はてなでブログを書くような人間は全員、子供のころはいじめられっ子だったに違いないと確信している私。
こうして増田で書いている私も当然いじめられっ子だったわけですが、それについての思い出話をひとつ。
いじめられっ子といっても、そこまで酷くならなかった(囃し立てられる程度)のですが、
それは初期の段階で「やり返した」からだろうなー、と思います。
よくマッチョな人が「いじめを話し合いによって解決するのは無理」とか「体罰を否定した日教組による戦後教育の歪みが云々」とか言ってますが、
彼らの話は正しいのかもしれません。まあ、殴り返して余計にいじめが酷くなったという話もまま聞くところですので、
いじめっ子を殴ってそれで沈静化した私のケースはむしろレアなのかもしれません。
ところで、いじめっ子は3人1組の場合が多いように思われます。
3.体が小さくて、いじめられっ子の側に回ってもおかしくないのだが、上手く立ち回ってそれを回避しているタイプ
さて、殴り返すとしたら誰を殴るべきでしょうか。普通に考えれば1ですよね。
でも怖いんです。人気があるからいつも誰かと一緒にいるし。
だから3を殴る。自分よりも弱くて、いかにも殴りやすそうな相手を。
正直、ビビりました。殴った相手が壁に頭をぶつけて、病院行き。
正々堂々喧嘩したのならともかく、自分より弱い相手を一方的に殴って怪我させたわけですから、いろいろ考えますよね。
菓子折り以て謝りにいかねばならないのか、とか、もしかして警察!?とか。
不思議なことにそれっきり何もなかったのですが(牧歌的な時代ですね。15年くらい前)、すると今度は「なんて卑怯なやつなんだ、自分は」
という罪悪感が襲ってきました。
実際、そうなんだと思います。一番弱い相手を狙って殴り、それで鬱憤を解消しようとしたわけですから。
「正当防衛」なのでしょう。たぶん。
でも、いじめっ子のような誇りも信条もないような人種と違って、栄誉あるいじめられっ子の私はプライドたかびーちゃんなので、そう思うのは仕方がない。
この一件から学んだことは、自分がそこまで強くもなく、本当の悪に立ち向かえるような勇気も持ち合わせていないこと。
一般化するなら以下のような感じでしょうか。
1.人間は自分が被害者であると強く思えば、どこまでも攻撃的になれる。
2.しかし、その矛先は多くの場合、問題の元凶ではなく、単に自分よりも弱い人間に向かう。
何でいじめられた私が反省せねばならないのか自分でもよくわからないのですが、要するにいじめとは
いじめられ続けても傷つくし、やり返していじめを終わらせても傷つく
という何このクソゲーな代物なわけです。