はてなキーワード: 自死とは
Twitter でほのめかして周囲に止められた人もいれば、同じようにTwitter でほのめかしDMで連絡を取り合って完遂した人もいる。前者は適切な介入があって阻止?予防?対処?できた事例で、後者は「社会的なフォローがもっとあるべきだった」と総括されていたように思う。
希死念慮と言ってしまうと(精神的な病的状態に伴う)という枕詞が付く印象があるので使いにくい。病的状態に伴わない、いわゆる死の願望・渇望というものは治療や対処するべきものなのだろうか。以前にNHKでやっていた海外で安楽死をうけた女性は精神科を受診し、その「希死念慮」を治療すべきだったのだろうか。
仮に「正常な判断能力を保ちながら熟慮した結果で死を望む」場合も、それを阻止する方向で介入しないといけないのか。
これまで普通を装って生きてきた。本当はこうしたい、ああしたい、けどそれは『普通』じゃないからという理由で、普通でありたくて自分を殺してきた。
けれどそうやって自分を殺して生きていると、ある日衝動的にキレてしまう。
相手からすれば急に音信不通になり、滅多に酒など飲まない人間が突然酒に溺れて出社できなくなり、給料は貯金もせずに全部パチンコ・性欲・物欲で無駄遣い。
それがいけないことだともちろん知っている。人並みに幸せになりたければ人並みのことをしないといけないと理解している。
それでも35年間、なんとか生きこられたのは周りの支えがあり、親や先生方の教えによって、自分にもなんとか表向きを取り繕うだけの常識があったからだ。
それが普通ではないと僕は知っていた。
ある人は言った。生きている以上誰もが自分を偽り、それなりに辛い目に遭いながらなんとか生きている、と。
それはもちろんそうだと思う。
けれど自分はこの世界では生きにくかった。歳を取るほどに自分は普通じゃないことを嫌でも思い知り、歳を取るほどに自分は普通になりたかった。
頼りになると思っていた人たちは愛想を尽かして僕から離れていった。
僕にどうしろというのだ。
どこの誰に相談すればうまくいくのか、それとももう自死を選んだほうがよっぽど社会のためなのか、僕にはわからない。
僕は、生きにくい。
・20歳以上で好きな年齢を設定できる。
→(追記)最大80歳とする
・何歳で死ぬかはいつでも決められるが、一度設定した年齢は変更できない。
・自死を希望する場合、周辺施設や他者に影響を及ぼさない限りは、担当者同席の上認められる。(飛び降りや飛び込みは×)
・もらう予定だった年金は、80歳まで生きると仮定して2割程度差し引いて一括で指定口座に振り込まれる。
→70歳で死にたい場合は、10年分の年金の8割が振り込まれる。
→20〜39歳を設定した場合、労働力や社会保障制度維持の観点から早死引の割合が最大8割まで増える
・自身が設定した年齢よりも早くに死んだ場合、死因に関係なく、早期支給された年金は、その時の年齢に応じて国庫に回収される。
→70歳で死ぬつもりが67歳で死んだ場合、3年分の早期支給年金が回収される。
・早期支給された年金が使い切られなかった場合、死因に関係なく、使い切られなかった分は国庫に回収される
・違法行為を行った場合、即処刑の上早期支給された年金は、全額国庫に回収される。
最近これをずっと考えてた。
怒ってはならない。怒りと、自死へ至る絶望というのは表裏一体である。
世の中のあらゆるものを受け入れ、自我を拡散させ、宇宙と合一することによって、真理へと至ることが、救いに至る唯一の道なのだ。
特に現代では、科学がめざましく発展して、死に伴う肉体的・精神的苦痛を軽減する方法が存在している
その人類の知の蓄積は、我々のために使われるべきなんだよ
それなのに、いつくるかわからぬ死に怯え、死の瞬間は全くの運任せ、どんなに高度な治療を受けても、発作に苦しみながら、肺を水浸しにして溺れ続けながら、ガンの痛みをドラッグで誤魔化しながら死んでいくしかないなんて馬鹿げている。
例えばこうだ。あなたの命はもって一週間。もう長くはないことはわかりきっている。家族がそばにいて別れの言葉を口にできるうちに死ぬことは可能だ。しかし、許されない。そして1人真夜中の病状でナースコールを押すことも出来ずにあなたは死ぬ。死を一週間先延ばしするためだけに、ベッドで横になり苦しむ時間を伸ばすためだけに、あなたは誰にも看取られずに死ぬのだ。その延命になんの意味がある?
健康な人だってより良い死を選べるようになるべきだ。人生の良い在り方は生きた長さに左右されるものではない。自分の人生に満足した、見切りがついたと思う人は死んでもいいじゃないか。
より良い安楽死の方法があるにもかかわらず、それにアクセスできないばかりに様々な苦痛が生まれている。無駄に悶え苦しんで死ぬ者、成功率の低い自死法を選び後遺症が残る者、火・ガスによる自殺で他者を巻き込む者、他者を殺すことで死刑になろうとする者、その被害者達……。我々は、自らこの世を去ろうとする者に対し、最期ぐらい安らかに逝かせてあげるべきではないのか。
死の問題は我々全員にとっての問題である。決して他人事ではい。今、この地球上に生きている70億人にも必ずいつかは死の瞬間が訪れる。死は避けられないライフイベントだ。結婚など比ではない。我々はもっと死と向き合うべきだ。
最後の一秒まで苦しみながらの死を望むのか、愛する人に囲まれての安らかな死を望むのか。どのような死を望むあなたも尊重されるべきだ。
これで障がい者の気持ちが理解できた気になる浅はかな健常者が、手話文化を盗み、手話人口をいたずらに増やしていく。
本当に愛されない障がい者の気持ちは、障がい者の中でも青葉や小島ぐらいにしかきっと分からない。
妻と会話するために手話を盗む健常者がいたとしても、夫と会話するために小説を盗まれた気持ちに共感してあげたり、言葉をそのまま受け取る変わり者の夫を優しく見守る健常者などいるだろうか。
愛される障がい者を探してこいと言われて、見つかるのは西宮みたいな身体に不自由があるだけの美男美女や元健常者の既婚者ばかりであって、青葉や小島みたいなガチ勢が愛され枠に見つかるだろうか。
なお悲しいことに、ガチ勢には共感能力を持たない者も多いので、ガチ勢同士でもお互いを愛することはない。
耳が聞こえないだけの美少女が突然自死を選ぶなんて不自然に思えるが、それを言うなら何もかも恵まれたように見える健常者の美青年だって死を選ぶこともある。
本人にすら分からないのかもしれない。
はい?
それは、自死ではないだろ。立派な風評被害がそこにあって、風評を起こした人間がいると成ると
社会的な制裁というのは立派に威力を認められるものだからそれを引き起こしたと成るとそんなもんどうやって事件性を免れるんだ?
話の面白さとか、見た目の良さとか、あるいは何かしらの一芸に優れてるとか、一緒にいて落ち着くとか、そういうフックが一切なくて誰からも何の興味も持たれないから友達もいなくて休日は家でゲームとかネットとかひとりでできる遊びを延々してる俺みたいなおじさんって結構いると思うんだけどみんな何が楽しくて生きてる? ちなみに俺は特にない ここで趣味に打ち込んで周囲からの承認に捉われることなく自分の満足することをやってるから人生最高に楽しいぜとか言えるとポリコレポイント高そうだけど、そんなものはない 夜中漠然とした不安に襲われて叫びたくなるし最近はふと自死もよぎるくらいメンタルも安定しないぜ というわけでみんなの楽しいことを教えてくれよな
彼の発言が間違っているのは大前提として、果たして彼を”どの位”叩くのが正しいのだろうね?
あなたが彼を叩く目的は何だろう?考えを改めて貰う為?罰を与える為?ストレス解消?叩く事でその目的は達成された?何%位?
考えを改めて貰う為だとすると、あなたの叩きはその為に必要だっただろうか?
今確認した所、件のツイートは現時点でリプライ1900件、RT1.2万件、その多くが批判的な言及だったと思うけど、2千分の一、一万分の一のあなたの叩きに意味は有ったかな?
罰を与える為だとすると、どの位の罰が適切なんだろう?どこからが「やり過ぎ」なんだろう?
千人から叩かれたらそれ以上叩くのはやり過ぎ?一万人?十万人?それとも、無制限?
確か最近、多くの人に叩かれて自死を選んでしまった人が居たよね、彼女の死が理不尽だったのは、彼女が悪くなかったからだろうか?例えば彼女が優勢思想の持ち主だったら、彼女への叩きは倫理的に問題が無かった事になるのだろうか?
あの件を受けて、私は誰かが叩かれている時、その人がどの位の人から叩かれているかを確認するようにしよう、と思った。それで、叩かれ過ぎていると思ったら自分は叩かない様にしよう、と
同じ様に考えた人はとても少なかったのかもしれない
ストレス解消については、いいよ、人殺しが人殺しの顔をしてるなら、上2つの場合よりはマシでしょ、まぁ、どの面で他人を倫理的に批判してるんだという気はするけど
RADWIMPSとか、君の名はと天気の子の曲くらいしか聞いたこと無くて、野田洋次郎に思い入れも無いしファンでも無いんだけど