はてなキーワード: 左派とは
最近では国政選挙があると各社が作るボートマッチサイト。自分の考えに近いものを選んでいくと「あなたの考えに近い政党(候補者)はこれです!」と示してくれるわけだが、じゃああえて全選択肢「どちらともいえない」を選んでみたらどうなるのか?
このうち毎日とNHKのものはそもそも「どちらともいえない」の選択肢が存在せず、代わりに「無回答」の選択肢があり、全選択肢「無回答」を選ぶと全ての政党(候補者)とのマッチ度が0%になるという仕様だった。
そのため実質的には朝日と読売の2社のものが今回の対象となる。
●朝日ボートマッチ 全選択肢「どちらとも言えない」 一致度(%)
N党 77
公明 76
自民 75
維新 74
国民 74
立憲 73
社民 58
共産 57
れいわ 57
全体的に一致度高いな! びっくりしたわ!!
社民共産れいわといった左派政党との一致度はやや低めに出たもののそれでも60%弱。他の5党はなんと75%前後の高いスコアとなった。
ここで疑問。全選択肢「どちらとも言えない」で高い一致率が出るということは、曖昧な答えの方が高いスコアが出るのだろうか?
仮にそうだとすると、全選択肢「賛成」よりも全選択肢「どちらかといえば賛成」のほうが全体的な一致度が高くなるはずだが……。
●朝日ボートマッチ 全選択肢「賛成」「Aに近い」 一致度(%)
N党 60
国民 60
維新 58
自民 57
公明 56
立憲 46
れいわ 37
共産 32
●朝日ボートマッチ 全選択肢「どちらかと言えば賛成」「どちらかと言えばAに近い」 一致度(%)
N党 79
国民 78
維新 76
自民 75
公明 75
立憲 65
れいわ 52
共産 49
社民 46
結果は予想通り全体的に「どちらかと言えば」のほうが高いスコアが出た。というか全政党においてスコアが上昇した。
選択肢全体では賛成したほうが保守的な考えと認定されそうなものが多かったため左派政党のスコアが低く出ること、及び「どちらかと言えば」を付けてトーンダウンさせたほうが左派政党との一致率が上昇することは当然のこととして理解できるが、右派政党においてもはっきり「賛成」とするよりもトーンダウンさせたほうが一致率が上がるというのは意外な気もする。
また、全選択肢「どちらかと言えば賛成」と「どちらとも言えない」で自民党との一致率が同じであること、公明党に至っては「どちらとも言えない」のほうが一致率が高いことは興味深い結果。
●朝日ボートマッチ 全選択肢「反対」「Bに近い」 一致度(%)
社民 42
立憲 40
共産 36
公明 35
N党 33
維新 32
れいわ 32
●朝日ボートマッチ 全選択肢「どちらかと言えば反対」「どちらかと言えばBに近い」 一致度(%)
立憲 61
公明 58
N党 57
自民 56
社民 56
維新 55
国民 55
共産 51
れいわ 49
逆に全選択肢「反対」と全選択肢「どちらかと言えば反対」を選んだ結果。
まず全選択肢「反対」のときの全体的なスコアの低さがかなり意外な結果となった。全選択肢「賛成」で低いスコアが出た社民や共産は全選択肢「反対」なら高いスコアが出るものとばかり思っていたら、各政党の中ではトップのほうではあるものの数字としては40%前後にとどまった。
また、こちらでも選択肢を曖昧に寄せたほうが全体的に一致率が高く出るという傾向が確認できた。
読売のほうに関しては数字だけ。朝日ほど答えを曖昧にしたほうが一致率が上がる傾向は高くないように見受けられる。
●読売ボートマッチ 全選択肢「どちらとも言えない」 一致度(%)
公明 67
国民 63
立憲 62
自民 60
社民 58
れいわ 58
N党 57
共産 55
維新 55
注意点として、消費税に関する質問だけ「どちらとも言えない」の選択肢が存在しなかったため現状維持の選択肢を選んでいる。
●読売ボートマッチ 全選択肢「賛成」「Aに近い」 一致度(%)
維新 74
国民 66
N党 65
公明 63
自民 60
立憲 55
共産 50
社民 50
れいわ 48
●読売ボートマッチ 全選択肢「どちらかと言えば賛成」「どちらかと言えばAに近い」 一致度(%)
国民 71
公明 68
維新 68
N党 66
自民 60
立憲 60
社民 56
共産 54
れいわ 53
●読売ボートマッチ 全選択肢「反対」「Bに近い」 一致度(%)
れいわ 53
共産 50
社民 50
立憲 45
自民 40
公明 38
N党 35
国民 34
維新 26
●読売ボートマッチ 全選択肢「どちらかと言えば反対」「どちらかと言えばBに近い」 一致度(%)
立憲 58
共産 56
社民 56
れいわ 56
公明 53
国民 50
自民 50
N党 49
維新 42
さて、まとめ。
今回こうやって調べてみて、正直なところ自分の中でのボートマッチに対する信頼は下がった。
おそらく「どちらかと言えば賛成」を選んだ場合、「どちらかと言えば賛成」の立場の政党との一致度は100%、「賛成」「どちらとも言えない」の立場の政党との一致度は75%、というふうに計算されているものと思われるが、ちょっとこれは不自然な計算なんじゃないだろうか。「どちらかと言えば賛成」なのであれば「どちらとも言えない」よりは「賛成」に近い考えを持つものと判定した方が正しいように思える。
また、これによって立場を濁す政党ほど一致度が高く出やすい傾向が生まれてしまっているのではという疑念を抱いた。
朝日のボートマッチで質問別の一致度を見れるのだが、その中の「男性同士、女性同士の結婚を法律で認めるべきだ」の各党の立場を見てみると自民党の立場は「どちらとも言えない」よりほんの若干だけ反対寄りというもので、よって選択肢「どちらかと言えば賛成」を選ぶと自民党との一致度は69%となる。はっきり「賛成」の立場である政党(共産、れいわ)との一致度は75%で、6%しか差がつかない。
夫婦別姓を法律で認めるべきかについても「どちらかと言えば賛成」を選ぶと自民党との一致度は73%となり、はっきりと賛成している政党と2%しか差がない。
批判が悪口ではないことは自明であり正しいとしても「悪口を言われている気がする」という感覚は事実であり
そのような形而下のフラストレーションが秘密投票の結果を左右してきた過去の歴史を全く顧みない。
そのような有権者は愚かだ馬鹿だと叩くのは勝手だがそのような愚かで馬鹿な人間の一票の積み重ねで得る権力を必要とする側の人間だという自覚が持てていない。
馬鹿相手に票をねだるには一世一代の馬鹿の舞を舞い切る演技力というか胆力が必要だ。
馬鹿相手なのだから票ハラもアルハラも祭りハラもなんでもござれのドブ沼を浴びきる覚悟ももちろん必要だ。
票ハラだなんだと啓蒙するのは結構だが現状のインフラは有機(化合物のほう)ドブ沼なのだからそこで票を得るにはブルーギルに成りきる勇気しか必要ないのだ。
支持者も相手陣営に真っ当な批判を加える暇があったら自陣営に引き込む飴をたんまりと用意することに注力するべきだ。
人は飴で動く。金ももらえない相手からの鞭では絶対に動かない。「悪口を言われているような気がする」という記憶の残滓が秘密投票の場で鎌首をもたげるだけだ。
海外では太平洋戦争時の日本軍の特攻が自爆テロって呼ばれてるってやつ、左派の側から肯定的に語る人が多いけれど正直違和感あるんだよな
だって「自爆テロ」だと、(たとえ洗脳された結果であろうとも)当事者の意思で自発的に行うというニュアンスが出てしまうので
ネットの左派は前回、あんだけ政権交代とか大口叩いときながらボロクソに負けてちょっと現実を見たのか
今回はもう選挙で勝つこと諦めてるよね。まぁ岸田はどう考えても前回より隙が無いしな。
ネットで騒いだところで大局に影響がないことが確定してしまい、自然な投票で負けるなら仕方がないと応援すること自体を諦めてる。
で、やることがないけど影響があるフリはしないといけないから、やりだしたのがレドマツの落選運動ってわけ。
大局に影響がないどころか勘違いさせるカスの集団でも、ネット選挙だけなら影響力があるだろうと考えて唯一できることが新人のネット選挙候補のネガキャンをすること。
なんか悲しくなっちゃうよね。選挙の趨勢を決めると思いこんで勢いがよかった左派たちの限界が1議席左右できるかどうかも怪しい弱小な勢力だったなんて…
左派系野党が「減税」を掲げていることについて、正直うんざりしている。自分はゴリゴリの護憲派左翼なので、これまでもこれからも自民に投票することは絶対にないが、「減税」を掲げる野党勢力が大きく勝ってほしくないのが正直な気持ちだ。
たとえば、もし消費減税を掲げる野党勢力が選挙で大勝利して、減税しないと国会が収拾つかなくなった場合を想像してほしい。それを実行するのは左派系野党ではない。あくまで「消費減税するなら社会保障を3割削るぞ」と明言している自公政権(及びネオリベの維新)である。「社会保障費の膨張」に危機感を持つ財務省も、大ナタを振るうきっかけができて大喜びのはずだ。
このように左派系野党が大勝利して減税がめでたく実現した場合、社会保障は立て直すのも困難なまでにボロボロになってしまう。年金や医療が減るだけではなく、岸田首相が掲げる介護士や保育士の賃上げ政策も頓挫するだろう。減税で瞬間的に消費は増えるかもしれないが、長期的には将来不安で消費の慢性的な冷え込みをもたらすことになる。
もちろん野党は減税の財源を社会保障の削減に求めることには反対している。しかし他方で、野党の選挙の看板としては、「社会保障の維持と充実」ではなく「減税」が優先されている。減税を看板に選挙を戦っている以上、減税の生贄が社会保障になることに無責任であってはならないだろう。マックス・ウェーバーの『職業としての政治』でも読んでほしい。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/KenAkamatsu/status/1541296486759419904
赤松 健 ⋈ 参議院議員(全国比例)候補者 on Twitter: "作家が政治に関わることを嫌うファンは多いのに一本木先生が応援に来てくれたのは、状況がかつてないほど緊迫しているから。外圧や行き過ぎたジェンダー論など議論の中心に当事者がいないのはおかしい。漫画家生命を賭けて表現の自由を守り抜く覚悟…
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/kakitama/status/1541388284227907584
田川 滋 TAGAWA Shigeru 타가와 시게루 on Twitter:"20年前にも 「行き過ぎたジェンダーフリー」批判は統一教会や安倍氏など自民”保守”派から出ていましたね。
そこから様々な政治的介入が起こった。 非常に”自民的な用語”。 女性差別撤廃条約の批准とその履行としての男女共同参画法がターゲッ…
田川は前方一致で反応して持ってきたうえに
それぞれの中身をよくチェックしていない
(悪意ではなく能力のせいだと思う)
ので代わって解説する。
まず赤松のは
「外圧や行き過ぎたジェンダー論など議論の中心に当事者がいないのはおかしい。
要するに表現の自由を脅かす敵として「外圧」「ジェンダー論」を挙げている。
こんにちのコンテンツ上の表現への攻撃・抑圧は大体フェミニズム系活動家が絡むためだろう。
絵の女の子の表現に対する「性犯罪を誘発する」「性差別を助長する」といった主張、
またそのエビデンスが無い代わりに学問的な権威付けで補強する動きのこと。
いわゆる反家父長制的な動きのこと。
わかるだろうか。
「ジェンダー」を掲げる人の立場と主張がそっくり入れ替わってんだよね。
20年前の保守
「行き過ぎた自由、自己決定を至上とするフシダラな性やその表現を許すことは
これ現在ではまるで同じこと左派表現規制派が言うようになってるんだよね。
現在、自分の意志で仕事する胸の大きいモデルやAV女優を攻撃・抑圧するのは
左派は根拠を聞かれて困るとクレーム攻撃とか国連御注進とか議論拒否に出る。
Janssen ああ、ようやく分かった。赤松健氏の言動だから可視化されたけど、これが自民党候補のテンプレなんだ。「(マイノリティへの)過剰な配慮で俺たちの自由が奪われている」という多数派を抑圧されている側にする魔法。 政治 自民党 ジェンダー
むしろ赤松のようなオタク野郎を敵視するフェミニストが兼務で盛んにやっていること。
sadamasato 行きすぎたジェンダー平等論とか、「行きすぎた性教育」というモットーで、支援学校の性教育を弾圧した自民党極右の方々を彷彿とさせる物言いですよね。本気で教育現場からジェンダー教育を排除する方向へ進みそう。
人気2位のこの人も田川と同じ間違いをしてて
赤松が敵とする「ジェンダー論」を20年前からのジェンフリ議論と誤解し
かつての性教育反対運動を赤松が主張してる(どこでよ??)と誤読している。
キモオタが守ろうとしてるのは絵の中に開放的な女性を描き掲示する権利であって、実在一般女性に性に開放的になれと要求はしてないし、逆に実在一般女性を性的に抑圧しよう(反ジェンダーフリー)なんて動きはなおしていない。
そこにあまり関心のない中高年はついてこれなかったり逆の意味で認識したりしているということ。
li1ipqb0ooi1n キミが定義している「ジェンダー論」などというものは、実際には存在しない。そんなアカデミックな定義はない。キミがおもってる「敵」に「ジェンダー論者」というレッテルを貼ってるだけ。終了
yas-mal 「ジェンダー」という言葉には「性別」以上の意味はない(「セックス」と使い分けることに主張が入る場合があるが)。
haruyato 女性が何か男性の既得権益に文句を言うと全部「フェミ」とか「ジェンダー」のカギカッコにいれてしまってるだけじゃないかね。思考停止の結果じゃなかろうか。
この3人共通の異議は
「そもそも赤松は何故ジェンダーなんて言葉を持ち出したのだ!」だろう。
やっぱり赤松は表現と関係ない話をし始めてる保守オヤジなのか?
これについては明確な答えがある。
赤松の敵たる表現規制派が「ジェンダー」という言葉を使っているからだ。
千葉県警本部、松戸警察署、松戸東警察署、千葉県、松戸市、松戸市教育委員会宛の公開質問状を提出。およびその回答について。 – 全国フェミニスト議員連盟
国連女性機関が『月曜日のたわわ』全面広告に抗議。「外の世界からの目を意識して」と日本事務所長 | ハフポストNEWS
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_6257a5d0e4b0e97a351aa6f7
はい。
代表的な表現規制派で地位と権力を持つフェミニスト議連がまさに
自らの規制アクションの根拠として「ジェンダー平等」を掲げているのだ。
フェミニスト議連が表現規制根拠を「ジェンダー平等」としているので
対抗する赤松は「行き過ぎたジェンダー平等にNO!」と言ってたのだ。
フェミニスト議連の「表現規制はジェンダー平等」という主張を丸呑みして
対抗言説として「行き過ぎたジェンダー平等にNO」という言い方をしてしまったのだ。
それこそなぜか突然男尊女卑論を唱えてるだとか、
プーチンが「これはウクライナ開放だ」という言葉遣いをしたからといって
対抗言説で「ウクライナ開放にNO!」と言ったら別の意味にとられるのと同じ。
世間に声を出してから「あ、伝わらないじゃん」「あ、別の意味にとられるじゃん」と変えるのはよくない。
「行き過ぎたジェンダー平等」は誤解が生じてまずいから…「行き過ぎたジェンダー論」!
というのも未だにわかりにくいし、フェミニスト議連の言葉を参照しすぎ。
プーチンに対しては
「こんな侵略のどこが解放だ」「こんな大虐殺のどこが限定的軍事作戦だ」と突っ込むべき。
「表現規制のなにがどうジェンダー平等に資するのだ」と突っ込むべき。
表現規制の議論に「ジェンダー」を持ち込んだのは表自戦士の赤松くんではなく表現規制派のフェミニスト議連であるのはわかったよね。
表現規制の議論にジェンダー云々の語を持ってくるのが不適切だとか不自然だとかいうなら
そのクレームは赤松ではなくフェミニスト議連に向かうことになるよね。
casm
「僕の考えた愚かなるジェンダー論」だなぁ。「あいつらは知能が低いから、こういう知能の低い主張をしてるはず」っていう組み立て。
キモオタと戦うリベラル聖戦士団を愚かな低能だと言わんばかり。表自かお前は。
AKIMOTO
『この場合の(赤松が戦う)「ジェンダー論」とは』 これはどこで定義されてるの? これが本当だとすると「ジェンダー論」=「表現規制論」という意味で使われてるの? 政治 表現規制 ジェンダー
使われてるんです。上で見た通りです。
li1ipqb0ooi1n
キミが定義している「ジェンダー論」などというものは、実際には存在しない。そんなアカデミックな定義はない。キミがおもってる「敵」に「ジェンダー論者」というレッテルを貼ってるだけ。終了
フェミニスト議連様の「ジェンダー」用法がアカデミックな定義のないレッテル貼りだとぬかすか!
その通りだね。
yas-mal 「ジェンダー」という言葉には「性別」以上の意味はない(「セックス」と使い分けることに主張が入る場合があるが)。「ジェンダー論」と言われても、赤松健(と増田)が勝手に作り上げた謎概念とレッテル貼りでしかない
vtuberのへそが出てたらジェンダー平等への挑戦ってなんやねん。
それでなぜフェミニスト議連が「ジェンダー平等」言い出してたかだけど、
おそらく自分達の求める規制に法的根拠や科学的エビデンスが無いのを自覚してたため
li1ipqb0ooi1n くんが言ってる通り
アカデミックな定義に沿ってるとは到底思えない雑な言葉遣いだけど
でも社会思想って主にこういう使われ方してるし、学者からあんま反論もないよね。
vtuberの服に「性犯罪を誘発する」などと根拠ない非難をぶつけ抹殺することがどうジェンダー平等に資するのか、議論が分かれるところだし非難も多い。
でもフェミニスト議連様がそう言っているんだから素直に頭を垂れろよ。
繰り返しだが
赤松の言葉の取り扱いがガバついてるのは確か(政治家適性大丈夫?)。
だがそもそも「ジェンダー」という言葉の運用全般が歴史的にガバガバしており
この辺が定義の甘い謎概念だらけなのはむしろ左派に責任があるよね。
赤松くんが自分の相手として指す「ジェンダー〇〇」の表記揺れが激しいのは
左派や規制派による「ジェンダー〇〇」の運用方法がガバガバで恣意的だから。
Q.
A.
Q.
A.
Q.
結局「ジェンダー」ってなに?
A.
左派の頭悪くて無責任な人たちがグッチャグチャに運用してるジャーゴンだよ。
ブコメの左派の間ですら全然まとまってないのがよく読めばわかるよね。
「愛国的でないからこの表現は禁止!」とか言うやつと同じくらい頭悪いよね。
一部よくまとまってたトラバをそのまま使わせてもらいました。ありがとう。
おしまい。
NHK日曜討論で「消費税を下げると年金3割カット」と自民・茂木氏。社会保障を人質に消費税の負担を押し付ける。
なぜ財源といえばいつでも消費税なのか。大企業や富裕層への優遇税制は見向きもせずに。
なぜ削減するのはいつでも社会保障がターゲットなのか。政党助成金にすら指一本触れようとせずに!
https://twitter.com/pioneertaku84/status/1540888606361153536
これは共産党の人だが、日本の左派には15年前から一歩も進歩していない、こういうレベルの低い消費税批判が本当に多い。丁寧に批判しておきたい。
問)「なぜ財源といえばいつでも消費税なのか。」
答)財源として安定している。税収規模が大きい。OECD諸国(特にEU諸国)の導入実績も高い(逆に消費減税策の実例や実績が乏しい)。節税対策の余地が少なく、公平性が高い。
問)「なぜ大企業や富裕層への優遇税制は見向きもしないのか。」
答)法人税や富裕税は財源として不安定。税収規模もそれほど大きくなく、規模を大きくしようとすれば中間層を直撃する。法人税や相続税はOECD諸国も全体として下げる傾向、節税対策の余地が大きく、不公平感情を刺激しやすい。
答)単純に規模が大きいから。減税の財源として歳出の3割(国債費を除けば4割)を占める社会保障がターゲットにならないほうが不自然。
問)「政党助成金にすら指一本触れようとせずに!」
答)政党への企業献金が厳しく規制され、議員の歳費が微々たる日本で政党助成金を切ったら(特に立民と維新など新興野党は)政治ができなくなり、与党の一強体制が強化される。共産党は関係ないのだろうが。
ウクライナ情勢を見ると軍備は必要だけど、靖国参拝とかの復古的な動きはいらないと思うし、夫婦別姓や同姓婚なんかは進めていいと思う感じ。
そんなわけで比例は自民に入れればいいかなと思ってるのだが、選挙区の候補を選ぶのがなかなかキツイなと思ってしまった。
まず自民党の候補。元バレーボール選手にアイドルってなんだよ。政治家の素人じゃん。別に芸能界上がりでもいいんだよ、昔の東国原元宮崎県知事みたいに大学入り直して政治学勉強してまじめに政策訴えるようなことしてたら。(なお、増田本人は東国原元知事の実績はあまり評価していない。あくまで選挙に出る時の心構えが評価できたという話で。)
だけど、今回の候補者からはそんなエピソード全然聞かないのであまり推したくない。なんていうか、国会に代表者を送るなら優秀で実務能力のある人の方がいいよなと思ってるんで、別段有能そうに見えない人に貴重な一票を入れるのは躊躇われるのだ。
かと言って保守系野党や無所属の候補も微妙である。維新の候補は元スノーボーダー、ファーストの会の候補は知事の腰巾着、無所属のベストセラー作家は不倫やらかしたりして不誠実そう(家族すら大切にできない人がどうして赤の他人の国民の幸せのために働けるのか)という具合で、まともな保守系候補が壊滅状態なのだ。いっそ政治信条を一旦傍に置いて、真面目そうな左派候補から選んだ方がいいかも知れないとすら思う。
注目度の高い東京選挙区だからっていう事情はあるのだろうけど、頼むから保守系政党は手堅そうな経歴の候補を擁立してくれ。例えば大学教授とか首長経験者とか元官僚とかそういう実務能力ありそうな感じの。今回はもう諦めるけど、次は頼んだよ。
中立を装った左派媒体なのは100歩譲って良いとは思うけど、⚪︎か×がぱっと目に入ってわかりやすいように見えて、実際のところ自動車の教習所みたいな引っかけ問題っぽいやり方になってるのやめた方が良いと思うけどなぁ・・・
LGBTQ+コミュニティがリベラル的な思想になるのは世界的に見ても当たり前なのだけど、問題なのは日本のリベラル勢力を取り込んでいる左派コミュニティの殆どが9条護憲派であるということだと思う。
憲法改正自体が日本においてほぼ実現不可能だから解釈で解決しようとするのなら理解出来るんだけど、問題なのはそもそもとして左派コミュニティでは憲法改正自体がタブー視される傾向があって苦肉の策として解釈で解決しようとすること、そしてLGBTQ+コミュニティも左派に遠慮してしまってること。
本当に同性婚を実現したいのであれば、日本と世界の状況を比較して言及することや、人々の感情に訴えかけるようなやり方だけではなく、実現するための障壁を取っ払うことや、憲法改正が必要ならそれについてもきちんと議論できるようなスポークスパーソンも育成しないと、正直厳しいんじゃないかなぁと思うんですよね。
うだうだ長い文章を書いてしまったが、簡単に言えばLGBTQ+コミュニティの旗振り役は何故そんなに左派コミュニティの顔色をうかがってるのかということ。
自分が弱者なのにポリコレに冷ややかな目を向けがちで、むしろ自己責任思想に接近しがちな人たちがいる。
そういう人は強者ではないのに弱肉強食を指向するのはおかしいと言われがちだけれど、私は自己責任に寄っていく感覚もわからなくもない。
太古からの一般論としては、時代が変わるにつれて価値観は変化するし、概ね道徳観は向上していくものだ。
でも、ここ数十年の変化の方向(ポリコレと呼ばれることが定着したもの)が軒並み自分の生きやすさに繋がらない状況が続いてるなら、「ああ、少なくとも私が生きている時代の道徳の救済対象からは私は外れてるんだな」って絶望するのはわかるよ。
「自分が救ってもらえないから絶望するなんて甘いこと言ってないで自分で声を上げろ」って言いたくなる人もいるだろうけど、しかし、ちょっと声をあげた人も民間レベルでは叩かれるし、トランプみたいな大統領を誕生させるという「快挙」を果たしてもそれが世界の潮流を変えなかったという失敗経験は絶望を強めるに足る。
「日本は自民党が一強だし世界でも保守派が強くなってるのに、世界の潮流がポリコレ寄りと考えるのはおかしい」と言いたくなる人もいるだろう。
去年カズオ・イシグロがリベラルに苦言を述べた記事が話題になった時も、彼の「リベラル側の人が理解しないといけないのは、ストーリーを語ることはリベラル側の専売特許ではなく、誰もが語る権利があり、私たちはお互いに耳を傾けなければいけないということです」という発言に、非リベラルの方が政治的権力が強いじゃないかとの反論があった。
それについては、ジョセフ・ヒースがインタビューで紹介している考え方を踏まえれば、カズオ・イシグロの指摘も理解しやすい。
「文化政治を追求するのを選ぶ際に,左派の方が実はすぐれた戦略を採用していたとバノンの方は考えていた,という点です.『我々はホワイトハウスを占拠したが,かたやリベラルはハリウッドを占拠するのに専心している』と彼は発言しています.つまり,右派は国家を支配しているけれど,左派は文化産出の道具を支配しているというわけです」という部分だ。
ポリコレ的な思想が、ハリウッドやSNSのキャンセルカルチャーやSDGsを主導したことで、ある種の人間には「これから私たちの待遇はよくなりそう」と希望を与えたが、その希望の分配から取りこぼされた(にもかかわらず他人の希望実現のための協力は要請される)人間はポリコレに絶望したくなるのだ。
取りこぼされている人でも、最初の頃は素朴な正義感によって「今は私には直接益がないけど、でもマクロでは良いことだろうからポリコレ支持しよう」と考えることはあるだろう。
でも色々な物語や現代文化が自分を省みない方向に変化していく傾向が続き、私生活では自分が老いていく、そんな生活の中で絶望に接近する人が増えてしまう。
だから、これまでポリコレ思想が後回しにしてきたり、なんなら反省ばかりを促してきた「弱者とされない弱者」層にも、燦燦とした希望を与えなければいけない。
そのための物語をポリコレやリベラルの名の下に作らなければいけない。
最近だと同性婚禁止は合憲であるという地裁判決が出たが、それでも今後十年でパートナーシップ制度は広がっていくだろうし、改憲が行われれば同性婚が保証される目は十分にあるという希望は力強いままだ。
それと同種の希望を、弱者男性とか喪女とかインセルとかロリコンショタコンとかトー横キッズとか地方のおっさんおばさんとかプアホワイトとか反社反グレとかマイルドヤンキーとかにも見せなければ、彼ら彼女らの絶望と弱者強食自己責任への接近を防ぐことはできないだろう。
雑踏で凶器を振り回す物語、暗黒啓蒙の物語、面白パフォーマンスの政治家立候補者に投票して世間を困らせる物語、戦争が起きて皆が大騒ぎの物語、自殺の物語、それらよりも魅力的かつ彼ら彼女らが主役になれる物語が必要なのだ。