はてなキーワード: 自死とは
単純に病院へ行こう🏥だし、
そもそも自殺は生得的(遺伝的)なストレス感受性とレジリエンスの問題
私は中学2年から3年にかけて、学校に行くことが出来なかった。いじめを受けてうつ病を患い、学校に行こうとするとどうしようもなく体調が悪くなる。そんな2年間を過ごしていた。現在はコロナ禍故に登校はできていないものの、なんとか大学に入学し毎日オンライン授業を受けることが出来ている。
中学登校を諦め、高校はチャレンジスクールに入学し、志望する大学にも合格出来たのは、間違いなく母のおかげである。
母は素晴らしい人格者だ。長らく福祉の仕事をしているからか、私が不登校になった時も責めずに上手く病院へと誘導してくれた。私のためにチャレンジスクールを探し、心のケアのために昔から好きな動物園へと連れ出し、映画や本をたくさん与えてくれた。感謝してもし切れない。
絶望に打ちひしがれた14歳のあの夏も、社会に出るために奮闘している今も、どうにかしなずに生きているのは母のおかげであり、母のためでもある。
父親との折り合いが悪いこともあってか、重度のマザコンである自覚は十分にある。友人や彼氏と遊ぶよりも、母と遊ぶ方がずっと楽しい。母が仕事の時だけ、他の人と遊ぶ計画を立てている。私の感覚や趣味は少し世間からズレているが、母とはぴったり合う。だから母と出掛けると本当に楽しい。18にもなって異常だと、自分でも思う。
うつ病になってから私の人生は、歯車が狂ってしまったと思う。ある程度普通の生活は出来ているけれど、常に「死にたい」が付きまとっている。何をしていても、どんなに楽しくても、心の奥底に「死にたい」が根付いていて、突然ふっと目を覚ます。するとどうしても自分は生きていてはいけない気がして苦しくなる。だが死ぬわけにはいかないのだ。
母は優しい。だから私が死んだらきっと自分を責める。私のせいで母が苦しむ。精神面でも金銭面でも。それが一番耐えられない。
母のために生きている。母を苦しめないために生きている。母を喜ばせるために、生きている。自分の夢だと信じて目指している職種は、思えば母が幼い私に「あなたがもしこれになったら、お母さんはすごく嬉しい」と言って聞かせたものだった。
多分おかしいと思う。死にたい気持ち自体は強いが、自死を選ぶことだけは出来ない。事故とか通り魔とか、そういう私の意志と関係の無い死ならばいい。いや、それでもやっぱり母が苦しんでしまうから駄目だ。
犯罪・病気を除けば、自死を選ぶのは 99% 親と兄弟姉妹祖父母に問題があると認識してるけど、
物事の見方・解決の仕方以前に、生得的(遺伝的)に ストレス感受性・レジリエンス形成に個人差がある
たぶん増田は、ストレッサーに暴露されても健康的な精神状態を維持する力(抵抗力)と回復力が強いのよ
ワイもおそらくそう
ものすごく無配慮な言い方するけど “コイツ何言ってんだ?” 状態なのはもう既にその個体の許容値を超えてボロボロの状態なのよ
死にたい:
個性 > 外的要因のストレス・内科的疾患による症状> 健全なコミュニケーション・問題解決以前に本人の限界値を超えている > 不健全なコミュニケーションをとる > 外的要因のストレス・内科的疾患による症状が悪化 > 死にたい
増田:
個性 > 外的要因のストレス・内科的疾患による症状 > 別に大丈夫。問題を解決出来るかどうかはシチュエーションと増田の対応力による
周りを見渡すと死にたい人で溢れている。
理由は死にたい理由が簡単に見つけられてしまうからだろう。わざわざ探さなくてもいくらでも見つかる。
世界で一番ではないかもしれないけれども、この国は病んでいて腐っている。世界中の多くの人が、自国を眺めたときに同じように感じるのかもしれないが。
これまでに身近な人間(姉、祖母、同級生)が自殺未遂をし、大学の後輩が自死した。大学では在学中に二人の自死者が出た。皆さんの周りにもそういうことは多く起こっていると思う。
私のいた環境は、よくなかった。
・北国の閉鎖的な田舎町で育った。
・両親は心の優しい人たちではあるが、客観的に見れば多忙のために育児にあまり関われない父親、過保護でヒステリックな母親であった。
・前述の姉には物心ついたときからいじめられていた。私が家を出るまで続いた。高校の受験勉強をほぼ毎日妨害された(精神科の薬をわざと多く飲んでおかしくなっている状態で)。
・中学校〜高校ではクラスで同級生の集団からいじめにあった。ある日中学生が自殺したニュースが報道されたことがあり、翌日私をいじめている人々に「○○(私)かと思った(笑)」「○○は自殺しないでよね、困るから(笑)」と言われた。先生は見て見ぬ振りをして助けてくれなかった。
・道端で見知らぬ人にブスと罵倒された。下半身露出狂に遭遇して半狂乱で飛び込んだ交番には誰もいなかった。
・手術の後処理がよくなかったらしく体に傷が残った。
・初めてできた恋人が、私と付き合いながら他の人間とセックスしていることを共通の知人がニヤニヤしながら教えてくれた。
・働きながら大学受験をして3回落ちた(結局は滑り止めで1つだけ受かった夜間大学に行くことになったが)。
・ストーカーおよびセクハラにあっても周りの人は加害者を擁護して私を助けてくれなかった。それが何度も起こった。
等々。
もちろんもっとひどい目にあった人はたくさんいて、お前のなんか大したことないと言われるかもしれない。でもやっぱり私はひどい目にあったと自分では思っている。
ここからが本題なのだが、私はこのような半生を送ってきて一度も死のう、死にたいという気持ちになったことがない。いぎたいっ!とも思わないし、自分自身が類稀なる人材であり存在しているだけで素晴らしいとも全く思わないが、辛い→自死 という回路が自分の中に存在していない。
上記のような環境で育ったので自尊心は徹底的に損なわれている。だけど死にたいとは思わない。風呂に入らずものを食べず、不潔で栄養失調の状況を作り出すことを自分でも止められないことがある。しかし自分で自分の体を傷つけたりしたことはない。心療内科にも行ったことがない。
ニュースで有名な人が自死したという報道がされていた。私は生きている。何故だろう?死にたくなるようなことがまだ私には不足しているのだろうか。死にたくならない自分が異常であるかのように思える。
https://anond.hatelabo.jp/20170402201110
3年前に書いていたこの匿名ブログの存在は忘れていなかった。でも、読む勇気が出なかった。母親に対して「ひどいことを書いた」記憶だけはしっかり残ってた。もう少しで母親が死んで3年が経つ。涙を一つも溢さずに、過去の記事を読み返した。
その日に限って学校に遅くまで残らない用事があって、帰りの電車も目の前で乗り過ごしていた。病院で死亡推定時刻を聞かされたとき、自分を責めた。電車に乗り遅れなければ、たぶん母は助かった。
あの日、わたしが早く家に帰っていたらという後悔は時間の経過とともに少しずつ、色を薄くしていった。たぶん、あの日わたしが母親の自殺を止められたとしても、今に至る約3年間の間にどれだけ未遂をしただろう。どこまでわたしが止められただろう。問題はそこじゃなかった。わたしが母親の自殺企図を止めるだけじゃなくて、入院させるなど行動を起こらせないような働きかけをするべきだった。医療や福祉の勉強をしていたのだから。母親は自死ではなく、うつの希死念慮が原因の病死であり、わたしや家族や周りの人間が殺した。
わたしは母親を助けたかった。でも、それと同じぐらい普通の家庭の子どもでいたかった。だから、母親の体調のいい時には「母親の持つうつ病」から目を逸らして過ごしていた。普通の家庭の子どもとして思われたいから、周りに援助を求められなくて、わたしに気が付く大人もいなかった。
「人を亡くした悲しみはポケットの中に石を入れて生活しているのと同じ。だんだん存在を忘れて生活できるようになるけど、でも完全には無くならなくて、ふと気付いたときに重さを感じる」みたいな文章を見つけて、自分の場合その通りだなと思った。
わたしは地元を離れて暮らしているけど、母親のことを思い返さなかった日はないに等しいし、母親を救いきれなかったという事実はたぶんわたしの考えもしないようなところで精神や思考に影響を及ぼしている。通っている精神科でカウンセリングを受けることも考えたけど、母親がちゃんと受けられなかったカウンセリングで自分だけ何かを得てもいいのかという気持ちがある。
私は障害者になれない程度のうつ病と不眠症を患い、10年ほどになる。障害者になれない程度なので、のんびり投薬とカウンセリング、認知行動療法あたりを試す感じだ。
いまはそこそこ落ち着いて生きている、と思う。
それでも、病んだ当時はわりとひどかった。
横道にそれるようだが、私の母方の祖父は母が幼いころ自死している。詳しい話は聞いたことがない(親戚みんな口をつぐんでるので、よっぽどなにかあるんだろうと思うが)。
父方の祖母とは同居していたが、私が学生時代入浴中に心臓発作を起こし、全身爛れた状態で亡くなった。発見したのは、あんまりにも長い入浴に不安になった母だ。以来実家の湯船には伸ばした膝にかぶるくらいのお湯しか張られなくなった。
ひどく不安定な状態だった病み立てほやほやの私は、でも「わかりやすい自殺」を選び母を壊すことが怖かった。浴室で手首を切ったら、きっともう二度と母はお風呂場に立ち入れなくなる。首をくくったら、飛び降りたら。
いまもその傾向が強いが、私は「役に立てない」自分が嫌いだし一秒でも早めに死にたい。社会人になってすぐに生命保険には加入していたから、せめて保険金くらい遺したい。
死んでまで家族に迷惑をかけることは怖かった。でも死にたかった。
だから、処方された薬でODをちょいちょいやっていた。一万錠くらい一気に飲まなければ死ねないのは知っていた。ただ完全に事故死にはなれないだろうけれど、「不安感から薬を飲みすぎて、嘔吐するもその吐瀉物で窒息死した」なら許される気がしたのだ。
胃洗浄が間に合わないくらいは常に我慢したので、親に救急外来に連れられても当直医の方に「死ねないくせにくるな」と言われる程度だった。これについては申し訳ないと思ってはいた。まあ、言われる度にまた落ち込むので、主治医のところに懺悔するよう駆け込むのが常だったけれど。
そんな風に、わりと頻繁に「死にたくなっていた」私はいまだに、「病気で生きたいのに生きられない人もいる。それなのに自殺しようとするなんて」ということばをきくと、心がざわざわする。
あの、「生きていてごめんなさい、死ねなくてごめんなさい、ちゃんと出来なくてごめんなさい」と謝り続けた日々にきもちが戻ってしまう。
抑うつ状態の人間も、生きていたいのに生きられない人のことがいることはわかっている。でも、あの瞬間、本当につらいし、そう言われると余計に、自分はダメな人間だ、ちゃんと出来ない、人を不快にしている、だからやっぱり死ななければいけない、と感じてしまう人もいると思う。いやまあ、人によるだろっていうのは承知してもいるが。
とりあえずメンタル病んでるだろうなという相手が死にたいとこぼしたら、下手に「死んじゃダメだ」と口にするより、「お医者さんに行ってみるといいよ」と返す方がいいと思う。
その「死んじゃダメだ」が呪いになって、ふっとそう出来なかっただれかの背中を押すかもしれない。
というか、ちょっと今日調子悪かった私は、他人に向けられた「病気で生きたいのに生きられない人もいる。だから生き足掻くべきなんだよ」というようなことばをきいて久しぶりに(ODにはならない程度に)頓服薬をガリガリした。
ちゃんと出来なくてごめんなさい。でもほんと、わかっているから。追いつめてるつもりは無いだろうけれど、でも勝手に追いつめられて「死ななきゃ」と思うひともいるから、だからお願いだから、理解しないでいいから、「病院行ってみよ?」や「ちょっと休んでみたほうがいいよ」で済ませてほしい。
私がいま誰もに聞きたいのはこの質問です。
それは彼を知る多くの人の心にすっかり穴を開けてしまったように思います。
私にとっては非常に身近でした。
つまり自分の苦しみや憎しみのような念を昇華させる最後の手段なのです。
過去を振り返ると、私にはそういった念を昇華させる術がなかったように思います。
しかし同時に、深い部分を見せられる場所ではありませんでした。
朝は満員電車に数時間揺られ、夜は暗闇のなか居眠りをする日々でした。
そのすべてが苦しく耐えられなかったわけではありません。
それはあなたが望んだことでしょう。
悪気があるわけでは全くなく、それが心からの意見だったのです。
悲しいことに、同級には同じ志を見つけることはできませんでした。
最も、私が志を共有する気がなかったとも言えます。
私より才能があるのに授業に現れない周りをみて落胆し軽蔑しました。
そこに私の拠り所は見い出せなかったのです。
朝、向かってくる電車に呼ばれていると感じる日々が続きました。
それは比喩でもなく、本当にそう思うのです。
強い呼び掛けというよりは、ふとよぎる声でした。
幸い、私はお金にうるさく家族を苦しめることはできなかったため
呼び掛けに応えることはありませんでした。
もし家族への思いがなかったら、おそらく、飛び込むことがあったでしょう。
私にとっては当たり前でしたが
どうもそうは思わない人が多いようです。
運良く、私の異変に気がつく人が出てきました。
なにも言いませんでしたが私の心を抱きしめるようでした。
それから段々私の念は、その人の理解の上に昇華されるようになりました。
はじめて理解者が現れました。
この世には理解するふりをして相手を騙すような人もたくさんいます。
少しでもわかりあえる相手。
死にたいと思う人は、それは大変なことです。
少しでもそう思うのならば、休暇をとってください。
やりたいことだけをしてください。
死ぬことを選ばないでください。
それでも選択肢がないのであれば
私は止めることはできません。
誰かの心に穴を開けていることを
どうか忘れないでください。
そして、死を選んだ人が
生活保護をはじめ日本にはホームレスを助ける制度があるのに、未だホームレスが現存してる理由知ってる?福祉が足りなくてあぶれてるからじゃない、福祉を受けたくないという人がホームレスになってるんだよ。
理由は様々だけど、大体3種に大別できる。
①福祉を受ける際の制限に耐えられない人。一番わかりやすい例では、じゃあ衣食住なんとかしてあげましょうと寮みたいなとこにいれるとルールに従えなくてでてくんだよ。追い出されるんですらない。うるせえじゃあ世話にならねえよと出ていっちゃう。窮屈にちゃんとしたシェアハウスに住むより、路上の自由を選ぶ人がいっぱいいる。その外にも、申請がめんどくさいという人とかパチンコ打たせてもらえないという色んな形での制限がめんどくさいという人も含めると
②プライドが邪魔して福祉の手をとれない。お恵みを受ける立場になるなんてごめんという人。
③犯罪を犯したり自己破産でなんとかできない悪いところから借金しちゃって逃亡してる人。
このみっつが成り立つのは、実は男性の優位性に根差していたりする。女性は死を覚悟しない限り、どれも選べないんだよ。自由が大事!お情けはいらない!捕まりたくない!って野に出た時点で食い物にされるの確定だからね。成人男性は大体の人間から見て、弱そうでも「なりふり構わずこられたらこっちが殺されるかも」って存在だから、まともな思考してたら安易に手は出さない。出すとしたら生保ビジネスみたいな組織的犯罪か、もしくは学生のオヤジ狩りみたいな平和ボケしたうえに頭が悪すぎる(リスクを考えられない)人だけ。いうなれば、ホームレスになってしばらくやってけるだけで強者だったりするのだ。
じゃあなんで自死や過労死まで多いのか?といえば、②がおおいに関係する。本当は死ぬくらいなら生活保護をもらったほうがいいのに死んでしまう人は、一時的に頭がおかしくなっているのだ。失職なんてみっともない(あるいは申し訳ない)というプライドは、男性に多い。故に、男性のプライドの無駄で危険な部分を削ぎ落す教育が、必要なのではないと思う。
なぜなら優秀な個体もそうでない個体も「生かすためのコスト」は一定だから。
コストが一定なら、最低でもリターンがコストを下回る個体は間引いた方がいい。
にも関わらずぐだぐだと生き続けてしまった。死ぬのがこわいからだ。
周囲は「仕事をして税金を納めているのだから役に立っている」と言う。
しかし、それは誰もが当たり前にしている事で、「役に立っている」などと言うのはおこがましい事だ。
だいいち、私がいない方が仕事が上手く回るのは間違いない。
私より優秀な人間は世の中、どころか同じ部署の中にいくらでもいる。私がいなければもっと業績が上がったはずだ。
こういうった和也なんかはトンチの受け答えで
「あらそれもそうねえ、あはは」で居場所を作ってもらえていた気がする。
娘、ムスコ世代にくだらないダークスーツで面接に挑めと指南して巨大な金をもらっている、
リクなんとかのコンサルにくらべてこういう知恵が日本の社会にもっとたくさん受け継がれなくてはいけないのだとおもう。
気づくのが遅くてもやれることはまだまだたくさんあるのではないか。
たとえば極論だが周り中に意味もなく低能低能と吐き散らしてる男をたしなめて恨まれ命を散らしたおじさんがはてなにもいた。
死にたい時って大体暇な時みたいね、やることがねー死のうって。だから自死するまで毎日毎時暇潰しにこれまでの事を書き続けろ、どうせ爺で体動かすのも億劫なんだろ、なら書いて償えっての。
久しぶりに明日死のうかなって勢いがあり、何時間か前までは9月は自殺数が多いってニュースを他人事のように聞いていた自分を一気に自死願望が追い抜いてしまった。長くは無い今年の休みだったけど、それでも休み明け学校が始まっただけでこんなにキツいんだなって高三になって初めて気づいて、中途半端に学校からも人生からも逃げられない自分が嫌になる はてブロでも生産性も話題性もない話して迷惑かけていごめんなさい、人がわかってくれようとしても死にたいって言える相手相変わらずいないし、どこかに書いたりしておきたかったんです。
一番の後悔だ。このことがなければ今回の記事を書くこともなかった。
あなたの会社でも、採用候補者に対して身元調査を実施することがあるかもしれない。私の会社ではそうだった。
私が勤めていた会社というのは、普通の会社よりも多くのことを調べることができた。
例えば、戸籍だ。採用者の本籍がどこで、家族はこういう名前の人で~といった情報について、グーグル感覚で調べられる部署がある。
病歴もわかる。社内のシステムには、この人がこの病院にかかって、こんな病気で、医療費はこれだけで、自立支援を受けているから医療費は1割負担で~といった情報が入っている。
さて、採用内定を出す段階になると、採用候補者に対して上記の調査を実施する。担当部署に行って、個人情報の照会履歴ノートに自分の名前を記入し、システムを使わせてもらい、調べを進める。
会社にとって敵対的な人物が親類縁者にいる人や、過去にうつ病などの精神疾患になったことが判明すると不合格にする。具体的には、面接の評価を5段階中の2に変更すると必ず不合格になる。
犯罪歴に関しては、該当者がいた経験がないので何ともいえない。名簿に記載があった時点で、罪状に関わらずアウトなのだろうと思う。
こんなことはおかしいと思っていた。なぜ、公平で中立で平等であるはずの採用試験でこんなことをしないといけないのか。ずっと考えていた。
誰がこんな調査を行わせているのか? これが一番の問題だった。
誰が仕向けているかわからないのだ。毎年この時期が来ると、総務部長から指示が来て、特定の役職(全員係長~課長クラス)にある者が分担して任務にあたる。
放っておけばこんな習慣はなくなると思ったが、そんなことはなかった。毎年、内定者のリストを完成させて総務部長まで持っていくと、調査を行うように指示が来る。「これは誰の指示ですか」と聞いても、「定年までにはわかる」と言葉を濁される。
結局、定年までわかることはなかった。私が彼ほどに昇進できていればわかったのかもしれない。でも、私はそこまで出世できなかった。肉薄するところまでは行ったのだが。
今でも、この慣習は続いているのだろうか。誰かが止めたのだろうか。
私にはできなかった。
もし、これが総務部長が発した指示であれば、戦ってなんとかなったかもしれない。でも、トップの指示だったら?戦ってなんとかなっただろうか?なったとしても、会社にはいられないだろう。
私は矛盾している。あの時代に、私は悪習を絶つことができなかったのに、定年になって、何年も経って、あの時の自分は間違っていたと後悔している。でも、今の私がデロリアンに乗って過去に飛ぶことができたとしても、行動を起こすことはできないだろう。私にそんな度胸はない。
私はなによりも哀れだ。私は自由ではない。私には、自分の意志を実行する力が全くない。
なぜ、私は弱い? 私が何度も何度も道を譲ってきたからだ。それで、私は周囲の玩具になってしまった。私が周りに力を与えたのであって、周りが私を弱くしたのではない。
私は自由ではない。なぜなら、私が私自身と気が合わないからだ。私が自身を恥ずかしいと思って顔を赤くしているからだ。
最後に。
人事担当部局の役職者として約十年間、平社員だった時代を含めれば約二十年間、人事の仕事に携わって得た知見を共有したい。
今回の内容は、社員や職場の抱える問題への対処や、人事異動の内容まで含めて決定する層に向けて書かせていただく。参考になれば幸いだ。
一般的な問題社員への対応は、ネットに豊富な事例があるのでここでは述べない。ネット上に事例が載っていない案件(※私は見つけることができなかった)について述べる。
ここでいう問題社員(有能型)とは、以下の特徴を持った社員をいう。あなたの会社にも多分いると思われる。
軽度のもの…「自分はすごい」という自慢や、後輩社員へのマウンティング
中程度のもの…気に入らないと不機嫌になって悪態をつく。あるいは指示された仕事をしなくなる
重度のもの…パワハラやセクハラ。人前で後輩を怒鳴りつけたり、女子社員の身体的特徴を馬鹿にする
・上司にはへりくだる。弱い者には厳しい態度
昔は、こういうタイプの社員は放置されていた。こういう人いるよね、で済まされていた。
むしろ、上司が命じた仕事は十分なレベルでこなすので、ハラスメントを行う者であっても処罰されなかった。いなくなっては困る存在なので、マウンティングやハラスメントは表立って認容されていた。
昨今は社員のメンタルヘルスの観点から、こういったタイプの問題社員にも対処する必要がある。そこで、私の経験上、有効だった対策や、必要な視点を述べていく。
問題社員(有能型)は、他人をコントロールする権力を欲しがっている。他人に言うことを聞かせたいのだ。他人に舐められることを極度に恐れている。
行動傾向として最たるものは、『積極的に仕事を取っていく』というものだ。他人のものまで含めて仕事を取ることで地位を高めようとする。そして、自らの能力が高まり、裁量を与えられるようになり、ますます権威を増していく。
対策はすでに述べたとおりだ。たとえ、彼や彼女が有能で、多くの仕事を処理できたとしても、全員に対して同じ量の仕事を割り振る。
問題社員(以下Mとする)が他人の仕事を奪おうとしていたらブロックする。具体的には、仕事を取られようとしている人(以下Nとする)のところへ行き、「それでいいのか?」と合意を確認する。Nが拒否する、または何も言わなければ、拒否とみなしてMに対する指導を行う。
では、Nが「Mさんに仕事をあげます」といった発言をした場合はどうするか。この可能性もあり得る。自分の仕事が減るし、Mには逆らいにくいからだ。
この場合も、他人の仕事を取ってはならないとはっきり告げる。そのうえで、Mだけでなく、Nに対しても指導をする。
ポイントとしては、何度も繰り返し行うことだ。何度も行うことで、上司の指示を守っていないことをわからせる。これは何度行ってもハラスメントにはならない。その仕事の割り振りが組織内の決裁を経ている限りは、業務上の指示にほかならないからだ。
繰り返し行っていれば、向こうが根を上げることが多い。上司の見ていないところで仕事を渡している可能性があれば、ほかの社員に教えてもらう。
Mは、他者に舐められることを恐れている。態度が頑なになることが多い。普通の態度ではダメだ。毅然とした態度で接する必要がある。
反論時の想定問答としては、以下のやり取りを例にする。
M「私が暇になったらどうするのか。このままではやることがなくなる」
→「遊んでいなければ何をしても構いません。具体的には、業務マニュアルの作成や、後輩の相談に乗ってあげてください」
M「私はNを心配している。Nが潰れたらどうするつもりか」
→「これはNさんが実力をつけるために必要な機会です。私が必要に応じてサポートします。Nさんの負担が重いようであれば早急に対策を取ります。Mさんが今動く必要はありません」
M「業務を放棄するのは問題だと思うが、なぜ積極的に動くのがダメなのか」
→「他の社員が成長する機会を奪っているからです。あなたは成長しますが、チームが成長しない。だから必要以上に仕事をしないでください」
ただし、この方法には難点がある。あなたが優秀である必要があるのだ。
問題社員(有能型)のような存在がいなくても成り立つ職場であればよいが、昨今はそうでない職場環境が増えている。労働経済白書によると、1人当たりの仕事量は全国的に増加傾向にあるようだ。
Mの仕事を取っても、他の部下にすべて回せるとは限らない。回せなかった分はあなたが取るしかない。1人当たりの業務量が多くなった部下はあなたがサポートする必要がある。
これにより、業務効率の著しい低下が起こったり、メンタルを病んだ者を出した場合、この対策は失敗だったことになる。かつての、Mに業務が偏っていた状態に戻さざるを得ない。この点は重々気を付ける必要がある。
なにより大変なのは、あなたがMと対決せねばならないことだ。Mのような社員の特徴として、①口が回る、②攻撃性が高い、③恨みを覚えている、といったものがある。
以上を踏まえたうえで、あなたはMに言うことを聞かせないといけない。
あなたが『仕事量を偏らせない』という対策を行おうと決めた時点で、もはやどうしようもないほどに職場がMに依存していた場合も諦めるしかない。
この状況でMと対決するのは望ましくない。現実的に難しいことを無理に実行することで職場が不仲になる可能性があるし、もしMが病気その他の事情で職場に来れなくなった場合に崩壊するおそれがある。
私は、このタイプの問題社員に対しては、「北九州市の新成人理論」を採用している。
かつて、北九州市で新成人(の一部)がやりたい放題に暴れた結果、警察のお縄になる事件が毎年のように起こった。
彼ら彼女らは、何十万円もするド派手な衣装に身を包んで、何百万円もするド派手な車で来場し、会場の内外で大騒ぎし、酒を飲み、演題の前に立った市長に対して暴言を吐き、帰り道には警察の検問を強硬突破する。
そんな光景が全国ニュースで流れる度、テレビのコメンテーターが呆れ顔で意見を述べる。インターネットでも同じような反応で、この時ばかりはマスコミの意見とネットの意見が合致する。
しかし、「あいつらはバカなことをしているから規制すべき」という考えは誤っている。
バカでもいい。彼らは悪くない。成人式で飲んで騒いで暴れる馬鹿者は、むしろ地域社会を支えていく存在だからだ。
彼らのようなタイプの新成人は、今後もその地域に残る可能性が高い。未来の納税層にあたる。大げさにいえば、地域にとっての希望だ。
成人式の前には高級なレンタル品を一式借りる。濃紺や真白の羽織袴や、紅色の着物にふわふわのファーを首に巻いて会場入りする。
誰よりも目立ってやろうと思っているし、「成人式は特別な儀式である」と考えている。その意味では、主催者である市町村と同じだ。
彼らは成人式を大切に思っている。だから暴れる。暴れることが、成人式への彼らなりの真面目な参加行動にほかならない。
反対に、主催者のアナウンスに従って、席にじっと座っている新成人こそ、生まれ故郷から身も心も離れてしまっている場合がある。
彼らが暴れないのは……暴れないにしても、大騒ぎをしないのはなぜだろうか?彼らが故郷を捨てているからだ。
生まれた場所にうんざりして、東京などの都会に出て行った者は、「早く終わんないかな」と思いながら成人式に参加している。
地元を離れる日程は決まっている。大抵は次の日に、高速バスか新幹線で都会の住処に帰るのだろう。この青年達はまだましな方で、地元に愛が残っていない者はそもそも成人式に参加しない。都会で行われる地方出身者のための成人式に参加するか、またはアルバイトに勤しんでいる。
暴れる新成人はこれとは逆だ。彼らはこれからも地元で生きていく。だから、自らの存在を派手にアピールする必要がある。成人式におとなしく参加する層よりも、彼ら彼女らの方が地域を愛しているといえる。
彼らは、暴れる新成人と一緒だ。彼らにとって会社は大事な存在なのだ。存在意義を証明するための場所として。
会社にとって必要な人材になりたい。同僚や上司の行動が間違っているのを正したい。会社をよい方向に導きたい――彼らは、こういう想いでMをやっているのでは?と私は考えている。
逆に、Mを非難する立場の社員の方が、仕事にやる気がなかったり、能力面でも倫理面でも評価が低かったり、責任感のない行動、自己本位な行動を取ったりして会社を苦しめる。弊社における平均的な傾向はそうだった。
例えば、「あいつの行動はパワハラだから処罰してください」と言って、人事に通報してきた社員がいた。この場合のM(あいつ)は、通報した社員の先輩だった。(追記:後輩の誤りです)
その通報した社員は、特段の難点があるわけではないが、平均よりは下位の評価だった。
処罰する根拠として、30件以上のMのパワハラ行動が記された記録が付されていた。事実確認を行った結果、概ね事実だったので文書戒告の処分を行った。
不服として、そのMは反論を続けていたが、処分内容が示された書面を受け取ると何も言わなくなった。
これも私の後悔のひとつだ。というのも、その後の社内貢献のレベルとして、Mの方が段違いに優れた実績を出したからだ。彼が役職者に上がってからは、パワハラ行動は減っていき、実質的に残業ゼロの職場を作り出した。メンタルを病んだ社員もいない。
一方の通報した社員は、数年後に最悪の形で定年退職した。有給休暇がかなりの日数残っている状態で仕事が溜まっていたのだが、なんと、定年退職日までの全ての有給休暇を申請して会社から消えてしまった。(追記:ある日突然、全ての有給休暇の申請をして職場からいなくなったという意味です)
残された者は苦しい思いをした。彼がいた職場の1人当たり残業時間は、前月比100%(追記:100%増の誤りです)になった。彼の取った行動について処分が必要であるとの意見も出たが、労働関係の法令上は問題はなく、労働組合としても彼の行動に異論はないとのことだったので、処分は行われなかった。
ここまで読んでいただけたなら嬉しい。書いた甲斐があったと思う。
若干ぼかしているとはいえ、社外秘なことをここまで書き連ねようと思ったのには理由がある。
自死を考えている。
今日とか明日ではないけれど、年内にはこの世からいなくなりたい。
社会人として働いて約40年、多くの罪や後悔を残してきた。上には書いていないけれども、人として行ってはならないことにも手を染めてしまった。
数年前に定年退職してからは、嘱託職員として民間企業で働いて、公民館のカラオケ教室に通って、インターネットで同じ趣味をもった仲間とコミュニティを作って……
平穏な生活を続けるうちに、社会人生活で自分が犯してきたことに反吐が出るようになった。
最初の頃は思い出したくないという程度だったが、日中に何度も頭をよぎるようになった。
近頃は夢に出てくる。
大抵は、当時の思い出が醜く改変されていた。夢の中で、当時の関係者が私にグロテスクに復讐をする。
どうすればいいか真剣に考えた結果、死を選ぶという結論に達した。
私にとっての遺書を書きたいと思った。
はてなブログや、はてな匿名ダイアリーに投稿してみたかった。
それが叶って嬉しい。
読みにくい部分があったと思うので謝らせてもらう。
ありがとうございました。
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コメントいただいた皆様に「言及する」により返信しております。