はてなキーワード: 駄菓子屋とは
駄菓子屋なんて今どきどこにあるのよ?
というか、フリトレーから出てると思っていたら発売元がカルビーだった(商品パッケージ左上にはフリトレーのロゴあるけど)
調べてみたらフリトレーは2009年という大層昔にカルビーの子会社になっていた
全然知らんかった
ところで、たこやき亭の類似商品に「キャベツ太郎」があるが味も食感も全く違うよな
入った店にたこやき亭が無い場合やむを得ずキャベツ太郎を買うことがあるが、やっぱり全然違う。しょっぱすぎる
キャベツ太郎は小袋に入って駄菓子コーナーで売られているイメージなので、あんな尖った味を子供が食べるというのが不思議な感じだ
(自分は幼い頃からキャベツ太郎は食べなかった。たこやきくん派だった。そして駄菓子は主にマルカワのガムやうまい棒を買っていた
大きくなってからハートチップルとかコーンポタージュとかポテトフライとかが好きになった。あと、パチパチパニックは偶に買う。ビッグカツやおやつカルパスは何故か人から貰う)
関係ないがド田舎の大学に通っていた際、近くにとても古い駄菓子屋があった
自分の地元では見たことのないタイプの陳列ケースに沢山お菓子が入っており、興奮して色々買った
https://www.rafuju.jp/products/detail.php?product_id=793202
↑みたいなケースに変なクリームが入ったミニシューとかが詰まっていて量り売りだった
しぶい
○ご飯
朝:なし。昼:おにぎり。おみそ汁。夜:牛丼。サラダ。豚汁。たまご。牛皿。間食:豆菓子。イカフライ。
○調子
○探しものは夏ですか
スマートフォン向けアドベンチャーゲームとして高評価だった作品をケムコADVチームと手を組んでリメイクした家庭用ハード向けの移植版を遊んだので感想。
昔お世話になっていた駄菓子屋のおばちゃんが亡くなったことを知り、久々に母方の実家へ帰省する大学生の主人公の空木恭平、そこで何故か主人亡き駄菓子屋で生活をしている謎の女子高生織原真琴と出会い、一夏の青春が始まる。
メーンヒロインとなる真琴はかなり気が強く物怖じしないが、主人公の恭平は人付き合いが苦手で知らない人に話しかけるのも苦手だし家族とすら上手く会話ができない。
しかし、真琴は真琴で考えなしに突っ走しり失敗するところがあるし、恭平には慎重に物事を下調べしたり考察を巡らせる良い点がある。
二人の凸と凹がハマっていき特別な関係値が生まれていくストーリーだ。
当初は真琴のビー玉を探すという素っ頓狂なお願いを叶えるために街を歩き回るのだけど、徐々にこの田舎町で何かが起きていることを知っていく。
神隠しや町に伝わる伝承などが雰囲気を盛り上げて行き、物語への期待度が少しづつ高まって行く。
中盤明らかにギアが変わるエピソードがあり、そこからはウジウジしていた恭平が男を魅せるシーンや、勝ち気な真琴の裏にあるもう一つの一面が見えるなどの、良きシーンで盛り上がっていく。
この辺は主要な登場人物を絞っているからこそ、やりたいことが強く伝わるし、スチル絵もしっかり用意されていて好きなシーン。
ただ、それらに至るまでの序盤のあっさり目な文量は惜しいところだ。
タメがあるからこそ、中盤のそれを覆すシーンが燃えるのだけど、そこが物足りなかった。
恭平がウジウジ、真琴がハキハキというのも、具体的なエピソードは数個で、あまり対比になっていない上、恭平は割と真琴には早々に強気な態度を取るので、そういう設定だが実態を表現する量が物足りなかった。
文量の少なさは終盤の謎が解決していくシーンでも感じられる。
序盤のビー玉探しパートで振られていた謎が解かれていくのだけど、複雑な構造の割にスムーズに話が進んでいき、それらに対する悩みもあっさりと踏み越えてしまう。
何しろ主要な登場人物が二人しかいないのだから、深く濃厚な描写を期待したくなるのだが、あらすじ感が強くもっとボリュームが欲しかった。
恭平、真琴共にそれぞれのルートでとても大きな決断をするのだけれど、覚悟の決まり方が早く、話がサクサク進んでいってしまう。
真琴の方はまあそういう性格だと割り切れるものの、恭平の方はもっと色々と策を講じても良かったんじゃないかなと思ってしまった。
ストーリーのテンポが良いのは悪いことではないのだけれど、中盤から登場するとあるSFガジェットを利用した展開は様々な活用方法が考えられるので、二人しかいない主要人物同士でそれらを議論して段取りを立てるシーンをたっぷり見たかったのは、僕の好みで一般論とは違うかもだけど、そう思えてしまうほど文量が物足りない。
勿論、ストーリーの主題はSFガジェットを利用した段取り小説ではなく、一夏の青春、一夏の恋愛なのだから、この辺は好みの問題ではある。
ただ、この二人での議論シーンがかなり薄いのは、真琴の人の話を聞かない性質がかなり理由の一つに感じられたせいで、真琴への好感度があまり上がらず、恋愛のストーリーにも乗り切れなかった。
(これこそ好みの話だけども)
田舎町の夏を文章以外にも背景絵やBGM、SEで彩っており雰囲気は抜群。
真琴の立ち絵やスチル絵は水彩画風の色塗りが決まっていてキュンとする。
そして、最終ルートで流れる主題歌のウエノレイさんのshyderはめちゃくちゃ決まっている良い曲だった。
物語の主題歌としてキチンと話の筋を踏まえた歌詞になっており、恭平と真琴の関係値を端的に歌っていて素晴らしかった。
ストーリー面でも恭平が変わっていき、真琴だけでなく家族とも新しい関係値を結んでいくシーンは情緖豊かなシーンで印象的だった。
恭平と真琴の関係がこれから前向きに進んで行くところで終わるが、アレはどうなるんだ、こっちはどうなるんだと気になるところが多く、余韻が残るエンディングが好きだ。
決してストーリーが収まっていないわけではなく、物語上の謎はある程度しっかりと解決して、あくまで二人の恋愛関係が良い意味で先が気になり、今後の二人がどうなるのかを想像する楽しみがある終わりなのが良いバランス。
また声優の佐野裕理さんのイジけた恭平の隠キャ演技がバッチリハマっており、言葉面は肯定しているが内心は不平不満たらたらな本音が見えかくれするシーンを上手に演じてくれていてとても良かった。
好みの方向性こそ違っていたものの、一夏の青春恋愛ものノベルゲームとして小さく綺麗にまとまりつつ、彼らの先に広がる未来を想像する楽しみもある良いゲームだった。
父方の実家が嫌いだ。
最近ようやくその縁が切れる目処が立ってきたのだが、いざというとき決心が鈍らないようにどんなに嫌いか書き起こしておくことにした。
緩やかな坂の上に建つ家は大きく、貧乏だった祖父が会社を興し一代で築いた。隣の家に行くのに坂を下り道路を渡っていかなければいけない。
いずれは父の家庭(つまり私たち)を呼び寄せ二世帯で暮らすことも考えていた、と後から聞いた。
その割には電気関係があまりに貧弱で頻繁にブレーカーが落ちていたので、どのみち無理だったと思う。
家の前は杉林でそのまま山へと続く。夏はアブが、冬はカメムシが大量発生する。
敷地は広く、車が三台収まるコンクリート造りの車庫に加えて大型の農機具が複数収まる小屋や鶏小屋、2つのビニールハウスを備えてなお広がる畑もある。
畑の先にはそれなりの大きさの池があり、祖父がそこに鯉を放し飼いにしており夕方には餌をやりに行っていた。
その池を回ろうと祖父が小型の舟を買ったことがあったが私は一度も乗った記憶はなく、舟は池の側で逆さで放置されていた。
祖父は昔からそうだ。思いつきで使いもしないものを大金はたいて買い、あとはゴミになる。成金そのものだ。
正月や盆にはその親族が大勢この家に集まって、仕出し料理なんかをとって宴会をする。映画のサマーウォーズのような風景だ(なお、このために私は本作が嫌いである)
私は普段はそこから車で一時間弱の県庁所在地に暮らしているが、長期休みや時には土日ともなればすぐさま連れて行かれ父の実家に預けられて過ごした。(これは祖父母の意向であり、母は嫌々だったと聞いている)
家の周りは田んぼと山で、歩いていける範囲にあるのは駄菓子屋のみ。
その頃にはすでに人口の過疎化が進んでおり同年代の子供は一人しかいなかったし、あまり気も合わなかったのでその子とはあまり遊ばなかった。
長期休みの始めから終わりまでを、家から持ち込んだ自由帳に絵を描いたり、擦り切れるほどに読んだ漫画をまた読み返したり、近所の家のお兄さんのお下がりのファミコンソフト数本でしのぐのだ。いつも学校で一緒の友達はみんな64で遊んでいる時代にも関わらず。
家業は建築業であったが農業も営んでおり、物心ついた頃から田植えや稲刈りに連れて行かれるのが普通だった。
当然ヒマだったし、それなりに成長してからは仕事が振られるがそれも嫌だった。
小学生の頃は春に運動会、秋に学芸会があったがちょうど田植えや稲刈りの時期と重なっており、父や父方の祖父母がそれを観に来た覚えはない。母と母方の祖母がいつも来ていた。
仲の良かった子たちの親はみんな会社勤めや公務員だったりして、行事のときには父母揃っている姿をよく見た。
羨ましいと思った記憶はないが、うちは何か違うんだなぁということは感じた。
一番嫌だったのは、運動会の後にはそのまま車で父実家に連行されて田植えに駆り出されることだった。最初から体操着を着ているので都合がよかったのだ。
運動会頑張ったから今日はレストランに晩ごはん食べに行こう、と話すどこかの家族がドラマの世界のようだった。
田舎の自然環境や農業中心の暮らしよりも嫌だったのは、親戚付き合いや近所付き合いだった。
道を歩いているだけでどこの家の人間かわかってしまう。他に子供がいる家がないからだ。
そして田舎特有の距離感で、なまりの強い言葉でやたらと話しかけてくる。こっちはお前が誰だかも知らないのに。
私は三姉妹の真ん中だが、みんなだいたい私を姉と思って話しかけてきた。
姉とはけっこう歳が離れているので普通なら間違わない。実際、地元の知り合いに私と姉を間違う人はいなかった。
しかし田舎の人たちは子供を見慣れていないので子供の年齢からくる体格の違いなんてわからないのだ。子供は子供、と一括りにされている。
そもそも私たちがいくつになるかなんて知らないし興味もなかっただろう。なら放っておけばいいのに何故か近寄ってくる。
妹とは歳が近かったし見た目も似ていたので当然間違えられた。最初から最後まで間違えたまま帰る人もいた。
中間子は影が薄いなんて言われることもあるが、姉と妹の名前は覚えているのに私の名前だけ出てこないなんてこともザラにあった。
母(というか女性)は親戚集まりの際には台所であれやこれやと仕事をしていなければならなく、それは子供である私達も同じだった。
ただ飲んで騒ぐだけの男たちにやれ酒を持ってこいだのあれが足りないだのと次から次に言い付けられても愛想のいい姉はちゃんと対応していたし、妹は人見知りがひどかったので常に台所で母にくっついて手伝いをしていた。
私も妹と同じく人見知りだったが母は妹に取られている、かといってよく知りもしない親戚連中のおばさんたちに指示を仰ぐこともできない。
人見知りなのだから愛想がいいわけもなく、私が「もっともだめなやつ」になるのは当然だった。
そのうち人前に出ることも手伝いをすることも拒否するようになって、親戚集まりの際には空き部屋に引きこもるようになるとますます評価は下がった。
「姉も妹もよく働くのに、どうしてあなたは」とわざわざ嫌味を言いに来るおばさん(祖父の妹の一人)もいたが無視していた。
上記のおばさんには奇しくも私と生年月日を同じくする孫(私からすると再従兄弟になる)がおり、彼はいわゆる優等生だった。勉強ができ、親の言うことをよく聞く子だった。(数年後に爆発して親と険悪、音信不通になったが)
更に私は高校受験に失敗するし入った学校は結局辞めるし定時制高校に入り直すもバイトに明け暮れて学業を疎かにして卒業が危うくなるしで株を落とし続けた。
親戚中からの「あいつはどうしようもないやつだな」みたいな空気は幼い頃から親戚集まりがあるたびに感じていたのに、後半はもう完全に腫れ物でいないものかのような扱いだった。その頃にはもうその方が居心地がよいほどに親戚が嫌いだったが。
高校に入ってすぐに父母が離婚して、当然私は母方の籍に入った。というか三人全員そうした。
父方の親戚たちは離婚時にまで首を突っ込んできた。(中でも嫌味おばさんはすごかった)
なんで夫婦の問題に祖父母どころか親戚が絡んでくるのか謎だったし、そういうのが当たり前な気質が気持ち悪かった。
元々苦手だった祖父母のことも、このときに嫌いだとハッキリ自覚したと思う。
それまでは幼い頃にそれなりに一緒に過ごした情があったというか「家族(親戚は別)を嫌うのは悪いこと」という固定観念があったので「自分は祖父母が嫌い」ということから目をそらしていたのだと思う。
幼い頃から父とあまり関わってこなかったせいか特に離婚そのものにダメージはなかったし、なんなら父とはその後不仲になる一方だった。
離婚後に実家に戻ったことで、父に元々あった、私の嫌いな「〇〇家(父実家)の人間っぽいところ」が顕著になったために父に対する嫌悪感が強くなってしまったのだと思う。
(親権は母が持ったが、みんなそれなりの年齢だったので私たちが父や父実家に関わるかは本人に任せるスタンスだった。そのため離婚後もときどき父実家に行ったりなどがあった)
離婚から十年近く経ってから、父が亡くなった。持病を持っていたし年々痩せていたので長生きはしないと思っていたがまだ五十代で予想よりもずっと早かった。
父とは、死の半年前に病院から退院する父を迎えに行ったときが最後だった。
私よりも父と過ごした時間が長かった姉や就職と同時に県外に出ていた妹は訃報を聞いて泣いていたが、私は一度も泣かなかった。飼っていたペットが死んだときの方がずっと悲しかったし泣いた。
その頃には父のことが嫌いとまではいかなかったが決して好きとは言えない、という程度で、なんなら二人が行くなら私は葬式に行かなくてもいいか?と姉妹に聞くくらいだった。葬式の日に舞台のチケットを取っていたのだ。私にとっては本当にそのくらいの関係性になっていた。
誰が喪主をやるかで揉めて、しまいにはすでに嫁に出て別姓を名乗っている姉に押し付けようとするために姉が泣く始末になった。
私は当然怒って姉を庇ったが普段ロクに喋らないので、おそらく親戚たちが聞いた最初で最後の私の怒声だっただろう。
嫌味おばさんが人生終了レベルのトラブルに見舞われたり(自業自得)親戚の中でも故人が増えたりしながら数年経った。
父の死後は、介護とまではいかないが姉に協力するという形で祖父母の様子を見に行ったり通院の付き添いをするようになっていた。
姉は祖父母を見捨てきれなかったが姉一人であの家に関わったら姉が潰れてしまうと思ったので協力することにしたのだ。
数年間そんな生活をしていたが、少し前に祖父が持ち前のクズを発揮して優しい姉に絶縁宣言をされた末に施設へ入った。
姉が縁を切るなら私ももう関わる義理はないので、自分が請け負っていた祖母の病院関係を整理したりして縁切りの準備をしている。
最低限の下準備はしてあげているので今後は自力でなんとかするだろう。というかするしかないけど。
姉と妹は結婚しているが子供はおらず、私に至っては結婚願望どころか恋愛願望すらない。
自分にもあの一族の血が混ざっていることが嫌だし、自分もああなってしまう可能性があるかと思うとボケたときなんかが恐ろしくてたまらない。
別に葬式もいらないし、火葬だけは法的にしないといけないので最低限のお金を遺して身元保証会社とかにお願いしておくから適当に無縁仏とかに放り込んでおいてほしい。
最近はそういうことを考える。
一昔前のおばあちゃんの駄菓子屋みたいに少し薄暗く雑然としていて、いまどきクレジットもバーコード決済も完全非対応で現金のみ、商品も長く陳列されているのか商品の梱包のビニールが少し黄ばんでいるような、そんな小さな自転車屋。
そんな地域の店が巨大資本のチェーン店に打ち負かされるのを見るのも忍びないので、せめて小物くらいは買って経営を助けてやろうとチェーンオイルを買ったりパンク修理キットを買ったりと何度も寄っていた。
店舗での対面販売の場合は購入時に自動的に防犯登録が行われるが、それ以外の手段で自転車を購入する場合にはどこかの店舗に持ち込んで別途防犯登録をやらなければならない。登録料金は600円。出かけられる週末を待ちながら届いたロードバイクを家で調整し、晴れた週末に千円札を1枚握りしめて普段の小物を買うのと同じノリで町の自転車屋に行った。
「防犯登録?1万円ね」
耳を疑った。
自転車屋が言うにはネットで買った自転車はまともな調整がされておらず、個人で調整したとしてもそれは所詮素人のやることだから危険であり、そのような自転車に道路を走ってほしくないので店で点検調整を行うからだそうだ。
そわそわと週末を待ちながら家で自転車を調整していた自分を「バカな作業をしている素人」と鼻で笑われた気がして悲しくなった。
すぐに店を出て隣町のサイクルベースあさひに行った。あさひでは数分で防犯登録の手続きが終わった。支払った金額は600円だった。
他店で購入された自転車のメンテを断る自転車屋の話は聞いたことがある。そういった経営方法は地域の店の生き残りのための戦略として一概に否定できるものではないと思う。
ただ、自分の場合は別に調子が悪くなって自転車屋に持って行ったわけではない。自転車を買ったら防犯登録するのが法的な義務だから持って行ったのだ。そうしてやってきた客に「1万円払わなきゃ防犯登録はしない。素人が変にいじるな」等と言う権利がどこにあるというのか。
こんなふざけた商売をしなければ生き残れないような店はさっさと潰れてくれ。その跡地にサイクルベースあさひが建つ方が世の中のためになる。
【インボイス制度】はなぜ必要なのか−−よゐこ有野「何でいまなんですか?」 – MONEY PLUS
https://media.moneyforward.com/articles/8896
この記事の中に分かりやすい例があった。記事ではスルーしているが免税制度で現実的に何が起きていたかの証拠になっている。
消費税の徴収は法律で決められた義務なので子供だから取らないなんてことはできない。(厳密には10円なら消費税は1円以下で切り捨てて10円のまま)
免税制度がなければ本来通り103円に値上げしていた。この中で免税制度によって得していたのは消費者のみ。
他の例。消費税導入前から何十年も値上げしてないと持ち上げられる飲食店とかよくある。あれも免税だから可能なこと。消費税を含めずずっと税込にして実質値下げし続けている。これも仕入れ時の消費税は支払うので税率が上がる度に利益が減っている。
消費税率が上がった時に値段据え置きのままだった店は最初から消費税を取ってない。
松屋でさえ据え置きだったので個人の店なら大半が同じように据え置き。
https://www.matsuyafoods.co.jp/whatsnew/menu/18105.html
くっそ暑いのでSteamで夏休み追体験ゲーム買ってきました。
どんな内容なのかかるーく書いてみます。
念願の夏休みだけど両親が忙しくて叔父叔母の家に預けられる事になった小学生の主人公。
都会ぐらしの主人公にとって、田舎の夏にはワクワクする事がいっぱい。
従姉との再会。大自然との触れ合い。宝探し。秘密基地。ひと夏の忘れられないおもいでを30枚の絵日記に残そう!
フラッシュ暗算をひたすら繰り返すゲームになっています。大変だった記憶が蘇る・・・。
と言うか釣りと昆虫採集です。どうぶつの森と地続きなのかな?ってぐらい多種多様な虫や魚が採れます。釣りはスキルを強化して海釣りに挑戦して・・・なんかマグロとか釣ってんだけどって笑えちゃう。余った虫魚は研究者に売ってお金になるので本作のメイン金策です。
家事の大変さを学ぶとして叔母さんの洗い物を手伝います。汚れが数値化されていて0ちょうどになるように加減したりして磨いていく。マイナス1以下になると割れちゃうから注意。やったなーって記憶が蘇る。
タイミングよくゲージを止めて相手のメンコを吹っ飛ばす!まるでコロコロコミックのようなノリで展開される笑いと熱血のあるシナリオや駄菓子屋で買えるめんこのコレクション要素も見どころ。
占い師と協力して特殊な釣りゲームを行って金色の魚を釣り上げるミニゲームで作中で一番むずかしいかも・・・。主人公の体力を上げておかないと積むのも面白さの1つ。
近所の高校の夏季練習にお邪魔して、小学生ながらマラソンを鍛えて顧問の先生に挑戦するミニゲームです。ときメモをなんだか思い出すデキ。
とまぁ、ゲームだけど、懐かしの夏休みを堪能できました。面白かったです。
当時住んでいた家は北側道路の家で、南側には子どもが遊ぶには申し分ない広さの公園があったのだけど、その公園は完全に別市の管轄だったから、本当の本当に最南端にある家だったんだと思う。今はもう取り壊されて無くなっちゃったけれど。
わたしには、公園を挟んで向かいのアパートに住んでいる同じ歳の友達がいて、小さい頃からよく遊んでた。
わたしの家からダッシュで1分もかからない距離のアパートなのに、彼女はわたしと住んでいる市が違って、同じ小学校には通えなかったんだけどね。でも、一番仲の良い同級生だったから、学校が終わってからは各々家にランドセルを置いて、公園に集合して暗くなるまで一緒に過ごした。
お互いの家を行き来してDSで通信することもあったし、少し歩いたところにある本屋さんでファンシーな文房具を見たり、駄菓子屋に行ったりもしてた。狂ったように2人で手を繋ぎながら一輪車で回り続けたりとか。身体測定の結果を見せ合って、やばい!ダイエットしなきゃ!と公園をずっと走ったこともあった。
学校が違うからこそのメリットもあって、相手の素性を知らないからこそ、恋バナを包み隠さずにできたりもしたな。あとは、わたしの小学校にはない図書室の本を貸してもらったりとか。本当はよくないんだろうけど、ちゃんと返却期日までに読んで彼女には返していたから、たぶん大丈夫。
本当に仲の良い友達だった。自分の通う小学校にも友達はもちろんいたけれど、彼女だけは別格だった。今思えば、彼女はわたしにとって親友だったんだろうね。
でも小学校5年生になるタイミングで、わたしは家庭の事情で引越しをすることになった。同じ県内ではあるんだけど、それなりに離れたところ。小学生が電車を乗り継いで遊ぶには、少し難しいくらいの。
彼女と別れるのは寂しかったし、引越し直前には2人してワアワア泣いてた。当時の連絡手段って手紙しかなかったから「プロフ帳に書いてくれてた住所に手紙送るねぇぇ」とか言いながら、本当にずっと泣いてた。
小学生の手紙なんて、本当にしょーもない学校の話に、しょーもないイラストを添えただけなんだけど「会いたいね」とは、お互い、いつも文末に書いていた。とはいえ、気軽に会える距離ではなかったから、現実的ではなかったんだけど。
そうこうしているうちに中学生になり、わたしは剣道部に、彼女はバスケ部に入部して、土日も練習や試合で忙しい日々を送るようになった。お互い休みの少ない運動部に入部してしまったばかりに、行動範囲は広がったというのに、会う時間を作ることができなかった。
そのまま徐々に文通の頻度は減り、受験生の本番である中学3年生の夏頃、「受験やだねー、志望校どうしよー」「とりま勉強がんばろーね!」というような、何気ないやり取りを最後に、ぱたりと彼女との連絡は途絶えてしまった。
それ以降、彼女とは一切連絡を取っておらず、どこで、何をしているのか、何も分からない。
わたしは社会人になった。高校・大学をストレートで卒業し、就職をしてから今年で2年目となる。
文通をしなくなってから、彼女のことなど思い出すことなく過ごしてきた。しかし最近、不思議な縁があり、なんと彼女が住んでいた市に赴くことになったのだ。
用事があったのは彼女の家から少し離れたところだったけど、車を走らせたら大した距離ではない。まだ住んでいるだろうか。きっと住んではいないだろうな。とはいえ、懐かしい景色見たさもあって、わたしはGoogleに例の公園までの経路を表示させて向かった。
辿り着いてみると、そこには思い出深い公園だけがあった。彼女が住んでいたアパートは、形こそかろうじて残っているが、どうやら今はアパートとしての機能を無くしているようだった。
というのも、かつて彼女が住んでいたアパートは、今現在コミュニティスペース・ワークスペース、またはカフェなるものとして提供されているらしいのだ。流行りのリノベーションを受けたアパートは、築年数を感じさせつつもおしゃれな建物となっていて、地域の人たちがつながる場として賑わっている。そのときは子連れのお母さま方が楽しそうに過ごしていた。
彼女はどこに行ったんだろう。
真っ先にそう思った。アパートがアパートでなくなったことなど、わたしは知りもしなかった。一体いつから?順当に考えれば、彼女も、彼女のご家族も、引越したんだろうとは思うが。
唯一わたしに残されていた彼女の手がかりが、今や地域活性化の拠点となっていたことで、わたしはもう二度と彼女には会えないのだと再認識せざるを得なかった。彼女の今を知る術は、本当にもう何もない。
またいつか、生活を続ける中で、わたしはふと思い出すのだろうなと思う。
小学生の頃に、近所にすごく仲良くしていた親友がいたこと。その親友とは引越しと同時に疎遠になり、今はもう連絡の取りようがないこと。
そうして、きっと考える。菜々子、今どこで、何してるんだろうって。
今までで唯一味わったフィクションみたいな瞬間。
帰省する時は新幹線、1時間に1本のローカル電車、1日3本のバスを使うくらいの田舎。そして実家までの途中にある酒屋兼駄菓子屋兼タバコ屋に顔を出してた。
上は制服のシャツ、下はスポーツブランドのハーフパンツという珍妙な格好で、缶のバヤリースオレンジを飲みながらレジに足を投げ出し、スマホゲームをしながら店番をしていた。
「おかえり。コーラ飲む?」と言われ、店前のボロボロ長椅子でガラスショーケースから取り出した缶コーラを飲んだ。
会話の内容は共通の知り合いが仕事を辞めたとか結婚したとか塗装会社を作ったとか子供が産まれたとか(大学に進学する人は殆どいなかったので皆ライフステージ展開が早い)そういう内容。あとは俺の東京での学生生活。
夕日、ひぐらしの鳴き声、遠くの出張スーパーの呼び込み音楽、電柱のスピーカーから流れる「遠き山に日は落ちて」と「子供たちを見かけたら、家に帰るよう促しましょう」的なアナウンス、チャリで帰宅する近くの高校の野球部集団、掃除機くらいの大きさの祠と道祖神。