実、女性が分かってないと思う訳…?
10年程前に卵子の老化が過剰に叫ばれていた時も既にそうだったけど、なんで女性をそこまで無知で愚かだって事にしたがるのかねえ
それも男が言うならまだしも同じ女性が。
若いうちに産んだ方がいいだなんて、出産する気がある女性は言われるまでもなく分かってるし
可能な女性は言われるまでもなく既に実行してるに決まってるでしょ
実行してないのは色んな理由で無理な女性か、そもそも出産する気がない女性
「老後のためには2000万円貯めればいいよ」と同じような、実現不能で有害無実なクソアドバイスなのに
いや、2000万円貯めろの方がまだマシかな
同じクソアドバイスにしてもせめて「婚活」とか「健康な食生活」「適度な運動」みたいに、自分一人でも出来る事ならまだ分かる
でも出産の前に妊娠、妊娠の前にセックス、セックスの前に男との出会い、でしょう?
なのにどうして過程をすっ飛ばしていきなり出産の話にしてしまうのか
20代のうちに産んでおくなんて、少なくとも出産意欲のある人達はみんな当たり前のようにそう考えていて、でも現実的には難しいから苦労している人が多いんじゃないの?
キレのいいうんここそQOL爆上がりすることだと思うんだよね。
去年の自分は下痢がデフォルトだった。そんな自分は下痢ではなく2か月連続で硬いキレのいいうんこを出せた事に喜びを噛みしめながらこの増田に示す。
これは自分がゴミ屋敷に住んでたからわかることなんだけど(年末に友人3人に頭を下げて飯もだして各1人に1万円も出して宿代と忘年会費も出して大掃除を手伝ってもらった)清潔でいることがマジでキレのいいうんこをだすコツ。
去年うつ病みたいになって3か月休職してから部屋の掃除もできずコロナワクチンも打ってもらってやる気も出ずで部屋は荒れ放題だった。どれぐらい荒れ放題かというとゴミ袋がそのまま玄関に5袋積み重なってて部屋の中にも3袋ぐらい放置されてるぐらいゴミ屋敷だった。
出せばいいじゃん。って話なんだけど、うつっぽいときに適当にゴミ袋に放り込んだから缶とか瓶とか入ってるんじゃないかという強迫観念に押されて「再仕分けしてからだそ…」を1年続けただけの話。(友人にいろいろ掃除してもらってるときはもっぱらこのゴミ袋の仕分けだったが当たり前だが缶とか瓶は入ってなかった。)
そんなんだから何が嫌になってくるって台所に立ちたくなくなってくる。洗い物を出したくなくなってくる。結果的に水道水ですすいだ程度のペットボトルを使いまわしてお茶は沸す→覚ましてペットボトルに入れる→飲むってのを繰り返す。
察しのいい人ならもう予測してるだろうが、急須も水ですすぐだけ。
多分これがマジでだめだった。その時のお茶は今でも覚えてる。飲んだらいきなり腹がぎゅるぎゅる鳴りだすのだ。清潔じゃない急須から清潔じゃないペットボトルへ。菌が繁殖しないわけがない。でも正常な思考じゃなかったので「熱で殺菌される」みたいなことを漠然と思ってた。
今はちゃんと急須も洗ってコップで飲んでる。お茶を飲んでも腹はぎゅるぎゅるならないのだ。普通。
俺はデブだ。でも野菜が大好きだ。「デブは野菜くえよ」と言われるが、野菜はマジで食いまくってる。具体的いうと台所たつ前は1日キャベツ半玉レベル(レタス1玉やダイコン半分やゴボウ1本ぐらい)はほぼほぼ食うし、台所使わなくなってからもスーパーとかコンビニのキャベツ千切りとか色どり野菜パックみたいなのを2袋買ってきてはドレッシングか、ドレッシング切れたらオリーブオイルと塩と酢を振りかけて食ってた。
でも悪いのは米を食う量が尋常じゃないということだった。大体19時ぐらいに近くのスーパーにいくと半額になったおにぎりがごろごろ残ってた。これを毎日5個、イライラしてる時は7個ぐらいは買って、袋野菜のコーナーにいって2袋取ってドレッシング切れてるの思い出したらドレッシングも買ってた。これで大体高くてもドレッシング込みなら1000円ぐらい。込みじゃなければ600円ぐらい。今でもこれはコスパがいいと思ってる。金曜日とかだとビールと何か揚げ物の総菜。
こんな食生活をしているのを友人に看破された。(部屋のゴミ袋の大体の内訳がおにぎりの包装ビニールとお惣菜のパックとプラスチックのドレッシング容器だったから)
デブがよ、バカがよ。ナッツ食えよ。といわれたので年明けからはおにぎり1個とナッツと野菜にしてる。素炒りナッツがすでに200円ぐらいするので量から考えるとだいぶ割高。
でも晩御飯をこれにしてからだいぶおなかの調子もよくなって便が硬くなった。硬くなればキレもあがる。
あと野菜もできれば海藻入りのあるときは海藻入りにした。ただ青じそドレッシングが瓶入りしかないので悩みどころ。
これもマジで大切。これはそもそも部屋が奇麗じゃないのとストレスで眠れてなかったのが大きかったのもある。
台所に立ってた時期と比べるとやっぱり夕食の時間が早くなったことだでかいと思う。
自炊をする。米は1時間ぐらいで炊きあがる。これが例えば8時前に仕事から帰ってきたとしたら飯を食うのは9時になる。9時にゲームのほうでイベントがあると9時半ぐらいになる。ちょっとチームメンバーとお話してたらアッという前に10時。そこで「飯食って風呂入らなきゃ」となって飯を食う。12時には寝る。
でも今は自炊をしていないので8時に帰ってもぱっと食える。自炊は自分が好きなものが作れる半面時間がかかる。あと自炊だと米を毎日2合炊いて食ってた(冷凍するとなんか惜しくないように感じるので)ので結局のところその分食わなくなっただけかもしれない。
大怪我をした直後に患部が麻痺しているのを「痛みを感じないって事は逆にヤバイな……」と考えるべきなのは皆経験上理解しているはずなのに。
「整う」はそれを痛みを感じることなく実行し、その結果として本来は相殺に使われる分の痛み止めを直に快楽として受け取っている状態だ。
ガン治療に使うモルヒネを平時に接種して気持ちよくなるのと原理は何も変わらない。
異常な状態に対処するための異常な状態を意図的に起こすことで体にかかる負荷を甘く見ない方がいい。
オーバークロックをしたCPUの寿命が通常よりも短いように、異常な状態に晒され続けた肉体の健康寿命は短い。
たとえば相撲取りなんかは普通の人よりも20歳ほど平均寿命が短い。
肉体に負荷をかけることが健康寿命を犠牲にしているのは明白なのだ。
それなのに世の中ではサウナやランニングを健康的な趣味であると過剰に持ち上げたがる。
交感神経に適度に負荷をかけることが、ストレッチによる肩こりの解消のようなある種のチューニングとしての効果を持つのは実証されている。
だが、それを過剰に繰り返すことで危険を感じた肉体が脳内麻薬を出す状態に持っていくのが健康に良いわけがない。
ランニングも軽く流して体を動かすのを楽しむだけならいいが、限界の向こうに挑戦して脳内麻薬でアヘアヘするのは不健康への形道切符だ。
この辺の部分を軽んじている人が世の中には多い。
ラーメンブロガーの塩分を取りすぎた食生活を人生の非効率な運用と嘲るような人間が、自分はサウナで整っていくのを健康的だと勘違いしている様などはネットでよく見る。
やめろ。
気持ちよくて健康に良いことは沢山あるが、物凄く気持ちが良いことは大抵の場合体に悪い。
適度な性行為はホルモンバランスを整えるが、首絞めオナニーは最悪死に至る。
過剰に気持ちよさを求めるならそれと何かが引き換えになっていることを自覚するべきだ。
そういった人間を遊び半分に増やしている連中は自分が日々天国にはいけないようなクズへと近づいていることを少しは自覚した方がいい