はてなキーワード: 旧態依然とは
生産性が、労働者個人に固有のものであるかのように語られている。
それを100円で売る企業と、300円で売れる企業では、生産性は3倍違う。
(実際には原材料費等があるから3倍以上違うが、単純化して説明する)
また、設計や工程の工夫で同じ製品が半分の時間で作れるようになれば、2倍違う。
こういった環境は企業側が用意するもので、労働者個人の寄与は小さい。
とすると、生産性は、労働者ではなく企業側によって決まるものではないか。
別の個人は時給1500円を下回るかもしれないが、
こういった工夫をしない旧態依然としたゾンビ企業が生き残っていることが
そういった企業には退場してもらうというのが、最低賃金の議論ではないのか。
これを継続するとジリ貧になってしまうので、追随させるという要素もある。)
というわけで
なので、相手に深く干渉するか、絶縁かみたいな二択しかない状況になっている
まずは父親が育児に対してたまに小言を言うならまだしも、SNSで恒常的に干渉してくるのはおかしい
そして増田も、父親の思想やライフスタイルに干渉して矯正しようと考えているのもおかしい
恐らく父親は息子のお願いや頼みを断れないし、息子もまた父親の頼みやお願いを断れなくなっている
ひょっとすると妻は、父親の言動はSNSの愚痴程度で気にしていないかもしれない。
ちょっとした世話焼きおじさんね、ぐらいなのに、息子はバウンダリーが無いため必要以上に言動を気にしてしまっている恐れがある。
あなたの感情、信念、思考はあなたのもので、父親の感情、信念、思考は父親のもの。
ここで「貴方の考えは古い」とか「間違っている」と言うのは逆効果。
親の旧態依然とした振る舞いが嫌、SNSにクソリプしてくるのが嫌。
そしてそこから、「自分が受け入れられない、相手が自分にしてくる言動」を明確にする。
SNSでコメントするのは良いけど、妻を中傷したり悩ませるようなことはしてほしくない、みたいに。
そしてそれを相手に伝える事。一番勇気が必要だけどこれしかない。
妻が嫌がって居たらそれを伝えるべきだが、そうではなくて妻に言ってくるのが自分にとって嫌なのであればそう伝える。
それでも干渉してくるのなら、距離を置く=SNSをブロックする、会わない、をして、相手の自省を促す。
こういう問題が起こる原因としては、幼少期に上手く父親と息子の関係が築けなかったことが多い。
お互いの愛情不足を別の不健全な形、つまり過干渉で解消しようとしている。
父親が嫌いではないのなら、たまに食事をしたりBBQをしたり、ゴルフをしたりキャンプをしたり、とにかく何か1つの目的を達成するアクティビティをするとよい。
なんとか見つけた仕事にしがみつこうと無理して体壊して、治ったからまた働きだしたらまた体壊してってのを繰り返してきた。
だからといって別に自分の境遇に同情してほしいとかそういうのはない。
自分に落ち度が無かったとは思わないしね。
もっといろんな仕事を探すべきだったとか、ブラックな環境に甘んじずに自分から改善すべきだったとかそういう後悔もある。
ただ氷河期世代への対応って色々失敗だったってのは昔から言われてたでしょ。
それなのにリーマンショックの時とか今の若い世代の境遇とか見てると、氷河期世代の時の反省を活かして改善してるようには全く思えないんだよね。
俺くらいの世代で俺みたいな境遇の人間はもう手遅れだから、いつドアノブにぶら下がるか悩むくらいしかできることないとは思うよ。
でも俺より一回り以上下の世代なのに、俺の若い頃と同じかそれ以上に酷使されてる子達が居る。
これだけ人手不足だって言われてるのに、待遇が全然変わってないか悪化してるところが多い。
時給だけは昔より増えてるけど、今は物価がどんどん上がってるし生活が楽になる要素はない。
日本の企業は生産性が低いってずっと言われ続けてるけど、それが改善しないどころか教育や設備への投資できてないからむしろ悪化していってる気さえする。
外国人技能実習生の問題もそうだけど、労働力が余ってた頃の人を消耗品にして現場を無理やり回すやり方を捨てないと駄目だったと思うんだ。
こういうところを改善する為に氷河期世代をすり潰して稼いだ時間だったはずなのに、結局旧態依然としたこの国の体質を延命するだけに終わってしまった事を悔しいとは思ってる。
いやぁ、そうも言ってられんのよ。だって企業(Amazonとかの問屋さん)が長い休日の間に人々の購買意欲を掻き立てて阿呆な消費者は踊らされて買っちまうんだから。最近ヤマトの手を離れたみたいだけど、人々の休日の過ごし方、人々の欲望の形態が旧態依然とした境地に立ち戻らん限りは、欲望は続くよどこまでもってなるぜ。しかも酪農農家のような第一次産業の人々は掛かりっきりで業務に当る。そうしなくちゃ経済動物か植物が死んでしまうから。お前さんの言うことはつまり、ホワイトカラーとしての意見だろう。だが実際は、各現場(農場か現場、工場プラントにしても、だ)に分け入れば実際は機構としては不眠不休が求められる。お前さんだって困るだろう?正月三が日から数日間肉も牛乳も、野菜も手に入らないってのは。しかもそれだけじゃない。SDMって聞いたことあるかい。定修ってヤツだ。お前さんが車を持っているか知らねぇが、石油なんざ最たる例よ。車両だけじゃねぇ、化繊にさえ及ぶ。そう言う精製プラントは不眠不休で、SDM前にはとにかく余剰量を作って、一定期間プラントを休ませる寸法でいる。その間何をするかって言うと、人間が結果的に(別会社同士が協働して)不眠不休で大々的なメンテナンスをする。まるでお祭りよ。そう言う日夜も関係のない環境の上で社会は成り立っている。お前さんだって嫌だろう。ガソスタはすぐに空になったり、鉄道を使おうにも鉄道のメンテナンスが日勤限定になったからの弊害で3日間使えません、だったりするのは。それを解決するには一つしかない。明治以降の西洋文明を捨て去るしかない。いや、産業革命以来のライフスタイルを捨てなくちゃなんないのさ。その覚悟があるかいって話
自分は歴史には詳しくなくてWikipediaを少し読んだくらいの知識しかない。
その範囲の印象でいうと
2.実際に「維新」というものを企画・立案・実行していった面々が「革命」を望んだからではないか?
だと思っている。
1については説明するまでもないと思う。
四侯会議のような妥協的政体を慶喜が骨抜きにしてしまった結果として維新勢力は倒幕へと大きく舵を切っていくこととなった。
もしも、倒幕がされずに諸侯が東京に集まって政治を行う、というような体制ができたときにはどうなるのか?
西郷隆盛とか大久保利通とかいわれる人たちの権力の源泉はどこにあるのか?
それは薩摩藩主が大久保にその役目・権力を与えているがゆえである。
つまりは薩摩藩主からの信任がなくなれば大久保はただの人になってしまうのである。
もしも倒幕がなされずに元将軍が議長になって元藩主たちが議員となるような政体がつくられたとしても、その状態は続いたことだろう。
あくまで権力は元将軍や元大名に付与されることになり、実際に国を動かす人間のもとには集まらないこととなる。
それを拒否する心情が維新の元勲と呼ばれるような人たちにはあったのだと思う。
旧態依然とした権力構造を打破する、その心根その思いが倒幕へと時代を傾かせていったのではないか?
あるいは薩長が中心となった諸侯会議のようなものが平和裏に形作られたとしても
5年間ほど専門分野の知識を活かした発言をTwitterで続け、blogにまとまった考察記事を書いていた。ある日マニア系の書籍に強い出版社から本を出さないかというお誘いをいただいた。2年ほどかかったが、blogに書き溜めた記事の加筆修正分+新規ネタを詰め込んだ最終稿の納品が先週末に終わった。知り合いのデザイナーに依頼していた表紙が出来て、販売価格や出版日も決まった。
お世話になった編集さんとSNSでの宣伝の話になった。初めての商業出版で右も左もわからない中、親身なフォローをしてくださった方だけに、話にも熱が入る。
「出版告知が出た直後の予約数で初版の部数が決まるんで頑張っていきましょう!」
ふむふむ。とりあえず自分のSNSで告知して、リアル知人にも声をかけて、布教用に20部くらいAmazonで買うか。
「注意事項ですが、ネット通販の予約でなく、実書店の店頭で予約お願いします。」
は?
2年余り苦楽を共にしてきて信頼を寄せていた編集さんだが、思わず声が出てしまった。俺の本の想定読者はSNS経由で自分を知った人が大半だと思うし、本の購入ルートもほぼほぼAmazonじゃないのかと。自分もライターの端くれなんで、書籍流通の仕組みは知っている。出版社と書店との間には流通を仕切っている取次業者がいて、書店への割り当ては取次の気分次第だとか、Amazonは中抜きを嫌って出版社と直接取引しているとか。
自分の頭の中では、こんな図式が成り立っていた。
出版社が本の実売数を予測するとして、間に取次を挟む実書店の予約数より、直接取引しているAmazonの予約数の方が精度の高いデータになるはず。そして俺自身SNS上の業界有名人として認知されているので、この傾向はより強まるはずだと。
そう信じて疑ってこなかったからこそ、信頼を置いていた編集さんの言葉に対して失礼な一言が漏れてしまったのだと思う。その後の打ち合わせは自分の中でテンションが下がってしまったのもあって話半分だった。少し前まで出版日が決まるのを楽しみにしていたのに、出版社のマーケティングに旧態依然としたダサいものを感じて、増田に愚痴を書くまでに冷めてしまった。
まあ、SNSから自分を見出してくれたあの出版社ならマーケティングも洗練されているだろうと勝手に期待してただけというオチではあるのだが。想像だけど、編集者のセンスが現代的でも出版社本体が古い体質だからダサいマーケティングになってしまうのだろう。
なんだかんだ言ったが、初版部数増える方が嬉しいのは間違い無いので、仕事帰りに寄り道して職場から30分かかるターミナル駅の大型書店に向かう電車の中でこの文を書いている。少しでも俺の本がたくさん売れますように。
最近、和リベが分裂している。
例えばウクライナ侵攻について。
チンケな話だが、コラボについて。
あえてざっくりいうなら世代による分断。
そろそろあの世に勝ち逃げする団塊世代は今更世界観をアップデートする気はない。
一方、今後の日本を民主的に運営していかなきゃ、腐敗した自民から取り戻さなきゃって意識がある世代との意識の違い。
まあ、消えそうな地方伝統芸能の継承者買って出るかんしんな中学生みたいに、老人の褒められものになる残存者利得狙いのとっちゃん坊やみたいなのもいるけどな。
立憲の現代表への突き上げも、岩盤支持層のヨボヨボ信者層と、是々非々で票の読みにくい広範な層と、どっちにもいい顔はできないという事情による。
同様の分裂は「保守」層にも生じている。
一番わかりやすいのはやまとQとか参政党とかムネオを見て失笑するかどうかだ。
というかそれ以前に自民党や自民支持層は分裂しまくってる。ただの寄り合い所帯だからな。
これはアメリカでも同じようなことになっている。中国にそれなりに毅然と対峙する姿勢を見せるバイデンと、若手のポリコレマフィアみたいな連中と、だいぶ毛色が違う。そもそもバイデンのようなロートルが出てこざるを得ないのは、若い世代が極左ごっこにうつつを抜かして広範な支持を得られないからだろう。
一方の共和党支持層では言うまでもなく陰謀論上等のトランプ支持者とトランプはさすがにもう勘弁派の分断がある。
ウクライナについて橋下と共産党の見解が一致したりするのはイカレポンチ同士の収斂進化みたいなもので、まあどうでもいい。
それより、こうなってくると左派の是々非々層と「保守」寄りの現実主義はもう仲間でいいんじゃないのと言いたくなる。
民主党政権誕生時に票入れた人も似たような思いだったのではないか。
当時はまだ団塊世代が元気だったから旧態依然のサヨクセンスに引きずられてしまったが。キチガイポッポが国のトップで仙谷由人が官房長官って、すごい時代だ。
結論として、いま政界って全く熱のない総理とただただ情けない野党とで無風のように思われてるが、むしろ大再編が近々あってもおかしくないんじゃなかろうか?
ウヨサヨ対立の構図なんてもう時代遅れと言われ続けながらけっきょくそれが対立軸になってきたが、ついについに団塊世代の物理的退場で状況がガラッとかわるんじゃないか。
人種差別はいけません、ブラク差別はいけませんといった教育で人心を塗り替えることはできない。結局のところ人が死んで入れ替わる以外の解決はないのだ。
https://twitter.com/Lefty_STJ/status/1606356471670661120
<script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>公金の流れはブロックチェーンで追えるようにするくらいデジタル庁は頑張れよ— れふてぃ (@Lefty_STJ) December 23, 2022
ツイ主がどのような心持でこのような投稿をしたかはわからないが、おそらく行政が運用上の”瑕疵”で文書やデータを紛失したり、まっとうな手続き抜きに内容が変更されたりしたを出来事を観測して憤っているのだろう。
「改ざんはけしからん!そうだブロックチェーンなら改ざん不可なはずだから、大事なデータはブロックチェーンに載せよう!」という氏の気持ちは良くわかる。
現にブロックチェーンが暗号資産以外のケースに応用が利きそうだと発覚した2010年代中盤は、このように行政の文書管理にブロックチェーンを使えば良いのではないかという話も出ていたほどだ。
ただ現実ブロックチェーンを応用した行政のサービスやシステムはまだ出てきていない。実証実験や小さいサービスでは使っているかもしれないが、このような文書管理のようなコア部分はいまだに従来のシステムに依存している。
これはなぜか?ブロックチェーンが未成熟な技術だからか?確かにそうかもしれない。行政が旧態依然のシステムから変えたがっていないからか?それもあるだろう。
しかし、技術が進歩しブロックチェーンが成熟したとしても、デジタル庁が本気の改革に乗り出したとしてもブロックチェーンを上記のようなケースへの応用は難しいのではないかと俺は考えている。
この考えを少し述べたい。はてなでやる内容か?と自問しつつも、誰かの目にとまれば幸いである。
ブロックチェーンは様々な実装が公開されているが、「パブリックチェーン」と「プライベートチェーン」に大別することができる。
この二つの最大の違いはパーミッションレス型か、パーミッション型かという点である。つまり、誰でもネットワークに参加できるのが前者、任意の機関が認証して初めて入れるのが後者である。
行政の監視という点を考えたら、もちろんパブリックチェーンの方がよさそうに思える。みんなで監視できるからだ。
ただ、パブリックチェーンをこのユースケースにあてはめるには課題がある。
一方、プライベートチェーンではどうか。ここも一筋縄じゃいかない。
構築する動機がない: これが一番悩ましい点かもしれない。つまり、行政は自分たちのデータを改ざんできないと困るのだ。改ざんというと言葉が強いが、ちょっとした修正ぐらいも監視されてるなんて溜まったものではない。自分が不便になりそうなものなんて、法律で強制でもしない限り作らないし使わない。
長々と書いてしまったが、とにかく言いたいのは「行政×ブロックチェーンって良いアイデアじゃね?なんで皆やらないんだろう」とTwitterに書き込む前に一旦想像して欲しいのだ。もう考え尽くされたアイデアなのかもしれないと。自分が画期的アイデアの考案者第一号ではないのかもしれないと。
ブロックチェーン自体は素晴らしい技術だがその応用にはみんな苦労してる段階である。行政への画期的なユースケースも今後出てくるかもしれない。それまで暖かく見守ってくれれば幸いである。
もちろん質の高い編集をすればそれだけコストがかかるのはわかる。
「時間があればもっと短い文章を書くのだが」という言葉あるように長さと短さや量の過多は必ずしもコストに比例しないものだ。
しかし、だからといってタイパが求められる世の中で今までと同じものを作り続けることが正しいのだろうか?
理想的にはコンパクトに編集された動画と従来どおりの動画を両方詰め合わせたものがベストだと思う。
尺の短いタイパ編集されたもので興味をそそられたお客さんが長いバージョンもチェックするというカタチだ。
こういった構成はAVだけではなく他のコンテンツにも求められているのかもしれない。
アニメなんかでも旧態依然としたテレビ枠向けの30分アニメなんかをいつまでも量産している時代なんだろうか?
今ままでは考えられなかったような大胆な編集をほどこしたものをプレビューとして提示し(プレビューと言ってもきちんと結末まで描く)、そこで強い興味を喚起して本来の長さがあるバージョンへと誘導するのだ。
配信などでコンパクトに編集したバージョンを無料で流して(きちんとストーリーはわかるように結末まできちんと描く)興味があったら有料版も見ませんか?という流れにするのだ。
そういったコンテンツが出てきてもいい頃だ。