私は障害者になれない程度のうつ病と不眠症を患い、10年ほどになる。障害者になれない程度なので、のんびり投薬とカウンセリング、認知行動療法あたりを試す感じだ。
いまはそこそこ落ち着いて生きている、と思う。
それでも、病んだ当時はわりとひどかった。
横道にそれるようだが、私の母方の祖父は母が幼いころ自死している。詳しい話は聞いたことがない(親戚みんな口をつぐんでるので、よっぽどなにかあるんだろうと思うが)。
父方の祖母とは同居していたが、私が学生時代入浴中に心臓発作を起こし、全身爛れた状態で亡くなった。発見したのは、あんまりにも長い入浴に不安になった母だ。以来実家の湯船には伸ばした膝にかぶるくらいのお湯しか張られなくなった。
ひどく不安定な状態だった病み立てほやほやの私は、でも「わかりやすい自殺」を選び母を壊すことが怖かった。浴室で手首を切ったら、きっともう二度と母はお風呂場に立ち入れなくなる。首をくくったら、飛び降りたら。
いまもその傾向が強いが、私は「役に立てない」自分が嫌いだし一秒でも早めに死にたい。社会人になってすぐに生命保険には加入していたから、せめて保険金くらい遺したい。
死んでまで家族に迷惑をかけることは怖かった。でも死にたかった。
だから、処方された薬でODをちょいちょいやっていた。一万錠くらい一気に飲まなければ死ねないのは知っていた。ただ完全に事故死にはなれないだろうけれど、「不安感から薬を飲みすぎて、嘔吐するもその吐瀉物で窒息死した」なら許される気がしたのだ。
胃洗浄が間に合わないくらいは常に我慢したので、親に救急外来に連れられても当直医の方に「死ねないくせにくるな」と言われる程度だった。これについては申し訳ないと思ってはいた。まあ、言われる度にまた落ち込むので、主治医のところに懺悔するよう駆け込むのが常だったけれど。
そんな風に、わりと頻繁に「死にたくなっていた」私はいまだに、「病気で生きたいのに生きられない人もいる。それなのに自殺しようとするなんて」ということばをきくと、心がざわざわする。
あの、「生きていてごめんなさい、死ねなくてごめんなさい、ちゃんと出来なくてごめんなさい」と謝り続けた日々にきもちが戻ってしまう。
抑うつ状態の人間も、生きていたいのに生きられない人のことがいることはわかっている。でも、あの瞬間、本当につらいし、そう言われると余計に、自分はダメな人間だ、ちゃんと出来ない、人を不快にしている、だからやっぱり死ななければいけない、と感じてしまう人もいると思う。いやまあ、人によるだろっていうのは承知してもいるが。
とりあえずメンタル病んでるだろうなという相手が死にたいとこぼしたら、下手に「死んじゃダメだ」と口にするより、「お医者さんに行ってみるといいよ」と返す方がいいと思う。
その「死んじゃダメだ」が呪いになって、ふっとそう出来なかっただれかの背中を押すかもしれない。
というか、ちょっと今日調子悪かった私は、他人に向けられた「病気で生きたいのに生きられない人もいる。だから生き足掻くべきなんだよ」というようなことばをきいて久しぶりに(ODにはならない程度に)頓服薬をガリガリした。
ちゃんと出来なくてごめんなさい。でもほんと、わかっているから。追いつめてるつもりは無いだろうけれど、でも勝手に追いつめられて「死ななきゃ」と思うひともいるから、だからお願いだから、理解しないでいいから、「病院行ってみよ?」や「ちょっと休んでみたほうがいいよ」で済ませてほしい。
病院に行ってみる(=状況の解決に向けて建設的なステップを踏んでみる)という発想はすごく大切なことだと思うんだけど、 提案したらキレる人も多そうなのが難しいところ メンタル...