はてなキーワード: 悪書とは
「桜田先輩改造計画」っていうBL漫画は表紙からしてエロエロで、悪書指定された
その際に作者は「実際エロいからしゃーないわwww行政公認エロじゃwwwガハハwww」とネタにして
「あなたがエロすぎるから悪いんですよ」「あんっ」みたいな描き下ろしエロイラストをうpしていた
エロアンチはもとより表自にすら守られずボコボコにリンチされて垢消しへと追い込まれていた
うじうじするよりもガハハしてる方が好感が持てる
ToLOVEるのようにエロシーンは何コマ以内ならセーフと大手出版社らしい計算をした上で描いているのではなく
好き勝手に欲望を開放して描いたのならしっぺ返しがくることも受け入れるべきだ
規制されたら箔付けになる、他の作家も規制の巻き添えになるとかしらんがな、私は今のうちに好きなだけエロを世界に解き放つ、私は好きにやるからお前も好きに叩け、それでも私はエロエロやる、それぐらいの気概でいてほしい
この長文を書いている間にツイート主が自ら問題点に気付いたようなのですが、一応書いたので載せます。
公に相応しい言葉を使われた「夢をかなえるゾウ」の批評論文は普通に読みたい。
勢いに任せて書いていたら思いの外長文乱文になってしまった。歴史については細部に誤りがあるかもしれません。ご容赦ください。
発端と一連のツイート↓
https://twitter.com/dfuz4/status/1672629861524062213?s=46&t=RfgMyrvtZQTMi53tj0NN1A
https://twitter.com/dfuz4/status/1672958086733250562?s=46&t=RfgMyrvtZQTMi53tj0NN1A
https://twitter.com/dfuz4/status/1672973973825650689?s=46&t=RfgMyrvtZQTMi53tj0NN1A
https://twitter.com/dfuz4/status/1672965101517955073?s=46&t=RfgMyrvtZQTMi53tj0NN1A
長いので要点まとめをしました。
この時点で既に長いですが、この下に本文があります。
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2.「公」における良書主義について
公による良書主義は、先の大戦で見られた悲惨な言論統制、思想弾圧に繋がる。
民主主義においては、全ての本、全ての人、全ての思想信条は法の下に平等に扱われるべきとされる。
また歴史的に見ても、本と人間(思想・信条)は密接に紐づいており、
公の姿勢としてその部分が守られているため、
特定の本を否定することで人格を否定されたと考える人が現れてもおかしくはない。
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3.「私」における良書主義について
公の立場からしても、本来良書・悪書の判断は個人に委ねられるべきとされている。
ただし、文字通り一人一派であり、そうでなくてはならないため、
当然、他人からも私人の立場から私人の言葉で反論される場合がある。これもまた自由であり、自然かつ健全である。
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4.「公」と「私」の混同
マッチングアプリを使っている1ツイッタラーは「私」の立場である。
前述の通り、私人の立場で、私人の言葉を使ったことが発端だが、
途中から研究者、批評・研究という公の立場を持ち出しているため、区別がついていないと思われる。
公の立場には公に相応しい言葉があり、当然集まる意見にもそれが反映される。
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余談.「全ての本は素晴らしい」と考えている人はいるのか?
いない。
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5.今回のまとめ
「私」の立場で発信したのであれば、他人の「私」の意見も受け入れるべき。
反論を受けてから「公」の立場を持ち出すのは、「公」に相応しくないという点で悪手である。
研究者であるならば、嫌いなどの私情を挟まない冷静で平等な視点で、相応しい言葉で論理的に批評しなければならない。
あくまでも私人としての意見であるならば、自らのためにも研究者の立場を途中で持ち出したりせず、最後まで私人の意見に留めたほうが無難。
個人的には発端のツイートの内容はあくまで私的な意見であり、さして騒ぐようなものではないと思う。が、意見を言いたくなる人がいてもおかしくない。
ただし、途中で研究者という公的な立場を持ち出したことで、認識として危険だと思ったためコレを書こうと思った。
ツイ主に敵意はない。出来れば本人に届いてほしいが、読みづらい文章で申し訳ない。本を愛する気持ちは勿論自分もそうなので、よくわかる。
ここから本文
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本人がこの視点の区別がついていないことが、一番の問題なのではないかと思う。
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2.「公」における良書主義について
まず前提として、日本には古く戦前に「良書主義」という考え方がある。
コレはざっくり言うと、
"世の中には(ツイ主の言葉を借りれば)「しょうもない」「薄っぺらい」=悪書が存在し、それらは教育および教養において価値を持たない。歴史的・文学的に意味を持った良書のみに価値がある。"という考え方である。
ただしコレは、例え「公」の立場が定めたものだとしても、突き詰めていけば、ツイ主も表明しているようにどこかの個人「私」の主観に基づくものである。
そのため「公」とされる場所においては、近年ではこの考え方が否定されている。
"絶歌問題"と言えば大々的にニュースにもなり、記憶にある方も多いと思う。
大筋は以下。
①「こういった内容の図書を図書館が置いて良いものか」と市民からクレームが入った
②クレームを受けた一部図書館が該当の図書を閉架=職員の出納が必要な場所に置いたり、除籍とした
論点としては、
・公的な自治体である図書館が、特定の出版物を市民の目に入らないように検閲・排除するのは正しいのか
・それは言論弾圧に繋がり、思想信条の自由に反するのではないか
議論の中、多くの図書館ではこの絶歌を特別扱いせず、他の一般図書と同じように取り扱った。つまり開架=誰でも手に取れる場所に置いた。
"本の評価は、読んだ各個人「私」に委ねられる。図書館「公」において、すべての本(すべての人間、すべての思想信条)は平等である"
民主主義に端を発する図書館の歴史を学んだ者であれば、この姿勢には拍手を送るだろう。
「公」においては、良書も悪書もあってはならない。
図書館ひいては司書職の人間が私的な判断で、特定の本への接続を薦めることまた同様に妨げることは越権行為であり絶対的なタブーである。(※2)
また、この対応からも分かるように、本というものは個人の思想・信条・人格と密接に紐付けられて考えられている。
一冊の本は一つの思想であり、一つの信条であり、一個の人である。
第二次対戦前夜のドイツの焚書に対するハイネの言葉である「本を焼く者は、いずれ人間も焼くようになる」からもそれがよく分かる。
「公」の場において、特定の本を特例として扱い肯定・否定することは、その本に書かれた思想およびその思想に同調する人を肯定・否定していることになる。
だからこそ、良書主義は言論統制や思想弾圧に繋がるとして廃れていった。
ただし、繰り返すが、コレは「公」における話である。
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3.「私」における良書主義について
前述の通り、評価は「私」に委ねられる。
司書職の人間に、職務外で好きな本・嫌いな本を聞けば全員がその両方を答えるだろう。コレは「私」の範疇であるため自由である。
本人も表明しているように、発端となるツイートした時点での立場は明確に「私」である。
マッチングアプリをしている私人としての発言でしかない。自由である。
そしてそこに、たくさんの「私」の反対意見が集まった。コレもまた自由であり、自然である。
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4.「公」と「私」の混同
問題はその後だ。
自然の摂理で発生した反対意見に不満を覚えたツイート主は、「批評」「研究」という言葉を持ち出して、文学研究をしている学生という立場から発言を始めた。
研究者は言わずもがな公の存在である。学生であっても、指導教員がおり、大学には国から補助金が出ている。
批評や研究はもちろん存在するが、公には公に相応しい言葉がある。
しょうもない、薄っぺらい、大嫌いという言葉で語られた批評は存在しない。(文芸商業誌にならあるかもしれないが、当然「私」である)
研究者は、特定の作者・文書を研究対象に選んだからといって、選ばなかった文書を見下しているかといえばそうではない。
(内心の「私」の部分ではそうであったとしても、それを「公」である研究の中で露悪的に表現することはない)
公に相応しい言葉を使って正しく批評していれば、反論であっても同じように公に相応しい言葉を使った建設的な意見が来ていただろう。
「個人としての発信なら問題ないが、研究者としての発信なら相応しい言葉ではない」
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余談.「全ての本が素晴らしい」と思っている人はいるのか?
これはハッキリ言うが、いない。
公の立場では「全ての本は平等」に過ぎない。コレは法の下において、そうでなければならない。
私の立場では「全ての本は平等ではない」。コレは法の下において、また民主主義において、そうでなければならない。
ツイ主にアレコレ言ってる人は全ての本が素晴らしいと思ってそう言っているのではなく、
好きな本を貶された、好きではないけどその言い方はないでしょう、お前の態度が気に食わない、なんとなく鼻につく等等、一個人の「私」の立場からの意見に過ぎない。
また途中から研究者の立場を持ち出したことに対して違和感を覚えたり、それはダメでしょうと思ったり、マウントを取ろうとしていると捉えて不快になった人もいるだろう。
何度も言うが「私」の立場からであれば自由で自然で健全である。
ただし、当然、誹謗中傷や現行の法に触れる発言は自由の範疇外なので、コレについては受け入れる必要はない。(警察に行ってください)
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5.今回の件のまとめ
「私」の立場から「私」の言葉で反論、不快感の表明、揶揄が集まった
(自然な流れ)
これに尽きる。
そして、後から「公」ぶるのは無理があり、「公」の在り方に照らせば悪手だ。
つまり公と私を混ぜるな危険。ということで一度冷静になって考えてほしい。
研究者のポーズを取って「批評という文化に馴染みがない…?」等と煽っているが、それこそ公に相応しい言葉を用いた批評という文化に対して失礼である。
「研究者であろうが、ツイッターで発言している時点で"私"の立場です。だから自由でしょ?」というなら納得できる。しかし、ならば他の人の「私」の意見が集まることも受け入れなければならない。
何度も言うが研究者という「公」の立場を取るのであれば、「私」の好き嫌いを挟むことは相応しくない。
この区別をはっきりさせて、「公」の姿勢を理解していないと、研究者としては危険すぎる。
※1) 公の最たるものには文書館もある。文書館は歴史的・文学的に保存価値があるものが選別され保管されている。そこには「公」=研究者による評価判断が下されている。
ただし、文書館および文書館職員は当然「文書館に所蔵されない本はしょうもない。薄っぺらい。大嫌い」等とは言わない。
あくまでも歴史的文学的な保存価値という一要素を選書基準としているに過ぎないからであり、良書・悪書を選別しているわけではないからである。
また、勿論そういった言葉が「公」に相応しい言葉ではないからである。
※2)近年ではCCC等一般企業の参入、指定管理、業務委託といった制度により、自社や関係各社に利益が上がるような本の取り扱い方をしている図書館もある。しかし本来の図書館の在り方としてはこの限りではない。実際に問題にもなっている。
仁藤夢乃さんの偉業をお前ら凡百のはてなーにもわかるように紹介していく。
仁藤さんは矯風会で講演し、その前会長(当時)と親しげに寄り添うツーショットを投稿なさっている。矯風会を知らないお前らのために説明しておくと、キリスト教のプロテスタントが母体になっている由緒正しい組織で、性道徳を紊乱するような悪書に対して抗議し、わいせつ表現への規制を強めるべきだと主張している高潔な団体だ。そのような団体と仲の良い仁藤さんもまた高潔な志を受け継いでいることに疑問の余地はないだろう。>ttps://twitter.com/colabo_yumeno/status/620808038937526276
アキバは性犯罪者がたむろして若い少女を買春する街だという衝撃的な事実を告発されておられた。アキバに何度も通ってきた増田も「そ、そうだったのか、知らなかった……!」とハッとさせられ蒙を啓かれた鋭い指摘だ。>ttps://togetter.com/li/935702
エロゲー開発で赤字が救われたエピソードを聞いて「そんなもの許せない!」と憤っておられた。女性への暴力を助長する表現なのだから彼女が怒るのは当然だろう。>ttps://twitter.com/colabo_yumeno/status/977760034946863106
昔ホストに世話になった経験から、ホストは若年女性の実情を知っている頼れる存在だと指摘しておられる。ホストのことをそういう存在だと思ったことがなかったのでハッとさせられた素晴らしい投稿だ。>ttps://togetter.com/li/967888
彼女は辺野古基地反対のための座り込みに若い女性たちを連れて参加し、強制排除しようとした警察官を「若い女の子の体を触るな! セクハラだ!」と威嚇しておられる。なるほど若い女性を抗議行動の前面に出せばそういう攻め方ができるのだなぁとコロンブスの卵のような発想に感心した。彼女の政治的センスが卓越したものであることを示すエピソードだ。>ttps://twitter.com/colabo_yumeno/status/1166875826278686720
増田の観測範囲の表現規制反対派は「表現の不自由展」も守られるべきだと主張し、オタクを公言する地方議員の中には「表現の不自由展」に足を運んで支援の意を表明した者もいたのだが、やはりそれらはごく一部のノイジーマイノリティであって「表現の自由」を掲げる人たちのマジョリティは「表現の不自由展」に冷淡だったという当然の事実を指摘なさっていてハッとして涙が止まらなかった。>ttps://twitter.com/colabo_yumeno/status/1157645637602533377
2020年から継続中の動画シリーズ。これは差別では? というトンチンカンなツッコミを入れる阿呆もいるが、「キモい」というのは性暴力やハラスメントをしてくるという意味であり、容姿や趣味を揶揄しているわけではないから何も問題ない、というごくごく当然の理屈がなぜわからないのだろうか。理解に苦しむ。>ttps://twitter.com/colabo_yumeno/status/1254226451949207552
彼女はパパ活で辞任した経緯のある米山隆一さんをたいそう嫌っているのだが、彼が選挙に出たときに「妻も夫の性欲処理機ではない」と発言した。これに対して米山さんの妻である室井佑月さんが激怒していたが、仁藤さんが室井さんを性欲処理機だと言っているのではなく仁藤さんが米山さんに向けて「お前は室井さんのことを性欲処理機だと思っているのかもしれないが、それは間違いだ」と忠告している文脈なので、これで怒る室井さんはちょっと冷静になってほしいものだ。>ttps://togetter.com/li/1800362
仁藤さんは温泉地に出かけたときに『温泉むすめ』という温泉擬人化キャラクターのパネルを見つけ、その設定に問題を見つけたので強く批判した。それらの問題がある設定はパネルではなくウェブサイトに書かれていたのだが、パネルのイラストを見た瞬間に「なんでこんなものを置いているの😩💢と思って」調査を始めたという慧眼には驚くばかりだ。増田のような凡人であれば絵を見ても何も思わずサイトを調べることはしなかっただろう。ただのイラストから設定に問題があると勘づくことのできる能力は稀有である。>ttps://twitter.com/colabo_yumeno/status/1460060377379602434
仁藤さんは、「AV新法」と呼ばれる法律に反対していたが、そのときに中里見博さんという法学者と共同で勉強会を開いている。>ttps://twitter.com/minorikitahara/status/1527146739311865856
この中里見博さんという方は、トランスジェンダーとされる人たちが性自認のみに基づいて法的に性別変更できるようになる、いわゆる「セルフID制」に反対されている方だ。身体の性別に基づく女性専用スペースを守るために活動され、そのために心無いTRA(トランス権利活動家)からはTERF(トランス排除派ラディカルフェミニスト)でありトランス差別者であるという誹謗中傷を受けておられる方だ。女性スペースへの男性身体者の侵入を防ごうと尽力なさっている学者とも積極的に連帯する仁藤さんは、まさに女性の権利のための闘士といえるだろう。>ttps://sites.google.com/view/no-self-id-japan/
一部のAV女優が、AVの撮影に様々な規制を入れたAV新法によって仕事がなくなったと主張し、AV新法賛成派を攻撃している。立憲民主党の地方議員経験者にいたっては、まるで仁藤さんが新法賛成派であったかのようなデマを流布した。とんでもない話だ。彼女はAVの存在を認めるAV新法を手ぬるいとして批判し、AVの法的禁止を主張していたのだから、彼女がAV新法賛成派だというのは事実に即していないただの言いがかりだ。>ttps://twitter.com/colabo_yumeno/status/1524037374186901505
さらに彼女は、セックスワーク従事者からの相談窓口を設置し、性売買からの脱出を勧めている。この団体は、同じく性売買に憤るジャーナリストの郡司真子さんも「AVの仕事がなくなった人は相談すれば福祉に繋げられる」として紹介していた。AVを規制し、女優たちの仕事を失わせ、その上で自分の団体を紹介して彼女たちが食うに困らぬようにしてくれるのは、仁藤さんの優しさが、まさにアジア的な、無償の優しさであることを示している。無知なはてなーは彼女の活動の高潔さに瞠目するように。>ttps://key-official.net/about.html
ご覧のように、仁藤夢乃さんは家出少女をバスで保護する以外にも多岐にわたる物事に関わりを持ち、ご自分の意見を発信してこられたことがわかると思う。このように多方面にわたって高潔な志のもとで有意義な活動をなさっている彼女が、なぜあれだけ多くの人の憎しみを浴びねばならないのかはまったくの謎というべきだ。
増田は、アキバ系やエロゲーや萌えコンテンツを憎みホストと良好な関係を築きキモいおじさんやTRA(トランス権利活動家)に立ち向かう仁藤夢乃さんを応援しています。
君たちがスルーしてれば少なくともはてな民は赤松健の発言なんか読まないのに。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/KenAkamatsu/status/1542366137979400193
tekitou-manga ディストピア実現しようとする党の尖兵がディストピア煽りで票集めとか地獄感ぱねぇぞ。オラわくわくしてこねえだ
warp9 表現の自由と言いつつ、規制側で立候補する意味は?俺には理解できない。
nowa_s ネットは広大だから、Twitter辺りではイラストだけが「表現物」で、表現の自由の対象だと思ってた人もいた。そういう人にとっては、例えば批判的言論は表現じゃないんだよね。赤松候補がそのレベルじゃないといいけど 表現の自由
Arturo_Ui それ保坂展人や枝野幸男の前で言える? マジレス
tokatongtong で例えば 「ぶっかけられた精液で全身ドロドロな、化け物レベルに胸強調された少女体型の童顔女性」みたいな表紙絵の同人誌があるんですが、そのような表現物の無制限的公共露出についても守るべきとお考えですか?
haruyato 赤松支持者の大半が表現の不自由展を批判していそうなのがなにより怖ろしい。赤松本人に表現の不自由展への意見を誰か聞いてくれ。
2022/06/30 リンク yellowyellowyellowyellowyellowyellowyellowyellow
yabusaki アトムもやり玉に挙がった1955年の悪書追放は政府が先に動きだしたとも言われていて、当時の政府与党は自民党の前身の日本民主党と自由党。「中から変える」ができるほど聞く耳を持ってるなら入る必要もないのでは
cj3029412 何ひとつわかっていない……「一切の表現の自由を守る」とか。
2022/06/30 リンク yellowyellowyellowyellow 1 clicks
haniwa 赤松さんが言うからにはこの国ではそれが信実なんだよ。逆らう人間は現実が見えてない。そういう国なんだ。
izure この人の街頭演説野次ったら、安倍晋三の時みたいに警察に排除されたりするのかな。
BigHopeClasic 刑事裁判で国と戦った伊藤整や澁澤龍彦の墓前でそれ言ってどうぞ 憲法
cartman0 いい加減、公共の福祉にも触れればええのに
cha9 表現の自由戦士が自民党候補に投票するディストピアを超える場面って歴史上そうそうないと思うやで。あ、年代表最後に2019年山田太郎規制派寝返り出馬と2022年アカ松健カン違い出馬が抜けてる。自民は規制派だからね 規制の歴史がまた1頁…
tobalno1 これらの批判が全部難癖で表現の自由は全てに勝るって言うなら、選挙カーにコンビニエロ本の表紙印刷して走ってみてほしいわ。別に自分の漫画のエロいコマでもいいけど。
meowcatwings 「『一切の表現の自由』を守る」というのは、ゾーニングやレーティングも撤廃したいということなのだろうか。 考える
demakirai Twitterは140文字まで投稿できるんですけども、冒頭20文字ちょいですぐバレる嘘つくのやめてもらえます?
grdgs いや君や山田を含め表自戦士が、いつでもどこでもエロ表現の自由しか興味ないことはわかりきっているのだが。はてなの表自戦士も、市民から企業への批判は悪だとして、言論の自由を抑え込むのに躍起だし。
urandom たぶん極端に視野が狭いか、何が表現で何がそうでないかを判定する目線だから一切の表現の自由を守る(!)というすごい言い切りができるんだろうなあ。頼むから表現の自由という用語を使わずやってほしいなあ。
yas-mal
2022/06/30
cinefuk 2002年のビューティ・ヘア事件(松文館裁判)の契機となったのは自民党「平沢勝栄」によるもの。今まで「自民党を内部から変える」と主張した人で、改革に成功した人は存在しない https://www.amazon.co.jp/gp/aw/cr/486086011X 表現規制 自民党
mn36555023 とりあえず 赤松健
でも、それだと被害を受ける人がいるから、ヘイトスピーチ解消法とか侮辱罪厳罰化など別の切り口で規制するんだ。表現の自由の範囲を狭めるわけではない。
表現自体を止めさせる権限は恣意的に運用されやすくものすごく危険な権力で、めちゃくちゃ慎重に運用して適用範囲も最小限にすべきなんだ。
たとえば、ヒトラーのナチズム満載の「我が闘争」の出版を禁止すべきか、というと現代では注釈をつけて攻撃的で偏った思想だということを明確にして出版すべきというスタンスの国が多い。加虐性を無害化して記録としては残す。「我が闘争」が悪書だとしても悪書の出版を禁止した前例を作ると、お前のこの本も悪書だから禁止という恣意的な判断を防げない。
違う。
山田が機会主義者で表現の自由の破壊者であると見做されている。
論点は3つ。
1.元々「表現の自由戦士」という揶揄が広まったのは在特会がヘイトデモをしている頃で、ヘイトスピーチ規制派と反規制派がいがみ合っていた。
その時反規制派が「これは根源的な表現の自由だ」という主張をしていた。破廉恥な表現こそ守られなければならないのが本当の表現の自由だという主張をしていた。
だがその具体的に「守る」とされていた行為は殺人などの脅迫だったし、批判にも表現の自由の侵害と反駁しており、何より2次元エロとヘイトスピーチの擁護以外彼らは興味もなく寧ろ冷笑的だった。
2.オタクはずっと野党側の表現の自由擁護議員をパージするという事を繰り返していた。
アイデンティティポリティクスで篭絡されて利益の為の行動が出来なかった。
3.第二次安倍政権以前では保守を標榜するが地盤が無い者は表現規制を標榜するのがありがちだった。それは安易だったから。
1970年代から漫画や悪書追放は保守派の根強い運動で、特に宗教右派が熱心だった。この為、表現規制派を標榜するとここに訴求して安易に票田を得ることが出来た。
族議員が強かった時代の自民党のニッチなの。そして第二次安倍政権以後はこの手の議員が強くなっている。
だから山田は新人議員として(3)の表現規制界隈に近いところで活動をする他なく、(1)2次エロの自由以外の表現の自由には抑圧的なオタへの訴求だけしか考えず、(2)アイデンティティポリティクスでの篭絡でオタの支持を維持して、結局表現規制に加担するのではないか?と疑問を持たれている。
統一教会への接近で炎上したのはこういう構造の為、「ほれ見た事か」となったわけだ。
彼の支持者は彼の行動を何でもかんでも擁護すると2.のアイデンティティポリティクス型支持に陥ってしまうという危惧が足りない。
何か勘違いしてるようだけど、増田は弱者男性なんかじゃなくて、ただ「性格が悪くてモテない男」だから。
弱者男性っていう流行りの言葉で自分の性格の悪さを覆い隠そうとしてるけど、残念ながら増田は性的魅力があっても、経済力があってもモテませーん!断言します!なぜなら増田は性格が悪いからー。
大体、増田自身のwillやhopeについて一切触れられてないけど、そもそも増田は恋愛をして何をしたいの?どうなりたいの?何回読み返しても性欲の匂いしか漂ってこないんだけど?「ありのままの僕を受け入れて、セックスさせてくれる女が欲しい!でも努力はしたくありませーん」って言ってるようにしか思えないんだけど?数十行の文章読んだだけで性格の悪さが滲み出てるんだから、そりゃモテるわけないよね。
良いじゃない、素人童貞で。お金払えばありのままの増田を受け入れてセックスさせてくれる女性をあてがってもらえるんだよ。増田の理想通りじゃない。何が不満なの?
何故なら俺も25歳の頃は増田と同じように呪詛の言葉吐き散らしてたから。女の子のいるカラオケに呼ばれて、ブサンボマスターの「言いたいことも言えずに」をドヤ顔で歌って、俺を受け入れない女子を下に見てたから。
でもこのままじゃ行きつく先はKKOぞ。頑張って収入上げても、こないだ話題になってた面食い増田みたいになるだけだぞ。
こないだ話題になってた婚活増田みたいに頑張れとは思わないけど、呪詛の言葉吐いてる暇があったら、女の子の一人でも口説いてみたら?今の増田ならどうせ振られるだろうけど、何もせずに腐った根性が変わるわけないから、増田で愚痴ってるより1億倍マシだよ。