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はてなキーワード: 男装とは

2015-08-24

anond:20150824085331

男性向けエロで、女子男装して男子校に紛れ込むパターンってのは、ときどき見かける気がする。

主人公は男で、仲良くなったあいつが実は女だった、ってパターン

ちょっとすぐには具体的な作品名が思いつかないけど。

ときメモ2次創作早乙女好雄が実は女だった、みたいなのとかもあったはず。

to heart佐藤雅史が実は女だった、のほうが多いのかな。

ホスト部ハルヒはわりかし雑な性格だった気がするけど、

あれもお姫様扱いではあるのか。。。

2015-07-30

http://anond.hatelabo.jp/20150730105458

feita んん…?じゃあ逆に普段は男装の麗人というか宝塚っぽいキャラ女子にキャーキャー言われてるけど、ある場面ではか弱い女の子になったりするキャラがいたらやっぱり同じように嫌悪感あるってことなの?

百合漫画とかでさんざん百合百合言っておいて最後にやっぱり男がいいですみたいな展開はクソだってそれいちばん言われてるでしょ。

男になりたいタイプ男装キャラだっていきなり女らしさをアピールしはじめたら嫌悪感というわけじゃないけど違和感ありまくりだよ。

単にファッションとして男装が好きなだけなら問題ないけども。

2015-07-22

文章能力の無い同人作家の特徴

文章能力の無い同人作家の特徴

公式ヘイトジャンル場合を除く

※作者が注意書きをしている場合を除く

登場人物が死んでお涙頂戴展開

過去の女、または男が出て来て主人公嫉妬する

主人公が虐められる

・突然のハーレム

形容詞が異常に多い

・付き合っていた彼女が居たが親の勧めた見合い結婚等やたら倫理的にアレな表現

主人公が無敵

ファンタジーでも無いのに中二病

男装主人公

・とりあえず主人公好きな人見合いでいざこざ

・「普通は気が付くだろ?」と言う様な事がスルーされる

テンションギャグ漫画主人公の相手

結婚が異常に早い年齢

文章能力問題が有る面白くない小説漫画は大体この要素が入っている

2015-07-18

http://anond.hatelabo.jp/20150718002636

ああ、しんどそーだな。

私も男は好きだけど、スカート違和感だし。化粧すりゃ女装してる気がして気持ち悪いし、ヒール拷問しかないし。

彼氏はたいていややフェミニンな感じの男。

開き直るまで、あーだこだ言われたけど、今は化粧は冠婚葬祭だけ、好きな服装してるし、海外にも一人でどんどん行く。

女らしくしろとメチャ叩かれるし、実際、危険デカイけど、今の日本社会じゃ、女の方が「男装」やりやすいんだろうな。

ひとりで甘い物食べてる男子見るの、個人的に大好きなんだけど、気になるなら、スイーツ友達、作れないかな。

一緒に気軽に甘い物食べに行ったりできる女友達仕事のしやすい同僚か学生時代の友人にいないかなあ?

(男の可愛らしさを嗤うヤツなんかいたら、何度でも呪われればいいんだ!)

でなけりゃ、相撲芝田山親方みたいに、スイーツブログをやってます!ってお菓子研究グルメを装ってみるとか?

……そういうことじゃないか。

男子女装コスプレさせたい女子も、フェミニン男子大好きな女も、実は沢山いるんだけど、まあ……<普通>がいいんだよね、きっと。

でも、無理しても、いや一人で無理は出来るけど、無理した自分を好きになる異性を愛するのもしんどいよー。

わかってると思うけど、一度の人生、好きなことやってくれ!

http://anond.hatelabo.jp/20150718002636

本当は男になりたかった

性同一性障害、大人になってしばらくしてから知ったけどそれとは違う。

女が好きなわけではない。むしろがぜん男が好きだ。むしろがぜん。

男装、したくないわけでもない。が、たぶんしない。

ただ男性が着てる服のほうが好みに合う。こう、女性の着てるピンクとか薄い緑とか、ふんわりした色がはてしなく似合わない。フォルムも男物の永久ベーシックものがかっこいい。毎年流行りが変わる女性物はめんどくさい。スーツネクタイワイシャツ、楽そう。

仕事男性のほうが自分はやりやすかった。男性男性で色々折り合いだなんだあるだろうしそこは男女関係ない気もするけど。たまたまうちの職場が女同士の関係がよくないのか。馴れ合いみたいでとても気持ちが悪い。一緒にランチいこう、とか学生かよ。仕事に集中しろ

あと普通に立飲み一人でやりたい。変な目で見られるんではないかと思って絶対できない。いや、うそだ。何度も一人で行ってちょっと周りの目がツラくてそれ以来行けないだけ。雑多でこきたない立呑屋が好きで、とてもいい感じの店があったので勇んで入店。冷や酒ともつ煮を頼んで楽しい気持ちで呑んでいてもなんだかそわそわした。

きっと誰も見ちゃいないのはわかってる。でも聞こえる。「彼氏友達もいない寂しいオバサン」って。

でもほんとはしってんだ。男になったって現実が辛いことにはかわらないって。自分が女であり自分以外の生き物にはなれないしそろそろ婚期も期限切れを迎えるって、ちゃんと飲み込めばこんなひねくれ腐った考えには至らないんだろう。

どこかで飲み込めない。その塊大きくて飲み込めない。今日も、氷結レモンストロングを呑んで休日を消化するだけだ。

2015-07-03

サマーウォーズの佳主馬は原作では女の子って知ってた?

映画ではラスト男子制服で出てくるだけだから男の子だって思いがちだけど、原作では夏希先輩との会話があって、

中学入学直後に中二病を発病して「カッコいいから」って理由男装してたら止めるに止められなくなっちゃって、

仕方なく今も男子制服学校に行ってる、って話を健二の前で夏希先輩にバラされて、顔を赤くして取り乱すシーンがあるよ。

もちろん佳主馬ともチューする。

2015-05-26

http://anond.hatelabo.jp/20150526034200

女性ホームレス路上ではなくネカフェなんかに居るから実態が見えにくい、と言う話がちょい前にあったが。

http://b.hatena.ne.jp/entry/zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150516-00851952-sspa-soci

あとホームレスにも縄張りがあり、女性ホームレス男性ホームレス迫害されてより条件の悪い場所に追いやられがちらしいね

そういう事がなくても、普通に考えて女だとバレバレの状態で路上ホームレスやってたら犯罪被害に遭う事間違いなしなの

男装するなり隠れてるなりするだろうな。

2015-05-23

※冒頭のお詫びとお断り検索対策のために、略字を多用することになりました。読みづらくて申し訳ありません。

お勧めいただいた『R』、読了しました。小説を読むこと自体が、わたしには滅多にないことなので、読み出し当初は困惑しつつも、広大な小説世界に潜り浸るという新鮮な体験を楽しむことができました。作者NA文体も、読み慣れてチューニングが合うようになると、とても心地よく感じました。そんな読書の幸いを少しだけ、感謝を込めて共有させていただけたらと、拙い感想をお届けいたします。ご笑覧いただければ嬉しいです。(わたしには本当に文才がないので、つぶやき投稿のように、思いついた順番で書き散らかしまうことを、どうかご容赦ください。いわゆる「感想文」を期待されませんように…。)

『R』のなかに見出した、タイトルとなった人物RRと、修史を完成させたSS、そしておそらく、作者であるNAの、幾重にも折り重なった宿命との葛藤が、深く胸に響きました。読書中は熱い臨場感をもって読み進めていたのが、いま、こうして彼らについて語ろうとすると、静かに冷たく研ぎ澄まされた気持ちになるのは、なぜだかわかりません。書きながら、自分感情文字にして確認してみたいと思います

RRが、内に抱えた矛盾を少しずつ自覚し、揺れていく様は、わたし自身も覚えがあり、とても身につまされました。B帝に誤解され、国に残した愛する老母も妻も子供も弟も、みな殺されてしまう。RRは、大いに怒り、忠誠を誓ったはずの国とのつながりを見失う。思い返せば、これまでR家の忠誠に国は報いてくれたことがあったかと疑い、むしろ辱しめを受けただけだと失望する。そして、首を取って戻るという目的喪失したものの、よく似た身の上で、誰にも認められなくとも、国への愛情と忠誠を抱き続けたSBに、尊敬の念と敗北感を抱く…。

でも、と、その余白をわたし想像します。

家族を殺された怒りの大きさのあまり、B帝に誤解させたであろう同姓のR将軍の「存在」を怒りの矛先として、即座に彼を殺害したRR。けれど、B帝の誤解の原因が本当にそうであるか、定かでないはず。B帝と同様に、RR自らの誤解の可能性が、R将軍の命を奪い、彼を愛した皇太后を悲しまたかもしれないことに思いは至らなかった。ただ怒りに身を震わせて、衝動的に行動してしまった。おそらくは、B帝がRR裏切りだと誤解して、衝動的に一族皆殺しを命じたように。

しかに、身分の違いによる命の重さの違いを当然とする価値観が、受け入れられていた時代だったかもしれません。それゆえ、別の場面では、砂漠の中、戦局が厳しく、少しでも確実に部隊を生き延びさせるために、RR自ら、部隊男装して混じっていた妻たちを殺害する命令を、冷静に下したこともあった。同様に、愛する妻を殺された部下は、敵に寝返って、RR部隊の勝機を完全に奪った…。

RRは、自分がされて苦しんだことを、他人に対して無自覚にしてきたということ。それゆえ、RRが直面した苦しみの本質は、因果応報自業自得というメカニズム、…などでは「決して」ないと、わたしは思います。そもそも、RRの行動は、彼なりに状況に応じて最善と思われる選択をした結果でした。作者も、そんなRR「悪」として描いてはいません(むしろ宿命との格闘を活き活きと描写する姿勢には、愛情を感じます)。状況に追い立てられ、もがきながら生き延びてきた選択の愚かさを、もしも誰かが(分析好きのわたし自身が)指摘するなら、それは一生懸命さに対する揚げ足取りにすぎず、そもそも人間はそういう愚かな存在だし、渦中にあったら、わたしもそうしたはずだと(ましてや、さらに低きに流れていた可能性のほうが大きいと)、反論せずにはいられません。

SBと邂逅後のRRは、自らの抱える矛盾二面性に気がついて、苦しみを深めます。B帝の死後、かつて望んだように、国から彼が認められ招聘が掛かるのですが、それを断る弱々しい(元気のない)声のRRが印象的です。RRは、ここでもまた無自覚で、言葉を結んでいないものの、自らを通じて、人間存在の内にある矛盾二面性に、また国(人間社会)の内にある矛盾二面性に直面して、途方に暮れているのではないかと、わたしには感じられました。さらにいえば、SBのように国への想いを貫ける強さも持ち合わせず、そのSBを羨望する弱い自分を恥ずかしく思うRRは、それゆえ人間矛盾二面性を丸ごと生きているのでしょう。RR覚悟悲壮であるとすれば、そのような自分気づきつつも、両極に引き裂かれてどちらへも動けない苦しさゆえと感じました。正しい道はあまりに険しくて進めず、かといって居直ってダークサイドに落ちることもできないと自覚した以上、どっちつかずのまま生きながらえます(B帝の死後、7年目に没)。おそらくはRRも、自殺による幕引きを自らに封じた一人でした(文中では、現地での恩義や家族などのつながりをRRはあげていますが、対して、RR祖父は、親のいない孫を残して、義憤から自死を選んでいます)。

ところで、RRは、自らとSBとを「隔てる根本的なもの」に直面し、自らへの「暗い懐疑」を自覚するに至るのですが、SSとの関係もまた非常に興味深いです。

SSは、RR名誉を守ろうとしてB帝らに反駁し、結果、死よりも恥ずかしむべき宮刑を受けます。ところが、このことを伝え聞いたRRは、自らの沈む絶望が深く、SSに対して何の特別感情も抱きません(し、そのようなクールRRの反応を、SSは伝聞することもありません:そこに作者NAの優しさを感じます)。対してRRは、B帝のため国のために信義を尽くそうとするも、相手から誤解され、罰せられて一族が殺されたことを知り、大いに絶望して反転します。しかし、自らが、為を思って働いた相手に無碍にされることが、どれほど当人を傷つけうるかに、思い至りません(し、それも尤もだと説明を書き添える作者NAには、RRへの深い愛情を感じます)。

そんなSSですが、42歳にしてようやく父の遺言を継ぎ、修史の編纂に取り組むことが叶います現代の人々に知らせるために記録するにとどまらず、人間の叡智として後世へ伝え残すための歴史、なにより自分自身が書き残したい歴史には、「人間についての探求」が不可欠だと考え、「述べる」と「作る」との違いを熟考する。しかし、真摯に取り組めば取り組むほど、歴史上の人物自分自身とが渾然一体となるような文章、まるで描き出す歴史上の人物の中に自分が生きているような表現、憑依し憑依される活き活きとした文体が流れ出る。そうした箇所を削除すれば、たちまち修史はいくつもの死人に関する記録に成り下がる。削った字句を戻して、ようやく歴史上の人物たちが「安心してそれぞれの場所に」落ち着くように思われる。

このSS創作風景に、作者NA自身創作風景を重ねて見るのは、自然でしょう。わたしは、NAについてほとんど何も知らないけれど、この『R』やその他の彼の短編小説なども、歴史書を下敷きにして創作されたと(文庫巻末の解説に)目にしました。憑依し憑依される関係性のなかで、自らの書く小説の中に(のみ)活き活きとした自由を感じられたのは、SSだけでなく、NAもそうであったと想像します。

先を急ぐ前に、もうひとつSSについて。時代的・文化的な特徴と思われますが、宮刑を受けて「男」でなくなった自分の身体は、「完全な悪」に落ちたと苦しみます。心の傷は癒えても、醜悪な身体は、死ぬまで自分を苦しめる。それは、自分という存在のものが、悪である証しであり、生きる限り続く恥辱だ、と。これが、「盲目的な獣」としての苦しみの段階です。(が、作者NAの有名な短編『S』では、狼へと変身して初めて思い至った気づきを、数日で通り過ぎてしまうあたり、作者NAが、SSに託した気持ちの大きさを思います。)

その後、SSは、我が身に降りかかった苦悩・人生への懐疑とは別の、意義を疑えない「畢生の事業である修史に「無意識の関心」が向いており、それゆえ自ら死を選ぶことができないでいるとハッキリと自覚します。ここから、「より意識的な・人間」としての苦しみが始まります。この、獣から人間への飛躍が、とても深いことに感嘆しました!

「獣」と書いていますが、つまり世俗社会的価値観のなかで「盲目的に」生きている段階のことです。ここでは、「身体=身」と「心」という対比が支配しています(「身/心」という二元論で捉えられています)。舞台となった漢の時代的・文化的な特徴として、名誉や忠誠といった「心」を守り通すためには、人々は死を恐れず、むしろ喜んで「身体」を自ら差しします。SSも、死刑を恐れてはいませんでした。しかし、醜悪な「身体」となったSSは、その恥辱から「心」解放すべく死を願うも、それを押しとどめるもの存在を予感します。自宅に戻ると、それは父に託された修史編纂の完成であることを理解します。自らに刻み込まれた「宿命的な因縁」として、「肉体的な」仕事とのつながりを放棄できないことに改めて気づかされます。ここから、「より意識的な・人間の苦しみ」へと飛躍するわけです。

ところで、世俗社会的価値観(=知覚や意識)は、SS「心」=「我」と、「身体=身」とを形成してきたものです。しかし、託された使命への自覚は、既存価値観にとって、おめおめと生き恥さらすような人生を続けることを求めますSSの抱く既存価値観(=知覚や意識)にとっては、耐え難く、非情要請です。そのため、「知覚も意識も」持たない、修史編纂のための「機械」に過ぎないと、(既存価値観=知覚や意識で)自分定義しなければ、自らに言い聞かせなければ、生き続けられなかったのだろうと思いますSSSSであるという意識の土台となる「心」=「我」も、そのために捧げる「身体=身」も、当時の社会的解釈の上に成立してきました。この解釈いつまでも安住できたら、まだSSの苦悩は浅かったかもしれません。「宿命的な因縁」、すなわち、いにしえから脈々と受け継がれて自分生命(魂)を与えた血統のように、時代を超越した「肉体的な」つながり=使命(魂)への自覚は、SSに当然視してきた当時の社会的解釈に安住し続けることからの飛躍を求めたわけですから。「心/身」という二元論を越えて、使命を抱く「魂=肉体」として自らの存在のものを捉え直すことは、当時の社会的解釈から、漢の時代的・文化的制約から、身を引き剥がすことでもあります。それは、昭和時代から当時を見つめる、超越的な作者NA視点でもあります

ここで描かれたSSの姿は、作者NA解釈したSSの苦悩であり、おそらくは、昭和現実を生きて苦悩したNA自身の苦悩の姿であるのかと思います。作者NAもまた、病床のなか不遇のなかで「心」も「身体」も傷つきつつ、作家として生きる使命によって、自らの小説の中に「魂=肉体」を解き放したのかなと思いました。(ちなみに、「魂」という単語は、作者NAは使っていません。でも、明らかに、「身体」=「身」と、「肉体」というのを使い分けています。その差を強調するために、わたし勝手に補ってみました。)

そういうわけで、困難な戦場を生き延び、また自らに暗く懐疑するRRも、自らの信じる正義を貫き、恥辱に苦悩しながら使命に生きるSSも、その抱えた宿命の重さにも関わらず、活き活きと自由に躍動する姿には、作者NAが重ねられているのだと思いますNAにとって、小説を書くことというのは、憑依し憑依されてその世界を生きることなのだろうと感じました。事実、『R』のなかで、RRSSの二人について「だけ」、歴史上の人物としての事実描写だけでなく、その場にあって思い感じたこと、彼らの知覚と意識まで作者は思い描き、詳細に語っています。(わたしは、新潮文庫を購入したのですが、その文末の解説に、『R』はRRSSSBの三人の物語だと紹介されていて、そりゃちょっと違くないか?と違和感を覚えました。それもあって、今回の読書では、基本的に予備知識なく、勝手に読んでいます。)

からこそ、冒頭に書いたような「静かに冷たく研ぎ澄まされた気持ち」を抱いてしまうのかなと思いますRRSSが抱えた宿命の重さも悲壮覚悟も、作り物としてのフィクションではなく、また単に歴史を題材にした半分史実・半分フィクションといったものでもなく、作者NAが抱えたであろう実体験を(ノンフィクション、と片仮名で書くには軽すぎる経験を)、わたしはそこに感じたからだと思います

作品は、読者の能力に応じて・読者がそこから読み取れるものしか、読むことができないのだろうと思います。(それゆえ、例えば同じ聖書であっても、子供が、若者が、大人が、死を前にした老人が、それぞれが自分必要ものを、そこから読み取ることができるのだと思います。) だからわたしが読むことができた『R』は、私の興味・関心に限定された、豊穣な作品全体のごくごく小さな断片に過ぎないと自覚しています。きっと、H.H.さんからしてみれば、幼い読み方だと笑ってしまわれるような感想だったかもしれません。それでも、この作品出会えて、とても嬉しいです。作品を作ることに込める覚悟のようなものを、改めて考えるキッカケをもらえました。ありがとうございます

最後に、『R』を読みながら、H.H.さんがそこに読み取ったであろう痕跡をいくつか感じました(例えば、存在することが悪であること、それでも書写機械として生きる覚悟をしたSSの中に)。そんな大切な小説を、紹介してくださって、本当にありがとうございます。とても光栄です。でも、もしかしたら上述した私の感想は、そんなH.H.さんの想いを、まるで現国試験問題に答えるかのように切り刻み、分析し、曲解した失礼なものと映ったかもしれません。もし、不快気持ちにさせてしまいましたら、本当に申し訳ありません。(あなた真摯さに敬服するファンとしては、自分の正直で素直な感想真摯に伝えるべきで、あなたのご機嫌を取るために媚びを売るような接し方こそ失礼なのでは、と勝手に考えてしまいました。決して、あなた否定するものではありませんこと、ご理解ください。)

自分について思索する道を、Kさん=H.H.さんに教え導いてもらえたように感じていますあなたの魂=肉体の存在に、感謝します。(勝手ファンの願いであり、余計なお世話かと思いますが、だからこそ、どうかご無理をされず、くれぐれも心と身体を大切にしてください。) あなたの幸いを心からお祈りしています

h_s

2015-02-25

夢は正社員

民主党が掲げるキャッチフレーズ

民主党代表といえば、岡田克也さん。

岡田さんといえば、ジャスコもといイオン一族

イオンは先日発表された非正規雇用社員が最も多い会社です。

羊頭狗肉という言葉をご存知ですか?

晏嬰時代に、王が後宮男装ブームを知りながら国民の間で同ブームになってる事を問題視も一向に止む気配がありませんでした。

そこで、晏嬰は彼に後宮でのブームを押さえれば自然に止まるだろうと言うとその通りになった事から由来します。

雇用問題において、『夢は正社員』と民主党は声高らかに掲げてますよね。

でも党の代表自分の所の会社非正規社員をたくさん持ってますよね。

これって矛盾してませんか?

提案があります

隗より始めよという言葉をご存知ですか?

何を為すにも先ず自分からといいますが、昔は手近な所から行うといいます

同様になされてはいかがですか?

イオン非正規社員を全員、とまではいいませんが、『夢は正社員』だと言う人達に対してその機会を与えてやるべきです。

正社員になるための試験を受けさせる、ではなく言葉通り正社員にするのです。

そうすれば有言実行国会議員として与野党国民海外から賞賛される事でしょう。

岡田さん、今がチャンスなのです。

是非イオン非正規社員の夢を叶えてやって下さい。

2015-02-24

http://anond.hatelabo.jp/20150224065312



観察力というのは、自分が興味あるところしか働かんのですよ。

自分が気付くことに、相手は気付かない=観察力ないというのは短絡的思考

スカートはいている男性がいたとして、後ろから見たら女性と間違えることもあるかもしれない。

また、顔を見たとしても、1割か2割は、女装or男装していたら男女の区別がつかん人もいるでしょうよ。

2015-02-22

男装美少女薄い本アニメが中々見つからない

需要が無いんだろうか。。。

2015-01-04

固有の名称は……。

男×男→BL薔薇

女×女→GL百合

女×男/男×女→NL、ノマカ

じゃあ

男の娘×女や男の娘×男、女装男子×男、女装男子×女、男装女子×女、男装女子×男、中性×(ry

はそれぞれなんて呼ぶのだろう?

2014-12-27

ふと思いついた漫画の設定

シングルマザーの女が、子供に「なんで家にはパパがいないの~?」と聞かれて、

男装ビジュアル系メイクをしてパパのフリしてあげる漫画

2014-11-25

性同一性障害推定)で、どうにも踏み出すべき道のりが薄暗い

これから社会人になろうとする20代学生で、性同一性障害(FTMTG)の自覚があるものです。

正直どういう風に「大人になって」生きたらいいかがわからない。

僕は、外見が完全に女である

ユニセックスな服・メンズ服でサイズの合うものを探して来てみても、完全に女である

背がとても低く、声が高く、顔は正直申し上げると目が大きくまつげが長いので、ノーメイクでもかわいい

そして、いまだに高校生と間違えられることがある。

おっさん嘘つくのも大概にしろよと思っただろうか。うん、俺も思った。

だが、残念なことにこれは嘘でもなく残念な事実であるのだ。

おかげで、同性の中でちょっとボーイッシュな感じの人をみつけると、

きゃあきゃあと盛り上がる年代中高生女の子に囲まれていた時代ですら、

びっくりするぐらい女の子から性的な意味でモテなかった。今も現在進行形モテてない。

ここ最近特に、色の濃い目で肌の露出の極端に少ないメンズしか着ていないのに、「小動物系で守ってあげたい感じ」と言われてしまう。

さらに、20代に入ってから自分の顔に女としての色気が足されつつあるのを実感する。

不潔に思われないギリギリラインの装いをしているのに、男から性的な意味で)見られるようになった。

(単純に、そういう目で見ているということに、僕が気づけるようになっただけかもしれないが…)

俺はこれほど男なのに、外見がどんどん、「あるべき僕像」というのからどんどん離れていっている気がする。

それは、一歩間違えれば不潔感を与えてしまうような、だらしがない真面目系クズ学生だ。

そうであるべき人間が、何かの間違いで、「外見に無頓着かわいい小動物女の子」として、周りの人間から認識されている、そんな感じだ。

僕は物事真剣に捉えない癖があるのか、結構馬鹿なので、「朝起きたら女の子なんておいしいじゃないか…!」みたいなところがある。

あと、性同一性障害といっても、身体的違和が強いタイプ(FTMTS)ではなく、性に対しても恋愛に対しても大して興味がない性格なので(FTMTGのノンセクシャル)あまり自分性別にまつわる問題を今まで深刻に捉えてこなかった面もあるかもしれない。

自分のこととして深刻に考えていたら、そりゃ、この身体でまともに自尊心を保ったまま暮らせるわけがないのだが、

どうも自分人生について投げやりなのか、(自分性別と外見が食い違っているけど、)まあ、いっか。

女の子からも警戒心もたれにくい感じだし、まあ、いっか。

と、自分の外見についてあまり真剣に向き合わずに逃げてきた。

不快に思われない程度に似合う程度の、男物やユニセックスの服を着て、違和感がない程度の短髪にして、

胸を潰して少々体型補正をしただけで、自分としてはそれでいいと満足していた。

満足しようとしていた。

結果、初対面では100%男と思われない状態でここまで来てしまった。

性格をよく知っている人から問題がない。

しかし、そこまで深い仲でない場合、ただの女の子として認識され続けるしかない。

最近、周囲から違和感を持たれにくい範囲内での「男の服装」をした状態で、ナンパされることが複数回あった。

僕が男物の装いをした所で、ボーイッシュ女の子しかならないし、

そして、そういった化粧っけのないボーイッシュで素朴風な女の子需要があるということも、そんなことは分かっている。

分かっているし、理解はしているつもりだが、そういった現実を突きつけられるのは、流石に少々こたえた。

幼稚園児の頃に、(当時はお嫁さんになりたいという生き方が主流だった)自分は働いて自分の稼ぎは自分で稼ぐといい、

変な子ねといわれつつも、(当時、まだ主流だった)女としての生き方一般職寿退社専業主婦という息方だけは御免だと思っていた。

ふたを開けてみれば、今の時代女性が働くことが普通時代になっていた。

仕事内容を性別区別されること自体は減ったようだから、その点は大分生きやすくなったかと思いきや、

今度は、「社会人女性」という型に嵌められて生きなければならないというルールも着いてきた。

しかし、ここで付属してきた、「大人の女性になれ」との社会から要請に、一体、僕はどのように対処すればいいのか、ほとほと困っている。

小中学生の頃は仕方なく合わせていたものの、もうこの歳になってしまっては、自我を押さえ込んで、いやいや拷問(=大人の女性としてのマナー)に従うほど僕は従順ではなくなってしまったし、そもそも、なぜ僕だけが周りの誰も受けていないような拷問をすすんで受けなければいけないのかも妙に腑に落ちない(性同一性障害だと自覚しているわりに、今までそのことへの対処について、真剣に向き合ってこなかったというのが落ち度といえば落ち度ではあるのだが…)。

かといって、その拷問回避するような生き方では、社会的な信頼が得られづらいのも事実なわけで、一体何を優先してどう折り合いをつけてどこを妥協するべきかを迷っている。

若いうちから体や財布を傷つけて性転換をしようとする性同一性障害人達にたいして、「そんなことをしても、よっぽど身体条件に恵まれた人でない限り、

本人の希望のように、男/女 としては見られないだろうから、結局奇異の目に晒されるだけだ」と、彼らのことを器用でない人達だなあと馬鹿にしていた。

しかし、今思えば、彼らは真摯であった。自分生き方について真剣に考えた結果、そのような行動をとらざるを得ないと、早いうちから判断したのだろう。

たとえ、外部から彼らの男/女になりきれない容貌を嗤う者があったとしても。

僕は、他人の目の方を気にしていた。TVスクリーン上のオカマ、或いはドキュメンタリー取材される哀れな性同一性障害でありたくなかった。

なるべく、ただの一般人でありたかった。だからギリギリライン自分を騙していた。

しかし、今後、「大人」になっていくうえで、もう、これは限界だ。

僕は、このままでは、「大人」になれない。

社会ルールとしては、「大人になる」ことの中に「一人前の男/女になる」という意味が含まれるらしい。

僕は、精神的には一人前の男を目指したいと思うし、そして、一人前の女になる気はない。

しかし、周囲の目が求めてくるものは、逆である

僕は生まれてこのかた自分を女だと思ったことはないし、これからも多分ないだろう。

しかし、外見を男としてパス(=希望性別として周囲から認識されること)することも多分ないだろう。

だとすると、男の服を着た身体的女であり、「精神的には男である女」と周囲から認識されること、

それが一番自分にとって(当面は)ストレスのない生き方だ。

しかし、一般に、そのような外見の人間は、「歳相応の振る舞いが出来ない幼稚な人間」と認識されがちである

もちろん、「中性/あるいは、男でも女でもない性別」という性別が公のものとして世の中から認識されれば、僕の悩みはすべて解決する。

しかし、この国でむこう数十年のうちにそういうことが実現するのは、まあフィクションの中だけだろう。

それゆえに、今後、僕に、外側から付きまとってくるであろう「女」という属性と、これからどう向き合っていけばいいか、わからない。

性転換して男になるわけではなく、女性としてのTPOに従わない見るから男装した女のままで、

子供でなく、ひとりの大人としてただそこに存在している、ということを、社会からは認めてはもらえないのだろうか。

(正直今まであんまり深刻に考えてなかったのですが、

ここにて文章化してみて割りと絶望しています…)

2014-09-13

http://anond.hatelabo.jp/20140912184121

性自認は女だし性愛対象男性結婚して夫がいるけど、未だに男になりたいって思うよ。

具体的にはチンコが羨ましい。欲しい。射精したい。抱かれるより抱きたい。女湯で見る小さい男の子が羨ましくて仕方がない。これから男の人生が待ってるなんて素晴らしい。

男装はしない。完全に女の体型だし顔つきで、しても見苦しいから。服装はまるっきりフェミニンだ。

メイクで可愛くなれる女装子さんとかMtFさんとかいいよね。

セクロスの時もオナニーの時も自分が突っ込んでる妄想でイく。

ほら、男子の「可愛い女の子になりたい」話に比べてどっか気持ち悪いし生々しいじゃん。しか厨二病とか処女こじらせた可愛らしいもんじゃない。だからさないし見ないんだよ。

誰にも打ち明けられなくて、墓場まで持ってくつもりの秘密

私が年とって死ぬまでに勃起射精もできる疑似チンコが開発されるのを期待して、残りの女の人生を粛々と生きるよ。

http://anond.hatelabo.jp/20140912184121

http://anond.hatelabo.jp/20140912220209

そりゃ、無理だろ。理由は単純で、女性男装してもカッコイイし(ジェンダー規範における拒否反応は別として)不快に思われないけど、

男性女装するとたいていの場合見た目に気持ち悪いから

人間はこの根源的な美醜の規範からは逃れられない。フェミニストだってまったく逃れられていないんだし。

http://anond.hatelabo.jp/20140912184121

女の男装なんて簡単だからだろ

「なりたい」じゃなくて「なった」ならいくらでもいるわ

2014-09-12

http://anond.hatelabo.jp/20140912184121

男装は簡単なのですぐに実現できてしま

内面のことはしらない

2014-08-20

http://anond.hatelabo.jp/20140819205331

比較的「重い」彼女と5年付き合うとか、1年半の遠距離恋愛とか、その末に振られるとか。

おまけに彼女は「恋愛に些か力を注ぎ込みすぎる傾向はありましたがきちんとした日々を送り、仕事における評価も高かった」とか。

おいおい俺か。

ここまで似たような人と似たようなお付き合いをした人がいることに驚愕してるわ。何で各種の数字まで一致するんだ(笑)

俺は振られた時点で自分の中で何かが切れちゃって、元増田ほどの気持ちはないんだけど、それでも時々思い出す。

向こうは既に新しい彼氏ができたんだけど、「満たされない感」が凄く強い人だったから、幸せにやってるかなー、とかね。余計なお世話なんだけど。

便乗して勝手自分語りをしてしまった。すまん。

今ある気持ちは仕方ないよ。その気持ちを誰かに注げるようになる日がきっと来る。お互いそう信じよう。

(たぶん無いとは思うけど、別れた彼女男装して書いてたとしたら、まぁ笑ってやって下さい。)

2014-07-18

外では雨が降っており、かつ雨は降っていないので、源義経母親ナポレオンである

ワトスン、これを読んでみろよ」

「なんだいこれは、手紙か?」

外では雨が降っており、かつ雨は降っていないので、源義経母親ナポレオンである

「どういう意味だと思う、ワトスン

「ただのいたずらじゃないのか」

「少し考えてみようじゃないか。まず雨のくだりについてだ。外で雨が降っていることと、雨が降っていないことは、はたして両立するだろうか?」

「雨が降ることと降らないことが同時に起こるなんてありえないだろう、ホームズ。これはあえて矛盾した文章にしているんじゃないのか」

「いいや違うぞ、ワトスン。雨は全世界で降るわけじゃない。ロンドンで雨が降っていても、パリでは降っていないかもしれない」

「そうか。確かにそのとおりだ。雨が降っているのと、雨が降っていないのは、両立しうるわけだな。でもそれは何を示しているんだ」

「いまはまだ分からない。焦らず次に行こうじゃないか。ワトスン、君はミスター義経を知っているかい?」

「いや、知らない」

「そうだろうな、源義経日本の歴史的な英雄名前だ。百科事典を取ってくれ。…ありがとう源義経については…こう書いてある。源義経は1159年に生まれ、1189年に没した。日本平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した、源一族将軍である天才的な戦術家で、時の支配者を倒したが、悲劇的な最期を遂げ、そのおかげで日本では今でも非常に人気がある。…義経はさしずめジャパニーズナポレオンというわけだ。よしよし、繋がってきたぞ」

「だがホームズ地域時代性別という、三つの理由によって、源義経母親ナポレオンということはありえない」

「もちろんそのとおりだが…おや、これはどういうことだ」

「どうした?」

源義経とチンギス・ハンが同一人物だという説があるらしい」

モンゴル帝国のか?」

「そうだ。チンギス・ハンが生まれたのは1162年頃と言われているから、少なくとも時代は一致している」

あくま珍説奇説の類じゃないのか」

ワトスン、こう考えてみたらどうだろう、源義経はチンギス・ハンの事績日本に伝わったあと、遡って生み出された存在なんだ」

まさかホームズ、君は源義経という人物が存在しなかったと言いたいのか」

あくまで仮説だ。だが、この源義経という人物の生い立ちは、あまりはっきりしないらしい。架空の人物である可能性は高いと思う。他国の人物を自国の人物として歴史に取り込むことはよくあるんだ。マケドニアアレキサンダー大王ペルシャイスカンダル双角王になったりね」

「ふむ、わかった。じゃあ源義経がチンギス・ハン伝説から生み出された架空の人物だと仮定しよう、するとどうなるんだ?」

「つまりチンギス・ハンも実在しない」

「おいおい、ホームズ、わけがからないぞ」

義経とチンギス・ハンの関係と同じだと考えるんだ。チンギス・ハンはナポレオン伝説から生み出された架空の人物なんだよ」

「そんな馬鹿な! チンギス・ハンは実在するよ!」

「君がその目で見たわけじゃないだろう。チンギス・ハンも謎の多い人物だ。当時、モンゴル軍を率いた王は確かに存在しただろう。だが歴史に書き記され、後世に記憶されている、我々が抱くチンギス・ハンというイメージは、実在のチンギス・ハンとは異なるんだ。同じく天才的な将軍であり、ヨーロッパ全土に脅威をもたらし、広大な帝国を作り上げたナポレオンと混同されて、チンギス・ハンという新たなキャラクターとして生み出された。そのような可能性は否定しがたいだろう」

「いや、ありえない、それは受け入れられないよ、ホームズ

ワトスン、さっき君は、源義経がチンギス・ハンから生まれた架空の人物であることを、あんなにあっさりと認めたじゃないか。だったら同じ理由でこちらの説も認めるべきじゃないか」

「…わかった、わかったよ。ナポレオンからチンギス・ハンが生まれたかもしれないことは認めよう。だがそれでも、ナポレオン女性じゃない、母親にはなれないぞ!」

ナポレオン女性じゃないだなんて誰が言ったんだ?」

「なんだって! ホームズ、君は正気!?

ナポレオン男性女性かを確かめ人間はいないよ。もしかしたら男装した女性だったかもしれない。ナポレオンを描いた肖像画はどれも髭が生えておらず色白で艶かしい」

「いや、でも、信じられないよ」

「もちろん信じる必要はない。ワトスンロンドンで雨が降っていても、パリでは降っていないかもしれない。我々はナポレオンが男であり、チンギス・ハンと源義経は別人だと信じているけれど、別の視点から見れば、ナポレオンは女で、彼女からチンギス・ハン、そして源義経が生まれてきたのかもしれない。この手紙の送り主はそういうことを言いたいんじゃないかな」

「いろいろな見方があるということかな」

「そうだ、別の視点から見れば、私たちも二人とも男になってしまうかもしれない。いまとは逆に二人で探偵をやっているなんて想像はどうだろう」

「…ホームズ、私はもうすっかり疲れてしまったよ。頭の中がぐちゃぐちゃだ」

「おや、もう寝てしまうのかい、私の可愛いワトスン

「ああ、おやすみホームズ、愛してるよ」

2014-06-06

余り

anond:20140603175840

(右京と紅つばさについて)

いただいたコメントを参考にしていますありがとうございます。大変嬉しかった。

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右京は、登場こそ遅くて、良牙、シャンプームースときてその次だろうか、九能兄妹は外様という感じがするんで数えないけど。だけど相当に重要キャラクターで、キャラクターとしての彼女竜之介の子なのはやっぱり間違いなくて、ああ、思い入れ深い人たくさんいるだろうから釈迦に説法するはめになるところ多々あるじゃろうと思うと恥ずかしいが続けるけど、しか竜之介が背負っていた因業を下ろして軽やかになってる感じする。竜之介社会的な知識が無かったから親父と暮らさざるを得なかったと言えないことない。常に親父と組み合わされていて、そうじゃなければキャラクターとして駆動しづらいがためにその状況に作者によって留め置かれたようなところきっとある。それに対して右京は手に職を持っていて、親父の影もなくて子供の頃を回想する場面に出てきたきりだったろう。

その親父というのがそもそもまだ未就学児らしき右京を、あるいは葛藤の末かもわからん、のっぴきならんかったのかもわからん、描かれてないから知らんが、乱馬の嫁として乱馬の親父に渡さんとするような人物で、しかし許嫁という、なんだろう、制度と言うんだろうか、を駆使する物語である以上はそうした人物も出て来ざるを得んし、こうした状況に自身の人生投影する人は必ずいるだろうしそうじゃない人は遠くのこととして可笑しみ感じるなり同 情するなりすれば済むんで文学娯楽どちらとしても間違っていないと思うが、ともかくそうした娘への癒着の弱い父であってその点竜之介の親父とは真逆に設定されてるんではある。やっぱり竜之介の不幸は親父からの支配によってのものもの竜之介への償いを果たそうとして右京を造形するならばそうなるのだなと、てめえの勝手な思い込みなれど合点のいくところ。

とは言え、父からの支配を右京が受けてないかといえばそうじゃないかもしれん。右京は乱馬に執着があるからこそこの物語に登場する。初めに持っていた憎しみと、それをネガティブとしたら転じてポジティブしかし恋情とかと一口に表わせん感じする思いとをひっくるめて、執着って言い方してる。その乱馬への執着っていうのは親父から与えられたものだと思えなくもなく、それっていうのは右京自身の能動性みたいなものをなめた見方だとは思うけどとりあえずそうとして、だとしたら竜之介が背負っていたものからまるっきり軽やかになってはないのかもしれない。

しかし、乱馬への執着は断たざるを得ないのだ。この漫画はやはり乱馬とあかねが結ばれて終わるしかないんで、右京はキャラクターとして作られた初めから宿命として乱馬と結ばれない。でもそれは同時に親父から与えられたものから解かれる、背負っていたもの下ろして軽やかになるってことでもあるんで、竜之介から右京へと受け継がれた不幸をこの物語の結末において返上できるように作者によって仕組まれていたんじゃないだろうか。返上を受けたのは他ならぬ作者だ。

それを裏として、竜之介のもうひとりの子であるあかねが乱馬と結ばれるのを表としたら、竜之介に有り得たふたつの道はふたりの子孫が完遂したぜみたいな言い方ができる、かも。

ただこの話から抜け落ちてるのはあかねと結ばれた乱馬を右京が思い続けるのではないかという想像で、しかし話が進まなくなるから無しにしてしまった。

ところで竜之介自身はどうだったのだったか。巻が尽きんとする頃に親の決めたフィアンセである渚という自身とは対称的な女装男の子が出てきて、仲たがいして仲直りして何か落ち着きどころという感を読者は与えられる。ただ行く末はほのめかされたとすら言えないんで、それは読者それぞれの想像を豊かにするためでもあろうがあるいは作者自身決めかねたのかもしれない。竜之介が幼少から好きになるのは女の子ばかりだったと描いてもいるのだしさ。だから恋人や伴侶とも親友理解者とも好敵手ともなり得る可能性を持った渚の造形はすげえ見事なんだって今思った。

そうだ、おれは、渚の話からつばさの話に転びたかったのだ。

つばさ、あの、右京の通ってた高校同級生で、右京を追っかけて来る子、ポスト自販機の扮装して「突撃ーっ!」って叫んではどこやらにぶつかってる子。種を明かせば女装した男の子で、高校っていうのは男子校だったのだけど男装して通っていた右京が女だということには気づいていて、あくまで女の子として好きだったということで、やはり異性愛者だ。ただ読者がどう思わされるかは二転三転するんで、順に、女性異性愛者、女性同性愛者、男性異性愛者、という具合、何か明かす度に変態とか変態野郎とかオカマとかとあかねや乱馬の言で発されるのは、彼がへこたれないふうだからそう見えないが気の毒なんだぜ。ただ、そうした呼ばれ方する人物があの明るく楽しい話 に出てることはやっぱりきっとすごくいい面があったろうし、まだこれからしばらくもあるかもしれない。いや、どうだろう。 さて、それで、その彼は乱馬と共に渚の子孫だと言えるかと思う。乱馬はこの際はどうでもよいのだけど。では紅つばさと右京とが結ばれるのでもよかっただろうか。いや、その結び付きが果たす役割は乱馬とあかねが果たすだろう。右京には右京の役割があるのだから、紅つばさはそれを守るためにどうなるべきか。

この漫画キャラクターはおしなべて一途だ。おもな人物はもちろん、九能ですらあかねと女の乱馬というふたりに対してだけど一途なのだし、パンスト太郎も八宝斉に一途と言える。一途でなければキャラクターとして力を失ってしま補填が要るようになりその如何は書き手読み手どちらにとっても難しく子供向けではないはずで、知識としてか思考の結果かおそらくどちらもあってのことと思うけど作者はそれを分かっているのでしっかりと倣う。

右京への一途な思い、強い執着を持って登場したかに見えた紅つばさは、早々に女の乱馬に惚れあかねに惚れキャラクターとして死にその後はもう登場しない。その死はしかし先に書いた右京のキャラクターとしての出自や来たるべき解放を思えば無ければならないものだ。しかし誰なら殺してもよいかと選択した結果があのように造形された紅つばさであることはあるいは差別意識の発露と言って言えんことはないだろうが、おのれをよく省みてからそのようなこと強く言える人どれだけいるのかと言えばわずかだろうし、その時代特に少年誌の内にいる者としてまっとうなバランス感覚だったんだろうとも思われ、現在から裁くのはおそらくよくない。でも話し合いはしたい。

2013-03-17

高校生とか男の娘を無理矢理「ショタ」にねじ込もうとするのやめてもらえませんかねえ

ロリという触れ込みで高校生とか中高生ぐらいの男装とかだったら非難轟々でしょ

 

ショタという名目筋肉付いて毛も生えて声変わりも済んだ体格も大人とさほど変わらない男子生徒出されても困るんですよう

 

百歩譲って中学生はOKでも、男子高校生ショタではないしJKロリではないでしょ

2013-02-11

テスト

↓↓これのまとめ主はわかってないね

【言われてみれば】与沢翼氏の男装コスプレイヤー腐女子感ヤバい

http://matome.naver.jp/odai/2135902152703975201

もっと白豚みたいな写真を選ばないと!( `ω´*)キリッ

2012-10-31

アニメ版じょしらく少しだけ見て思ってたこと

彼女らの着物はおはしょりや衣紋がないところや、帯の形や位置からして男物にしか見えないんだけど、落語家って女でも男の着物を着るのだろうか。

旅館浴衣くらいならまだしも、色無地であの着方は違和感ありまくりだった。

それとも昔の白拍子よろしく男装女子を楽しめってこと?

2011-08-10

http://anond.hatelabo.jp/20110810113535

元増です

いい質問ですね、よくネット上でも違いが分からないとの意見を目にします。




実はセクシャルマイノリティ世界でも、人それぞれ定義意識が違います

(なので余計混乱を招くのでしょうが・・・)


私自身の認識と、wikipedhiaなどからの内容を元に大別してみます


まず、性自認(自分がどの性だと思ってるか)と性指向(どの性別が恋愛対象か)は違うので

どういう組合せになるかは人それぞれです

セクシャルマイノリティそのものの種類ですが、大別すると


ゲイ(ホモ)

性自認が男で、性指向も男が対象


トランスセクシャル/トランスジェンダー

性自認も性指向も人それぞれだが、ホルモン療法や外的手術などにより

生まれ持った戸籍と逆の性に体を近づけ、その性での人生を歩む者

日本でいうニューハーフもこれに含まれる


性同一性障害

上のトランスセクシャル/ジェンダーの中にも多数存在する。

しか性同一性障害は手術やホルモン投与などで肉体に手を加えているか否かは関係ない。

外見は別で、生まれもった性と自身の性自認で差異があり、自分性自認の性として生きたいと望む内面的なもの


レズビアン

性自認が女で、性指向も女が対象


バイセクシャル

性自認は関係なく、性指向が男も女も対象に入る


インターセックス(半陰陽/ふたなり)

生まれながらにして、男女両性の特徴を持った方(または両性の特徴を持たぬ者)。

特徴とは外性器であったり内性器であったり、性染色体(遺伝子)であったり。

これは性自認や性指向など関係なく先天的な肉体上の病気なので、

一般的に言われるセクシャルマイノリティとは異なる。



異性装趣味(男装/女装)

性自認も性指向も生まれ持ったままだが、

性的趣味ファッションの一環として異性装をするのみ。

なのでセクシャルマイノリティには入らない。


大別すると以上のような感じですが、

質問されたような方々ですが、上のセクシャルマイノリティの方々でも

人それぞれ言葉遣いや習慣が異なるだけです


性自認は男で性指向は女の、つまりノンケ男性なのに

女装が好きで、女っぽい言葉遣いや生き方が好きなだけという人もいれば

ゲイだけど異性装趣味という方もいます

ちなみに、ゲイの方はもれなくムキムキの人で

トランスセクシャル/ジェンダーの人はもれなく女以上に女らしく

オネエ言葉を使う・・・という認識も誤解です


見た目も態度も容姿も、まるっきりそこらへんの一般男性なのに

ゲイという方も大勢いますし、

言葉遣いも、性別関係なく人それぞれ異なるように

ゲイでもトランスセクシャルでも、しいては普通男性女性でも

オネエ言葉と言われてるような喋り方を好む人もいれば、使わない方もいます


よって、外から見ただけじゃ判断できずに、

本人の口から言われないと正確に判断できない・・・というのが正解でしょう。



しかし、本人曰く「自分性同一性障害で心は女です」と言っておきながら

体には手を加えたくないらしくホルモン療法も手術もするつもりもなく、

見た目はまるっきり男性なのに男性が好きでオネエ言葉も使う・・・なんて方もいたりするので

私も混乱してしまます・・・(TVでよく出てますね)

たから見れば女言葉を使うゲイなのですが、ゲイは自身を男だと思っているので

例え見た目が男でも本人がそう思ってなければ性同一性障害なのでしょう。

ただしそういう方は体に手を加えておらず、そのつもりもないのでトランスセクシャル/ジェンダー

いわゆるニューハーフとは呼びません。

難しいですね^^;

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