私は中学2年から3年にかけて、学校に行くことが出来なかった。いじめを受けてうつ病を患い、学校に行こうとするとどうしようもなく体調が悪くなる。そんな2年間を過ごしていた。現在はコロナ禍故に登校はできていないものの、なんとか大学に入学し毎日オンライン授業を受けることが出来ている。
中学登校を諦め、高校はチャレンジスクールに入学し、志望する大学にも合格出来たのは、間違いなく母のおかげである。
母は素晴らしい人格者だ。長らく福祉の仕事をしているからか、私が不登校になった時も責めずに上手く病院へと誘導してくれた。私のためにチャレンジスクールを探し、心のケアのために昔から好きな動物園へと連れ出し、映画や本をたくさん与えてくれた。感謝してもし切れない。
絶望に打ちひしがれた14歳のあの夏も、社会に出るために奮闘している今も、どうにかしなずに生きているのは母のおかげであり、母のためでもある。
父親との折り合いが悪いこともあってか、重度のマザコンである自覚は十分にある。友人や彼氏と遊ぶよりも、母と遊ぶ方がずっと楽しい。母が仕事の時だけ、他の人と遊ぶ計画を立てている。私の感覚や趣味は少し世間からズレているが、母とはぴったり合う。だから母と出掛けると本当に楽しい。18にもなって異常だと、自分でも思う。
うつ病になってから私の人生は、歯車が狂ってしまったと思う。ある程度普通の生活は出来ているけれど、常に「死にたい」が付きまとっている。何をしていても、どんなに楽しくても、心の奥底に「死にたい」が根付いていて、突然ふっと目を覚ます。するとどうしても自分は生きていてはいけない気がして苦しくなる。だが死ぬわけにはいかないのだ。
母は優しい。だから私が死んだらきっと自分を責める。私のせいで母が苦しむ。精神面でも金銭面でも。それが一番耐えられない。
母のために生きている。母を苦しめないために生きている。母を喜ばせるために、生きている。自分の夢だと信じて目指している職種は、思えば母が幼い私に「あなたがもしこれになったら、お母さんはすごく嬉しい」と言って聞かせたものだった。
多分おかしいと思う。死にたい気持ち自体は強いが、自死を選ぶことだけは出来ない。事故とか通り魔とか、そういう私の意志と関係の無い死ならばいい。いや、それでもやっぱり母が苦しんでしまうから駄目だ。
母親と一緒に不慮の死が出来たら幸せだな。俺も同じ考えだけど。