はてなキーワード: いじめられっ子とは
「悪の行為でないとは言わないけど、『悪だからやめろ』で止められる行為でもないよね」みたいな。
いじめられっ子が自分の扱いについにキレて暴れたのでとばっちりで傍観者たちに火の粉が飛びましたっていう状態。
とばっちり食った傍観者たちはそりゃ気の毒だけど、でも「傍観者」だったんでしょ? みたいな。
国家の政策レベルでイジメスレスレの行為を意思決定の元に行っていたんだったらその時点で国民全員最低限自動的に「傍観者」だし、「傍観者」にはイジメ当事者としての(薄ーいながらも確実な)リスクがある。
それ判ってて意思決定して傍観してたんでしょ?
まさか自分(とその周辺者)にそのくそ薄いリスクが濃縮された具体的な危険になって降ってくるとは思ってなかったというだけで。
みたいな。
自業自得とまでは言わないけど、「何で自分が!?理不尽だ!」の問いの答えは「半分は運だけど半分は必然だよ、あなたが直撃喰らったのはアンラッキーだけどそれが生じるまでにはそれなりにメカニズムと道筋が出来上がってしまっていてあなたはそれを止めたり絶ったりしなかったしできなかったんだよ」でFAみたいな。
はてなでブログを書くような人間は全員、子供のころはいじめられっ子だったに違いないと確信している私。
こうして増田で書いている私も当然いじめられっ子だったわけですが、それについての思い出話をひとつ。
いじめられっ子といっても、そこまで酷くならなかった(囃し立てられる程度)のですが、
それは初期の段階で「やり返した」からだろうなー、と思います。
よくマッチョな人が「いじめを話し合いによって解決するのは無理」とか「体罰を否定した日教組による戦後教育の歪みが云々」とか言ってますが、
彼らの話は正しいのかもしれません。まあ、殴り返して余計にいじめが酷くなったという話もまま聞くところですので、
いじめっ子を殴ってそれで沈静化した私のケースはむしろレアなのかもしれません。
ところで、いじめっ子は3人1組の場合が多いように思われます。
3.体が小さくて、いじめられっ子の側に回ってもおかしくないのだが、上手く立ち回ってそれを回避しているタイプ
さて、殴り返すとしたら誰を殴るべきでしょうか。普通に考えれば1ですよね。
でも怖いんです。人気があるからいつも誰かと一緒にいるし。
だから3を殴る。自分よりも弱くて、いかにも殴りやすそうな相手を。
正直、ビビりました。殴った相手が壁に頭をぶつけて、病院行き。
正々堂々喧嘩したのならともかく、自分より弱い相手を一方的に殴って怪我させたわけですから、いろいろ考えますよね。
菓子折り以て謝りにいかねばならないのか、とか、もしかして警察!?とか。
不思議なことにそれっきり何もなかったのですが(牧歌的な時代ですね。15年くらい前)、すると今度は「なんて卑怯なやつなんだ、自分は」
という罪悪感が襲ってきました。
実際、そうなんだと思います。一番弱い相手を狙って殴り、それで鬱憤を解消しようとしたわけですから。
「正当防衛」なのでしょう。たぶん。
でも、いじめっ子のような誇りも信条もないような人種と違って、栄誉あるいじめられっ子の私はプライドたかびーちゃんなので、そう思うのは仕方がない。
この一件から学んだことは、自分がそこまで強くもなく、本当の悪に立ち向かえるような勇気も持ち合わせていないこと。
一般化するなら以下のような感じでしょうか。
1.人間は自分が被害者であると強く思えば、どこまでも攻撃的になれる。
2.しかし、その矛先は多くの場合、問題の元凶ではなく、単に自分よりも弱い人間に向かう。
何でいじめられた私が反省せねばならないのか自分でもよくわからないのですが、要するにいじめとは
いじめられ続けても傷つくし、やり返していじめを終わらせても傷つく
という何このクソゲーな代物なわけです。
遠隔操作ウイルスで容疑者になっている人が学習院で相当ないじめにあってたってフライデーに出てるじゃん
のこぎりで頭きられたとかさ・・・
世間ではそういういじめがない学校って思われてるようなのかもしれないけど
この容疑者の在籍してた時より4年くらい前の俺のいたころにもいじめがあった
そいつは色が白くて赤ら顔なのを「アル中」っていわれて入学初日からいじられていじめられた
教師は当然見て見ぬふり、「やりすぎんなよ」ってあるけどまさに同じ
授業始まってる時に泣きべそかいてて制服も汚れてるのに見て見ぬふり
むしろ、そいつを「騒いでいる」「奇行をとるふざけたやつ」とみなしてみんなの前で怒った
まぁ教師も教師でクズなんだけど、そんなんだからいじめは終わることなくエスカレートする
ズボン脱がされるなんて当たり前のようにやられてた
教科書ぼろぼろにされるのも当たり前
でもいじめっ子たち達はとてもお金持ちなので遊ぶ金は全く困ってなかったから
金をとるとかそういうのはなかった
ここでいってるいじめられっ子とは別のやつだけど
つるっぱげの学年主任の教師が「赤いポッチを回すなといっただろ!」と全生徒の前でブチギレかました時に
この件は今の時代ならニュースになってもおかしくない異常な事件だと思ってる
でも、なぜか「もみ消された」
件のフライデーの記事が出た時にこのやけど事件をうちの親にしたけど、そういう事件が起きたことを知らなかった
で、いじめられ続けたいた「アル中」の子は3年生のあるときいつものようにプロレスごっこという名の集団暴行にあってたとき
「もう死んでやる」って言って暴行の輪から逃げて教室の窓から飛び降りようとした
でも、いじめっ子がとっつかまえて窓枠から引っぺがしてまた集団暴行を加えた
今思うとそいつは窓から飛び降りるんじゃなくって警察署に駆け込むべきだったんじゃないかって思う
(高校は海パンなのにね)
これ、フリーランスがヤバいんじゃなくて、こいつが無能なだけだろうに。
プロジェクト・マネジメントが出来ない人は、欲をかいてデカい案件とか受けちゃダメだよ。
30万くらいまでの小型案件をちまちま積み上げて行けば良かったのに。この身の程知らずが。
第一に、なんでクライアントからの入金よりも、外注への支払いの方が早いの?
資金繰りを考えたことあるなら、支払いサイトがどんだけ大事か知ってるでしょ?
なんで入金と出金のタイミングをずらさないの? なんで分割しないの?
クライアントへの請求が納品後という契約だとしても、外注先にも同様の契約を結べば、
先に請求が来るなんてことは無いよね。馬鹿なの?
第二に、開発開始前の要件ヒアリングと仕様設計と工数見積もりが超適当だったんじゃないの?
そこんとこしっかり握れてれば、仕様変更や追加機能は、追加費用として請求できるでしょ。
むしろ話が違うってことで、クライアントのところに乗り込んでって仕切り直すことも出来るでしょ。
なんでクライアントとか代理店の言いなりになってタダ働きしてるの? ボランティアなの?
第三に、運転資金300万が溶けるってのが理解できない。
そもそもフリーランスが銀行から300万の融資を受けられるっていうミラクルは、
どういう交渉で実現したんだか知らないけど、その虎の子の300万が外注費で全額溶ける、
って状況がさっぱりわからない。
法人が社員雇ってて人件費で溶けるとかならわかるけど、下請けに発注してるだけでしょ?
なんで開発がまともに完了してないのに金だけ取られちゃってるの? 交渉しないの?
なんなの? いじめられっ子なの? 自己犠牲精神なの? かわいそうな王子なの?
第四に、なんでデスマ案件で死にそうなのに、さらに新しい案件受けるの?
ひとりで自宅で作業してんだから、運転資金なんかなくなったって死なないでしょ。
仮に受けたとしても、手が空いてないんだから孫請けに丸投げするでしょ。
第五に、なんで融資の返済もまともに出来てないのに、さらに追加融資が受けられると思ったの?
しかも個人的なサラ金とかでもなく、フリーランスの運転資金(笑)として。
それが受けられなくて絶望して廃業って、バカなの?
借金できないだけで絶望するくらいなら、外注先に頭下げまくって支払いを伸ばしてもらうとか、
クライアントに事情を説明して入金を早めてもらうとか出来ないの? コミュ障なの?
1〜5のうち、どれかひとつでもまともに出来ていれば、廃業せずにすんだはずなのに。
こんなことも出来ないやつがフリーランスになるから失敗しただけだよ。
それを政治のせいにしたり、「フリーランスは怖い」っていう一般論にするなよ。
学生時代の昔語りをしてはいけないと言われているから、匿名で書く。
俺は小中学校通じていじめられっ子で、毎日他の生徒に引っ叩かれ、学ランには毎日スリッパの跡がつくような楽しい学校生活を送っていました。部活動は体育系に強制加入で、そこでもサンドバッグでした。首の神経がどうにかなる寸前だった時は、加害者の方が自宅にニヤニヤしながら謝罪に来てくれましたが。でも、すぐに元の状況に逆戻りでしたね。
体育会系の教師が生徒指導の役割を担って体罰を加えて統治することは、昔はけっこうザラにあったと思うんですよ。俺はエリートが集う運動部に加入していたわけじゃないけど、桜宮高校で行われていたことが「あるある感」とともに過去の記憶を蘇らせるくらいの実感があります。
◆
http://anond.hatelabo.jp/20130122033549
その支配の構造は上記の記事と、そのブクマにある「自主性=言われなくても俺の思う通りに動け」のとおりだと思うのです。剣道部出身の社会科の先生が担任だったけど、気に食わないことがあると授業を中断して職員室に帰っちゃうわけです。それが5回に1回はあるわけですよ。それをねー、いじめられっ子兼学級委員長の俺が「お願いですから帰ってきてください!」と三文芝居しなきゃいけないんですよ!俺を殴っている態度不良な生徒の不始末を抱えて、こんな幼稚な教師の筋書き通りにいい子を演じるのは耐えられないけど、そういうもんだと思ってやってました。「いい子」だったから。それが役割だもん。
大津のいじめ問題でも同様のことを感じたんだけど、「学校を治める」ことは「生徒を健全な状態に保つ」こととは全く別の問題なんですよね。あたりまえか。生徒に対してプレッシャーを掛けて正しい指導をしていると思っている人が、現実を解決してくれるわけではないのです。
◆
【体罰問題】大阪市立桜宮高校の生徒・OBの声 まとめ - Togetter
学校の中で発言力が高い生徒が何の疑いもなくこういうことを言ってしまう環境の中で、俺がいじめのターゲットにされていたら、マジでやばかったんじゃないかと。学校の教育方針とそれに同調する生徒が甘ったるい美学で包囲する世界じゃないですか。生徒同士の「指導」がひとつの機能として認められかねない環境ですから、体罰やいじめが運動部だけの問題に収まっていたとはとても思えないんですよね。
もし、俺が桜宮高校の中にいたら、あの過去よりもさらに深い絶望に陥っていただろう。もし、桜宮高校で「攻撃してもよい生徒」になったとしたら「俺をこの地獄から一刻も早く救ってくれ!」と祈ったよ。
◆
橋下の政治手法がどーだこーだと言う人がいます。学校に圧力を掛けているだの、入学まで止めなくても、過去に体罰を容認していただろとか、大人の責任を子供に押し付けているだの。そのとおりだと思います。普通科への看板の掛け替えをしただけ、とも言われます。根本原因を解決していない。全くそのとおり。仰せのとおりでございます。
だけど、俺が追い詰められて死ぬ生徒の立場なら、そーんな政治や中・長期的な視野なんて、ク・ソ・ど・う・で・も・い・い!!こんなアホだらけの学校に自浄作用や自主性を促されて、平和な環境がいつできるの?つーか、殴られ続けている最中にそんなことを周りから聞かされたら、さらに絶望してビルの屋上に足がススム君だわ。
殴られて絶望している生徒は、一般の生徒と同じ仲間じゃないんです。殴られて絶望している生徒は、一般の生徒と同じ仲間でいなければならないからこそ絶望するんです。ミソもクソも一緒にして、生徒の自主性だの、大人が子供を騙しただの、なんていうロジックで、自殺したキャプテンとTogetterに出てくるような糞餓鬼をひとつのカテゴリに入れている場合か?何よりも優先して救うべきなのは、今暴力に押しつぶされようとしている生徒だろ?
◆
この糞餓鬼共にキチンとした人権意識を持たせたり、学校に行動を改めさせるのは、乱暴に言うと今すぐじゃなくていいんです。まず、手を出せない環境を作ること、手を出したら損をするという状況を作ることです。優先順位を誤って対策をすれば、初動で効果的な対策が延び延びになるだけですよ。まず初動、そのあとで誤った教育を行わないシステムの改修をするべきです。初動対策が終わったら、視野を広げて考えればいいし、むしろそうしなければいけません。そこで初めて、生徒というカテゴリを前提とした一般論が必要になるのだと思います。
表現の自由だって二次エロさえ守ってもらえば、反権力・反日の言論は取り締まってもらっても構わない。
自分らの人権は擁護してもらいたがるが、自分以外の人権はどうでもいい。
イジメ問題では、いじめられっ子に肩入れし、加害者側の人権は徹底的に剥奪しようとする。
男女問題では、男がいかに特権を行使してるかを自覚せずに、自分たちは女に抑圧されてると思い込む。
在日特権・逆差別とかいいながら、ストレートな差別はむしろ温存・強化したらいいと思ってる。
労働・貧困問題なんかも切り口しだいで、ブラック企業や市場原理主義を批判したかと思えば派遣村や生保受給者はバッシングする。
たぶん、そんなに労働環境はあんま良くないけど、一応は定職はあって派遣社員や失業者などの不安定層にはシンパシーを抱けないギリギリ中流層っぽい気がするね。
先日、子供の頃に通っていた小学校の校区を、小学校を中心にぐるりと円を書くように散歩してきた。距離的には、大人の足だと一時間半程度で一周りできる程度だ。
歩いていると当時のクラスメイト達の住んでいた家がぽつぽつと目につくのだが、それらを見てふと気づいた。所謂、低所得者層の住む家に住んでいた子達は、殆どの場合、いじめられっ子か、口数が少なく積極性に欠ける子であったことに。逆に、クラスの中心の人気者達は、それなりの家に住んでいたことに。
学校という同じ場所で同じ教育を受けているはずなのに、家柄というのは明確な差として学校生活に現れるのだなあ。
中学校卒業以降彼らがどんな人生を歩んでいるのかは余り知らない。しかし恐らくは、当時彼ら彼女らが持っていた性質は、時間とともに固定化され、より鮮明になっていったのではないだろうか。
子供は親の影響を受ける、ということを生々しく実感した。
知り合いが死んだ。
その人は大学時代のオタ系サークルの1年先輩で、その後もOB集団の
いろいろあって、我慢できなくなって、その集団からは決別した。
理由はここに書いた。
(↑実際にADHDの診断を受けたら、俺はシロだったんだけどね。
そこは、まあ、話を盛った。
なんで、とっとと決別しなかったのかって?
他に同じ趣味の集団が見つからなかったのと、あとは、まあ共依存かな。
宅八郎みたいな分かりやすい気持ち悪さは無いかわりに、もっと厄介な
事があってね。
「俺のほうが精神年齢が高い」
「いやいや、俺のほうが社会の道理をわきまえてる」
っていう、「俺は幼稚じゃないぞ!」っていう防衛意識と
つばぜり合いが凄いのよ。水面下でね。
知ってる人は『究極超人あ~る』を思い出すといい。
あれは、あ~る君っていう、無条件にタフで、悪意に対して
限りなく鈍感ないじめられっ子が居ることを前提にした
で、結果として、イベント、合宿旅行、ボードゲーム、なにをしても、
ダメ出しが飛び交う飛び交う。
この人、あからさまな意地悪は(シラフのときは)しない人だったんだけど、
その代わり、「俺は自分にも厳しいが他人にも厳しい」っていう
バリバリ飛び出すダメ出しに、自分がモヤモヤとした怒りを感じてた
1人だった。
(断っておくけど、人当たりは良かったのよ。
自分が認めた人に対しては)
しかも、SFファンダムって、なぜか"酒飲みであることを自慢する"って
変な文化があってね、
それで、酒が入ると、カラミ酒、説教酒、意地悪酒のオンパレード。
俺はいまでもそう思ってるんだけど、彼らは酒が入るから攻撃性が
アップするんじゃなくて、攻撃性を丸出しにするエクスキューズ、
正当化の道具として、酒を飲んでるんだよ。
あとから、「まあ、酒の席のことだし」って無理やり話を収束させちゃうんだよね。
あるとき、その人のカラミ酒を前にして、
「あ、ダメだ。
俺が無能とかマナー知らずとか、それ以前の問題として、これ以上ここに
と思ったから、距離をおいた。
その引き金が、彼だった。
でもね、死んじゃったんだよ。
「死んじゃったら何にもならないじゃないか!」
って気持ち。
社会性の高さには一目も二目も置いていた。
連絡を断って10年近くになるけど、あのまま壮年、中年になってたとしたら、
目上からは「使える奴」、目下からは「頼りになる人」と思われてただろう。
誠実に、かつ巧みに社会で勝ち組になることに最適化された人柄で、
人もうらやむ超一流メーカーに就職して、可愛い嫁さんを学生時代に
つかまえて、子供が中学だか高校だかに行ってて、友人に恵まれて。
それが一人で海だか山だかで死亡事故だと? アホか!
この年になるまで職を転々として、いまだにボッチで独り者の俺が
死んだ方が、まだしも世界の仕組みとしてはフェアだ。
「じゃ、替わるか?」って聞かれたら、うん、断るだろうけど。
我知らず長くなったが、今の問題は、弔電一本で済ますか、それとも
旧知の人間がたむろしているところに
と顔を出すかどうかだ。
どうしよう?
id:FUKAMACHI なにをぶちあげたところで、あの日、彼が一目散でトンズラした事実は消えない。 2012/09/05
id:uduki_45 東浩紀, 東北地方太平洋沖地震, 福島, 福島原発, インタビュー 震災直後に逃げた人間がねぇ・・・ 提案だけなら誰でもできるか 2012/09/05
俺も震災の時は距離的に移動はしてないけど、精神的な退避行動ならたくさんしたよ?お前その口利けるってことは絶対に逃げてないんだよな?
「逃げたことが悪いんじゃない。実は東浩紀という概念が気に喰わないんだ」というならはじめからそう主張しなさい!ぷんぷん!
というか、今でこそはっきり言えるけど「逃げられるなら逃げるべき」だろ。
「思想家なら逃げちゃダメ!原発関連の主張したかったら逃げちゃダメ!」ってことなの?
いじめられっ子には「逃げていいんだよ」といい、ブラック企業従業員には「そんな仕事辞めたほうがいいよ」といい、東るには「逃げちゃダメだよ」という(しかも個人名指し)
「日本人は互いの足を引っ張り合う」を地で行くいじめっ子精神にはほんと頭が下がります。
いじめの何が心を傷つけるって、「お前はどんなひどい扱いをされても誰にも助けてもらえないしそのひどい扱いをやめてもらえないカスのような無価値な人間だ」っていう理不尽な烙印が押されることが精神をひどく損なうんだ。
回復の手立ては「お前は無価値な人間ではない」という証明がなされること。
回復を助けてくれるものはたくさんある。サブカル文化作品に浸るもよし、勉強にマジになって意識を切り替えるもよし。いじめを「過剰な悪ふざけ」と受け止めることで「自分はいじめられっ子ではない」と認識を騙すという手もあるね。
そして、もしいじめっ子が本当に反省してる様子でウザいくらいに謝罪してきたとしたら、その時点である程度の回復はなされる。人によってはその時点で「いじめられた」という経験を克服したことになる。
回復がなされたらもう謝罪自体にも意味は無い。というか、過剰に謝られると逆にみじめだしスルーしたくなってくる。
それはそれ、これはこれで今を楽しむことができるんだから、もういいじゃないか、ってね。
同じものを同じように楽しめる仲間だと思えたから、そしてあんたが本当に反省して謝ってきたから、彼らはそれを信じただけだよ。
俺はいじめていたことがある。小学生の頃だけだけど。あるクライメイトを登校拒否にさせたことがある。他には、私立の中学を受験するために頑張っていた子をいじめて、そいつはいじめられてから成績が落ちつづけて受験校すべてに落ちていた。さらには、俺がいじめたせいで性格が歪んだ暗くなったクラスメイトもいた。
だが、いまでは何の罪の意識もない。
しかも相当に仲が良い。よく遊ぶ。
いじめていたことは許されることではない。めちゃくちゃ反省しているし、しつこいくらいに謝罪した。しかし、当のいじめられっ子がたいして気にしていないのだ。むしろ、その中の一人は親友とも呼べる存在になっている。そいつは私立に落ちたやつ。ちなみに俺も私立受験していて俺は私立に受かった。
登校拒否になったやつと、性格が暗くなったやつは次第にサブカルに傾倒していったらしい。高校で出会ったときは、俺も漫画大好きアニメ大好きだったので、そいつらとすぐ仲良くなれた。今ではなんでも語り合える数少ない仲間である。一緒にコミケに行く常連のメンバーでもある。
なんてことがあった。俺は一般的ないじめが辿るケースとまるで違う体験をしたみたいだ。俺は「いじめていた」と思っていたんだけど、そいつらは俺を「すげーうざかった」としか思ってなかったみたい。大人になってから謝罪したときに「なんか俺がいじめられたみたいだから辞めろよ」「そんなこと思ってたのはお前だけだよ」などと返された。いや、俺はいじめに値することをやっていたんだけどと不思議になるけど、それでいいならそれがいいのでそうする。
「いじめられっ子にできることはない」なんて意見があるけど、ひとつの手段として友達になるというやり方がある。もちろんほとんどの場合はありえないとは分かっている。でも、運よく友達になれればおたがいに救われると感じた。もし許されたいなら謝るのではなく仲良くなった方がいいかもしれない。苦く辛い思い出が迷惑な思い出に変わることだってあるのだから。でもまあいじめていた奴とは仲良くなりたくないよな普通は。だから、不思議なんだけど。
いじめで人格まで破壊されて、極端におどおどするようになりヒッキーでコミュ力0の人間不信者になり勿論どこにも雇われず
ワープアやブラックで雇われてもキョドリで揶揄の的になるか「あの人大丈夫?」とか言われてまたクビになりひきこもりニートに逆戻り
その内高齢ニートになり、養い切れなくなった親に殺されるか 追い出されて 野垂れ死に。もしくはそうなる前に自傷行為を繰り返し
「制度や組織がある程度はちゃんと機能していた」という結果が必要
その結果あってこそ人格が破壊された被害者もその後の惨めな人生を社会の一員として受け入れる事ができるわけ
制度や組織が被害者に我慢のみを強いて、加害者達ばかり擁護して見てみぬふりして怠慢してきたのがこれまでの教育現場
つまりは「喧嘩両成敗」「反撃して同じレベルに落ちるな」「大人になって見返せ」「被害者に転校を奨める」「学校なんか行かなくてもいい」
これ全部奇麗事いって被害者を丸め込み被害者に我慢させて何事も無かったように収める為の嘘
今度のいじめ事件でばれちゃったんだよ。ろくに制度や組織が機能しようとすらしていなかったのが
加害者は人権屋が擁護してくれるのに、被害者は被害届出してもなかなか受け付けてもらえない
まだ教師に洗脳されたいじめ被害者でマインドコントロールから抜け出せていない人がはてな村にもいるみたいだけど
そりゃ教育現場に丸め込まれてそのまま卒業しちゃって上記の人生辿るコースに乗っちゃった人達の中から教育現場に恨みを抱いて
で、8月15日に大津で教育組織が襲撃されるという事件が起こらなかったら、なぜかいじめ被害者が学校に退学奨められたというあの別の県のいじめ事件、学校側が退学奨めるの果たして8月17日に撤回しただろうかって考えちゃうね 襲った犯人のお陰なんてことは秩序ある社会の一員としては認めてはいけないことなんだけどさ
自主退学奨められて7月31日に自主退学してしまった被害者がその後正攻法で学校と裁判で争ったとしてその間の空白期間がその後の人生で就職活動などでもたらすデメリットにもなりかねなかったのに傷の付きにくい夏休み中に解決したことを考えるとさ
教育現場の襲撃者はその後の人生レール駄目にしても、他のいじめ被害者のその後の人生を結果的に1人救ったのかなって
殴られた人も公の場で元いじめられっ子達の反感煽りまくるような発表してヘイト値高めた挙句殴られてニュースになったことで
2年間学校に行くたびに廊下で後ろから、ボスからなぐられる様を見て調子に乗った男子達に代わる代わる殴られ飛び蹴りされつづけた元増田はつらつら考えてしまう
あの頃先生達は集団による暴力を止めてくれようとさえしなかった「喧嘩両成敗」「反撃して同じレベルに落ちるな」「大人になって見返せ」
とばかり言っていた 殴られた教育長みたいに殴られているときには誰かが助けてくれることさえなかった
それでいて「平和教育」「子どもを戦場に送るな」とかほざいていた 増田が無抵抗主義のサヨク嫌いな根源はここに尽きる
学校が戦場だよ 増田は8月6日は時々学校さぼった 集団で殴り続けられる痛みすら分からない教師に「平和」などぬかされると殴りたくて怒鳴りたくて
仕方なくなっていたから
そういう考えで叩きであったまってる場に正論ぶちかましても無駄だよ
異常な書き込みに反論→三倍くらいの反論→それに返答→もう相手が入れ替わってて「「若い子がいい」っていう好みの話すら許さねぇのかこらババア!やっぱババア最低だな!」→そんなこと言ってないと反論→話にならない応酬がうんざりするほど続く→失せろ便器wwと言われながら逃げるしかなくなる
奴らは整合性が全くとれてなくても屁理屈でも明らかにおかしくても数の暴力で突っ切る
「燃料」を注ぐと、叩かれ対象は更に50倍くらいボロカスに言われる現実は論理で勝ってようと何だろうと動かせないから。
こういう女叩きってそれが当たり前だから、不満に思おうと悲しく感じようと個人ユーザーは何もできないよ
嘘だと思うのならニートがいそうな時間帯にvipの処女厨スレに行って「人は精液入れたコップでも便器でもないぞ!」って相手が折れるまで主張してきてみて
無駄だと思い知って、自分から近づく意味なんか一個もないなって理解できると思うからw
だから叩かれてる人に該当する要素持ってる人は叩き系のページを開かなきゃすむことなんだって。
奴らは奴らで、自分たちの偏りを死んでも認めるかって態度
だからそれこそあなたが引用している後者の人に言ってるのと同じ状況を作るだけなんだよ
だから叩きの被害者には「そんなもん見んとき、気にしんとき」でいいじゃない
負の感情に取り込まれてまとも相手した時点でもう一人の人が言ってるみたいに「このいじめられっ子をぶちのめした方が早いわ。うぜぇし」って思われるだけ。
ほら、もうね、損するだけw
いじめで人を殺し損ねた。
ある時はとっくみあいになって目を潰すつもりでケリを入れたし、
ある時は舌を噛み切らせるつもりで頭突きをかました。
殺すつもりだった。
だけど彼らは大したケガはしなかったし、おかげで僕は「少年A」にならず、
今はいじめなんてなかったかのような、平穏な暮らしをしている。
そう、僕はいじめられていた。
解決?
少なくとも、いじめられている事実をできるだけ僕のプライドが傷つかないように公表して、
親になんて恥ずかしくて相談できないし、解決にならない。
今でもそうだが、昔から口べたな僕は、
もし先生に「○○君らにいじめられています」と言ったとしても、
その後どんな言葉を続ければ、この苦しみが理解してもらえるのかわからなかった。
ちっぽけな自尊心と、無理解への恐怖は、相手と同じ、いやそれ以上の暴力として発揮するしか突破口がないと思った。
いじめといっても、マンガやニュースで出て来るような葬式ごっこやら上履きが消えたり、
学校は楽しかった。それなりに仲のいい友達もいて、でも一部に暴力を奮ってくる奴がいる。
たしかに「じゃれあってくる」奴もいた。彼らのことは僕も嫌いじゃなかった。
たまにイラっとくることもあったが、たしかに彼らは僕と遊んでいたし、
彼らなりの愛情表現として寝技をかけてきたりヘッドロックをかましてきたりした。
それとは違って、サディズムめいた、小動物を殺さない程度にいたぶりたがるような、
「俺はお前より上なんだ」と自尊心を確認するために暴力をふるってくる奴らがいた。
当時はそんな言葉はなかったが、「スクールカースト」は非常に意識していた。
AランクからいじめられるBランクの奴を、Cランクの僕はAランク同様見下していたが、
僕はBの彼、Mのことが嫌いだったので(自慢話が多いMは多くの人から嫌われていた)、
やたら僕を見下す発言をしてきたのは、そうやって高い自尊心を癒していたのだろう。
ノースサウス・ポジションというよりは、お互いの足が顔に位置する態勢になった。
その時、お互いが抵抗をやめるはずもなく、頭に血が上っていた僕は、
「これは事を大きくするチャンスだ」と、彼の顔――目を狙って、かかとで思い切り蹴りつけた。
今思えば、狙うのは鼻でもよかったはずなのに、目だった。
目を潰すくらいのことをしなければ、僕が今まで受けてきた痛みとは釣り合わない、そう思っていた。
しかし幸か不幸か大したケガはせずに、部員の誰かが仲裁に入って、やめることになった。
どっちが勝つというケンカではなかったが、
「MがF(僕)に負けた」と誰かがからかい半分言い放ったのは、Mの自尊心をまた傷つけただろう。
これもやはり部活中で、スクールカーストでは最下位に当たるSと僕が、
どういう流れか対決させられることになった。
今思い出してもあれは気持ちが悪かった。
部員全員が輪になって僕とSと囲い、二人の対決を見守る。
背後からヘッドロックを決められたときに、精一杯僕は彼の口を目がけて頭突きをした。
これも歯を折るとかではなく、舌を噛み切らせることを明確に目的にしていた。
流血沙汰になって先生に知られれば、この見物人たちも「加害者」として裁かれるはずだ。
これは僕とSとのケンカではない。
部員が仕組んだ、自らの手を汚さずにサディズムを満たす卑劣な行為なのだ。
結局これも、Sが少し脣を切るくらいでおさまって、
あとは先生が来たのを気に、何事もなかったように部活が続けられた。
中三の秋だったか、自習の時に加害者二人に学校中を追い回され殴られ、
初めて先生に泣きついて、いじめの事実をようやく把握してもらった。
その後僕に暴力をふるわなくなった。
それを先生が見ていたのだが、「あんなあぶないことして!」と僕には怒って見せたが、
溺れさせようとしていた本人たちに注意することはなかった。
僕がそれまで断続的に、いろんな奴らから受けていた暴力はいったい何だったのか。
今となっては、僕がいじめられていた原因はなんとなくわかる。
そのわりに生意気な所があって、反抗してくるから、ますますいじめたくなる。
Twitterで見た発言だが、「いじめられる側にも原因はあるが責任はない」というのは、
いじめられっ子として非常に納得がいく。
そしてMやSを見下していた=いじめていた僕としても、非常に納得がいく。
ナマイキ。
俺より弱そう。
なんかムカつく。
殴ったあとの反応が面白い。
猫をかわいがっていて、つい嫌がる反応を見たくて抓ったりする。
それと同じだ。
お前より上だと主張しあう。
僕はあのとき、取り返しのつかない怪我を彼らにさせていればよかったんだろうか。
「少年A」になり損ねた僕は、この春入学する我が子がいじめられたら、どうすればいいのだろうか。
僕に似た息子は、きっといじめの相談なんて親に出来ないだろう。
いじめの現場を密かに録音しても、それを聞かれるなんて嫌がるだろう。
だからせめて、彼の行き場のない怒りを学校のテレビにぶつけろとでも伝えようか。
「もしいじめられて、堪えきれなくなったら、テレビを椅子でぶっ壊せ。
そしたらお父さんはすぐに駆けつける。
人に怒りをぶつけて怪我をさせたら、お前が嫌な思いをしてしまう。
人を怪我させたら大変だけど、学校のテレビくらいならいくらでも弁償してやる。
たった10分、15分の休み時間や、部活の時など、先生の目の届かない時に、
だから先生、お願いだから、いじめを無視して手を汚さない「加害者」にならないでくれ。
見て見ない振りだけはやめてくれ。
元「少年A」を増やさないために。
水面下の出来事おおやけにしてやったので
次の学年から不良どもがアホみたいにおとなしくなった
学校側の配慮でクラスもわかりやすいぐらいいいやつとわるいやつが分別され
泣き寝入りしてた奴らもすごく明るく笑うようになった
ゴミ溜めみたいなクラスにはだれも近づかなかったよ、これも見方変えればいじめに繋がるのかもしれんが
もちろん「自分はこのクラスじゃないだろ」ってやつがいたけど、つるんでるグループ
まるまる押し込められてるのはだれの目にも明らかだったので相手にはしなかった
掘り返してみれば正義云々なんてかけらもない、
学校側の対処だってもう何人も病院送りにされてんのに放置してるようなもんでかなり遅かったし
父母やら、教育委員会まで話流れなかったら、どうなってたやら。中立の立場は口だけだよ
なにかしら行動起こしてなかったり、まわりに信じられる奴いないなら
声に出して言われると余計信じられないことだろうし
いまやっている「あさイチ」の冒頭で「わが子がいじめられているかも、と思ったら」的な特集をやっていた。
そこで言っていた対策についてはとりあえず置いておく。
問題なのはその後間髪いれずに四日市の観光特集をやったことだ。
ぶっちゃけその四日市の特集は面白かった。ろくろ首みたいなキャラクターがいたり、バルサミコ豚テキがあったり、知らない事をやってくれて、面白かった。
だけど前にやっていたいじめの特集と四日市の特集の空気が違いすぎるなぁ、って感じた。これって、いじめの空気をある種断絶してるんじゃないかな。
このような、いじめがある世界と自分が住んでいる世界を分けて考えている様に見せてしまう無神経さが、いじめられっ子を苦しめているんだと思う。
過去に「いじめられていた」という事実は一生DQNを引き寄せる
DQNは「過去にいじめられていた」→「コミュ力を失ったKYは周囲の迷惑」→「いじめられている側にも問題が」→「いじめてもいい」
というおかしな思考回路したまま大人になっているから過去にいじめられていた人達の噂を聞けばその人を見下して笑う
例「ネトウヨは元いじめられっ子」この手の書き込みをする人達ほど「人権」と唱えるからマジ笑える
社会人になってから、学生時代のいじめで笑顔を無くし男性恐怖症になった女性の表情に笑顔が無くてキモくて迷惑だから
一緒にハブってと会社の女先輩(勿論いじめの後遺症の事は知っている)に言われ怒りの余り女先輩に楯突いて先輩も私も両者会社辞めることになった横増田が通りますよ。いじめられそうになっていた人かばったらターゲットが私に移った
なぜ「いじめられた」人たちの言葉は、こんなに自信にあふれているのか。
朝日新聞デジタル:《いじめられている君へ》内藤大助さん - いじめと君
そんなとき、たまたま下宿先の近くにボクシングジムがあったんだ。通えばケンカに強くなれる。強くなれなくても、「ジムに行ってるんだ」と言えば、いじめっ子をびびらせられるって思ったね。
入ってみたらさ……楽しかったなあ。周りも一生懸命で、俺もやればやるほど自信がついて、どんどんのめり込んだ。自分を守るために始めたのに、いつの間にかいじめのことなんてどうでもよくなっていた。不思議なもんだ。
ボクシングの練習がつらいときは「いじめに比べたら大したことない」って考え、マイナスの体験をプラスに変えてきた。でもね、「いじめられてよかった」なんて思ったことは、ただの一度もないぜ。いまだにつらい思い出なんだ。
「いじめられたらやり返せ」っていう大人もいる。でも、やり返したら、その10倍、20倍で仕返しされるんだよな。わかるよ。
俺は一人で悩んじゃった。その反省からも言うけど、少しでも嫌なことがあれば自分だけで抱え込むな。親でも先生でも相談したらいい。先生にチクったと言われたって、それはカッコ悪いことじゃない。あきらめちゃいけないんだ。
前半の経験はいいとして、後半のメッセージ部分では、内藤が膝を屈めて無理やりこちら目線になって話してるように思われるところがある。「わかるよ」と書いてあるけど、お前ほんとうに分かってるのかとツッコミたくなる。
こういう「私はいじめられた経験があるから、あなたのことが分かるのよ」という自信はいじめ体験談全般に散見される。もちろんいじめ体験を語ること自体を否定するつもりではない。だが、世の中で様々な人がそれぞれ固有の状況下でいじめを受けているということを考えると、その自身はあまりにも無邪気じゃないか。この無邪気さは度が過ぎると残酷ですらある。それが押切もえの次の文章。
朝日新聞デジタル:《いじめられている君へ》押切もえさん - いじめと君
中学生になって嫌がらせはやみ、雑誌のモデルをするようになったら、今度は向こうから声をかけてくるようになりました。
夢と希望を持ってほしい。外見を磨くとか、学者さんを目指すとか。「誰かを笑わせたい」でもいい。声や体形がいじめのきっかけになることもあるけど、それはあなたの個性です。
人生の主役は自分。主人公が脇役からつらい目に遭(あ)わされる映画、ありますよね。でも、最後には必ず活躍する。いじめる子たちはしょせん脇役です。学校の外にはもっと広い世界があります。絶対におもしろい人生にしましょう。
そもそも押切の書いてるようないじめって相当珍しいパターンなんじゃないのと思ったが、こういういじめを受けている人もいるのだろうからその点はとりあえず置いておく。
で、これを読んで夢と希望を持てる人はいるのだろうか。押切のファンくらいじゃないの。
押切は前半で自分のいじめ経験を告白したことで、現在いじめられているであろう読者と同じ目線に立ったつもりなのかもしれない。「あなたたちのことを理解できるこの私が、あなたたちに希望を持ってほしいと思ってるのです」と。
だが、読者の置かれている状況と、押切を襲ったいじめというのがかけ離れたものでありうることは容易に想像できる。むしろ押切本人がなぜ想像できないのか謎だ。
万人が目を背けたくなるような不細工で救いようのないくらい頭の悪い人はどうしたらいいのか。夢と希望を持てだって。ふざけんな、お前に言われたくねえよ。
もちろん、いじめられた経験を書くべきでない、と言っているのではない。
ただ、経験から得られた教訓・メッセージは最小限にするべきだと言いたいのだ。
朝日新聞デジタル:《いじめられている君へ》森永卓郎さん - いじめと君
またあるとき、サッカーの試合に補欠だった私が珍しく出場したら、たまたま足にボールが当たり、ゴールが決まった。おかげでみんなに認められ、仲間に入れてもらえた。おみそ扱いも終わりました。
ビー玉やサッカーの「偶然」がなければ、いじめは続いていたでしょう。周りの子はよほど強くないと、いじめられっ子を助けてあげられない。本人が反撃し、もがくしかないと思います。返り討ちに遭うかもしれない。でも、抵抗しないままだと、いじめはどんどんエスカレートします。相手と目が合ったときに「ふんっ」って、やるくらいでもいいんですよ。
構成としては今までに見た二つと同じようなものだ。
だが、決定的に違う点として、森永の文章は自分のいじめられた経験と、それによって直接見えたことしか書いていないのだ。
森永は自分の経験を書いた上で、そこから全く関係ないメッセージ、つまり夢と希望を持てとか言わないのだ。彼が言うのは抵抗が状況を改善する可能性があること。これは前に述べられてる経験から見えたもの。
いじめられた経験のある人にしか見えず、語りえないことというのは恐らくあるだろう。
ただ、ある人が体験できるのは「いじめ」というものの一面でしかないのだ。だから、そこから語るべきは一般論ではなくて、その人の体験と、そこから導かれる最小限のメッセージじゃないのか。
これはいじめられた経験というのに限った話ではない。いじめに関する言説の多くが、断定口調で「いじめってこういうものじゃない」「君はいじめを分かってない」という言い方をする。
この国の学校で生活していれば、たいていの人は何らかの形でいじめと接するから、そういう人たちの一部は、自分をいじめの専門家だと勘違いしているのだ。
だが、「いじめ」というのにも多種多様なものがあるはずだ。私は色んないじめに接してきました、と言ったって、一人が生活の中で経験できるいじめなんてごく限られたものだ。
押切もえの文章で勇気づけられる人はいるだろうし、それはそれでいいのだろうけど、やはり彼女があそこまでの自信を持っていじめ一般論ぽいものを語るというのは、不遜であるしいい加減なように思えるのだ。
友達の紹介、3度デートして、告白後メールが返ってこなくなった。
友達の紹介、合わない感じを感じていたので、二度目はないなぁって思ったが、あっちから「ごめんなさい」と言ってきた。
会社の後輩、5度デートした後に告白したら「勘違いさせてごめんなさい。」
ひどい戦歴だ。
世の中の女は見る目がない!と叫んでやりたいものの、彼女いない歴が31年の俺なので、もちろん問題はこっちにあるんだろう。
友達がいないほうだとは思うんだけど、もう5年も6年も会ってない友達が、急に女の子を紹介してくれたりするんだから、スペック的にはいいんじゃないかと。
だって、紹介してくれるってことは、スペックが充分か、好かれるキャラか、あるいは両方ってことだと思うし、そして、俺は好かれるキャラではない。
1対5のプロレスごっこで1のほうの役だったし、お誕生日会に行けば、「あれ?きみ呼んだっけ」みたいな扱いをうけるほうだったし。
いじめられっ子というほどじゃないけれど、人気者とは程遠いポジショニングだったはずだ。
女から見て、自分以外の彼氏には丁度いい男であり、自分の彼氏としては嫌なタイプ、ということなんだろう。
考えると嫌な気分になるけど、自己分析するとそんな結論だ。
やはり、改善点というのは見た目ということになるのだろうか。
ほんと、やってられん。