はてなキーワード: 古語とは
最近どころかかなり以前から、〇〇テロとかいうスラングが流行っています。流行りというよりももはや、定着してしまっているみたいですね。例えば「飯テロ」とか「バイトテロ」とかです。TwitterとかSNSとかでスラングとして広まりもしましたが、マスメディアや広告代理店が流行らせたのとどちらが先か、私にはよく判りません。
そもそもテロリズムというのは、テラー・イズムだからテロリズムなのですから、つまり目的のために恐怖を与える手法のことをテロリズム、略して「テロ」といいます。こうした語彙の意味もおそらく解っていない人が、〇〇テロとかいう造語を安易に用いているのでしょうね。
「ゲリラ的」と言っていた場面でさえも「テロ的」とか言う人が出てくるようになって、意味が全く判りません。そのうち、「緊急企画」などという大げさな表現がありますが、それも「テロ企画」って言うようになるかもしれませんね。
世界的に見てもおそらく通じない、恥ずかしいことだと思います。冗談では済まないんです。テロというのは、大量殺戮と恐怖なんですから。
昔からそうなのでしょうけれど、今の日本人はさらに、言語の扱い方を解っていないと思います。昔から、字はせっせと教えられ、習字、言い換えれば「かきかた」は執拗にやりますよね。
けれど、修辞をやらないんですよね。
「国語教育」とか「日本語」とかいう語彙が明治期以降なのでしょうが、広められ定着させられました。けれど、古来の言語は「やまとことば」(和語)で、中国から漢語を書きことばとして受容し、やまとことばを書くためにも漢字をあてるようになったものです。だから、「古文」(「古語」)と「漢文」という各教科が、意識的に設定されていました。しかし今って、ほとんどの人は、「日本語」と称するものがいったい何なのかを解るのではなくて、むしろ単に「コピペ」で話したり書いたりしています。
「ゆとり」とかいう以前から、丸暗記、思考停止のコピペ教育なんですよ日本って。
何が変わったかというと、戦後から今にかけてずっと、都会へ引っ越してきた世帯が増え、いわゆる核家族化もし、同時に会社人間化(社畜化)、学歴という階級差別で親が教育をやらなくなり、さらに(貧困への退行による)共働きが増えたわけですね。だから、親や祖父母が教えなくなった、そもそもの教える能力もなくなった。本に書いてあること、新聞やテレビにあること、学校や塾や予備校でやることばかりが、皆に刷り込まれるようになりました。
我々は戦後から今に至るまで、食べ物にしても人為的に大量生産されたものを食べることが多くなり、生きたものを調達して最初から調理することは減りましたし、「外食」のように他人が作るもの、それもチェーンやフランチャイズの均一規格品を食べることが多くなりましたよね。
実は、野菜ですら、人為的に交配・生殖されて共通の遺伝形質をもつ第1世代交配雑種(F1種)が多くなっていて、遺伝子組み換えでなくたってもう、均一規格品化が進んでしまっています。ましてや、霜降り牛肉とかブロイラーとか、言わずもがなです。そして我々の肉体は、そうしたものを食べたり(飲料を)飲んだり(気体を)吸ったりしたものから形作られています。ですからもう、肉体の共通規格化や、生物としての異変が、そのことに気がつくか否かを問わず進んでいます。
同じように、精神、人格も、共通規格化が進んでしまったわけです。教わることも、人生経験も、ワンパターンになっていきました。そうして我々は、大量生産の共通規格品になっていったわけです。
それが生物として、人として異常だから、本能的あるいは意識的に、抗おう、闘おうとする情動が沸いてくることもありはしますが……。おそらくたぶん、その多くは本能的なものにすぎないのではないかと思います。
ともかく、考えずにコピペで言うようになりましたから、その社会通念がたとえ間違いであったとしても、差別やヘイトであったとしても、自覚なく平然と言う社会になります。間違っているという自覚が起こらないんですよね。固定観念なんだ、偏見なんだという自覚がないままに、皆が平然と酷いことを言うんです。
実際には、人それぞれ異なるわけですから、どうやっても完全には共通規格化はしません。もしもかりに皆完璧に同じになったとしたらパンデミックで滅ぶんでしょうけれどね。完璧に同じではなくとも、皆同じことしか考えられない世の中は創造性がなく、トラブルの解決能力もなくなります、既にそうなっています。
完璧には同じになりえないのに、社会全体に広まっている偏見を我々全員に適用しようとするから、うまくいくわけがありませんし、間違っていますし、軋轢も起こります。その軋轢に耐えることを事実上強制されるのは大概、権力や数の圧力をもたない方。
それで事件が起こることもありますし、人が死ぬこともあります。かりにそこまでいかなかったとしても、人というものは、大半を言語で思考する生物ですから、言語が荒廃していると精神や人格も荒廃します。そして社会とは人々で構成されていますから、荒廃した人々で構成されている社会は荒廃しています。
そしてそれで、そんな日本人が世界に通用すると思っているとしたらおかしいでしょう。己の母語もまともに扱えない者が、他人とどうやって対話するのでしょうか。それどころか、欧米の論理ですらも全人類には通用しません。人類の自己中心的な論理も地球や宇宙には通用しません。だから、日本人と称するものは救いようのない低レベルだと思うんですよ。
Facebookはリアルな友人関係が少しで、Twitterのオフ会で仲良くなった人らがメインなんだけど、
TwitterでもたまにウヨいRTがきてうわぁってなるけど、左よりなのは少ない感触がある。
特にFacebookだと、友達のみ公開にしてウヨい発言してる人がいるけど、ネットだと本音を言いやすいんだろか。
大企業に務めてる人とか社長(といっても、当然中小零細企業だが)とメンヘラ。
まあ彼らは社会的強者だから、体制側になるのはある意味必然なんだけど、
そんだけ見下してるなら、中韓なんて、相手にしなきゃいいじゃんと思うんだけど。
困るのが、取引先の社長と二人で車でどっか行くときに、ひたすらいかに中韓がダメかという話をされること。
別の会社で2度ほどあった。取引先だし、面倒臭いから適当に話を合わせるんだけど、
車の中でひたすらウヨい話を聞かされるのは、地味に拷問だった。
ネットde真実(もはや古語)な話をひたすらされてみろよ。キッツいぜ?(笑いをこらえるという意味でも)
自分より社会的弱者のはずの「在日」が、「特権」を得ているのが不愉快で叩きたいんだろうか。
ただ、ガチサヨが何故かいない。どっちかというと、自分は左寄りなのに、不思議だ。
トランプ勝利で、ポリコレ棒を回避した隠れトランプ派が云々といわれたが、
自分の観測範囲では、隠れてなくて、ネトウヨはわりといる。が、左翼はいない。
ノンポリ層の方が多いってだけなんだろか。
非常におもしろかった。
たとえば古語でも、黄昏(たそがれ)時と「かわたれ時」っていう、音韻からみても字数からみても意味から見ても非常に混同し易い言葉を日本人は山ほどつくってはそれで遊んできたんだけど、それを急に脈絡なく口に出すと自分にはとろけたチーズの糸みがいな文脈がつながっているのに、相手にはワープもいいところで連想が追いつかず迷惑になるというやつね。とかいう例えまみれの長文をしゃらっと作れる自分もちょっと短文になるとどこまで剪定していいのか未だに苦労はする。たとえが先に思いつくんだ。
糖質のワードサラダは、体験をつくっちゃって不愉快なんで、似て非なるものだと思う。というかうーん、色彩が違う。
だけど、その糖質の友人と自分のちょっとトビ気味の話題についてきてくれる共通の友人がいるんだよね。
一度どのように相同性があるとみえるかきいてみたいな。
トビリシ(グルジア語: თბილისი, Tbilisi [tʰb̥ilisi] ( 聞く))はグルジア(ジョージア)の首都。ときにティフリス(Tiflis)とも呼ばれる。
トビリシは「あたたかい」を意味するトビリに由来し、温泉と関係あるとされている。元史には梯弗里斯とも呼ばれる。
人口は約120万人。
5世紀に古代カルトリ王国(後にイベリア王国とも言われた)の王ワフタング・ゴルガサリ(ワフタング1世)がここに町をつくり、
王の死後、息子のダチが遺訓に従い、6世紀の初めにムツヘタから遷都した。
統一したグルジア王国の都ではなく、コルキスを含まない東グルジア(カルトリ)の都であった。ワフタング・ゴルガサリ王が
この地を発見したのには、有名な言い伝えが残っている。王が狩に出かけ、鷹を飛ばした。鷹は雉を追いかけて飛んでいったが、
鷹も雉も行方不明となった。従者たちが探し回ると鷹も雉も温泉の中に落ちていた。温泉を発見したワフタング・ゴルガサリは
それをとても気に入り、この地に町を作るように命じた、という。グルジア語の古語で"Tpili"とは「暖かい」という意味で、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%93%E3%83%AA%E3%82%B7
票田の話ですよ。民主的な組織であればあるほど、パーセンテージが低く評価が低くなってしまうわけ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/dailycult.blogspot.com/2016/05/blog-post_27.html
例外なく鼻白む。
そういう表現が出てきた時点でもう続きは見ない。親と一緒にテレビ見ててエロいシーンになったときの気まずさ以上の物がある。よくみんな平気だな。もう今すぐに逃げ出したくなるくらい恥ずかしい。古語で言う「かたはらいたし」の状態だな。
・当人が聞いているとも知らずにその人の噂話をしているのを見たとき
というような場合が「かたはらいたい」と清少納言は書いている。
話はそれたが、作品中におけるネット描写がなぜこんなにかたはらいたきことなのかを考えてみると、理由は二つあることが分かった。あくまで俺の場合な。
一つ目は、いずれ廃れる表現なのが分かりきっているから。どうせ数年後には「ナウなヤングにバカウケ」くらいの陳腐な表現に成り下がってしまう。今「~~とか言ってみるテスト」とか言っても「何言ってんだこいつ」以上の反応は期待できないだろ。それがすげぇ嫌なんだよ。今現在のこの瞬間を切り取ったドラマであるのかも知れないけど、「あぁ、今だけ受ければそれでいいんだな。数年後に作品を残すことは考えてないんだな」って思いの方が先にくる。作品を食い散らかすこと前提で作ってるのかな、と思う。それに、その作品が優れていればいるほど、スラングの古さが気になって評価を落としてしまうだろう。もちろん、その時代を表現する描写ということはわかるんだが…。
二つ目は、否が応にも現実世界を意識させられるから。俺は作品を鑑賞するとき、前のめりに作品世界に浸りきりたい。その世界の中で本当に人が生活しているのだというファンタジーを噛み締めたい。だから凝った設定をうまく背景にして展開する物語が大好きで、「なぜこのキャラクターはこの服装なのか」「どういう文化なのか」という点が自然と理解できるような作品が好きだ。現実世界を舞台にした作品でもそれは変わらない。しかしそこでネットスラングやネット描写がでてくると、一気に「こっち側」に引き戻されてしまう。ネット描写はどうしても第三者の目線を意識させる。しかもネット描写がうまい作品があんまりない。何ていうか、ネットがありありと描写される事で「その作品の世界観の中の出来事」が現実世界と地続きであることを意識させるというか。あるいは、「不気味の谷」みたいなもので、わざとらしく描写されたネットの様子というのがどうにもかたはらいたきことに見えてしまうのかもしれない。
ちなみに、洋画のなかでfacebookの描写が出てくるのは全く問題なく見れてしまったりする。これはきっと、外国のfacebookは日本のfacebookとは違う場所にあるのだという意識があるのかもしれない。作品の舞台が地元でもとくにかたはらいたくならないのと同じかな。あと、基本的に日本で公開される洋画の演出は優れていることが多いからというのもあるだろう。
「するな」「なぜ言った」では、後にwwwをつけたとしても、相当語気がつよく感じる。
そこに「し」を加えると、
個人的には、若い世代が何でもかんでも「クッソ○○」を連発する方が気になる。
字面も汚いが響きも汚い。
かつて、↑かかるスレッド喪女板にありしなれれど、いつの間にかdat落ちしまひしゆえ、つれづれなるままに増田に綴りたる。
携帯電話、キーボード、リモコンのひまの汚れを、つまようじにてほじくるも楽しけれど、なほ一層楽しきは人の体の汚れなり。
耳の裏側を、湿らせしコットンにて拭ふが毎日のならひなれど、こはにおいが薄ければ楽しみとしてはいまひとつなり。
対して、ピアスの穴をフロスにてほじくらば、白き滓のごときものが出でてくるが、こはげに芳しきものなり。
これよりもいとどかぐわしきが、へその穴なり。
綿棒に、オリブ油、スヰートアルモンド油など、植物油をしみこませしものにて、穴をぐりぐりすと、綿棒にいたくこはき匂いがつく。
こを鼻に近づけて嗅ぐと、めまいがするほどであり。
月経終はりしあとなど、不浄のたまりし頃が、なお良きものなり。
ビラビラの間などに溜まりし、白っぽきモロモロ状の汚れを、綿棒にてすくひとり、にほひを楽しむは、この上なき愉しみなり。
顔をそむけぬるくらい強烈なるにおいなるが、またすなはち嗅ぎぬる、とりこになるめるにほひなり。
もちろん、すかしっ屁をかませしときに、すかさずそれを吸ひ込むなどは、むべなるならひなり。
言わずもがな、かかる愉しみは、己のみの秘密にしておくものなり。
リスペクションってなんだと思ったら古語なのか。
韓国・朝鮮を嫌う一部界隈(嫌韓)に批判的なレスを付ける人たちに対するレッテル貼り。ネトウヨ用語。
嫌韓への批判者が日本語で「日本は滅ぶ」と書こうとしたところ、 「日本はホロン部」とタイプミスをしたことに由来。ささいなミスを揚げ足どりに用い、これでもかと誹謗するネット右翼の根性の悪さが現れた言葉といえる。
通信用語の基礎知識によると、一定の時間帯に2ちゃんねるに対して一斉に、
そして時に自作自演までして擁韓・媚韓・反日・侮日レスを付ける在日工作員のことを指す。
以前は一斉に夕方ごろに現れていたため、半島系の学校の部活動ではないかと噂されていた。
そんな折、在日朝鮮人のコテハンがハングル板にあるレスを投下する。
809 :閼伽 ◆V.bDFzs4FE :03/01/06 23:04 ID:gXzvMuTH
ホロン部の特徴
助詞(てにをは)の使い方が変 (日本語と朝鮮語は助詞の使い方が違う)
ex.「俺はどちらかというとウヨだけど」「嫌韓の俺が言うのも何だけど」
誤字脱字がある
でも、それを指摘されると何故か答えない
ex.「また犬阪か!」「また倒狂か!」「さいたまさいたま!」
実際にそういう組織はないが、未だホロン部の情熱は衰えてない。
古株のネットウォッチャーにとっては既に古語の域ではあるが、彼らは消えた訳でもまったくなく、懲りずに活動している。上記の特徴に合致する書き込みを見たら、ホロン部の活動を疑おう。
女が三人寄ると、ものすごく良くない意味の漢字になって、正直これどうなのよって思ってるんだけど
まさに今回の久谷女子たちの対応を見てると、まさに「姦計」という感じ。
これ私たちだけの秘密ね、うふふーうふふー、と言いながら巡らせる浅い悪だくみ。
姦という漢字の語源をぐぐったら、官に対応する私、密かに行われる何か、という意味も含んでいるらしい。
生物的な「女性性」ではなく、いわゆる社会的に「女」に紐付けされた性質の中でも、悪い印象を与える
こういったいくつかの性質が、この騒ぎをちょっと手繰るだけで簡単に想像できてしまうのが興味深い。
同人誌なんだから、私的な頒布物なんだから、私的に謝るだけでいいでしょ?
あの人、メンヘラだから放っておけばそのうち病みついて曖昧になるわよ。
ひそひそ、ひそひそ。
社会的な女性性なので、こういうイヤラシイ性質は、当然ある種の生物的には男性の人にだって現れる。
「(生物的な)女の集団」の性質というよりも「(社会的に)女の集団」の性質というか。
更に「オタク」という裏ドラ乗っかってるというか。
いやー、気持ち悪いね。心底。
久谷女子の作ったものを素敵だと思っていた増田もいたようだけども
顔の真ん中に目がありふっくらしている→生得的にカワイイと認知
若い女性はお揃いで買いたがる→一緒に買わないと強い反感に→8人中7人は後悔する
結婚後は楽しませてもらったことより現実的な金銭の方が気になる傾向が
08:「カワイイ」と言うと顔が可愛くなる
14:女性は男の服装を見て稼ぐかどうかを判断している
稼いでる=自分の為に使ってくれると判断→お金を使わないと逆効果
◆女性が爪にこだわるのは何故?
手や爪は常に目に入る→満足感を得やすい
手や爪をほめられると自分で得た満足感が2倍に
18:アラフォーを過ぎると見た目では勝負できないからネイルをする
先っぽシンドロームの表れ→まつ毛のエクステ・肘膝のエステがアラフォーから格段に増える
結婚できないアラフォー女性の特徴→ネイル、エステ通い、海外旅行好き
19:男女の違いが出るのは指先
女性は女らしさを意識するとハイヒールを高くしたり爪を長くする傾向が
◆女性は「優しい人が好き」というが「優しい人」と「いい人」の違いは?
22:女性の怒りにすぐ優しくすると安い男に見られる
わがままな可能性大
28:多くの女性とHが出来る男は自己中でスリルを求める嘘つき
35:妻は夫のさりげない優しさに気付く余裕はない
一理あれば一害あり。私法家は個人平等の極端に捗りて社会の秩序を害し易く,公法家は権力相関に偏重して世運啓発に伴ふことを怠るは,各 其(の)専らとする所に於て免れざるの弊なり。唯 此の二元素 相 調和して始めて国家法制の美を成すべしと雖,我邦 維新以來 社会の改新を謀るの急なるより,明治立憲の法度,或は専ら私法家の理論に偏傾したる跡なきにあらざるが,豈に後世史家の浩歎する所ならざるを知らんや。
我(が)国は祖先教の国なり。家制の郷なり。権力と法とは家に生れたり。不羈自由の個人が森林原野に敵対の衝突に由りて生れたるにあらざるなり。氏族と云ひ国家と云ふも家制を推拡したるものに過ぎず。権力相関を指摘するの呼称は異なりと雖,皇室の嬖臣に臨み,氏族首長の其(の)族類に於ける,家父の家族を制する,皆 其(の)権力の種を一にす。而して之を統一して全からしむるものは祖先教の国風にして,公私の法制習慣 之に由るにあらざれば,解すべからざる者 此々 皆 然り。之を要するに,我(が)固有の国俗法度は,耶蘇教以前の欧羅巴と酷相似たり。然るに我(が)法制家は,専ら標準を耶蘇教以後に発達したる欧洲の法理に採り,殆んど我の耶蘇教国にあらざることを忘れたるに似たるは怪しむべし。
耶蘇教以前の欧洲の文化は希臘(=ギリシャ)羅馬(=ローマ)の盛世 之を代表す。当世の史料,素より富胆なり。之を詳にする難きにあらず。況や如今 法制史の大作,クルチウスの希臘(=ギリシャ)に於ける,モムセン及(び)イエリングの羅馬(=ローマ)に於けるあり。専門の士にあらざるも之を窺ふに易きのみ。古日耳曼(=古ゲルマン)に到りては僅(か)にタシタスセーザルの記傅に由ると雖,方今ワイツ以下 古独(=古ドイツ)法制 探究する者少なしとせず。而して耶蘇教以前の古(日?)耳曼(=古ゲルマン?)の制度は,期せずして希臘(=ギリシャ)・羅馬(=ローマ)と其(の)跡を同ふするを発見するときは,耶蘇教の欧洲に入らざりし以前は汎く印度・日耳曼(=ゲルマン),人類に通ずるの主想ありしこと知るべきなり。
欧洲固有の法制は祖先教に本源す。祖先の心霊を崇拜するは其(の)建国の基礎なり。法制史は法の誕生を家制に見,権力の源泉を家父権に溯る。然れども何が故に家父権は神聖なりやと問はゝ,之を祖先教の国風に帰一せざるべからず。祖先の肉体存せざるも,其(の)聖霊,尚(なお)家に在りて家を守護す。各家の神聖なる一隅に常火を点して家長之に奉祠す。是れ所謂 家神なり。祖先の神霊なり。事細大と無く之を神に告ぐ。是れ幽界の家長にして,家長は顕世に於きて祖先の霊を代表す。家長権の神聖にして犯すべからざるは,祖先の霊の神聖にして犯すべからざるを以てなり。家族は長幼男女を問わず一に其(の)威力に服従し一に其(の)保護に頼る。
一男一女,情愛に(由?)りて其(の)居を同ふす。之を耶蘇教以後の家とす。我(が)新民法,亦(また)此(の)主義に依れり。之れ我(が)国 固有の家制にあらざるなり。是れ欧洲固有の家制にあらざるなり。欧土の古法は祖先の祭祠を同ふする者を家族と云ふ。家神は其(の)子孫にあらざれば之を守護せず。各家に其(の)神あり。之を絶滅することを忌む。家運の恒久を顕するなるべし。共に同一の神火に頼る者を家族と云ふ(古語家族とは神火を同ふすると云義なり)。後代,或は家長権の及ぶ處(=ところ)を家属とし,必(ず)しも血縁の因のみに限らざるの制あり。然れども,民法家が我(が)国に行はんとするが如き家とは,一男一女の自由契約(婚姻)なりと云ふの冷淡なる思想は,絶(え)て古欧に無き所なりとす。婚姻に由りて始めて家を起こすにあらず。家祠を永続せんが為に婚姻の礼を行ふなり。茲(=ここ)を以て,古法は娶らざるを禁じ,叉 子無きときは婦を去ることを認め,或は他姓の子を養ふて家祠の断絶を防ぐ,皆 古欧の家制は今の家制と其(の)主想を異にし,祖先教に本源することを証するものなり。之を我(が)国 非耶蘇教の習俗に照応するときは相似たる者あり。欧洲は,彼の宗教行はれしより,独尊の上帝は人類の敬と愛とを専有し,子孫また祖先の拜すべきを知らず。於是乎(=ここに於いて?)孝道 衰ふ。平等博愛の主義 行われて民俗血族を疎んず。於是乎(=ここに於いて?)家制 亡ぶ。而して個人平等の社会を成し,個人本位の法制を以て之を維持せんと欲す。フュステル・ド・クーランジ(ュ)は法制史の大家なり。其(の)古欧家制を解説するに序して曰く,人が「其(の)父,若(しく)は祖先を崇敬(アドレ)すると云ふの事(?)は吾人の信じ難き所なり。然れども是れ事実なりき」と。嗚呼,耶蘇教国に於きて耶蘇教人に孝道を説明するの難(し)き,此の一言を以て証すべし。我(が)国 未だ他教を以て祖先教を一洗したるにあらざるなり。然るに民法の法文,先づ国教を排斥し,家制を破壊するの精神に成り,僅(か)に「家」「戸主」等の文字を看ると雖,却(っ)て之が為めに法理の不明を招く空文 無きの優れるに若かざるなり。嗚呼,極端個人本位の民法を布きて三千余年の信仰に悖らんとす。而して一方に於きては,或は耶蘇教旨の我に行はるゝを欣ばず,強(い)て忠孝の国風を保持せんとす。哲学家は巧妙の弁あるべしと雖,法制史家の眼中に於ては孝道は祖先教家制の影なり。法制 先づ其(の)実体を亡(ぼ)し,教育行政は其(の)影の存せんことに汲々たり。史家は其(の)前後矛盾を笑なるべし。公法は権力相関の秩序なりとは,予が公法の講堂に出入せし人の聞(き)飽きたる説明なり。然れども,公法の研究は,期せずして復た此(の)原則に帰納せらるを得ざるなり。仏人フラフの近著,亦 権力相関の源泉に遡り,制度の変遷を詳(ら)かにせんとす。諸家 皆 其(の)本源を古の家制に帰す。家は家父権 之を統治す。家父は家属に対し殆んど無限の威力あり。後世の羅馬(ローマ)法家 之を夫が婦 及(び)子に対して天然に優れるの実力に帰せんとす。蓋(し)誤解なり。家父は夫 若(しく)は父たるの身分に由りて此(の)権を有するにあらず。権力の源泉は祖先の霊にあり。家を守護するの家神は家属を制裁するの威あるべく,子孫の祖先の霊に服従すべきは,之を顕世の代表者に移すことを得べし。古代「バーチル」の語,常に母の夫を指すのみならず,汎く有権者を呼びたる例なしともせず,亦,以て家父権は法の源たること知るべく,法は神聖なりと云ふ語の完全なる意味をも解することを得べきなり。耶蘇教の入りしより家父権 衰ふ。祖先の霊は子孫を守護するの責を免れ,父子夫婦 同じく唯一上帝の前に平等なり。祖先及(び)父を崇敬するは,神を侮辱する者なり。法は俗界の制 何ぞ神聖と称する事(?)を得ん。博く汝の隣人を愛せ,一視同仁の天帝は血縁の濃淡を認めざるなり。家制 豈(に)久しきを保たんや。家制 衰へてより近代国政の基礎を固ふするに到るの間,欧洲の社会,権力相関の中心を失うこと久し。是れ法度 弛廃し,豪族(が)割拠(し)優者(が)専恣(する)の世とす。僅(か)に其(の)社会を救ふたるものは耶蘇教の力 多しとす。「神聖なる羅馬(ローマ)帝国」は実に宗教の力に頼りて其(の)主権の名分を正し,人心を維持することを得たり。若(し)欧土にして急激の祖先の教法を棄て耶蘇教を入るゝことを拒みしならば,欧洲の社会は道徳法制 其(の)跡を絶ちしならん,後人の鑑むべき所なり。耶蘇教の希望する個人を本位とし世界を合同するは,欧土 尚 之を実践する能はず。家制を脱し族制に遷り,方今は国家を以て相(い)依り 相(い)携ふの根拠とせり。家制主義 既に及ばずとするも,国家主義を以て法制の本位と成すべきなり。史家は一躍 三千年来の家制を看ること弊履の如く,双手 極端個人本位の法制を迎へんとする我(が)立法家の大胆なるに駭(=おどろ)くなるべし。萬世一系の主権は天地とともに久し。其(の)由る所 或は祖先の教法家制の精神に捗るなきか。所謂 君子国の美俗は,祖先教を撲滅し,又,新教を容れず,唯 学校の修身教課書を以てのみ保維することを得るか,史学の一好試験なり。
(法學新報第五號 1891(明治24)年8月15日。『穂積八束博士論文集』(有斐閣,1943年)を底本とし,表記を現代語に改め,適宜 句読点 及び送りがなを補った。)