はてなキーワード: 一喜一憂とは
私は数ヶ月前からとある人気ジャンルの人気CPにハマり、時折2次創作漫画を描いてはTwitterに投稿している。そのCPが好きで、そのCPのことを考えている時はとても幸せで、筆が追いつかないくらいいろんなネタが次々と生まれて毎日が楽しい。と少し前までは思っていた。
よくある話だが、疲れてしまったのだ。
そのジャンルにハマるまで、私は数年単位で2次創作から離れていた。その間も絵は描いていたが、内輪で見せ合う程度。それがある日友人のススメで今のジャンルに手を出し、推しCPが出来てまた2次創作をするようになった。
人気ジャンルの人気CPを描いていれば当然今までとは比べ物にならないくらいたくさんの反応をもらえる。いわゆる神絵師と呼ばれるような人や素晴らしい小説を書く文字書きさん(神絵師に当たるような呼称がわからない)の中にも、私の漫画にいいねをくれたりフォローを返してくれる人も現れるようになった。初めのうちはそれが嬉しくて仕方がなかった。初めのうちは。
最近、それがだんだんと劣等感を刺激する材料に変わってきてしまっている。相互フォロワーさんは漫画を上げれば何千といいねが来るのに、私は3桁止まり。相互フォロワーさんがマシュマロを募集すればすぐにコメントが来るのに私のところには一つも来ない。私が絵を投稿しても見向きもしなかった相互フォロワーさんが、私よりも後に別の人が上げた作品をリツイートして言葉の限りを尽くして褒めていたりする。私には感想など来たことがないのに。
私の技量が足りないから、というのは重々承知だ。上手く描けるようになりたいと日々思っている。誰かに嫉妬しそうになるたびに、私も上手くなればいいのだとずっと自分を奮い立たせてきた。でももう限界な気がする。人の作品を見ても純粋に楽しめない。描いている時は楽しいが、投稿した後は反応が来ていないかちょくちょく見ては一喜一憂してしまう。こんなことをしたくて推しCPを描いているわけではないのに。
すごく楽しいよ。
結構有名な人だけど、元々ファンでもなかったし、でもご飯誘われたからとりあえずネタ作りのつもりで承諾した。
セックスした。
正直体の相性はそこまでよくなかったし、また会ってくれる?と聞かれたが2度目はないかなと思った。
が、それから家帰ってその人のファンのSNSとか見てたら無性に楽しくなってきた。
みんな、本気で恋してたり、人生の糧としてたりするんだよね。
思わず笑いが零れたよ。
私は知ってるよ。
唇の感触も、舌の味も、肌の触感も、どんな顔でいくのか、プライベートの声音も、寝顔も、精液の味も。
それから何度かセックスした。さすが手馴れてるだけあって回数重ねる毎に、エンタメ性が増してって、今までの自分の男性経験の中でもかなり楽しい部類だと思う。
芸能人とセックスするって優越感を楽しむこと。多分ほかにもたくさん女いるだろうけど、ファンの数に比べたらほんの僅か。
あーーー楽しい。アナウンサーやスポーツ選手ともしたことあるけど、歌手俳優はやっぱり段違いで楽しい。
ソシャゲ屋さんに転職して6年しか経ってないけどいい加減疲れてきちゃった。
商材(ガチャのカード)担当であれこれしてるけど、まずは金、金、金。
前はそれなりに名前のある大手のIT企業にいたんだけど、ヤバいやつってごく稀だった。
でも今は3人に1人くらいは変なやつ。どこかしら変だし、そもそも遅刻とか欠勤とか大杉ワロタ。頭痛いとかお腹痛いとかわけわからん理由で平気で休む。病院行けよ。
ユーザーも頭おかしい。自分のアカウントだけガチャ確率いじってる!!とか電話してきたり、キッズの問い合わせとか頭痛くなる。直接やり取りはしてないけどさ。
毎日競合の動き探って、課金額に一喜一憂して、考えるのはユーザーから金を巻き上げることばかり。いまやなんで課金してくれるのかもよく分からなくなってきた。
ソシャカスの民度は限りなく低い。社内のソシャカス率は限りなく高い。
ああー疲れたなあ
記憶をなくすことは簡単で、人間という生物の死だけで考えればそれは実に単純に起こり得ることなのだけど、そういう観点でいえば人間の個なんてものは記憶の連続性がそれを個だと信じさせているだけに過ぎなくて、自分は自分かも知れないと疑うことでしか自分を証明できないことはかなり昔から言われていることなのだから、つまりはそれでしか証明できないという点においては人間なんて存在はすべて共通であり、自分が個だと信じているものは結局記憶の連続性というまやかしでしかないのであれば、そもそも自分が他の存在を観測できることにこそ魂の存在を疑う余地があり、それは記憶とは本来べつの存在なのだからどの生物においても観測できるということこそが個の証明にほかならないと考えれば、それはつまり万物が等しく他を観測できる、それは記憶に残る残らないは別として例えば接触できるということだって認知できると置き換えられる点において、自らがどのような物質に変化しようともその観測≒認知が可能という状態なのであれば個は存続しえると考えたほうが自然だとするならば、人が人として生きる死ぬに一喜一憂する姿こそが滑稽であり、たとえ死を迎えたときにそれが記憶の連続性が失われたことだけを憂いての死だとするなら、それなら過去すでに失われた記憶は等しく死を迎えていることになり、つまりは生物が生物として本能として備えている死を恐れるということだけが人間を活かし続けていることにしかならいのだから、死にたくないと強く考える生物だけが生き残っている結果論でしかないものに進化などという言葉を名付けたことがおごりだと理解できるはずで、生きることも死ぬことも本来意味を持たず、死にたくないと強く願うものだけが死にそこねているという皮肉な運命から逃れるには、本能に刻まれた恐怖の内側に首を突っ込んでみなければ見えてこない世界があるとした上で、ならばここでまた話しを戻すと、観測≒認知をしているのはどの次元の存在なのかという問題につながるのは自明の理である以上、皆が皆自分だけが個だと信じているものの先には観測が行き着く別の次元が存在していて、つまりはそこにこそ本来認めるべき個があると結論にたどり着かざるを得ないとなった時点で、全ては死を迎えると同時に本来の個に帰納することが証明される。君は死ぬことで目覚める。
ウチの周りはまるでそんなこと言う人いない穏やかなところなんだけど、
「DL販売は営利目的になるんで辞めてください!あと女体化もキモいんでかくの辞めてください!」
みたいな感じのことを質問箱で言われててなんかカチーンときた。
まあ言わんとせんことはわかるで
建前があるからできてるんやって話
わかるねんけどさ。
そこなんで人のことまで固執するの?
もう今更同人DL販売ぐらいじゃ公式は騒がんよ。。。男性向けみてみなよ。。。
あとこれは余談だけどDL販売、50パー販売元に取られるから実際めっちゃいかなもうからんで、、、
あと、作家チョロっとみたらわかるじゃん
チョー好きなんじゃん
沢山の人にこのCPの良さ知ってもらいたい人じゃんこの人
フリーランスの漫画家が商業レベルの時間かけて描いたものにも0円の価値しかないというの?
好きで描くなら無償か赤字が当たり前やろって考え下品すぎない?
いい話描く人には小遣いぐらいあげたいじゃん
もしかしたらそうやって儲かることによって人気が出て、
それはお互いにいいことじゃないの?
したっていいんじゃないの、、、?
も――――――今更ほんとなんなんだろ
公式は全部知っとるよ。
描いてくれたら嬉しいんだよ
もうしょーもないとこで小競り合いせんといてくれ、、、
もうすこし身軽に生きられないの?
あーほんま胸糞。
あと
FF15の公式スクショ使用アンソロの件?もあったけど、騒ぎすぎて逆に通報案件になってさ、
イベントで「ほれみたことか警察でてきたやん!」みたいな空気になってたけど、
お前らがツイッターで騒ぎまくってトレンド入り案件にせんかったらなんもならず静かに終わっとったやろ
そうなったらアンタらはどうせ「アイツが公式絵使ったからや」みたいになすって終わりなんやろけどさ
指摘をうけた本人がダメなこと理解して、公式スクショ取り下げてちゃんと刷り直してたじゃん
なんで袋叩きにしてイベント不参加に追い込もうとしたのか全然わからないし、
お前らもどうせ許可なく公式のスクショツイッターに乗せとるやろ。
それと何が違うか説明できるんですか?
皆でおててつないで渡るのそろそろやめればいいのに
ガチャで一喜一憂して、担当のイベントが来るたびに上位に入れるよう全力で走った。
ゲッサンもリアルタイムで追いかけた。リリイベにも行ったし、公録もいった。
ミリシタだってずっとやってきた。初期のSSRチケットで一発で未来が来てくれたのは嬉しかった。
PBA!!イベントもすごく楽しかった。曲もMVも好きでイベントが終わってもずっと叩いてた。
PBA!!の約2ヶ月後に、グリー版のミリオンライブが配信停止した。
悲しかった。辛かった。友人を集めて一晩中飲み明かして最後にはみんな顔をぐっちゃぐちゃにして泣いてた。
集まったのはみんなミリマスを専属で担当するプロデューサーで、スタート時期は違ってもみんなミリマスに愛着を持っていた。
終わっても全員ミリシタは続けていた。
それでもみんな集まると、少しずつ愚痴のようなネガティブな話題が出ることが多かった。
「頭おかしいイベントが足りない……夜想とかじゃなくて……もっとこう、なんかさ……」
「担当のSSRが限定しかないけどこの前のガシャで来なかったからもう回す意味が無い」etcetc
ミリシタの話題になるとだいたいこんな感じで最終的にLTPやLTH、ゲッサンの話題について盛り上がることが多かった。
「悲劇のヒロインみたいな扱いをこれから受け続けると思うと耐えられない」と言っていたのをよく覚えている。
次に引退したのはロコPの友人Bだった。
「今後もロコがずっとこんな扱いを受けるなら絶えられる自信が無い」と言っていたのをよく覚えている。
それからも少しずつ離脱者が出ていき、今やっているバリボーのシナリオを見て自分も引退を決めた。
未来を演じる声優さんに「( ´•௰•`)…残念だったなぁ、2位とか、3位とか…惜しい。でも今まで未来は沢山活躍してくれてるから、いいの。みんなの映画を見守るよ」と言わせてしまったことが悲しかった。
チョイ役として、キングの片腕であるクイーンに鼻で笑われるキャストとして。
ふざけるなと思った。もっとちゃんとした出番を未来に与えてあげたかった。
限界だと思った。
グリー配信終了からなんとか保ってきた最後の糸がプツリと切れた音が聞こえた。
かなり前から、ミリシタにもそれを取り巻く周囲の環境にも不満しかなかった。
引退した友人はみんな口をそろえて「趣味に心を痛めることは無い」と言っていた。
本当にそうだと思う。辛いと思ったら身を引くべきなのだと思った。
あの小さなテントがなくなった時点で、自分は身を引くべきだったんだと今なら思っている。
それをこの目で見届けられなかったのはとても残念だけど、未来と歩んできた思い出が綺麗なものでいられるうちに引退しようと思う。
保育園に入れそうな地域に引っ越して二年と数か月、結婚して一年と数か月、タイミングを取って二年、通院を始めてあと少しで一年。間にカンジダになったり、早生まれは困るからスキップした月もあるけれど、この周期でダメだったらと、ステップアップを勧められた。
ダメだった。
風疹の予防接種をして二年と数か月、葉酸を飲み始めて二年と数か月。
夫は早いうちに異常がないか調べてくれた。何の問題もない、花丸の付く結果。
私も種々のホルモン値や感染症の検査して、毎月卵胞の育ちをチェックして、LHサージを確認して、通水検査をしてどれも問題なかった。
原因はわからないけどできない。
だから、規則正しい生活を心がけて、夜更かしをしないようにして、毎朝基礎体温を録って、栄養バランスは婚前より豊かに、痩せ気味だったから体脂肪率を数%増やして、仕事にのめり込みすぎないようにして、でも、毎月自分に裏切られて、心が辛い、心が苦しい、心を痛めすぎるとよくないから、趣味を作って気を紛らわせて、なるべく忘れて、忘れていようと努力して、タイミング後の1週間は殆ど忘れてやり過ごすけれど、2週間めはどうしても気になって、些細な体調の変化に一喜一憂することをやめられなくて、ずっと煩悶して、結局、生理直前の体温の下落に心を冷やして、そのうちに体内を伝い落ちてくる経血に望みを絶たれるけど、泣いても仕方がないし、誰にもどうしようもないから、狂乱したくても冷静な自分がいて、どうしようもなくて、苦しくて、苦しいの。
どうしたらいいかなんて、誰も知らないから、“どうするか”を決めなければいけなくて。
今現在子供がいなくても幸せよ?私は恵まれていて、尊敬できる夫と結婚出来て、幸せ。
何なら、夫がいなくても、子供を得たいと思っていたの。
でもできない。
今までの人生、運が良かった。
落ちこぼれたけれど、私立に入れてもらえる家に生まれ育って、就職氷河期とリーマンショックの間に就職できて、浮いても受け入れてくれる職場で、年間休日120日以上で、年収も生きていくには問題なくて、夫と出会い、結婚して、祝福された。
そんなこと関係ないのは知ってる。運を使い果たしたか、なんて観測できるわけもない。
子供が欲しい。
スピリチュアルも葉酸以外の様々のサプリメントにも、縋る気はしない。結果を求めることは罪なの?すぐにできた人たちが結果を求めていなかったと?
いつできるのか、一生できないのか、誰も知らないの。
今の情緒で考えると、100万円だとか300万円だとか、予算を決めて、それで頑張ってみて、ダメだったら納得できるんじゃないか?と思うと同時に、そんな風に理詰めで考えても、いざ予算を使い切った状況になってみたら、結局諦められないんじゃないかとか、“自分というドブ”に捨てたお金が惜しくなるんじゃないかとも思う。
成果が出せない自分というドブが嫌い。でもそんなこと言ってもできないし。
私はただ子供が欲しいだけ。
今すぐ諦めたら、きっと心が軽くなる。でも、抗いたい、己に打ち勝ちたい、子供が欲しい。
「諦めたらできた」ってすごいよね、子作り以外でセックスできるってことでしょう?
私が誘わなければセックスすることはないし、誘ったくせに痛くてギブアップすることが多いから、しなくてもいい。
「したい」と思うように努力しているから常々誘っているけれど、子作りを諦めるなら、その努力を続けることができるかわからない。
私の妊孕性はもうダダ下がりゾーンに足を突っ込んでいるから、迷っていてもしょうがなくて、最も可能性の高い道を歩むべきで、そして、それでもだめなら、ある程度のところで諦めなければいけない。
愚痴というか呪というか晴れることのない胸の内を整理させてほしい。
それまでも観劇していたが、演目を楽しんでいるだけで他の舞台や映画の趣味と変わらずに見れる時に見る。その程度だった。それが1年ちょっと前にAllforOneという公演がはじまりよくわからないまま惹きつけられ複数回見るファンになった。組ファンになりスカステに加入しぐんぐん知識を蓄えて地方ツアーも複数回見た。本拠地の小箱公演はチケットが取れないので行けなかったけれど、ポスターは素敵だなと思った。
2月からの本公演は芝居はともかくショーが熱かった。まだ終わって数か月なのに、万が一タイムマシンが発明される瞬間まで長生きしていたら預金も年金もねじこんであの時間に帰りたいと思うくらいに重症ではある。
AllforOneも鳳凰伝もBADDYも、真ん中のふたりが大好きだった。
群衆芝居でも真ん中にすっと立ち、努力の跡が芸事の極みとして上塗りされて洗練されたたまきさんと
孤高の存在のようでいて、血が通って暖かく、時に激しく、あふれる涙をたまきさんにぬぐわれて笑うちゃぴさんが
書いてて泣くくらい今も大好きだ。
有難いことに1月からその事情は発表され、演目も発表になり、製作会見もあり、こちらが冷静になる時間は存分にあった。ただ冷静になるのと実際その時が近づくのは人間が出来てないせいもあって乖離しがちではあるが。
今は組子にもたくさん好きな子がいるので、組ファンとしてトップコンビを愛せることのありがたさを漢字で書いて丸めて飲み込みたいくらいではある。有難い。そう、有難い。
難しいことなのだ。トップコンビが大好きというのは。宝塚という組織の人事と自分の好みが合致するというのは並大抵のことではないのだ。
特に、路線と言われる分野にあまりひかれない自分のようなファンにとっては。
じわじわと、そうじゃないのかなと噂されていたとおり、組内からの抜擢となった。
自分が関与できることではないので、比較的冷静に受け止めつつも軽く貧血になったりもして、この件に関する大喜利を見て笑って心を落ち着かせたりしつつ、あぁでもしんどいな。というのが今も晴れない心の底の本音である。
ごめん。
なんか、ごめん。
応援するとか組ファンとか自称しといて一度の人事で打ちのめされるとか100年以上続く宝塚舐めてんのか、ってなる。うん。
なので、ごめん。
AllforOneでは、複数回見るうちに姪っ子ーズの中で面白い顔芸の子がいるなぁっていう程度でまぁ面白がって見ることもあった。
小箱公演は見てないのでわからないけど、特に気にすることもなかった。
因みにそれ以前の公演については全然把握していなかった。
もちろん新人公演というのがあることも1年前に知ったくらいなので見ていない。
2月からの本公演の芝居で、彼女の役はアイドル的アスリートだった。演出の指示なんだろうが相当アホっぽくて見ているのがつらかった。なのに子供ができて引退を決意するところではじっとり重い雰囲気芝居で、あれ?二重人格???え?なんか怖い。とうっすら思った。別に見なくても芝居は進むので見ないことにした。相手役のまないくんが見れないのは非常に残念だったしなるべくかぶらないところで見るように心がけたけれどほぼ見ていなかった。他に見るべきところもあったので仕方ないと思っていた。
ショーでは、悪役チームの二大美女であった。こちらもほかに見るところがあったのであまり見なかった。ショーは本当に観客それぞれで見ている視点が違いすぎるそれもまた面白いみたいな感じだったので、気にしないようにした。だが実はちょっと気にしていた。
なんかしんどい。
けど、好きな人もいるしわざわざ言い立てることでもない。心に仕舞った。
梅雨時に、季節柄というか雨をモチーフにしたミュージカル公演があった。
退団を発表しているちゃぴさん(現娘トップ)は本拠地小箱で主演をされるので、たまきさんを単独で見るのははじめてになる。
(スカステや映像ではちゃぴさん以外の娘役と組んでるものもたくさん見た)
相手役が、ちょっとしんどいなと思っていた彼女だったので内心ドキドキしていた。
予想は悪い意味で的中した。
真ん中が見れなかった。
彼女に思いを寄せるたまきさんが信じられなかった。笑。
複数回見ても、何も変わらず、たまきさんを見れないのがしんどいな。。。ということに気づきつつも、相手役を脚立に見立ててみたりするのもしんどかった。脚立って。無機物。
ひたすら彼女じゃありませんようにと願った。できることならあの子がいいという対抗馬も特に掲げず、彼女じゃなければ誰でもいいと思った。
脚立再び。
別組の子でもいいし、路線じゃない子だっていい、なんだっていいから彼女じゃありませんようにという非常に失礼で勝手なことを思う自分が嫌で疲れた。
しんどいと思いながら見ていると、自分自身がしんどくなってくる。
だったら見なきゃいいじゃん。正論です。
真ん中で輝く(んだろう)彼女を見て「うちのナンバーワンですよ!かわいいでしょ!」って言える日が来るのだろうか。
今んとこ難しい。
でもいつかなってるかもしれない。
その日にこのエントリーを思い出して笑えるといい。
前向きになるには一度吐き出さないとならない、面倒なファンで申し訳ない。1年目だから一喜一憂の高低差についていけてないのか、いやたぶん宝塚のファンに向いてないんだよねってことはうっすら自分でも気づいている。
舞台に出ているそれが全て。
その舞台を見てムリだったらたぶん全部ムリ。
(戻っちゃった)
ショック療法でたくさん見たら慣れるかと思って
おめでとう!なツイをいろいろ見てみたけど、ニュースに使われてるおとめの写真の耳たぶが気になり過ぎてもうダメだと気付いた。
やっと気づいた。
目指すは解脱。これっきゃナイ☆
今年26になったけど今だに好きな人ができたことないし恋人ができたことももちろんない
いつ好きな人できるんだろう?とか思ってたらできないままここまで来てしまった
なんか大人になったら結婚してるだろとか思ってたけど本当にない
恋に興味あるけどなんかよくわからない
恋に恋してるだけで自分が一番好きなんだと思う
好きな人ができるってどんな感じだろう!?良いことばっかりじゃないんだろうけど羨ましい!一喜一憂とかしてみたい
でも結局他人にそんなに興味がないんだよね
恋愛はみんながしなくても良い事だって分かってるけど普通に好きな人ができて両思いになったり失恋したりみたいなのを全く経験せずここまで来てしまって不安だ
わからない
分かるのは、
恋愛を楽しんでる人はきっと他人にきちんと興味があるし、心から信じられる人を見つけることもできてすごいということ
あーあ いいなあ
その前に行われるクラスの席替えは、とても重要なイベントだった。
席替えして近くになった人同士で班を作り、林間学校の最中は常にその班で行動することになるからだ。仲の良い友達や日頃気になっている子と一緒になれるかどうか、それが林間学校の楽しみを大きく左右していた。
席替えはくじを引いて決める。完全に運まかせだった。
みんな教室の前の箱に入ったくじを引いて自分の席に戻り、一喜一憂している。また同じ班だね と喜び合っている女子もいれば、離れ離れになってもずっと友達だぜ と大げさに別れを悲しんでいる男子もいた。
僕が引いたくじは良くも悪くもなかった。とりたてて仲の良い友達はいないけど、特に苦手な人もいない班。
「○○の席はどこだった?」
僕の後ろに座っていたコウキが訊ねてきた。僕は班の番号が書かれた紙を見せた。
「お前、4班かよ。良いなあ」
コウキは羨ましがった。どうしてだろう。
ふと教室を見回してみた。コウキの家の近くに住んでいる、彼の幼なじみのハルカが、「4班になったんだ」と友達と話している。
ははん。コウキはハルカと一緒の班になりたいんだな。普段はにぶい僕でも察することができた。
「お前こそ何班になったんだよ」
僕はコウキに訊ねた。彼の紙には「2班」と書かれていた。
ん、2班だと。僕はもう一度教室を見回す。
斜め前に座っていたサツキは、友達に2班になったと言っていた。サツキは一昨年に学区内に引っ越してきた転校生だった。今年になって初めて同じクラスになったものの、ほとんど会話したことがなかった。
今ならはっきりと言える。僕は彼女のことが気になっていた。好きだった。
「全員くじを引いたな。じゃあ席を移動して班を作ろう」
先生が言った。みんな机を持ち抱えて、指定された場所へと移動する。僕の学校の席替えは机ごと移動する仕組みだった。机を動かす音が教室内に響いた。
コウキは、僕のそんな気持ちを知ってか知らずか、こんな相談を持ちかけてきた。
「お前のくじと俺のくじ、交換しないか?」
みんな公正にくじを引いて席替えをしている。そんなことしちゃダメだ。だけどサツキと一緒の班になって、林間学校に行ってみたい……。
「うん、良いよ」
とっさに僕は言った。コウキも僕も、他の人に班の番号を教えていない。しかも席を移動している最中で騒がしい教室、ごまかしがきく。僕はコウキとくじをこっそり交換した。
「ありがとな」
そう言うと、コウキは廊下側の座席、4班の方へ移動した。僕は窓側の座席、2班の方へ移動した。
僕の隣の席にはサツキが座ることになった。
席替えを終えて、先生が授業を再開した。最初は抱えていた後ろめたい気持ちも、林間学校へ行くころにはすっかり消え失せていた。
席替えから二週間後。林間学校の行き先は、市の北部の山の中だった。
オリエンテーリングでは同じ班の女子のユウキが「もう歩きたくない」と言い出したのを班の全員で宥めたり、夕食作りでは料理が上手なナツハの貢献で美味しいカレーが出来上がったり。
そんなイベントの最中でも、サツキの姿は印象に残っていた。地域のスポーツクラブに入っていてしていて健康的に日焼けした素肌。お団子にしてまとめた黒髪。普段見慣れた制服とは違った、動きやすいジャージとピンク色のTシャツの私服。
でも結局、僕は同じ班のタクヤと話してばかりで、サツキとはほとんど話せていなかった。話すきっかけは何度もあったはずなのに、気恥ずかしさが先んじてしまった。
カレーを食べ終わったころには、すっかり日も暮れていた。とうとうキャンプファイヤーの時間がやって来た。
キャンプファイヤーでは、学年全員が中央の火を取り囲んで手をつないで歌う。同じ班の人は隣り合わせになる。僕はサツキと手をつなぐことになった。
僕はサツキの方に手を伸ばした。でも、サツキは僕の手をすぐに握ろうとしなかった。音楽がなり始めた。やっと手を握ることができた。
僕の手は緊張と焦りから、じんわりと湿っていた。彼女の手は乾いていた。
サツキは僕に対して悪態をついたり、露骨に嫌がった訳ではない。ただ、キャンプファイヤーで手をつなぐのが遅れただけ。そう自分に言い聞かせても、僕は薄々気づいていた。
彼女が僕を好きになることはないんだろう、と。
林間学校のキャンプファイヤーまでは、彼女のことを想うと胸が高鳴った。席替えをしてからの二週間は、学校へ行くのがちょっぴり楽しかった。
これまでほとんど接点のなかった転校生への恋心は、林間学校を境に少しずつしぼんでいった。
最近、小学生のころの親友と久しぶりに再開した。僕は小学校を卒業すると同時に引っ越していて、仲の良かった友達以外の同級生のその後についてはほとんど何も知らなかった。
誰々は今どこで何をしてる、アイツは悪さをして捕まった……。その会話の中で、結婚した同級生の話が出てきた。サツキもその一人だった。高校を卒業して間もなく結婚して、子供もいるらしい。
しばらく昔話に花を咲かせて、親友と別れた。サツキのフルネームを検索してみると、SNSのプロフィールが出てきた。
気になるあの子が自転車を重たそうに引いて歩いていたので、いっしょに持って手伝ってあげたら、それに感激したのか「増田さん、抱きしめてもいい?」と言われ、そのまま熱い抱擁を交わした。
特にキスなどをするではなく、ただただ抱き合っているだけ、相手のぬくもりと鎖骨の感触が少々記憶に残っていた。
普段、手を伸ばせば届きそうな距離にいるのにいくら手を伸ばしても届かない状況なので、夢とはいえ「やっと手が届いた」ととてつもなく幸せな時間だった。
目が覚めて夢だったとわかったときには落胆もしたが。
夢占いをひもといてみると、やはり「願望夢」にすぎず、いまだ距離は遠いことは間違いなさそうだ。
夢占いなどという科学的根拠の乏しいものに一喜一憂するのもばかげた話ではあるが、単なるエンタメの1種として考えれば悪くない。
そして、気になるあの子を手に入れることは自分にとって間違いなく幸せなことであると再認識し、なおのこと執着が強まってしまった。