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2021-09-08

原発再稼働はある程度必要だ」をわかりやす

河野太郎が「原発再稼働はある程度必要だ」と言ったことが話題ですな。

河野太郎氏「原発再稼働はある程度必要だ」

https://mainichi.jp/articles/20210908/k00/00m/010/181000c

まず前提として、わかりやすくするために「大筋はあっているけれど細かい点は議論必要」という論調にするね。
そうしないと色んな主張が飛び交って議論が始まって主題が吹っ飛んでしまうから大体こんなもんだぞって程度にとどめておいて、細かい点は各々好きに考えろって感じでお願い。

んじゃいってみようか。
もっと意識してもらいたいことなんだけど「我が国は困窮すると戦争しがちである」んだよなぁ悲しいことに。

マジでこれ義務教育レベルの話なんだけどさ、江戸幕府が倒幕されてしま前後日本にはどんな事が起きただろうか?
まぁ簡単に言えば外国勢力日本(というか東アジア)に旨味を覚えてしまい、自分たち外国勢力の影響下圏へ置こうとする動きを察知して内戦して倒幕し対外戦争の準備を始めたんだね。
まぁもしかたらこの「日本国の正史」に違和感を得てる連中も居るかも知れないけど、一応コレは「日本国の正史」だし、たいていこんな感じの解釈一般的から異論は他でやってくれ。
ていうか内戦を例にすると戦国時代や各年代幕府政権が倒れたとき日本国は困窮していて、それが開戦のきっかけになっているんだけど細かいことはどうでも良いか

んで、日本がボロっクソにやられた太平洋戦争なんだけれどもコレも日本は困窮していたよね?いわゆる「ABCD包囲網」ってやつの影響で輸出入が滞っちゃって経済的に大打撃を受けたばかりか頼みの綱の継戦能力さえ失われる懸念が、何なら日本国が体をなすための国民を維持することすら難しくなりそうだったわけだ。
そこで日本は明らかに工作していたアメリカ宣戦布告ちゃうんだね。島国から貿易しないと好景気で膨れ上がった国民企業の数々を維持できないのよ。

その当時、まぁ今もだけど、非常に重要だったのは石油石油エネルギー密度が非常に高くて(江戸時代比較して)高度に発展した製造技術を支えるには石油メチャクチャ重要輸入品目だったんだ。
石油は燃やしてエネルギーを取り出す他にも残り滓すらアスファルトとして利用できるし、今の我々現代人もアスファルト恩恵は凄く受けているよね。プラスチックだって石油が元だし、今人気の不織布マスクだって素材はプラスチック、つまり原料は石油だ。
まぁ流石にその当時は現代ほど石油を広く活用できていたわけではないが、製造にも輸送にも石油は非常に重要ものであってのは想像に難しくないだろう。
外国勢力に怯えていたのが嘘のように高度に発展した日本国の生命線だったんだ石油は。

その生命である石油外国勢力によって抑えられてしまった日本外国勢力を打倒して奪うという選択肢を取らざる得なかったんだな。だって他の選択肢はほぼ間違いなく「今の日本」には繋がることはない選択肢であったろうから

さて変わって現代に進めるけれど、過去から現在にかけて日本の主要領土日本列島であることは変わっていない。
現代日本第二次世界大戦当時から比較しても更に高度な発展を遂げており、輸出入へ頼らざる得ない立地条件であるのは言うまでもないね
しか世界経済の動向は第二次世界大戦当時と比較して大きく変わっている。

なんと「石油使いすぎたら自然破壊へ繋がるし石油使用量を抑制すべきじゃね?」って議論が本格化してしまっているのだ!

特にEUは先鋭的で「一定以上の石油使用量(≒Co2排出量)を超えた製品EU販売させません!」っていう規制(CAFE規制)を設けちゃった。
これには各国大慌て、だって現在世界経済を支えているのはほぼ間違いなく石油で、石油があったからこそ経済発展したし、高度な製品も生み出せてこられたんだからね。
ただこれには抜け道があって、いわゆる「再生可能エネルギー」で補完した部分はノーカウント扱いで良いよって言ってくれてる。再生可能エネルギーって水力とか風力とか原子力とかそういうエネルギー源ね。

じゃあ石油から再生可能エネルギーへ乗り換えたら良いじゃんって思うでしょ?
実は再生可能エネルギーもっとエネルギー密度が高いのって原子力なんだよねぇ。そして日本東日本大震災で多くの原子力発電所を停止していたり、制限的な稼働をせざる得なくなっているというのが現状だ。
さてまとめてみよう。

  1. EU石油使用量(≒Co2排出量)を減らさないと製品販売させない規制を作る
  2. 日本東日本大震災原子力発電所が停止中で石油主体火力発電所に頼らざる得ない
  3. 石油使用量(≒Co2排出量)が多い日本EU製品を輸出できない
  4. 島国という立地条件から輸出入実質的に食ってる日本経済が困窮しそう
  5. 日本国の正史を参考にすると・・・

というわけで河野太郎が「原発再稼働はある程度必要だ」と言ったのは何も勢いとかノリで言ったわけでなくて、河野太郎は色んな評価があるけれども一応は日本の政治家なので日本経済を気にしてこういう発言してるわけですわ。あと「困窮するくらいなら原因を打倒したら良いんじゃね?」って選択肢が挙がらないようにする意味合いもあると思うのよね。
ドイツビスマルクさんも「愚者経験に学び賢者歴史に学ぶ」って言ってるし。まぁビスマルクさんの後輩がメッチャ迷惑かけてきてんだけどねw

まぁこんな感じですよ。
あぁそうそ原発反対派の皆さんに言いたいけど別にこのエントリ原発再稼働の支持を広める目的で書いたわけでなくて、河野太郎がなんでそんなことぶっこんできたのかをわかりやす解説するために書いただけだからカッカッしないでほしい。
個人的には原発に変わる安心安全な高密度エネルギー源があるならそっちでも良いなぁと思ってるよ。

2021-09-04

anond:20210904074528

不景気になるってことは経済政策が失敗してるってことだし、そこから好景気になれば経済政策が上手いって思われるからでしょ。

評価すべきは政策ではなくて政策の結果。

感情的に決まる民主主義政治

不景気になれば支持率が下がるし

好景気になれば支持率が上がるし

なんかね

政策評価してないわ

2021-08-21

anond:20210821000434

横田だが、理念はわかるが、金が絡むと悪いやつが利用しようとする可能性がある。

たとえば、JGPなら仕事を与えるやつにとっては他人をタダ働きさせられる良い手段なわけだ。

それこそ生活保護たか貧困ビジネスみたいな連中が関わってこないとは限らない。

それでも生活保護を受けるような人間は相当扱いにくく人を騙すことを厭わないくずみたいなやつもいるからある程度実力行使必要な側面はある。

また、クズみたいなやつも、何らかの高いストレスでそうなってしまたこともあるだろう。

次に、やはり好景気であれば極力次の供給増大に向けた産業人間供給したほうが良い。たとえばJGPが受ける人にとって居心地が良かったとして、インフレ失業率が低いときには終わらせることが必要

しかし、ある意味税金による既得権益となったとして果たして終了させることができるかなさらに、JGPキャリアにつながらないようなことをやらしてたとして、いい再就職につながるかな。

不景気好景気によって変動させて、好景気ときはなくす。障害者犯罪者のような雇用されづらい人間を中心に行う。JGP職業訓練に近いようなことをする、なおかつ、犯罪性向の高い人間精神医療と絡めながら善処するみたいなことは必要だろう。

好況時に終わらせるとなると、それこそ職業訓練給付を非常に幅広くするのが理想的JGPではないかと思う。場合によっては中卒、高卒大学中退終わった人間に、高校大学などに公費で行かせ直したりすることにJGP時代最低賃金で行うとかね。

2021-08-20

anond:20210819174705

コロナ収束後にすさまじい好景気が来るというのに、目の前のドーナツ我慢できないヒューマン愚かすぎない?

2021-08-17

anond:20210817081133

弱者は基本雇用者から、景気を良くして労働需要を上げて労働賃金を上げ、過重労働パワハラ法律制限する状態だな。最もパワハラ転職こそが最適の解だ。しか転職をしやすくするにも労働需要が高い必要がある。

最も働けなくなった段階では金を供給して休養させることだ。

結局弱者にどう金を回すかだ。だけども、新自由主義トリクルダウンも、マルクス主義の分配も機能しなかった。今成功したと言えるのは好景気状態労働需要をあげて、労働者の奪い合いか賃金待遇を良くしていったケインズ主義のみ。

2021-08-09

anond:20210809122416

対策産業強化して外貨借金を増やさないことだけどな。

新自由主義は近視眼的な見方なので、政府緊縮で財政均衡を狙おうとするが誤り。政府支出の一部は何に使えるかわからないが、将来の産業につながる段階の研究で、そのあたりを大破壊するからこそさら産業劣化させることも含む。

正解は、企業資金調達して支出するように誘導し、政府財政出動しなくてもよくすること。

無論MMT概念含めて財政出動で軽いインフレ好景気状態に導くことも含む。

2021-08-02

治安がわるいのは本人のせいじゃなくて境遇のせい

ここにもかなり思考理解不能人間がいるけど、

こういう境遇の人も多いんだろうなあ

貧困生活の果てに高校中退

 群馬県高崎市出身。両親は高崎市内で「フィリピンパブ」を経営していた。家族経営の店だったが、バブル時の好景気に乗って事業は拡大。最盛期には4店舗ほどに増えていた。ただ、フィリピンパブを営む家業には複雑な思いもあったという。

 子供時代から歌うことが好きだった。お店のステージで、フィリピン人ホステスたちに囲まれて歌うこともあったという。

 当時の夢は、「海外留学」だった。

 だが1989年バブル崩壊すると、日本全体が大不況に飲み込まれて行く。それにともない、彼女人生も一挙に暗転。実家経営するフィリピンパブ倒産父親は多額の借金を抱え、一家貧困生活余儀なくされた。

 父親は働いたが、多額の借金はなかなか減らなかった。身体の悪い母親まで働いていたが、家にはお金がない。それを見て、高校中退を決める。

 「お金がない中でも、どうしても海外留学したいと思ってたんです。ただ留学費用自分で稼ぐしかなかった。高校に通いながらバイトする程度では、とても留学費用には足りない。そう思って、高校は1年で中退しました。誰にも相談せず自分で決めました」

20歳で突き付けられた衝撃の「真実」

 三人兄妹の末っ子。上に兄と姉がいるという。

 ただその兄姉をはじめ、家族内の雰囲気に、幼い頃から違和感」を感じていた。

 「お父さんは私には優しいんですけど、お兄ちゃんお姉ちゃんには、無茶苦茶当たりが強くて……。小さい頃、『お前はうちの子じゃないんだよ』と言いながら、お父さんがお兄ちゃんを殴ったりとか、『お前は川から拾ってきた子供だ』って言ったりとか……」

 彼女には優しい父親が、なぜ兄と姉には辛く当たるのだろうか……。子供のころはまるで理解できなかったという。

 「末っ子から、私だけ可愛がられてるのかなって思ってたんですけど……」

 その後、大人になった偶然突き付けられた真実は、想像していたような生易しいものではなかった。

 「20歳の時に、パスポートを作ることになって、手続きのために戸籍謄本必要になりました。当時は上京していましたが、謄本を取りに、高崎市役所へ行きました。その時間違えて、私個人のじゃなく、家族全員の戸籍謄本を取っちゃったんです。それで、お兄ちゃんお姉ちゃんは、私とはお父さんが違うことを初めて知りました」

 母親再婚で、兄と姉は母親の連れ子。

 一方、彼女父親の実の娘で、兄と姉とは「種ちがい」の関係だった……。

 衝撃的な事実ではあったが、兄と姉に対する父親の態度に、ようやく納得がいったという。

 「戸籍謄本を見て、速攻でお母さんに電話しました。『お兄ちゃんお姉ちゃん、お父さんが違うんじゃん! なんなら離婚もしてるじゃん』と。そうしたら母親がこう言ったんです。『今の時代バツ2バツ3くらいついていないと、やっていけないんだよ』と。あまりに予想外の返事すぎてビックリしました(苦笑)」

 「私のお母さんって、ある意味で肝っ玉母さんタイプっていうか、変に逞しいところがあるんです。私がAVを始めた時も、止めるどころか、『あなた人生なんだから、好きにしなさい』と。

 戸籍のことも、いずれ時がきたら自ずと知ることになるし、その時になったら話せばいいと思っていたそうです」

2021-08-01

anond:20210801145546

いずれにしても好景気化して、労働需要が高まればそのサイクルが切れますな。

2021-07-03

anond:20210703220135

ウヨサヨ両方だっつってるだろ。

からたこともない性的マイノリティーや海外弱者がどうのこうのばかりで、国内貧困者は完全においていった。

貧困者を救うには好景気労働需要が高い状態をするか、具体的に給付をするしかないんだが、そういう方法自体が欠落しているのが左翼の主流派

anond:20210703122333

機械を作るにも資金調達して金をかけることと機械設計して作る人間必要やで。

好景気労働需要が高く労働者が強い状態では、最低賃金上昇や、労働規制を増やすことも可能だろう。不景気でやると失業を作ってしまうが。

まずは好景気労働需要が高い状態を作ってからの話だ。そもそも不景気では金を貯め込み設備研究投資をしなくなるため、機械化も起きない。それが故の日本の衰退という側面もある。

2021-06-27

絵を買う

父は絵を買う人だった。

バブル好景気を受けて小金持ちだった父は、絵を買うことが多かった。

私がよくわからない絵もあったが、いまならネタになるかもしれないラッセンの絵をかっていた。

一緒に父と、母と、ああでもない、こうでもない、私はこれが好き、と話すのは、嫌いではなかった。

いまは不景気なった。

現金でぽん、と絵を買うこともなくなった、と思っていたけれど、最近またネットオークションでたまに父は絵を買う。そして額装をちゃんとして、飾っている。

にこにこして見ている父の顔が、嫌いではない。

私も先日初めて絵を買った。

一万円程度、家族の絵をオーダーした。

わたしはその絵が完成するのをニヤニヤしながら待っている。

そんな自分が嫌いでない。たのしみ。

2021-06-18

人生ガチャである高卒年収850万の研究である私が保証する。

現在自分ステータスは次の通り。

年齢:43歳

職業半導体ケミカル研究職、専門はエポキシ・アクリル樹脂組成

勤務先:電子材料大手

実績:日本特許出願数15(内筆頭12)権利化6、海外PCT出願数10(内筆頭8)

年収:昨年源泉740万、今年見込み850万

学歴高卒普通高校

自分は非常に人生ガチャの運が良い。

この時代に生まれたのは良いのか悪いのか分からないが、少なくとも父親ガチャSSRである某国大の教授だった。しか学会長を歴任した等、経歴的に素晴らしいレベル教授で、専門分野ではとても有名人だったと後で知った。もちろん上級国民である

母親ガチャはNで、こっちがR以上だったらもう少し上に行けたかも知れない。色々と私の人生の脚を引っ張ってくれた。父の知り合いの米大教授斡旋してくれた留学許可しなかったし、家庭内不和を招いたのも常に母親だった。私は非常にこの母親を憎んでいる。あまりにムカついたので、父の退職離婚させた。今はナマポ生活しているようで、いい気味である

私は努力が大嫌いだ。ゆえに勉強も大嫌いだ。なので、大学はどこにも受からなかった。父は「お前は日本教育が合わないのだろうからアメリカにでも行け」と留学させようとした。結局それも叶わず高校卒業と同時にニートになった。時折バイト等してある程度収入はあったし恋人も出来たが、そこから13年あまりニートを決め込んでいた。

しかし私が英一郎されなかった理由人生ガチャだ。転換期が訪れたのは父の退職が切欠だった。それまでは父の家族カードで月に20万円程度遊びに使い、なかば英一郎状態だったが、退職してしまってはもうそんな生活は出来そうにない。そこで私は親コネでの就職を考えた。父は産業界には疎いタイプだったので、「俺が現役時代だったらもっと良い企業を紹介出来たのに惜しい」などと言いつつ、何社か紹介してくれた。それらをすべて受けてみて、唯一内定したのが今勤めている企業である。この企業の主力商材について、父はまったく何も知らなかった。ゆえに私も一切知らなかった。電子材料というのがどれほど強いのかを嫌というほど知るのは入社後の事である会社ガチャ文句なくURだ。

コネなので、高卒バカがいきなり正社員技術採用になった。商品開発部の課の一つに配属された。当時からアホのように儲かりまくっている会社だったため、周囲は温厚な人物ばかりで、遅刻しようが無断欠勤だろうが大して怒られもせず、ボーナスちょっと減るくらいのペナルティで済んでいた。が、客先でケンカになった事だけは重く受け止められ、アイツを社外に出すのはマズイ、というような話になって研究部門へ転属になった。

この研究部門はチームで何かをやるという発想がそもそも存在せず、すべて個人で考え計画し実行し結果を残すという、実績評価の1人屋台状態だったことが幸いした。配属ガチャSRくらいだろう。私は、周囲の技術部等の人が、時間がなくて出来ない研究を片っ端からやっていった。その結果、エポキシ樹脂組成物、アクリレート樹脂組成物においての知識力は社内で指折りという研究者になった。まさに門前小僧習わぬ経を読むだろうか。

電子材料業界において樹脂組成物の研究者というのは希少価値の高いキャリアであるため、ヘッドハンティングオファーはそれなりに来るし、外資に移れば4桁万円プレイヤーになるのも容易である。今の立場の方が色々と楽なので、特に考えてはいないが、まかり間違ってこの会社左前になったとしても、転職はいくらでもあるだろう。

コロナ騒ぎで、電子材料業界は空前の好景気となった。私がそれを知ったのは昨年5月の狂気じみた受注量によってであるインサイダーにならないように少し外れた関連銘柄を買い漁って、平均4倍程度になった。売却益で新車1台買えた。

私は別に努力して今の立場になったわけではない。単に親ガチャ就職ガチャ会社ガチャSR以上引きまくっただけだ。故に、人生とはガチャである確信している。人生を決める最大の要素は運だ。

ちなみに嫁ガチャはNだった。家も買ったがRくらいだった。クルマもNだろう。子供は居ない。生活ガチャはあまり良くないようだ。

2021-06-06

人生ガチャである高卒年収850万の研究である私が保証する。

現在自分ステータスは次の通り。

年齢:43歳

職業半導体ケミカル研究職、専門はエポキシ・アクリル樹脂組成

勤務先:電子材料大手

実績:日本特許出願数15(内筆頭12)権利化6、海外PCT出願数10(内筆頭8)

年収:昨年源泉740万、今年見込み850万

学歴高卒普通高校

自分は非常に人生ガチャの運が良い。

この時代に生まれたのは良いのか悪いのか分からないが、少なくとも父親ガチャSSRである某国大の教授だった。しか学会長を歴任した等、経歴的に素晴らしいレベル教授で、専門分野ではとても有名人だったと後で知った。もちろん上級国民である

母親ガチャはNで、こっちがR以上だったらもう少し上に行けたかも知れない。色々と私の人生の脚を引っ張ってくれた。父の知り合いの米大教授斡旋してくれた留学許可しなかったし、家庭内不和を招いたのも常に母親だった。私は非常にこの母親を憎んでいる。あまりにムカついたので、父の退職離婚させた。今はナマポ生活しているようで、いい気味である

私は努力が大嫌いだ。ゆえに勉強も大嫌いだ。なので、大学はどこにも受からなかった。父は「お前は日本教育が合わないのだろうからアメリカにでも行け」と留学させようとした。結局それも叶わず高校卒業と同時にニートになった。時折バイト等してある程度収入はあったし恋人も出来たが、そこから13年あまりニートを決め込んでいた。

しかし私が英一郎されなかった理由人生ガチャだ。転換期が訪れたのは父の退職が切欠だった。それまでは父の家族カードで月に20万円程度遊びに使い、なかば英一郎状態だったが、退職してしまってはもうそんな生活は出来そうにない。そこで私は親コネでの就職を考えた。父は産業界には疎いタイプだったので、「俺が現役時代だったらもっと良い企業を紹介出来たのに惜しい」などと言いつつ、何社か紹介してくれた。それらをすべて受けてみて、唯一内定したのが今勤めている企業である。この企業の主力商材について、父はまったく何も知らなかった。ゆえに私も一切知らなかった。電子材料というのがどれほど強いのかを嫌というほど知るのは入社後の事である会社ガチャ文句なくURだ。

コネなので、高卒バカがいきなり正社員技術採用になった。商品開発部の課の一つに配属された。当時からアホのように儲かりまくっている会社だったため、周囲は温厚な人物ばかりで、遅刻しようが無断欠勤だろうが大して怒られもせず、ボーナスちょっと減るくらいのペナルティで済んでいた。が、客先でケンカになった事だけは重く受け止められ、アイツを社外に出すのはマズイ、というような話になって研究部門へ転属になった。

この研究部門はチームで何かをやるという発想がそもそも存在せず、すべて個人で考え計画し実行し結果を残すという、実績評価の1人屋台状態だったことが幸いした。配属ガチャSRくらいだろう。私は、周囲の技術部等の人が、時間がなくて出来ない研究を片っ端からやっていった。その結果、エポキシ樹脂組成物、アクリレート樹脂組成物においての知識力は社内で指折りという研究者になった。まさに門前小僧習わぬ経を読むだろうか。

電子材料業界において樹脂組成物の研究者というのは希少価値の高いキャリアであるため、ヘッドハンティングオファーはそれなりに来るし、外資に移れば4桁万円プレイヤーになるのも容易である。今の立場の方が色々と楽なので、特に考えてはいないが、まかり間違ってこの会社左前になったとしても、転職はいくらでもあるだろう。

コロナ騒ぎで、電子材料業界は空前の好景気となった。私がそれを知ったのは昨年5月の狂気じみた受注量によってであるインサイダーにならないように少し外れた関連銘柄を買い漁って、平均4倍程度になった。売却益で新車1台買えた。

私は別に努力して今の立場になったわけではない。単に親ガチャ就職ガチャ会社ガチャSR以上引きまくっただけだ。故に、人生とはガチャである確信している。人生を決める最大の要素は運だ。

ちなみに嫁ガチャはNだった。家も買ったがRくらいだった。クルマもNだろう。子供は居ない。生活ガチャはあまり良くないようだ。

2021-05-24

anond:20210524220403

日本車を壊す時代があったからでしょ

ジャパンバッシング

1970年代アメリカ合衆国経済が、インフレーション景気後退に苦しむ傍ら、日本世界第2位のGDPを誇るまで経済成長を続け、対米貿易10年間以上も黒字を続けていた。一般的にこの時期の円は実力以上に安かったと考えられており、ここから米国内の対日感情悪化する。

世界への輸出を伸ばし続ける日本に対し、米側では貿易関係者通商産業省を「ノトーリアス・ミティ(Notorious MITI、悪名高き通産省)」と表現したり『ジャパン・アズ・ナンバーワン』という書籍ベストセラーになるなど「驚嘆すべき成功を続ける日本経済」への関心が一般市民の間でも好悪両面で高まる

1980年に、アメリカ合衆国大統領がカーターからレーガンに交代しても、前半は米大手自動車メーカーゼネラルモーターズ生産規模を大幅に減らしリストラを行うなど[1]米国経済の迅速な改善はなく、失業率は一時10%に迫った。

対米貿易で莫大な黒字を拡大し続ける日本は好況に湧き、1960年から日赤字を続けるアメリカ不況に沈み、米国自動車メーカーは、1970年代終わりから1980年代にかけて壊滅的な打撃を受ける。この対比は米国人の対日感情悪化させ、米国では日本市場特殊性を閉鎖性とみなし、極端な円安問題視して「ずるい日本」とみなす議論に支持が集まるようになる。反日感情高まるなか、1982年には中国系アメリカ人技術者ビンセント・チンが日本人と誤解されて、3人の白人に撲殺される事件も起きた[2]。

不況反日世論の高まり、各業界から突き上げを背景に、アメリカ合衆国連邦政府は日本国政府に市場開放、輸入拡大を強く迫り、米国の輸出を妨害するものとして日本側の為替レートや業界慣行、関税を次々と遡上にあげることになる。日本側はこれに対して、1970年代に続いて輸出の自主規制約束したり、農産品の輸入拡大を約束したり、関税の引き下げを約束するなど、繰り返し協力的な姿勢を示そうとするが、市場シェア日本製品に奪われている米業界団体は、相次いで日本ダンピング等の法令違反提訴し、対日感情改善しなかった。

米国経常収支赤字になると、日本が不公正な貿易障壁を築いているとの批判が、1984年にも再び強力になり、日本アメリカ対日感情悪化を緩和しつつ、自国産業も保護したいなか、円安是正や輸入の拡大を約束し、市場開放のための規制緩和約束するが、大きな効果はなかった。1985年には先進国首脳会議の蔵相・中央銀行総裁会合で、為替ドル安に誘導するプラザ合意実施され、ドル円の為替レートは大幅なドル安に転じたものの、これによっても米側の対日輸出は期待したように伸びなかった。

アメリカの対日赤字は拡大を続け、米国内ではますます日本貿易障壁への批判が強まった。米国日本金融関税など税制ソフトウェアなど多くの分野で数多くの障壁を築いているとして強硬に迫り、日本側はそのたびに米側に妥協案を示すが米側は形だけの不十分な譲歩と見て日米の認識の溝は埋まらなかった。

この時期の米国からの「日本自由貿易を掲げる経済大国であるにも関わらず実際には保護主義的に振るまい自国市場へのアクセス制限している」という二枚舌批判本音と建前を使い分けるという批判について、日本側も納得していたわけではなく、メイドインUSAが選ばれないのは日本側の発展によって日本製品がアメリカ製品の質を全体として上回るようになり、消費者にとって粗悪なアメリカ製を選ぶ理由がないためだとする見方が強かった。日本側では米側の要求については、生産性の低い米国産業の問題を棚に上げて国力の差を背景に日本ねじこみをかけていると理解しており、理不尽押し売りであると見ていたが、内需拡大を繰り返し約束した。

1985年になると米国の景気も目に見えて改善していたが、日本好景気はそれ以上に目覚ましく(バブル経済米国では20年間にわたって莫大な対日赤字が続く上にGDP比の経常収支赤字過去最高を記録し、対日本心理に目立って和らぐ部分はなかった。この時期はハリウッド映画でも日本側が日本叩きと受け取る描写が珍しくはなく、1985年から製作が始まったワーナー映画でも登場人物日本製の電子機器を悪く言うセリフが見られる。1987年4月には、アメリカ政府は日本ダンピング理由日本製のパーソナルコンピュータカラーテレビなどに異例の100%の制裁関税賦課した[3][4]。

2021-05-20

anond:20210520161536

携帯電話が登場したことによる人間関係の変化」とか「YouTubeが登場したことによるメディアに対する感覚」みたいなところは変わるけど「社会の閉塞感」みたいな漠然としたものに対する感性はなかなか変わらんよ。いまから中国並に好景気になれば別だろうが。

2021-05-16

anond:20210516182411

基地があるので、政府もいろいろ配慮して沖縄は空前の好景気なんだよね。

そのお金はだれかが貯めこんでるか、誰かが抜いているか

2021-05-14

災害や不幸になれることが一番恐ろしい

去年の今頃

俺「コロナ流行ってますね」

先輩「マスクも徐々にでてるそうだぞ」

俺「夏頃までには収束兆しでませんかな」

先輩「どうだろうな。クリスマスも危ないかもな」

俺「あ、東京感染者増えてますね」

先輩「お互い、頑張っていこうな」


こんな感じだった。もう今は感染情報すら見ていないか明日の天気くらいにしか思ってない人が多い。

自粛要請というサービス残業のような矛盾した言葉が当たり前になり、誰も外に出ることを怖がらなくなった。医療崩壊日常で、既に経済自粛かなんて真剣考える人はいない。どんな災害現在進行形で進んでいようと人間は忘れようとする生き物なんだなと改めて思った。不幸になれたらそこから這い出るのは難しい。不景気が30年以上続いているから、いまの主力世代好景気なんてのはビットコインくらいでしか知らない。慣れてしまえば異常を感じない。

2021-05-11

あーあ小沢一郎総理大臣になってほしい

そしたら日本の景気はよくなるのに

戦後ドイツぐらいの好景気になるのにな

2021-05-08

anond:20210508175502

インフレ需要が高く、供給が低い時に起きる。

今みたいな政府の緊縮と基礎萌芽研究投資不足、不景気企業が金を貯め込み設備研究投資をしない状態放置すれば外貨が稼げなくなっての輸入由来のハイパーインフレは将来起き得る。

しかし、必要なのは政府の緊縮ではない。政府が基礎萌芽研究投資と、財政出動による好景気化をして、企業資金調達して設備研究投資をして外貨を稼げば輸入由来のハイパーインフレは起きない。

他に、石油産出地全部で戦争が起きたり、そもそも日本本土全体が戦地になるような状態になってもハイパーインフレは起き得る。

ただ、解は「供給が破損しそうなものには事前に対処する」ことが解。政府の緊縮はむしろ不景気かと産業劣化を招いて逆効果

anond:20210508181053

政府の緊縮、企業が金をためこんで設備研究投資をしない→外貨を稼げなくなり輸入由来のハイパーインフレがおきる。

政府が基礎萌芽研究投資を含めて財政出動し景気を良くする、企業好景気と税誘導設備研究投資をする→外貨を稼げて輸入由来のハイパーインフレが起きない。

前者の道をひたすら進んでいるのが新自由主義30年の今。政府の緊縮が故に産業劣化ハイパーインフレが起きる。

2021-05-07

旅行行かなくなった金を

国内地元で消費してたら絶対経済良くなってたのにな

国民自ら好景気のチャンスを不意にしたの自業自得だろう

2021-04-04

の子供は好景気を知らない

まれる前、原子状態ダンスフロア熱狂してた可能性はあるのかもしれない

2021-03-23

髪が伸びる日本人形を大量に買ってきて、

カツラ用の毛髪牧場を作ったら儲かるのではないだろうか、と今更思いついた

羊の毛のようにバリカンで根こそぎ毛髪を刈っても人形の頭から髪は生えてくるため問題ない

というか、人形の発毛メカニズムを解明して特許を取得して独占すれば大儲けである

コロナ禍も今年で収束するみたいだし、アフターコロナに来る好景気に備えて、

新しいビジネスを考えたいところ

というか、ITはもうやりたくないのである

2021-03-01

夫婦別姓婚の当事者に聞く、子供の姓をどうするか(2032年3月

 早いもので、2020年代の初頭に選択夫婦別姓法律で認可されて以来もう数年が経とうとしています

 市役所調査によりますと、現在では別姓婚を選択した人は32%と、かなり社会に浸透しているように感じられます現在婚約をされている方の中にも、別姓婚を選択しようと考えている方も多いのではないでしょうか。

 さて、そこで見落としがちなのが子供の姓です。父親母親の姓は別、では子供の姓はどうするのか。意外とそこで夫婦間の意見に食い違いが起きる場合があるようです。

 予め子供の姓について話し合いがあっても、例えば一人目や二人目までは決めていても三人目をどうするかで揉めたり、あるいは経済的子供を作らない選択をしていた人が、昨今の好景気子供を作る方針に変えた結果、姓の方針議論が起きたりなど――。

 そこで今回は子供の姓に悩む皆様の参考になればと、夫婦別姓選択したうえで第三の選択を選んだ、譲さん真矢さんのご夫妻に話を伺いました。


 ―― 初めまして。譲さんと真矢さんはお子様に、お二人の姓とは別の、まったく新しい姓をつけたとお伺いしました。法律で認められているとはいえ夫婦どちらでもないまったく別の姓を付ける方は珍しいそうです。その新しい姓は、どなたがお決めになったのでしょう?

 真矢さん 分からないんです。

 ―― 分からない、とは?

 譲さん 最初は、私たちは全く新しい姓を付けるつもりはなかったんです。夫婦で話し合った結果、私の姓を子供に与えるつもりでした。ですが……。

 真矢さん この子が生まれときのことです。私たちは人工子宮による妊娠を選んだので、産科医の先生に呼ばれて二人で出産に立ち会いました。手術医をいただいて、子宮が切開されるところを見守っていたら、息子の顔が見えたところで――。

 譲さん 息子が、自分の姓を宣言したんです。

 ―― なんと。失礼ですが、それは聞き間違いや勘違いなどではなく?

 真矢さん はっきりとした発声でした。産科医の先生証言してくださったので、間違いはないと思います

 ―― なるほど、それで、今までの話し合いを捨て、赤ちゃん宣言した姓を選んだという事ですね。

 譲さん はい、息子の意思尊重しました。できれば名前の方も意思確認たかったのですが、それ以来まだ息子ははっきりとした言葉を喋っていないので夫婦暫定的つけました。

 ―― それにより、何か変わったことはありましたか

 真矢さん 目立ったことはないと思います。夫の両親も私の両親も、私達の選択尊重してくれました。ただ、時々自分の子供がほんとうに自分の子供なのか、分からなくなることがあるんです。

 ―― それは、夫婦どちらとも姓が異なるという理由ですか?

 譲さん いいえ。姓が異なるという事は問題ではありません。ただ、子供自分で姓を宣言したという事は、私達でなくほかの誰かから事前に姓を付けられていたのでは、と考えてしまうのです。そして私たちから与えられる姓を拒絶した、とも。

 真矢さん そうなると、この子には両親より大切な「自分に姓を与えた誰か」がいて、真の両親とはそちらの方なのではないか、と考えてしまうんです。

 ―― なるほど。名前とは親が最初に与える子供へのプレゼント、という考え方ですね。大変興味深いです。本日ありがとうございました。

 いかがでしたでしょうか。子供名前と姓、それらを取り巻く複雑な問題について読者の方の理解一助になれば幸いです。

 人生においては様々な選択と、それに伴う後悔が付きまとうものです。少なくとも姓の選択においては、両親だけでなく子供にも後悔のない選択が選ばれるように祈っております

 (了)

 (写真は穏やかな顔で眠る天上天下唯我独尊 仏陀ちゃん(1歳))

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