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はてなキーワード: 戦争映画とは

2021-04-03

anond:20210403185846

どうせバトルオブリガみたいなプロパガンダ映画だろ

そら日本産でも戦後大政翼賛会的な右翼が作った映画だったらさぞかし格好よく人が死んでないかのような日本戦争映画を作るんだろ

2021-02-03

anond:20210203092044

従軍かどうかは謎だけど、売春婦といういみでの慰安婦いたことは

それこそ多くの戦争映画でも普通に表現されている

従軍に近い民間売春婦地帯がうまれないわけがない

問題国営かどうかだが

そんなもの生活保護がかからないわけが

生活保護従軍と呼ぶなら

従軍慰安婦がいないと人権問題になる

日本軍人権思想はあるから従軍する女性がおり、それが任意売春することは暗線はしないから黙認されている

2020-12-23

性別欄のない履歴書が発売されるってニュースやってるぜ

アメリカではすでに性別・年齢・家庭・出自面接で尋ねるのは法律違反らしいぜ

この先にあるのってなに?真の男女平等

Amazon.co.jp: スターシップ・トゥルーパーズ (吹替版)を観る | Prime Video https://www.amazon.co.jp/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%BB%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%BA-%E5%90%B9%E6%9B%BF%E7%89%88-%E7%94%B0%E4%B8%AD-%E4%B8%AD/dp/B00EWDEGQU

この映画を思い出します。虫の惑星で戦う戦争映画です。男女平等なのでみんな同じ場所で着替えます。男女ともおっぱい丸出しです。

こういうのが男女平等だと思いますトイレも同じですよね。銭湯なども同じ。

これが理想なんでしょうか。

いつもここで思考停止になるんですよね。この映画みたいなのがいいの?本当に?

この手の運動を推奨するひとはこうではないちがう世界を目指しているような気がしてしょうがないんだけど。それは「平等」ではないなにかだよな。

ま、こういうところで素直な回答が出るわけないしもっと難しいことなんでしょうがちゃんとした回答は用意しておいてほしいなと思います

俺は少なくとも今はトイレ銭湯も男女一緒はいやです。

2020-12-16

anond:20201216163157

富野アニメなるものを全く知らんけど

女性性を持ち上げたりしたあとに、逆に所詮女子供馬鹿にしているような言動主人公格が言ったりする。

これは矛盾しないだろ。特に高齢マッチョイズム全開の映画監督暴力映画ヤクザ映画戦争映画とかの監督が多い)を見るとよくわかる。インタビューとかで、女の人は素晴らしいですね尊敬しますいやー叶わないですよ男にはできないみたいなことを言いがちで、それは裏返すと男とは違う種なので差別していいと思っているだけ

2020-10-31

日本が敵のアメリカ戦争映画見ると両方応援することになるからめっちゃ盛り上がるな

応援してるチーム同士の戦いってなんでこんなに面白いんだろう。

両方の抱えてるストーリーが分かるからなのかな

2020-10-14

恋愛アドバイスください

恋愛下手くそすぎるのでアドバイスください。初投稿です。ところどころ偽情報混ぜてます

結論:

①好きな男のことが「好きだ!」と思って発作的に行動するのを辞められるのか。

顔面雰囲気が好きだけど、話はつまらん男に時間をかけるのはどれくらい非合理的なのか客観的意見がほしい。

自己分析→ことの経緯の順に説明する

自己分析

23歳 OL

どこに行っても「あなたはどこでも生きていける」と言われるタイプ

ネット性格診断すると、魔王とかジャイアンとか知能のある熊とかになってしまう。多分それで就活難航した。

色んな人とおしゃべりして意見を交換したり議論することが大好きなのに、無意識の断定口調や語尾のせいで引かれてしまうことが多々。人の心の機微を読み取るのがとても苦手で、愚痴を聞かされても「そんなことお金で今すぐ解決できる」「そんなに辛いなら今すぐ会社を辞めるか上司に異動の相談をした方がいい」とデリカシーのない言葉を口走ってしまう。

趣味:世界史解説本を読む、国際政治解説記事動画を見る、戦争映画アニメ鑑賞

【ことの経緯】

学生までのつまら恋愛

高校卒業まで、恋愛時間金銭の浪費で馬鹿がやることだと思っていた。高校のうちは勉強したり部活努力することが、将来の仕事に役立つと思っていた。バイト恋愛大学生になってからやることが順当だと思っていた。

大学入学後、ラブライブが好きな男がいたので私もラブライブが好きだと声をかけた。色々ラブライブの何が好きかと話をした。最初ラブライブの買い物についていくだけだったが、花火大会に行こうと言われた。暇だったので行ったら帰り道告白された。正直大して好きではなかったが、これも経験だと思い了承した。だが、男の私への好意と私から男への好意にあまりにもギャップがあった。人間関係を円滑にするために、好きだと言われても嘘でも好きと返した。嫌いではないから好きと言っても間違いではないと思った。しかし、だんだん男と過ごすのが億劫になった。どうして貴重な休日を潰して、恋愛的に好きでもない人間日常愚痴だとか高校の辛かったことなどを聞かなければならないのかと憤りさえ感じた。ので、デート約束反故し最終的に振った。

大学3年の晩秋ゼミの仲間の伝手で男を紹介された。「お前の顔がタイプで興味あるんだって」と言われ、自分顔面に興味を持ってくれる人がいることが嬉しかった。3回デートして付き合った。顔が好きならそうそう嫌われることはないし、前回の恋愛がクソだったので今度こそこのチャンスを生かして彼氏を好きになろうと思った。頑張った。だが、まただんだんと土日を潰してまで男の愚痴や身の上話を聞かされるのが辛くなった。一緒にすごす時間面白くない。時間と金が浪費されると思ったし、「私は頑張って呼び捨て名前呼んでるのになんであんはいつまでも私をさん付けで呼ぶんだよ」と意味不明なキレ方をしていた。またデート反故音信不通になってしまった。

これ以降、彼氏は未だ出来ていない。

※他の男とデートしたり告白されフッたりなどはした

入社後、2019年4月。初めてのときめき

入社後、新人を集めて研修が3ヶ月続いた。長期の座学の合間に、社会人精神だとかだるい講義があった。休憩の折、隣の同期にふざけて「友達に軽く言ってしまたことを帰ってから後悔したりする?」と話しかけた。すると同期の男はちょっと笑って「そんなのいっぱいあるよー」と返した。

その瞬間、好きだ!!!!と思った。大抵の人間はそう返答するだろうが、彼が言うとすごくか弱くてかわいいと思ってしまった。講義中はそれ以降動悸がおかしくなっていた。帰宅してからその男のことを考えていた。今まで感じてこなかった「付き合いたい」という感情を初めて知覚した。

これは早いうちに手を打っておかないと後悔すると思ってその同期と仲良いやつに彼女の有無を確認した。彼女はいないようなので、例の同期にLINEGW空いてるかどうか尋ねた。とても緊張した。「一緒にピカチュウ映画を観に行こうよ」と尋ねたら、OKしてくれた。すごく嬉しかった。約束してすぐに、名探偵ピカチュウチケット2枚を買った。

GWピカチュウ

今までの私は、デート場所の移動が面倒なので、家から行きやす場所を設定していた。が、その日はわざわざ同期の住む最寄駅まで行った。路線の端から端まで乗ったので2時間近くかかったが、全然苦じゃなかった(大学の友人曰く、普段の私からは考えられない行動らしい)。映画面白かったが、同期と二人で出かけているということが嬉しくてあまり内容を考察などはできなかった。映画が終わったあと、電気量販店を回ったり雑貨店を一緒に巡った。その後、二人でお茶をして談笑した。英字プリントされたシャツダサくてかわいいなーとか考えながら、色々話を聞いた。真面目で、誠実で、若干要領が悪そうな雰囲気だとか、初そうな見た目がとても私のツボだった。しかし、聞いているうちに話の中身があまりないなと思った。休日は金モザなどのアニメを観たりポケモン遊んだり、平日の暇なときソシャゲをしているそうだ。「他に興味のあることとか、趣味はないの?」と聞いても、特にないと返された。「俺、普通の人だよ」と言われたのが印象的だった。

普通だ、と言われたときに恐怖を感じた。いくら見た目や雰囲気が好きでもし付き合ったとしても、結局また「つまんない」と思ってフッてしまうかもしれないと思った。こんなに衝撃的に好きだ!!!と感じても、自分からフったり「お前とは話が合わない」と言われてフラれるのはきっと凄く辛い。

それからスケジュールの都合もつかずやりとりも減り、彼と会うことはなかった。

※その後他の男とデートしたりなどはしたが、好みではなかったので付き合ってない

〈翌3月会社イベントで再会〉

例の同期とやりとりすることもなく、他の男との不発のデートにも飽きた翌3月たまたまその同期と会社の発表会で同じ回に参加していた。自分そいつへの「好きだ」という気持ちはもう覚めて、これからはただの同僚への感情しかないと思った。実際、座って出番を待っている彼の姿を見ても、動悸がおかしくなったりはしなかった。

だが、同期が壇上で喋っている姿を見て、私の目論見は完全に誤算だったと強く自覚した。

やっぱり好きだ!!!!と思った。喋ってるアホな例えとか姿がいちいち全部ツボだし、「マジ付き合いてぇ!!!」と思った。非常にかわいい。守りたいのにちょっと追い詰めたいという気持ちも出てしまうという、少々アレな心情だった。

どうしてももう一回会いたいと思ってまたLINEをしてしまった。しかし、彼からはやたら「忙しい」やら「休日出勤がやばい」だとか断られ続けた。会えないなら電話しようと声をかけても断られ続けた。いちいち返信する律儀なところはとても良いが、流石に断られすぎてイライラしてきた(自業自得である)。そんなに私に会いたくないのかよ畜生!と憤り、もう彼のことは考えないようにした。

10月マッチングアプリの男〉

例の同期の存在すら忘れていたこの頃、友人からそろそろ喪女を脱却しようとマッチングアプリを勧められた。ちゃん恋愛したいし知らない人と会っておしゃべりしたいと思ったので、登録した。たくさん来る通知を捌きながら、ある男が目に止まった。写真を見た瞬間、「好きかも」と思った。早速LINEで会う約束をしてデートした。

※このマッチングアプリの男は便宜上Aとする。

Aと会った瞬間、ちょっとがっかりした。マッチングアプリではバストアップ写真しかないのが盲点だった。この男は背が小さく、声が小さく高かった。好みじゃないのだ。

しかし喋ってみるとなかなか趣味が合って楽しかった。第一、私のディープアニメの話にもついてきてくれるのが凄い。Twitterのオタ垢でもそうそうない。芸術への造詣も深く、彼の話は非常に興味深かった。筋肉質なのも好印象だし、国家公務員キャリア組エリートなのに全然驕ってない。出会いのない職場だそうで、女慣れしてなさそうな雰囲気だとか、ジョークセンスはいまいちだったりはあったがそんなの大したことはない。もう少し背が高ければ、もう少し声が低かったら私にとって満点だったけど、でも超いいなと思った。

〈今〉

Aと付き合うのはアリかもな〜とふわふわしながら仕事をしていた最中、あるメールが目に止まった。なんでもないメールだったが、そこには社員名前がズラッと並んでいた。

例の同期の名前が書いてあった。名前を見た瞬間、「好き!!!!会いたい!!!!」と思ってしまった。今マジでLINEしようか頭抱えてる。

恋愛向いてねぇーーーーー!!!!!!

2020-08-22

超今更、この世界の片隅にを見たアニオタ

ハードルだいぶ高かったけど、よくできてたわ

結構ライトタッチと言うか、笑いのシーンが多かったのが印象的

全体の2/3はそういう軽いシーン

コボちゃんとかサザエさんとかああい雰囲気

別に今更そういう雰囲気アニメが登場してもウケないと思うんだけど、それを戦時下でやると意味合いがかなり変わるよね

別に爆笑するというわけではないんだけど

 

戦争映画でも反戦映画でもなかった

構成としてはパニック映画で、しかパニック映画の中でも冷笑

今更第二次世界大戦ネタにするには丁度いい感じがする、「風立ちぬ」の後だから丁度いい感じ(風立ちぬ見てないけど)

実は似た存在としては「火垂るの墓」があると思うんだけど

あれは焦点が悲運な兄妹だったからな

セカイ系に近かったよね

こっちは家族にあててるから妙にリアリティが強い

 

普通パニック映画だと、ミクロ家族話)とマクロ(戦況)の話を交互にやるのが一般的だと思うけど

第二次世界大戦日本人にとって今更すぎるからマクロ、つまり戦況の説明がバッサリカットされている

これによってだいぶミクロに焦点を当てられたと思う、パニック映画ミクロの話を2時間やった感じ

でも日本人は何日に何が起こるか分かってるから平和日常をやればやるほど落差に恐怖する

エンターテイメントとして非常に巧妙

 

戦争映画は散々作られただろうけど、ついにここまで来てしまたかという感じもする

これ以上擦られたら、もう辿り着く先はヒトラーいじり映画みたいなのしか残らないし、日本における第二次世界大戦ネタはもう終わりなんだなーと思わせる内容だった

それでいいのかもね

 

ところでこの映画海外勢が批評するのは無理だろと思う

別物になるよ

あんなアッサリした原爆シーンある?

2020-08-15

8月15日に記しておきたい怖い祖父の話

大正まれ祖父は、坊主頭メガネをかけ、こけた頬に冷たい眼差しを持ち、いつも気難しそうな顔をしていた。息子であるから聞く話でも、私は祖父に対して怖いというイメージしか抱いていない。第一印象も第二印象も、とにかく怖い。祖父を評する言葉はそれ以外に無い。もっとも、祖父は私が生まれる7年前に亡くなっている。だから、私が見る祖父はいつも仏壇の脇に飾られた白黒写真のみであり、その気難しそうな佇まいを見るたびに幼心にピシッとした気分になり、怖い爺さんだなぁと思うだけだった。私にとって祖父は、無機質な写真のみで完結していた。

対照的祖母はとても優しい人で、おっとりしたお婆ちゃんだった。私は末の孫だったこともあり、とにかく甘やかされていたので、特にそう思うことも多かった。祖父とは会ったこともないが、祖母とは長い時間を共にした。私は幼稚園に入る前、母が働いている間は朝から夕方まで祖母の家に預けられていたので、祖母とは二人きりの長い時間をゆったりまったり過ごしていた。かなり幼い頃の記憶だが、何故だかその日々のことは断片的によく覚えている。暴れん坊将軍と蒸し芋が大好きな未就園児だったので、祖母とは気が合い可愛がられた。

祖母は幼い頃の私にとって第二の母のような存在で、お話もたくさんしたけれど、既に亡くなっている祖父遺影インテリアのように飾らせているだけで、その人となりについては何一つ聞いたことがなかった。息子であるはずの父や叔父からも、祖父の話は聞いたことはほとんどない。思い出話も一つも聞いたことがない。祖父がどんな人かと聞いても「おっかねぇ(怖い)人だった」と返ってくるくらいだ。そんなこんなで、私が知る祖父像は極めて薄い。とても薄っぺらい。お前の爺さんだよと言われてもピンと来ることはなく、いつまで経っても白黒写真遺影の人でしかなかった。

そんな祖父遺影の脇には、立派な額に入れられた賞状が飾ってある。内容は、抑留生活を慰労し、銀杯を贈られたという内容で、すでに故人になっている祖父政府が贈ったものだ。戦後日本には57万人以上もの人々がシベリアへ連れて行かれており、祖父もその一人であった。『祖父戦争へ行き、シベリア抑留をされていた』たったそれだけの漠然とした事実が、私の中の祖父像を大きく占めていた。小さい頃から、「うちのじいさん、ロシアに連れてかれたんか」と単純に思っていた。どこからともなくの知識で、多くのシベリア抑留者がそうであるように「終戦時は満州にでもいて、捕まったんだろう。だが、どうにか生き延びて帰ってきた」と思っていた。

去年、祖母が97歳で亡くなった。50過ぎの時にヘビースモーカーが祟って肺癌で亡くなった祖父に反し、かなりの大往生である。そこで私は、葬式での親戚が口にした言葉で「祖母が嫁いだ翌日に、爺さんに赤紙が来た」と耳にした。おいおい、なんだそのタイミングは。ドラマかよ、と思った。そもそも祖父母はお見合い結婚だし、祖父戦後抑留され、長いこと家に帰って来なかったし、つまりそれが事実なら祖母は長々と見知らぬ姑と過ごしたことになる。しかも、ど田舎山中にある村で、家業農家という典型的な家だった。時代時代とはいえ、婆ちゃんは肩身の狭い思いをしていたんだろなぁと可哀想に思った。

その頃から興味が沸いていたんだと思う。

遺影の中で怖いオーラを放っているだけの、実態の無い祖父像について。

私はどこからともなく『兵籍簿』の存在を知り、取り寄せたいと決意して、去年の8月15日実家終戦番組を見ながら父に話を切り出して頼んだ。兵籍簿の取り寄せは三等親まで可能で、孫の私でも可能だが、故人の息子にあたる父が取り寄せた方が、必要書類が少なく済むからだ。父は戦争映画などを見るのが好きな人だし、その手のものに興味があるタイプなので、あっさりOKしてくれた。断られたらどうしようと思っていたので、聞いた時はタイミングを見極めドキドキだった。

兵籍簿の取り寄せは案外簡単だ。やり方は調べればネットに載っている。うちの祖父陸軍なので、県の恩給科に電話で問い合わせ、手続きを始めた。ちなみに、海軍だと厚生労働省になる。陸軍であれば『〇〇県 兵籍簿』あたりで調べれば、どこの県もやり方を導いてくれるだろう。発行に際して必要ものは、対象者が故人の場合申請者との繋がりがわかるための除籍謄本戸籍謄本といった、役所簡単に発行してもらえる書類。あとは申し込み用紙を書いて郵送する。コピー代などで数百円かかるが、あまりにも簡単なので、もっと早く取り寄せればよかったと思った。

まぁ、取り寄せた所で、どうせ祖父はちょろっと満州にいて、そのままシベリアに連れてかれていたんだろう。祖父は誰にも戦時の話をしなかったので、家族の誰しもがそう思っていた。語らずに亡くなったがために、語るまでもない軍歴だったのかと、我々は思い込んでいたのかもしれない。みんなが祖父戦争について知っていたのは、彼が『シベリア抑留されていた』たった一言事実のみであるのだから

待望の兵籍簿は一か月かからずに送られてきた。

当時の書類ということで、読み難く難解な旧字も多かったが、やはり同じ日本語なのでほとんどは解読可能だった。それもネットで調べられた。

読み解いてまず驚いたのが、祖父1940年から43年2月まで、きっちり軍生活をしており、一度は満期除隊をしていたということだ。その時は主に満州国境警備をしていたらしい。大きな作戦戦闘に関わることなく、晴れて日本へ戻っていたのだ。もしかしたら亡き祖母は知っていたかもしれないが、祖父は息子たちへ語らずに亡くなったので、満期除隊をしていたことなど誰も知らなかった。

次に驚いたのは1944年2月祖父除隊からほぼ一年後に再び徴兵されており、(祖母が嫁いですぐに赤紙が来たエピソードは日付けから事実だと裏付けられた、祖母マジでお疲れ様すぎる)今度は満州ではなく、北海道の先にある『千島列島』に行っていたことだった。私は先入観からてっきり、祖父満州終戦を迎えたと思っていたので、想像していた祖父人生はガラリと色を変えた。

千島列島……千島列島……たくさんの島が連なる北海道の向こう側……北方領土……。そうか、そこにいた人たちもシベリアへ連れて行かれたのか……。そりゃそうか。

千島列島といえば、日本降伏後にソ連が乗り込んできた占守島の戦いが有名だが、祖父は『新知島(シムシル島)』から途中で『得撫島ウルップ島)』に回され、その二度目の徴兵では約一年半の千鳥列島生活を送り、終戦を迎えていた。兵種はずっと砲兵終戦時は上等兵だった。祖父はヒョロ長い体を駆使し、轟音の轟く砲をぶっ放していたのだろうか。なんともたくましい。

お恥ずかしいことに、私は新知島のことも、得撫島のことも、「なんか名前は聞いたことあるなぁ〜」程度で何一つ知らなかった。千島列島ソ連が攻め入った経緯すらも、占守島の戦いの名前漠然としているだけで、よくわかっていなかった。

どんな所か調べたくなった。特に長くいたらしき得撫島について。当時の千島列島について。

祖父のいた部隊結果的には戦闘をしておらず、言わば活躍をしたわけでもないので、ほとんど資料がなくて見つけ出すのには苦労した。

得撫島はもとより、千島列島自然の宝庫であると同時、一年を通してほとんど霧に包まれ、風も強く、ましてや長い長い冬を有する極寒の地。白夜であり、夏の夜は極めて短い。夏でも長袖は欠かせない。ほぼ無人島。そんな場所で「はい今日から暮らしてね〜」となったら苦労していないわけがない。制空権を奪われていたので、空から米軍攻撃もあった。制海権も奪われており、艦砲射撃が降り注ぐ。戦時中その海域では民間人も含め、2-3万人の人が亡くなっている。祖父のすぐ後に続いて小樽港を出港した同郷の部隊は、魚雷を撃ち込まれ沈没。冬の海に投げ出され、当時は軍機密に隠され2000人以上が死んでいた。祖父もほんの僅かな順番が違っていたら死んでいた。私もこの世にいない。数奇な巡り合わせで今の私は生きている。

得撫島ラッコの島と呼ばれるほどラッコがいるらしい。オットセイもいるらしい。祖父は間違いなく野生のラッコを見ただろう。自然豊かな大地。現代人の私が見たこともない美しい景色を、祖父は計らずとも見ていた。不本意戦時下に望んでもない場所へ飛ばされてはいるが、愛くるしいラッコちゃんとの遭遇が顰めっ面の祖父の心を癒してくれていたことを願わずはいられない。

兵籍簿には、祖父召集や転属などの略歴が淡々と日付けと共に記されていた。必要最低限の事務的情報であるが、その一つ一つの行間にも目に見えぬ多大な苦労があったはずだ。

昭和20年

8月15日終戦

9月29日ソ連により武装解除

10月19日ソ連により得撫島出発

10月24日ソ連ポートワニー上陸以降土工作業従事

昭和23年

7月22日舞鶴上陸

古ぼけた紙は語っていた。戦争8月15日に終わっていなかった。南方の激戦地のように食糧に困る事はなく、敵と遭遇することも戦闘もしなかったとはいえ祖父戦後も長らく闘い続けていた。自分血縁である祖父が歩んだ具体的な数字を見せられ、これはリアルなことだったと肌身に伝わってきた。日本がしていた戦争と、祖父存在への深みが増した。

シベリアでの日々を、祖父の白黒写真の顔と合わせて想像してみた。マイナス40度の永久凍土で働く、ろくな装備もない日本兵たち。栄養失調。ひもじい。所々にシラミが沸く。病気流行る。ご飯は堅い黒パン。粗末なスープ戦争は終わったのに、周りがどんどん死んでいく。いつまで経っても日本に帰れない。故郷よりももっと寒い、極寒の異国の地。日本には結婚生活を1日しか送らなかった嫁が待っている。祖父は雪深い土地で生まれ育ったから、シベリアでも適応能力が多少なりともあったのだろうか。そう思うことが唯一の救いである。

祖父が何も語らずに亡くなったのは何故か。千島列島を盗られた背徳感か。過去抑留生活に蓋をしていたのか。赤化教育を受けたことによる偏見を隠すためか。南方の激戦地に比べたらと、自分の半生は話すまでもないことだと思っていたのか。祖父の心を知る事はできない。私は想像することしかできない。祖父日本に帰ったが、一切を語らずに亡くなった。故郷山村とは掛け離れた四季の彩りのない場所で、途方もない八年もの戦争と闘ったのに、一言も喋らずに亡くなってしまった。

ここでは政治的な話はしない。

兵籍簿を読むことによって、それまで漠然としていた祖父存在がぐんと近づいた。存在のものを実感した。祖父ちゃんと生きていた。過酷時代を生き抜いた。ドラマ映画主人公になるような経歴ではないが、私が一分で根を上げるような過酷環境に長々と身を投じていたのは明らかだ。じいさんすごい。マジでお疲れ様すぎる。生き抜いてくれてありがとう。じいさんが頑張ってくれたおかげで、私はこんな平和世界ツイ廃をしながら、ソシャゲに夢中になれて、推しに心血を注ぎ、それを通して素晴らしい友人と出会うことが出来た。夏にはクーラーの効いた部屋でアイスを食べられるし、冬には暖かい部屋でアイスを食べられる。平和は素晴らしい。色んな国の友達もいる。その中にはじいさんが憎んでいた国の人もいるかもしれない。私は紙切れ一枚で戦地へ送られることなく、空や海からの脅威を感じることもなく、当たり前の明日をのほほんと待ちながら好きなように生きている。これは素晴らしいことだ。そんな当たり前のことを、強く思った。

兵籍簿を取り寄せて良かった。兵籍簿はどこからともなく知った物だが、私はこれを読まなければ自分流れる血に関してとても大事なことを知らずに死んでいた。

仏間へ行き、再び祖父遺影を見上げた。祖父は相変わらず怖い顔をしている。けれど、もうそれだけではなくなっていた。その遺影漠然とした無機質なものではなく、凄惨時代を生き抜いた血が流れているのだ。仏間を見下ろす祖父は、計り知れない威厳を背負っていた。

2020-07-08

もうダメ

22年生きてきて、性欲は有るけど暴力のようなものしか興奮できない。自分がどっち側でもいいけどとにかくポリコレさんたちが言う「搾取」がない性交渉にまったく興奮しない。もうダメだ。

なんでこの時代に生まれちゃったんだろう。

普通性交渉にはほぼ興奮せず、安全SMギリギリ興奮し、シンプル暴力をアホみたいに性的な目で見てしまう。

子供動物一方的に性欲を向けてるわけじゃないが、怪我をした瞬間すべての人間が性欲の対象になる。

隣で歩いてた人間階段から滑り落ちたとき心配より先に興奮する。戦争映画とかスパイものとか教室実家リビングで見せられるのが最悪。

もうダメだ。

生きていていい理由がない……

2020-06-18

ポリコレと共に去りぬ」でいいのか?

アメリカ文学の名作中の名作「風と共に去りぬ」が配信停止された件について思うことがある。

現在ポリコレ的にアウトであったとしても、1900年代奴隷制南部アメリカ価値観も「当たり前」の社会だったにすぎない。

そのうち喫煙シーンの出てくる映画もアウト、ホームドアの付いていない駅・鉄道の出てくる映画もアウトになるのかな。

もっと言えば19世紀までは「侵略戦争」の価値観も無かったので、戦争映画もアウトになるかもしれない。

2020-05-16

anond:20200516052952

そういうことだね。

ドイツ人の友人がスターウォーズを見てボヤいてた。あの悪の帝国は明らかにドイツイメージだって。俺もスターウォーズを見てアメリカ戦争映画を思い出したよ。特にあの将校たちとか。

2020-02-23

anond:20200223174123

かに子供可哀想だけどオンナが死んだところで別になんとも思わんな

寧ろ戦争映画とかで男兵士が殺されるシーン見る方がオンナが殺されるシーンよりきつい

2020-02-17

anond:20200217180404

いいよね

戦争映画としても歴史に残る名作だ

上陸シーンの臨場感と緊張感は初めて体験するレベルの迫力だったし

2020-01-18

ジョジョラビット観た

監督かよ!

明るめの画面とクスッとするようなシーンで騙されかけるけど、これ戦争映画なんだよね

靴はストーリーでよく出てくるし印象に残るよね……ずるい

ジョジョ10歳の割にやらかすシーンがなくて良かった

舞台バリバリドイツなのにみんな英語喋ってて不思議だったけど、アメリカ人は何語喋ってるんだろう

キャプテンKがとても良かった、これもサム・ロックウェルだわ

2020-01-12

anond:20200112000238

人が生きたり死んだりすると面白いだろう

命というもの価値があると教わっているわけだから

戦争映画を楽しめるというのは貴重な命というものの浪費について心が動かされるのではないか

その価値観に同意しないという立場を演じ切れば無論のこと心も動かないのでは

2019-12-17

anond:20191217060618

教えるべきやり方が決まってる仕事なんか、優秀なやつが瞬時に捌いとるよ。

そういうポイントの稼ぎやす仕事担当するのも才覚の一つや。

やる事もやり方も決まってないところに仕事を作り出して、「こんなのできましたけど、ワンワン」って上司様にもっていって評価してもらうのが社畜ってもん。

戦争映画でもあるやろ。新兵が訓練をやるのは、合衆国のためではなくて、軍曹様のためなんやで。

2019-12-10

anond:20191210151050

映画館での体験否定してるわけじゃないから、あってるやで、ちゃんと読み取ってほしいんやで。

映画館での体験否定するならアカデミーや金獅子無意味になったって主張したほうがいいかもだけど、映画館での体験はやっぱり特別なんやで。

話はずれるけど立川爆音上映で戦争映画みるの、映画好きなら一度は行ってほしいんやで。

2019-11-26

戦争映画スマホイジイジマンを怒鳴りつけた

席の前の方でスマホずっとイジイジしてるゴミがいたんよ

自分は後方真ん中の座席で注意しに行く訳にもいかず、ついに大声で「携帯止めろぉオオッ!!」って怒鳴り声を上げた

館内中の人こちらを振り向くその瞬間、スクリーンの中で大規模な戦闘が始まった

結局、僕の怒鳴り声は「スナイパーアアアアッ!!」みたいな感じになって有耶無耶になってしまった

2019-10-24

2019-08-29

韓国のこと何も知らない

唯一知ってるのが北緯38度線

韓国と言われると北緯38度線を越えるために逃げる怖い怖い戦争映画の数々しかかばない。思い出したくない。怖い。昨日までの日常がなくなることはとても怖い。

2019-08-14

anond:20190814171706

韓国ゾンビ映画とか戦争映画とか知らんのか?

いかにも役者男前自衛官決めポーズ連発して芝居じみたセリフで白々しい雰囲気日本映画より百倍いいよ

2019-07-08

自衛隊ファースト

幹部自衛官の知り合いが何人かいるのだが(単に規模がデカくて頻度が多い同窓会をいくつか掛け持ちしてるだけであり、私に友人がたくさんいるというわけではない)、彼らの大部分が「自衛隊は何よりも優先される」と思い込んでいて非常に怖い。

大卒人間特に顕著であり、なにがあっても自衛隊は優先され民間企業は一度でも自衛隊に関わったのならその組織力の全てをもってサポートしなければならないとすら思い込んでいる。世界大戦下における増長した軍属の姿そのものずばりが、令和の世を堂々と闊歩しているのである

彼らがこんな状態になったのは、間違いなく洗脳によるものである自分たちの都合がいい手駒を作るために彼らの思考をこのレベルになるまで破壊した者達、個々人の力では成し遂げられないレベル洗脳を施すような巨大なシステム存在しているのだ。なぜ……こんな酷いことが出来るのだろうか。

ワタミ社員ワタミの為に身も心も捧げるが、それはお客様笑顔のためというお題目のためであるし、犠牲にするのは彼ら従業員人生だけだ。洗脳済み自衛隊ファースト自衛官思考回路はその遥か上をゆく、日本のほぼ全て、それどころか世界のほぼ全てが自衛隊という組織の円滑な活動奉仕するために存在していると思いこんでいるのだ。

平和暮らしを守るためなのだから、その暮らしなんて破壊されてもいいと本気で思い込んでいる。だがそれも仕方ないのやも知れない。彼らは入隊と同時に人権を一度売り渡す。人間であることを辞める。それから自衛隊という組織によって人権の一部が返還されるのだ。人間思考とは恐ろしいもので、一度取り上げられて返されると、それが元々は自分のものであったという自覚が薄れてしまう。彼らの精神根底には、『人権自衛隊様より与えられるものである』という全く見当違いの思い込みが根を張ってしまう。その根にこれでもかと栄養を与えられ、人格の奥にまでそれを張り巡らされ、やがて『星の王子さまに出てくるバオバブの木』に侵食されるがごとく元々あった精神の土台がまるごと破壊されてしまものも少なくないと聞く。その成れの果てが俺様幹部自衛官であり、自衛隊ファーストなのだ

自衛隊が私達の日常を守ってくれているという側面は確かにある……あるのだが……彼らの考える日常が私達の考える日常と同じだとは思わないほうがいい。『生まれつき備わった人権を守られながら文化的生活を送ること』を我々が日常と捉えていたとして、彼らが考える日常は『自衛隊により貸与された人権の元に日本という国家を存続させるための歯車として生涯を捧げること』なのである実態は……我々の生活実態後者にすぎないのであったとしても、それを自覚肯定するつもりは我々には毛頭ないが、自衛隊に染まりきった人間はそうではない。

私はこのことが本当に恐ろしい。

戦争映画の中に出てくるような、自分たちこそが世界の中心であり世界が滅びてでも守られるべきは自分たちであり、最悪自分たちさえ生き残ればそれが最良なのだとでも考えているような軍人は、確かに実在するのだ。この21世紀にも。令和にも。2019年にも。

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