はてなキーワード: 画一的とは
http://anond.hatelabo.jp/20121209000955
自分がネットを始めたのは1999年で小3からだったけど、あの頃は自然の中で秘密基地を漁ってるような感覚だった。
個人サイトは、その個人がネットという世界で表現したいリビドーが詰まっていたように見えた。
整理されていない雑多なサイト構成や、稚拙に濫用されたTABLEタグも、材木や廃品を用いたDIYによって作られたアジトみたいで楽しかった。
サイトを漁る時にはロボット検索エンジンは利用していたようにも思うが、登録型検索エンジンや、個人サイト同士のリンクから辿るのが主であり、それは草木の中で目当ての物を探す、面白い場所を求める冒険のようだった。
でも、気が付いたら、それまでとは異質で、均質な形をもった、ブログが目立つようになっていた。
いつの間にかGoogleは、検索単語をダブルクオーテーションで囲まなければ、まともに使えなくなっていた。
Web2.0(死語)の頃から、どんどん都市開発の波が押し寄せて、区画整理がはじまり、個人サイトは廃墟と化し、Infoseekは楽天都市開発に買収されたまま打ち捨てられてしまった。
DIVタグにより整備されたサイト構成は、その見た目も、どこか没個性的で無味乾燥としたものを感じるようになったと思う。
残ったのは画一的な建造物ばかりが建て並ぶソーシャルサイトやブログ、WIKIの都市圏で、そこではWeb1.0の頃よりも人間個人がクローズアップされるようになったけども、個人サイトは消滅した。自分は個人のウェブサイトとして作られ、サイト同士が繋がるネット上の表現物が好きだった。
あれだけ雑多で手作りな感覚があった個人サイトは消えてしまったのに、個人サイト周りに巣食っていた、対人関係を消費するネットウォッチャーや、揉め事と言う名の床屋談義は、未だに息衝いているどころか、情報の流通・蓄積を効率化していく流れに乗って、TogetterやSBM、まとめサイトを牙城に、ネットの娯楽として定着し、規模を肥大させたきらいすらある。
ネットにワクワクしないなら自分で面白いのを探せ、作れ、本を読め、リアルに出ろ他のものに目を向けろ、というブコメ/TBが付いているけども、それは違う。
ネット以外でワクワクしても、ネットでワクワクしたかった感情とは関係がない。
教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書とかで語られるテキストサイト文化圏付近の諸処ではなく、それらについてはどうでもよく、全く無関係に、自分が見ていて、自分が好きだったインターネットの楽しさについて。
自分が見ていたインターネットの楽しさも、総体すればテキストサイト文化圏をも内包した2000年代前半の日本語圏インターネットとして言えると思うけども、今は時代によるサイト構造の発展と、均質性の中に取り込まれて、消えてしまった。
時の流れというのは早いもので、2013年ももう5ヶ月過ぎた。
いつもこの時期になると聞こえてくる言葉の一つに「5月病」というものがある。意味は知っている方も多いと思われるが、簡単に説明すると意気揚々と4月に飛び込んだ新しい環境に馴染めず鬱状態になったり「本当に今のままでいいのだろうか」とやけに軽く焦ってきたり(これはもしかして僕だけだったのだろうか)する精神状態のことを言うらしい。
何分僕もその頃、まだ若いというのに人生の意義や今後の進路について過剰に煩悶していた張本人であった。当時、高校1年生の頃だった。そして、なんと勝手に地方から東京に出、結果的に約3年間を無駄と化してしまったのである。
これから僕が書くのは「懺悔」の文だ。と同時に、今頃僕と同じ、正確には3年前のあの頃の僕と同じ精神状態に陥っている高校生(もしかしたら中学生も含むかもしれない)への、ちょっとした戒めの文でもある。稚拙ながら、その点ご容赦願いたい。
先に言っておくと、僕は現在とある地方の予備校生だ。まあ、タイトルからして分かるだろう。全くといっていいほど勉強していなかったから、大学なんて受かるはずもなかった。
ここまで書くと、「なんだ、予備校生なんて日本に何万人といるよ」と思われるかもしれないが、そういう類ですらない。学校でも全く勉強という勉強はしなかった、授業すらあってないようなものだったのである。
正直に言うと、現在の僕の学力は高等学校普通科に換算すると1年の1学期ほどまでの学力しかない。いや、3年間ほったらかしにしていたからそれからさらに落ち、中学校程度しかないのではなかろうか。(参考程度に12月に受けた河合模試の結果を書いておくと、国英社平均して偏差値30台後半だった。)
はい、全くもってその通り。が、気づくのが遅すぎた。
ただ単にさぼっていたというわけなのだが、学校で寝たりしていたのではない。むしろそれ以下だった。学校という学校に通ってすらいなかったのだ。あの頃の僕は本気で「勉強よりも今やるべきことがあるはずだ」と思っていたのである。「学生」なのに。
というわけで論より証拠、僕のこの3年間の動きについて、書き綴ってみようと思う。まさかこの年で自分の行いを振り返る事があるとは思わなかった。しかし、これもあの頃の僕のように著しい思い違いをしている高校生を一人でも思いとどまらせるためのものだ。
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今となっては途方もなく堕ちた僕だが、小、中とまでは何処にでもいる学生だった。高校もまずまずの進学校、といっても地方なのでその高校の偏差値も50台半ばだが、とまれ当時の僕はそれぐらいの学力はあったのである。
しかし、その僕に変貌が訪れてしまうきっかけとなる出来事が3年前、高校1年生の今頃に起こってしまう。
僕は丁度、テレビを見ていた。すると、僕と同じ高校生なのに、学校とは別に団体を作ってボランティア活動に従事したり、あるいはビジネスで大人の人と渡り合い、あるいは海外で外国の経営者や政治家と直接話し合っている高校生が特集されていた。いわゆる「意識の高い学生」である。
今ではどうやらこの言葉は大学生を主として使われているらしいが、僕の場合この意識の高い高校生を見て衝撃を受けたのである。そして、「これこそ今僕がやるべきことだ」と「気づいて」しまったのであった。
その頃の僕は大多数の同世代の例に漏れず、思春期特有の将来に対する漠然とした不安というものがあった。皆さんも「このまま何となく大学を出て、何となく会社に入って・・・というつまらない人生でいいのだろうか」と、自分の進路に悩んだ方、悩んでいる方も多いのではないだろうか。こういうのは本来時間の経過とともに治まっていくものだが、僕の場合、変にこだわりが強いせいかそれはもう延々と悩み続けた。そこに前出のスーパー高校生の登場である。
もちろん、一地方の田舎でそんな活動ができるわけはない。特集されていた高校生も、みな東京の学生だ。元々上京意識が高かった事もあったが、彼等を見てついに僕も上京を決心する。
早速両親に上京を掛けあってみたのだが、勿論のごとく変えてくるのはありきたりの言葉だった。
「なんで今なんだ」「大学出てからにしろ」「そんなこと考えてる暇があるなら勉強しろ」「その高校生は特別なんだ」「そもそも具体的に何するの?」
今となっては、実にあたり前のことだった。しかし、僕は知っていた。いや、知ってしまっていた。世の中の偉人と言われる人は皆、周囲の反対を押し切った人が成功しているのだと。
繰り返しになってしまうのだが、あの頃の僕は本当に前しか見ておらず、成功者の自伝などを読みまくり、その結果としてこれはある経営者の高校生時の状況と瓜2つだということを感じ取ってしまった。SoftBankの孫正義である。彼も高校生時代に、周囲の反対を押し切りアメリカへ行ったのだ。アメリカと東京という違いはあれど、まさしく今の僕と同じ状況ではないか。
・・・その頃の僕は気づいていなかった。1人の「成功者」と呼ばれる人物の裏では、何百人という人々が涙を飲んでいるという事実に・・・
かくして僕は、とうとう貯めていた貯金の全てを使い切り、抗議の意志を示すかのごとく断りなく一人単身で東京に行ってしまったのである。安い旅館に何日も泊まり、東京行きを正式に認めてもらうまで家には帰らないと突っぱねた。その頃、季節はもう夏になっていた。
そしてついに両親は根負けし、東京行きを認めることになった。マンションの一部屋を借り、学校にも転入届を出すことになる。
ここに、間違いがあった。転入先の高校を通信制高校にしてしまったのである。池袋駅東口をでて大通りを歩くとビルの上にでかでかと緑の看板があるあそこだ。前にも書いたが、勉強なんてそっちのけでやるべきことがある(が、はっきりとはしてなかったし結局しなかった)というのが僕の持論だったのだ。根拠のない自信である。「ただ単に勉強にあくせくするだけの高校生活では後悔する。それよりもむしろ高校生という立場を利用して、社会的にコミットしていくべきではないか」と。勿論、学習塾の類にも通わなかった。
・・・いや、「学生」の意味わかってるか?と今になって突っ込んでも、もう遅いのだ。
さて、東京に来た秋から卒業してから連れ戻される今年3月までは、すべてを語るともう読むだけで日が暮れてしまうだろうから、かいつまんでだけ説明する。
まず、多くの本を読んだ。上京する前から本は読んでいた方なのだが、上京してからは大型書店がたくさんあったこともあり、大量に購入してむさぼり読んだ。内容としては社会問題(震災、ボランティア等)や政治経済、自己啓発書、著名な経営者が書いた本などが主であった。
次に、自由に使える時間を利用して、様々な講演会に出かけた。これは東京でだからこそ出来る代物であろう。政治家、各省庁の役員、NPO団体の代表、大学教授や評論家、新聞記者さんなどが開催する講演会やシンポジウムである。僕は前もって作った名刺(といっても名前と電話番号、メールアドレスしか描いてない素朴なものだった)を持って行き、終了後に社会人に混じって名刺交換に励んだ。「学生です」と言うと「こんな若いのに立派だねえ!」と返してくれる。それが嬉しかったのか、どんどんと基本的に社会人向けの講演やシンポに出席するようになった。周りがスーツだらけの中1人洋服だとしても、全くお構いなしだった。
他にも参宮橋近くにあるいわゆる意識の高い人達がいっぱい集まる某センターに何度も紛れ込み、迷惑になるので名前は明かせないが様々な団体と交流したり付属の宿泊施設に泊まったりすることもあった。
その他にも興味のある大学の授業にひっそりと出席したりと、まあ思いついたことをそのままやってみせた。
ここまで聞いて、「何だ、結構すごい事やってんじゃん」と思った方もいるかもしれない。
確かに、当時僕が交流していた学生にはテレビや雑誌で紹介された経験もあるようなすごい人もたくさんいた。が、彼等意識の高い学生と、僕とが全然違うファクターが1つだけあったのである。
それが、「学力」だ。
僕は、一般の高校生が学校に行き、その後学習塾に行き、ヘトヘトになって帰宅して更に課題に追われているその間に、好きなまましてきただけのことだった。先述した他の学生は学校に行った上で、その他の活動もしていたのだ。この時点で差は明白だったのだが、これも今だから言えることである。
とは言え、当時の僕がいかに学力で劣っているかは、当時の僕自身も知っていたことではあった。
3年生になった。そろそろ進学先を決めねばならない。しかし、学力は無い。じゃあどうするか。
学力の無い僕にとっては大学に行く手段としては自己推薦・AOしかないわけで、実は上京した当初からそれを狙っていた。そのためにこれまでたくさんの一般高校生とは違う活動をしてきたんだ。この経験は大きいだろう・・・
とまれ、そのためには小論文や自己推薦書の練習をしなければならない。偶然にもイベントで何度も同席していたとある都立高校生が、論文対策にこれまでも同試験で多数の大学に合格者を出しているW塾を教えてくれた。
が、ここに相談に行った時に、僕のこれまでの一連の楽観的考えを一気に叩き潰される出来事が起こるのである。
推薦対策のコース説明を聞き終わり、帰宅前にアンケートを書いていた時の事だった。
「あ、〇〇高校さんなんですか。」
「ええ、そうです。」
「あの、確かそこって通信制高校でしたよね。」
「はい、そうですが。」
「・・・言いにくいことですが、通信だと推薦やAOは難しいですよ。」
考えてみれば確かにおかしな話である。「今までの画一的な学力入試にとらわれない多面性を重視した新しい入試方式(うろ覚え)」なのに、どうしてそんな差別があるのか。
そこから先は、今まで何度かこの文章の中で自分自身でつっこんできたことそのままだった。手短くまとめると、背伸びをする前に学生としての本分を果たせとのことだ。反論できなかった。呆然とするしかなかった。
しかし、今まで普通科以外の高校から合格した人もたくさんいるのではないか。苦し紛れに反論した僕に、更なる追い討ちをかける。
「何か、これだけは日本一だと誇れるものはあるか?」「何かの大会で優勝したり入賞したことはあるか?」「テレビか、ニュースで報道されたことがあるか?」「まあそうじゃなくても、せめて何かの団体を率いたり、主催をしたことがあるか?」「そもそも、東京に来た目的ははっきりしたか?」
・・・今考えると、最後は「それをはっきりさせるためにここに説明を聞きに来たんでしょ!」と反論できなくも無かったかもしれないが、その他の部分ではもはや撃沈であった。
どう帰ったかは、よく覚えていない。こんなにはっきり言われたのは、初めてだったのだ。確かに通信制の学校で、何も勉強せずに大学に通った例は、たとえば芸能人とか、ゴルフなどで優勝したとか、ケン玉で日本一になったとか「特筆すべき何か」を持ってる人ばかりだった。
だが、一般高校の場合はまた違ってくるだろう。僕も今まで、さまざまなW塾出身の合格者に出会ってきた。しかし、その人もたいてい何らかの(小さいながらも)組織の代表を務め、さらに将来に対する明確な目標や問題意識を持っていた。
冷静になって考えてみると、通信云々という前にこの時点でアウトだったのかもしれない。僕は「東京に一大決心をして来る」ということを「目的」としてしまったのだ。その後にやってきたのは皆、講演会にしてもイベントにしてもシンポジウムにしても、ほかの誰かが開催したものにただ参加したというだけ(しかもお金まで払って)の、単なる「客」だったということだ。はっきり言って「受動的」。これではダメだ。
誰が、こんな人を入学させるのだろうか。
しかも僕の場合はさらにひどく、このような活動をしていないほかの高校生を見下してさえいたのである。先述したとおり、「学生」の本分を完璧に忘却していた。当時僕が「見下していた」多くの学生は、今頃大学で楽しい生活を送っているのだろう。対して僕は予備校詰めだ。これはある種の罰なのだろうか。
話がそれた。
W塾での出来事は相当こたえたが、だからといってあきらめるわけにもいかない。これで受からなければ、とても大学には進めないのだ。僕はありとあらゆる大学の資料を取り寄せ、自己推薦書や小論文を書き出願した。やみくもに書いたわけではない。このころになると都内の有名どころの大型書店の地図は全て頭の中に入っていたから、何店舗か回って関連書籍を買い漁った。文の書き方から何まで丁寧に指導してくれていた本もあり、それも参考にしながら今までやってきたことや思ってきたことを全て提出用紙に書きなぐった。何が「お前じゃ難しい」だ。今に見ていろ。何校も受かって、鼻を明かしてやるからな。
帰ってくる不合格通知の山。僕は、目の前が真っ暗になった。今までやってきたことは何だったんだ。
伊達にW塾は毎年何十人も推薦合格者を出してきたのではなかったのである。
しかも、出願前に必要事項を記入していてわかったことなのだが、大学側が求めた記入事項にも、それを裏付ける所があった。人間性のみを見るはずなのに、通っている高校が「普通・定時・通信」のどれなのかを記入しなければいけなかったのだから。
久しぶりのスクーリング日。担任の先生に言われた。「そろそろセンターの準備はできてる?」
もう、2012年も残すところ1ヶ月だった。
12月、僕は初めてセンター模試というものを受けてみた。といっても、これは今年のセンター模試の最終回だったらしいが。
結果は、始めの方に書いたとおりだ。センターまであと1ヶ月ちょっと、このままの成績で大学に受かるなど、ドラゴン桜のカリスマ先生が今一堂に会しても不可能だろう。そもそも、勉強の習慣さえついてない。
もちろん、模試の時書いた志望校の合格可能性欄は軒並みEだった。・・・いや、1つだけA判定があったな。ちょっと前に2ちゃんねるで騒がれていて、ネタのつもりで書いたBF校、日本橋学館大学。進学させてくれなかったけど。
卒業式には、行かなかった。
よく覚えていないが、このころは全ての夢が潰えたショックで、ただひたすらに家でぼーっとしていたような気がする。
―――Check mate―――
ふと、そんな言葉が頭をよぎった。
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気を使ってもどうしようもない重度の身障者を排除できて昔は良かったですよね
穿ちすぎでも何でもない。
ボケーッと口あけてボンヤリした頭で消費してるファンより
頭使って熱心に鑑賞してるっていうのはなんでもそう。
だがほとんどの作品では頭使って熱心に鑑賞する人間なんてのは少数派なので、
多数派であるボンヤリ頭の自称”ファン”から浮き上がるしやがて疎まれる。
「こいつはアンチだ」「アンチだから悪い奴だ」「悪い奴はここから去れ」。
これは嘘と欺瞞が混ざってる。
ボンヤリ頭のファン達は実は
「萌え」とか「燃えた」とか「面白かった」とか小並感溢れる画一的な感想を持ち寄って
作品を中心にした仲間意識の確認を楽しみに来てるだけなのであって、
別に作品に対して批判的ですらないのになんかかんか理由をつけて排除されそうになってる書き込みというのがあり、
これは要するに作画や演出についてのちょっと自分の頭で考えた形跡のある書き込み。
こういうのが嫌がられて排除される傾向がある(マジだ)。
ツッコミや異議を述べながら楽しむような鑑賞、批判的な鑑賞、
そういうものを許さない・そもそも理解出来ないという人間が結構いる。
しかしファン達の大半より店長のブログをよく読んでたのは疑いない。
穿ちすぎどころか、「今頃そんなことに気付くな」と言いたい。
最近、3大チェーンが周りに出店したので、所感をまとめようと投稿。
とにかくセブンがやばい。純粋に日配もの(弁当とかおにぎりとかです)の品質が良すぎる。
この「商品品質」っていう攻撃力が高いのは、アドバンテージだと感じる。
結局コンビニの「色々便利」は各社違いがあれども、微妙な差になってしまった。
amazon配達とか便利だけど、それで客数どれくらい稼げるんだって話。うちの商圏に
関していえば。wifiとか無くてもいいよ、コンビニにどれだけ居座らせるつもりなんだ。
とゆーかそんなもの意識せずに、使えるようになったから、スマートフォンはこれだけ
普及しているんと違うかと。
商品の見せ方も店長の力量で差はつきつつもチェーンでの違いはなくなって来ていると思う。
許容数字の範囲で、商品ロスをしっかり出して、ピーク後の品出しをきちんとする、いわゆる
普通の店を運営しておけば、そこまでボリューム感に差は出ない。ちなみにこの当たり前を
当たり前にし続けるのが僕はやりきれてないです。これが毎日頭痛い。
そういやって、店の陳列やサービスの質が近くなってくると、日配の品質で差異が見えやすい。
今のPB全盛の時だから特にそう感じるだけかもしれんけど、PBの質がセブンは高すぎる。
ここまで、おにぎりパンが美味しいとNB中心のコンビニとかは相当厳しい。店舗の努力で
NBは美味しくできないし。この地力の差はこれから、ますますコンビニが画一的になっていく
傾向だと思います。商品開発力の高い1社が全部取っていく流れになるかも。つまらん。
持論としてはコンビニは立地が9割なんだが、1割の比重がこれから広がっていきそうな気がする。
隣に立てて潰し合うことが今より露骨になるかもですね。
他人を褒めるというのは、多分に言葉遊びめいた所がある。
つまり、同じ特徴を欠点でなく美点に言い換えるのだ。長所は短所と言うだろう。
肌が汚い:どんな美肌イケメンも一皮むけば筋肉と骨、50年経てばシワじじい。内面を重視しているであろうコイズミくんかっこいい
チビ:チビはかわいい。デカい男は時に威圧感があって怖いが、コイズミくんはきっと大丈夫だ
グロメン:これは完全に趣味の問題。私が見たらイケメンかもしれないし、イケメンは浮気しそうで嫌いという女子も多い
性格:一言悪いじゃよく分からん。ちょっぴりシャイなコイズミくんは、仲良くならないとツンデレを発揮してくれないのかも
ラノベ:ラノベ読みに喧嘩売ってんのか。id:REVさんに謝れ。ジャンルと無関係に、読書量が多いのは集中力がある証拠だよ
声質:私ハスキーボイス大好き!抱いて!それとも甲高い系?じゃあボーイソプラノ素敵!
運動神経:文化系男子もまたよし。しなやかな指とか持っていたら尚すばらしい
頭:コイズミくんは純真で、ずる賢さとは無縁なのだ。天然なくらいの方が愛嬌があっていい
そう言う態度を「甘やかし」だって批判してたんじゃないの。
ってそういう批判自体は確かに茶化す事じゃないかも知れねえけどよ
俺が30ニートになったときに、40になるまでに社会は変わってくれるのかね
俺の親が死ぬまでの間に、ニートが福祉で生きていけるように変わるのかね
ムリだろ。ナマポですら必要な人に届いてねえのに、ニート保護とかムリだろ。
障害とか、イジメとか、画一的な押しつけが厭とか色々アルだろうけどよ
結局の所、俺がニトったあとにバイトみつける時に、面接してくれるコンビニ店長とかに切々と
「ちょっとレアな精神障害で人と接するとどうしようもなくパニックになる事があるんです」
とかよ
「仕事が出来ないとクズみたいな風潮がイヤでイヤで働いたこと無いんです」
とか言ったら採用してもらえねえだろ。向こうだってボランティアじゃねえんだし。
そう言うこと言ってんじゃねえの。
情報の伝達コストが下がり、蓄積のコストも下がっている現在、すごく奇妙な経験をしている。
この文章どこかで読んだぞ、とかそういうことである。
まあ、昔からだよと言われたらそうなのだけど、この奇妙さを伝えるために実例を挙げてみようと思う。
たとえばコピペ。面白いコピペスレで同じコピペを何度読んだだろう。
たとえばアインシュタインの写真のイメージ。舌を出したイメージがある人は多いけど、それ以外の写真を知っている人はどのくらい?
相対性理論について「女の子とストーブ~」のたとえが以外を知っている人はどのくらい?
エジソンといえば・・・ほかの人は知らないであろうエピソードとかを知ってる方いますか?
何度も何度も何度も何度も、同じエピソード、同じ写真、同じ切り口、・・・というのを体験している。
ソースの少なさが原因だ。ネットに限らず、書籍とかについてもいえる。
僕はゲイだけど、同性結婚なんていらねえ!って思ってる一人なの。
なぜかっていうと、制度としての結婚なんてのは、政府の都合のいいようにバカ異性愛者を操るエサ商品にすぎないんですよね。
扶養家族が増えると、各種控除が受けられたり、少子化対策の名の下、政府がしっかりと面倒を見てくれたり。
要するに情弱異性愛者のために用意された「官製パックツアー」なんだよね、結婚制度は!
なわけで、ゲイの僕はね、一度きりの人生という旅を「官製パックツアー」なんかで廻りたくないわけよ。
そりゃ団体だから価格も安いし、みんなが利用してるから安心だし、添乗員さんも同行してくれるけどさ、
たった一度きりの人生だぜ? ゲイなら低能異性愛者はスルーして、とびきり楽しい個人旅行を組もうぜ!って思ってるの。
ってか、なんで「官製パックツアー」を使ってる情弱が賛美されて、個人旅行を組んでる人たちが虐げられないといけないの?
大体さ、ゲイが異性愛者よりも地位が高いのは、生き方のプランを誰からも示されてないからなんだよね。
だから、自分がどう生きぬくかを見いださなくちゃいけない。それゆえ自分や社会と余計に向き合う必要がある。
そういう苦悩の経験が、やがてゲイを賢くし、華やかな才能を開花させていく根源なんだよ!
ゲイから考える頭を奪い、ゲイカルチャーをぶっ壊し、異性愛者みたいな糞つまらない画一的人間を量産する同性結婚に反対!なのです。
そもそもいろんな抑圧を受けて育った僕たちって、人並み以上に強く自由を志向したがると思うんだけど、違うのかな。
こんだけ虐げられてきたのに、いまだに国に頭下げて「私たちの愛を法律で認めてください><」なんて言ってる暢気なゲイもいるんだなあーと。
不思議。
いちおう、一つだけ確認。
世の中、何事にも例外はある。
事実と意見を分けて書くトレーニングはそれなりにやってきたつもりで、これまで書いた文章で全称記号をつけてまで断定した記述はしてないはず。
日本最大最強企業であるトヨタなんかは、組織の大きさにも関わらずイノベーションを継続する能力を維持できているように見える(内情は知らないけどね)。
これは同意見でトヨタは凄いと思うよ。ただ、(内情は知らないけどね。)も同立場で、トヨタ人材は画一的なトヨタ人材なんじゃないかと邪推している。
つまり、認識の歪みは承知だが、「QC活動万歳!」「下請けは明日からコスト50%減で作ってね」といったイメージ。
大野耐一の生産性向上運動、サプライヤー企業との共同開発研究も大きく、そこらへんのホワイトカラーの貢献度で言えば小さいものだと思うけれども。
紹介された「art of innovation」であるが、どうもIDEOというシリコンバレー企業の話らしい。
創発型のプロセスであれば、ワールドカフェ手法であるとか色々知ってはいるが、それが凡人からイノベーションを起こせるというプロセスならば大歓迎。
個人的には凡人からイノベーションは生まれ得ない、むしろブレーキと思っているが。
内なる組織改革か、外なる自己追求か。その閾値はこのカギ括弧にあると思うのだが、「東大の」はまあ明確だ。
それでは、「優秀で」は?「意識の高い」は?
私自身について言えば、
優秀:「話してみると、優秀なのが伝わってくる」「天才型」「期待している」とかいう評判は聞く。平均から見たら優秀な思考能力だと思うよ。
ところが、外に出るとなると、なにか武器が足りない気がする。
意識の高い:インサイドアウトな状態ということだろうか。これまたよくわからない。
ちなみに、採用担当が「こいつは優秀だ」と思うやつ、オレは優秀でないと思うことが多いんだけど、どうなのかなあ。
強いて、絶対的な優秀という意味では、トラックレコードというのだろうか、
テニサー副部長といった肩書き、全国大会という実績、会計士という説明可能な資格こういったわかりやすい指標がホンモノの優秀なのかも。
今は隠居生活の私が現在のベンチャーブームを眺めながら、当時大きな苦労をしたことを書きたいと思う。
(少しでも共有できたら嬉しい。)
私は若かりしエンジニア時代、いつも営業畑の経営者の下で働いていたため、
といつも思いながら、がむしゃらに働いていた。
そして時間が経ち、CEO&CTOがファウンダー(A氏)のベンチャー経営の役員として迎えいれてくれるチャンスをいただき、
ようやく自分が思い描くプロダクトを作り上げられる企業(しかも経営者のひとりとして)にJOINするができた。
そりゃもう、大変嬉しかった。
私がJOINした時は、その会社は既にベンチャーキャピタルから増資があり、
JOIN後も順調に事業会社やベンチャーキャピタルから増資が決まっていて、外部から見れば順風満帆にみえていたと思う。
しかし、そこからさらに時間が経ち、会社は経営存続の大きな問題に直面した。
それは、問題の本質は、A氏がビジョナリーではなく「単純に新しいことを作ることが好きな人」だったのだ。
A氏はエンジニアとしてのスキルは高く、新しいプロダクトを世に公開していく能力には優れていた。
しかし、それは「新しい技術」とういう視点で作られいたプロダクトであって「長期的な収益」となる土台となるプロダクトではなかった。
そして、次々と新しいことにチャレンジしたいA氏は、ベンチャーキャピタルから増資を受けたビジョンに、
どうすれば自分が作りたいプロダクトに結びつけることができるのか?という明らかに考えが逆の発想になっていた。
常に新しいことを作り続ける会社は素晴らしい会社だと思うし、エンジニアとしては魅力的だと思う。
『ベンチャーキャピタルから出資を受けている』ということだ。
言い換えると、その会社は、
『将来、投資家に対してIPOまたはバイアウトをして、大きな利益を与える必要がある』のだ。
もし、当時のその会社がベンチャーキャピタルから出資を受けていないのであれば、都度都度、新しいことにチャレンジし、
誰もが見ないプロダクトを発表し続ける、エンジニアとしては魅力的な会社だとは思う。
しかし、それは永続的な利益を生むビジネスになることは難しく、いわゆる「受託業務」でしかビジネスは成立しない。
ベンチャーキャピタルから出資を受けるということは、「ひとつのビジネスやプロダクトの社会的な価値を上げる」
ビジネスを行わなければいけないのだ。
いま思うと、A氏は「ベンチャーキャピタルから出資を受けてはいけない人」だったと思うし、
出資を受けるにしろ「自分は新しいプロダクトを世に出し続ける企業を作りたい」
ちょっとオチが見えなくなってきたのでw
何が言いたいかというと、
とうことだ。
A氏はビジョナリーでなくモノづくりが大好きなエンジニアだった。
私はもっと早い時期に(ベンチャーキャピタルから出資を受ける前に)CEO職を他のメンバーに譲るべきだったんだと思う。
私も本来であれば「A氏のビジョンに共感する」ことが動機でJOINする必要があったんだろうけど、
今思うと、CEO&CTOファウンダーという、安易な動機でJOINしたのが間違いだった。
エンジニア時代に憧れだった、CEO&CTOファウンダーの幻想は瞬時に破られた。
その会社の詳しい末路はここでは書かないが、ベンチャー企業としてはいい終わり方はできなかった。
画一的な視点でも日記はなっていると思うが、少しでも読んでくれた方の参考になってくれれば嬉しい。
終わり。
http://togetter.com/li/173853 を読んで。
結論から先に言う。彼らがCDを売るのは、コミケに自分のスペースを確保する名目である。本当の頒布物は、「偶像化された自分自身」である。要は「アイドル」になりたくて来ているのだ。
よって、サークルの周りに溜まったり、写真撮影したり、握手会をしたりといった、アイドル化に必要な行為を画一的に禁止しては、サークル参加者本人の最大の目的が果たされない。コミケは彼らの承認欲求を満たし、「すべてを受け入れるコミケ」でありつづけるか、古い秩序を強制し、従わない者を排除するかの岐路に立たされている。
コミケの伝統である「大手もピコ手も買専もみんな同じ。例のアレが好きな同志」という意識が、歌い手クラスタには存在し得ない。もちろんサークルと一般参加者の意識に格差がある状況はよくある話だ。が、このジャンルに於いてはそもそも構造的に「同志」になり得ないのだ。
サークル参加者が好きなのは自分自身であり、一般参加者が好きなのはサークル参加者本人である。すなわち、サークル参加者は一般参加者の欲求を一身に背負った「神」であり、一般参加者はひたすらおこぼれをもらうだけの、只のしがない取り巻きに過ぎない。
こんな構造では同じ意識を共有しろというほうが無茶である。サークル参加者は「施しをする者」として振る舞うのが自然であり、当然のごとく一般参加者は「お客さん」化していく。
こういう構造を理解せず、あるいは無視し、単純にみんなの問題として黙殺しようとするのは、今あるコミケを守るための最善手であるのかもしれない。が、あまりに保守的ではなかろうか。見なかったことにしたい範囲が大きすぎはしないだろうか。現在進行形の問題として、あるいは将来再びあり得る危機へのたたき台として、議論すべきだと考える。
キューブラー=ロスの"死の受容"と同様に異性に対する"愛の受容"までにはいくつかのプロセスがある。
このプロセスはパートナーの両方に発現する場合もあるが、片方にのみ発現する場合も多くその場合、破局に繋がる可能性が飛躍的に高くなる。
しかし、それを乗り切り受容まで至ったカップルはその後、継続的に添い遂げることが多くなる。
このプロセスは画一的なものではない。いくつかのパターンに分かれるし、飛ばされる場合もある。
死の受容との根本的な違いとして、愛は不可避ではないことに留意してもらいたい。受容までに、そのプロセスは途切れることのほうが多いだろう。
・認知
初めて恋に気づく。
そこに愛はないが、本能的に異性の気をひくために行動する。
・告白
次プロセスである独占の前段階である。他者からパートナー候補を隔離するため、なんらかの方法(それが非社会的であっても)で相手に決定的なアプローチを仕掛ける。
・独占
前段階からプロセスが途切れなかった、つまりパートナーを得とくした場合、一時は幸福感が訪れる。しかしそれはあくまでその個体に対する独占欲をある程度満たしたにすぎない。
個体の差異はあれ、数日ないし数ヶ月で絶対的な独占を得ようと行動する。今段階ではパートナーに対し、他の異性への接触を著しく制限する傾向にある。
この傾向により、妊娠を狙った"実力行使"によって相手を強制的に独占するケースも少なくない。いわゆるできちゃった結婚である。
・乖離
独占欲が充分に満たされ、ある種目処がついた段階になると、今度はパートナーの荒が見えてくる。
それは自分との価値観の差異であったり、仕事や交友関係などの周辺環境に起因する物から、些細な癖まで様々である。
いわゆる倦怠期は、独占期後半から次の依存期までということになる。
この時期は圧倒的に別れる率が高い。特に乖離期前、または初期に結婚した場合は直後にこの段階に陥り、マリッジブルーの原因となる。
また子供が既にいる場合には、子供に向けられないフラストレーションを相手に対して向け、相乗効果で大変苦しい時期になる。
・依存
乖離期を乗り越えると、相手には自分しかいないし、自分には相手しかいないと思い込むプロセスへ移る。
ある程度相手の欠点を理解した上で、条件として自分の欠点を認めてもらおうとする。
「この人はここがだめだから自分がしっかりしなきゃ」、というのは愛ではなく依存である。
セックスは増える傾向にある。
・受容
依存期を越えると愛の受容に至る。相手を自分の人生の一部であり、恋人から家族に変遷する。
家族とみなしたパートナーについては婚姻に関係なく相手を充分に理解し、自分と相手の両方の利益を総合する。
セックスは減るが、性欲が減退したわけではない。
パートナーに対して充分な愛を享受しあえたことで、別の個体に対してのアプローチが高まる傾向にある。
それは子供に対してであったり、別の異性に対してでも変わりはない。いわゆる浮気である。