はてなキーワード: 年会費とは
自分は、数年前に嫁の年齢と持病から子供を諦めた者で、その時は子供がいない人生となったこと自体にはあまり苦しみは感じなくて、むしろ嫁と二人の生活を楽しめるようになったのだけど、そのうち、子供のいない老後は安楽死を迫られるんじゃないかという不安を抱えるようになってしまった。
今の日本は間違いなく老人優遇の政策を取っているけど、おそらく俺たち就職氷河期世代(団塊ジュニア世代)が老人になる頃に、いよいよ持たなくなって現役世代重視に反転するんだろうと予想している。
「人数の多い団塊ジュニア世代の老人を国はもう支えきれないので、老人福祉は削減して、老後は自分の子供か資産に面倒を見てもらうように、そして、どちらも持たない者には安楽死というオプションを与える。これで日本は復活する」
そういうことになるんだろう。
日本という共同体の持続可能性を考えるなら、資産形成や家族形成に失敗したまま老人となった団塊ジュニア世代を切り捨てるのは正しいと思う。
自分が切り捨てられる側でなければ。
実のところ、生涯子なしが確定する前の俺は、自分自身も含めて次世代の負債になるぐらいなら働けなくなったあたりで安楽死していいんじゃないか、と考えていた。
俺たち団塊ジュニア世代は、親世代の団塊世代の雇用を守るために就職氷河期に落とされ、団塊世代の老後のために今も毎月高い社会保険料を取られている、そういう被害を次の世代に繰り返すべきじゃない、という多くの同世代と同じ覚悟をしていた。
ところが、人間の脳の我が身の現状を肯定しようとする力は凄くて、もはや子供を育てる義務が発生することは無く、週末にちょっと良い外食をして、嫁の体調が良い時に年2回ぐらい休暇を取って海外旅行をして、それでも年に数百万は余裕で残り、それを全て二人だけの資産にできる嫁との生活が楽しくてたまらなくなった。
子供云々よりも、仕事が急に裁量が効いて楽しく働ける状況になったことと、ここ数年順調に昇給が続いていることの方が大きいかもしれない。
小学生の時以来かもというぐらい毎日の生活を楽しむことができるようになった。
これから嫁の病状が悪化したり、俺の体にガタが来て多少不自由になったとして、それを負担することになる下の世代には本当に申し訳ないけど、手厚い年金や介護を受け続けて、辛いことの多かった俺たち夫婦がやっと報われたこの実りの季節をできるだけ長く味わいたいという執着を二度と捨てられそうに無い。
そして、頭に書いた通り、子供のいない老後への漠然とした不安に取り憑かれてしまった。
そもそも、老後を待たずとも、嫁が動けないほど悪くなって、俺が介護のために仕事を辞めることになったら、今の生活はあっという間に吹っ飛ぶというどうしようも無さがある。
もちろん個人でできる対策として、子供がいない分資産を貯め込む努力はしているのだが、それだけではどうしても不安を鎮めることができず、統合失調症でも発症したんじゃないかと心配になるぐらい、このまま黙っていたら殺される(安楽死に追いやられる)という焦りや怒りの発作に悩まされ続けた。
結局どうしたかというと、老人福祉の維持・充実を訴える政治活動を始めた。
具体的には、地元の老健団体の賛助会員(年会費一万円)になって、その政治部門で週末に事務局のボランティアをしている。
その老健団体は、内規で不偏不党を掲げて政治活動には関わらないということになっているので、賛助会員の一部(実際は全員)が勝手にやっている「勉強会」という形の団体。
そういう曖昧な団体でも、わりと昔から活動しているからか、役所や地元議員、たまに上京して中央官庁に行くと役人や議員先生が向こうから頭下げて来るので、「いや、ああいう人種は有権者にはとりあえず頭下げる人たちなんだよ」と理性に囁かれながらも、所属欲求とか承認欲求のような感情が簡単に満たされている。
「こちらの○○さんが、若いのに手伝ってくれてるんですよ。長くお世話になりますので、どうぞよろしくお願いいたします」
などと陳情に出向いた先で若手のホープのような紹介をされるとなにやら面映い。
60代後半から70代が主力の団体だから、そりゃあ、比較すれば確かに若いんだろうが、組織に歓迎されるというのは良い気分だね。
60代後半から70代というのはつまり俺の親世代、団塊世代で、「こいつらの雇用を守るために俺たちは就職氷河期を味わった、こいつらの老後のために給料から毎月高い社会保険料を取られている」とずっと憎んでいたのだけど、
実際に話を聞いてみると、こういう活動に熱心な人々は、当然ながら経済的にかなり期待外れな老後を過ごしている。
大企業で40年勤め上げたなら話は別なんだろうけど、自営業が長くて大した年金などもらっていないような例が多く、総じて俺と同じ不安と怒りを抱えている。
抽象的な理由で一つの世代を憎み続けるのにも疲れていたし、俺は彼らを許すことにした。
以前は街中や行楽地にいる子連れを鬱陶しい連中としか感じなかったのが、
「ああ、この子が俺と嫁の(文字通り)尻拭いをしてくれるかもしれないんだな、そうでなくとも俺と嫁の尻拭いをする外国人介護士を雇う社会保険料を収めてくれるんだな。親切にしてあげないとな。お母さん、ご苦労様です」
と肯定的に見れるようになった。
他人と不安を分かち合い赦しと和解を与えて、ともに現状を改善するために微力とわかっていても行動する、
そういう前向きな姿勢でいることは俺の精神に良い影響を与えているように思う。
老後問題が自分一人(と嫁)の解決不可能な問題としか思えなかった時に比べて脳への負担が減って、頭と肩が軽くなった気がする。
そういうわけで、俺と同世代で老後に不安を抱えているなら、こういう政治活動がセラピーとして効くかもしれないので試してみれば、程度の軽さでお勧めする。
こういう活動を、なんだフクシかサヨクのオルグか、と毛嫌いする人が同世代には多いというのはわかっている。
だが、実際のところ老人福祉の拡充を訴える団体の投票先で一番多いのは自民党なので、サヨク嫌いの人に向いた団体も地元で簡単に見つかると思う。
俺がいる団体がどの政党支持なのかは伏せるけど、与党系だろうが、野党系だろうが、老人福祉をイシューに投票したり陳情しに来たりする有権者の数が増えて、政治家の圧力になること自体が重要だから、みんな仲間だと思っている。
ひとつの人口統計予想として、数十年後俺たちが80歳になる頃には日本の人口構造は団塊ジュニア世代を唯一の頂点とする完全な逆ピラミッド型になる、という物がある。
この予想が当たれば、俺たち世代は有権者の数が最も多く、つまり民主的には最強の世代になる。
さらに下の世代も同じく高齢になるほど人口が多いのだから、政治家が当選するには今以上に老人優遇にせざるを得なくなる。
俺は自分の現状を実りの季節だと言ったけれど、数十年後には同世代全てが実りを得られることになる。
だから、別に政治活動を始めなくていいけど、俺は同世代に老人福祉をイシューにして投票することを考えて欲しいと思っている。
そして、何をしてでもいいからどうかあと数十年生き延びて欲しい。
1999年に作った銀行系のMASTERカード、人に頼まれて作ったのだけど1度も
使用せず、20年近く住所変更もせず(その間5回引っ越した)引き落としの銀行口座も、
残高不足でおそらく年会費の引き落としも出来てなかったと思う。
お盆休みに書類を整理していたらカードが出てきた。いままで放置していたけど、今日は
平日だし意を決して、カードの裏面にあるコールセンターに電話してみた。
「カードを使う予定が無いので解約させてください」
『では本人確認をしますので、ご登録の住所、電話番号、生年月日を~』と簡単なやりとりを
経たがあっさり解約出来た。20年前の住所の電話番号はもう覚えてなかったが、他の
と申し出てみたところ、最後に引き落としが出来たのが5年前で、それ以後は残高不足で
引き落としが出来なかったとのこと。未納の年会費については、追加の支払いは不要との回答で
ホッとしました。 他にも長期未使用のVISA系列おクレジットカードがあったので、同様に
2ロック破錠シリンダー交換してるんでしょうし、賃貸だから同等品に交換せなならんと考えるとその値段もありえるのでは。
と思ったらドアスコープの破壊だけなんですね。お疲れさまです。。
月額とか年会費とか取る会員制サービスで鍵解錠とか水回りやります、みたいなのありますが、契約によるけど業者の出張費しか負担しないのが多いかも。
部品代・特殊作業費等の別途費用はお客さん負担で、別途費用分が高額になる場合もあります。
とにかく見積もりを事前に出してもらった方がいいです。あと賃貸なら営業日まで待って管理会社に相談した方が結果的にスムースかつ安い気も。
アマゾンはCD、漫画・ラノベ、アニメの円盤、その他少量の生活雑貨などの通販に主に使用していた。
evilな話を色々聞いてたので使うのやめるかなぁって悩んでたんだけど、この度とうとうやめることにいたしました。
通販の代替サイトを探して右往左往して結局ヨドバシカメラに落ち着きました。
はてなの皆様、ヨドバシ以外で通販に便利なサイトがあれば是非教えてくださいな。
以下、ヨドバシカメラにたどりつくまでの右往左往の内容。ほとんど愚痴。
でも楽天は楽天であんまりいい思い出ないし。迷惑メールとか、広告だらけの画面とか。
と思って今見てみたら思ってたより悪くなくて楽天でいっかーとなったんだけど、もうちょっと他のサイトも調べてみようと思ってググってみた。
なにも一つのサイトで統合されてなくてもいいわけで、購入頻度の高いCDと漫画・ラノベでそれぞれの専門の通販サイトを調べてみた。
まぁ別に悪くない。普通の通販サイトだ。ここでいいやって感じ。
ただ、結局外資かとも思ったんで、あとで時間があれば国内の他のサイトを探すことにする。
最初はhontoを使おうと思ってたんだけど、ちょうど丸善が炎上してたので何となく候補から外す。
漫画はすでに大半が電子書籍に移行してたんで、電子書籍の購入に使ってるBookWalkerが通販もやってたはずと思い調べてみる。
そしたらアニキャラBookWalker支店とかいうサイトに飛ばされるわ、それならBookWalkerのIDでログインできるのかといえばそうじゃなくて新規登録が必要だわ、登録したらしたで支払方法がなぜか代引きしか選択できないわ、QA読んでもクレジット払いもBookWalkerのコインでの支払いもできるって書いてんのになんでだよってイライラしながらクレジット登録できる場所探したけど見つからなくて結局退会した。
で、もー楽天でいっかーとなってたんだけど、そーいやヨドバシカメラが通販やってたはずと思い出す。
でも漫画とかも扱ってるんだろうかと調べてみれば漫画もCDも取り扱ってた。
よっしゃ!ここにしたろ、とすっきり晴れやかな顔で会員登録して購入手続きまで行ったところで、ポイントカードのことを思い出す。
どうやって登録すんだと調べてみたら「リアル店舗に行ってなんとかキーを発行してください」だって。はぁぁぁぁっ(クソでか溜息
なんかもう他のサイト探す気力も尽きてたし、わざわざこのためだけにヨドバシに足を運ぶのも面倒だったのでAmazonで注文してたCD、漫画、ラノベ、円盤をキャンセルしてヨドバシで注文しなおしてフィニッシュです。
疲れた。国内のサイトはあれか?利用者が使いにくくないとあかん決まりでもあるん?
プライム会員も近々切れるのでそのあたりで退会予定。値上げのうわさもあるし。
プライムビデオはよく利用してたんだけど、dアニメストアで代替予定。ちょっと年会費が高くなるんよね。サービスの種類は減るのに。
アニメ以外もたまに見てたけどないならないで特に困らないと思う。多分。
Twitch Primeはちょっと前にはてブで知ったんで使ってみようと思いつつ結局使わなかった。
通販以外でもAmazonにはこんなサービスがあるからやめるのは思いとどまったほうがいいよってのがあれば教えてください。
なんやかんや言われることも多いけど、あれもこれもがオールインワンになってて、一つのアカウントだけでできるAmazonが大正義になってるのがよくわかる一日でした。
追記 21:50
会費とか無いし旅行も飲み会も穏やかで参加自由と説明を受け、友人と一緒に入った。
説明された通り、旅行も飲み会も殆ど行ってないけど誰からも文句は言われない。
4年生になった。
幹部になった後輩がLINEグループで突然お金を要求して来た。
新1年生の新歓費にプラスして、今年から年会費を集める事にしました。
は????いきなり何?
いや、新歓費はわかる。自分も1年生の時にはその恩恵にあずかったし、抵抗はない。
でも何故3年生以上は負担が大きくなるの?年功序列ってやつ?殆ど顔も知らない相手に対して図々しすぎない?
それ、いつどこで誰が決めたの?
事前に何の承諾も無く何で勝手にそんなこと決めてんの?
何に使うのか聞いてみると「旅行に行く人の負担を減らすために使います」と返ってきた。
冗談だよね?????なんで遊びに行く人の為にこっちがカンパしなきゃならないの????それ私に一体なんの恩恵があんの????
てめぇの金で勝手に行けよ。その金が払えないなら旅行には行くな。
しかし就活期に入りこれまでのバイト代を切り崩して何とか就活と生活を続けている身としては数千円でも惜しいし、そもそもいくらであろうと金銭の絡む話を何の相談もなく一方的にされても納得できるわけないだろ。
昨年末をもって活動を休止したシンガーソングライターがいる。
最初に不信を持ったのは、ファンクラブの申し込みをしたときだった。
HPで必要情報を入力して、年会費を振り込んだ筈なのに、いつまでたっても入金確認メールがこなかった。何か不手際が起こったのだろうか?と思い、明細書を添付の上で問い合わせのメールを送った。しかし返信はなく、入金から早くも一か月が経とうとしていた。
やきもきしていた所に同じアーティストのファンの人から「Twitterのアカウントの方に問い合わせると返事が早くもらえる」との情報を貰い、TwitterのDMから同じ文面を送った。すると返事があり、入会手続きに遅れが出ている為、案内ができていない、今週中には確認の案内が出来るとのことだった。丁度その時期は〇周年を記念したライブが開催された後であり、多くの人が来ていたので自分と同じようにファンクラブの申し込みをした人がいたのかもしれないと思い、気長に待つことにした。結局入金確認のメールが来たのはその返事から数週間後のことで、会員証が手元に届いた頃には季節が変わっていた。
その後もわだかまりを抱えながらも、そのアーティストが好きだったのでライブに行ったり、グッズを購入したりしていた。でも、そうする間にも不満はどうしても出てしまった。
ある時、アーティストが新曲をCDで発売してくれることになった。
販売方法は二通り。ファンクラブ会員限定販売、もしくは事務所の主催するライブでの物販販売のみだった。ちょっと待ってくれと思った。ただでさえ会員手続きが遅延している中で、ファンクラブ限定販売とはどういうことなのか。また、ライブでの物販販売も思うところはあったものの、歌詞を知るためにはCDを買う以外に方法がなかったので、ライブ終わりにCDを購入することにした。
またある時。いつまでたっても会員規約に書かれている年一回のファンクラブイベントが行われなかった中、ようやくクリスマスに昼と夜でミニライブが行われることが発表された。一か月前のことだった。
疑問を抱えながらも、当分はワンマンライブがないだろうと思っている中、年が明けてから届いた手紙の中には、年賀状とファンクラブ活動がその年をもって終了する知らせが入っていた。その月の末には、5か月にわたって計8回のライブか行われることが告知された。嫌な予感しかしなかった。
案の定、その予想は当たることになり。夏の最後のライブをもって活動休止をする旨が発表された。でも、終わるはずだったライブの後に、新たなライブがどんどん追加された。事務所主催のライブ、かつてのロケ地でのライブ…活動休止がどんどん延期していった。そして、最後のライブは、社長の地元でライブがやりたいといって、そこで行われることになった。そして、夏の最後の夜に活動が、休止となった。
その後はライブラッシュのDVDを待っていたのだが、発売の延期が決定した。それと同時に別のライブのDVDの発売が決定し、またそのDVDも発売延期が決まった。その後、更に別のライブのDVD販売も決まった。どうせまた延期するのだろうなと思っている中、社長のTwitterにこんな発言があった。
あきれ果ててしまった。何のためのライブラッシュだったのだろうか。終わったはずのファンクラブの会報誌はまだ来ない、誕生日カードも一切来ない。DVDは延期して当たり前。でも次のライブがしたい。延期が決定しても、手続きが延滞しても社長は何も言わない。指摘をされても知らん顔。理想論ばかりを語り、事務所の別のアーティストのプロデュースは上手くいかず、ファン獲得もうまくいっていない。何時だってそのアーティストに頼りっぱなしだった。
でも、そのアーティストが好きで、その事務所に不満を抱きながらもそれに合わせてしまっている自分がいる。嫌ならやめればいい。わかってはいても、そのアーティストのことが好きだから、合わせるしかないのだ。
だから、このブログに愚痴を書いた。どうせこの先も、あの社長はファンのこういった部分に甘えて運営を続けていくのだろう。いっそのこと、そのアーティストが別の事務所に移籍してくれたらいいのにと思う。現にできるだろう。その人なら。でもしない。だからこうして不満をためながら、活動再開を待ちながらも、社長の一言で活動再開なんてしてほしくないと矛盾したことを思っている。この事務所が、体制が、社長が嫌いだ。
変更前
9年ほど前、地方都市の小さな町工場を経営していた父が亡くなり、家族と古株社員に説得され、地元に戻って27歳で後を継いだ。元々継ぐ気はなく、大学以降ずっと都内で過ごしていたので、地元に馴染めず苦労した。仲が良かった友達もほとんど地元を離れていたし、社員や親戚とは話が合わず、友達を作ろうとスポーツサークルに入ってみたら元ヤン達が幅を利かせていてすぐ辞めた。おれは孤独だった。
そこに青年会議所の誘いが来た。何をやっている団体なのか全く知らなかったが、地元の祭りや花火大会を盛り上げたり、まちづくりのボランティア活動やビジネスセミナーなどを通じて経営者として勉強して、地元の中小企業の経営者同士のネットワークを構築するのだという。活動内容にはピンと来なかったが「経営者には経営者同士しか分からない悩みと孤独がある。それを共有できる仲間ができる」という言葉が突き刺さった。入会金1万円と、1年分12万円の年会費を振り込み入会した。
1年目。子供達のサッカー大会の運営に携わった。市民と一緒にゴミ拾いをした。花火大会のポスターやチラシを検討する部会に入り、自分の意見が採用されると誇らしい気分になった。居酒屋やバーに行く仲間ができ、バーベキューをしたり、地元でようやくリア充的な日々が送れて嬉しかった。
2年目。市長や国会議員や100人以上のOBが集まる新春懇談会を運営するスタッフになった。はじめての出向も経験した。それまでは市単位の活動だったが、県内各地の青年会議所と一緒に委員会を作って活動するのだ。遠方まで出かけ、はじめて行く町で真面目に会議をし、そのあと楽しく飲んで仲良くなった。自分自身が拡張されるようで、嬉しくなった。
3年目。4年目。だんだん色んな役職を任された。後輩ができ、教える立場になった。隣県で開催されるフォーラム、京都での会議、横浜でのカンファレンスなどに参加した。たまに動員に協力させられる憲法や領土問題などのセミナーや、いろんな署名活動のお願いなども、積極的とは言えなかったが協力した。
5年目。国内で国際会議が開催されることとなり、その運営に携わる委員になった。全国あちこちで開催される会議に毎回参加した。横断幕バナーを持つためだけにヨーロッパにも行った。会社は何とか軌道に乗っていたし、自分の勉強にもなると説得されて役目を承諾した。大変だったが、充実の日々だと自分に言い聞かせた。
6年目。ブロック (都道府県レベルの組織) の役員をやった。ブロック内の新入会員に、青年会議所のビジョン・ミッション・バリューを叩き込む役割だった。トップであるブロック会長の教えは厳しく、ブロック内の理事長達が集まる会議に提出した議案は「背景・目的と手法が乖離している」と叩かれてボロクソに言われたが、意地を張って徹夜で修正し、通した。理事長達に「成長したな」と言われて涙を流した。
7年目。地方の青年会議所を束ねる上位組織、日本青年会議所のスタッフになった。トップに立つ会頭の言葉は絶対で、役員と一緒のエレベーターに乗ることは許されず、奴隷のような扱いをされながらホテルに缶詰になって上からの指示を徹夜でこなした。なにしろ、国民的な憲法議論を喚起するという大切な事業を遂行するのだ。何度も壁にぶつかったが、委員長や常任理事のアドバイスもあって乗り越えた。素晴らしい先輩達に恵まれたと感じ、あの人達のようになりたいと思った。
8年目を迎える直前の年末、母が倒れた。会社はいつのまにか赤字に転落していた。売り上げが落ち、接待交際費と交通宿泊費が激増していた。来年の理事長に相談した。その人を支える女房役となる専務理事を引き受けていたからだ。役目を引き受けるのは無理だ、JCは休んで仕事に専念しないと会社が危ないと話した。次年度理事長は言った。逆境が人を強くする、それはその人に与えられた試練だ、人は乗り越えられない試練を与えられることはない、だから仕事もJCも死に物狂いで頑張れ。そう言われた。
こいつは何を言ってるんだ。
バカなのか?
おれが今までどれほどJCのために頑張ってきたと思っている。
少しくらい休むことも許されないのか? こんな状況なのに?
そしてすうっと冷静になり目が覚めた。
おれは友達が欲しかった。それと、しぶしぶ継いだ会社だったが、なんとか頑張ろうと思って、その役に立つと思って勉強しようと思った。そんな中、せっかく誘われたことだし、青年会議所がどんなものか分からないけどやれるだけやってみようと思って、やってくる機会にチャレンジしていた。そしたらいつの間にか、おれは青年会議所が命じたままに憲法改正や領土領海問題を他人に説き、偉い偉い役員様が海外でスピーチする時のガラガラの席を埋めるためだけに自腹でニューヨークやオランダに行く人間になっていた。そして家族と会社が不幸になっていた。
それでおれは、退会届けを出した。引き止めは強烈だった。携帯が鳴り続け、会社に何度も色んな人が来た。時に優しく諭され、時に怒鳴られ、時に泣かれた。父の友達だったというOBまでやってきた。地元の集まりに顔を出しにくくなるぞと脅されもした。どんどん青年会議所が怖くなり、嫌いになり、おれは意思を貫き退会した。
青年会議所には、入会前のおれのような人間が陥りやすい罠が待っている。孤独を埋めてくれる仲間と、彼らと一緒にわざわざ作られた苦労を乗り越える経験から得られる高揚感だ。ほどほどで満足できるうちはまだ良いが、のめり込むとだんだん、周りが見えなくなる。入会前に母が「JCはやめておきなさい」と言ったのを聞いておけば良かった。ごめん。病院のベッドに横たわる母に謝ると、彼女はテレビから目を離さずにこう言った。
変更後
Facebookメッセンジャーで脅されたので、全文晒して真っ向勝負しようかと思いましたが、戦っても1円にもならないので削除します。コメくれた人、読んでくれた人、すいません。
偉大なる元増田様
https://anond.hatelabo.jp/20180306002045(削除済)
https://megalodon.jp/2018-0306-0620-50/https://anond.hatelabo.jp:443/20180306002045
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9年ほど前、地方都市の小さな町工場を経営していた父が亡くなり、家族と古株社員に説得され、地元に戻って27歳で後を継いだ。元々継ぐ気はなく、大学以降ずっと都内で過ごしていたので、地元に馴染めず苦労した。仲が良かった友達もほとんど地元を離れていたし、社員や親戚とは話が合わず、友達を作ろうとスポーツサークルに入ってみたら元ヤン達が幅を利かせていてすぐ辞めた。おれは孤独だった。
そこに青年会議所の誘いが来た。何をやっている団体なのか全く知らなかったが、地元の祭りや花火大会を盛り上げたり、まちづくりのボランティア活動やビジネスセミナーなどを通じて経営者として勉強して、地元の中小企業の経営者同士のネットワークを構築するのだという。活動内容にはピンと来なかったが「経営者には経営者同士しか分からない悩みと孤独がある。それを共有できる仲間ができる」という言葉が突き刺さった。入会金1万円と、1年分12万円の年会費を振り込み入会した。
1年目。子供達のサッカー大会の運営に携わった。市民と一緒にゴミ拾いをした。花火大会のポスターやチラシを検討する部会に入り、自分の意見が採用されると誇らしい気分になった。居酒屋やバーに行く仲間ができ、バーベキューをしたり、地元でようやくリア充的な日々が送れて嬉しかった。
2年目。市長や国会議員や100人以上のOBが集まる新春懇談会を運営するスタッフになった。はじめての出向も経験した。それまでは市単位の活動だったが、県内各地の青年会議所と一緒に委員会を作って活動するのだ。遠方まで出かけ、はじめて行く町で真面目に会議をし、そのあと楽しく飲んで仲良くなった。自分自身が拡張されるようで、嬉しくなった。
3年目。4年目。だんだん色んな役職を任された。後輩ができ、教える立場になった。隣県で開催されるフォーラム、京都での会議、横浜でのカンファレンスなどに参加した。たまに動員に協力させられる憲法や領土問題などのセミナーや、いろんな署名活動のお願いなども、積極的とは言えなかったが協力した。
5年目。国内で国際会議が開催されることとなり、その運営に携わる委員になった。全国あちこちで開催される会議に毎回参加した。横断幕バナーを持つためだけにヨーロッパにも行った。会社は何とか軌道に乗っていたし、自分の勉強にもなると説得されて役目を承諾した。大変だったが、充実の日々だと自分に言い聞かせた。
6年目。ブロック (都道府県レベルの組織) の役員をやった。ブロック内の新入会員に、青年会議所のビジョン・ミッション・バリューを叩き込む役割だった。トップであるブロック会長の教えは厳しく、ブロック内の理事長達が集まる会議に提出した議案は「背景・目的と手法が乖離している」と叩かれてボロクソに言われたが、意地を張って徹夜で修正し、通した。理事長達に「成長したな」と言われて涙を流した。
7年目。地方の青年会議所を束ねる上位組織、日本青年会議所のスタッフになった。トップに立つ会頭の言葉は絶対で、役員と一緒のエレベーターに乗ることは許されず、奴隷のような扱いをされながらホテルに缶詰になって上からの指示を徹夜でこなした。なにしろ、国民的な憲法議論を喚起するという大切な事業を遂行するのだ。何度も壁にぶつかったが、委員長や常任理事のアドバイスもあって乗り越えた。素晴らしい先輩達に恵まれたと感じ、あの人達のようになりたいと思った。
8年目を迎える直前の年末、母が倒れた。会社はいつのまにか赤字に転落していた。売り上げが落ち、接待交際費と交通宿泊費が激増していた。来年の理事長に相談した。その人を支える女房役となる専務理事を引き受けていたからだ。役目を引き受けるのは無理だ、JCは休んで仕事に専念しないと会社が危ないと話した。次年度理事長は言った。逆境が人を強くする、それはその人に与えられた試練だ、人は乗り越えられない試練を与えられることはない、だから仕事もJCも死に物狂いで頑張れ。そう言われた。
こいつは何を言ってるんだ。
バカなのか?
おれが今までどれほどJCのために頑張ってきたと思っている。
少しくらい休むことも許されないのか? こんな状況なのに?
そしてすうっと冷静になり目が覚めた。
おれは友達が欲しかった。それと、しぶしぶ継いだ会社だったが、なんとか頑張ろうと思って、その役に立つと思って勉強しようと思った。そんな中、せっかく誘われたことだし、青年会議所がどんなものか分からないけどやれるだけやってみようと思って、やってくる機会にチャレンジしていた。そしたらいつの間にか、おれは青年会議所が命じたままに憲法改正や領土領海問題を他人に説き、偉い偉い役員様が海外でスピーチする時のガラガラの席を埋めるためだけに自腹でニューヨークやオランダに行く人間になっていた。そして家族と会社が不幸になっていた。
それでおれは、退会届けを出した。引き止めは強烈だった。携帯が鳴り続け、会社に何度も色んな人が来た。時に優しく諭され、時に怒鳴られ、時に泣かれた。父の友達だったというOBまでやってきた。地元の集まりに顔を出しにくくなるぞと脅されもした。どんどん青年会議所が怖くなり、嫌いになり、おれは意思を貫き退会した。
青年会議所には、入会前のおれのような人間が陥りやすい罠が待っている。孤独を埋めてくれる仲間と、彼らと一緒にわざわざ作られた苦労を乗り越える経験から得られる高揚感だ。ほどほどで満足できるうちはまだ良いが、のめり込むとだんだん、周りが見えなくなる。入会前に母が「JCはやめておきなさい」と言ったのを聞いておけば良かった。ごめん。病院のベッドに横たわる母に謝ると、彼女はテレビから目を離さずにこう言った。
と同じだと思います。
現金で買う人よりも常に1%くらい安く買っていることになります。
現金で払うシーンもあるかと思いますが、個人的にはほぼ少額でも
ただ、いまだによく聞くのが「クレジットカードは怖いから使わない!」
という謎の人たち(笑)
こういう方々は結局「私は支出管理ができない残念な人デース!!」
よくある理由です。うんうん、わかるわかる。
いやそんなわけないわー!
逆に現金なら覚えておけるのかよ!嘘つけ!絶対クレカ怖いと言ってる人は現金でも覚えてないわ。
絶対に「今ある現金額で判断」してるはず。つまり、残りいくらだから、これだけ使えるな。という思考。あほかよ!
結局クレカが怖いという残念人は、後で請求明細が来てびっくりするパティーンですね。
ですが、びっくりする前にさ、
なのに、クレカが怖い人は「何にいくら使ったかがわからないから怖い」
というわけです。
レシート全部取っておくの?後で見直すの?
自分で整理して?品目分けるわけ?
まぁ・・・金銭感覚が身についてない貧乏まっしぐらな残念さんは仕方がないですが、
クレカを使い、かつマネーフォワードなどのアプリと連携すれば、
それこそリアルタイムにクレカでいつ何を使ったのかがわかりますよ?
そもそも、残念な人たちはクレカをこのように勘違いしている人がいます。
もしくは
クレジットって「信用」という意味なんですよ?つまり信用カード。
支払いを後で決まった日にまとめてしますという
当然支払いがされなければ信用がなくなるのでカードは使えなくなります。
だから、クレカは魔法のカードでもなければ、支払先延ばしカードでもねぇ。
きちんとした支出管理に基づいた人がその信用で買うことができるカード。
ということです。
なので、クレカが怖いという人はまずお金の本質を理解していないし、
ファイナンシャルリテラシーも低い残念な人。ということになります。
何がいいたのかわからなくなってきた。。。。
とにかく、支出管理ができている人は絶対にクレカを使うべきだ。(日本では特に)
2016年9月、自身のブログ( http://yuki-season.hatenablog.com )を停止しHP( http://www.ishidanohanashi.com 閉鎖)で中退、
起業を宣言した石田くんの現在について昨年12月、以下増田で述べた。
https://anond.hatelabo.jp/20171221132458
その後個人HPを削除するも2016年11月18日、石田祐希くんは株式会社クリアを設立していた…のだが、
Whoisを確認すると、[組織種別] 一時凍結ドメイン名 [最終更新] 2018/02/01 02:19:06 (JST) となっている。
以前クリアが管理していたHPを確認してみると、2017年7月に完全停止していた記事が追加されている。素晴らしい。
ttp://card-master.jp/主婦におすすめのクレジットカードを解説!/
でもカード説明の「年会費」「限度額」「保険」欄が全部カラだ。詳細情報を伏せておすすめされてもよくわからないぞ石田くん。
そして運営者のプロフィール、特定商取引法ページの代表責任者名、連絡先は未だテンプレのままである。
今後も彼を応援していきたい。