2023-03-21

anond:20230321045834

自分歴史には詳しくなくてWikipediaを少し読んだくらいの知識しかない。

その範囲の印象でいうと

1.徳川慶喜という人が権力を手放そうとしなかったから。

2.実際に「維新」というもの企画立案・実行していった面々が「革命」を望んだからではないか

だと思っている。

1については説明するまでもないと思う。

四侯会議のような妥協政体慶喜が骨抜きにしてしまった結果として維新勢力は倒幕へと大きく舵を切っていくこととなった。

2についてはあくま自分の推測である

もしも、倒幕がされずに諸侯東京に集まって政治を行う、というような体制ができたときにはどうなるのか?

西郷隆盛とか大久保利通かいわれる人たちの権力の源泉はどこにあるのか?

なぜ大久保命令薩摩藩藩士たちが従うのか?

それは薩摩藩主が大久保にその役目・権力を与えているがゆえである

まり薩摩藩からの信任がなくなれば大久保はただの人になってしまうのである

もしも倒幕がなされずに元将軍議長になって元藩主たちが議員となるような政体がつくられたとしても、その状態は続いたことだろう。

あくま権力は元将軍や元大名付与されることになり、実際に国を動かす人間のもとには集まらないこととなる。

それを拒否する心情が維新元勲と呼ばれるような人たちにはあったのだと思う。

旧態依然とした権力構造を打破する、その心根その思いが倒幕へと時代を傾かせていったのではないか

ここから歴史のifの話になるが、

もしも慶喜議長になって諸侯会議を開くような政体

あるいは薩長が中心となった諸侯会議のようなもの平和裏に形作られたとしても

それは存続すること無く第二革命のようなものが発生していたと自分は考える。

まりは倒幕とは歴史必然であるということなのではないだろうか。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん