はてなキーワード: 自己評価とは
http://b.hatena.ne.jp/entry/originalnews.nico/23681
何このブコメ欄?
マイノリティのために戦う正義の味方(気取り)の集う場所じゃなかったんですかはてなは?
何でこんな面白がってる奴らが大量にいるんですかねぇ。
てめーらナチュラルに童貞はいくらいじって遊んでもいい属性だと思ってんだな、死ねよ。
何が童貞の質問に答えます、脱童貞のお手伝いをしますだよ糞が。
こんなの非童貞&非処女が考えた「いかにも童貞がしそうな質問」を糞アマが切り捨ててるだけじゃねぇか。
それを非童貞&非処女が「うわー童貞が滅多打ちにされてるwww」って笑うための本だろ。
あのな童貞ってのはな、お前ら非童貞&非処女が思っている以上に繊細なんだわ。
童貞が全員「いやー俺童貞でさーw」みたいに軽いノリで童貞をネタにできる奴ばっかりだと思ってんの?
アトピーや大きな傷跡など身体的な瑕疵があって他人に裸を見られたくない、どうやっても自己評価を高く持てずに自信が持てない、そもそも女性恐怖症だ、etc...
そんなどうしようもない理由を抱えてるやつもいるんだわ。
そして一度も異性に愛されたことが無い奴は、多かれ少なかれコンプレックスを抱えてるんだよ。口では「諦めてるから」なんて言ってる奴もな。
そういう連中も踏みつけて遊んでるんだお前らは。
貧困者や生活保護支給者に言ってみろよ、「少しは稼ぐ努力をしろ」ってな。
大体一番人気コメさ、何これ?
macgyer “そんな方々を「呼んでない飲み会に勝手に来て料理に文句言う奴」みたいな感じにしてしまったこと、反省しています。”いちいち面白い。
何が面白いんだよバーカ。
当事者がいない場所ではいくらでも人をコケにしてもいいんだとよ。
じゃあ朝鮮人がいない場所ではいくらでもチョン連呼していいな。
で、それを聞きつけた当事者が「やめてくれ」って言ってきたら「呼んでない飲み会に勝手に来て料理に文句言う奴」呼ばわりして適当にあしらっていいな。
んなわけあるかボケが。
ここでこのくだらない本を絶賛した奴は二度と弱者の味方気取るんじゃねぇぞ糞が。
音楽も、ストーリーもよかったと感じた。なのに引き起こされたのは罪悪感だった。
ララランドは、女優志望のミアが、ジャズピアノマンのセブと恋に落ち、別離するストーリー。
最後、ミアは女優として成功、セブも自分のお店を持っており、彼らは夢を叶えて終わる。
ミアはセブではない夫と結婚して子供もいる。セブは独身なのかどうかは不明だった。
*
大学2年から4年まで2年間付き合った元カノがセブと重なった。
自分から好きになって告白して付き合うことになり、こちらから別れを告げる形になった。
別れた理由は保身だ。
自分とは家庭環境も通ってきた経歴も価値観もなにもかもが違った。でも好きだった。
相手の方が「なんで自分のことを好きなのか」と疑問に思うくらいに。
終わりを恐れながら付き合っていた。
こんなこと、いつかは終わると思いながら付き合っていた。
ふつうの幸せがほしい。同じような家庭環境で経歴で価値観が合うひとと
ふつうに祝福される付き合いがしたい。
このままこの人と付き合い続けたとして、ふつうの幸せは手に入らない。
だから、別れたいと言って別れた。もうやめたい。詳しい理由は言えなかった。
終わりを恐れながら終わりを待っていたなんて矛盾しているし最低である。
*
私は結果的にヘテロの女で、相手はノンセクシャル(と思われる)の女性だった。
多感な時期のセクシャリティの揺れを引きずって彼女と付き合い、
最終的に保身のために切り捨てた。
今は落ち着いて、同じような家庭環境で経歴で価値観が合う彼氏がいる。
付き合って2年経ち、同棲の話が出た。欲しかった、祝福される付き合いだ。
家族と友達と世間一般から、なんの障害もなく祝福される恋と結婚のことなのだ。
*
ミアとセブはお互い夢を叶えている。
でも、私の人生は映画ではないので、彼女と偶然出会って目配せと微笑みで夢が叶ったことを
確かめ合うことはできない。
元カノに対するこの罪悪感は消えることがないだろう。
自分は自己評価がめちゃくちゃ低い。自分の代わりなんて腐るほどいると思ってる。
中高から進学校でその中では凄ーく優秀な奴を見てきて、ああこいつらには敵わないなと思いつつ6年間過ごした。
それでも高3の時は割と頑張って東大に入った。でもこんな奴東大では当然真ん中より下だ。学内偏差値45くらいってところか。
結局自己評価って自分の周りの中でどうか、で考えるから凄ーーく優秀な奴に囲まれて自己評価は地に落ちた。
正直自分なんかまともに飯食っていければ万歳だくらいのことを半分本気で考えていた。
でも世間を知らなかったのね。
中学生の時から割と世間から隔離されてたっぽいことを最近知った。
なんか、今まで「できて当たり前」「わかって当たり前」のことをして評価される機会が何度かあった。
その気持ちよーーーくわかる。私も自己評価がとにかく低い女性と6年(!)付き合って、先月結婚した。増田が書いてあるように、「どうせわたしなんか」という文句を筆頭に卑下してくるので、「いい加減に直せ!」と度々大喧嘩することも。しかし、なんだかんだ笑った顔が好きなので、最終的に許してしまっていたが、やはり疲れる。かなり疲れる。それでも自己評価を低くしてはいけないと懇々と諭したおかげでちょっと改善されたが、それでも卑屈になるので諦めた。「はいはい」と聞き流すようにした。ただ言いたいだけなんだと。
全然答えになってないけど、これから一生一緒にいるということえを冷静に考えて、無理と思ったらきっぱり別れたほうがいいよ。大丈夫そうなら受け止めるしかない。時々怒りながらね笑
先日のブクマで、国会中継見るのが退屈だ、忙しくて見れないみたいなご意見があったので、国会を楽しく見るためのポイントをご紹介したいなと思います。
リアルタイムで見たい、という変態さんはともかく、事後的に面白そうなのから見る、というところからでもOK。
衆議院、参議院ともに、インターネット審議中継で、アーカイブも見れます。インターネット審議中継で検索、検索。
基本的には、国会がつまらないと思うのは選手を知らないスポーツを見るのが微妙なのに似ていると思います。つまり登場人物の特性がわかってくると面白そうな番組がわかってくるわけですよ。あと与党の質問が長いので、それもつまらない原因のひとつ。答える人も見る人も、与党の質問時間は休憩タイムです。
そこで今回は現内閣の主要なメンバーについての評価と、野党の私が好きな議員の紹介とと主な議員の評価をお届けしたいと思います。
点数は100点満点です。
防御力10
けむまき力60
イライラさせる度100
ご存知われらが内閣総理大臣。煽りぬきで、内閣中で一番防御力が弱い。ただし、10秒で答えられる質問を3分ぐらい関係ないことを喋って質問時間を浪費させるテクニックは持っている。今期前半戦でも一太にですら「総理、簡潔にお願いいたします」、「総理、答弁が長いです」といわれている。陣笠出身だけあって、ガヤが大好きなくせに他人にされるとおちょくってくるのでものすごく人をイライラさせます。「答弁しておりますので、静かにしていただけますか?わたくし、野次がありますと、集中できないものですから」が個人的に一番いらつく。煽り耐性が極めて低く、ロジカルに何が自分のクリティカルな弱点かを把握できていないので、どうでもいいところで余計な言質を与えている。正直「外交は上手くやっている」というのが本当かについては極めて不安が大きいです。
それでも、部下に任せることができるようになった、というのは大きなポイントで、年取って、自分が、自分が、というのを抑え気味にしているのが、この内閣が比較的成功しているところなのかなとは思う。ただオキ二のともちゃんがピンチだと駆けつけ警護するんですが、輪をかけて意味不明な答弁を繰り返す辺りは残念です。口癖は「まさに、いわば、完全に」、得意技は「勘繰れお前!」
防御力80
応用力30
ポーカーフェイス力100
ミスター「問題ない」。とにかく彼にかかればなんでも「問題ない」、「批判はあたらない」。完璧超人のようにみえるけれども、臨機応変な答弁は得意なほうではない。谷査恵子さん関連の答弁では準備が足りなかったのか、結構危なっかしかった。最近、安倍ちゃんへの忠誠心に翳りが見えつつある。国会答弁に出てくることは稀。
防御力80
人間力30
えらそう力100
ミスターえらそう。自分が一番偉そうなくせに、山本太郎なんかに「えらそうに」と放言せずにはいられない。ただ財務大臣としては、保守的な考え方で、リフレ政策に走りたがる内閣の中では重石になっている感じはあり、さすがの重厚感。個人的にはなぜあそこまで安倍ちゃんのケツをなめるように拭いてやっているのかがわからない。森友問題で財務大臣として、財務省職員のヒアリングを「やる必要はない」で突っぱねてるんですが、安倍ちゃんの首根っこ抑えているポジションにいるわけだから、もっと野心を持って、岸田さん辺りを担いであげてキングメーカー気取ってみてもいいお年なんじゃないのかと思うところ。
防御力20
居丈高度80
脇の甘さ100
今期前半の逆MVP。安倍ちゃんのオキニだから出世してきた面が強いから党内からも嫌われているのであろうことが想像に難くない。お仲間のはずの山口委員長に「きちんと調べてから答弁なさってください」、「ちゃんと考えを整理して」と官僚と打ち合わせずに答弁しようとするのを制止されたりしている。おそらく自己評価と自分の性能が強く乖離しているので、自分では優秀だから自分で答えられると思っているのだが、そのせいで大失態を演じているので、役人にも嫌われているだろうと思う。「自分の記憶力に余りにも自信があったもので」と平然と言えるのはある意味すごい。一瞬しおらしくなっていたけど、すぐに居丈高になるのは自分に自信がありすぎるがゆえか。大野もとひろ議員の質問に対して、まったく違う答弁を読み上げてしまったりもしている。防衛省特別監察という名の答弁拒否権を得たため、現在は一息ついているが、防衛省側からのリークがとまらないので、早めに切らないと相当厳しいことになると思う。
防御力50
懐具合10
面の皮の厚さ100
森友学園に救われた女。自分の口座と党の地方支部の間で寄付金をイッテコイして還付金を頂戴したことがバレ、詐欺で告発されているが、森友学園でそれほど騒がれずにすんでいるラッキーな人。それを追求される中で、「ほんとうに火の車」を連呼しているので、好意的に受け取れば、懐具合はよろしくないのでしょう。安倍ちゃんにはわからない悩み。個人的には完全に真っ黒なわけだが、なぜか偉そうに「私はもうやりませんが、法的には何の問題もない(キリッ」と答える面の皮の厚さは化粧の問題ではないと思いマース。
防御力20
立派な答弁力0
ぬらりひょん力100
「成案が出た段階でお答えさせていただきます」。「通告していただければ、立派な答弁ができるかな、と」共謀罪でギリギリされているが、効いているのか効いていないのかがわかりにくい。ただ、全部官僚に聞いてから答えるという、ある意味で誠実な答弁をしているので、決定的な失点はしていない。追求側はえだのんや山尾議員で、論理的に攻めているのですが、本当にすぐに答弁しないので、時間の浪費感はすごいと思います。そういう意味でのディフェンス力は高い。
防御力90
クールジャパンw0
立て板に水度100
本当に口が上手い。クールジャパン関連の宣材の残念度からして、書き物が上手いタイプではないのかもしれないが、個人的には、クライアントの要求に忠実にこたえているだけのような気もしている。多分すごく優秀な人だと思う。金田さんのあとに世耕さんの答弁を聞くと、「これが同じ大臣か・・・」と絶句せざるを得ない。「私も関西人ですが、」「谷さんは私の高校の後輩ですので」、気さくな人アピールなのかもしれないけれども割りとすべるほうではある。
多分いい人で、頭もいいはずなんだけど、安倍ちゃんの政策のケツをなめすぎたので、立ち位置が難しくなっている人。宏池会系の領袖として、麾下にポストも配ってやりたいが
ゆえの悲哀だとは思うけど、それでいいのかあなたは。
ソツがない答弁はするし、聞きやすくはあるけれどもこの人自身がどんな考えの人なのかについてはいまいちよくわからない。教育勅語関連、教科書問題関連、銃剣道etc.という結構やばめの案件を答えてる割には上手くやっていると思います。育鵬社の教科書ですでに教育勅語のせちゃってるから、いまさらダメだとはいえないんだよねー。
攻撃力10
正直、民進党の中でも頭が切れるほうではない。口は結構滑らかだけど、それだけ。今期の国会で安倍ちゃんに負けそうになってたのは彼女だけ。同党の大塚耕平議員が、めちゃくちゃわかりやすくゴミ混入率の割引計算の話を整理してくれた次の日とかその辺に、安倍ちゃんですら理解したことを勘違いしたまま質問していたのはかなり恥ずかしい。安倍ちゃんが嬉しそうに「私、知ってるんですよ!」と解説してくれていたが理解しているかどうか・・・。あんまりしゃしゃりでないでほしい。個人的にも、蓮舫さんや野田さんみたいなネオリべ臭漂う人が中枢にいると応援しづらい。でも蓮舫さんを選んでおきながら客寄せとして失敗した感じになったとたん手のひら返して引き摺り下ろそうとしだす連中はもっと問題だと思う。
攻撃力80
若いときから弁が立つのは知っていたけど、官房長官を経験したせいか、議論自体も慎重になってきた。話の内容を整理して、相手が簡単に答えられる質問を上手にする点に関しては当代の議員でピカイチだと思う。ただし、悪い意味でも地味なので、党の顔になれないのかなぁと思う。個人的なイチオシ。今期後半では共謀罪関連で前面に立ってくると思うので要注目です。
攻撃力90
舌鋒鋭いという形容詞がよく似合う。ただし、ちょっとキツイ印象を与えるところはあり、おっさんに好かれそうなタイプには思えない。あと多分代表とかになると弱いタイプのように思う。野党向き。共謀罪関連では具体例を挙げながら、論理的に金田大臣に迫っているけれども、向こうはハナから戦う気がなく、ただ時間が過ぎるのを待っているだけなので、国民が注目してあげないとかわいそう。
あとは福島のぶゆきさん、福山哲郎さん、今井雅人さんの質疑は森友問題に興味があるなら見て損はないかな。藤田幸久さんなんか、あんなにトンデモ臭が漂っているのにも関わらず議論させると妙に上手いのでわからないもんです。
あと、面白い質問主意書を出して、論理的につめようとしている逢坂誠二さんあたりの質疑も面白いですよ。
こないだかいた加計学園関連なら、桜井充さん、斉藤よしたかさんあたりがいいと思います。
共産党は、粒ぞろいで、小池晃さん、辰巳孝太郎さんなんかはファクトに基づいて攻めるのが上手です。共産党はやっぱりファクトに基づいた戦術は上手いですよ。小池さんは、鴻池さんの陳情整理書をもってきたり、辰巳さんは、産総研に依頼したボーリング調査結果の分析を持ってきたりとかがんばっていると思います。個人的なイチオシは大門みきしさん。こないだの、メガバンクのカードローン問題の質疑はかなりよかったです。麻生さんもたぶん一目置いてる感じで、サラ金の後継者になっちゃってる問題について、今後ちゃんとやっていきたいという感じになって、こういう感じになると、野党議員といえど仕事した感じになっていると思います。清水ただし議員の押し紙問題の問題提起も非常によかったです。
とりあえずめんどくさくなったのでここで終わりますが、今国会で、一番の注目は、公文書管理だと思います。個人的には早く安倍さんにはやめて欲しいけど、やめないなら、公文書管理の問題に手をつけてくれないとヤバサノンストップです。特に防衛省関連、財務省関連でも問題になった、保存期間1年未満の文書に関する穴はふさがないと、好き放題やられますよ。
維新の足立さんについて書かないのがアレだとのことなので、一応書きますが、
私は足立さんのことはこれっぽっちも認めてないんで書きませんでした。アレは、暴言王言われてますけど、面白がっちゃいけないものです。
公式野党といわれる維新でもたとえば農水委員会での儀間さんなんかはちゃんとした質問をされますけれども、維新は基本ダメな議員が多いです。
委員長にもなんども注意されていますが、何より、自分のことは棚に上げて、野党の質問内容を批判しつつ、時間放棄して質問を終える態度からして
私はいちおう写真を趣味としている。腕前は自己評価ではアマチュアの中で中の上ぐらいかな。いちおうスクールに基礎的なことは習いにいったけど、飛びぬけたセンスや人と違う着眼点を持ち合わせているわけではないので、プロになるのはまぁ無理だろうなという感じ。
あと、アマチュアでも写真で小遣い稼ぎやコンテストで賞金稼ぎができるレベルの人って、だいたい凝り性で、自分の望みの絵が撮れるまで何度も同じ場所に通ったり、レタッチもとことんイメージを追求して気のすむ仕上がりになるまで頑張る。あと、撮るときにまめにレンズ交換したりフィルター付けたり、それはそれはいろいろな工夫をしてイメージに合った作品を撮るのである。私には正直いってそこまでやる根性はない。
ということでいちおう自己表現の手段は写真だけど、中途半端な腕前だと、あまり他人様に相手にしてもらえない。定番スポットでありがちな写真を撮ってSNSにアップしても義理でリアクションしてくれる人がある程度いるぐらいで、特に今のシーズンだと似たような桜の写真ばっかりアップしても「もういいよ」ってなってしまう。
あと、写真の腕が大したことなくても、書いてることがどうでもいいことでも、人気のある人にはリアクションが集まる。明らかに写真の腕前でかなわないと思う人に負けるのは仕方ないけど、人気さえあればいいって何?明らかにスマホで撮ったへたくそなセルフィーとか、「今日は○○ちゃんと△△に行ったの~♡」ぐらいの文章でやたらとアクセスが来る連中(主に女)には殺意すら覚える。
何なんだよ~、何とかしてうまくセルフィーを撮って、レタッチしまくって可愛い子っぽくして、それでぶりっ子な感じの文章書けばいいのか?たぶん私の歳でそれやったらかえって引かれるのがオチだと思うんだけど。オバさんは承認欲求を持ってはいけないんだろうか。それとも写真の腕を磨く努力をすれば許されるのか?たぶんリアルで承認してもらえる機会が少ないから余計ネットにしがみついちゃうんだと思うけど、どうも悪循環に陥っている気がする今日この頃。
読んでみて、ねーよとは思いましたが、
なにかしらアプローチを考えようとする人は好きです。
そのまま懐に居座る。で印象を残す。
自己評価が低く、キビシイことを言う人の方が自分を分かってくれていて好きだとおもう人
相手から求められたり、口説かれたりしたことが乏しく求められることにただ喜ぶ人
(見ようとしても、全く見えていない私が言うのもアレですが・・・。)
人によってどういう会話が楽しいのか、どういう時に距離が縮むのかは
千差万別だと思います。そこで手を抜いて、画一的な方法で無理矢理心に押し入って
それが成功すればOKは、まぁ違うかなと。そこはラクしちゃだめなとこでしょと。
絵がかけないのでネタだけ描く。誰か漫画かける人いたらぜひ描いて。
1ページめ
モノローグ「皆さんは突然男性から『ブス』と言われたことはありますか?」
「私は小学生のとき同級生の男子から『おい、ブスギリ子』とあだ名をつけられ何度もからかわれました」
「嫌で嫌でたまりませんでしたが、先生に言ってもやんわり注意するだけで改善せず、そのまま卒業となりました」
「それが中学校に入ったとき、クラスの女子の一人に対し同じように『ブス』呼ばわりをするところを見かけました」
「私はすぐに男子生徒にやめるように言いましたが、意外にもそれを止めたのは言われていた女子生徒の方でした」
2ページめ
ギリ子「どうして!ちゃんと言わないとつけあがるよ」
女友達「いいの。どうせ言ってもやめてくれないし。もう慣れているから(笑顏の女友達)」
モノローグ「私はショックを受けました。そうなんです。女性というのは蔑まれる言葉をかけ続けられると『それが自分への評価だから』と萎縮してしまうのです(顔に縦線が引かれたギリ子)」
「思えば小学生のとき、私も最初は何度か男子に言い返しましたが、まったく直そうとしないため諦めてしまっていたところがあります(無視して歩くギリ子と後ろからブースブースという男子)」
3ページめ
モノローグ「子供のときの『ブス』という評価は例え事実でなくとも女性の自己評価に関わります」
「ブスと言われることに慣れた女性は、いつしか『ブスな私は不幸でも仕方がない』という考えになり、次第に逆らう気力をなくしていきます」
「みなさんは女性の繊細な気持ちを理解してあげていますか?ブスと言われた女性がどれほど内心で傷ついているかを…」
「あのときブスと言われていたブスな女子生徒は卒業したあとどんな生き方をしたかわかりません」
「ですがきっと女性としてて大切な自信をなくしたまま、自分を責めるような生き方をしているのではないかと考えてしまうのです」
4ページめ
ひさびさに中島敦『山月記』を読んだら、だいぶ読み方が変わって驚いた。
以前は、強烈な自尊心ゆえに友人や先生に教えを請えないエリートが没落した様を描くことで、「つまらないプライドは捨てて生きていかないとロクなことにならないよ」という教訓を言う話だと思っていた。
が、この読みはどうも浅薄というか、人生の敗北者にとっては厳しすぎるのである。というか結論だけ抜き出せばそこらの自己啓発本と変わらないような気がしてきて、作品の価値を矮小化しているような気さえしてくる。
そこで、もう少し人生の慰めになるような読み方はないか。と考えていたら、これは「理不尽な世の中に自分を合わせられない不器用な男が、苛烈な自己責任論で自分を裁いてしまい、自分を受け入れてくれる神も持たなかった結果、精神的な苦境に陥る話」じゃないか、と思い始めた。
中学生の頃に読んだときは、李徴は周囲に教えを請いたりできないプライドの高い男だな、と思ったが、(浅い)人生経験を積んだ今、改めて読むとそうでもない。
李徴が詩人を志したのは、(功名心もあっただろうが)第一には心を揺さぶる先人の詩があったからだろう。そうなると、そうした詩を書く者が周囲にいれば、これに師事したり教えを請いたりしたはずである。
それにもかかわらずそうしなかったのは、自分の追い求める詩人像に値する者が周囲に居なかったからだろう。
①自分の追い求める理想像と、②世で「名を成す」者とがズレることは、現実社会でもしばしばあることである。
李徴は、このズレに気付かないまま自分の理想像を追い求めていったことで、世で「名を成す」ことができなかったばかりか、周囲の人間と折り合いがつかなくなり、「努めて人との交を避けた」結果、「一匹の猛虎」となった。
他方、周囲にいた「己よりも遥かに乏しい才能であ」る者は、世で「名を成す」道を「専一に磨いたがために」、「堂々たる詩家」となった。
李徴は理不尽な世の中に自分を合わせられず、ひたすらに理想を追い求めた結果、社会的に失敗してしまったのである。
これはカフカ『変身』で、社会の求める市民像──(ⅰ)家庭の善良な息子、(ⅱ)有能なセールスマン──を演じていたグレーゴルが、自己の本来性の自覚を持ってしまった瞬間、褐色の虫に変身してしまったのと似ている。
現代社会のルールでは、人間が自己自身の本来性を保持することを許さないのである。
そして、李徴が不幸であったのは、上述した社会のルールに、他ならぬ李徴自身が支配されていた点にある。
李徴としては、徹底的に社会を突き放し、自分の理想像を追求するという途もあった。
しかし、「元来詩人として名を成す積りでいた」李徴は、世で「名を成す」努力をできなかった自分を徹底的に断罪するのである。
李徴の詩を聴いた袁の評価によれば、李徴の詩は「長短凡およそ三十篇、格調高雅、意趣卓逸、一読して作者の才の非凡を思わせるものばかりである」とある。
「第一流の作品となるのには、何処どこか(非常に微妙な点に於いて)欠けるところがある」とは言え、この自己評価は言い過ぎである。
それに、はっきり言って実社会でこんな話は”よくある”ことなのである。
神の手により不幸のどん底に落とされる義人ヨブを、自己責任論に基づいて徹底的にこき下ろす友人エリファズの話だが、どうも李徴の中にはヨブとエリファズが同居しているように思える。
さらに、上記のヨブ記のラストにおいて、ヨブは「仲保者」(=キリスト?)の存在を確信することで救われるが、李徴にこのような仲保者は現れない。
ただ、「向うの山の頂の巖に上り、空谷に向って吼える。この胸を灼く悲しみを誰かに訴えたいのだ。己は昨夕も、彼処で月に向って咆えた。誰かにこの苦しみが分って貰えないかと。」というだけである。
これも社会のルールに合わせられないムルソーという男の不幸を描いた作品である。
ムルソーは物語のラストで、このような自分を排除せず「優しい無関心」を示す自然の存在に気が付き、幸福を得る。
他方、李徴は「獣どもは己の声を聞いて、唯、懼れ、ひれ伏すばかり。山も樹も月も露も、一匹の虎が怒り狂って、哮っているとしか考えない。天に躍り地に伏して嘆いても、誰一人己の気持を分ってくれる者はない。ちょうど、人間だった頃、己の傷つき易い内心を誰も理解してくれなかったように。」というだけである。
ここに来て、山月記という作品は「理不尽な世の中に自分を合わせられない不器用な男が、苛烈な自己責任論で自分を裁いてしまい、自分を受け入れてくれる神も持たなかった結果、精神的な苦境に陥る話」じゃないかと思うのである。
30代後半以降で大学特任教員やってる男らは、その世代の婚活女子と同じだと思う。職種を選ばなければなんらかの正規雇用はある(相手を選ばなければ結婚相手はいる)。でも自分の価値を信じているから辛い努力をし続ける。客観的には自己評価高すぎなのかもしれないけれど、まあ自己評価なんてみんなそんなもんだよね。可能性が低くても努力し続ける方が諦めるよりマシなのかもしれないね、その男らも婚活女性も。
褒められるとみんな謙遜していやいやそんなことないですよとか言うからみんなそうなんだと思ってたけど
自分の謙遜は他人とは度合いが全然違うんじゃないか!?て最近ようやく気づいた。
どうしたらいいかわからないどころか、褒めてもらう度にあー相手は気を使って嘘で褒めてくれてるんだー申し訳ないなぁーってなる。
今ちょっとググって色々見てたら毒親に育てられるとそうなるって書いてあるサイトが多くて
親から
・褒められずに育った
・否定されて育った
あたりがよく書いてあることなんだけど、自分は本当に普通に普通に育てられたので全然当てはまらないんだよなあ。
普通に褒められまくったし、末っ子なので甘やかされて育ったと思うw
自分で言うのもなんだけど、どんなことでもやればある程度出来ちゃうのでまわりから頼られるし、器用だねって言われる。
学校の成績はいいほうで、運動も普通、友達はいたし、彼氏もいる。
でも物心ついたときからずっと、友達も彼氏も私がかわいそうだから付き合ってくれてると思って生きてきた。
何でだろう?
個人批判ではなく、このマンガを持ち上げてる奴らに対するアレだが
この話もはてブのコメントもとても気持ち悪い。端的に言ってオナニーだろ。
死というイベントに対して、周りがキラキラに飾り付けてキャッキャしてんの。お前らが死ねよ。
な~にが「良いアドバイスですね!」「逃げることで救われる人がたくさんいる!」だ。
自己満足のためにかけた強者からの「逃げろ」という言葉が当人にとってどういう意味を持つか何も考えてないでやんの。お前らが死ねよ、と思う。
直接的にしろ、間接的にしろ、死に追い込んでる輩が彼/彼女に対してやっているのは広義の人格否定だ。
罵倒して「お前はダメだ」と突きつけたり、(結果として)過剰なタスクを与えて失敗させて落ち込ませたり。
はじめは他者からの勝手な低評価だったものが、本人の主観的な相対的低評価となり、気がつけば本人の中で自己評価が地に落ちる。
で、「逃げろ」という奴。
彼や彼女にとって「逃げる」という行為がどういう意味を持つか考えてないだろ。一度死ね。
学校にしろ、仕事にしろ、はじめは自ら進んで行くものだし、やるものだ(ひと目でヤバイとわかりゃ、強要されない限りその時点で逃げるに決まってる)。
友達と楽しく通い、新しいことを勉強し、、あこがれの会社の、あこがれの職業の、あこがれの仕事、、それがどこかで歯車が狂ってしまう。
歯車が狂ってなお、勉強にしろ、仕事にしろ、学校や会社に行けば必ず進捗する。努力がコツコツ積み上がる。
「逃げる」という行為は、そうやってどうにかこうにか積み上げてきた過去全ての努力を捨て去るということだ。
過去から続く現在までの努力を捨て去り、それどころかその先にあったはずの未来の夢すらも捨て去るということだ。
それってつまり、今の自分だけでなく、過去と未来の自分さえも否定しろという、ド直球な人格否定だなわけだ。
「逃げろ」という奴は、そういう最大の人格否定を強いようとしていることをわかってるんだろうか。
会社から逃げることは、小学校、中学校、高校、大学と16年間以上費やしてきた、親からの教育費と自分の努力を自ら塵芥に帰し、
今以上の会社にも入れないということを受け入れなければいけない喪失感を想像した上で、気軽に「逃げろ」と口にしているんだろうか。
何度も言うが「逃げろ」という言葉は、実質的に直接的な人格否定だ。
そういう意味では、間接的に死に追い込むやつよりよっぽどたちが悪い。
心の中をキラキラさせながら優しい言葉をかけてやったぞと人格否定するあたり、もはや罵倒して死に追い込むやつよりもたちが悪いかもしれない。
憎むべきは、死に追いやられた彼や彼女でも、死に追い込んだ輩でも環境でもない。
そうなるまで、手のほどこしようのない状態になるまで放っておいたお前だよ?
理由があって結婚や出産は望んでいませんが、望んだとして叶うことはないに違いありません。
今から書くのは、この自意識過剰な産業廃棄物の鬱憤ですので、お暇な方はお付き合いください。
書いていたら長くなりすぎたので要約しておきますと、地味な奴をなめてかかって路上で狙うのはやめてくださいませんかということです。
決して「路上で人に声を掛けることを規制しろ」ではありません。
以前メモ帳を落としたときに拾ってくれたお兄さん、ありがとうございました。
道を聞いてくださる方にはわかる範囲でお答えしています。お役に立てなかったときは申し訳ありませんでした。
私は外見が地味なぶん人畜無害そうに見えるのか、町で道を聞かれたり、怪しげな宗教勧誘を受けたり、キャッチに狙われたりすることがよくあります。
以下の内容を書いてどのような反応が飛んでくるかはだいたいわかっているつもりです。
「なら外出するな」、「こういうことを言う女は容姿が云々」、「年を取ったら声を掛けられなくなる。若い女への嫉妬」とかそういうことですよね。
無駄に想像力が豊かな人たちですね。勝手に言ってください。私も勝手に文句を言います。
最近、インターネット上で「誠実系ナンパ」なるもののマニュアル記事を見かけました。読んでしまった私が全面的に悪いのですが、それでも文句は言います。
清潔感や親しみやすさを重視した服装、女性慣れしていないように装う、そういうやり方です。
適齢期の女というだけで、形容できないほどひどい顔の私でも、そういう近づき方されることがあるのです。
(99.9%は詐欺だと思っています。残りの0.1%は私のしょうもないプライドです。ゴミのくせに。)
正直、とても嫌な気持ちになります。それなら手当たり次第に女に声を掛けている人の方がマシです。
ときどき、「イケメンに声を掛けられたらホイホイついて行くんだろ」などとおっしゃる方をお見かけしますが、そのような気は一切ありません。
私は人さまの顔の美醜について判断する能力もなければ権利もありませんので、そのことについては言及いたしません。ただし、私自身の顔については前述のとおりです。
その内容はといえば、初心者はまず自己評価の低そうな女から手を付けろとか、ではその自己評価の低そうな女の特徴はとかそういう内容です。
この「自己評価の低そうな人の特徴」は、ナンパに限らず「ちょろそうな人の特徴」を言っているのでしょう。
当然、喪女の私はほとんどの項目に当てはまります。好きでやっているのでそれを変えるつもりはありません。
自己評価の低い女性は男性に声を掛けられただけで舞い上がるだとか、女性だって声を掛けられたがっているのだとか、迷惑行為を正当化しているようです。
誠実"系"というだけあって、誠実というのはその名称だけで、実態は初対面の人間に対する最低限の敬意さえ持ち合わせていないのです。
自己評価の低そうなおとなしそうな女性は、自分が女性と話すことに慣れるための練習台だと思っているのでしょう。ただでさえ低い自尊心がゼロになりそうです。
何も私は「女性蔑視だ」などと叫びたいわけではありません。そんなことには興味ありません。
私からすれば、大して困ってもいないのに路上で見知らぬ人に声を掛けること自体が迷惑です。
ナンパされて嬉しそうにしたり、自慢げに話したりする女性はご自身の女性性に自信のある人なのでしょう。
産業廃棄物の私が人として敬意を払ってもらおうとすること自体が間違っているのでしょう。
それでも私は、顔は醜いかもしれないけれど体は清潔にしているし、人を不快にしない服装を心がけているつもりなのです。
不快な思いにさせられたくはありません。
交差点で信号待ちをしているときや、駅のホームで電車を待っているときなど、逃げにくい状況で勧誘する人も卑怯だと感じます。
私はただ穏やかに過ごしたい、少なくともひとりで散歩しているときに、「ちょろそうだ」という理由だけで路上で見ず知らずの人に話しかけられたくない、それだけです。
だからといって、「声かけないでバッジ」みたいなものが出回ったりしたら自意識過剰だの容姿のレベル(そんなものが存在するのか知りませんが)がどうだのと叩かれるに違いありません。
ここでいう「声かけないで」は宗教・自己啓発セミナーの勧誘、ナンパ、キャッチ、すべてです。
「緊急時以外は話しかけるな」を伝えるためには、ピアス穴をたくさん開けたり、髪をもっと派手な色に染めたり、ヤク中になったりするしか方法はないのでしょうか。